「名古屋学院大学 留学」と一致するもの
本日講師に西村清先生(日本基督教団牧師 元名古屋学院長)をお招きし2016年度第3回、第4回宗教講演会を開催しました。
第3回宗教講演会では「創立者クラインとその時代」と題して先生のアメリカ留学での経験や、マレーシアでの宣教の話を交えながら、創立者クライン博士が名古屋英和学校を開学する経緯等を中心にご講演いただきました。
第4回宗教講演会では「名古屋学院大学の前身名古屋英和学校第一回卒業生牧野義雄(画伯)」と題して、名古屋英和学校第一回卒業生牧野義雄氏の生い立ちや人柄、留学をめざし英語の勉強のために名古屋英和学校に入りそこでの学びとキリスト教との出会い等を中心にご講演いただきました。
講演会の様子
いずれも歴史に目をむけることは未来に目を向けることになるという強い信念のもと、本学のルーツの名古屋英和学校の創立期や現在に至るまでの歴史について心をむけることが大切だという西村先生からの思いが伝わる講演会となりました。
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申込期間は、2016年3月18日(金)~6月6日(月)17:00です。
目的と日程
2016年1月21日(木)から1月28日(木)の8日間,外国語学部のモロー教授とともに米国に出張しました。目的は名古屋学院大学と国際交流や交換留学制度の協定を結んでいる協定校を訪問し,これまでの協力支援に感謝を述べるとともに,将来に向けた相互の事業強化を図るためです。
具体的な訪問先は,①Pacific University(オレゴン州ポートランド近郊),②North Central College(イリノイ州シカゴ近郊,Naperville市)そして③Coe College(アイオワ州Cedar Rapids市)の3大学です。いずれも,現在,本学の学生を交換留学生として受け入れ,同時に名古屋学院大学へ彼らの学生たちを派遣している大学です。名古屋学院大学が国際交流協定を結んでいる大学の数は,世界に85ほどありますが,その中でもこれら3つの大学との関係は歴史も長く強い絆で結ばれているといって良いでしょう。
出張の日程は次の通りです。初日の1月21日(木)に中部国際空港から羽田経由でサンフランシスコに向かい,そのまま飛行機を乗り継いでオレゴン州ポートランドへ向かう。そこで投宿。翌1月22日(金)にPacific Universityを訪問し,土曜・日曜にシカゴへの移動。1月25日(月)にNorth Central Collegeを訪問。翌1月26日(火)は午前中にシカゴからシーダーラピッズに飛び,午後にCoe Collegeを訪ねる。そして1月27日(水),早朝の飛行機でシーダーラピッズを離れ,テキサス州のダラスフォートワース空港から成田そして名古屋と乗り継いで,1月28日(木)の夜19:45に中部国際空港に帰還。寒い冬に,わざわざ寒い場所を選んだような出張です。
協定大学の印象
(1)Pacific University
Pacific Universityが位置するオレゴン州は,1年の半分は雨が降っている,と言われる地域です。訪問当日は名古屋よりも温かく,雨も降らず,それどころか太陽も顔を見せていて快適な気候でした。広大で,緑溢れるキャンパスは,芝生は青々としているし,樹齢2000年と言われるメタセコイアの大木も生息。その幹や枝はびっしりと苔に覆われています。毎日オゾン浴をしながら学ぶ空間です(これは瀬戸キャンパスと同じか)。アメリカの田舎町にある大学の例にもれず,街全体が大学,大学が街そのものという印象です。普通の民家かと思しき建物が大学の一つの施設であったりして,ヘェ~と驚かされました。
学生のほぼ全員がキャンパス内の学生寮で居住し,図書館や大学施設ほぼ24時間利用可能な状態です。俗世間と隔絶した学習空間は,日本人留学生にとって最初のカルチャーショックであるかもしれません。
留学生受け入れや送り出し業務を行っているスタッフの中に,印象深い日本人のAtsukoさんが居ました。表情豊かで明るく快活。テキパキとかつ親身になって留学生の生活・学習全般の支援をしている彼女を,本学からの留学生も「大変良くして貰っている」と評していました。感謝。
(2)North Central College
North Central College(NCC)はイリノイ州シカゴから電車で40分のNaperville市にあります。Naperville市はシカゴ郊外にありながら,安全なベッドタウンとされ,人口増加を続けています。しかし大陸内部にある街ですから,寒いときには零下20度にもなるそうです。訪問当日はそれほどの寒さではありませんでしたが,道路脇には雪が残り,キャンパスツアーの途中にも雪が舞っていました。
ここでも,国際交流を担当するスタッフの皆さんからとても丁寧なおもてなしを受けました。中でも,国際プログラムのディレクターをしているキンバリー女史には驚嘆させられました。なんと彼女は,3人目の子供の出産を1週刊後に控え,前に大きくそり出たお腹を抱えながら,私たちに半日付き合ってくれたのです。雪が残る歩道を,私たちよりも速く歩いていました。この逞しい女性に深く感謝。
NCCでは学長,副学長とも面談する機会がありました。3,000を越える大学がひしめくアメリカにあって,大学間競争は厳しい。大学改革と新機軸の構築が急務であることなどが語られ,事情は日本と同じかなぁと感じたものです。キャンパス内には新しいセンターの建設工事が進められていました。アメリカの大学にあって学長がなすべき第一の仕事は,こうした新事業を進めるための寄付金集めである,と明言されていたことが印象的です。
(3)Coe College
アイオワ州Cedar Rapidsはシカゴから飛行機で約1時間のところにあります。このあたりは麦とトウモロコシの産地で,朝食に使われるシリアルで有名な食品会社「クウェーカー・オーツ」の基幹工場があり,その大きな看板が目にとまります。
飛行機を降りると辺り一面が銀世界。今回の訪問先の中では最も寒い場所であり,最も寒いタイミングとなりました。空港まで出迎えてくれた国際プログラム・ディレクターのアン・ドレクサーさんは,毎年のように名古屋学院大学を訪問してくれているので,私自身も顔なじみです。キャンパスまでの運転はお母さんのバーバラさん。この方も,本学とCoe大学との交換留学プログラムを長きにわたり支えてくれた功労者です。ほんわか温かい時間が持てました。
しかし,キャンパス内は雪で覆われ,雪と風の中を進むキャンパスツアーは苦役に近いものがありました。感心したのはキャンパス内の室内運動場です。四季や天候に関係なく利用できるように,大規模倉庫とも思しき巨大構築物の中に陸上トラックやテニスコートが入っているのです。雪景色の戸外から窓を通して見える室内温水プールでは,外の寒さに関係なく,何人かの学生たちが悠々と泳いでいました。キャンパス内は,地中に埋められたパイプを通じて温水や蒸気が供給され,それが面としての暖房を担っているということです。流石,エネルギー費用の安いアメリカです。
Coe大学からは夕食会へのお招きを受けていたのですが,モロー先生は参加し,私は欠席しました。私はというと,日本を出る前に罹った風邪が日ごとに悪化し,Coe大学訪問の日には,咳や鼻水だけでなく,ほとんど声も出ない状態だったのです。この状態を英語で言うと「I lost my voice.」。一つ学習しました。モロー先生によればディナーは美味で楽しい時間であったそうです。残念!
NGU留学生たちの様子
今回3つの大学を訪問し,現在本学から派遣されている学生5名と,本学に留学し既に帰国しているアメリカ人学生3名,合わせて8名の学生たちと面談する機会がありました。
本学からの学生たちは,皆,元気でそれぞれの留学生活を楽しんでいました。もちろん,淋しさを感じる時,不満に思うこと,思うようにいかないストレス,そんな話も口に出ました。しかし,総じてアメリカの大学生活に積極的に取組んでいる姿勢を感じさせてくれました。異国で不安やストレスを感じながらも,逞しく学ぶ本学の学生たちの姿を目の当たりにすると,彼ら彼女らへの愛しさが募ります。健気に頑張る幼子を見るようで,不思議と目頭が熱くなるのです。
中には,学部の正規授業を3科目履修していて,その予習に毎回4時間かけていく,こんなに勉強したのは生まれて初めてだ,と吐露する学生もいました。その努力や経験は決して無駄にならない,将来の糧だ,と私。一生懸命にやっている姿,頑張っている姿は,本当に美しい。見る者を楽しくしてくれますね。
一方,名古屋学院大学に留学経験を持つアメリカ人学生たちは,一様に「NGU(Nagoya Gakuin University)の経験は貴重なものであった,NGUの国際センターのスタッフが親切でとても世話になった,楽しかった,名古屋にもう一度いきたい」と語っています。そして,JETプログラム(注)を利用して日本で1年以上生活したい,と言います。その内の一人は,既に日本領事館での面接試験も終えて,合格発表を待つばかりとのことです。再会の日は近い。
今回の協定校訪問では,どの大学でも私達をとても温かく迎えてくれました。それは,訪問校が比較的本学と強い関係を維持している大学であるということも関係しているのでしょう。しかし,「おもてなし」は日本固有のものではなく,形を変えこそすれどこにでもある,そんな印象も持ちました。今後もこの良好な関係を維持していきたいと思います。
(注)JETプログラム:The Japan Exchange and Teaching Program。外国語の指導助手(ALT)などを行う外国青年を招聘する日本政府の事業のこと。
台風が過ぎ去り、きれいな青空が広がっています。
こんな気持ちの良い日に名古屋キャンパスチャペルで2015年度名古屋学院大学留学生別科秋学期入学式、2015年度9月卒業者学位記授与式を行いました。
入学、卒業おめでとうございます。
学生さんと先生を繋ぐ連続企画★Bridge★、今回の先生は・・・
国際文化学部 木村 光伸 先生です。
先生は、国際文化学部の現学部長で、NGU教養スタンダード科目の「生態学」「地域生態論」
「人間論」を担当し、新しい国際文化学部では専門科目の「グローバル社会文化論」「国際
環境文化論」「比較地域生活史」なども担当されることになっています。
それでは早速、先生の"思い"をご紹介します★
■■■ どんな思いをもって、授業やゼミに臨まれていますか? ■■■
■授業をする際に、大切にしていること
僕は自然科学を志すものですから、自然の成り立ちや、自然と人間の付き合い方を教える立場に
あります。
この大学に来た当初は、僕自身の持っている専門性を、なかなか教養教育の授業に反映できない
というジレンマがありました。どうしようか?と思った時に、自然そのものを教えるのも大事だ
けれど、その中から僕が学生と一緒になってが学べることはなんだろうと考えて、自然の仕組の
中に学ぶこと...様々な生き物たちがいるなかで起こる"関係"の学び方を教えよう、どのような
授業をする時でも、エコロジカルなものの見方を念頭に置いて話をしようと決めたんです。
■教養教育として学ぶべきものとは
今年、名古屋学院大学は8学部になりました。
それぞれの目指すべき専門性がいくつもあるわけです。
その中で、共通して学ばねばならないことは何だろうと。
それは、言ってみれば「歴史」です。
歴史というと、社会科の先生が教えるものを想像するかもしれませんが、それだけではなくて、
それは、地球の歴史であったり、生命の歴史であったり、動物たちの歩んできた道であり、環境
の歴史であったり、宇宙の歴史であったり・・・
要するに、物事がどのようにできあがってきたかを知るということです。
それを知りたいと感じる。
そこが、教養教育の中では最も大事なことだと思うのですよ。
名古屋学院大学は、教養教育型の大学ですから、どの学部にいても、誰でも知っておいたほうが
いいことが沢山あって、それにふさわしい先生方がたくさんいます。
その先生方が、自分の思っている教養の基礎としての事柄は何であるか、きちんと学生に教え、
それが共有できたら、その次のステップとして、問題発見・課題解決型の授業に入っていける
だろうと思うんです。
それをすっとばして、「さあみんなで考えよう」っていうのは、僕はあんまり賛成しないですね。
■先生の授業スタイル
僕は、どの大学に行っても、大学のレベルに合わせて授業するなんてことはしません。
学生のレベルにあわせるなんて、そんなの失礼なことでね、僕はどこへ行っても同じ話をします。
学問をしたというとおこがましいけれど、僕が40年積み重ねてきたものを、どれだけ彼らに伝え
られるか、ということです。
面白いことに、どこへいっても分かる学生には分かるし、分からない学生には分からんのです。
大学教育ってそういうもんです。
非常に古臭いやり方なのかもしれないけれど、
知らしめるべきことはしっかりと知らしめる、というのが大前提です。
もともと大学は、先生が好き勝手しゃべっている中で、学生は自分で取捨選択して、頭の中を整理
していったものです。これが、古代ギリシャ以来ずっと行われてきた教育で、これがまかり通った
最後の世代が僕らだったのだと思います。
今では、支持されないやり方なのかもしれません。
今の言い方をすれば「押しつけ型」の教育になっていて、反省することもあるのですけども・・。
ただ、「押しつけ型」の教育にもいいところはあって、
どうしても知らなきゃならないことは、否が応でも教え込みます。
そこから先に、みなさんは何をどのように考えますか、と問うことだと思うんです。
今の教育がぶつかっている困難は、どんな勉強をするにあたっても基本的に知っておかなくては
いけない事柄というものがあるにもかかわらず、それをきちんと教える時期と方法がないという
ことです。
僕は今でも、
自分で考える前にちゃんと知っておかなきゃならないことがあるから、きちんと学びなさい
と言っています。
大学教育における強制的な学びというものには、高等学校までと違う点が1つあって、何を知ら
なきゃいけないかということの共通テキストが無いんです。文科省の教科書があるわけじゃない
ですよね。僕が僕の学問を伝えるにあたって必要最低限のことについては、きわめて強制的に押
し込まなくてはいけない。学生から見たら、ある意味ツラいかもしれないけれど、でもそれは、
学問を始めるにあたっての第一段階なんです。
それができたら、自分で考えなさいよ、ということができる。
そういう意味では、僕は授業で小うるさいです。
まず、僕の話をちゃんと聞けと。
そして、
僕の言っていることを理解しなくてはいけないから、話が分かる・分からないにかかわらず、
メモをとりなさいと。
教科書はできるだけ使わないようにしてますが、使う授業でも、授業中には教科書を読まない。
僕はその中身について詳しく話をするんだから。
今日は教科書のこのあたりね、っていう話はしますけれども、その部分を授業中に読むのは時間の
無駄ですから。
教科書に書いてある「これはこういう意味で...」という授業はしませんから、学生から見ると、
とっつき悪いかもしれない。
教室内の秩序管理は非常に厳しいです。
僕はしっかり叱ります。
叱るのは、2つの意味があって、まず1つ目は、
「この状態でいるのは、君にとって意味がない」と思ったら、僕は叱ります。
たとえば、寝ている学生。話を聞いていない学生。雑談なんか論外だけど。
僕の語りに集中できない人は叱ります。
もう1つは、「他の人の邪魔になること」をしたら叱ります。
理屈は同じことだけどね。
嫌な教師だな、と思われていると思うけれど、それはやっぱりどこかで、言わなくてはいけない。
昨今の幼稚園から大学までの教育の良くないところは、絶対覚えなきゃいけないことをスル―
して、自分の言いたいことをバッと言うことを、積極的であるとか、そこから何か引き出せると
思ってきたことね。
大学生になってそれを覚え直すということは、非常に難しいことだけど、やっぱりあえてやら
なきゃいけないことだと思いますね。
1人1人が学んだ結果については、厳しく求めないです。
どれだけ覚えたか試験をして100点と50点がいたとしても、その差って、実は大したことない
やろ、と思っています。
つまり、「こちらを向けたかどうか」が大切で、
その後自分でどれだけ頭に入ったかは本人の責任の部分やと。
そこは評価をするのではなく、「頑張ったね」でいいと思うんです。
だから、授業の中で一つ一つ展開した話を、知識としては問わない。
僕は、マークシート式の試験はやりません。
僕が話したことについて、コレの意味はAかBかCかといった尋ね方はしません。
ここら先が課題解決型の授業で、AでもBでもCでも、
その人自身で理由をつけられたら、それでいいんです。
僕と意見が違っても、それはいい。
だから、僕は、「授業の中で大きなことを何個か言いました。それを2つ3つ挙げて、それに
ついてあなたはどう思っているか、それはどういう意味かを書きなさい。」という、昔ながらの
論述試験をします。
これはもちろん、解答の仕方は何通りもあって、それを読んで「ああ、何か考えているな」と
思えば良い成績がつくし、「こいつはいっぱい書いてあるけれどあまり考えていないな」と
思ったらあまり良くない成績になります。どこかからコピペなどで解答を持ってくるなんて
いうのは、問題外ね。
課題とか問題とか、僕がしゃべったことの中から発見していかないといけないと思うんです。
授業が課題解決型になる、というのは、本当はそういうことなんだろうと思うんです。
■自分の無知を、自覚すべし
学生は若いから、未熟であって当たり前なんです。
学生だから未熟なのではなくて、若いから未熟なんです。
そりゃそうだよね、僕の3分の1くらいしか生きたことがないんですから。
それを、学生を変に持ち上げて対等化すれば、学生も生き生きとやれると思うのは、間違い。
学生は、いかに自分がものを分かっていないかっていうことを、自覚すべきだし、自覚させて
あげなきゃならない。
僕が学生のころなんて、随分バカだったわけですよ。ま、今もバカだけれど。
学生の頃、いかに自分がバカだったかということは、今にならないとわからないけどね。
アホ・バカって言うと、差別的で高圧的で、ハラスメントだっていうけど、そうでもないと思い
ますよ。
賢くなるためには、まず自分がバカであるということを理解しないと。
僕自身、「ぎゃ!」って顔伏せるくらい恥ずかしいことをいっぱいしてきましたからね。
それをね、ちゃんと「バカだね」と言ってくれる人が、周りにおったんですよ。
あるいは、その横でニコニコしながら見ていてくれる人もおった。
そういう、なんかこう、無知や未熟を許容する「ゆとり」みたいなものが昔はあったんです。
そのバカさ加減というのは、4年後の就職活動とか、そういったこととは何の関係もないバカさ
加減ですから。じっくり直せば良かったんですよ。
今は、そういう(若者の未熟さという意味での)バカを是正できるみたいに、漢字の書き取を
やらせてみたり、中学程度の算数をやってみたりしますけれど、そんなことなんぼやっても、
バカは直らんのです。あれは要するにどこかの企業に潜り込むための対策を講じるだけで、
そんなんでバカが修復されたと思わせたら、あかんのですよ。
我々教員は、学生にはちゃんとものを学ばせる、教えるっていうことを、やっぱりもういっぺん
再確認しなきゃいけないですね。
■モヤモヤと悩んでいる学生へ・・・「悩め、若者よ!」
誰かが言っていたけど、今の人たちは悩み方を知らない。
悩み方まで教えんといかんのか?と思う。
困ったら、自分で悩めよ、と思いますね。
悩みっていうのはね、出口を求めても、そんなもの無いんですよね。
悩めば悩むほど、こう、埋没していって、答えがみつからなくて...。
でもそういう時期を経ないと解けないんだよね。
自分で自分のマインドコントロールをしているんですよね、悩みっていうのは。
ずーっとつきつめていくと、自己矛盾に陥るんですよ。自分を問い詰めて、
自分の中に答えがないということに気づくんです。
その時にフッと、悩みって解けるんです。
こういう悩みかたしててもしょうがないな、と分かったらいいわけだから。
それをおせっかいに、「この悩みにはこういう特効薬がありますよ」「こういうことやったら
いいよ」というのは、たぶん、あんまり正しいことじゃないと思う。
「悩め若者よ!」って言ってればいいんです、本当はね。
でも、あまりにも悩み方を知らないから、悩めって言われてもわからなくて、「悩むあなたへ」
「気分の晴れる30の方法」みたいな本を買ってくるんです。
...本当はそんな風に分析できないんだ、悩みっていうのはね(笑)
だからね、アクティブ・ラーニングというのは実にいい言葉だけれども、形容矛盾でね、
ラーニング(Learning)っていうのは、エデュケーション(Education)じゃないから、本来的に
アクティブなものなんですよ。
ラーニングって、誰かが教えてくれるもんみたいですけれど、自己学習ってことですからね。
自分で学ぶから、自ずと答えが出てくるんですよ。
もちろん、自分で答えを出そうと苦しまなあかんよ。
苦しまんとあかんけど、その苦しみ方というのは一様ではありませんから。
悩みの数だけ一つずつ違うんだろうけども。
まずはね、あなたは一体何に悩んでるんですか?と自分に問わないと。
誰かに聞いてもらったり、議論したりしながら、あるいは悩みを共有することがあってもいいと
思うけれど、最後は自分の悩みですから。
何が本当に自分の悩みなのかっていうのを、もう一度自分で自分に聞かんといかんのね。
10代の子たちというのは、なんかモヤモヤしていて、自分でもよくわからんのですよね。
生物的欲求だけが、わーっと広がる時ですからね。
大学というのは、そういう学生が4000人もいる場所ですよ(笑)
悩みというのは難しいものじゃなくて、「俺コレ悩まんといかん!」っていう生物学的欲求
ですから、何か欲求を解きほぐすための刺激が要るんですよ。
欲求は、それを解きほぐす鍵が1つあれば解けるというのは、生物の原則ですから。
だから、スポーツでもいいし、知的なことでもいいし、
なんでもいいからその欲求を自分で解きほぐすための方法を見つけんと、しょうがない。
太陽に向かって叫んだら気持ちいいならそうしたらいいし、図書館にこもって難しい本を読ん
だら、それがいいという人もいるでしょう。
外から見てもその答えは見つからないんです、大抵。
こいつはコレで悩んでいるから、この方法で...ということがないから。
そこが面白いところなんだけれども。
「悩め、若者よ!」ということです。
■悩み解決のヒントがほしい学生さんへのアドバイス
僕が学生に言うのは、色々な人に相談しなさい、ということです。
話を聞いてくれるところは1ヶ所ではないし、教師も職員もいっぱいいるんだから。
チャペルもあるんだし。
どこかでヒットするよ。
あそこに行っても駄目だな、ここへ行っても駄目だな、と一つ一つ当たっていって、
良いか悪いか、それは本人にしか分かりません。
なぜ駄目かは、分からんなりに、本人は根拠を持っているんですよ。
色んな人と話しているうちに、「ああ、そういう、ものの見方もあったのか。」と気づけば、
解決の糸口になるかもしれない。
でもそれは、数撃たなきゃわからないわけ。
学問の世界で、議論をしながらそういう人を見つけていければ、それが一番良いわけだけれど。
そのためには、教師がもっと色んなメッセージ出さないかんと思うのね。
「偶然出会って話してみたら、意外と良い先生だった。」みたいな言い方をされることがある
けれど...偶然でもヒットすればええけど、その陰で誰にもヒットしない人が、沢山おるわけ
ですよ。
誰にも相談できないと思いこんでいる人たちがいっぱいおるわけですね。
それはやっぱり、教師の側のメッセージの出し方が足らないわけ。
そりゃ、メッセージ出せば人がたくさん来るっていうわけではないですよ。
また、たくさんの学生に相談されている先生が大先生っていうわけではないですよ。
だけど、教師としての本能だと思うけど......なんていうかな、教師っていうのは、基本的に出た
がりやないといかんのですよ。
自分を露出させたがる人間やないとね。
でも今は、なかなかそういう人が教師になってないんですね。
みんな謙虚だもんね、学生にすら。
学生に向かって「俺の研究は世界一や!」って、なんで言ってやらへんねん、って思うね(笑)
そんな、世界一の研究をしているような人は、ほとんどいないんだけど、
それでも主観的には、「俺のやってることはすごいんだ」って思ってるわけですよ。
思わんといかんのですよ。でないと研究なんてやってられへんからね。
そういうのをオーラとして出していかんとあかんのやないかな、と思いますね。
■■■先生のお薦め本■■■
木村先生からのお薦め本はコチラ↓
『風土人類学的考察』
和辻哲郎著 岩波文庫
1935年出版のかなり古い本です。
倫理学者である著者は、若いころにヨーロッパ留学しました。
昔の話ですので、ヨーロッパへ行くには、横浜から船旅です。
現地に辿り着くまでに、どんどん風景が変わっていきます。
その時の著者の考察をまとめたのがこの一冊です。
自然だけ、あるいは人間だけを見るのではなく、自然と人間の生活が分かちがたく結びついており、
それは、単純に文明や文化というだけでなく、まさしくそこに、人間が息づいていており、「風土」としか
呼びようがない・・・難しい本ですが、今この時代にこそ大切で、どの分野の人にも一読の価値ありという
ことで、ご推薦頂きました。
『世界史』
ウィリアム・H・マクニール著 中央文庫
真面目な世界史を読もう!ということで、こちらもお薦めいただきました。
先にご紹介した本も、これで理解が深まること間違い無しです★
■■■今日の一枚■■■
今回は、先生の研究に関する1枚です!
オセロットの毛皮
オセロットは、主に南米に生息するネコ科の動物です。
写真の毛皮は、先生が、若いころに研究で訪れたペルーのイキトスで、現地のインディオ
の方から頂いたものだそうです。
現在、オセロットはワシントン条約で保護されていますので、飼育されているものを
除けば、日本に入って来た最後のオセロットかもしれないというほど、貴重な研究資材
なのだとか。
木村先生が、世界を股にかけて長年研究されてきたこそ見ることのできる、
貴重な一品ですね。
先生は1人旅もお好きなのだそうです。
研究や旅で訪れた地のことや、人間を含む生き物たちの繋がりについて、お話を聞きに、
研究室のドアを叩いてみてはいかがでしょうか。
次回の★Bridge★も、お楽しみに★
チョッパー子
学生さんと先生を繋ぐ連続企画★Bridge★、今回の先生は・・・
外国語学部 赤楚 治之 先生です。
先生は、2015年現在、学生部長であるとともに、「英語学概論1」
「英語学講義1」などの科目を担当されています。
それでは、先生の思いをご紹介★
赤楚先生の素敵な大阪弁を想像しながら読んでいただけると嬉しいです!
■■■ どんな思いをもって、授業(ゼミ)に臨まれていますか? ■■■
「大学生は頭を鍛える」―― 高校までの暗記中心の勉強やなくて、
「クリエイティブ」になるということやねん。
そう言うたらちょっと大げさなイメージを持つかもしれへんけれど、
要は "自分でものを考えていく力" を身に付けること――
これが、僕がゼミも含めた全ての授業で念頭においていることやねん。
よう授業でも言うんやけど、「人間」って、その誕生から長い時間かけて、
「知」を広げて文明や文化を築いてきたやん。
たとえば、「火」。
火は、最初は神が創るもので、はじめの人間たちはどないして火(火事)
が起きるかなんかわかれへんかった。つまり、当時の人間の「知」をこう
表すと(下図)、「火」は「知」の外にあったちゅうことやろ。
でも、今じゃ、「火」についての知識は十分わかってて、人間は自由に「火」を
作ることができるようになってるやん。
それは、「知」の領域を広げていく中で、「火」はこの「知」の中に入って
いったわけやな。
そんな「知」の広がりの積み重ねが、科学の進展とか、人間の理解の進展
になってきたわけやねん。
この「知」の部分はいままでかなり広範囲に広がってきたんやけど、それでも
やっぱりその外側の部分(=未知の領域)って、21世紀の今になっても
存在してるんや。
高校までは、分かっていること (つまり、「知」の領域) を学ぶ"勉強" を
やってきたわけやけど、大学生にとって大事なことは、そういった未知の部分
に足を踏み出すことやねん。
それは「勉強」やなくて、"研究" と呼ばれる行為やねん。
今ここでは、学問的な側面で話をしたけど、これは学問の世界だけの話やないで。
日常生活でも、会社に入っても、どんな局面においても、
人生って未知のいろいろな問題に出会っていくやろ。
そんな時に大事なんは、自分の頭で解決策を探っていくちゅーことやねん。
大学の時に、その大切さを学んでほしいなって、いつも思ってるんや。
何でも、「枠からはみ出して、新しいものを作っていくぜ!」っていう、
心をもっている若者って、見てて気持ちええやんか。
未知の部分に飛び込んで、「面白い」ことにチャレンジする、そんな力が
「若さ」やん。
そんな学生を育てたいというか、成長の"きっかけ"を与えることが、
教師としての僕が目指していることやねん。
(せやから教師って職業は面白いねん。)
言い方換えたら、夢をもってほしいちゅーことや。
夢ができたら、どうしたらその夢リアライズ(現実化)できるか とか、
今の自分の力がココやったら、さらに高みに行くにはどうしたらいいんや、
そんなこと考えるやろ、頭働かせんとあかんやろ。
せやから、学生には、
大学で夢を見つけて、自分を広げる4年間を送ってもらいたい
そう思ってんねん。
◆先生の授業・ゼミのスタイル
毎回の授業は、テクニカルな部分があるんやけど、そのテクニカルな部分
を覚えろと言うんやなくて、その元になっている、「未知」の部分に切り
込んで行った視点(「クリエイティビティ」)の大切さというものを、学
生に分かってもらうのを目指してるんや。
例えば、「英語学講義1」の授業では、 "僕らの先人は、ヒトの脳内文法
にどのようにメスを入れていったのか"という認知科学の研究の歴史を学生
たちに追体験してもらうねん。
「英語学講義1」は90分の講義科目だけれど、集中力はそんなに長くもて
へんから、二部制に分けて、単調にやらないように工夫してんねん。
前半は、いわゆる和文英作で英語のスキルをあげることを勉強をして、
後半で、講義をやるんや。
講義って言っても、絶対に一方通行にならへんように、学生の反応にいつも
アンテナ張りながら、すすめてるで。
教え込んで学生に問題を解かせる、いわゆる「勉強」の部分もあるんやけど、
それよりも、先人がどのようにしてヒトの言語の解明に迫っていったのか、
とか、なんで今こんなことをやっているのかを全体の流れの中から見失わさん
ようにするのが腕の見せ所やねん。
見た目もそやけど、授業に集中させるタイプなんで、イメージがコワイとか
言われんねん(笑)
せやから、逆に委縮させへんよう気を使ってるで。
若い時は、年齢も近いので、それだけで自然と緊張緩和になるんけど、
年齢が上がってくると、若い学生たちに教えるのはチャレンジングやなって
思うときも正直あるで。
いかに、若い時と同じように、学生たちと接することができるか。
これが僕の課題やな。
ゼミの時間も同じで、自分の頭で考えて、問題に切り込んでいくことが
できたら、僕のゼミでは合格や。
その為には、自分のエネルギーを注ぐものをしっかりと分かっとかなあかんよね。
嫌々卒業論文を書かなあかんと思ったら、頭働けへんし。
"好きこそものの上手なれ"で、自分が「コレやってみたい!」と思えるものが
見つかったら、「もっと良いものを出したいな」とか、「一度こうしてやって
みようかな」とか、頭が働くやろ。
学生はみんなひとりひとり、色々な考えを持ってるし、自分の関心のあること
や好きなことやったら、やっぱり一生懸命、いわゆる「勉強」できるんや。
そうして勉強すると、「ここまでは分かってる」「ここからは分かってない」
っていうことが自分でもわかってくるから、そこから未知の領域に踏み込んで
いくことができるねん。
「こういう問題がある、この問題を解くには、こうやったらええんちゃうか」
って、とりあえず自分でやってみるねん。うまくいく場合もあるし、あかん
場合もあるよ。
そういった試行錯誤をしながら頭のシナプス、ネットワークを広げていくんや。
そのようなやり方って大学生にとってはめちゃ重要なことなんや。
各学生によって到達レベルは違うんやけども、みんなをその段階にもっていく
っていうのが、僕の目標やねん。
そのためには、「問題意識を持ちながら大学生活を送る」ということやな。
問題意識は、何もアカデミックなことである必要はないんや。
人生のことでも、趣味のことでも、興味あることやったらなんでもかまへんのや。
今年で勤めて27年になるけど、やっぱ名古屋学院大学ってホンマに優れた大学や
思てる。
学生は、素直で、打てば響くからな。
"伸び代"が大きい学生いっぱいおるで。
その伸び代を無駄にせんように、ちょっとでも動機や刺激を与えて、充実した
4年間を過ごして社会に出てもらうのが、教員の役割や。
しかもここの大学にはそう考えてる先生いっぱいおるもんな。
せやから、学生のみんなも名古屋学院大学を誇りに思ってほしい思ってんねん。
名古屋学院大学出てホンマによかったって言ってくれる卒業生たくさん見てきた
けど、みんなにもそう感じてほしいんや。
最後に一言。
みんなひとりひとりが誰にも負けへん宝もの持ってるんや。
あきらめたらあかんで。
夢、見つけや。
■■■ 先生のお薦め本 ■■■
赤楚先生から学生さんに今、一番お薦めの本は・・・
『アメリカ』
北村 崇郎 著 筑摩書房
著者は、既にお亡くなりになっていますが、本学で教鞭をとっていた北村先生のご著書です。
本学に外国語学部が開設された際、信頼のおける留学先を開拓するために、各地を奔走して
下さったのだそうです。
非常にユニークな先生で、その先生が"アメリカをよく知っている日本人"として書かれたのが
本書なのだとか。
世界の出来事や歴史、これから留学を考えている学生さんには、この本を是非にとのことで、
お薦めいただきました。
絶版になっている本ですが、本学の大学図書館にありますので、是非手にとってみて下さいね。
■■■ 今日の一枚 ■■■
今日の一枚は "先生の宝物"!
『Hey!Say! JUMP の4/ 29発売の新曲シングル(サイン入り)』
このアルバムの中の「我 I Need You」という曲、なんと先生の甥っ子さんが
作詞作曲・編曲されているそうです。
よーく見てください、(甥っ子さんの)サイン入りなのですよ★
先生のお話にあったような、自分の夢を持って行動している方のお1人ですね。
※ ※ ※
自分の世界を広げたい学生さんは、是非、先生の研究室を訪ねてみて下さいね。
チョッパー子