January 2017アーカイブ

復興に向かうアチェ被災地

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 1月12日、名古屋学院大学で募金活動をして集めた約9万円で支援物資を購入し、ピディ・ジャヤ県に届けに行きました。前回に引き続き、今回も支援は小さな子どものためのものでした。
 地震から1カ月たっていたので、村々はかなり回復していました。前回行ったときは、ほとんどの人がまだモスクなどに集まり、炊き出し、寝泊まりもしていましたが、今回はモスク周りにあったテントはなくなり、みな家に帰ることができていました。
 トゥリンガデン郡メスジッド村では、子ども35人分の生活用品を配りました。ほかの支援団体も来て、子どもたちに手の洗い方を教えていました。日本のJICA(国際協力機構)も援助していました。地震発生直後に、JICAからテント6張りと食料品を援助してもらったそうです。いまでは、テントは3張りしかつかわれていなかったです。また、援助は一度だけだったそうです。JICAの支援は全体として大きいですが、この村だけでみると、わたしたちが同行させてもらった小さな団体のほうが、こまめに現地へ行き、ニーズ調査をして、ニーズに合わせて活動しているように感じました。
 ムルドゥ郡ポロ村には、20人分の支援物資を届けました。村の人たちは、前回の訪問時に集まっていた場所にはいなくなっており、テントもすべて撤去されていました。学校のようなところに支援物資を届けにいくと、被災者がテレビを観てくつろいでいました。これほどにまで回復しているのだと思い、とても嬉しかったです。
 今回の活動で感じたのは、直接現地へ行くことの大切さです。直接行かないと、必要なニーズに合わせて支援ができません。僕はもうすぐ留学を終えて帰国するので、今回で直接支援することは最後になります。移動などたいへんでしたが、今回、たくさんの人たちの笑顔をみられて安心しました。一生忘れることができない体験になりました。
 大学で募金活動をがんばってくれた友人たちにも感謝しています。(国際協力学科2年・深川開斗)

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自分を見つめなおした支援活動

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 2016年12月7日に起きたピディ・ジャヤ地震から1カ月たった2017年1月13日、アチェのNGO「Jari Aceh」に同行させてもらい再度被災地を訪問した。前回(2016年12月12日)支援できなかったトゥリガデン郡メスジッド村、ムルドゥ郡ポロ村に届けた。Jari Acehが、現在のニーズを確認したうえで、前回と同じように赤ちゃんとその母親である女性のための支援(紙おむつ、生理用品、歯ブラシ、石鹸、赤ちゃん用のミルク、洗剤やお菓子を、1人ずつ受け取れるよう袋に入れたもの)を準備した。
 3週間ぶりに訪れた現地は、復興に向けて進んでいた。全壊してた建物はきれいに撤去され、更地になっていた。全壊していたモスク(イスラーム寺院)も、瓦礫が取り除かれていた。全壊はしておらず、多くの人が集まり避難所となっていたモスクの外にあったテントもなくなっていた。みな家に帰り、新しい生活に向けて進んでいると思うと少し安心した。
 メスジッド村では、たくさんの子どもたちがいた。ちょうど、正しい手洗いの方法の指導中だった。ここには、日本政府が送ったJICA(国際協力機構)の名前が入ったテントが4つほど張られていた。ほかにも食料などの支援をもらったそうだが、地震が起きてしばらくしてから届いたとのことだった。ここでは支援を35袋届けた。村を離れる際、子どもたちが嬉しそうに手を振りながら「ありがとう」と言ってくれた。
 ポロ村は、前回、一番最後に訪問した村だ。前回の報告書にも書いたが、まったく支援が届いておらず、帰りに直接なにか支援はないのかと話しかけられた印象深い場所だ。20袋の支援を届けた。会ったのは数人の母親だったが、とても喜んでくれた。
 今回は、名古屋学院大学での募金活動で集まった約9万円分の支援物資を届けた。自分は直接募金活動に参加できないかわりに、募金活動のチラシづくりをしたり、現状をみなに知ってもらったり、現地で直接支援を届けたり、アチェにいてできることをしようと、活動に取り組んだ。
 国際協力について学んできたが、まさか留学中に自分がこの大地震を経験し、こうしたかたちで国際協力の現場に立ち会い、実際支援活動に参加するとは想像してもいなかった。募金活動についても知らないことばかりだった。どうしたらスムーズに、被災者のニーズにあう支援を届けることができるのか。現地でのニーズ調査の重要性も実感した。
 Jari Acehに同行させてもらい、インドネシア語を勉強していても、聞きたいことを聞けず、伝えたいことを伝えられないこともわかった。しかし、自信をなくしたわけではなく、もっと勉強しなければ、いや勉強したいという気持ちにつながった。ただ語学を学ぶだけでなく、こうして現場で勉強できたことは忘れられないよい経験になった。
 Jari Acehのみなさん、佐伯先生、募金活動をおこなってくれた学生、募金をしてくれたすべての人に感謝します。(国際文化協力学科3年・水谷奈津子)

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派遣留学生月例報告書(2016年12月)

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 インドネシアに来て4カ月がたちました。今月は自分にとって人生で忘れられない経験ばかりでした。
 12月7日の朝5時3分にM6の大きな地震がありました。大きな揺れが長く続き目覚めましたが、怖くてベッドから起き上がることができませんでした。ネットで地震の大きさを確認し、佐伯先生と親に連絡を入れました。津波警報は出ておらず、その日はふだんどおり講義もありました。ニュースや友だちからの情報や、日本でもニュースで報道されたという日本からの友だちからの連絡で、この地震の被害を知りました。わたしが住んでいるビルン県マタン・グルンバンドゥアでの大きな被害はありませんでしたが、車で2時間ほどの震源地近くのピディ・ジャヤ県では100名以上の死者がで出たたそうです。
 大学では、地震発生当日から、学生が募金活動をしていました。わたしたちもなにかできないかと思い、12月8日に佐伯先生を通じて2015年スタディツアーでお世話になったNGO「Jari Aceh」のニーズ調査に同行させてもらいました。おもにモスク(イスラーム寺院)に多くの人たちが避難していたので、モスクで話を聞きました。モスクの外に張られたテントで、女性と子どもたちが窮屈そうに過ごしていました。男性にはテントもなく、モスクの壁沿いにもたれかかっていました。インドネシアは1年を通じて暑いです。12月は雨季で乾季よりは暑くありませんが、テントや外で過ごすのはたいへんだと思います。イスラームの女性は、ふだんジルバブ(ベール)をかぶっています。テント生活では脱ぐことができず、長い時間かぶっていなければなりません。また、支援物資の受付にはたくさんの物資がありましたが、それが被災者全員にはいきわたっていないようでした。
 ムルドゥ郡クデ・ムルドゥでは、2階建ての長屋式店舗がほぼ全壊しており、捜索・救出作業が続けられていました。移動中にも、多くの家屋が全壊している光景を目の当たりにしました。覚悟はしていましたが、怖くてたまりませんでした。そして同時に、これからわたしたちになにができるのか考えました。ニーズにあった支援をしていきたいという気持ちも強くなりました。
 12月12日には、8日に行ったニーズ調査をもとに支援物資を届けるため、再度「Jari Aceh」に同行させてもらいました。国際協力について勉強していましたが、こうして現在起きていることに対する支援の現場を直接みて、考えて、行動するのははじめてでした。そのため、地震発生からニーズ調査をし、実際に支援を渡すまでのスピードと手順を実際にみることができ、とても勉強になりました。
 名古屋学院大学でも募金活動をおこなうことになりました。活動するために集まってくれた学生のおかげで、8万9162円の寄付が集まりました。わたしは、直接募金活動に参加できませんでしたが、募金活動をするにあたり大切な知識や手順も勉強することができました。わたしは募金活動のチラシを作成しましたが、どうすれば知って欲しいことを明確に伝えることができるのか悩みました。佐伯先生にサポートしてもらいながらでしたが、この経験は自分にとっていい実践の場になりました。大学で集まった寄付で、支援を届けに現地を再度訪問する予定です。
 大学では期末テストがはじまりました。イスラームのテストは難しすぎるということで、特別に受けずに済みました。日本と大きく違うと感じたのは、テスト期間や時間、場所を友だち伝えに知ることです。事前にいつなのかを担当の先生から聞かずにいたので、スピーキングのテストの日が過ぎてしまいました。たまたまスピーキングの先生に会ったとき、その場でいきなりテストを受けることになりました。名古屋学院大学のCCSのありがたみを感じました。
 12月といえばクリスマスですが、ムスリムの多い地域で、クリスマスはありません。はじめてサンタクロースやクリスマスツリーをみずに、クリスマスを過ごしました。そんなクリスマスの25日に、友だちが紹介してくれたので、アチェの伝統的な結婚式の衣装を着させてもらいました。メイクに2時間半もかかり、ドレスや頭や体につけるきらびやかなアクセサリーをつけるのに1時間もかかりました。メイクは信じられないぐらい濃く、つけまつげを2枚も重ねていたので、目が重く、前がはっきりみえませんでした。頭の装飾品は重く、立つのも大変なほどでした。いままでアチェで過ごしたなかで、何度か結婚式に行き、ここでの結婚スタイルはみてきましたが、いざ自分が体験してみるとたいへんすぎて、準備の段階で疲れてしまいました。その後はたくさん写真を撮ってもらいましたが、立っているのもつらく、頭の装飾品のせいで首が痛かったです。よい経験をし、楽しかったですが、本当にたいへんでした。撮影のためだけに着たので短い時間でしたが、いざ本当に結婚式となるとこんなドレスと飾りをつけたまま1日過ごすのかと思うと、花嫁もたいへんなんだなと感じました。日本とはまったく違う文化をより理解できました。
 1月の頭にもテストがあり、その後は2カ月の長期休みにはいります。日本に帰国はせず、佐伯先生がアチェに来るので、先生に同行させてもらい、しっかり自分の目で焼き付け積極的に学びたいです。そろそろ卒業論文についても考えはじめないといけないので、長期休みのあいだや今後の時間のつかいかたを無駄にしないようにしたいと思います。
 2016年は、インドネシアに留学に来て、表現しきれないほどの経験と思い出ができました。2017年は、インドネシア語や支援など、なにごとにも積極的に取り組みたいです。(国際文化協力学科3年・水谷奈津子)