自分を見つめなおした支援活動

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 2016年12月7日に起きたピディ・ジャヤ地震から1カ月たった2017年1月13日、アチェのNGO「Jari Aceh」に同行させてもらい再度被災地を訪問した。前回(2016年12月12日)支援できなかったトゥリガデン郡メスジッド村、ムルドゥ郡ポロ村に届けた。Jari Acehが、現在のニーズを確認したうえで、前回と同じように赤ちゃんとその母親である女性のための支援(紙おむつ、生理用品、歯ブラシ、石鹸、赤ちゃん用のミルク、洗剤やお菓子を、1人ずつ受け取れるよう袋に入れたもの)を準備した。
 3週間ぶりに訪れた現地は、復興に向けて進んでいた。全壊してた建物はきれいに撤去され、更地になっていた。全壊していたモスク(イスラーム寺院)も、瓦礫が取り除かれていた。全壊はしておらず、多くの人が集まり避難所となっていたモスクの外にあったテントもなくなっていた。みな家に帰り、新しい生活に向けて進んでいると思うと少し安心した。
 メスジッド村では、たくさんの子どもたちがいた。ちょうど、正しい手洗いの方法の指導中だった。ここには、日本政府が送ったJICA(国際協力機構)の名前が入ったテントが4つほど張られていた。ほかにも食料などの支援をもらったそうだが、地震が起きてしばらくしてから届いたとのことだった。ここでは支援を35袋届けた。村を離れる際、子どもたちが嬉しそうに手を振りながら「ありがとう」と言ってくれた。
 ポロ村は、前回、一番最後に訪問した村だ。前回の報告書にも書いたが、まったく支援が届いておらず、帰りに直接なにか支援はないのかと話しかけられた印象深い場所だ。20袋の支援を届けた。会ったのは数人の母親だったが、とても喜んでくれた。
 今回は、名古屋学院大学での募金活動で集まった約9万円分の支援物資を届けた。自分は直接募金活動に参加できないかわりに、募金活動のチラシづくりをしたり、現状をみなに知ってもらったり、現地で直接支援を届けたり、アチェにいてできることをしようと、活動に取り組んだ。
 国際協力について学んできたが、まさか留学中に自分がこの大地震を経験し、こうしたかたちで国際協力の現場に立ち会い、実際支援活動に参加するとは想像してもいなかった。募金活動についても知らないことばかりだった。どうしたらスムーズに、被災者のニーズにあう支援を届けることができるのか。現地でのニーズ調査の重要性も実感した。
 Jari Acehに同行させてもらい、インドネシア語を勉強していても、聞きたいことを聞けず、伝えたいことを伝えられないこともわかった。しかし、自信をなくしたわけではなく、もっと勉強しなければ、いや勉強したいという気持ちにつながった。ただ語学を学ぶだけでなく、こうして現場で勉強できたことは忘れられないよい経験になった。
 Jari Acehのみなさん、佐伯先生、募金活動をおこなってくれた学生、募金をしてくれたすべての人に感謝します。(国際文化協力学科3年・水谷奈津子)

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