November 2016アーカイブ

派遣留学生月例報告書(2016年10月)

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 インドネシア・アチェ州へ留学にきて、あっという間に2カ月たちました。2カ月住んでいると、こちらの環境がとてもよくわかります。最近とても停電が多いです。停電になると、寮の隣の喫茶店でみんなでコーヒーを飲んでおしゃべりをしています。そのため停電はまったく怖くなく、むしろ楽しんでいます。
 いまだに慣れないこともあります。それは、お風呂です。日によって水が出ないときもあるので、いつも桶に水を溜めるようにしています。このようなことは、現地ではふつうのことなので、いつも通っていている喫茶店の人たちに相談すると、笑って「これがアチェだ」と返されます。
 2カ月住んでいると、友だちとも絆ができ、いまでは毎日会う仲間もできました。毎週フットサルを一緒にして、体を動かしながらコミュニケーションをとれるの楽しいです。来月には、メンバーと一緒につくったユニフォームが届くのですごく楽しみにしています。大学の先生対学生でサッカーの試合もしました。
 インドネシア語でコミュニケーションをとることができるようになってきたので、現地の言葉であるアチェ語をみんなが教えくれます。嬉しいことですが、かなり難しいので少しずつ勉強していきたいと思います。いつも行く喫茶店では、日本語と英語とアチェ語をつかっていけないというルールをみんながつくってくれたので、喫茶店にいるだけでインドネシア語の勉強になります。
 大学でも少しずつですが、成長していると感じます。Ecology and Environmentの授業では、水害問題についてどうしたら改善できるかなど、プレゼンテーションをおこないました。プレゼンテーションをしても笑われることが多いですが、インドネシア語でプレゼンテーションをすることになるとは、2カ月前の自分は想像もしていませんでした。まだ授業はとても難しいですが、学校の宿題をみせると、大学の仲間がゆっくり丁寧に教えてくれるので、とても助かっています。
 たまに空きコマを使い、日本語を教えることもあります。学生だけで集まり、空いている教室や学校内の喫茶店でひらがなを教えたりしています。みんな日本語に興味をもっていてとても嬉しかったです。来年の春から名古屋学院大学への留学を目指している学生もいます。
 大学以外では、佐伯先生の力を借りて、国際協力の最前線をみることができました。去年インドネシア・スタディツアーで訪れたチョッ・マンボンという村を再び訪れました。この村は、生活水を十分に得ることができないのが問題となっています。生活用水の水道管を寄付を支援するところに立ち会いました。すべて任せるのではなく、村の人たちができる工事は自分たちでやっていました。テレビなどでは、このような現場はみることができないので、はじめて知ったことも多かったです。ただ、この村の支援の説明を受けても、わからない単語が多く、すべてを理解することはできませんでした。もっと勉強して、専用的な言葉も覚えていきたいと思いました。(国際文化学部国際協力学科2年・深川開斗)

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派遣留学生月例報告書(2016年10月)

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 インドネシアのアチェに来て2カ月がたとうとしています。来たときは食べものが辛すぎで慣れず、下痢ばかりの日々でした。いまは何が辛くない食べ物なのか把握でき、辛くないよう料理を注文もできるようになったので下痢は止まり、健康に過ごしています。
 しかし、10月に入って1週間、昼から夜遅くまでの停電がつづき、9月分の定例書を送るのが遅くなったり、携帯もつかえなくなったり、夜真っ暗ななかお風呂に入ったりと大変な日々でした。日本で停電をそこまで経験したことなかったので、怖いと思うのと同時に、改めて日本はインフラが整っていることを実感しました。電気がつかえてあたりまえではないとわかっていますが、いざ停電が長時間つづくとどうなるのか、生活を通して学びました。
 9月は雨の日を1日しか体験しませんでしたが、10月に雨期に入りました。スコールが多く、雨が降っているときのお風呂(水浴び)はとても寒く、井戸も泥水しか出ません。仕方ないとわかっていても、寒くて泣きそうになることが何回かありました。10年ほどロングヘアだったのですが、アチェに来る前にショートヘアにしました。切ったときは後悔しましたが、アチェでは髪の毛を洗うのもたいへんで、水も清潔といえないので、いまはショートにして正解だと思っています。いつ風邪をひいてもおかしくない状況のなか元気に過ごしているので、ここの環境に徐々に適応してるのだと感じています。
 大学では課題がよく出るようになりました。とくにインドネシア語の授業の課題は、現地の学生ですら難しいと頭を抱えるほどの問題なので、わたしにはさっぱりわかりません。友だちや先生に手伝ってもらい、なんとかこなしています。そのあとは復習も兼ねて、まずわからない単語を調べてまとめています。日常会話は不便なくつかいこなせていますが、授業となると難しい言葉ばかりなのでまだまだインドネシア語と格闘しています。
 イスラームの授業は、10月に入ってからは教室ではなくなりました。毎週モスクでお祈りと先生のお話を聞いています。いつもは半袖ですが、イスラームの授業があるときはモスクに入るため、派手な色ではない長袖の服装で行くよう心がけています。
 10月2日、2015年インドネシア・スタディツアーで訪問したチョッ・マンボンという村を再度訪れました。この村は、日本の政府開発援助(ODA)が供与されたアセアン・アチェ肥料社の建設により、土地収用された5つの村500世帯が移転させられた先です。去年訪問した際、現在どの暮らしているのかなど話を聞いてきました。移転時に準備されたという家を案内してもらいましたが、人が住めるようなところではありませんでした。そして、家には国際移住機関(IOM)がつくった井戸がありましたが、黒く濁った水しか出ない状況であり、水に一番困っていると聞きました。
 今回再訪したのは、佐伯先生の協力のもと、水道が通ると聞いたからです。家の裏にこれから水道管が通る道が掘られていました。まだ水道管は通っておらず、これから埋められる水道管一式を見せてもらいました。一般的な水道菅がどのようなものか、どうやって繋がれていくのかを見たことがないので、今回の水道について評価できませんが、たくさんの水道管と繋ぐ金具がありました。まだ道筋が掘られていただけの状態だったので、まだまだ水道がつかえるまでは時間がかかりそうだと住民が話してくれました。費用を節約するため、自分たちでも作業をしていると聞き驚きました。現在はまだ水が通っていないので、お風呂などはどうしているのか質問してみました。どうやら近く(といっても、バイクで移動)の川まで毎回行くそうです。イスラームの人たちは、1日5回もあるお祈りの前に手足を洗い清めます。お風呂やお祈り、生活すべてにおいて水は欠かせないので、村の人びとは一刻も早く水道が通ることを願っていますが、まだまだ時間がかかると嘆いてたので心配です。水源となる井戸まで遠く、井戸からの水道管を通す道もまだ掘り終わっていませんでした。
 こうした生活をいまでも送っている人たちをみて、去年のスタディツアーで学んできたこと、感じたことを思い出しました。そして自分自身がアチェで生活をはじめてみて、水がふつうに出るだけでもましなのに、水浴びが寒いから泣きそうになっている自分は甘えていると思いました。そして、何も罪のない人たちが故郷の村を失い、困難ななかで過ごしていると考えると、自分はいまインドネシア語を学んでいるだけでいいのか悩みました。去年は佐伯先生がいたので、聞きたいことはすべて通訳してくれましたが、今回はもちろん佐伯先生はいません。聞きたくても聞けないことがありましたし、話している内容もすべて理解できたわけではありません。理解したつもりで、間違った解釈をしているかもしれません。自分に何ができるのか悩むと同時に、まだまだインドネシア語が十分ではないことが悔しくなりました。インドネシア語ができれば、もっと答えが見つかるのではないかと、勉強に対し良い励みへと変わりました。
 この経験を通して、9月に比べて大きく変わったのは、暇さえあれば図書館を利用するようになったことです。利用時間は朝9時から12時30分まで。そしてお昼休みをはさんで、午後は14時から16時か17時ぐらいまでです。日本と違い、時間が短くて驚きましたが、寮の近くにイスラームのボーディングスクール(寄宿学校)があり、結構騒がしいため寮より図書館にいるほうが集中できます。
 11月も雨季が続くそうなので、体調管理には気をつけ、課題も早くひとりでこなせるように努めたいと思います。(外国語学部国際文化協力学科3年・水谷奈津子)

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