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2011年10月 3日アーカイブ

<東義大学と韓国大学事情>

9月6日(火)晴れ
朝8時の朝食は,ボクはStarbucksのカフェでコーヒーとパン。伊藤理事長と姜先生はホテルの裏通りにある「お粥の店」で「アワビ粥」を食した。これが世代の違いか。
朝10時に東義大学の職員がホテルに迎えに来てくれて,彼らの車で大学に向かう。
香港や長崎を想わす港と山に囲まれた釜山市にある東義大学は,山の斜面を切り取って開発したゴルフの山岳コースのようなキャンパスだ。1時間ほど図書館・学生寮・野球場などを巡るキャンパスを見学した。新装オープンした図書館は,多くのパソコンが配置されているのは本学と同じだが,24時間利用可能な学習室,コミックやベストセラーを配置したブックカフェ,斬新なデザインのセミナールーム,小規模ながらカンファレンスルーム,国連コーナー,アメリカンセンター・コーナーなど,余裕のあるスペースと気が利いたコーナー配置に,ボクは羨望の眼差し。

東義大学は10学部に18,000人の学生が学び,そのうちの1,500人はキャンパス内にある3つの学生寮に住む。本学がこの大学に派遣する短期留学生たちも,清潔で小奇麗な2人1部屋のこの学生寮に寄宿して,キャンパス内に通学する。引率教員には,寮内にある1DKのゲストルームが用意される。1階にはコンビニも配備されていて,24時間利用できる。ここなら,本学の学生たちも快適で安全な留学生活をおくることができるだろう,と確信した。 

本学と東義大学との国際交流は2002年から始まり,今年で10年目を迎える。ただし,実際に交換学生の行き来がスタートしたのは2004年である。現在は,毎年2~3名の東義大学の学生が留学生別科に入学し,本学からは15名程度の学生が夏休みを利用した短期研修に行っている。
11時過ぎから東義大学の管理本部に向い,張学長を表敬,昼12時からは金理事長と面談した。張学長の専門は建築工学,金理事長のそれは経済学だ。面談では,昨今の大学事情,経済社会事情について意見交換する。
韓国の大学の数は日本のほぼ半分の360程度だが,「大学冬の時代」は日本と共通だ。大学新卒者の就職難,急激な少子化による学生確保の難しさ,これら問題は日本の大学以上に深刻な状況にあるようだ。年間80万~100万人単位で新卒者は職を得ることができず,学生確保のために中国人市場にかける熱意や期待は日本の比ではない。東義大学でも,在学生数の1割を留学生(主として中国人)市場に期待しているという。

<李美京さんのこと>
12時半から,ロッテホテルのレストランで昼食会。相手方は張学長ほか4名で,料理は韓流フレンチ。これは美味しかったし,海ミミズの出現も回避できた。
東義大学で,韓国語-日本語の通訳をしてくれた女性は,李美京さん。彼女には,東義大学に短期留学した本学の学生の大半や,全ての引率教員たちが毎回ながらお世話になっている。彼女が最初に本学の短期留学生たちのチューター役を務めたのは,2007年の夏。当時,彼女は日語・日文学科の大学院生であり,思い出に残る楽しい時間を過ごすことができたと言う。その後,2年間の試験採用期間を経て,今では東義大学の正職員として対外協力センターに勤務している。これからも,多くの本学の学生や教員がお世話になり続けるのだろう。

午後は,姜先生の紹介で東西大学と釜山デジタル大学を訪問した。東西大学では,創設者の業績を誇らしげに展示している博物館に圧倒された。また,釜山デジタル大学では,秋萬錫学長と面談したのち,e-ラーニング教材の制作ルームを案内して貰い,日本以上に進んでいるサイバー大学の姿を目の当たりすることができた。

9月5日(月)~9月9日(金)にかけて,伊藤理事長と姜商学部教授とともに,本学が交換留学等の協定を結んでいる韓国の大学を訪問してきました。小生にとっては新任挨拶を兼ねた表敬訪問です。
訪問先は,当初の予定では釜山(プサン)で東義大学,江崚(カンクン)で関東大学,ソウルで明知大学の3大学でした。しかし,ソウルの明知大学は先方の都合で取りやめ,その代わりに釜山で東西大学と釜山デジタル大学の2つを加えました。ハングル語が母国語である姜先生がガイド役でしたから,鬼に金棒,理事長と小生は木船でなく「大船」に乗った気分です。
数回に分けて,その折の話を書こうと思います。

9月5日(月)曇り・晴れ 釜山へ
<中部国際空港まで>

出発日は9月5日(月)。天候は,時々雨が落ちる曇天。前日まで,台風12号が時速10~15kmとゆっくりした速度で四国・中国地方を横断。両地方と紀伊半島に大雨と暴風・洪水をもたらし,大きな被害を出した。今年は自然災害に悩まされる年なのだ。
中部国際空港での集合時間は,午後1時25分。それより10分前に集合場所に着いたのに,現場に来ていた国際センターの冨田さんには「理事長と姜先生はもう来ていて,チェックインの列に並んでいます」と言われる。「ボクが最後ですか?」。思わず「歳をとると朝が早いそうですからねぇ」と変な言い訳を返してしまった。大将は,最後にお出まし頂ければ良いのに・・・。参ったなぁ。

<釜山到着と出迎え>
中部国際空港を15:25のKE754便で飛び立ち,釜山空港への到着は16:55。ほぼスケジュール通りのわずか1時間半のフライト。時差も無いため,肉体への負担は少ない。札幌へ行くようなものだ。
3人の誰一人として予想もしていなかったことだが,釜山空港では,東義大学の対外協力センターの張課長はじめ4人が(4人も!)出迎えてくれていた。彼らは,あれっあれっと思っているうちに荷物をさらい,我々の身体を2台の車に誘導した。そこから宿泊先の釜山ロッテホテルに直行である。

ロッテホテルは改装工事中でチェックインには多少手間がかかった。荷物を解く暇も無いまま,再び対外協力センターの方たちと共に釜山郊外の活魚の店に向い,そこで最初の晩餐会。相手側は,対外協力センター長の曺永湖教授(専門は日本語・言語学)をはじめ5人,こちら側は伊藤理事長,姜先生そして小生の3人である。
嗚呼,初日から宴会だ。韓流ビールと韓流焼酎,窓を通して潮騒の音。そんな風にして,初日から釜山の夜が暮れていく。

<海ミミズのこと>
ところで,「活魚」と書かれた韓国の食事処の店頭には水槽が置かれ,その中で各種の魚とともに海ミミズ(勝手に小生がそう呼んでいる)が泳いでいる。海ミミズの太さは1~2cm,色はベージュとピンクの中間色,長さは大きいので30~40cmくらいある。
これが水槽の中を泳ぐ姿は,なにやらピンク色の長いウィンナソーセージ(あるいは人間の盲腸のようなもの)が,ぬらぬらと上へ下へと身体を揺すっている印象だ。かなり気色悪い。韓国語の正確な発音は判らないが,ケイブルと呼ぶらしい(英語のCableを連想すると覚えやすい,と姜先生が教えてくれた)。
これが食材として水槽の中を泳いでいる。これを口にするには抵抗がある。ましてや,「生」でなんて食えるはずがない。韓国人はこれを食べるのか,と感嘆。これだけは勘弁,死んでも食えない,と思っていた。
ところが,である。後になって姜先生に知らされたのだが,対外協力センターの人たちと一緒に行った「活魚の店」では,刺身の盛り合わせの中にこれが入っていて,そうとは知らずボクもそれを食べてしまったらしい。確かに皿の上にはベージュ色の切り身があったし,自分は勝手にそれを赤貝か何かの一種かと想って食べた。海ミミズの姿は小さな切り身に変わっていたため,原型を留めていなかったから気付かなかったのだ。
「エエッ,あれを食べてしまったのですか!?」。再び,参った。以前,カエルや雀のから揚げは食べたことがある。しかし,「これだけは食えん」と思っていた海ミミズを食べてしまっていたのだ。意図せず,食に関する新たな境地を開拓してしまった。

もっとも,ナマコを食べる日本人も凄いと思う。ウナギとは比べようもないほど,ナマコを食べる日本人をエライと思う。歴史上初めてナマコを食べた日本人は,誰かは知らないが,きっと死ぬほど空腹だったに違いない。そうでなければ,あれほどグロテスクなナマコを食べようとする筈が無い。
海辺の岩場でじっとしているナマコは,採取するのは簡単だが,どう見ても食欲を喚起させる代物ではない。この気色悪い生物を最初に食べた日本人は,著しく勇気があってチャレンジ精神に溢れた人物であったことだろう。
食の歴史に思いを馳せれば,魚類のフグに代表されるように,菌類のキノコや野生の植物でも,食べて良いものいけないものの峻別のために,大量の人間の死があったに違いない。そして,勇気ある挑戦者がいたればこそ,現代のバラエティ溢れる食材がある。
「コリコリしていて美味しい」という人も居るが,未だにボクはナマコが苦手だ。そして,ナマコのケースと同じくらい,海ミミズを初めて食べた朝鮮民族は勇気があった,と思う。

9月15日,学位記授与式が名古屋キャンパスのチャペルで行われました。その折の挨拶を掲載します。

残暑の日差しが厳しい中,ここに39名の学部生と7名の大学院生が,名古屋学院大学を卒業・修了していきます。大学を代表して,心から皆さんのご卒業・修了をお祝いしたいと思います。
ここでは,主として学部の卒業生に贈る言葉を述べさせて頂きます。
皆さんの卒業時期が,春学期末の9月というのは,大方の日本の大学生たちのそれに比べれば,まだまだ稀なケースです。この時期に卒業となった理由が,意図したものである人もいれば,「不本意にも」という人もいるでしょう。
理由はどうあれ,この時期に卒業していく皆さんは世の中のマイナー集団であるのは間違いありません。しかし,それを卑屈に感じる必要は全くありませんし,それどころか「幸運であった」と考えて良いと思います。
その理由は,こうです。
当然のことですが,人はそれぞれ違います。どんなに仲の良い友人であろうとも,どんなに愛情深い親であろうとも,自分はその友人にも,親のコピーにはなれません。そのため,本来,自分の人生や歩む道は自分で考え,自分で決めなくてはなりません。
しかし,私たちは,たいして考えもしないで,ついと大人が定めたレールや,大きな流れに安穏と乗っかって,なんとはなしに歩んでしまいがちです。そうしてしまうのは,何も考える必要もなく,楽だからです。

ところが,この時期に卒業する皆さんは,少なくても大きな河の流れに身を任せてはきませんでした。やむを得ず,世間の流れに乗れなかった,という場合もあるでしょう。
しかし,それでも,卒業までの時間に,世間平均と比べれば半年,あるいはそれ以上の長さを要してきました。そしてその間に,皆さんは,否応なく「自分は何者だ」と考え,「自分は,既に他の学生とは違う道を歩んでいるのだ」と自覚した筈です。自分は自分だ,他の何者でもない,そして自分の道を歩まざるをえないと,覚悟した筈です。
若い時期の1年や2年の遅れは,年長者からみれば,そして,間違いなく皆さんも歳を取ったときにそれが判ると思いますが,たいした遅れでも何でもありません。それどころか,多感な青春時代に,孤独と戦いながら,自らの生き方,人生の処し方を真剣に考える機会を得たことは幸せであったと言えるでしょう。
自らを真摯に見つめ直す時間を得ることができたこの時間と経験は,皆さんの今後の人生において,大いに意味深いものになる,そう確信しています。

「君たちはいま,自分の生き方を,自分で決める時期に差し掛かっている」。これは私の言葉ではありません。19世紀半ばに,世界的に流行したサミュエル・スマイルズの『自助論:セルフヘルプ』にある言葉です。『自助論』は,「自らを助ける論」と書きます。日本では「天は自ら助くる者を助く」と訳されました。
他の学生たちよりに比べ,自らを見つめ直す時間をより多く持ち,そして自らの意思で己の道を切り拓こうとしている皆さんに,この言葉を贈りたいと思います。
スマイルズは,「成功に必要なのは,実は才能ではなく,勤勉である」。また,「人間の優劣は,その人がどれだけ精一杯努力したかで決まる」とも述べています。
精一杯努力すること,一生懸命にやること。これは,現代の若者たちにとって「格好悪い」ことのように受け止められがちですが,とんでもありません。「一生懸命」は「すばらしく格好良く」て,「価値あること」なのです。自らを助けるために,一生懸命に努力してください。

さて,2011年9月は,皆さんにとっては言うまでも無く,世界の多くの人たちにとっても,記憶に残る時となるでしょう。ニューヨークの貿易センタービルに旅客機が突入した「9.11世界同時テロ」から10年,本年3月の「3.11東日本大震災」から半年が過ぎた時期です。いずれの出来事も,世界を混沌の闇に引き込んでいく契機となり,今でも世界はその闇から抜け出ていません。
こういう時期だからこそ,私たちは名古屋学院大学の建学の精神『敬神愛人』をしっかりと胸に刻まなくてはならないと思います。私たち人間は,傲慢になってはいけない。自らが及ばぬものがあるのだから,神を敬うように,自然や他者に配慮しなくてはならない。他者を愛し,気配りできれば,自分の住む周辺はもちろん,世界全体が平和に住みやすくなる,ということだと思います。
名古屋学院大学を卒業していく皆さんは,是非とも,この機会に『敬神愛人』に思いを馳せて頂くとともに,これを自らの座右の銘として,人生訓として,一生この金言を胸に抱き続けて欲しいと思います。

「敬神愛人」を建学の精神に掲げる名古屋学院大学は,卒業後もまた,皆さんが私たちの貴重な仲間であると考えています。
世界的な大不況のさ中にあって,卒業はするもののまだ就職先が決まっていないという方がいるかもしれません。どうぞ遠慮なく,本学のキャリアセンターをご利用ください。
また,就職後には,改めて慣れない分野の資料を探したり,勉強せざるを得なかったり,という場面も出てくるでしょう。どうぞ,遠慮なく本学の図書館をご利用ください。私たちは,喜んで皆さんの役にたちたいと考えています。

『敬神愛人』の精神を尊重し,そして「天は自ら助くる者を助く」と信じて,豊かで明るい人生を切り拓いていってください。他の人より少し長い時間を大学生として過ごし,孤独にさいなまれながら,真摯に自らと向き合った皆さんです。必ず,それが出来るものと信じています。

皆さんのご健康と,ご活躍をお祈りしています。
卒業,おめでとうございます。

2011年9月15日

名古屋学院大学 学長 木船久雄
9月15日に,留学生別科入学式が名古屋キャンパスのチャペルで行われました。その折,次のようなことを話しました。

On behalf of Nagoya Gakuin University's colleagues, I'd like to express great pleasure to accept you as our students. Welcome to NGU!
 
名古屋学院大学の全ての関係者を代表して,皆さんを心より歓迎します。
「名古屋学院大学へようこそ」

私たちの大学は,キリスト教主義教育を基礎に,1964年に設立されました。建学の精神は,聖書から引用された「敬神愛人」です。これは,「神を敬い,人を愛する」ことを意味しています。つまり,私たちの大学は,「人知の及ばぬものがあること」を認識して,「自らは傲慢になることなく」,「他者に配慮できる」,そんな人材を養成したいと考えているのです。

さて,今回,皆さんがこの時期に日本の留学先として本学を選んだことは,3つの点でラッキーであったと想います。それは,第1に,本学が名古屋と瀬戸の2つのキャンパスを抱えていること,第2に本学が日本列島の真ん中の名古屋市に立地していていること,第3に,皆さんは,日本の歴史的な転換期を目の当たりにできること,です。

第1のラッキーを説明しましょう。約5,300名の学生が学ぶ本学は,規模からみれば,日本の大学の平均的な姿ですが,名古屋と瀬戸に2つのキャンのパスを抱えているという特徴があります。2つのキャンパスで学ぶことを通じて,皆さんは,日本の新しい文化と伝統的な文化の両面を同時に体験できることになります。
2つのキャンパスとは,今皆さんが居るこの「名古屋キャンパス」と,ここから約30キロメートル離れた「瀬戸キャンパス」です。
名古屋キャンパスには,大学本部の他に,経済・商・外国語という伝統的な3学部と留学生別科が配置されています。一方,瀬戸キャンパスには,「スポーツ健康」および「リハビリテーション」という現代的な2つの学部があります。
名古屋と瀬戸の2つのキャンパスは,極めて対照的で,名古屋キャンパスは都市型,瀬戸キャンパスは郊外型と特徴づけることができます。さらに,名古屋キャンパスは現代的な文化・行政・商業施設にアクセスが容易であり,一方の瀬戸キャンパスは,日本の伝統的産業である「窯業・瀬戸物」を代表する都市に立地しているため,伝統工芸に触れる機会が豊富です。
つまり,皆さんは,本学での滞在期間に,新旧の二つの日本の文化を同時に見て,聞いて,体験することができるのです。

第2のラッキーは,本学留学生別科が名古屋に立地していることです。本学が所在する名古屋は,地理的に日本列島の中心に位置し,東京・大阪に続く三大都市圏の一つを形成しています。しかも,名古屋はトヨタをはじめとした日本を代表する製造業の集積地でもあるため,現代日本の社会経済の縮図を見ることができます。
また,名古屋は,東京や大阪の中間点にあることから,両都市のほか古都・京都に出かけるにも便利です。
さらに,名古屋市の人口は約230万人であり,数多くの文化や商業施設を抱える大都市です。しかし大都市でありながら,名古屋の人口密度は東京のそれほどは大きくなく,物価も相対的に安い,といったメリットがあります。

そして第3のラッキーは,現在が,3月11日に起きた東日本大地震と原発事故後の日本の混乱や復興過程をつぶさに観察できる時期であることです。皆さんは,そういう時期に,日本に滞在されているのです。
おそらく皆さんの中には,「何故,原発事故の影響があるこの時期に,日本に行くのか」,「止めたらどうか?」といった忠告やお願いをご家族や知人の方から受けた方もいらっしゃるでしょう。
しかし,今は日本全体で困難から這い上がり,新しい国づくりをスタートさせようとしている画期的な時期なのです。皆さんは,歴史の証人として,その日本を直接観察できるわけです。震災後の復興という難しい時期だからこそ,その姿を直接目の当たりにする今回の日本滞在は,皆さんの人生にとって得難い経験となることでしょう。
皆さんは,「日本の震災復興の生き証人」となる可能性を秘めています。どうぞ,冷静な観察眼を持って,今の日本の姿を見てください。

私たち名古屋学院大学の全てのスタッフは,皆さんの日本滞在が快適なものになるように,また高い学習成果を上げることができるように,全力をあげてサポートします。
判らないこと,困ったことなどがあれば,遠慮なく,私たちにお尋ねください。

今日の緊張した皆さんの顔が,留学生別科の課程を終える半年後あるいは1年後に,どのように変化しているのかを見ることが楽しみです。

実り多い,日本での留学期間であることを祈ります。
ご入学,おめでとうございます。

2011年9月15日
 夏休みの8月20日(土)に,本学の翼館で向井理さんの「僕たちは世界を変えることができない。But, we wanna build a school in Cambodia.」の映画試写会がありました。本学の学生には優先的に座席を用意しましたから,この試写会に参加した学生もたくさんいたかと思います。
 14:30会場,15:00試写会,17:30トークショーという予定です。座席は全席自由であったため,当日は良い席を取ろうと朝9時頃から翼館の玄関前に,長い列ができ始めました。会場のクラインホールは満席の観客に加えて,テレビカメラが6台(名古屋のテレビ局が揃い踏み),多数の新聞社のカメラマン,東京キー局のアナウンサーらの姿も見受けられました。
 参加者の8割がたは,20歳前後の(これは「学生限定」で参加者募集したのですから,と~ぜん)女性です。その中に,ポツリポツリと男性が混じり,さらに稀に小生のような相対的高齢者(これは本学関係者でしょう)が見受けられる程度でした。
 映画の上映はあっという間の1時間半でしたが,小生にとっては,久しぶりに青春映画を楽しんだ気分でした(映画自体は,ジブリ作品を欠かさず観ています。今年の『コクリコ坂から』も観ました)。向井理さん主演のこの映画は,現代の大学生に多くのメッセージを投げかけているように思います。
 「何でも良いから,とにかく何か始めようよ。」
 「立派な大義名分なんて要らないし,カッコ悪くても良いから,素直に自分たちの言葉で語ろうよ。」
 「少し無理して背伸びして,無理だと思えるようなことにも挑戦してみようよ。」
 「人を助けることが,自分を救うことなんだ。情けは他人(ひと)のためならず。」
 そんなメッセージが,直ぐに思いつきます。リアルタイムの若者たちには,もっと強烈なメッセージが届いたことでしょう。
 映画そのものは,9月23日から全国一斉公開ですから,今回の試写会を逃した方は,是非,映画館でご鑑賞ください。

 試写会後のトークショーでは,新鮮な驚きを感じさせる参加者の姿がありました。何に驚いたかって? 参加者の整然とした姿に,です。参加された20歳前後の女子学生たちは,おそらくほとんど全ての人が向井理さんのファンでしょう。しかし,彼女らはワーワー,キャーキャーと騒ぐわけではありません。
 秩序を保ち,整然と話を聞き,積極的に挙手して質問するのです。サクラなんて立てる必要はありません。一言一句を聞き洩らさないようにと真剣に話を聞き,ウンウンと頷く姿は,向井理さんにボォ~としてウットリしているという姿ではありません。
 これが,人の話を聞こうという姿勢なのでしょう。嗚呼,なんて普段の授業風景と違うことか!これが,人気俳優と人気の無い大学教授との違いなのでしょう。

 トークショーが終わると,向井理さんと監督の深作健太さんが客席に降り,会場の参加者と一緒に映画キャンペーン用の記念撮影を行いました。その写真は,翌日の『中日スポーツ』に大きく掲載されましたから,ご覧になった方もいるかもしれませんね。
 その撮影の後には,向井さんと深作監督の間に小生が割り込んで(つまり,両手に芸能人),さらに追加の記念写真を撮りました。撮影時には,「今が旬のイケメン俳優と一緒に写真を撮るのだ」,「これが学長の役得かなぁ~」みたいな気分でした。しかし,いざ出来あがってきた写真を見ると,向井理さんのイケメン男ぶり,そして自らの凡庸とした姿を改めて確認させられた思いです。
 「お父さん,フツ~の人だね(アタリ前だ!)。」写真を見た娘の感想です。
 今後一切,イイ男と一緒に写真は撮らないようにしよう。