「名古屋学院大学 留学」と一致するもの
2月に入り、留学生活も残りわすがとなりました。新たに数名ほど、名古屋学院大学から短期留学生が来ました。引率者としていらっしゃった、名古屋学院大学を退職されたマグラス先生と図書館で会いました。2月5日のことでした。いつものように図書館を行き来していたら、見覚えがある顔の人がいると思い近づいてみると、マグラス先生でした。対面した瞬間、お互い目をまるくしてオーと声を発しました。退職されるということは知っていましたが、僕が留学中にまさか会えると思っていなかったので、とてもびっくりしました。
今月の中旬にはInternational Banquet があり、日本人チームとして参加をしました。イベントが始まる2週間ぐらい前から少しずつレシピを準備し、からあげとお好み焼きを作りました。今までに何百人という人数に対してご飯を作ったことがなかったので、最初は皆戸惑いながらも少しずつ案を出し合って進めていきました。
イベントが開始される二日前から、カフェテリアの奥にある厨房で料理を開始しました。厨房で料理を行ったのは人生初でした。カフェテリアの厨房の中はとても広く、多くのシェフがいました。皆親切な方々ばかりで、ほとんどの方が私たちが作る料理に興味津々でした。
イベント当日は沢山の方々がカフェテリアにお越しになり、ホストファミリーも来てくれました。からあげは個人的に味が薄く、これは"からあげ"ではないなと思っていましたが、ホストファミリー、アメリカ人、他の国の人達には意外とうけがよかったです。お好み焼きは大成功で、日本にあるお好み焼きと変わらない味でした。
他の国の人達の料理を食べてみて、スパイシーだったり甘かったりと色々ありましたが、最終的に全ての料理を楽しんで食べました。このような経験をアメリカでできると思っていなかったので、良い経験をしたなと感じています。アメリカの文化の良いところとして、全ての国々の文化を受け入れるところなのかなと思いました。いわゆるmelting potだなと思いました。
その他のイベントでは、毎週金曜日に開催されるイベントで今回は映画館に行き、Hidden Figureという映画を見ました。この映画はアカデミー候補で、まだ日本で上映されていないので、すごいお得感を感じました。この映画はNASAを支えた黒人女性達を題材にした映画でした。この映画を見て改めて、アメリカに昔住んでいた黒人はすごいなと気づかされました。沢山の差別を経験しながらも負けずに進み続けていく力を感じ、何でもすぐに諦めない力も学びました。
この映画を見て感じたことは、黒人と白人の話し方が違うということです。黒人の人達のほうがスラングを多く使用していて、クールな感じの話し方だなと思いました。映画を見ている最中、何か良いことや悪いことが起こると観客にいるコーの学生が感情を声に出して表すので、そういうところもアメリカらしいなと思いました。こういう映画を見るイベントが名古屋学院大学にもあるといいなと思いました。日本に帰ったら改めて、この映画を日本語と英語で比較してみたいなと思いました。
2月に入り、留学生活も残りわすがとなりました。新たに数名ほど、名古屋学院大学から短期留学生が来ました。引率者としていらっしゃった、名古屋学院大学を退職されたマグラス先生と図書館で会いました。2月5日のことでした。いつものように図書館を行き来していたら、見覚えがある顔の人がいると思い近づいてみると、マグラス先生でした。対面した瞬間、お互い目をまるくしてオーと声を発しました。退職されるということは知っていましたが、僕が留学中にまさか会えると思っていなかったので、とてもびっくりしました。
今月の中旬にはInternational Banquet があり、日本人チームとして参加をしました。イベントが始まる2週間ぐらい前から少しずつレシピを準備し、からあげとお好み焼きを作りました。今までに何百人という人数に対してご飯を作ったことがなかったので、最初は皆戸惑いながらも少しずつ案を出し合って進めていきました。
イベントが開始される二日前から、カフェテリアの奥にある厨房で料理を開始しました。厨房で料理を行ったのは人生初でした。カフェテリアの厨房の中はとても広く、多くのシェフがいました。皆親切な方々ばかりで、ほとんどの方が私たちが作る料理に興味津々でした。
イベント当日は沢山の方々がカフェテリアにお越しになり、ホストファミリーも来てくれました。からあげは個人的に味が薄く、これは"からあげ"ではないなと思っていましたが、ホストファミリー、アメリカ人、他の国の人達には意外とうけがよかったです。お好み焼きは大成功で、日本にあるお好み焼きと変わらない味でした。
他の国の人達の料理を食べてみて、スパイシーだったり甘かったりと色々ありましたが、最終的に全ての料理を楽しんで食べました。このような経験をアメリカでできると思っていなかったので、良い経験をしたなと感じています。アメリカの文化の良いところとして、全ての国々の文化を受け入れるところなのかなと思いました。いわゆるmelting potだなと思いました。
その他のイベントでは、毎週金曜日に開催されるイベントで今回は映画館に行き、Hidden Figureという映画を見ました。この映画はアカデミー候補で、まだ日本で上映されていないので、すごいお得感を感じました。この映画はNASAを支えた黒人女性達を題材にした映画でした。この映画を見て改めて、アメリカに昔住んでいた黒人はすごいなと気づかされました。沢山の差別を経験しながらも負けずに進み続けていく力を感じ、何でもすぐに諦めない力も学びました。
この映画を見て感じたことは、黒人と白人の話し方が違うということです。黒人の人達のほうがスラングを多く使用していて、クールな感じの話し方だなと思いました。映画を見ている最中、何か良いことや悪いことが起こると観客にいるコーの学生が感情を声に出して表すので、そういうところもアメリカらしいなと思いました。こういう映画を見るイベントが名古屋学院大学にもあるといいなと思いました。日本に帰ったら改めて、この映画を日本語と英語で比較してみたいなと思いました。
今までの留学生活をふと振り返えると、毎日授業や課題をこなし、気づいたらもう7カ月。日本では学校と部活、アルバイトの両立で、ここでの生活よりもあわただしい毎日を送っていたが、ここでの生活はゆったりしていて良い。最近は自分が残りのフィリピン留学でやり残していることはないかと、考えて生活するようになってきた。
授業はオリエンテーションが終了し、本格的な授業になってきた。今学期から履修したコミュニケーションのクラスとスピーチのクラスは、とても人気がある授業だと多くの学生から聞いていた。そう聞いても、がっかりするのが嫌だったので、あまり期待はしていなかったが、今現在この二つの授業がある水曜と金曜は学校が楽しみで仕方がない。この二つの授業では、名前の通りコミュニケーションを取りスピーチをするのだが、その内容が何ともフィリピンらしいというか、おしゃべりが大好きな国だなと感じられるものである。
例えばスピーチのクラスでは、1人に1枚ずつ話す内容のお題が書かれた小さな紙が渡され、そのお題に対し何でもいいので1分間、クラスメート全員の前で話し続けたり(お題は発表の直前まで見てはいけない)、自分の好きな歌の歌詞を感情を入れて読んだりする(自分はアナ雪の"扉開けて"を披露した)。コミュニケーションのクラスもスピーチのクラス同様、クラスメートの前ですべらない話をしたり、グループを作り先生が出したお題(例えば最新の家電製品)について30秒間で説明をしたりするという、なんともユーモアあふれる内容である。
これらのクラスの狙いは、多くの人の前で話すことに慣れること、そして聞き手をいかに自分の話に引きつけるかを学ぶことであり、どちらも生きた英語、聞き手の生きたリアクションを生で感じられる素敵なクラスだと思う。個人的には教科書で学ぶ英語なんかより、100倍は楽しくてためになる。
留学中、名古屋学院大学とフィリピン大学で決定的な差を感じたことがある。それは、プレゼンテーション能力とスピーチ能力の差である。はっきり言って雲泥の差がある。フィリピン大学の学生の中には、プレゼンテーションのためだけにスーツに革靴などと、服装にまで気を遣う人もいる。この二つのクラスは、今後留学をする学生に1番お勧めしたい。今後もこの二つのクラスを通して、フィリピンのトップ大学におけるコミュニケーション能力とスピーチ能力を身に着けていきたい。
授業外では、フィリピン大学で開催されたUPFAIR(ユーピーフェア)というバンドイベントに参加をした。規模とクオリティーは、名古屋学院大学の学校祭の約50倍程だった。このフェアは1週間、毎日夕方から朝4時まで続き、ライブの舞台の他に、日本のお祭りのように屋台が学校のグラウンドに立ち並んだ。このフェアには、フィリピンで一番人気のあるバンドグループや、他にも数多くのバンドグループが参加していたようで、学外からも多くの来場者が来ており、大学規模でなくマニラ規模で開かれていると感じた。 一番驚いたのが、グラウンド内に1週間限定で簡易遊園地が設置されたことだ。観覧車のようなものやバイキングなど、多くのアトラクションが設置された。どれも1回120円ほどで乗車できた。
いよいよ留学終盤。今後3か月も、充実した生活を過ごしていきたい。
今までの留学生活をふと振り返えると、毎日授業や課題をこなし、気づいたらもう7カ月。日本では学校と部活、アルバイトの両立で、ここでの生活よりもあわただしい毎日を送っていたが、ここでの生活はゆったりしていて良い。最近は自分が残りのフィリピン留学でやり残していることはないかと、考えて生活するようになってきた。
授業はオリエンテーションが終了し、本格的な授業になってきた。今学期から履修したコミュニケーションのクラスとスピーチのクラスは、とても人気がある授業だと多くの学生から聞いていた。そう聞いても、がっかりするのが嫌だったので、あまり期待はしていなかったが、今現在この二つの授業がある水曜と金曜は学校が楽しみで仕方がない。この二つの授業では、名前の通りコミュニケーションを取りスピーチをするのだが、その内容が何ともフィリピンらしいというか、おしゃべりが大好きな国だなと感じられるものである。
例えばスピーチのクラスでは、1人に1枚ずつ話す内容のお題が書かれた小さな紙が渡され、そのお題に対し何でもいいので1分間、クラスメート全員の前で話し続けたり(お題は発表の直前まで見てはいけない)、自分の好きな歌の歌詞を感情を入れて読んだりする(自分はアナ雪の"扉開けて"を披露した)。コミュニケーションのクラスもスピーチのクラス同様、クラスメートの前ですべらない話をしたり、グループを作り先生が出したお題(例えば最新の家電製品)について30秒間で説明をしたりするという、なんともユーモアあふれる内容である。
これらのクラスの狙いは、多くの人の前で話すことに慣れること、そして聞き手をいかに自分の話に引きつけるかを学ぶことであり、どちらも生きた英語、聞き手の生きたリアクションを生で感じられる素敵なクラスだと思う。個人的には教科書で学ぶ英語なんかより、100倍は楽しくてためになる。
留学中、名古屋学院大学とフィリピン大学で決定的な差を感じたことがある。それは、プレゼンテーション能力とスピーチ能力の差である。はっきり言って雲泥の差がある。フィリピン大学の学生の中には、プレゼンテーションのためだけにスーツに革靴などと、服装にまで気を遣う人もいる。この二つのクラスは、今後留学をする学生に1番お勧めしたい。今後もこの二つのクラスを通して、フィリピンのトップ大学におけるコミュニケーション能力とスピーチ能力を身に着けていきたい。
授業外では、フィリピン大学で開催されたUPFAIR(ユーピーフェア)というバンドイベントに参加をした。規模とクオリティーは、名古屋学院大学の学校祭の約50倍程だった。このフェアは1週間、毎日夕方から朝4時まで続き、ライブの舞台の他に、日本のお祭りのように屋台が学校のグラウンドに立ち並んだ。このフェアには、フィリピンで一番人気のあるバンドグループや、他にも数多くのバンドグループが参加していたようで、学外からも多くの来場者が来ており、大学規模でなくマニラ規模で開かれていると感じた。 一番驚いたのが、グラウンド内に1週間限定で簡易遊園地が設置されたことだ。観覧車のようなものやバイキングなど、多くのアトラクションが設置された。どれも1回120円ほどで乗車できた。
いよいよ留学終盤。今後3か月も、充実した生活を過ごしていきたい。
あっという間に5ヶ月目が終わろうとしています。1月1日新年を海外で過ごしました。大晦日の夜、近所の友達の家の外で魚を焼いていたら、年を越していました。これといったインドネシアらしい文化を感じませんでしたが、ゆっくりと友達と過ごし、1月2日には大学でテストがありました。その日でテストは終わり2月半ばまで長期休みに入ります。
長期休みに入ってすぐ、アチェで日本語の先生をしている方に頼まれ、高校の日本語スピーチコンテストの審査員をしてきました。私が住んでいる周辺で日本人は他にいないということだったので、気合いを入れて参加してきました。男女1人ずつ、日本語で3分間のスピーチをして、審査員はどちらの学生がより素晴らしいかを選び、選ばれた学生は次の本選に行けるということでした。2人のうちのどちらかを選ぶという審査方法は、とても難かしいものでした。スピーチの後は、参列していた高校生が日本語の歌を披露してくれたり、みんなで写真を撮ったり、日本語で話したりしました。きっと彼らにとって初めて会う日本人が私だったと思います。日本語を勉強し、興味を持ってくれているキラキラした目を持った彼らを見て、嬉しかったです。みんな日本のアニメを通して日本を知り、興味を持ったそうです。改めて日本のアニメの力をすごいと感じました。また、留学に来て半年も経っていない私のインドネシア語でのコメントを真剣に聞いてくれて、嬉しかったです。スピーチする高校生ぐらい緊張しましたが、とても良い経験をさせてもらったと思います。
1月13日には、2016年12月7日に起きたピディジャヤ地震のために、名古屋学院大学で行っていた募金活動で集まった約9万円分の支援物資を届けに行ってきました。前回訪問した際に、赤ちゃんとその母親である女性のための支援が行き届いていないということだったので、今回も前回と同じように、紙おむつ、生理用品、歯ブラシ、石鹸、赤ちゃん用のミルク、洗剤やお菓子が入った袋を支援物資として準備しました。
三週間ぶりに訪れた現地は復興に向けて進んでいました。全壊してた建物は綺麗に撤去され更地になっており、全壊していたモスク(イスラム寺院)も綺麗に取り除かれていました。全壊はしておらず、人が多く集まり避難所となっていたモスクの外にあったテントは一つも無く、人も集まっていませんでした。皆それぞれ家に帰り、新しい生活に向けて進んでいると思うと少し安心しました。支援物資は二つの村に届けました。帰り際に子どもたちが嬉しそうに手を振って、「ありがとう」と笑顔を見せてくれ、その姿をみると安心と嬉しさと、私こそ募金に協力してくれたみんなに「本当にありがとう」という気持ちになりました。まさか留学中にこういった経験をするなんて思ってもいなかったです。今振り返ると、以前は何もできないと思っていましたが、今は"そんなことない。これから国際協力を勉強し続けるにあたって、この経験は大きな一歩になったな。"と思っています。
1月21日から27日の一週間、国際文化学部の佐伯先生がアチェに来ました。インドネシアへ留学をするきっかけを作り、留学をしている現在も1番お世話になっている佐伯先生に留学中お会いできたのは、正直とても嬉しかったです。先生が日本にいらっしゃる間も、連絡を取っていましたが、やはり実際会えるのはこんなにも安心するのかと思うぐらい安心をしました。そしてこの1週間は、2015年のスタディツアーで訪問することができなかった村をいくつか訪問してきました。そして、自分は語学力だけじゃなく、何故アチェに留学に来たのか改めて気づかされました。それまで国際協力が行われている現場の近くにいるのに、自ら進んで村に行ってみようとしなかったことに気がつき、現在はスタディツアーの時からお世話になっているNGO団体Jari Acehのヌルジュバさんの家にホームステイをし、まだ訪れたことがない村々へ訪問をする予定です。先生と話して気づいたなんて、まだまだ意識も、頭の中も子どもだなと思う部分が多々ありますが、残りの半年の時間を無駄にしないと決めたので、悔いのない留学にするためにも、気を引き締めて頑張りたいと思います。今まで過ごした時間が無駄だったとは思っていませんが、この先生と過ごした時間によって、自分の中で何か変わった気がします。卒業論文にむけても良い方向に進んでいるので、自分の力で留学をやり遂げて、最高の形で帰国できるようにという想いを大切に、この長期休みを過ごしたいと思います。
一緒に留学に来ていた国際協力学科の深川が帰国をしてしまい、次の学期も生活も本当に日本人、いや、外国人が私だけです。後輩ですが、このアチェという場所で生活を一緒に過ごし、辛いことがあると話を聞いてもらったりと、なんだかんだ支えてもらった部分が大きかった存在でした。しかし、これからは自分1人だけです。本当に勝負だと思っているので頑張ります。
あっという間に5ヶ月目が終わろうとしています。1月1日新年を海外で過ごしました。大晦日の夜、近所の友達の家の外で魚を焼いていたら、年を越していました。これといったインドネシアらしい文化を感じませんでしたが、ゆっくりと友達と過ごし、1月2日には大学でテストがありました。その日でテストは終わり2月半ばまで長期休みに入ります。
長期休みに入ってすぐ、アチェで日本語の先生をしている方に頼まれ、高校の日本語スピーチコンテストの審査員をしてきました。私が住んでいる周辺で日本人は他にいないということだったので、気合いを入れて参加してきました。男女1人ずつ、日本語で3分間のスピーチをして、審査員はどちらの学生がより素晴らしいかを選び、選ばれた学生は次の本選に行けるということでした。2人のうちのどちらかを選ぶという審査方法は、とても難かしいものでした。スピーチの後は、参列していた高校生が日本語の歌を披露してくれたり、みんなで写真を撮ったり、日本語で話したりしました。きっと彼らにとって初めて会う日本人が私だったと思います。日本語を勉強し、興味を持ってくれているキラキラした目を持った彼らを見て、嬉しかったです。みんな日本のアニメを通して日本を知り、興味を持ったそうです。改めて日本のアニメの力をすごいと感じました。また、留学に来て半年も経っていない私のインドネシア語でのコメントを真剣に聞いてくれて、嬉しかったです。スピーチする高校生ぐらい緊張しましたが、とても良い経験をさせてもらったと思います。
1月13日には、2016年12月7日に起きたピディジャヤ地震のために、名古屋学院大学で行っていた募金活動で集まった約9万円分の支援物資を届けに行ってきました。前回訪問した際に、赤ちゃんとその母親である女性のための支援が行き届いていないということだったので、今回も前回と同じように、紙おむつ、生理用品、歯ブラシ、石鹸、赤ちゃん用のミルク、洗剤やお菓子が入った袋を支援物資として準備しました。
三週間ぶりに訪れた現地は復興に向けて進んでいました。全壊してた建物は綺麗に撤去され更地になっており、全壊していたモスク(イスラム寺院)も綺麗に取り除かれていました。全壊はしておらず、人が多く集まり避難所となっていたモスクの外にあったテントは一つも無く、人も集まっていませんでした。皆それぞれ家に帰り、新しい生活に向けて進んでいると思うと少し安心しました。支援物資は二つの村に届けました。帰り際に子どもたちが嬉しそうに手を振って、「ありがとう」と笑顔を見せてくれ、その姿をみると安心と嬉しさと、私こそ募金に協力してくれたみんなに「本当にありがとう」という気持ちになりました。まさか留学中にこういった経験をするなんて思ってもいなかったです。今振り返ると、以前は何もできないと思っていましたが、今は"そんなことない。これから国際協力を勉強し続けるにあたって、この経験は大きな一歩になったな。"と思っています。
1月21日から27日の一週間、国際文化学部の佐伯先生がアチェに来ました。インドネシアへ留学をするきっかけを作り、留学をしている現在も1番お世話になっている佐伯先生に留学中お会いできたのは、正直とても嬉しかったです。先生が日本にいらっしゃる間も、連絡を取っていましたが、やはり実際会えるのはこんなにも安心するのかと思うぐらい安心をしました。そしてこの1週間は、2015年のスタディツアーで訪問することができなかった村をいくつか訪問してきました。そして、自分は語学力だけじゃなく、何故アチェに留学に来たのか改めて気づかされました。それまで国際協力が行われている現場の近くにいるのに、自ら進んで村に行ってみようとしなかったことに気がつき、現在はスタディツアーの時からお世話になっているNGO団体Jari Acehのヌルジュバさんの家にホームステイをし、まだ訪れたことがない村々へ訪問をする予定です。先生と話して気づいたなんて、まだまだ意識も、頭の中も子どもだなと思う部分が多々ありますが、残りの半年の時間を無駄にしないと決めたので、悔いのない留学にするためにも、気を引き締めて頑張りたいと思います。今まで過ごした時間が無駄だったとは思っていませんが、この先生と過ごした時間によって、自分の中で何か変わった気がします。卒業論文にむけても良い方向に進んでいるので、自分の力で留学をやり遂げて、最高の形で帰国できるようにという想いを大切に、この長期休みを過ごしたいと思います。
一緒に留学に来ていた国際協力学科の深川が帰国をしてしまい、次の学期も生活も本当に日本人、いや、外国人が私だけです。後輩ですが、このアチェという場所で生活を一緒に過ごし、辛いことがあると話を聞いてもらったりと、なんだかんだ支えてもらった部分が大きかった存在でした。しかし、これからは自分1人だけです。本当に勝負だと思っているので頑張ります。