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2017年11月 1日
中期(延長)留学報告(メンフィス大学 伊藤大希)
有機的な国
この留学は、私が初めて海外で長期間滞在した経験であるとともに、初めての一人暮らしでした。そしてこの留学で私は、英語以上に多くのことを学びました。思い返すとこれらの経験は、今でも私の心に色濃く残っており、私の自信に繋がるような成功談から、今でも赤面するような失敗まで様々です。それらは全て。私の将来へ活かしていけるものでした。
私の留学は、アメリカ テネシー州 The University of Memphis にて中期の公費留学でしたが、期間を延長し、約10ヶ月の長期となりました。生活は大学の隣の寮にて、4人で4つの寝室と1つのリビング・台所を共有する形でした。ルームメイトは学期毎に変わりましたが、日本人と一緒になることはありませんでした。
食事は基本自炊でしたが、私が料理しているとルームメイトが私に声をかけてくるため、そこで色々なことを話しました。私がよく話したのが、父親の仕事の関係でスペインからアメリカに移住してきた、私と同年齢のルームメイトです。話の内容としては、ペパロニのピザが好き等のたわいもないおしゃべりでしたが、英語でのコミュニケーション能力を高めることができ、アメリカの文化の多様性を肌で感じました。その中で彼に聞いて驚いたのが、シーフードピザがアメリカにないということでした。
当然国が違うと習慣や文化が違うため衝突が度々起こりますが、日本人がいないという事は、それを全部英語で解決しなければならないということです。英語を話さなければ生活できないという暮らしで、私の英語力は大幅に上がったと思います。同様に、外出し遊ぶことや、メンフィス大学との留学延長のやりとり、スーパーマーケットでの支払いのトラブル、クレジットカード紛失のやりとりも全て一人で解決してきました。これで英語力は当然ですが、一人で暮らしていくために自発的に行動し問題を解決していける力がついたと思います。この中で私は、多くの人に助けられました。大学の郵便局のお姉さん、留学担当の方々、授業を担当した教師の方々、Uberでタクシーに乗った時に気さくに話してくれた人々、そして同じクラスで学んだクラスメイトたちです。この人々とのふれあいで、アメリカという国が人あの温もりに溢れている、有機的な国でああると気づかされました。
最も印象に残ったのは、IEI(語学留学生が在籍することになる大学内の組織)が週末に主催する食事会やパーティーです。私はどういうわけか日本人や文化の近いアジアの国の人とつるまずに、南米出身の友人とつるんでこの週末のパーティーに参加していました。この中で印象に残ったのが、なぜ留学に来たのかいう話題です。私は趣味でやっているスマートフォンのアプリ作成をする為には英語をどうしても使わなければならないから、語学留学で全世界を見渡す視点をつけ、なおかつ英語を学べるアメリカに来たと答えました。ちょうど、それを話していた友人の一人が、コロンビアで銀行関係のプログラムを組んでいたとのことでした。意気投合した私たちは、それから多くの事を語り合いました。彼の仕事のことや、お互いの家族の事、これから社会で必要とされる人材の事、そしてこれから社会に出て働く私の将来の事です。私は半分冗談で将来の夢はリッチになる事だ、と言いましたが、それに彼は大きく反対しました。それから30分ほど、他の人そっちのけで私達は話し始めました。彼が南米特有の早口の英語で喋り、私が必死こいて理解し、そして私は分からない単語で躓きながら、身振り手振りを交えて自分の考えを伝えました。私は彼との討論の中で話した内容以上に、母国語以外の言語を使って人に自分の思いを伝えるという事の楽しさを知りました。そして同様に、喋った言葉の真意を伝える事の難しさを知りました。日本語は主語を抜いて会話が成立する様に基本的に村社会、互いを知った上でコミュニケーションを取るという言語です。一方で英語は、大昔に商業のために作られた言語であり、知らない相手同士がやり取りをするという事が前提になります。私が冗談で言ったつもりでも、相手は大真面目に言っていると捉える場合もあります。私はこの会話で、今まで知識で学んできたことを肌で感じる事が出来たのでした。
私がアメリカで最も苦労したのが、寮で共同生活するルームメイトとの生活習慣の違い、何が人の迷惑になるかと考えることの違いでした。私はアメリカ人とドイツ人と同じリビング・台所を共有していましたが、彼らは使った食器を片付けず、私のジャムや調味料、食器を勝手に使いました。これが単なる個人の問題か、それとも国民性の問題かは分かりませんが、どちらにせよ私にとって大きな問題でした。注意するにしても誰が使ったのかは分からず、冷蔵庫に張り紙を張り出すだけになり非常に歯切れの悪いまま帰国となりました。これ以外にも、リビングに友人を住まわせたりなど、「他人の迷惑を考えないのか!」と言いたくなりましたが、結局言う事はありませんでした。「沈黙はYesと同じ」という事は知識として知っていましたが、どうも人に強く求める事のできない私の悪い癖により、一人でストレスを抱え込む形になってしまいました。つまり、アメリカで生活する事の厳しさの洗礼を受けたということです。
IEIの授業ではプレゼンテーションをすることと、小説を読める様になるが大きな目標であったと思います。レベルの低い授業の頃から、プレゼンテーションは何回も行われました。そしてプレゼントテーション後には、分かりにくかったところや質問者の興味のあるところに矢継ぎ早に質問が来ます。決して日本のように、プレゼンテーション後の質問時間でシーンとなる事はありませんでした。私も他の生徒に負けじと他人の発表をメモに取り、プレゼンテーション後の質問に参加しました。他人の発表に意見を持ち、それを投げかけるというのは為になり、非常に面白いと思った授業でした。リーディングの授業では、レベルが上がるごとに段々と読み物のページ数は増え、最終的に400ページほどの小説を読むようになりました。内容も比例して社会性のある小説に代わり、私の受けた最後の授業ではユートピアとディストピアについて議論するものとなりました。そしてライティングは、それについて数百字で自分の意見を述べ、文法は厳しくチェックされ、完全に文法的に正しい文章を書ける様にするというものでした。私は英語で文章を書くことは得意でしたが、厳しく鍛え抜かれ使える英語に成長したと思います。
このように、私の10ヶ月あまりのアメリカ生活・留学は非常に充実したものでした。アメリカの風を感じ、有機的な人々の優しさに触れ、この国の良さを実感しました。
2017年10月19日
中期留学報告(メンフィス大学 松本 将郎)
アメリカ五カ月
まず初めに、僕が中学生の時の話からさせてください。僕は基本勉強することができない学生です。最低点は3/100点、最高点は60点ぐらいという、才能がどうとかこうの世界ではありませんでした。その中でも、なんとか公費留学を勝ち取ることができて、素晴らしい経験を積むことができました。メンフィス大学にて8月~12月の4ヶ月過ごしました。
メンフィスの特徴
メンフィスは、音楽やバーベキューなどで有名です。アメリカで有名なロック歌手、エルヴィス・プレスリーの生誕地でもあります。街中には、エルヴィスの銅像やらグッズやらがたくさんありました。更には、メンフィスグリズリーズというプロバスケットボールチームがあり、開幕戦を観戦することができたのは一生の思い出になりました。メンフィスは、アメリカで治安が悪い地域上位に名前が挙がっていますが、夜一人で出歩かなければ基本問題ありません。気候は、10月中旬まで半袖で過ごせるほど暑いですが、その後の秋は3日程で終わり、冬がやってきます。雨が降る日はほとんどありません。海や湖が周りに無く、雲も少ないため、とてもきれいな夕焼けが見えました。
授業
僕は「ESL」という英語の授業を受けました。というか、それしか受けることができませんでした。TOEFLのスコアが、公費留学には行けるけど、レギュラーの授業(経済、マーケティング)を受講できるだけありませんでした。アメリカのレギュラー授業を受講している人から話を聞くと、とても楽しそうでした。ファッションマーケティングに特化した授業があったり、ワインソムリエの授業があったりと、もっとTOEFLの勉強をしておけば良かったと思うことがたくさんありました。また、レギュラーの授業を受ける際、TOEFL-IBTのスコアで留学することをお勧めします。TOEFL-ITPではアウトプットするセクションがないので、レギュラーの授業で苦しむと思います。「ESL」の授業は6段階に分けられており、自分は下から2番目のクラスでした。中学・高校と、基礎を疎かにしていたツケが回ってきた感じです。授業では、ホンジュラスやペルーなどの中南米の人達が多かったです。それぞれ、個性もイントネーションも強かったです。
私生活
メンフィス大学は、アメリカの中では小さい部類の大学らしいのですが、想像を遥かに超える大きさです。大学には寮があり、僕の寮は2DKでしたのでルームメイトが一人いましたが、基本ゲーマーみたいな生活を送っていたので、ほぼ一人暮らしみたいな生活を送っていました。食事は、基本自炊か、自炊がめんどくさくなったら、学食で済ませていました。大学内には、学食の他に図書館とスポーツジム、スターバックスと、それぞれの学部にある授業で使用する講義室がたくさんありました。僕は基本、朝早く起きて弁当を作りながら朝食を済ませ、スポーツジムにて授業が始まる午前9時まで運動していました。学校は月曜日~木曜日は午後三時までで、金曜日は昼までです。週に2回ほど大学のバスがスーパーまで連れてってくれるので、そこで食材や生活で使う日用品を買いました。大学内での移動は、スケートボードを買って移動しました。友人が自転車レンタルを利用したらぼったくられた(過去の先輩はそんな事なかったそうです)と聞いたので、せっかくのアメリカ生活なのでスケートボードで生活しました。学校が終わった後は、基本バスケをしていました。黒人の人達はパワーがあり、本当に強かったです。時々、大学の部活動の試合(主にバスケやアメリカンフットボール)を観に行きました。アメリカの大学の部活動への力の入り方は、全くもって日本と比べ物にならないぐらい、観客も会場もグッズ販売も桁が違いました。
旅行 シカゴ編
旅行は、シカゴとロサンゼルスに行ってきました。まずは、シカゴについて書きたいと思います。シカゴには、サンクスギビングの間に行ってきました。サンクスギビングでは、日ごろの感謝を込めてみたいな文化で、その中でも僕の目当てはブラックフライデーでの買物です。そこまでの間は、シカゴ美術館やダウンタウン巡り、博物館に水族館、ジョーダンショップやシカゴ・ブルズなど有名どころをひたすら巡りました。食事はシカゴピザという、チーズ好きにはたまらないピザを食べることができ、思い出深かったです。買物では、有名なブランド品が考えられない金額で売っており、とても幸せな一時を過ごしました。
旅行 ロサンゼルス編
ロサンゼルスでは交通の便がメンフィス(バス・電車がほぼない)に比べて便利だったので、ハリウッドやサンタモニカビーチ、ビバリーヒルズ、ユニバーサルスタジオハリウッドなどの観光名所を巡り、買物や観光を楽しみました。
トラブル編
僕は何個かトラブルに遭いました。ここで、本気で焦ったトラブルを説明します。まずは、クレカ関係です。僕の場合、クレカの差し込んで読み取るチップが壊れてしまいました。たまたまキャッシュパスポートを持っていたので、そっちをメインに生きていくことにしましたが、いろいろと不便でしたので、スペアカードの持参をお勧めします。次に、荷物の損失被害についてです。帰国をした際に、空港にて荷物を受け取りに行ったら荷物がなく、荷物だけ別の場所に輸送されてしまいました。その場にいた、国内移動で使用した航空会社の人とANAの社員さんに事情を説明したところ、僕の実家に配達することになりました。
最期に
僕が留学に行く前に言われました。「はっきり言って、お前が英語ペラペラになったところで、就活に有利になるわけではない。」今時、英語が使えて当たり前のご時世です。僕にとって留学は、英語のスキルアップと、自分のアイデンティティーと広い視野を持つ、良い機会でした。3年生で行く人は、2016年はボストンで行われたキャリアフォーラムの参加を視野に入れた留学をお勧めします。
2017年10月17日
中期留学報告(メンフィス大学 深津 大堅)
留学での成長、経験
私、深津大堅は、8月中旬から12月の初旬まで、アメリカのメンフィス大学に半年間留学させていただきました。行くまでにイメージしていたアメリカの文化や生活、歴史と、行ってからこそ分かったこと・気づいたことの違いの差が大きく、留学して良かったです。半年間という短い時間でしたが、自分のスキルアップにつながり、留学で得た経験や留学を通して持った考え方がたくさんあり、一回りも二回りも大きく成長できました。
8月中旬、日本からアメリカへ向けて出発するとき、不安と期待が半分半分でした。今まで自分の習ってきた英語力や、持ち続けていた価値観がどこまで通用するのかと、常に考えていました。見知らぬ土地で、長期のあいだ生活したことがなかったので、初めはどのように生活していけばよいか分からず、一緒に行った日本人の友達や、現地で出会った日本人ばかりに頼っていました。その状態を続けるのはいけないと分かっていましたが、なかなか自分の殻を破れないまま、2,3日が過ぎてしまいました。
そんな自分を変えてくれたのが、学校(IEI)でした。IEIには、英語を習得しようと様々な国籍の人が来ていました。この人たちは、どんなに汚いイントネーションや文法的に間違っている英語でも、伝えようとしている姿勢がありました。私は、英語に対するそのような姿勢が欠けていることに気づき、伝えようとする積極性を課題にして1か月間チャレンジし続けました。この課題を継続することで、IEIでの友達、現地の友達、他国から来た留学生といった、たくさんの人と出会うことができました。私は、この時点から急激に成長できたと実感しています。
学校(IEI)では、毎日約6時間以上も英語漬けでした。クラスはレベル2とレベル3で、トータル8つの授業を受講していました。始めは、ネイティブのスピードについていき、イントネーションに慣れよう必死でした。少しでも早く次のステップに行きたかったので、授業中はもちろん、授業後の時間も英語を使って生活していました。当たり前の事ですが、24時間英語を使うことが初めてなので、異空間にいる感じがして、自分がリラックスできる瞬間がありませんでした。このような生活をすることで、日本にいる時に英語を使う機会がどれだけ少なかったのかを理解できました。英語に慣れるまでに約1か月かかりましたが、それ以降は徐々に自分のやりたいことや自分の時間を作れるようになりました。IEIでの授業、Grammar、 Intermediate Conversation、 Writing/Reading、Listening/Speaking とBasic Pronunciationを受講していました。この中で、特に自分のスキルを上げてくれた授業を紹介します。1つ目は、Grammarです。私は文法を苦手としていました。しかし、日本とは違う教え方で、どんな状況の時にどの文法を使用したらいいのかを教えてくださったり、ある一項目にかける時間が短かったりと、新しい発見と共に学んでいました。短期集中型で、問題を解く量も日本の授業と比べて2倍はあると感じました。分からなくても、問題を解いていくうちにコツを掴み、ニュアンスで答えを導きだせるようになり、理解する時間も早くなりました。今までは定義を考えたりして、問題を解くまでの時間が遅かったですが、アメリカでは先に解かせて、なぜこのような文法になるのかを解説するという順です。日本とは教え方が反対と分かりました。そして、問題数も多いことが分かりました。
2つ目は、Writing/Readingです。この授業では主に、文の正しい書き方、単語、文の読解を取り扱っていました。進むペースはGrammarと比べて遅いですが、自分たちで作り上げる授業でした。英語を総合的に使う授業で、先生は今日のテーマやヒント、アドバイスを与えるだけで、日本にはほとんどないスタイルでした。そして、予習をして当たり前であり、授業内では討論をし合い、授業外で内容を理解することが基本でした。私は今まで予習をあまり行ってこなかった人間なので、授業後の勉強はおろそかになっていたと思います。しかし、この授業を通して、英語の面白さに出会えました。時期と時間を重ねるたびに、理解力が上がっていることを実感しました。他の授業もたくさん学べて吸収できましたが、特にこの2つの授業は、私に大きく変わるチャンスを与えてくれました。
授業後の時間は、主に自分の好きなバスケに当てていました。バスケットボールはアメリカの国技であり、自分も体感したいと思っていました。始め、クラブに参加しようと思っていましたが、トライアウトの選考期間が過ぎていたのと他のいくつかの理由から、やむおえず断念することになりました。そんな私を救ってくれたのが、現地の学生でした。バスケはアメリカの国技であるため、様々な場所でプレーできることを知りました。私も毎日、学校のジムで現地の学生と勝負することができました。始めは、アジア人ということと身長が低いことから、なかなか相手にしてもらえずにいました。英語も訛りが強く苦戦をしていてシュートなどをしてアピールをしていましたが、なかなかチャンスがまわってきませんでした。しかし、アメリカでのバスケは全て実力主義なので、良いプレーをしたらボールが集まり、目立たなければボールが来ないかのどちらかでした。自分のバスケスキルを磨くのと同時に、フィジカル面を磨きました。バスケもたくさんのプレーヤーと対戦することで、自分の存在も認められました。最終的にはm1番上手い人たちともプレーすることができて、より一層バスケが好きになりました。
他にも授業外でやっていた事は、一人暮らしでの家事です。日本では実家暮らしだったので、家事をほとんどやったことがなかったです。新鮮さを感じると同時に、今までの母親の苦労が実感できました。改めて、今まで支えてくれた家族の偉大さが分かり、感謝できる経験でした。初めてやってみて分かることの繰り返しで、これから一人暮らしや家族が出来て生活していく時は、この経験が活きると思いました。
留学を通して言いたいことや感じたことはたくさんあり過ぎて書ききれませんが、自分のこれからの糧になることは間違いありません。そして、現地で出会った友達の存在や、初めての体験、経験を忘れず、これからも日々挑戦をしていきたいと思います。
2017年10月 5日
中期留学報告(メンフィス大学 菊田 勝仁)
英語による経験
私は2016年の8月から12月まで、アメリカのテネシー州にあるメンフィス大学に中期留学をしました。私は留学に行けさえすれば、どんな場所でも良かったので、志望が無く行くことになったメンフィス大学ですが、振り返ってみると、メンフィス大学に行けて本当に良かったと思います。英語を勉強する面、友達を作る面でも、メンフィスにはその良い機会が揃っています。
メンフィス大学のESLのIEI(Intensive English For Internationals)と呼ばれるクラス(以下IEI)は、ほぼ毎日9時から15時まで授業があるので、4ヶ月間でも自分の英語力を上げてくれました。IEIは1~6のレベル分けがあり、自分は4と5を受けました。授業はリーディング・ライティング、グラマー、リスニング・スピーキングがメインであり、更に自分は、アドバンスドプロナウンスエーションという発音の授業を選択で取りました。クラスメイトには、幅広い年齢、国籍の方たちがいました。年齢は18歳~43歳までおり、国籍はメキシコ、サウジアラビア、ポーランドなど、いろいろでした。それぞれの英語のレベルの違いはありましたが、たとえ英語がうまく使えなくても、みんなよく自分の意見を発言していました。最初の頃は自分も慣れませんでしたが、みんなそれぞれの意見を尊重してくれるので、慣れると発言がしやすかったです。
リーディング・ライティングは、レベル4でパラグラフ、レベル5でエッセイの書き方を勉強しました。あまり日本でこれらの書き方を勉強してこなかったので、苦戦しました。更に、自分の意見を自由に述べられるほど単語が足りていなかったので、単語は重要だと感じました。しかし、知らないなら知らないなりに、どう別で表現するかというのをよく考え、それが英語での会話でも役立ったと思います。レベル5を受けているときに、1度だけレギュラーのクラスを体験することができました。IEIの先生がゲストとして呼ばれた授業で、レベル5、6を受けている生徒を対象に、体験として参加することができました。短い時間でしたが、アメリカの授業を体験できて良かったです。それと同時に、もう少しで自分もレギュラーのクラスを受けることができたのだなと感じ、少し悔しかったです。
グラマーは、レベル4では現在完了や受け身など、中学校、高校で習ってきた内容でした。レベル5では動名詞、to不定詞、関係代名詞を主に勉強しました。これも日本で習った文法ですが、thatやwhichの微妙な違いなどの感覚が掴めない時があり、苦戦しました。ほぼ今まで勉強してきたので、すごく難しいと感じることはありませんでしたが、時々クラスメイトに、なんでここはこうなるの?と聞かれたときに、英語で文法を説明するのが難しかったです。雑談をするための英語などは多く勉強してきましたが、人に教えるためにはどんな英語を話せばよいのか分からず、相手を困らせてしまいました。苦戦することもあったグラマーですが、習った文法でも日本の先生が教えてくれたことより、ネイティブの先生が教えてくれた方が日常ですぐ使えるので、文法の感覚が掴みやすかったです。
リスニング・スピーキングでは、いろんな国の文化や習慣のビデオを観てクラスメイトと話し合いや、いろいろなリスニング問題を解きました。そして、約2週間に1回くらいのペースで、プレゼンをしました。話し合いでは、日本の授業の様に手を挙げてから発言をするというのは、あまりありません。思ったらすぐ発言をするという人が多いです。私は日本語で自分の意見が出てきていても、それを英語にして発言しようとすると時間がかかったので、最初の頃は発言をする機会が少なかったです。留学の後半はだいぶ慣れ、発言できるようになりました。プレゼンは、自分の好きな物や事などを、1~2分程度で発表するものと、数日かけパワーポイントなども準備し、本格的に発表するものがありました。1人で行うプレゼンは、日本と同じようにできましたが、グループで行うプレゼンは大変でした。英語でうまく自分の意見を伝えられないので、それぞれの意見をまとめるのはとても大変で、授業外でメールのやり取りが必要な時、どうやって書いたら自分の意見が的確に相手に伝わるか考え、メールをするのも大変でした。そのような苦労があったので、達成感は日本でプレゼンをした時よりも大きかったです。
プロナウンスエイションの授業は、単語の発音記号を細かく見て発音する練習や、L、R、THの発音を練習しました。日本ではあまり意識して練習しなかったので、いざ真剣に練習すると、こんなに発音は難しいものなのかと感じました。自分の発音を録音して提出する宿題があったのですが、録音した自分の発音を聞くのは複雑な気分でした。しかし慣れてくると、自分がネイティブスピーカーに近づいたような気分で楽しかったです。
留学をするにあたって一番不安だったのは、友達ができるかどうかでした。しかし、予想以上に友達を作ることができました。まず、IEIから会話パートナーとして、メンフィス大学の学生を紹介してもらい、昼ご飯を一緒に食べたり、いろいろ遊びに連れて行ってもらったりしました。次に、メンフィス大学には日本語学部があり、毎週金曜日に日本語のランゲージテーブルが行われ、そこでも友達を作ることができました。更に、その日本語学部の先生から、本格的に日本語を勉強したい学生を紹介してもらい、専属で日本語を教えていました。今まで自分が気にしたことのない日本語の違いなどを相手から質問され、答えに苦戦することが多かったです。そんな時は、インターネットで調べて教えようとしましたが、それを英語で説明するとなると、また大変でした。しかし、それは日本語を見直す良い機会になり、英語の練習にもなったので、とても良い経験だったと思います。私が教えていた学生は、名古屋学院大学に来るので、また会うのをとても楽しみにしています。
大学とは別で、いろいろな国籍の人達と交流することができるサークルの様なものが、メンフィスにはありました。そこでは、いろいろな国籍の人たちが集まり遊びに出かけたり、月に1回ディナー&ディスカッションというイベントを行ったりしていました。そのイベントでは、一般家庭の大きな家に集まり晩御飯を一緒に食べ、その後みんなで文化や宗教について話し合いをします。それぞれの文化や倫理観を持ち真剣に話し合うので、月に1度、自分の英語力がどれだけついたか試す、良い機会になりました。そこで、アメリカだけでなく、インド、フランス、ベトナムなど様々な国籍の友達を作ることができました。うまく英語を話すことはなかなかできませんでしたが、皆とても優しく接してくれたので、多くの友達を作ることができ、想像以上に充実した留学生活を送ることができました。
約4ヶ月という短い期間でしたが、英語圏で勉強、生活をして英語のすごさを改めて感じました。何千キロも離れた国の人達とコミュニケーションを取ることができる1つのツールとしての存在は、大きなものだと感じました。なので、これからもメンフィス大学で勉強したことを生かし、英語の勉強を続けたいと思います。そして、メンフィス大学のサポートや友達の協力で、自分が想像した以上に良い経験ができたと思います。その色々な人の意見や文化を知ることによって、自分が日本の文化、他の国の文化関係無く、人間として足りていない部分があると感じることがありました。今後はその足りないと感じた部分を、これからの学生生活で少しでも埋めていき、その後もやはりメンフィスでの留学生活は良い経験だったと言えるように、頑張っていきたいと思います。
2017年10月 4日
中期留学報告(メンフィス大学 杉浦 さやか)
メンフィスで
8月18日にアメリカのテネシー州にあるメンフィスに到着しました。初めての海外でした。嬉しさ、楽しみな気持ち、驚き、不安と色んな気持ちでいっぱいで、自分がアメリカにいる、今から留学生活が始まる、という実感が湧いていなかったのを覚えています。
留学に行く前、私は英語以外にも、アメリカやいろいろな国の文化、人種、日本との違いを実際に現地に身を置いて学んでみたいと思っていました。アメリカにはたくさんの国籍の人がいて、さらに南部であるメンフィスには、黒人の人も多く、アジア、ヨーロッパ、中東など、様々な人種の人がいて、様々な人と関わりながら、彼らの国の文化や特徴について学ばせてもらう良い機会となりました。
授業では、IEIと呼ばれるESLの様な授業を受けていました。年齢、国籍が違う生徒がたくさんいました。英語を学ぶ目的も人によって様々です。なりたい職業がある、レギュラーの授業を取るため、家族とメンフィスに引っ越してきて必要だから、仕事のために学ぶ、というように、それぞれの目的がありました。授業内ではグループワークがあり、発言を求められるのが当たり前でした。他の国籍のクラスメートは、考えを思いついたら即座に発言します。授業で学んでいる内容は同じなのに、会話力と発想力と積極性の違いを、授業が始まってすぐ知りました。私が発言をすることに慣れていないということ、英語の会話力が足りないこともすぐ分かりました。なかなか英語が聞き取れないとき、言いたいことを英語で伝えられないとき、話した英語が伝わっていないときは、とても悔しい思いをしました。その悔しさと情けなさで、もっと勉強して聞き取りたい、伝えたいという気持ちが更に強くなりました。アメリカの授業を受けて、気づいたことがあります。勉強をするのにも、やり方はいろいろあると思うのですが、ただ聞いて覚えて学ぶだけでなく、知ったことを自分の考えを含めてアウトプットするまですると、自分の考え方が広がり、良い学習になるのではないかと思いました。
IEIには、たくさんの国籍の人がいると書きましたが、IEIの授業で他国の文化を多く知ることができたと思います。授業中に自分の国について話したり、休み時間にスペイン語やアラビア語などをクラスメートから教えてもらったりして、他の国の言語や文化を知ることができ、とても楽しかったです。私も、折り紙で鶴を折ったらとても喜んでくれました。日本のことでもっと伝えられることがあるのではないかと思い、自分の国、日本のことをもっと知っておくと良かったと感じました。英語でたくさんの人と繋がれるなんてすごいと感じ、もっと話せるように頑張ろうと思いました。
私のリスニング力、スピーキング力はメンフィスに来た当時は、とても低いものでした。英語力を上げるために授業以外でも英語を使うようにし、外国の友だちとランチを食べたり遊びに行ったりしました。メンフィス大学には、自由に参加できるクラブやイベントがたくさんあり、また、日本語を学んでいる学生のためのJapanese language tableもあります。そこで、学生以外も含めてたくさんの人と会い、たくさんの友達を作りました。日本語を勉強している人には、英語を教えてもらいながら日本語も教え、英語しか喋れない人でも、私に英語を教えてくれたり遊びに連れて行ってくれました。私はこれらの出会いに感謝し、これらの出会いがあったことに感動しています。毎週学校の近くのカフェに連れてってくれ、たくさんの人と喋る機会を作ってくれました。そして、今では色々な話ができる友達や、私の帰国の便が朝6時にもかかわらず、4時から見送りに来てくれた友達ができましたが、留学前にはこんなにも仲良くできる友達ができるとは思っていませんでした。来てすぐに英語がすでにできる他の国の留学生にたくさん会い、その中に英語を学びに来た自分が入ったとき、この中で自分は相手にしてもらえるのかと心配で怖気づいてしまい、数人の留学生と日本人の子にしか話しかけられなかったのを思い出します。しかし、そんな最初の経験から、勇気を出して自分からたくさんの場所に飛び出して行ったおかげで、たくさんの人に出会うことができました。国や言語が違っても、自ら関わろうとすれば、仲良くなることは難しくないのだと分かりました。留学の終わりの方に、再びその話しかけられなかった留学生らに会う機会があったのですが、話しかけてみると普通に関わることができたので、最初からもっと話しかけていれば良かったと思いました。
出会った人から、生活面のこともいろいろ助けられました。メンフィスは電車がなく、車を使って移動していました。そのため、よく友達の車でメンフィスのレストランや有名な場所に連れて行ってもらいました。自炊をしていたため、スーパーにもよく連れて行ってもらい、おすすめの物や商品の違いなども教えてもらいました。私が驚いたのは、アメリカの人は化粧水を使わず、クリームだけを使っていることです。初めはこのことは知らずなかなか化粧水を探せず、友達に教えてもらわなければ、こんな教科書には書いていないような日常的なことは、分からなかっただろうと思いました。そして、友達の家にもホームパーティーなどに呼ばれて行きました。料理を教えてもらったり、ハロウィンパーティーやサンクスギビングデー、クリスマスパーティーなどを楽しみました。
メンフィスはクリスチャンが多く、多くの人が教会へ毎週日曜日に行っていました。キャンパスの近くにクリスチャンの学生たちが集まるところがあり、遊んだり勉強をしたり、フリーフードがあったり、毎週木曜日に歌を歌って聖書の勉強をしていて、日本の学生にはあまり見られないことでした。私はクリスチャンではありませんが、参加させてもらっていました。アメリカでは、ほとんどの人が信仰する宗教を持っていて、身近に宗教があるので、日本にいたら考えもしないだろう、宗教を信仰するということについて考えさせられました。
この留学で多くのことに触れ、学び、考えさせられ、大変なことも数多くありましたが、充実した留学生活を送ることができました。もっと英語を学びたいと、留学中に強く思うようになって、長期であったらいいのにと思いました。しかし、この4ヶ月でとても濃い日常を送ることができ、大学を卒業してからも、英語をずっと学び続けたいと思いました。そして、ドルのレートを気にすると経済のことも関係してくるのに気づき、英語以外の他の分野への関心も広がりました。この気持ちを持ち続けながら、留学で学んだことを日本に帰ってから活かしていきたいと思います。日本の文化、歴史、特徴なども積極的に学び、他の国の人にそれを発信できればいいと思うし、この経験を誰かに伝えることができればいいなとも思います。
このような素晴らしい経験ができたのは、名古屋学院大学の先生方、国際センターの方々、両親、現地の友達、先生方、日本人からの留学生の友達、出会った多くの人々の支えがあったからだと思い、とても感謝をしています。本当にありがとうございました。
メンフィス大学に行くことができて良かったです。得たものの中で一番大きなものは、人と関わることの大切さ、誰かを助けたり誰かに助けられたりすることの大切さではないかと思います。他のところでも得られるものかもしれませんが、メンフィス大学で私はそれを得ることができました。
メンフィス大学に行くことができて良かったです。得たものの中で一番大きなものは、人と関わることの大切さ、誰かを助けたり誰かに助けられたりすることの大切さではないかと思います。他のところでも得られるものかもしれませんが、メンフィス大学で私はそれを得ることができました。