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2012年4月アーカイブ

2012年度の第1回公開講座

 4月12日(木)午後,地域連携センター主催の公開講演会がクラインホールで行われました。2012年度の第1回目の公開講座です。今回の講師は中谷剛(なかたに たけし)さん。講演テーマは「アウシュビッツで起きたこと―なぜ今も語り継ぐ必要があるのか―」でした。中谷さんは,1997年にポーランド国立オシフェンチム博物館(ドイツ語ではアウシュビッツ博物館)の公式ガイド資格を取得され,唯一人の外国人公式ガイドとして歴史の語り部をされています。

 講演テーマの「重さ」から,企画段階では,一般参加者の集まり具合が多少懸念されました。しかし,事前の申し込みは想像以上で,当日も一般参加者200人に加え,多くの学生が聴講したことから,クラインホールは満席でした。

 講演は,前半が映像を用いながらアウシュビッツ収容所の説明(アウシュビッツで起きたこと),後半が現代へのメッセージ(なぜ今も語り継ぐ必要があるのか)でした。最後の15分間を質疑応答の時間としたところ,一般参加者から矢継ぎ早の質問と意見。学生たちは,圧倒されていたようです。

 

なぜ今も語り継ぐ必要があるのか?


 後半の「なぜ今も語り継ぐ必要があるのか?」の問いの答えを,中谷さんの講演の中から拾ってみたいと思います。

 中谷さんのみならず,現在のヨーロッパ諸国の首脳たちは,アウシュビッツで起きたユダヤ人の虐殺は,単にドイツ人だけが責めを負うべきものではなく,傍観者を決め込んでいたヨーロッパ諸国にも責がある,と考えています。第二次大戦の終結から60年が経過した2005年前後から,その傾向が顕著となっているというのです。各国首脳が,ユダヤ人に対して謝罪を表明し始めています。もちろん,一方で,国粋主義的な若者の増大も問題になっているのですが・・・。

 ドイツを敵国としていたフランスや英国といった隣国は,ユダヤ人の人権が蹂躙される姿を見聞きし,知っていたにも拘わらず,直接的に自分とは関係ないことだとして,傍観者を決め込み,何のアクションを起こさなかった。それが,アウシュビッツの悲劇を助長したのだ,という認識と反省に至っているというのです。同様に,ヨーロッパから距離が離れていた日本も傍観者でした(日本はドイツと同盟国でしたが)。そのため,傍観者を決め込んだ日本人もアウシュビッツの悲劇に関係が無いとは言えない,と考えられるのです。

 このメッセージを現在の問題で考えてみましょう。世界には,今でも著しく人権を侵害されている民族や人々が居ます。また,それに立ち向かう活動を展開している,アムネスティのような組織や人々も居ます。彼らの活動が,単に人道主義という言葉だけでは片付けられないものがあるということでしょう。

 

 また,もっと身近な問題で考えてみます。中谷さんは,イジメ問題を取り上げて,傍観者の責任論を語りました。クラス内にいじめる者といじめられる者という2つの当事者グループだけでなく,それを知っている第三者がいて,この問題に関わらないようにしている。同じ共同体の構成員であるにも拘わらず,この傍観という第三者の態度が事態を悪化させてしまう。傍観者が傍観者でなかったなら,イジメは深刻な問題に陥らない可能性があるからです。だから,当事者でなく第三者であったとしても責任はある,というわけです。

 さらに別の例で考えてみましょう。人の道に反し,道徳に反し,傍若無人な行為をしている者が居るとします。例えば,電車の中で,大きな声でケータイ電話で話している人,一人で広い座席を占領している人,混雑車両で脚を組んでいる人,タバコの吸い殻を道路にポイ捨てする人,ハタ迷惑な行為を目にしたとします。このとき,自らに火の粉が降りかからないようにと,黙ってそれを見過ごすべきか,悪行を注意し,人の道から反するから止めなさい,と諭すべきか。昨今では,注意された人が逆ギレして,殺傷事件を起こすケースもありますから,この問いも厄介といえば厄介です。それでも,傍観者にならないで,注意喚起する。そうした態度が求められている,ということです。勇気がいるなぁ~。

 

中谷さんと名古屋学院大学

 ところで,中谷さんと名古屋学院大学との交流は,2年前から始まった「ポーランド・スタディー・ツアー」がキッカケでした。このスタディー・ツアーを企画・運営そして自ら添乗員となって献身的な教育活動を展開しているのが経済学部の家本博一教授(地域連携センター長)です(家本先生,ありがとう!)。スタディー・ツアーのメインイベントがアウシュビッツ博物館の訪問です。学生たちは博物館で中谷さんの説明を聞き,その後,場所を変えて中谷さんと意見交換の機会を持ちます。スタディー・ツアーに参加した学生たちは,アウシュビッツで実際に見たもの,触れたものに加えて,中谷さんとの意見交換で,さらに心を震わされます。

 今回の講演には,過去2回のスタディー・ツアーに参加した学生全てが会場に足を運び,中谷さんの話を改めて伺うと同時に,講演会後の懇親会で彼との再会の機会を得ました。懇親会会場での学生たちの一言トークは,同席していた教職員にとってちょっとした感動モノでした。お題は「アウシュビッツで学んだこと」。

 学生たちは,次のような発言をしていました。ポーランド・スタディー・ツアーが,自分の生き方を見つめ直す機会になった。帰国後から,ボランティア活動に励んでいる。山ほど撮ってきた写真を基に,自分がアウシュビッツで起きたことの日本での語り部役を担いたい。何をしたら良いかは判らないけれど,一生考えていきたい,など。彼ら彼女らの心にアウシュビッツ体験は相当強い刺激を与えたようです。

 私たちは自分の想像を超えた場面に直面した時,ショックを受け,心を震わせ,心に何かの火が灯るのでしょう。その代表事例が旅であり,とりわけ外国体験なのだと思います。アウシュビッツは,想像を超えた人間の悪業を見せつけるわけですから,強烈です。もちろん,こうした体験による心の震えの賞味期限は,人それぞれでしょう。そうだとしても,人の成長には,この心が震える体験が必要なのだと思います。

 

「ラジオ深夜便」と中谷さん

 私事ですが,小生は今回,中谷さんと会えることにワクワクしていました。まだ見ぬ想像上の恋人に会えるような気分です。

 というのは,小生が初めて中谷さんの存在を知ったのは「NHKラジオ深夜便」(「また,ラジオ深夜便かよ」,と言われそうですが・・・)のインタビュー・コーナーでした。かれこれ,1年半前です(注)。「ラジオ深夜便」は,小生の心の友です。夜なべ仕事をしながら,BGM代わりに聞いています。大方は聞き流しですが,時折,自分の耳がダンボになり,仕事が疎かになることがあります。中谷さんが登場した折もそうでした。

 アウシュビッツでガイドをしている日本人。こういう人も居るのか!?ポーランド語は世界でも難解な言語の一つとされるのに,そこで公認ガイドをしている人。しかも毎日,毎日,虐殺現場の説明をするのだ。意志が強い人であるには違いないけれど,何が彼を駆り立てたのだろうか。一体全体どんな人なのだろう?会ってみたいな,見てみたいな。今度ポーランドに行ったら,是非ともアウシュビッツに会いに行こう,と思ったものでした。

 実際に,今回お会いした印象は,笑顔が素敵な優しさが充満しているような人でした。アウシュビッツ行われたような残酷な悪行が繰り返されないためには,人は他者を尊重し,寛容で優しくなくてはいけない。そんな人生訓を体現している雰囲気でした。やっぱり,名古屋学院大学の建学の精神「敬神愛人」は至言です。小生は,少しホッこりとした気分。そうこうしているうちに,城哲哉教授(国際センター長)は,中谷さんの著書を持参して,ちゃっかりサインを貰っていました(ずる~いっ)。

 今回のブログ記事を終えるにあたり,「ラジオ深夜便」(注)で中谷さんが語っていたメッセージを付け加えます。「戦争を考えることは今を考えること,今を考えることは歴史を考えること,歴史を考えるとは人間を考えること,人間を考えることは自分を考えること」です。

 

(注)「NHKラジオ深夜便」2010年10月30日の朝4時「明日へのことば」で放送。

 2012年4月1日(日)。名古屋国際会議場・センチュリーホールにて,2012年度の入学式が行われました。当日の天候は,晴れのち曇り。「陽春」という言葉がピッタリする柔らかい日差しを肌に感じさせる穏やかな一日となりました。前日が春の嵐で,寒さと雨で凍えるような日でしたから,うって変わった春暖に「今日は,何かいいことありそうな」とスキップしたい気分です。
 名古屋キャンパスの周辺では,熱田公園,堀川の川岸,国際会議場などに林立する桜の木々の蕾が,一斉に膨らみ始めました。気象台によれば,今年,名古屋の桜の開花日は3月30日でしたから,入学式シーズンに付き物の桜の花が,今年は絶好のタイミングで開花し始めました。
 ところで,本学は,世間に比べて桜の花を少し長めに愛でることができます。これは,本学が名古屋市と瀬戸市とに2つのキャンパスを抱えていて,瀬戸キャンパスの桜の開花時期は名古屋のそれに比べて10日から2週間ほど遅いからです。4月第1週目では,瀬戸キャンパスの桜の蕾はまだまだ固い状態でした。今年も瀬戸キャンパスでは4月下旬まで桜の花見を楽しめそうです。

 

 さて,入学式。近年,大学の入学式や卒業式に列席される保護者の数が膨らむ傾向にありましたが,今年は入学式が日曜日と重なったためか,それに輪をかけて多くの保護者の姿が目についたように思います。
 今年は,学部生1,160名,大学院生66名,留学生別科生11名を新たにNGUファミリーとして迎えることができました。真新しいスーツに身を包んだ多くの新入生は,少し緊張気味で式典に臨んでいました。3月の卒業式は,卒業生も保護者の方々もリラックスして,少しザワめいた雰囲気ですが,4月の入学式は一転ピーンと緊張の糸が張った状態で式が進みました。
 新入生たちには,改めて歓迎とお祝いの意を表します。おめでとうございます。若者の特権を活かして,自らの可能性を広げるために,様々なことに挑戦してください。また,保護者の方々には,お子様たちを,本学が責任を持って,有為な若者に育てあげることをお約束したいと思います。
以下は,入学式で,式辞として話た小生の挨拶です。

 

2012年度 入学式式辞

 

 新入生の皆さん,名古屋学院大学へのご入学,おめでとうございます。ご来賓の皆様,保護者の皆様,お忙しい中,ご臨席いただき誠にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
 今日,名古屋学院大学は,学部生1,169名,大学院生66名,留学生別科生11名,合わせて1,236名ほどの,ニューフェイスを迎えることになりました。
 私たち教職員一同は,皆さんがこの大学で学ぶことを通じて,人間として確実に成長し,立派な社会人となって巣立っていくために,全力をあげて支援することをお約束します。そして,卒業時には,名古屋学院大学で学んで良かった,この大学を選んで良かった,と必ずや思って貰えるものと確信しています。
 さて,皆さん,昨夜はよく眠られたでしょうか? 入学式を前に,人生の新しいページが始まるという不安と期待がない交ぜになった高揚感で,良く眠られなかったという人もいるかと思います。私の方は,NHKの「ラジオ深夜便」を聞きながら,徹夜でこの挨拶の原稿を準備していました。ですから,全く寝ていません。新しく名古屋学院大学ファミリーの一員となられた皆さんに,伝えるべき内容を選んでいるうちに,朝を迎えました。
 今朝は,昨日と打って変って,春の暖かい日差しを肌に感じることができます。皆さんの新しいスタートを祝っている様です。
 準備してきた話をします。三つあります。一つ目は,名古屋学院大学の「建学の精神」,二つ目は,「大学での学び方」,三つ目は,「社会人予備軍としての心得」です。

 

 それでは,一番目の「建学の精神」についてです。建学の精神とは,大学を設置する際に,創設者たちが「この大学でこういう人材を育てたい」という熱い思いのことです。
 名古屋学院大学は,「敬神愛人」を建学の精神とするキリスト教主義の大学です。「敬神愛人」は「神を敬い,人を愛する」と書きます。
 昨年,私たちは,戦後最悪の自然災害となった東日本大震災を目の当たりにしました。そして,技術文明が栄えた現代社会でも,人知の及ばぬものがあることを,改めて知らされました。「神を敬い」は,まさに,自然の脅威や人知の及ばぬものに対し,素直に畏怖を覚えよ,ということでしょう。
また,「人を愛する」の方は,言うまでも無く,「汝の隣人を愛せよ」ということです。
 つまり「敬神愛人」は,学ぶ者も教える者も,自らが及ばぬものの存在を怖れ,敬いなさい。そして自らは傲慢になることなく,自己中心的になることなく,謙虚になって,人に優しくありなさい。そうすれば,自らの人格陶冶と人類の平和や福祉が実現される,というものです。名古屋学院大学に学ぶ者は,是非,この「敬神愛人」の四文字熟語を座右の銘として頂きたいと思います。
 これは,皆さんにキリスト教徒になれ,と強要するものではありません。しかし,この精神は,私たちが生きていくうえでの人生哲学そのものです。日本の「武士道の精神」にもこれと通じるものがあります。礼儀を重んぜよ,相手を思いやれ,「自分より相手が先」といった人生訓です。
「敬神愛人」。覚えてください。

 

 それでは,二つ目の「大学での学び方」についてお話ししたいと思います。
 大学生としてあるべき学びのスタイルは,高校までのそれと大きく違います。大学生の学びのスタイルは,自ら求めて学び,自ら考え,自らの意見を持つ,ということです。高校までは,決められた科目をひたすら覚える,「勉強イコール暗記」であったでしょう。実際,暗記能力が高い生徒ほど,試験の成績は良く,優秀だと言われてきました。しかし,大学はそうではありません。求められる学びのスタイルは,自ら学ぶ対象を求め,獲得した知識を活用して,自ら考え,それを表現し,実践することです。
 この理由は,それが大人になることであり,人格を磨くことであるからです。また,就職試験の面接では,自らの経験と,それを基にした自らの考えが,問われるのです。皆さんは,社会人一歩手前の,社会人予備軍であるという自覚をもって,大学生活を送って欲しいと思います。

 勿論大学は,皆さんの人格を磨き,成長する機会を用意し,支援します。授業やゼミナールは言うまでもなく,留学,サークル,ボランティア活動,地域貢献のプロジェクト。こうした機会を大いに利用して,自らを進化させて欲しいと願っています。
 ドイツの哲学者カントは,『啓蒙とは何か』という本の中で,「知る勇気を持て」,「自分の理性を使う勇気を持て」と述べています。そうでないと,何時まで経っても,「未成年の状態のまま」に留まってしまう,というのです。未成年の状態とは,他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができない人間のことです。
 一人の人間として精神的に独立するためには,未成年状態,あたかも家畜のような状態から脱皮して,自ら考えることが必要なのです。
 授業で習い,書物を読み,新しい情報を得たら,鵜呑みをせず,まず自分なりに考え,意見を持つようにして欲しい,と思います。

 

 三番目の話に入ります。「社会人予備軍としての心得」です。社会人予備軍としての「学びのスタイル」については,先ほど述べました。ここでは,行動様式に関わる事柄として,一つだけ,お願いしたい事があります。
 極めて簡単なことです。それは「挨拶」です。「おはよう」,「こんにちは」,「ありがとう」,「さようなら」。
挨拶はコミュニケーションの第一歩です。
 人種のるつぼであるアメリカでは,目と目が合うと,ニコッとしながら「ハ~イッ」と知らない者同士が声を掛けあいます。また,江戸時代の武士も,すれ違いざまに声をかけたり,会釈をしたりしたそうです。それが「私はあなたの敵ではありませんよ」,というサインでもあったのです。
 皆さんは,大学生になったばかりなので,ピンと来ないでしょうが,三年後の就職活動の折には,挨拶ができること,そしてそれにつながるコミュニケーション能力が,採用・不採用の明暗を分けることになりかねません。なぜなら,企業の採用試験では,新卒者に求める能力の第一番目に,「コミュニケーション能力」があげられているからです。企業の採用担当者の中には,「挨拶ができない人間は採用しない」とハッキリ言う人も居ます。
 自ら住み良い世界を築き,さらにそれを発展させていくために,まずは,きちんと挨拶をし,他者とのコミュニケーションを始めましょう。
 大学では,学長の私と学生部長が「あいさつ運動」のリーダーです。新学期早々から,私たちは,正門のところで「朝の挨拶運動」を展開し,皆さんを「おはよう」の挨拶で迎えます。
皆さんも,恥ずかしがらずに挨拶を返して下さい。

 また,朝に限らず,学内に居る教職員,同級生,先輩,外からやってくるお客様たちに,是非,素敵な笑顔で挨拶を交わして欲しいと思います。
 「敬神愛人」の「人を愛すること」は,「挨拶すること」から始まるのです。
 保護者の皆様には,是非,ご家庭の中でも意識的に挨拶を交わして頂くよう,お願いしたいと思います。
 今日,ここで私は三つの話をしました。一番目は,建学の精神の「敬神愛人」。二番目が「主体的に学び,自らの意見を持つこと」。そして,三番目は,「挨拶をしよう」,ということでした。
 皆さんが,自らと日本の未来を切り開いていく若者になるよう,私たち教職員は,皆さんを全身全霊で応援します。皆さんは,大学を大いに利用し,自らの可能性に挑戦してください。

 ご入学,おめでとうございます。

 

2012年4月1日

名古屋学院大学 学長 木船久雄