★授業・ゼミのぞき見★「平和学入門」飯島滋明先生
今回は、前回の★Bridge★でご紹介した
飯島滋明先生の「平和学入門」の授業にお邪魔してきました!
「平和学入門」は、平和にかかわるさまざまな問題を紹介し、
学生の皆さんなりの考え方を身につけてもらうことを目標とした授業です。
本日の講義のテーマは、
『「ヒロシマ」「ナガサキ」と原子爆弾投下』 。
初めに、「ヒロシマ」「ナガサキ」に投下された原子爆弾についての映像資料を視聴しま
した。
原子爆弾に関する資料映像は、日本で生まれ育った人ならば、一度は目にしたことがあるの
ではないかと思いますが、いつ見ても胸がしめつけられ、戦争の恐ろしさを感じます。
映像資料のあとは、いよいよ、講義です。
講義は、「第2次世界大戦(1939年)が始まった時には、日本はすでに戦争状態だった」
というところから始まりました。
満洲※1事変、日中戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争、戦争の状況の変化から原爆投下、
ポツダム宣言受諾まで、アジア・太平洋戦争のながれを復習しながらも、具体的な数字や
例・逸話に資料などを交え、多角的な視点から当時の事情がひもとかれていきます。
(※1「シュウ」の字は、現在、歴史の専門家の間では、「洲」を使うことが多いそうです。ここでは、教科書で習った歴史は、不変ではないのだということも学びました。)
※ ※ ※
さて、ここからは、授業の内容に少し触れながら、チョッパー子が見つけた、
先生の授業の工夫を5つほどご紹介していきます★
<工夫①>資料の活用
授業では、アジア・太平洋戦争の流れをまとめたものと、それに関する資料が配布されました。
資料には、国連人権理事会の資料室に掲載されているパネル(一部)の画像を印刷したもの
があり、世界的に見ると、「1931年9月、日本軍が中国の満洲地方を宣戦布告なしに侵略
する」と記されていることが分かります。
また、タイの「死の鉄道博物館・調査センター」掲示の"Japan Invades Asia"のマップ
からは、日本がいかに広範囲の国々に侵攻していったかが分かります。
配布資料とは別に、真珠湾攻撃に関する資料として、先生は、当時のアメリカの新聞を見せて下さいました。
ハワイといえば、人気リゾート地ですが、現在でも海軍基地に行くと、当時の新聞などが買えるそうです。
先生が見せて下さった新聞には、"WAR DECLARED "と大きく見出しがありました。記事は、3千人が日本の攻撃により亡くなる、といった内容だということです。
こういった海外の資料は、戦争を色々な視点から見ることに役立ちますね!
<工夫その②>私見を交えない話し方
先生の授業では、"先生の私見"がほとんど出て来ません。
起こった出来事や、その理由、具体的な数字などの積み重ねで話が構成されており、
「私は~と思う」という先生の私見が極力取り除かれているのです。
学生のみなさんは、終わりに、今日の授業の内容をレスポンスシートに5行以上でまとめた
上で、私見を書きます。
チョッパー子には、学生さんたちの私見に及ぼす影響を極力抑え、自らの意見を大切にして
もらうための工夫に感じられました。
(注:このブログ記事はチョッパー子の私見満載です。
その点に留意して読み進めて下さい。)
<工夫その③>具体的な数字や例を示す
前回の★Bridge★内でお話がありましたが、飯島先生のお話は、非常に具体的です。
例えば、原爆の威力についてのお話では、以下のような説明がありました。
「4000℃の熱って、想像できますか?
広島に投下された原子爆弾では、4000℃の熱が、30~40秒続きました。
(広島の被害状況を大学で置き換え、この教室に原子爆弾が投下されたとすると)
距離的には大学から金山駅くらいまでは何も残らない状況でした。
一面焼け野原ですね。」
他にも、空襲に関することだけでも、こんなに具体的な数字が使われていました↓
「東京大空襲ではわずか2時間の爆撃で10万人死亡、100万人が家を失いました。
それまでの戦争で、2時間の戦闘で10万人死んだ例はありません。」
「日本の66都市が空爆を受け、名古屋では、8千人ほどの人が亡くなっています。」
「名古屋を含む、模擬爆弾(いわゆるパンプキン爆弾)による原爆投下実験が30都市で
行われました。」
「沖縄上陸戦では、約20万人が亡くなりました。
民間人が約9万4千人含まれているといわれています。」
「長崎では、1945年12月までに、7万3千人の方が、亡くなったと言われています。」
具体的な数字や、知っている場所に置き換えることで、イメージの手助けになりますし、
記憶に残り易くなりますよね。
<工夫その④>Q&A方式で要点を整理
先生は、まず疑問を投げかけてから、内容を解説する、という順番で話されることが
多かったです。
例えば・・・
「ポツダム宣言は、なぜポツダムで行われたのでしょうか?
ポツダムって、どこかわかりますか?
ポツダムは、ドイツの都市で、しかも軍事都市だったのです。
"ドイツはもう降伏しているんだぞ、日本も降伏しろよ"という意図を含ませて、
わざとドイツで開催したんですね。」
他にも、
・なぜ日本は、絶望的な状況にありながら、なかなかポツダム宣言を受諾しなかったのか?
⇒「今降伏したら、天皇が殺されるかもしれない!」との考えから、降伏しなかった。
・広島・長崎に投下された原子爆弾の威力は、どちらが大きかったのか?
⇒投下された原子爆弾の名前: 広島:リトルボーイ 長崎:ファットマン
名前からも想像できる通り、持っている威力は長崎の方が大きかった。
・なぜ原爆が投下されたのは、広島と長崎だったのか?
⇒第1目標は広島だった。これはアメリカ人の捕虜が居ないとされていたからであり、
また、中国地方最大の軍事都市であったから。
第2目標は九州の小倉だったが、この日、小倉には雲が多く、爆弾が投下できなかった。
飛行時間にも制限がある為、第3目標である長崎へ向かったものの、こちらも雲が多かった。
しかし、雲の切れ目が一瞬できたことから、そこに爆弾を投下した。
なので、広島はほぼ狙った場所に投下できたが、長崎は市の中心地からかなり離れた
場所になった。原子爆弾を投下した飛行機は、燃料が残りわずかであったため、沖縄に
着陸した。
このように、
「押さえておきたいところ」が初めに問われて明確だと、話が頭に入り易くなり、
流れがおさえやすくなりますね!
<工夫その⑤>今日の授業は、次に繋がる
授業中に、そこここで使われるフレーズがあります。
そのフレーズは、こんな風に使われます↓↓
「・・・日本が唯一のヒバク※2国という言い方は正しくありません。当時広島の人口は
約35万人でしたが、広島への原子爆弾投下で、1945年12月までに亡くなったのは、
朝鮮人韓国人約2万人を含む、約14万人とも言われています。
なぜこんなに朝鮮人韓国人が広島にいたのか?
それは今後授業で話します。」
きゃー!
先生、その話、そこで終るのは殺生というものです!
唯一のヒバク国じゃないって、どういうことですか...!?
どうして?
どうして広島には、当時そんなに多くの外国人がいたのですか?
続きが聞きたい...!
他にも、授業のそこここで、「詳しくは次回」「今後」のお話が沢山!
これは、授業を欠席するわけにいきません。
千夜一夜物語ではありませんが、次回を期待させる工夫のひとつかと思います。
(※2原子爆弾投下など、戦争行為の際には「被爆」という漢字を、
原子力発電の事故などの際には「被曝」という漢字を、
両者を合わせた場合には「ヒバク」と表記されることが多くあります。)
※ ※ ※
授業にお邪魔してみて、飯島先生の授業は、興味深くあっという間に惹きこまれ、なおかつ
考えさせられるものでした。履修者250人を超える授業であるにも関わらず、響くのは先生
の声のみ。学生さんはみんな、話に聞き入っていました。
チョッパー子も、叶うことなら、毎週逃さず聴講したいくらいです。
そのチャンスがあるのは、他でもない、このブログを読んでくれている学生の皆さん、
あなたたちです!
まだ先生の授業を受けたことのない学生の皆さん、是非、
飯島先生の「平和学入門」を履修してみてくださいね。
チョッパー子