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2017年10月19日
中期留学報告(パシフィック大学 井上 駿)
2017年10月 5日
中期(延長)留学報告(パシフィック大学 長尾 光莉)
貴重な時間を与えられて
パシフィック大学での留学を終え、日本では味わえない体験をしました。特に大学での授業は、本当に感動しました。とにかく授業では、生徒たちが主体となって進行していきます。ある程度、担当の先生はその日にやることをあらかじめ決めていますが、それが全てではありません。その都度、生徒たちの様子や、生徒たちのやりたいことに合わせて、いろいろと予定を変えていきます。先生たちは、私たち生徒に、「とにかく発言してほしい」と伝えます。日本の講義のように、先生が一方的に話して、それを生徒がただ聞き続けるというのは決してありません。必ず生徒は、間違っていようが何だろうが、発言しなければなりません。留学が始まったばかりの頃は、間違えるのが恥ずかしくて、質問されても黙ってしまうのがほとんどでした。何とかアクションをしようと、「分かりません」という意味で首を傾げたり、首を横に振ったりしたことがありますが、それは先生には全く伝わらなくて、もし分からないなら、"I don't know."とはっきり言う必要がありました。別に分からないからと言って、「どうして話を聞いていないの?」と注意されることは決してなく、寧ろ「質問してくれた方が嬉しい」と言われました。
授業で出される課題も、ユニークなものが多かったです。例えば、ネイティブスピーカー(生徒でも先生でも)を捕まえて、先生から提示されたお題に従って、インタビューしてくるといったものや、英語で替え歌を作ってきなさいというものまでありました。替え歌については、私は"Little Star"を選んで替え歌を作りました。しかし、ただ替え歌を作ったわけではなく、教科書に出てくる内容に基づいて作らなければなりませんでした。その時、授業で勉強していた内容は、「あなたの国の問題点は何?」というもので、もちろん日本について考えました。日本は少子化問題を抱えているので、それを題材にして替え歌を作りました。それから、先生にcheckをしてもらって、OKが出たら次は歌う練習をしました。練習が十分にできたら、楽器担当の相手を見つけます。クラスメイトは、既にグループを作っていたので、そのクラスの先生を誘って、ギターを演奏してもらいました。とても楽しく歌を歌うことが出来ました。こういった面白い課題をやる事が、頻繁にありました。授業後も、積極的に先生に話しかけたり、質問するように心がけていました。授業に関係ない話でも、親身になって相談に乗ってくれたり、アドバイスをくれました。
少しではありますが、"Japan Club"というクラブにも参加しました。そのクラブは、日本の文化を実際に体験するというものでした。着物の着付け方を教えたり、みんなで日本の映画を観たりしました。どの生徒も、日本に対して強い関心を持っていて、嬉しい気持ちになりました。私はそこで、日本語を勉強している女の子と出会いました。日本語を上手に話す子で、日々どれだけ勉強しているのかがうかがえました。積極的に日本語で話しかけてくれるので、本当に頑張っているのだなと感じられました。
寮での暮らしも良い経験になりました。私は、ルームメイトの女の子が一人いました。その子はとてもいい子で、留学中ずっと、その子と同じ部屋で住んでいました。性格も私と似ていて、すぐに仲良くなれました。大きなトラブルもけんかもありませんでしたし、伝えたいことは何でも伝えることが出来ました。どんなに些細なことでも、気になる事があれば何でも質問しました。そういう態度で接しているうちに、ルームメイトの方からも、いろいろ話しかけてくれるようになりました。週末には、二人で大学近くの映画館に行きました。ルームメイトだけでなく、家族とも仲良くなりました。初めてルームメイトと会ったとき、一緒に彼女の両親にも会いました。出会った瞬間、ハグをされました。少し驚きましたが、普通の挨拶らしいので、素直に受け入れました。ルームメイトも両親も、互いにハグしてキスしてと、スキンシップが多かったので、本当に仲がいいのだなと思いました。
週末には、大学から離れたポートランドに遊びに行きました。大学からは、電車とバスを使って約1時間30分かかりました。初めて一人で行ったときは、どのバスと電車に乗ればいいか迷ってしまいました。そんな時は、人見知りなどしていては解決できないので、知らない人に行き方を尋ねたりしました。バスに乗るときは、運転手の人に、「このバスはポートランド行きですか?」と、念のために確認もしました。どの人も、尋ねるたびに笑顔で答えてくれました。ポートランドのダウンタウンはとても賑やかな場所で、一日中楽しむことが出来ました。美味しいごはんを食べたり、洋服や日常品を買いに行ったりしました。クリスマスには、町の真ん中に大きなクリスマスツリーを見かけました。キラキラのイルミネーションに魅了されて、しばらく感動に浸っていました。
冬休みには、シカゴに住む友人宅で、三週間ほど滞在させてもらいました。とにかく大きなご実家でした。地上と地下を併せて三階建てで、地下室にはテレビとジムで見かけるような道具が置いてありました。家族揃って、温かく迎えてくれました。「今日からここはあなたの家なんだから、自由にくつろいでいいんだよ」と、言ってくれました。自由に冷蔵庫の飲み物を飲んでもいいし、台所に置いてあるフルーツも、自由に食べてもいいと言ってくれました。しかし、やはり人様の家ということに変わりはないので、完全にくつろぐということは難しいことでした。自分から、「あれがしたい、これがしたい。」とは、なかなか言えませんでした。
クリスマスは、そこで迎えました。家族みんなで、クリスアスツリーを買いに行きました。外はあちこち雪が降り積もっていて、寒かったです。クリスマスツリーは店の外に飾られていて、雪が付いていて冷たかったです。結構大きなサイズの物を購入し、家に飾りました。友達と二人で、ツリーの飾りつけをしました。ディナーには、おいしい料理を作ってもらい、ごちそうになりました。ディナーの後は、地下室でクリスマスにまつわる映画を観ました。Happy New Year も、そこで過ごさせていただきました。新年になる前のcountdownもしました。テレビ中継でcountがゼロになった瞬間、みんなでクラッカーを鳴らしました。そして、お互いの新年の抱負を発表したりもしました。不思議なことに、私たちの抱負は似たような内容で、「健康で幸せになること」でした。
去年の11月に、アメリカ大統領選挙がありました。結果はトランプ大統領になりましたが、パシフィック大学の人たちは、とても悲しんでいました。なぜなら、私が留学したパシフィック大学は、オレゴン州に位置するからです。アメリカは、州によって支持する政党がはっきり分かれているからです。オレゴン州はヒラリーさんを支持していたので、この結果は、アメリカの友達や先生たちやその家族を悲しませました。結果当日の夜、ルームメイトは泣いていました。外国の政治に関する事なので、なんて声をかけてあげればよいか分かりませんでした。私は選挙に関して、こんなに感情的になったことはありませんでした。こんなに感情的になるということは、それだけ政治に関して真剣に考えているということ、そして、自分たちの国のことをしっかり考えているということです。私は、日本でそのような光景は見たことはありませんでした。まだまだ、私は世間のことに関心を示していなかったと、改めて痛感しました。
帰国日が近づいてくるにつれて、帰りたくない気持ちが、日に日に大きくなっていきました。とうとう帰国当日を迎え、ルームメイトの家族が空港まで車で送ってくれました。空港に着くまでにも、車の中でオレゴン州についていろいろ教えてくれました。緑に囲まれて自然が多いオレゴン州は、農家も多く、ワインに使われるブドウを国内で一番輸出していると説明してくれました。
とにかく優しさにあふれた人たちばかりで、初めて勉強する環境のはずなのに、苦しいことは、ほとんどありませんでした。自分の主張したいことを、我慢する必要もありませんでした。例え人と違う意見を言ったとしても、それは一つのアイデアとして受け入れてくれました。国民性のせいかもしれませんが、ネイティブスピーカーの会話を聞いていても、決して相手の意見を否定する言葉は聞くことはありませんでした。"It's a good idea." "I agree with you." "I think so, too."など、相手の意見を肯定するフレーズをよく耳にしました。お互いを尊敬していなければ、決してできないことだと思いました。私はつい、自分の意見を強く主張してしまうことがあり、相手の意見を間違っていると決めつけてしまう時があります。こんな自分の性格を、とてもよく反省させられました。お互いを尊敬することは、互いを快適な気持ちにさせようと協力することでもあります。これを自然にできるアメリカは、本当に素晴らしい国だと感じました。
中期(延長)留学報告(パシフィック大学 三輪 秋絵)
初めての留学
私は、アメリカのオレゴン州にあるパシフィック大学へ、約10か月間の留学をしました。今回の留学は、私にとって初めての留学で、初めての海外でもあったので、出発までは楽しみよりも不安でいっぱいでした。持ち物でさえ、何を持っていけばいいのかも分からず、荷物の準備にはだいぶ時間がかかったと思います。夏から冬にかけての留学だったので、服選びも大変でした。また、授業についていけるか、友達はできるか、食事や水が自分に合わなかったらどうしようと、不安でそんなことばかり考えていました。出発の当日、家族や友人が見送りに来てくれて、寂しくてたまらなくなりましたが、とても嬉しかったです。また、飛行機に長時間乗ったことがなかったので、10時間のフライトはすごく疲れました。
アメリカに到着してからは、何もかもが初めてのことだらけで、とても新鮮でした。時差ボケしたのも初めてで、早朝に目覚めたり、一日中眠い日が1週間ほど続いたのが、辛かったです。授業中にも眠気がきてしまって、大変でした。パシフィック大学のあるフォレストグローヴは、自然がたくさんある静かなところでした。学校の敷地内にも緑がたくさんあって、野生のリスがそこら中にいました。日本では野生のリスを見たことがなかったので、とても興奮しました。アメリカのリスは丸々していて、可愛かったです。
パシフィック大学には、全部で6つの寮があります。私が暮らすことになったのは、キャスケードという名前の寮で、他の寮に比べたら新しくて、とてもきれいなところでした。寮にはランドリールームや共同キッチン、ビリヤード台やテレビのついたラウンジなどがあり、よくそのラウンジで友達とDVDを観ました。また、各階にウォーターサーバーがあったので、毎日そこから水を飲むことができて、すごく助かりました。私のルームメイトはアメリカ人の女の子で、とても優しい子でした。初めは、家族や日本が恋しくてホームシックになってしまいましたが、ルームメイトが励ましてくれて、ものすごくホッとしたのを覚えています。ですが、家族以外の人と一緒の部屋で暮らすのは初めてだったので、とても緊張してしまって、なかなかリラックスできなかったです。また、寝る時間や起きる時間が違ったので、相手を起こさないように気を付けました。それでも、時々ルームメイトを起こしてしまう時があって、申し訳なかったです。
しばらくして学校が始まっても、私は授業についていくだけで精いっぱいでしたが、少しずつ慣れていって、楽しく受けられるようになりました。月水金は午後までクラスがあって、火木は午前だけでした。アメリカは、日本と違って宿題がたくさん出ます。私は、スターバックスのお気に入りのドリンクを飲みながら、友達と一緒に宿題をするのが日課でした。天気の良い日は外に出て、宿題をしました。日本では、外に出て宿題をすることなんてなかったので、すごく新鮮でした。
私たちのいたオレゴン州は、雨が多いところでした。とくに冬の間は雨ばかりで、晴れの日は貴重なので、みんな外に出て日光浴をしていました。普段は雨でなかなか外に出られないので、太陽の光を浴びられる日はとても幸せでした。現地の学生たちは、寒い日でも薄着で生活していて、すごいなと思いました。ハワイからの学生が多い学校だったのですが、ハワイアンの人たちは真冬でもビーチサンダルを履いていて、驚きました。この留学では、他の大学から来ていた日本人留学生とも仲良くなり、アメリカ人やサウジアラビア人の友達もできました。週末は、みんなでポートランドまでショッピングや観光しに行くのが、私たちの定番で、ほぼ毎週末、ポートランドに通いました。学校のそばにある映画館では、2ドルで映画を見ることができました。日本ではありえない値段で、衝撃的でした。日本ではまた公開していない最新の映画を見られるのが、嬉しかったです。よくその映画館にも、みんなで通いました。
この留学中に辛かったのは、食事のことです。私はキッチンの付いていない部屋だったので、ミールプランを必ず取らなければなりませんでした。ミールプランの食事はビュッフェスタイルで、自分の好きなものを食べることができて、最初は嬉しかったです。でも、しばらくすると飽きてしまって、日本食が恋しくてたまらなくなりました。それに、カロリーが高くて、くどいものが多くて大変でした。ミールプランの食事に飽きた私たちは、近くのレストランへよく通いました。タイ料理のお店とハワイ料理のお店が、私たちのお気に入りでした。今、そのお店のご飯がとても恋しいです。
それに、やはりルームメイトとの生活も、少し辛いものがありました。とても良い子だったのですが、家族以外の人と生活したことがなかった私にとって、他人と生活していくことは気を遣ってしまって大変でした。それでも、今では彼女がルームメイトでいてくれて、良かったと思っています。先日、彼女からのポストカードが届きました。近況を報告してくれて、嬉しかったです。彼女とは、これからも良い関係でいられたらいいなと思います。
そして、留学生活も残りわずかとなった頃、私は留学を延長することに決めました。延長しようと思った理由は、せっかく慣れて楽しくなってきた留学を終わらせたくなかったし、アメリカでもっと英語を学んで、色々な経験を積みたいと思ったからです。それに、新しくできた友達と、もっと一緒にいたいと思いました。私は延長して、本当に良かったと思います。
秋学期が終わって、春学期になるとクラスが変わり、レベルがあがりましたが、自分からどんどん発言できるようになっていきました。宿題やプレゼンテーションが増えて本当に大変でしたが、今思えばすごく充実していた毎日だったと思います。また、新しい留学生もやってきて、友達がたくさん増えました。
また、この留学では色々なところへ旅行に行って、たくさんの思い出ができました。ニューヨークやロサンゼルス、ディズニーランドなど、憧れだった場所に行けたことが、とても嬉しかったです。知らない土地で、初めて出会う人たちと生活していくのは、簡単なことではなかったし、辛いこともたくさんありました。ですが、その分この留学を通して、たくさん成長することができました。今までずっと日本で暮らしてきた私にとって、この留学は大きな決断でしたが、この人生においてかけがえのない時を過ごし、かけがえのない仲間に出会うことができました。この貴重な経験ができたことを、本当に誇りに思います。そしてまたいつか、アメリカの友人に会ってたくさんお話しできるように、これからも頑張って英語を勉強していきたいと思います。
2017年10月 4日
中期(延長)留学報告(パシフィク大学 今井 里咲)
留学を振り返って
私は2016年8月から12月までの中期留学の予定でしたが、さらに延長をして、2017年の5月までの約10か月間、アメリカのオレゴン州にあるパシフィック大学に留学してきました。私は初めての留学だったので、最初の頃は「授業についていけるか」、「友達はできるか」、「アメリカの文化に馴染めるか」など、とても不安でした。でも、実際に留学を体験してみると、とても楽しく貴重な経験ができました。
私は、留学先の大学で、ELIという留学生だけのクラスを受けました。そこでは、リーディング、スピーキング、リスニング、ライティング、グラマーなど、英語の授業を受けました。始めの頃は、先生の授業を聞く事だけで精一杯でした。授業は毎日あり、宿題も多かったです。私自身、あまり勉強しなくても、そこそこの点数を日本で取っていたので、余裕だなと思っていました。しかし、アメリカではテストもなかなか難しかったので、ちゃんと勉強しなければいけませんでした。私にとって、「こんなに勉強したのはいつだろう」ぐらい勉強しました。そのおかげか、毎日の授業への参加と、ルームメイト、ランゲージパートナーや現地でできた友だちと話しているうちに、少しずつですが英語が聞き取れるようになりました。英語を聞き取ることができるようになると、友だちとの会話もスムーズになり、楽しくなりました。
さらに、私は冬休みの授業がなくなったので、その留学先の大学のインターナショナルオフィスとメールボックスという所で約1か月間のインターンシップを経験することができました。そこでの指示や日常会話はすべて英語だったので、授業で使う英語とは違う、英語のスラングなどを教えてもらうことができました。その時、特に自分の英語能力が上がったなと、自分で感じました。そこで2学期目の授業を受けてみると、1学期目の授業に比べて授業内容も変わったのにも関わらず、普通に理解することができ、簡単だと思いました。この留学で英語力は、留学前よりも上がったと思います。
この留学で、アメリカの文化にも触れる機会がありました。1学期目の時は8月からスタートしたので、10月にはハローウィンのイベントに参加しました。私はアマゾンで、コウモリの着ぐるみを買いました。アメリカ人の友だちは、パンプキンやポケモンのイーブイなど、個性的な仮装をしていました。カフェテリアのご飯も、ハローウィンのメニューになりました。11月は、サンクスギビングデイがありました。私は、いつも仲良くしてくれる、アメリカ人の友だちの家に泊まりにいきました。その友だちのお母さんが、ターキー、マッシュポテト、パンプキンパイを作ってくれ、おいしいご飯を食べることができました。その次の日は、ブラックフライデーでした。ブラックフライデーは、どこのお店も安くなる日で、友達とヘッドホンやブランドのブーツなど、たくさんの物を買いました。12月はクリスマスのパーティーがあり、みんなで料理を作りました。久しぶりに、日本食も食べることができたので、とても良かったです。12月のカウントダウンも、アメリカですることができました。私はその時、テキサス州にいたので、そこで花火を見ました。さすが、アメリカだなと思ったのは、規模の大きさです。たくさんの人がいて、道は車と人でいっぱいでした。花火の量も多かったです。花火が上がったと同時に、叫びまわる人もたくさんいました。良い思い出になりました。
2学期目は、1月からでした。これといったアメリカのイベントはありませんでしたが、留学先の大学では、ハワイアンと言われるハワイ出身の学生が多く、その学生たちが中心となって行う「ルアウ」というイベントがありました。私は、ハワイの文化についてあまり知りませんでした。そのイベントで、同じハワイでも島によって踊りが違ったり、服装が違ったりすることが分かりました。更に、そこではマカダミアナッツやココナッツクッキー、パイナップルといった、ハワイの物を買うことができる所もありました。私は、たくさんのものを買いました。ハワイが大好きになりました。4月の後半には、ジャパンデーと呼ばれる、日本のイベントをする日がありました。私は、日本で流行っていた恋ダンスを踊りました。その練習は、週に1回のペースでありました。日本人もいましたが、外国人で踊りたいという人も多かったので、びっくりしました。最終日までミスがあったので少し心配でしたが、当日には成功したので良かったです。その日は、すし、てりやきチキン、やきそばなど、簡単な日本の食べ物を食べることができました。それに加えて、書道、華道、折り紙、コマ、着物、キャラクターすくいなどを体験できるところもありました。たくさんの学生が遊びに来ていて、とても楽しい1日になりました。
また、イベントとは別に、アメリカ人の友だちと、メキシコ人の友だちの家に遊びに行くことができました。アメリカ人の友だちの家は馬が2匹、犬1匹、猫1匹の動物が好きな家族でした。馬を育てるため田舎に住んでいたので、Wi-Fiもなかったので、連絡手段がないのが辛かったです。でも、アウトレットやクリスピークリームのドーナツ屋さんにも連れて行ってくれました。とても良い経験ができました。もう1人のメキシコ人の友だちの家に行った時は、その友達のお母さんがメキシコ料理を作ってくれました。メキシコ料理は学校のカフェテリアでありましたが、そんなにおいしくなかったので、好きではありませんでした。しかし、その友だちの家のメキシコ料理はとてもおいしく、好きになりました。今はあまり食べることができないので残念です。その友達の家族が、オレゴンで有名な滝とチューリップ畑に連れて行ってくれました。両方とも、車がないと遠くて行けない所だったので、良かったです。友達を作れて、その友達の家にも遊びに行けて良かったです。メキシコ人の友達は6月に日本に姉妹都市の交流プログラムのために来るので、日本案内をする予定です。早く、その友達に会いたいです。
私は、アメリカに行き、旅行にも行きました。ニューヨーク、ロサンゼルス、フロリダ、ヒューストン、シアトルなど、アメリカで有名な所に行くことができました。めったにアメリカには行けないと思うので、行けて良かったです。貴重な体験ができた留学だったと思います。