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2014年2月アーカイブ

雪の無い富山へ向かう
 2014年2月15日(土),18:00から「ANAクラウンプラザホテル富山」にて,名古屋学院大学同窓会富山支部の支部会がありました。それに,本学の学術情報センターの高橋公生課長(同窓会本部支部委員長)とともに参加してきました。同窓会の支部会に参加するのは,昨秋行われた関東支部会に続いて2回目です。
 名古屋駅を午後2時21分発の新幹線で米原まで行き,米原で「しらさぎ」に乗り継いで富山駅に向かいます。前日(14日,金)の名古屋は,先週末の再来かと思わせるような大量の雪。テレビのニュースは,東京都心で45年ぶりの大雪と報じていました。富山はさぞ大雪と厳しい寒さに違いない,と覚悟して普段より一枚多く重ね着をして出かけました。
 富山駅到着は,予定より約10分遅れの5時40分。着いてみると,予想に反して雪が無い。小雨が降っているだけです。雪が無いのは,富山までやってくる道中でも判りました。北陸線の武生駅あたりは確かに相当の雪が残っているのですが,金沢以降は,雪かき後の雪が道路端に残っている程度で,目立った雪景色はありません。少し拍子抜け。各地から雪の便りが満載なのに,「今年の富山は雪が少ない」そうです。なにはともあれ,寒さに震えないで済みました。助かったぁ~。

富山支部支部会にて
 さて,同窓会富山支部の支部会です。支部長の正村さんをはじめ,何人かの方々とは以前にもお目にかかっていました。それは2009年のことで,金沢の都ホテルで名古屋学院大学展が開催され,その折に石川支部の支部会がありました。当時,私は経済学部長の立場でこれらの会合に参加させて頂きました。
 今回の会合には,富山支部からは正村弘之支部長や小山民夫顧問はじめ14名,石川支部からも柿谷政信支部長はじめ8名の方々が参加されていました。つまり,富山と石川の合同会合の様相です。正村支部長の開会挨拶で始まった会合は,直ぐにあっちこっちで談笑の渦となり,あっという間に2時間が経過していきました。
 最後は,「希望はばたく」を合唱して閉会です。いつからか大学の式典では歌われなくなりましたが,「希望はばたく」は名古屋学院の校歌です。名古屋中学・高校の式典では今でも歌われています。私自身は,名古屋中学・名古屋高校の入学式や卒業式そして同窓会(敬愛同窓会)総会といった式典に幾度か参加しているうちに,この歌を覚えてしまいました。
 2次会は,ホテルの19階にあるスカイラウンジが予約されていました。眼下に富山市街の夜景を眺め,ほろ酔い加減でいい気分。その2次会も10時近くにお開きになり,私はそこで暇を告げました。高橋課長がどこまで付き合ったかは知りません。翌日10時までというレストランの朝食時間には顔を見せませんでしたから,きっと富山の美味しい酒をたっぷり堪能したに違いないと想います。
 「ANAクラウンプラザホテル富山」には,山崎さん(90E)と川尻さん(97F)という二人の本学OBが勤務されていました。彼らのご配慮もあって,宴席・宿泊ともに快適に過ごすことができました。どうもありがとうございました。多謝。

大学の思い出とは
 何人かのOBの方々と親しく懇談するなかで,大学の思い出話に共通点があることに気がつきました。それは,クラブ活動あるいは寮生活といった学生同士の共通体験です。授業や教員の話はほとんど出てきません。富山支部では野球部OBが複数いらして,野球部は70年代末に愛知大学リーグを代表して神宮球場に行きました,今の野球部はどうですか? 友愛寮(現在の合宿所・友愛)では朝食前に聖書朗読とお祈りの時間があり,あれは貴重な体験でした,など。
 高校と違って大学では,クラス単位の活動は希薄です。高校までは,体育祭,文化祭,修学旅行などクラスの仲間が団結して臨む共通体験が多々あります。しかし,大学ではクラスといってもせいぜいゼミナールか語学の授業,それも週に1回程度です。そのため,合宿やコンパがあったとしても,授業だけでは学生同士が親密な人的関係を結ぶには十分な時間ではないのでしょう。
 これに対し,クラブ活動や寮生活は,秘密めいた出来事も含め豊富な共通体験を得やすい場です。そして,学生同士が濃密な人間関係を形成していくのでしょう。それが後年,強烈な印象とともに懐かしい思い出として心に残る。現在では,アルバイト先や留学先での苦労話が,仲間と分かち合う強烈な共通体験となるのかもしれません。

北陸は名古屋から遠くなる?
 名古屋学院大学にとって,富山・石川・福井の北陸3県を出身とする学生たちが,かつては相当数いたように思います。それが近年,漸減傾向をたどっているようです。この傾向は,本学にとどまらず,愛知県下にある他の大学でも同じようです。どうしてでしょうか?
 この原因を富山のOBの方々に聞いてみると,最近の富山の学生は地元か関東に目が向いているらしい,とのことです。以前に比べたら地元にも大学が増え,どうせ地元で就職するなら地元の大学で,という傾向もあるようです。
さらに看過できない話題は北陸新幹線です。北陸新幹線は,来年3月に長野―富山―金沢間が開通し,東京まで直行できるようになります。これを利用すれば,富山から東京までの所要時間は2時間07分。現在の富山―名古屋間のそれが3時間10分ですから,1時間も短くて済むわけです。北陸の人達にしてみれば,「東京は近く,名古屋は遠い」と感じるに違いありません。
「全ての道はローマに通ず」ではありませんが,「全ての道は東京に通ず」。高速鉄道の接続によって,東京一極集中がさらに加速されそうです。それは2027年の「リニア中央新幹線」ができた後の名古屋が,北陸と同じように東京に吸い取られてしまう姿を暗示しているのかもしれません。
 そうならないためには,どうするか。ここが思案のしどころ,知恵の出しどころです。地域の時代と言われて久しいものの,現実は東京一極集中です。この傾向を打破するにはどうしたら良いのでしょうか? 中京都構想かなぁ,道州制かなぁ~? そんなことを考えながら,帰りの車中で「カニ飯弁当」を食べました。富山の皆さん,お世話になりました。ありがとうございました。

 2014年2月8日(土),午後1時半~4時半で,瀬戸地域版の「地(知)の拠点整備事業」キックオフ・フォーラムを瀬戸市「瀬戸蔵」4階多目的ホールで開催しました。当日は,太平洋岸で40年ぶりとか70年ぶりとかいう積雪量を記録した大荒れの空模様でした。開会を待つ控室から窓の外を見ると,あたりは横殴りの吹雪。
 「こんな悪天候では,参加予定の人たちも,今日はお休み,となるだろうな」。空席だらけの会場では,講演者・パネリストに申し訳ないなぁ。ところが,会場となる多目的ホールを覗くと,開会時間前にほぼ満席。嬉しい誤算でした。100名を越える熱心な参加者を得てキックオフ・フォーラムが始まりました。

フォーラムの様子
 開会の挨拶は,急遽,参加となった増岡・瀬戸市長にもして頂きました。本学と若い学生たちの力に期待している,とのお言葉を頂戴しました。
 第一部の基調講演は,今回も東海テレビ・アナウンサーの高井一(はじめ)さんにお願いしました。演題は「地域の宝をまちづくりに生かす」。名古屋キャンパスでの講演(1月11日)後に,事前取材のために自ら瀬戸を歩き,この講演に臨んだそうです。確かに新たな映像が加わり,パワーポイントの画面も進化していました。名実ともに「地域の宝さがし」のプロです。これからは,高井さんを「リージョナル・トレジャー・ハンター」と呼ぶことにしましょう。
 第二部のパネルディスカッションでは,「地域の現状とまちづくりの課題」,「瀬戸市のまちの宝とは」といったテーマで討論が行われました。司会は曽我良成教授,パネリストは次の方々です。
    山田真司さん (瀬戸市交流活力部部長)
    水野教雄さん (陶芸作家)
    鈴木政成さん (中外陶園代表取締役,瀬戸まるっとミュージアム観光協会会長)
    後藤昭子さん (瀬戸市市民活動センター)
    木船久雄   
 山田さんからは,行政の立場から瀬戸市が目指す「自立し助けあって市民が力を発揮している社会」への取組みとともに,「お雛めぐり」「陶祖800年祭」「ハイキングツアー」など観光事業の一端を紹介して頂きました。
 鈴木さんからは,観光協会会長の立場から,まるっとミュージアムのほか,「招き猫祭り」「瀬戸アトリエ参道」「瀬戸めし広場」など各種イベントの説明に加えて,「他所者の力」必要としているという発言を頂きました。
 陶芸作家の水野さんからは,仲洞町にある「窯垣の小径」が観光拠点になった経緯や,まち興しの「できることは何でも村の住民でやる」精神の話を伺いました。
 後藤さんからは,市民活動の現状を紹介して頂きました。人口13万人の瀬戸市に,登録市民グループが221団体,1万人以上が参加しているそうです。活発な市民活動は,2005年の愛知万博のソフト面での遺産とも言えるようです。
 フロアに居た高井さんから「瀬戸の宝である瀬戸物を生かすには,もっと使い手の視点にたった工夫や仕掛けが必要ではないか」との意見が出され,しばし瀬戸物や観光振興に関する論議に花が咲きました。
 予定時間を30分以上も延長して,パネルディスカッションは終了しました。
 閉会の辞は,本学理事長の稲垣隆司が行いました。主催者を代表して,今回のフォーラムへの登壇者および参加者へのお礼とともに行政や住民の方々へ今後のご支援をお願いしました。

懇親会で―瀬戸物の今―
 夕方5時過ぎから,フォーラム登壇者への慰労を兼ねて懇親会を行いしました。そこで,たまたま私の右隣に座った鈴木さんから瀬戸物産業の現状について大変興味深いお話を伺いました。少し淋しい気もしますが,冷徹な現実を知らされた思いです。
 それは,日本の陶磁器産業に留まらず,世界の有名陶磁器企業も惨憺たる状況にある,今や,多くの企業が経営不振で金融資本の軍門に下っている,ということです。あのウェッジウッドもロイヤルドルトンも,ロイヤルコペンハーゲンさえも・・・。かつて,こうした欧州の王室御用達ブランドの食器類は,結婚し真新しい食器棚を据えた時,そこに飾り皿として並べておきたい品々でした。実際,我が家でも幾つかの絵皿やコーヒーカップを買い揃え,未使用のまま食器棚の絵になっています。
 調べてみると,ウェッジウッドは2009年に経営破綻し,ロイヤルドルトンやウォーターフッド・クリスタルとともにWWRD持株会社の傘下に入っています。このWWRD持株会社の親会社はKPSキャピタルパートナーズという投資会社です。また,ロイヤルコペンハーゲンは,金融持株会社のRoyal Scandinavia社に買収され,Royal Scandinavia社の筆頭株主(51%)は投資会社のAxel社です。一流有名ブランドたりとて,企業が生き延び続けることは大変なことなのだ,と改めて知らされました。
 鈴木さんの解説では,後発とはいえ日本が先進諸国に仲間入りした頃,日本人は所得増加に合わせて高級陶磁器を買い揃えてきた。ところが,現在の新興国の人達はそういう嗜好にない。だから,一流ブランドを持つ陶磁器会社も商売環境は厳しい。身売りを繰り返しながらブランドを継いでいくことになる,というのです。
 しかし,考えてみると,こうした現象は何も陶磁器産業に限ったことではないように思います。イブサンローランやカルティエ,ルイヴィトンといった有名ブランドが次々と買収対象にされてきたファッション業界。モノづくりの製造業でも似た話はたくさんあります。パナソニックに吸収される家電メーカーのサンヨー。自動車業界では,世界大で資本提携や共同開発・生産などが進められてきました。金融業界だってそうです。日本の都市銀行で,私が子供の頃と同じ名前を使っている銀行は今や一つもありません。
 企業経営には,社会の変化に合わせた迅速な対応が不可欠で,変わることを恐れてはいけない。変化し続けること,それが持続可能な組織や経営なのだろうな,と考えさせられた次第です。
 夜8時過ぎ,懇親会はお開き。既に吹雪は収まっていましたが,歩道には雪が残っています。転ばないよう,気を付けて帰ろう。