2015年6月アーカイブ

★Bridge★No.19 赤楚 治之 先生

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学生さんと先生を繋ぐ連続企画★Bridge★、今回の先生は・・・

 


外国語学部 赤楚 治之 先生です。

 


先生は、2015年現在、学生部長であるとともに、「英語学概論1」

「英語学講義1」などの科目を担当されています。


それでは、先生の思いをご紹介★

赤楚先生の素敵な大阪弁を想像しながら読んでいただけると嬉しいです!

 

 どんな思いをもって、授業(ゼミ)に臨まれていますか? 


「大学生は頭を鍛える」―― 高校までの暗記中心の勉強やなくて、

「クリエイティブ」になるということやねん。

そう言うたらちょっと大げさなイメージを持つかもしれへんけれど、

要は "自分でものを考えていく力" を身に付けること――

これが、僕がゼミも含めた全ての授業で念頭においていることやねん。


よう授業でも言うんやけど、「人間」って、その誕生から長い時間かけて、

「知」を広げて文明や文化を築いてきたやん。


たとえば、「火」

火は、最初は神が創るもので、はじめの人間たちはどないして火(火事)

が起きるかなんかわかれへんかった。つまり、当時の人間の「知」をこう

表すと(下図)、「火」「知」の外にあったちゅうことやろ。


知と未知.JPGでも、今じゃ、「火」についての知識は十分わかってて、人間は自由に「火」

作ることができるようになってるやん。

それは、「知」の領域を広げていく中で、「火」はこの「知」の中に入って

いったわけやな。


そんな「知」の広がりの積み重ねが、科学の進展とか、人間の理解の進展

になってきたわけやねん。


広がる知.JPG

この「知」の部分はいままでかなり広範囲に広がってきたんやけど、それでも

やっぱりその外側の部分(=未知の領域)って、21世紀の今になっても

存在してるんや。

高校までは、分かっていること (つまり、「知」の領域) を学ぶ"勉強" 

やってきたわけやけど、大学生にとって大事なことは、そういった未知の部分

に足を踏み出すことやねん。


それは「勉強」やなくて、"研究" と呼ばれる行為やねん。

 


今ここでは、学問的な側面で話をしたけど、これは学問の世界だけの話やないで。

日常生活でも、会社に入っても、どんな局面においても、

人生って未知のいろいろな問題に出会っていくやろ。

そんな時に大事なんは、自分の頭で解決策を探っていくちゅーことやねん。

大学の時に、その大切さを学んでほしいなって、いつも思ってるんや。



何でも、「枠からはみ出して、新しいものを作っていくぜ!」っていう、

心をもっている若者って、見てて気持ちええやんか

未知の部分に飛び込んで、「面白い」ことにチャレンジする、そんな力が

「若さ」やん。


そんな学生を育てたいというか、成長の"きっかけ"を与えることが、

教師としての僕が目指していることやねん。

(せやから教師って職業は面白いねん。)

 

言い方換えたら、夢をもってほしいちゅーことや。

夢ができたら、どうしたらその夢リアライズ(現実化)できるか とか、

今の自分の力がココやったら、さらに高みに行くにはどうしたらいいんや、

そんなこと考えるやろ、頭働かせんとあかんやろ。


せやから、学生には、

大学で夢を見つけて、自分を広げる4年間を送ってもらいたい 

そう思ってんねん。

 

 

 

先生の授業・ゼミのスタイル


毎回の授業は、テクニカルな部分があるんやけど、そのテクニカルな部分

覚えろと言うんやなくて、その元になっている、「未知」の部分に切り

込んで行った視点(「クリエイティビティ」)の大切さというものを、学

生に分かってもらうのを目指してるんや。

 

例えば、「英語学講義1」の授業では、 "僕らの先人は、ヒトの脳内文法

にどのようにメスを入れていったのか"という認知科学の研究の歴史を学生

たちに追体験してもらうねん。


「英語学講義1」は90分の講義科目だけれど、集中力はそんなに長くもて

へんから、二部制に分けて、単調にやらないように工夫してんねん。

前半は、いわゆる和文英作で英語のスキルをあげることを勉強をして、

後半で、講義をやるんや。


講義って言っても、絶対に一方通行にならへんように、学生の反応にいつも

アンテナ張りながら、すすめてるで。


教え込んで学生に問題を解かせる、いわゆる「勉強」の部分もあるんやけど、

それよりも、先人がどのようにしてヒトの言語の解明に迫っていったのか、

とか、なんで今こんなことをやっているのかを全体の流れの中から見失わさん

ようにするのが腕の見せ所やねん。

 

見た目もそやけど、授業に集中させるタイプなんで、イメージがコワイとか

言われんねん(笑) 

せやから、逆に委縮させへんよう気を使ってるで。

若い時は、年齢も近いので、それだけで自然と緊張緩和になるんけど、

年齢が上がってくると、若い学生たちに教えるのはチャレンジングやなって

思うときも正直あるで。

いかに、若い時と同じように、学生たちと接することができるか。

これが僕の課題やな。

 

ゼミの時間も同じで、自分の頭で考えて、問題に切り込んでいくことが

できたら、僕のゼミでは合格や。

その為には、自分のエネルギーを注ぐものをしっかりと分かっとかなあかんよね。

嫌々卒業論文を書かなあかんと思ったら、頭働けへんし。

"好きこそものの上手なれ"で、自分が「コレやってみたい!」と思えるものが

見つかったら、「もっと良いものを出したいな」とか、「一度こうしてやって

みようかな」とか、頭が働くやろ。


学生はみんなひとりひとり、色々な考えを持ってるし、自分の関心のあること

や好きなことやったら、やっぱり一生懸命、いわゆる「勉強」できるんや。

そうして勉強すると、「ここまでは分かってる」「ここからは分かってない」

っていうことが自分でもわかってくるから、そこから未知の領域に踏み込んで

いくことができるねん。

「こういう問題がある、この問題を解くには、こうやったらええんちゃうか」

って、とりあえず自分でやってみるねん。うまくいく場合もあるし、あかん

場合もあるよ。

そういった試行錯誤をしながら頭のシナプス、ネットワークを広げていくんや

そのようなやり方って大学生にとってはめちゃ重要なことなんや


学生によって到達レベルは違うんやけども、みんなをその段階にもっていく

っていうのが、僕の目標やねん。

そのためには、問題意識を持ちながら大学生活を送るということやな。

問題意識は、何もアカデミックなことである必要はないんや。

人生のことでも、趣味のことでも、興味あることやったらなんでもかまへんのや。

 


今年で勤めて27年になるけど、やっぱ名古屋学院大学ってホンマに優れた大学や

思てる。

学生は、素直で、打てば響くからな。 

"伸び代"が大きい学生いっぱいおるで。

その伸び代を無駄にせんように、ちょっとでも動機や刺激を与えて、充実した

4年間を過ごして社会に出てもらうのが、教員の役割や。

しかもここの大学にはそう考えてる先生いっぱいおるもんな。

せやから、学生のみんなも名古屋学院大学を誇りに思ってほしい思ってんねん。

名古屋学院大学出てホンマによかったって言ってくれる卒業生たくさん見てきた

けど、みんなにもそう感じてほしいんや。


最後に一言。


みんなひとりひとりが誰にも負けへん宝もの持ってるんや。

あきらめたらあかんで。

夢、見つけや。

 

■ 先生のお薦め本 

 

     赤楚先生から学生さんに今、一番お薦めの本は・・・

IMG_8492.jpg

     『アメリカ』

     北村 崇郎 著  筑摩書房

著者は、既にお亡くなりになっていますが、本学で教鞭をとっていた北村先生のご著書です。

本学に外国語学部が開設された際、信頼のおける留学先を開拓するために、各地を奔走して

下さったのだそうです。

非常にユニークな先生で、その先生が"アメリカをよく知っている日本人"として書かれたのが

本書なのだとか。

世界の出来事や歴史、これから留学を考えている学生さんには、この本を是非にとのことで、

お薦めいただきました。


絶版になっている本ですが、本学の大学図書館にありますので、是非手にとってみて下さいね。

 

 今日の一枚 


         今日の一枚は "先生の宝物"!

IMG_8495.jpg

   『Hey!Say! JUMP の4/ 29発売の新曲シングル(サイン入り)』

このアルバムの中の「我 I Need You」という曲、なんと先生の甥っ子さんが

作詞作曲・編曲されているそうです。

よーく見てください、(甥っ子さんの)サイン入りなのですよ★

先生のお話にあったような、自分の夢を持って行動している方のお1人ですね。


※  ※  ※


自分の世界を広げたい学生さんは、是非、先生の研究室を訪ねてみて下さいね。

 

チョッパー子

今回は、前回の★Bridge★でご紹介した

飯島滋明先生の「平和学入門」の授業にお邪魔してきました!

 

「平和学入門」は、平和にかかわるさまざまな問題を紹介し、

学生の皆さんなりの考え方を身につけてもらうことを目標とした授業です。

 


本日の講義のテーマは、

『「ヒロシマ」「ナガサキ」と原子爆弾投下』



初めに、「ヒロシマ」「ナガサキ」に投下された原子爆弾についての映像資料を視聴しま

した。

原子爆弾に関する資料映像は、日本で生まれ育った人ならば、一度は目にしたことがあるの

ではないかと思いますが、いつ見ても胸がしめつけられ、戦争の恐ろしさを感じます。

 

映像資料のあとは、いよいよ、講義です。


IMG_8258.jpg


講義は、「第2次世界大戦(1939年)が始まった時には、日本はすでに戦争状態だった」

というところから始まりました。

満洲事変、日中戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争、戦争の状況の変化から原爆投下、

ポツダム宣言受諾まで、アジア・太平洋戦争のながれを復習しながらも、具体的な数字や

例・逸話に資料などを交え多角的な視点から当時の事情がひもとかれていきます。


※1「シュウ」の字は、現在、歴史の専門家の間では、「洲」を使うことが多いそうです。ここでは、教科書で習った歴史は、不変ではないのだということも学びました。)


    ※  ※  ※


さて、ここからは、授業の内容に少し触れながら、チョッパー子が見つけた、

先生の授業の工夫を5つほどご紹介していきます★

 


<工夫①>資料の活用


授業では、アジア・太平洋戦争の流れをまとめたものと、それに関する資料が配布されました。


資料には、国連人権理事会の資料室に掲載されているパネル(一部)の画像を印刷したもの

があり、世界的に見ると、「1931年9月、日本軍が中国の満洲地方を宣戦布告なしに侵略

する」と記されていることが分かります。

 

また、タイの「死の鉄道博物館・調査センター」掲示の"Japan Invades Asia"のマップ

からは、日本がいかに広範囲の国々に侵攻していったかが分かります。

 

IMG_8262.jpg


配布資料とは別に、真珠湾攻撃に関する資料として、先生は、当時のアメリカの新聞を見せて下さいました。


ハワイといえば、人気リゾート地ですが、現在でも海軍基地に行くと、当時の新聞などが買えるそうです。


先生が見せて下さった新聞には、"WAR DECLARED "と大きく見出しがありました。記事は、3千人が日本の攻撃により亡くなる、といった内容だということです。

 

こういった海外の資料は、戦争を色々な視点から見ることに役立ちますね!

 


<工夫その②>私見を交えない話し方


先生の授業では、"先生の私見"がほとんど出て来ません。


起こった出来事や、その理由、具体的な数字などの積み重ねで話が構成されており、

「私は~と思う」という先生の私見が極力取り除かれているのです。


学生のみなさんは、終わりに、今日の授業の内容をレスポンスシートに5行以上でまとめた

上で、私見を書きます。


チョッパー子には、学生さんたちの私見に及ぼす影響を極力抑え、自らの意見を大切にして

もらうための工夫に感じられました。


注:このブログ記事はチョッパー子の私見満載です。

   その点に留意して読み進めて下さい。)

 


<工夫その③>具体的な数字や例を示す


前回の★Bridge★内でお話がありましたが、飯島先生のお話は、非常に具体的す。


例えば、原爆の威力についてのお話では、以下のような説明がありました。

 

4000℃の熱って、想像できますか?

 広島に投下された原子爆弾では、4000℃の熱が、3040秒続きました。

(広島の被害状況を大学で置き換え、この教室に原子爆弾が投下されたとすると)

 距離的には大学から金山駅くらいまでは何も残らない状況でした

 一面焼け野原ですね。」

 

他にも、空襲に関することだけでも、こんなに具体的な数字が使われていました↓

 

「東京大空襲ではわずか2時間の爆撃で10万人死亡、100万人が家を失いました。

 それまでの戦争で、時間の戦闘で10万人死んだ例はありません。」


「日本の66都市が空爆を受け、名古屋では、8千人ほどの人が亡くなっています。」


「名古屋を含む、模擬爆弾(いわゆるパンプキン爆弾)による原爆投下実験が30都市

 行われました。」


「沖縄上陸戦では、20万人が亡くなりました。

 民間人が約94千人含まれているといわれています。」


「長崎では、194512月までに、73千人の方が、亡くなったと言われています。」

 

具体的な数字や、知っている場所に置き換えることで、イメージの手助けになりますし、

記憶に残り易くなりますよね。

 

IMG_8272.jpg

 


<工夫その④>Q&A方式で要点を整理


先生は、まず疑問を投げかけてから、内容を解説する、という順番で話されることが

多かったです。

 

例えば・・・


ポツダム宣言は、なぜポツダムで行われたのでしょうか?

 ポツダムって、どこかわかりますか?

 ポツダムは、ドイツの都市で、しかも軍事都市だったのです

 "ドイツはもう降伏しているんだぞ、日本も降伏しろよ"という意図を含ませて、

 わざとドイツで開催したんですね。」

 

他にも、

・なぜ日本は、絶望的な状況にありながら、なかなかポツダム宣言を受諾しなかったのか?

⇒「今降伏したら、天皇が殺されるかもしれない!」との考えから、降伏しなかった。

 

・広島・長崎に投下された原子爆弾の威力は、どちらが大きかったのか?

⇒投下された原子爆弾の名前:  広島:リトルボーイ  長崎:ファットマン

 名前からも想像できる通り、持っている威力は長崎の方が大きかった。

 

・なぜ原爆が投下されたのは、広島と長崎だったのか?

⇒第1目標は広島だった。これはアメリカ人の捕虜が居ないとされていたからであり、

 また、中国地方最大の軍事都市であったから。

 第2目標は九州の小倉だったが、この日、小倉には雲が多く、爆弾が投下できなかった。

 飛行時間にも制限がある為、第3目標である長崎へ向かったものの、こちらも雲が多かった。

 しかし、雲の切れ目が一瞬できたことから、そこに爆弾を投下した。

 なので、広島はほぼ狙った場所に投下できたが、長崎は市の中心地からかなり離れた

 場所になった。原子爆弾を投下した飛行機は、燃料が残りわずかであったため、沖縄に

 着陸した。

 

このように、

「押さえておきたいところ」が初めに問われて明確だと、話が頭に入り易くなり、

流れがおさえやすくなりますね!

 

 

<工夫その⑤>今日の授業は、次に繋がる


授業中に、そこここで使われるフレーズがあります。

そのフレーズは、こんな風に使われます↓↓

 

「・・・日本が唯一のヒバク※2国という言い方は正しくありません。当時広島の人口は

 約35万人でしたが、広島への原子爆弾投下で、194512月までに亡くなったのは、

 朝鮮人韓国人約2万人を含む、約14万人とも言われています。

 なぜこんなに朝鮮人韓国人が広島にいたのか?

 それは今後授業で話します。」

 


きゃー!


先生、その話、そこで終るのは殺生というものです!


唯一のヒバク国じゃないって、どういうことですか...!?

どうして?

どうして広島には、当時そんなに多くの外国人がいたのですか?


続きが聞きたい...!


他にも、授業のそこここで、「詳しくは次回」「今後」のお話が沢山

これは、授業を欠席するわけにいきません。

千夜一夜物語ではありませんが、次回を期待させる工夫のひとつかと思います。

 

※2原子爆弾投下など、戦争行為の際には「被爆」という漢字を、

  原子力発電の事故などの際には「被曝」という漢字を、

  両者を合わせた場合には「ヒバク」と表記されることが多くあります。)


     ※  ※  ※


授業にお邪魔してみて、飯島先生の授業は、興味深くあっという間に惹きこまれ、なおかつ

考えさせられるものでした。履修者250人を超える授業であるにも関わらず、響くのは先生

の声のみ。学生さんはみんな、話に聞き入っていました。

チョッパー子も、叶うことなら、毎週逃さず聴講したいくらいです。


そのチャンスがあるのは、他でもない、このブログを読んでくれている学生の皆さん、

あなたたちです!

まだ先生の授業を受けたことのない学生の皆さん、是非、

飯島先生の「平和学入門」を履修してみてくださいね。

 

チョッパー子

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