2009年10月アーカイブ

残り7か月です。思えば日本にいた頃はあんなに刺激を求めていたのに、アメリカに来てみたらあまりの刺激の強さに怯んでいました。情けない!もう羞恥心や自尊心など捨て払って戦いたいのになかなかうまくいきません。いつまでも下らない自尊心にこだわっているのなら、きっと僕はその程度って事でしょう。わかっているのに脳に染み着いた思考パターンを矯正するのは至難の業です。しかし恐怖心はほぼ抑制出来ています。チャーリーチャップリンのおかげです。「そうだ。人生は素晴らしい、恐怖心さえ持たなければ。大切なのは勇気と想像力だ」という言葉を毎朝胸に刻んでいますから。逃げはしません、しかし自尊心を守ろうとしてその先へ行けません。常に意識していないと。

 英語の方の成長はいかがなものでしょうか。率直に言えばすごく不満足です。目標達成率が100%だとしたら、まだ5%に達していれば良い方です。特にスピーキングは、表現力のなさを痛感する機会がそれはそれは多いこと。簡単な言葉で逃げるのは卒業したいのです。それ故、語彙と慣用語句の量がまったく不足しているので毎日、言いたかったけれど言えなかったことや、聞き取れたけど意味がわからなかった事を一日の終わりに寮に戻ってから確認するのが日課です。

そういえば、最近、リスニングに変化が表れています。今までは英語を聞いても何を言っているか早すぎて聞き取れなかったのですが、最近はアメリカ人の言っている言葉が聞き取れるけれどその言葉の中の単語や熟語の意味がわからないという不可解な現象がよく起きています。CNNのニュースも同様に言葉は聞き取れるのですが意味を知らない単語が多いな、と感じる日々です。もっとも今でも短いいくつかの単語がリエゾンしている音は苦手です。かなり聞き取れません。

 英語以外の面では成長、ないし変化しているかもしれません。感性は特に。なんせ初めてばかりですから。ただ、自分の中につっかえ棒があって、なかなかそれが外れないような感覚によく襲われます。本当の自分がしたいのはこうじゃない、と。つっかえ棒は自尊心か羞恥心もしくは両方。それと日本人や日本語を話したがるアメリカ人で集まるのは頂けません。居心地はいいですが。なので自分を甘やかすのはもうやめにします。

あっという間の10月。折り返し地点に到達した!!!

 

10月は頭にジャパニーズナイトがあり忙しかった。このジャパニーズナイト、台風の影響で宣伝ができず観客が来ないことが懸念されていたが、たくさんの人が訪れた。何よりもうれしかったことが、アテネオ・デ・マニラ大学(NGUと協定校のフィリピン名門私立大学)の友達が十数人来てくれたことだ。アテネオ大学で知り合った日本人の方々からもたくさんいい刺激をいただいている。フィリピン大学とアテネオ大学のフィリピン人も違うが、両大学にいる日本人もまた違うような気がする。たくさんの人に出逢え、たくさんの刺激を頂けることは本当にすてきなことだ。

このイベントで私は照明音響担当だった。イベント当日レンタルショップは一人の男性をずっと居させてくれた。だが雇っている側と雇われている側の彼らは見ているだけでも感じ取れる格差があった。イベントが終わってから彼の所に終わったことを伝えに行くと私が発する前にMom, I’m hungly. と言われた。物乞いも売り子もたくさんいるが、それでも私達が借りた照明器具を見守るために来てくれた方、いつも以上に身近に感じたような気がする。その日は観客用のカレーを御馳走することができたが、魚をあげるより、魚の釣り方を教えなければならない。かといって彼は仕事を得ながらも満足な食にはあり付けないのだろう。開発の学部でよく問題になる話だろうが、100年以上続く名門アテネオ大学、フィリピン大学が立地する中、何も変わらないと言われ続けるのは文化や性格のためだけなのだろうか。

 

 ファイナルペーパーはENG1の授業で3~5枚、台風ONDOYについて。ENG10 では3~5枚のreaction paperとdefinicion paper, 15~20枚のconcept paperを提出した。私の受けたクラスは最終のスピーチやプレゼンはなかったが、他のクラスはあり、また違った忙しさのようだった。ペーパーをもっとうまくかけるようになりたいが、最初の頃に提出したものよりもまともになったと感じた。教授たちにも本当に感謝だ。何度も間違いを繰り返していたけど、それでも最後まで私をクラスにおていくれたし、フィリピン人と対等に接してくれた。クラスで円をつくり話し合った時も理解しようと、してくれている様子が伝わり本当にうれしかった。

 明日は後期の仮登録、先週来たNGUの先輩とシラバスを見てきたが、フィリピン大学は本当にたくさんの授業があり、決めるのに一苦労だ。興味や関心だけではついて行くことが難しい分、少しでもよい刺激や学びが得られるようモチベーションを高く持ちたい。

 セメスターブレイクは多くのことを、特にフィリピン語をもう少し学べるよう取り組む。フィリピンでは幼稚園から英語教育が始まるそうだが、数学や理科、所謂国語(フィリピン語)以外の授業の教科書や講義は英語で行うことが多いと教えてもらった。後期中に幼稚園や小学校を見学させてもらう。たくさんの状況を活かして多くのことを感じたい。

 

 

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1ヵ月遅れの9月。
10月に、寮で行われる日本人主催のお祭りのためとても忙しい月となった。
寮のイベント事だけではない、9月はファイナルペーパーが多く、少し息苦しい月だった。
ファイナルペーパーを教授室まで取りに行った時、普段話す機会があまりなかったクラスメートと話すことができた。私がフィリピンを留学先に選び、さらにはアテネオ大学ではなくフィリピン大学を選んだことを話すと、すごく喜んでいた。自大学フィリピン大学をとても誇りに思っている。すごくかっこいい。まだ日本でいう高校2年生の年なのに本当にしっかりしているし輝いているように感じる。フィリピン語を話せない、またはそれと混ざって英語を使っているフィリピン人を「コニョ」というようだが格差もあれば偏見のようなものもあるような気がした。コニョだけでなくフィリピン語の多くの階級(正しいニュアンスか定かではない)やその間のフィリピン人の感覚を知りたい。


9月の一番の衝撃的な出来事は台風ONDOYによる被害だ。フィリピン大学はマニラにおいてもケソン州という少し高い位置にあるため台風が過ぎてからのニュースでONDOYのことを知ることになった。開発の学部と一緒に政府の社会福祉省のようなところに行ってお米と缶のパッキング作業を行った。直撃した次の日から、寮ではドネイションボックスが置かれ、多くの服や非常食が入っていた。フィリピンのマーケットを占めるモールにも大きなドネイションボックスが設置されていたし、連日各地の教会で援助品の配布や普及作業のボランティアが行われていた。キリスト教徒が多く占めることを改めて感じた気がする。今回こんなにも被害が広がったのはフィリピンのポジティブな文化が影響するとあるフィリピン人が言っていた。いつもはそんなに水がこない、大丈夫。政府は避難するように言っているが、隣人も家にいるし、問題ない。神様が守ってくれるだろう。また、ゴミが街中に散らばっているため、下水道が詰まり水が処理しきれなかった。さらに、フィリピンだけの問題ではないが、近年の急激な地球温暖化による異常気象の側面もある。フィリピンの伝統的な乗り物であるジープは毎日まっくろな排気ガスをだし人々を運んでいる。排気ガスにより遠方が見えないこともしばしばある。
雨季には毎週のように訪れる台風を、フィリピン人は毎年体験している。これからも続くし、異常気象によりさらに大きな台風や災害が起こることも予測される。多くの教訓を生かした対策が実行されることを期待する。

 

 

私は今現在、アメリカ・テネシー州にあるメンフィス大学へ中期留学中です。

毎日が充実しているので、もう1ヶ月半経つとは思えないほど時間が経つのが早く感じています。

日本からの出発時にVISAと航空券の帰国日が合っておらず、チェックインに時間がかかってしまい危うく飛行機に乗り遅れるところでした。。。事前確認は本当に大事です・・・!それ以降は大事件もなく、時間通り無事にメンフィスに到着しました。5人で行ったのでとても心強かったです。

アメリカは知らない人でも目が合ったら笑顔で挨拶をしてくれるし、ドアも次の人のために開けて待っていてくれて、何かを買うと店員さんが必ず最後に”良い1日を!”と言ってくれるので、最初の頃はそれが新鮮でとても感激でした。

メンフィス大学は、空港が近く、周辺は緑が豊かな住宅地です。メンフィス=治安が悪いと思いこんでいたのですが、想像と違っていたので安心しました。ただダウンタウンは危ないそうなので、一人で町を歩く事はなるべく避けるようにしています。スーパーもレストランも車で数10分なので、割と便利だと思います。メンフィス大学は日本語学科やJCCという日本文化クラブがあります。名古屋学院にも留学をした人もたくさんいて、ペラペラに喋れる生徒も多いので、ついつい甘えて英語を喋らなくなってしまう日もあります。。。

私の寮は大学の隣に立地しており、40人程が住めるアパートメントタイプで、4人共同で生活しているので寂しくないし、個室がそれぞれあるのでプライバシーも守れるし、バスルームもキッチンも綺麗です。2人のアメリカ人生徒と先生1人が私のルームメイトで、みんなすごく良い人たちなのでトラブルもないし快適に暮らしています!

私はIEI(Intensive English for Internationals)という4つのクラスを受けています。

まずReading&Writing、主にパラグラフの書き方や小説を読み、たまに単語テストをします。この授業は一番宿題が出るので大変です。

次にGrammer、高校程度の文法を学んでいます。日本人には一番得意のはずです。。。

その次にListening&Speaking、主にプレゼン発表、グループでディスカッションをします。たまにゲームをするのですごく楽しいです。今受けているレベルの先生は私のルームメイトでもあるので、この授業が一番大好きです!

最後にPronunciation、正しい発音の仕方を学び、プレゼン発表をしてレコーダーで録音します。記録したものはメールで添付してくれるので、どこを改善したら良いかなどわかるのでありがたいです!

他国の留学生の英語力は本当にレベルが高いです。私からみたら彼らはネイティブ並みに喋ったり、書いたりしているので、自分と比べあまりの差に愕然としました。私は聞き取る事も、自分の気持ちを伝える事ももちろんですが、宿題すら満足にできませんでした。2ヵ月近くいてようやく耳が慣れてきたかなという感じです。最初の頃のグループディスカッションは一言も喋れませんでした。もちろん今も苦戦していますが、なるべく意見を述べるように努力をしています。授業中でもわからない事があるとみんな次々と質問をしているので、授業についていけない事も度々あります・・・。

10月の最後にテストがあり、秋学期の半分の授業が終了します。そこで次のレベルに上がるか、そのままか、下にいくか決まってしまうので、頑張ります。。。

終われば4日間のFall breakです!

10月の最後はハロウィン!仮装してパーティーです!11月の最後にはサンクスギビング

これから楽しみなイベントがたくさんです! 

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  ・ダウンタウンの飲み屋街!夜には人で栄え、ここから先は21歳以上でないと入れません*

 

・メンフィスはブルース・ジャズの音楽で有名です!昔の映画に出てきそうな感じの町並み*

 

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8月22日にUNCWに来て、約一ヵ月半が経ちました。最近は、こちらでの生活にも慣れ、充実した生活を送っています。授業が始まる前までは、担当のMaikaさんがスーパーに連れて行ってくれたり、以前日本に留学経験のあるこちらの学生の子とNGUのメンバーと一緒に遊びに行ったりしました。授業は8月26日から始まり、初日はオリエンテーションでIDカードを作ったり、クラス分けのテストをしたり、学校の中を見学しました。UNCWは本当に大きく、大学の規模が日本とかなり違い、最初は驚きました。


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授業の事を話します。授業は月曜日~木曜日にあり、曜日によって授業時間が違うのですが、月・水曜日が50分授業、火・木曜日が1時間15分授業で、金曜日はField Tripと言って、先生方が色々な所に連れてってくれます。今までに海・水族館・湖・DownTown・近くの学校に行きました。授業はESLの授業を4つ取っていて、私のクラスは1限がTOEFLの授業、2限が発音と文化の授業、3限はSpeaking、4限はWritingの授業になっています。テキストに沿って進めたり、プリントを使ったり、様々な形で授業が進められます。3限の授業は、毎週火曜日に、最近知った単語と熟語を1つずつ持ってきて皆の前で発表し、1ヶ月に1回位、皆が持ってきた単語と熟語のテストがあり、木曜日には、決められたTopicについてのプレゼンがあります。私はクラス分けのテストの結果、3クラス中一番下のクラスになってしまったのですが、今は開き直って、クラスで一番を目指す!!と思って授業を受けています。クラスメイトは、私も入れて6人で、4人が日本人、イラクと韓国の子が1人ずつの構成になっています。8月下旬から一ヶ月間、大阪教育大学の学生が15人弱来ていて、彼らは既に帰国しましたが、それまで特に日本人が多かったので、もちろん日本人とも話しますが、私は日本人と常に一緒にいると英語を話さなくなる思い、外国人の子と積極的に話すようにしていました。今でも、クラスの大半が日本人なので、外国人の子と話す様にして、常に自分が英語を話すような環境にいる様にしています。あと、Conversation Partnerというのがあって、基本的に1人につき1人こちらの学生が付いて、一緒にどこか出かけたり、ご飯食べに行ったりしてくれるPartnerがいます。私は最近、最初に決められたPartnerが忙しそうなので新しいPartnerをもう1人付けてもらいました。

   
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最後に、寮の事を話します。寮は2人部屋で、私はAustraliaの子と一緒の部屋です。最近仲良くなってきて、週に2・3回時間が合えば、近くの学食に一緒にご飯食べに行ったりしています。トイレ・シャワー・キッチン・洗濯機は部屋にありませんが、幸い私の部屋からはそれらが近くにあるので便利です。食事は、決められたカフェテリアで週に12回まで食べられて、12回からはみ出た分は、事前に$200チャージしてあるところから引かれる”Meal Plane”が付いているので、たまに、週末の時間のある時になると自炊したりしますが、ほとんどそれで済ましています。沢山食べるところがあるので、適当に日替わりで場所を変えています。それに、バイキング形式のカフェテリアが多いので、野菜と果物を多めに取って、量を調節して考えて取っています。


 
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積極的に外国人と接しているせいか、皆とても優しくしてくれて、本当に良い人たちばかりに囲まれて生活しています。また、来月に新しい事を報告出来る様に、これからも色んな事に取り組んでいきたいと思います。

 



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留学して1カ月が経ち、北京の生活にもだんだん慣れてきました。
語言大学は中国人学生よりも外国人留学生が多いので、キャンパス内では中国語よりも英語を主として、さまざまな外国語をを聞く機会が多いです。

 

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新学期が始まり、友達もでき、隣の席の韓国人の子と「好朋友」(仲の良い友達)になりました。意外にもクラスには日本人が少ないので中国語漬けの毎日を過ごしています。授業に関しては、スピーキング、作文、発音矯正、総合、読解、実践、ヒアリングと細かく分かれているのでとっても自分のためになります。先生たちの質もよいですが、求められることが高いので毎日できるだけ発言をしてアピールをしています。授業内容は濃く、討論する機会が多いので、日本と他の国のクラスメートとの考え方の違い、また文化などを知ることができとても楽しいです。


この間のスピーキングの授業で、各国それぞれ踊りを披露するという突然の先生の発言により私たち日本人2人、うろ覚えの盆踊りを踊りました。小さいころに踊った以来の盆踊りを、まさかこの場で披露することになるとは…とっても恥ずかしかったです。キューバ人のクラスメートが踊るサルサはとっても上手で私たちが踊ったものとは比べ物になりませんでした。しかし、これもまたいい経験です。

 

 


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総合の授業では「幸せとは何か」という作文を書きました。みなそれぞれ幸せの感じ方は違うので面白かったです。その授業を終え、もう1度自分にとって幸せとは何か考えてみました。寝ることが幸せなのか、何かおいしいものを食べている時が幸せなのか…お金持ちになれば幸せになれるのか?いろいろ考えてみました。そこでたどりついた結果は、留学をさせてもらい、中国語が勉強できるいい環境に置かれていることが幸せで、毎日平凡に暮らしていることもまた幸せなのだ。ということに気が付きました。ここで生活する中で、たくさんの貧しい人たち、たくさんのお金持ちの人たちを見て、日々大きな貧富の差を感じます。お金持ちはどこまでもお金持ち、貧しい人はどんなに働いても貧しいまま。だた生まれた場所が農村か、都会か、それだけで人生がほぼ決まってしまうのです。日本はどうなのかと考えてみたら、農村で生まれても都会で生まれても、それほどの貧富の差はないですし、人々は比較的平等な社会といえるでしょう。そこで、やっと自分がどれだけ幸せなのか、どれだけ平和ボケしていたか、一歩日本から出てみてみないと、わからなかった日本の素晴らしさ、安全を感じました。

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今日10月1日は建国記念日です。日本でいうゴールデンウィークなので授業は1週間お休みです。今年は60周年という節目の年なのでいたるところで「60周年祖国万歳」のポスターをみかけます。天安門前では大規模な軍事パレードが行われています。しかしその裏で、60年経った今でも国家成立を反対する人たちが街で罪のない人々に刃物を向ける事件が多く発生しています。そのため今は警備も厳しく、長い銃を持った警官をいたるところでみかけます。なんだかとっても物々しいです。今まで銃を見たことがなかった私は少し命の危険を感じました。すべては国民を守るためかもしれませんが、銃をもたずに警備はできないのかな?とか、なぜ建国記念日に軍事パレードなのか、平和な国日本で生まれ育った私には理解に苦しみます。しかし、このパレードは日本ではできないほど大規模で、また国民の一致団結はすばらしいですし、祖国を思う気持ちがTVを見ていてもひしひしと感じました。日本人の私はどうなのかと考えたら、今年日本が建国何年なのかも知りません。それに、祖国万歳というポスターは生きている中で今までみかけたことがありません。そう考えたら私はもっと日本のことをよく知る必要があり、日本国民ということにもっと誇りを持つべきなのだと考えさせられました。戦後貧しかった日本人が今の私たちのために、たくさんの努力をして、豊かな生活を送れる先進国になったことを頭において、日本に生まれたこと、周りにたくさんの友達がいること、また留学する機会を与えていただいた大学、家族に感謝して残りの9カ月を生活していきたいです。 

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寮に入ってから、授業が始まる9/3までのオリエンテーションではいろいろなレクリエーションや説明会があり、9/2にはルームメイトが来ました。

近くの大型スーパーがUAFの生徒のために、閉店後の2時間だけセールをやっていたので、必要なものがまとめて安く買えてよかったです。International Program Officeで寮費などの支払いや履修登録をするときには英語でのコミュニケーションがなかなか大変でしたが、スタッフの方々がとても親切に接してくれたのでなんとか上手くいきました。授業で使う教科書は全部ネットで買わないといけなかったので、時間もかかるしかなりめんどくさかったです。

レギュラークラスでは先生の話すスピードが速すぎて、今なにを言っているのかを理解する前にどんどん先に進んでいってしまうので、授業が終わってから先生に聞きに行ったり、クラスメイトに助けてもらうことも多かったです。ESLでも、他の国から来た留学生たちのレベルが高いので、ついていくのが大変なクラスもありました。

宿題の詳しい説明などは大学の生徒用のホームページ(NGUのCCSとほぼ同じです。)に載っているので、最初はどこでなにを見たらいいかよくわからなくて戸惑いました。宿題はほぼ毎日出ますが、勉強だけではなく遊ぶ時間とも両立させるようにしました。

 

Japan Alaska Clubというクラブに入ったので、毎週金曜日にはみんなで集まって日本の映画を英語字幕で観たり、10/17にあるFairbanks International Friendship Dayでの発表 に向けて、よさこいの踊りの練習をしたりしました。キャンプファイヤーやホッケー、broom ball(ホッケーとサッカーを組み合わせたようなスポーツ)を観に行ったりしました。最終週には初雪が降り、名古屋の真冬並みの寒さでした。

 

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9月から授業が本格的に始まりました。私が選択した授業は、writing, intercultural communication, voice & diction, chinese, jazz danceの5教科です。

writingだけはESLで、他は全部regularのクラスです。最初の授業では主に授業内容の説明だけだったのですが、先生の言っていることがなかなか聞き取れなくて、これからちゃんとやっていけるのかととても不安になりました。writingの授業はESLだからと言って、決して簡単ではありません。宿題がいっぱい出されるし、writing centerというところにも通わないといけないので大変です。でも、writing skillを伸ばすためにも頑張りたいと思います。私がとってる授業の中で一番好きな教科はIntercultural communicationです。大人数なので大きめの教室でやっています。多くの日本人の留学生がこの授業をとっているからなのか、先生がよく日本の文化について紹介してくれるのでとても面白いです。世界の文化に興味がある人や、国際文化協力学科の人はこの授業をおすすめします。授業後は、先生に毎回というほど質問しに行っています。どの先生も優しいので気軽に話すことができます。

 

授業が始まってからは、月~金は授業、土曜は休み、日曜は宿題というサイクルができました。友達に買い物へ連れて行ってもらったり、パーティーに行ったりするうちにいろんな人と出会えてとても楽しいです。でも、私はまだ上手く英語が話せないし聞き取れない時もあるので、十分に楽しめていない部分もあります。私の発音が悪いせいで簡単な単語でも相手に通じなかったり、何度聞いても理解できないことがしょっちゅうなのでかなり落ち込みます。voiceの授業でみんなの前でspeechした時は、何度も言葉がつまって泣きたくなりました。先生が授業で冗談を言って、クラスのみんなが笑っても私は理解できないので当然笑うことができません。もっと英語が理解できればもっと楽しめるはずなので、早く上達したいです。

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