留学して1カ月が経ち、北京の生活にもだんだん慣れてきました。
語言大学は中国人学生よりも外国人留学生が多いので、キャンパス内では中国語よりも英語を主として、さまざまな外国語をを聞く機会が多いです。
新学期が始まり、友達もでき、隣の席の韓国人の子と「好朋友」(仲の良い友達)になりました。意外にもクラスには日本人が少ないので中国語漬けの毎日を過ごしています。授業に関しては、スピーキング、作文、発音矯正、総合、読解、実践、ヒアリングと細かく分かれているのでとっても自分のためになります。先生たちの質もよいですが、求められることが高いので毎日できるだけ発言をしてアピールをしています。授業内容は濃く、討論する機会が多いので、日本と他の国のクラスメートとの考え方の違い、また文化などを知ることができとても楽しいです。
この間のスピーキングの授業で、各国それぞれ踊りを披露するという突然の先生の発言により私たち日本人2人、うろ覚えの盆踊りを踊りました。小さいころに踊った以来の盆踊りを、まさかこの場で披露することになるとは…とっても恥ずかしかったです。キューバ人のクラスメートが踊るサルサはとっても上手で私たちが踊ったものとは比べ物になりませんでした。しかし、これもまたいい経験です。
総合の授業では「幸せとは何か」という作文を書きました。みなそれぞれ幸せの感じ方は違うので面白かったです。その授業を終え、もう1度自分にとって幸せとは何か考えてみました。寝ることが幸せなのか、何かおいしいものを食べている時が幸せなのか…お金持ちになれば幸せになれるのか?いろいろ考えてみました。そこでたどりついた結果は、留学をさせてもらい、中国語が勉強できるいい環境に置かれていることが幸せで、毎日平凡に暮らしていることもまた幸せなのだ。ということに気が付きました。ここで生活する中で、たくさんの貧しい人たち、たくさんのお金持ちの人たちを見て、日々大きな貧富の差を感じます。お金持ちはどこまでもお金持ち、貧しい人はどんなに働いても貧しいまま。だた生まれた場所が農村か、都会か、それだけで人生がほぼ決まってしまうのです。日本はどうなのかと考えてみたら、農村で生まれても都会で生まれても、それほどの貧富の差はないですし、人々は比較的平等な社会といえるでしょう。そこで、やっと自分がどれだけ幸せなのか、どれだけ平和ボケしていたか、一歩日本から出てみてみないと、わからなかった日本の素晴らしさ、安全を感じました。
今日10月1日は建国記念日です。日本でいうゴールデンウィークなので授業は1週間お休みです。今年は60周年という節目の年なのでいたるところで「60周年祖国万歳」のポスターをみかけます。天安門前では大規模な軍事パレードが行われています。しかしその裏で、60年経った今でも国家成立を反対する人たちが街で罪のない人々に刃物を向ける事件が多く発生しています。そのため今は警備も厳しく、長い銃を持った警官をいたるところでみかけます。なんだかとっても物々しいです。今まで銃を見たことがなかった私は少し命の危険を感じました。すべては国民を守るためかもしれませんが、銃をもたずに警備はできないのかな?とか、なぜ建国記念日に軍事パレードなのか、平和な国日本で生まれ育った私には理解に苦しみます。しかし、このパレードは日本ではできないほど大規模で、また国民の一致団結はすばらしいですし、祖国を思う気持ちがTVを見ていてもひしひしと感じました。日本人の私はどうなのかと考えたら、今年日本が建国何年なのかも知りません。それに、祖国万歳というポスターは生きている中で今までみかけたことがありません。そう考えたら私はもっと日本のことをよく知る必要があり、日本国民ということにもっと誇りを持つべきなのだと考えさせられました。戦後貧しかった日本人が今の私たちのために、たくさんの努力をして、豊かな生活を送れる先進国になったことを頭において、日本に生まれたこと、周りにたくさんの友達がいること、また留学する機会を与えていただいた大学、家族に感謝して残りの9カ月を生活していきたいです。