真の国際協力にむけての第一歩

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 2016年12月7日に地震が起き、8日にニーズ調査した結果、急いで支援が必要とされている場所に支援物資を届けるため、12日「Jari Aceh」のヌルジュバさんに再度同行させてもらい現地を訪れた。
 おむつ・ベビーウェア・靴下・下着・手袋・ユーカリ油・ベビーパウダー・ミルク・生理用品・石鹸・歯ブラシ・歯磨き粉・ビスケットなどがそれぞれ入った1セットの袋を子どもがいる母親に支援した。
 ムルドゥ郡トゥピン・プラホ村ではニーズ調査でも訪れた、避難所ではなく倒壊した家の庭で生活している家族を再度訪問し支援物資を届けた。被災者は、水と電気は大丈夫だと言っていた。前に訪れた際、外につくられたゆりかごで寝ていた赤ちゃんは、家族が寝るスペースのみの簡易な家にいた。日本みたいに仮設住宅を待つのではなく、自分たちで家をつくっていた。倒壊した家は屋根が取り除かれ大きなベッドがみえ、洋服や生活用品を瓦礫のなかから探していた。近くの小さな避難所には急きょ購入したインスタント麺40袋入り2箱とお水2箱と母親への支援セットを渡した。
 トゥリンガデン郡ムチャット・パンワ村とダヤ・パンワ村では、とくに子どもの数が多かった。順番に母親の名前を呼び、支援物資を手渡した。すごく嬉しそうに受け取ってくれたが、外での避難生活のせいか、体調が悪い子どもがたくさんいた。冷えピタをはって泣いている子どももいた。ダヤ・パンワ村で支援物資を渡したあと、ある1人の女性に自分にはないのかと聞かれた。その女性は妊娠中で、もう臨月も近そうなお腹をしていた。ヌルジュバさんと離れたとこで、わたしに求めてきたのですぐヌルジュバさんに聞いてみたが、今回はその女性の分はなかった。子どもと母親の支援はすごく大切だと思う。しかし、妊婦からしてみれば被災しているなか、これから出産、そして子育て生活は不安が大きすぎると思う。自分は出産をまだ経験したことがないが、環境がよくても大変だと思う。被災者の妊婦は、いまだけでなく、これからも大変だろう。わたしには、なにが支援できるだろうか。最近出産を終えたばかりの友人(日本人)がいる。日本人の目線でも妊娠中の辛さや気持ちは同じだと思うので、妊娠中なにが大変だったのか聞いてみようと思う。そこからヒントや答えを出したい。
 最後にムルドゥ郡ポロ村を訪れた。前回ニーズ調査の際訪問はしなかったが、その後に支援が届いてないという情報があったそうだ。母親への支援セットは3つ渡した。訪れた時、夕方だったせいなのか、少しほかとは違い離れている村だからなのか。いままで訪問してきた場所より、集まっている人は少なかったが、やはり子ども連れた母親は多い。帰る際、車に乗り込もうとすると、ちょうど避難所にやってきた女性たちに直接「なにかないですか?助けはない?」と聞かれた。いままでいくつか避難所を訪問し、なにも支援をもたずニーズ調査したときですら、このようにストレートに助けを求められることはなかった。情報どおり、本当に支援がない状態なのだと感じた。なにもなかったので、子どもに食べかけのお菓子の袋をあげると喜んで食べていた。インスタント麺を調理せず、そのまま食べている姿もあった。この村では母親と子どもだけじゃなく、すべてにおいて支援が行き届いていなかった。
 1日をかけ、支援を届けるのに同行させてもらい直接支援を手渡しすることができ、とてもよい経験ができたが、まだまだ支援が必要な部分もみた。とくに妊娠している人になにができるのかは課題だった。名古屋学院大学ではじまった募金活動で集まったカンパでなにを買えば支援につながるのか、改めて考えることができた。
 今回の支援物資はすべてヌルジュバさんたちが購入から1つずつ袋に分け、すぐ渡せれるように準備をしてくれていた。わたしたちは、それを運び、渡すお手伝いをしただけなのに、被災者はとても喜んでくれ、両手で手を握りしめ、おでこにつけて離してくれなかった。こちらも嬉しくなり感きわまって泣きそうになってしまった。自分にとって、まだまだこれからが本番。今日同行してもっとも勉強になったのは、ヌルジュバさんたちの支援の手順だ。ニーズ調査や支援物資購入において、被災者にあった支援をしていた。無駄な時間もなかった。より一層やる気ともう一度この人たちの笑顔のためにも頑張りたいと思える1日だった。(国際文化協力学科3年・水谷奈津子)

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