派遣留学生月例報告書(2016年11月)

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  インドネシアのアチェにきて3か月がたとうとしています。今月は停電がなかった代わりに、1日水が出ない日がありましたが、それ以外はいつもどおりの生活を送っています。そして今月はインドネシア、アチェならではの文化をたくさん経験できました。
 まず1つ目は、結婚式です。友達のお姉さんの結婚式に参加してきました。アチェでは結婚式を家でおこないます。お金に余裕ある人は、先に新郎の家で、後日花嫁の家でも同様な式をおこなうそうです。
 アチェでは、お花のようなもので「結婚おめでとう」と字が書かれた大きな看板が家の前に飾ってあり、結婚式がおこなわれる目印になっています。そして招待状は小さなカードで、場所と時間が書かれてあり、日本と違って出欠席の返事をする必要はありません。ご祝儀または何かプレゼントを持参します。わたしたちは夫婦でつかえるグラスを買いました。新郎新婦と会う順番待ちをしながら、外のオープンスペースでブッフェ形式の食事をいただき、その後家のなかにいる新郎新婦に会うことができました。
 新婦は伝統的なドレスをまとい、頭には3キロもある被り物をかぶっていました。手全体にはヘナタトゥーが描いてあります。とにかく新婦の衣装、メイク、装飾品が派手という印象が強かったです。わたしは名古屋のホテルでアルバイトをしていたので、日本の新郎新婦や、日本の結婚式・披露宴を多くみてきました。日本では白いウェディングドレス、カクテルドレスにお色直し。日本ならではの和装をみてきましたが、インドネシアの衣装やメイクと比べると、かなり控えめに感じます。いままでみてきたなかで一番派手な新婦にアチェで出会うと思わなかったです。挨拶をして、カメラマンに写真を撮ってもらい終わりました。
 日本の披露宴のように決まった人だけが訪れ、2、3時間一緒に食事をしながら写真や余興を楽しむのではなく、知り合いが自由に訪れ、好きなだけ飲み食いができ、自由に帰ることができます。とてもゆるいと感じましたが、ちょっとした違う世界を体験でき勉強になりました。後日「来てくれてありがとうと」いう紙と一緒に小さなキーホルダーをもらいました。日本でいう引き出物のようなものだと思いますが、なぜエッフェル塔のキーホルダーだったのかは謎です。
 2つ目は生まれたての赤ちゃんに会いに行ったことです。日本の親戚でも周りの友だちでも、覚えている限り自分の身近で赤ちゃんが生まれると経験はまだないので、とても嬉しかったです。学校が終わってから、友達の友達の赤ちゃんが今朝生まれたから会いに行こうと誘われ、出産祝いを買って病院に行きました。病院には一つの部屋にカーテンで仕切られた空間がたくさんあり、そのなかに赤ちゃんはいました。この日にすぐ退院するそうです。会えた生まれたばかりの赤ちゃんは、布でグルグル巻きにされ身動きが取れない状態でとても驚きました。子宮のなかにいるのと同じようで安心するのだそうです。窮屈そうで苦しくないのか心配ではありましたが、心地よさそうに寝ていてとても可愛く、終始癒されました。
 3つ目はお葬式です。体験してきた順番にこの報告書を書いていますが、この月だけで出産から人の死について経験するなんて思ってもいなかったです。友達の彼氏のお父さんが亡くなったということだったので、生前会ったこともなく関わりもなかったですが、ついて行きました。病院で亡くなると、そのまま家に一旦連れて帰り、その日のうちに埋葬するそうです。亡くなってから24時間以内に埋葬しなければならないのがイスラームでのルールです。私たちが訪れた時にはすでに埋葬されていたので、家族の方に挨拶をし、女性は家のなか、男性は家の外で故人について話したり聞いたりしていました。
 日本では火葬で葬られますが、イスラム教のアチェでは土葬です。「死」は永久の別れではなく一時的なものであり、アッラー(イスラム教の唯一神)の審判の日に再び蘇ると信じわれているからです。すでに埋葬されていたと書きましたが、埋葬されてから式をこうして家でおこなうのも決まりだそうです。日本では、24時間以内に埋葬してはいけないことが法律で決まっています。そして、お葬式に参列するときには、遺体が目の前にある、式のあとに埋葬するのが仏教だと一般的だと思います。イスラームでは、埋葬する前に、埋葬する場所で礼拝を行います。その礼拝こそが葬儀というそうなので、わたしは正式に葬儀に参加したわけではありません。しかし、その後家でおこなわれた集いで、こういったイスラームでの人の死について、教えてもらい勉強になりました。イスラーム圏に留学していても自分でこういった場所に訪れないとわからない、知らないことばかりだったと思います。自分にとって忘れられない勉強になり、連れてきてくれた友だちに感謝していますが、訪れて楽しい、いい気持ちになる場所ではありません。普段は家族が恋しくなることや、帰りたいと思うことは滅多にありませんが、このときばかりは家族がとてつもなく恋しくなりました。親はまだまだ元気に生きているからと安心し、離れて留学生活を送っていても、自分は甘えん坊かなとこのときは思いました。この経験を通して少しは強くなれたと思いますが、この留学環境にいることを親に感謝し、勉強して親孝行に繋がるように頑張ろうと改めて思えました。
 大学での授業は相変わらず課題が難しく、友達がいないとできないです。普段の日常生活では辞書はもう必要なくなりましたが、授業では今でも手放せない状態です。課題を友達に教えてもらう時単語を調べる時間がもったいないので、事前に書き出し調べてから友達に助けを求めるようにしています。違うクラスの友達に今この課題に苦戦していると見せたら「先生はどうしてインドネシア人でも難しい問題を奈津子に出すの?」と言われました。それは私自身が一番答えを聞きたい質問です。留学生用のクラスがないのはわかっています。留学生を受け入れたのも初めてなので、先生たちもどうしていいかわからないのだと思います。しかし、こんな思いを次来る後輩にして欲しくないと日々思っていますが、きっと自分が留学来る前の勉強不足が理由なのだと自分を責めています。
 英語のスピーキングクラスでは3か月たったいまでも、授業内容が趣味の話だけです。テストも全員おこなわずに特定の学生だけ、次の週は自分だと思って構えていても結局行かずに終わりました。異文化理解の授業では、わたしと一緒に留学している深川(国際協力学科2年)にだけ日本の文化を紹介する課題が出されたので、次の週に自分が発表することになると思い準備しました。しかし、先生も忘れていたのか、2週間後の授業でいきなり発表をさせられました。パワーポイントでプレゼンもつくりましたが、まさかその日にやると思っていなかったため、USBメモリを忘れたので原稿を読むだけで終わりました。
 基本的に授業も日本に比べたら、「ゆるい」印象があります。先生も遅刻するのは当たり前なので、8時から授業ですが8時に寮を出ても余裕で間に合います。時間ルーズな国民性に慣れず、仲よしの友だちと喧嘩してしまいました。ここでの「少し待って」は1時間から多く見て3時間ぐらい待つことを意味します。友だちとは、家を出る時に連絡を入れてもらう、「少し待って」は1時間超えるかもしれないことをわたしが理解して受け入れることを約束しました。慣れたつもりでも、心のどこかで慣れておらず、それがストレスになっていました。うまくストレスを発散する方法がなく、頭痛がひどかったですが、いまはもう自分も待たせていいんだと思えるぐらい自分もインドネシア人に染まってきています。
 12月、日本には冬休みがありますが、ここではないそうです。はじめてクリスマスがない、クリスマスを過ごします。イスラームの新年のお祝いを楽しみにしながら12月を過ごしていきたいです。(国際文化協力学科3年・水谷奈津子)

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