「聖書」と一致するもの

イエスはなぜ泣いたのか!?

昨日の記事では「聖書の中で最も短い一節」をご紹介しました。

「イエスは涙を流された。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章35節)

っていう箇所でしたね。新約聖書の元々の言語であるギリシャ語では...
ἐδάκρυσεν ὁ Ἰησοῦς(エダクルセン ホ イェースース)
たった3単語でした。ギリシャ語を勉強するならまずはこの箇所からですね 笑


さて!というわけで今回は、
どうしてこの箇所でイエスは涙を流したのか!?
ということについて解説していきたいと思います。


イエスが涙を流すまでの経緯はこうです。直前の34節までを見てみましょう。


1 ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロと言った。
3 姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。
〜中略〜
14 そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。
15 私がその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」
17 さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られてすでに四日もたっていた。
〜中略〜
31 家でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に行って泣くのだろうと思い、後を追った。
32 マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足元にひれ伏して、「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。
33 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、憤りを覚え、心を騒がせて、
34 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。
(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章1〜34節より)



この後、ビックリすることが起こります。何とイエスは、奇跡によってお墓の中のラザロを復活させてしまうのです!
これまで、様々な奇跡を起こして人々を驚かせてきたイエスだったんですが、この場面では遂に「死んだ人を生き返らせる」という"最もありえない"奇跡を起こしてしまうことになるんですね!


・・・ん?

な〜んだ、死んだ人を蘇らせることができるんやったら、ラザロが死んでも全然悲しくないやん!


そうなんです、本当はそのはずなんです。でも、何故かイエスは、ラザロのお墓を見に行く前に「涙を流された」んですね。


weeping01.jpg

皆さんは、どうしてイエスが涙を流したのか、想像できますか?
ぜひ考えてみてください。明日更新の記事で更に真相に迫っていきます!(まだ続くんか〜い)

聖書の中で最も短い一節【キリスト教豆知識】

聖書にはこんな風に「章番号」と「節番号」が付けられているのを知っていますか?


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これは最初から聖書の本文に付いていたものではありません。「章番号」は、イギリスのカンタベリー大司教を務めた「スティーヴン・ラングトン」(1150年頃~1228年)によるものと言われています。その一方「節番号」はというと、約300年後、フランスで印刷業者を営んでいた「ロベール・エティエンヌ(ラテン語名:ステファヌス)」(1503年頃~1559年)が付けました。その時代は、ギリシア・ローマの古典文芸や聖書原典の研究が盛んに行われており、エティエンヌもまた古典学者でもあったため、当時広く教会で使われていた「ラテン語聖書」ではなく、原典に立ち返る形で"ギリシャ語の新約聖書"を出版しました。その第4版を出版する際に、エティエンヌはその本文に節番号を付けたのです。

さて、そのようにして「章」と「節」に区分された聖書ですが、ご存知の通り、聖書は分厚い!それだけ聖書の本文は長いということです。「節」に関しては、何と31,000を超えています 笑 それに、エティエンヌは単語数や長さで区切ったわけではないので、長い節もあれば短い節もあるわけなんですね。


そんな中で、今日の本題。「聖書の中で最も短い一節は?

・・・とその前に、比較の対象ある方が分かりやすいと思うので「聖書の中で最も"長い"一節」をお伝えしておきますね。こちらです↓

その時、第三の月、すなわちシワンの月の二十三日に、王の書記官たちが呼ばれた。そしてユダヤ人たちに宛てて、またインドからクシュに至るまでの百二十七州にいる総督たち、地方長官たち、諸州の高官たちに宛てて、モルデカイが命じたとおりにすべて書き記された。それは州ごとにその州の書き方で、民族ごとにその民族の言語で、ユダヤ人には彼らの書き方と言語で書き記された。(旧約聖書 エステル記 8章9節)

ん~、長さというよりかは、その内容が気になっちゃいますね。「民族ごとに違う書き方や言語で文書が送られた」というような内容が書かれてあるこの一節が、今や世界中で様々な言語に翻訳されている『聖書』の中で"一番長い節"・・・。何か運命的なものを感じます。


と言うわけで、ここでようやく「聖書の中で最も短い一節」の発表です!
"最も長い一節"と見比べてみてください。こちらです↓



「イエスは涙を流された。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章35節)



短い!(´;ω;`)ブワッ


英語では Jesus wept. たった2単語!
新約聖書の原語であるギリシャ語でも ἐδάκρυσεν ὁ Ἰησοῦς(エダクルセン ホ イェースース)3単語!

それにしても、イエス・キリストも涙を流すことがあるんですねぇ。
何でイエスは涙を流したのか。それについては明日更新の記事をご覧ください!お楽しみに!

教会でカレーうどん食ってきた

いつもブログでふざけたことばかり書いている僕ではありますが、実は超マジメで敬虔なクリスチャンなので(場内ざわめき)、毎週ほぼ欠かさず教会に行って礼拝に出席しています。

普段は栄の「オアシス21」の向かいにある「プロテスタント」教会に通っているのですが、別にゼッタイそこの教会に行かなければならないわけではないので、この前の日曜日は気分転換のために、そことは別の、「聖公会」という教派の教会に行ってみました。


【キリスト教Q&A】プロテスタントって何?聖公会って何?
「プロテスタント」とは、16世紀、ローマ・カトリック教会の影響下で起こった宗教改革により生まれた教派。マルティン・ルターというドイツの司祭が当時の教会の働きに疑義を唱えたことがきっかけ。プロテスタントは「抗議する輩、抗議派」という意味。プロテスタントの中には様々なグループが存在している。
「聖公会」は、上記のプロテスタントとは異なる形でローマ・カトリック教会と袂を分かった教派。16世紀、イングランド国王のヘンリー八世が自らを教会の首長とし、ローマ・カトリック教会から分離して成立した。



で、今回はその「聖公会」の聖餐式に出席してきた感想を書くわけではありません。いずれまた、いろんな教会の礼拝の雰囲気とかをリポートする企画もやってみたら面白いとは思うのですが、もう少し先の話になりそうです。

そうではなくて、今回皆さんに見ていただきたいのがコチラ↓


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カレーうどん!!!!


こちらの教会では、毎週、聖餐式のあとにみんなで食事をしているそうで、この日のメニューは、そう、「カレーうどん」だったのです!

皆さんのキリスト教のイメージって、きっとこんな感じでしょう↓

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純白に包まれたチャペル(結婚式場の写真ですが...)。
でもそこにカレーうどんが乗っかると・・・?

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雰囲気ブチ壊し!!!!笑

そうなのです。教会とカレーうどんって、どう考えてもイメージ的に"合わない"んですね。


しかし、初めてその教会でお昼ごはんをいただいた僕は、全然びっくりしませんでした。なぜなら、プロテスタントのクリスチャンである僕にとって、礼拝後にみんなでご飯を食べるのは当たり前のことだからなのです。と言うのも、多くのプロテスタント教会では、礼拝が終わったあと、このようにお昼ごはんが出るんですね。メニューは大抵、「うどん」や「カレー」。チラシ寿司の日もあったりします。値段は200~300円でとってもリーズナブル。若い人にはチョット多めに入れてくれることも!?(「若いんだから食べて食べてハラスメント」もしばしば起こります 汗)

聖公会は厳密にいえばプロテスタントとは違うのですが、僕が行った教会では、毎週お昼ごはんが提供されているそうです。もちろん、メッチャ美味しかったですよ。

キリスト教では、古くから"いろんな人と一緒に食事をする"ことが習慣として大切にされています。それは、イエス・キリストが様々な背景を持っている人たちを皆食卓に招いて一緒に食事をしたことに由来していると思われます。今回、聖公会で出席した「聖餐式」では、一人ひとり聖壇の前まで行って「ホスチア」と呼ばれるウェハースのようなものをワインに浸して食べる...という行為をしたのですが、これも元々は、イエス・キリストを中心とした食卓(食事)に由来しているものなんですね。早くから"儀式化"してしまっていたようですが、元を辿るとそれは、いろんな人とワイワイ喋りながら楽しく過ごしていた食事の時間だったのだろうと想像します。

それにしても、どうして教会のお昼ごはんには「カレー」や「うどん」が良く出されるのでしょうか。

もしかして『聖書』の中に「カレー」とか「うどん」が出てくるのかな?と思って、念のため調べてみました。


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そら、そうやわな。
きっと作るのが簡単で、なおかつ大量に作ることができるから「カレー」や「うどん」が選ばれているのだろうと思います。

気が向いたら「教会のお昼ごはん版 食べログ」でもやってみようかな。
おしまい。また来週!

2月13日は何の日?【キリスト教豆知識】

突然ですが、皆さんに残念なお知らせがあります(ハンカチのご用意をお願いいたします)。

まず、これらの絵に描かれた人物のこと、皆さんなら当然ご存知ですよね。

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そう...言わずと知れた、あの「イエス・キリスト」と呼ばれる人物です。

約2000年前、現在のパレスチナの地域に生まれ、"神さま"のことを人々に教えていた人物なのですが、イエス・キリストの死後、彼の弟子たちの働きを通じて、後に彼は、信奉者たちから「神のひとり子」「救い主」「真の神であり、真の人であるお方」というように信じられるようになっていきました。そして、彼の教えを基に体系化されていった「キリスト教」という宗教は"世界宗教"として、何と、今では世界中に20億人以上の信者を抱える超巨大な宗教にまで発展することとなりました。

日本においても、キリスト教の信者は190万人以上存在するとされており、日本全国にある「教会」の数は4,300を超えています。この名古屋学院大学も、キリスト教の宣教師クラインによって建てられた学校から生まれた"キリスト教主義大学"です。

そういうわけで、僕らはこの「イエス・キリスト」と呼ばれる人物について、多少なりとも知っているわけですけれども、先ほど冒頭でも触れましたように、本日は皆さんに大変残念なことをお伝えしなければならないのです。皆さんのことをガッカリさせてしまいそうで、「伝えるべきかな、いや、でも止めておこうかな・・・」と散々悩んだのですが、やはり真実をお伝えするのがこのキリスト教センターブログの使命ではないか!と考え、本日この場で皆さんにお知らせすることにいたしました。


皆さん、心の準備をお願いします。実はですね・・・

この「イエス・キリスト」っていう名前の「キリスト」って・・・

苗 字 じ ゃ な か っ た ん で す !!!!!!!!

(一同騒然)

皆さん落ち着いてくださいね(ここで水を飲む)。
ちゃんと今からご説明しますので、まずは深呼吸してください(会場を見渡す)。


僕らが"苗字"(ファミリーネーム)だと思い込んできた、この「キリスト」という言葉。これは、言ってみれば「称号」のようなものなんです。「キリスト」とは、日本でもしばしば「救世主」という意味で使われている「メシア」(ヘブライ語)という言葉のギリシャ語訳で、意味は「油を注がれた者」という意味です。聖書の主な舞台である古代イスラエルでは、王様や祭司、預言者と呼ばれる人々を任命するとき、油を塗る習慣がありました。それを受けて、イエスという人物のことを「救い主」とか「この世のどんな王様にも勝る王様」というように信じた人々は、彼のことを「メシア」「キリスト」というように呼ぶようになったんですね。

なので「イエス・キリスト」とは、「キリスト家のイエスさん」ではなくて「キリスト(称号)であるイエス」という意味の呼び名だったんですね。皆さん、ぜひ覚えておいてくださ~い。


さて、それにしても何で今日はこんなお話をしているのかと言いますと、ちゃんとこれには理由があります。

それは、本日「2月13日」という日が、1875年2月13日に、明治政府によって「平民苗字必称義務令」が出されたことを記念する「苗字制定記念日」と呼ばれる日だからです。これによって、すべての国民が「苗字」を名乗ることを義務付けられることとなりました。

そう。ただ「苗字」の話と「キリスト教」の話を絡めたかっただけ。

そ れ だ け ! おしまい。

キリ絵 de 大喜利 No.03

(なんでトイレットペーパーにはシングルとダブルがあるんやろ・・・)

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『預言者 ヨエル』(1508~1512)

作者:ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ(1475~1564)


ヨエルは、十二小預言者と呼ばれる旧約聖書の預言者の一人。彼の残した預言は『ヨエル書』として旧約聖書に収録されています。預言の中心テーマは、神の裁きが敵国や神に逆らう者たちにもたらされ、神の民には救いが与えられるとされる、いわゆる「主の日」について。たった4章しかない短い預言書なので、簡単に読むことができます。

作者は、かの有名な芸術家であるミケランジェロ。西洋美術史上、あらゆる分野に大きな影響を与えたイタリアの彫刻家、画家、建築家、詩人です。彫刻作品としては、十字架上で息を引き取ったイエスを母マリアが抱く姿をかたどった『ピエタ』や、イスラエルの王『ダビデ像』などが良く知られています(どちらも20代の時に制作!)。また、2つのフレスコ画『システィーナ礼拝堂天井画』と『最後の審判』は見る者を圧倒します。

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