「十字架」と一致するもの

暦を紹介 その6

キリスト教の暦(こよみ)を紹介していこうという企画、その6です。
さて、前回までの復習としてキリスト教の暦(こよみ)はイエス・キリストの生涯を誕生のエピソードからたどっていくようにできていて、誕生に関わる暦を紹介しおえたところです。
誕生前後に関わる暦の次は、ドラマなら幼少期→思春期→青年期になりそうですが、暦を見てみましょう。

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あ、ちょっとだけ③の四旬節前という季節が入っていますが、なんというか①と②の間にある通常運転の時期のような・・・(なのであえて言わない場合もあり)。で、その小さな③を飛ばすと・・・②これは「死と復活の季節」

誕生の次はなんといきなり死。
いや、さすがに生まれてすぐ十字架にかけられて殺されたのではなく(あやうく殺されそうになることはあったけれど)、イエスは30歳ぐらいで宣教活動を始めて3年ほどで十字架にかけられたとされています。
なんだか細部まできっちりしたいと思うと宣教の時はなんでやんないの?という気にもなりそうですが、イエスの誕生をなぜ喜ぶのかというと、十字架の死と復活によって私たちを救ってくれる救世主が産まれたことを喜んでいるから。でもイエスを十字架の死に追いやったのは何か、そして殺されてしまうことを知りながら独り子イエスを地上に与えてくださった神様から私たちへの愛の大きさを誕生と死と復活をギュッとくっつけることで、よりくっきりと表現してくれているような気がします。

ということで次回はこの② 死と復活の季節の紹介を頑張りますよー。

(伝道師じゃないほう)

Happy Easter !!!

こんな時期に不謹慎なという気もどこかにはあるのですが、それでもあえて言わせてください、皆さまイースターおめでとうございます。
イースターはイエス・キリストが十字架の死から復活したことを記念するキリスト教の最も重要な祝日です。残酷な十字架刑でイエスの命が奪われた大きな悲しみや絶望が、復活によって大きな喜びへと変えられた日です。神さまはどれだけ絶望的な状況でも"その後"を用意してくださる方だという希望を告げるのがキリスト教の福音だからこそ、イースターの喜びを伝えたいと思います。
あらためてHappy Easter !!!

受難週(聖週間)について学ぼう

今週、キリスト教の暦では「受難週」という一週間を過ごしています。

「受難週」(「聖週間」とも呼ばれる)は、イエス・キリストが人々から見捨てられ、苦しみを受け、十字架につけられて殺され、墓に葬られる出来事に思いを向ける期間として過ごされます。

カトリック教会など、聖書日課(日毎に読むべき聖書の箇所が選ばれているもの)を用いる教派・教会では、今週は曜日ごとに以下のような内容が書かれた聖書の箇所が読まれます。イエスがどのような最期を遂げたのか、学んでみてください。


「受難の主日」(「枝の主日」「棕櫚の主日」とも)
※「主日」とは日曜日のことを言います。

イエスは、弟子たちとともに旅を続け、遂に目的地である「エルサレム」に到着した。イエスは、子ろばに乗ってエルサレムに入り、大勢の人々から迎え入れられた。

(参照:マタイによる福音書 21章1~11節)


「受難の月曜日」

エルサレムに近い「ベタニア」という地にやってきたイエス一行は、以前、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロの家に立ち寄った。夕食の際、ラザロの姉妹であるマリアは、イエスの足元に近づき、彼の足に高価なナルドの香油を塗り、自分の髪で彼の足をぬぐった。香油は、死者の遺体に塗ることもあり、彼女の行為は、間もなく訪れるイエスの死を暗示しているとされる。

(参照:ヨハネによる福音書 12章1~11節)


「受難の火曜日」

イエスは、弟子たちに対して、「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と告げ、弟子の一人であるイスカリオテのユダがその場から立ち去った。その後、弟子のペトロにも、「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」と言い、彼の裏切りを予告した。

(参照:ヨハネによる福音書 13章21~33、36~38節)


「受難の水曜日」

イスカリオテのユダは、いわゆる「最後の晩餐」の前、イエスに敵意を抱く祭司長たちのもとに行き、イエスの身柄を引き渡す代わりに銀貨三十枚を受け取る約束をした。

(参照:マタイによる福音書 26章14~25節)


「聖木曜日」(「洗足木曜日」とも)

イエスは、弟子たちと食事をしている際、立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとった。そして、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い始めた。イエスは彼らにこう告げた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」

(参照:ヨハネによる福音書 13章1~15節)


「聖金曜日」

「最後の晩餐」のあと、イエスは弟子たちと一緒に外にでかけた。すると、イスカリオテのユダとともに武器などを携えた人々が現れ、彼は逮捕されてしまった。イエスは、尋問を受け、いわれのない理由で死刑に処せられることに。弟子たちに見捨てられたイエスは、一人、十字架を背負って「ゴルゴタ」という処刑場へと足を進め、人々に罵られながら、他の二人の犯罪人とともに十字架刑に処せられた。イエスが息を引き取った後、彼の亡骸は、数人の協力者たちによって墓の中に安置されることとなった。

(参照:ヨハネによる福音書 18章1節~19章42節)


「聖土曜日」(夕刻以降 ※キリスト教の暦では日暮れから新しい一日が始まる)

週の初めの日の明け方に、女性の弟子たちがイエスの墓を見に行くと、墓をふさぐ大きな石が取り去られており、彼女たちは、そこにいた白い長い衣を着た若者からこのような言葉を告げられた。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」

(参照:マルコによる福音書 16章1~7節など)


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アンドレア・マンテーニャ 『キリストの磔刑』(1457-59)

白から緑へ

クリスマスシーズンは「白色」の講壇掛けを飾っていましたが、教会の暦に基づき、今週の月曜日より新しい期節を迎えたということで、「緑色」の講壇掛けに変わりました。

プルピット(緑)20190114.jpg

・・・え?緑に見えない?青に見える?

本当に「緑」だもん!疑うなら実際にチャペルに見に来て!

ちなみに、次に色が変わるのは、2月26日(水)の「灰の水曜日」からです。イエス・キリストが十字架刑に処せられるまでの日々を辿る「受難節」という期節に入るので、悔い改めや悲しみを表す「紫色」に変わります。

転ばないようにね、子ロバさん

今回は、人物ではなく 動物たち に注目してみたいと思います。

こちら。

ロバ01.jpg

ロバです。・・・ロバだよね? 馬じゃないもんね。はい、ロバです。

イエス・キリストの降誕の場面には、様々な動物たちが登場します。

すでにご紹介した通り、たとえば、「ラクダ」。東方の博士たちは、砂漠地帯を旅してきましたから、彼らの乗ってきたラクダが描かれていました。また、「羊」については、言わずもがな、羊飼いが連れてきたのでした(羊の群れをほったらかしにするわけにはいきませんからね)。

他に、降誕の場面で描かれることが多いのは、「ロバ」と「牛」です。
ただし、このクリッペ(お人形セット)には牛はいません(必ずしもそれらのモチーフを入れなければならないということではなさそうですね。)

キリスト教絵画において、ロバと牛という2頭の動物のモチーフは次のような意味を持っています。

【ロバ】 偶像崇拝の罪を負っている異教徒
【牛】 律法順守という束縛にとらわれているユダヤ人


そして、ロバと牛が見守っている赤ちゃんイエスこそ、彼らに表されている異教徒やユダヤ人たち、つまり非キリスト教徒のことを罪から救うお方なのだ、というわけです。これは、旧約聖書「イザヤ書」1章3節(「牛は飼い主を知り ろばは主人の飼い葉桶を知っている。」)という言葉の、古代のキリスト教指導者による解釈が基となっているそうです。

クリッペに登場しているロバを見てみると、背中に鞍といくつかの荷物を積んでいますね。このロバは、身重のマリアが乗ってきたのでしょう。妊婦さんが歩いて旅するのは大変でしょうからね。

ロバは更に、イエス・キリストが十字架につけられて殺される前、その舞台となるエルサレムという街に入城したときに乗っていた動物でもあります。そのため、キリスト教絵画の中でロバを見たとき、イエスの十字架と死を想起する人も少なくないだろうと思います。


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