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2017年10月12日
長期留学報告(ボーリンググリーン州立大学 村木 俊哉)
出会いに感謝
留学は、この大学に入学した時からの一つの目標だったので、達成できて良かったです。始めは、大学で履修していたフランス語に興味を持ち、カナダはフランス語が使われている地域があるので、カナダが良いかなと思っていました。しかし、提携校の留学先には、
そういった地域はないそうです。海外経験と英語を優先していたので、公費交換留学に選ばれたことに感謝しています。そして、BGSUに来ることができて、本当に良かったです。
8月9日にセントレア、成田経由でデトロイト着の飛行機に乗って行きましたが、成田でちょっとしたトラブルに遭いました。飛行機の遅延によりゲート前に利用者の列ができていて、クレームを飛ばしている人もいました。初めてのことでチケットが手に入らず、空港のスタッフも手一杯という状態で、質問しても相手にしてくれませんでした。出発1時間前に、ようやくスタッフに話しかけられ無事乗り込むことができましたが、日本でこんなに手こずってアメリカで大丈夫かなと、少し不安になりながら日本を出ました。
デトロイト空港には、NGUに短期留学していて、そこで仲良くなった友達に迎えに来てもらっていました。日本では、彼と日本語を使って話していたけど、BGへ向かう車では英語で話しをしました。英語がとても速く、聞き取れないところもありました。会話しながら眺めていた風景は周りに建物はなく、辺り一面コーン畑で坂などなく、日本とは全く違っていて、アメリカに着いたことを実感させられました。
その次の日からオリエンテーションが始まって、4日間仮の寮でオーストラリア人のルームメイトと過ごしました。授業が始まるまでの1、2週間は新しいことの連続で、スーパーでの買い物、ファーストフード店での注文の仕方、親元離れての暮らしは初めてで、慣れるまで戸惑いました。その頃は、まだミールプランが使えなかったので、Subwayなどで外食をしていましたが、何と言っているかよく分からず、はいはい頷いているとチップスを買わされそうになりました。ルームメイトに話しかけるのは、最初怖かったです。体格もでかいし、聞き返してしまうことや言葉が理解できていないことが多かったからです。しかし、初めは分からなくてもいい、ネイティブと普段話したことがなかったからしょうがないと割り切り、毎晩話しかける努力をしました。短い間だったけど、彼のおかげで良いスタートが切れたと思います。
オリエンテーション後は、Kohl Hallという別の寮に移りました。この寮には別の国から来ている学生が多く、ルームメイトは香港人でした。ESOLの授業が一緒の人も同じ寮に集まっていたので、アメリカ人よりどちらかというとアジア出身の友達が多くできました。また、授業が始まってから、1日が過ぎるのが早く感じ始めました。初めの1,2週間は、授業中に大量に聞いた英語で頭が痛くなりました。毎日課題が出されるので、夜遅くまで課題をこなし、友達と夜中にラウンジで勉強をしていました。
授業は、スピーキング、ライティングのESOL2つの他に、American Culture、Popular Culture、太鼓とグローバルビレッジを取っていました。グローバルビレッジでは、授業とフィールドトリップを行うもので、多国の文化を学びます。教室はKohl Hallで、同じ寮の友達も多かったです。週末に、デトロイトやトレドに旅行に行き、アメリカで生活している移民のことや食事のことを、実際に学びつつ観光しました。American Cultureの授業でも、Melting Podという見出しから始まるチャプターで、移民とアメリカの歴史が書かれており、歴史を知るうえで移民は重要な事柄の一つであることを感じました。
ESOLは、スピーキングのクラスが大変でした。レコーディングの課題が多く、普段自分の声を録音しないため、抵抗がありました。また、噛んだり、filler(言葉の間に「えー」とか「あー」とか)が多かったので、何度もやり直しました。クラスメイトは、中国人、韓国人、タイ人、サウジアラビア人、日本人と、インターナショナルでした。アメリカにいて、他の国のことについても語れる留学生がBGには多いので、他の国への興味を持ち、今まで持っていた偏見を、綺麗に拭い去ってくれました。太鼓の授業というのは、日本の伝統楽器の太鼓の実技を、アメリカ人の先生が教えるというものです。実際に、カリフォルニアの太鼓グループからプロが訪れて、パフォーマンスを披露した日もありました。太鼓は、アメリカでも需要と人気があるようです。
BGで、私は3つのクラブ活動に参加していました。一つは日本語クラブで、書道や折り紙などの体験会や、お月見やお正月などのプレゼンテーションをしました。お花見イベントが一番大きなイベントで、日本の出し物を体験してもらうのが目的です。私は、書道ブースを担当していました。留学中、数回書道をする機会があったため、今まで嫌いだった書道が好きになりました。自分の名前を、ひらがな、カタカナ、また漢字にして欲しい方が多かったので、名前を書きながら筆を教えるのが楽しかったです。二つ目は、中国クラブで麺料理を作ったり、Chinese New Year(旧暦の正月)を祝ったりしました。三つ目は、音楽クラブでギターを演奏していました。日本のアニメソングを演奏するクラブです。しかし、パート仲間がいなかったため、チームの仲間と話をすることがなかなかありませんでした。唯一ベースの人とは、初めしゃべっていました。自分とは合わないと思い、12月に辞めることを伝えましたが、1月のオハイオ州の首都のコロンバスで行われるオハイヨコンというアニメ展覧会には出て欲しいと言われたので、参加しました。参加して良かったと思っています。オハイヨコンの3日間、グループの仲間と共に過ごし、話し合うことができました。このイベントを通して、自分の殻を壊す事ができました。
冬休みや春休みといった連続した休みがある週は、学校の寮から出ないといけません。秋休みとThanksgiving Dayには、ピックリントンの友達の実家に泊めてもらいました。冬休みは3週間あり、カリフォルニアのBGの友達の家に泊めてもらいました。春休みは、日本人の友達とニューヨークへ旅行しました。Thanksgiving中は、友達の親戚の家でターキーを食べました。その家はカンボジア人系の家族で、アジア風でした。ターキーは夜食べるかなと思っていましたが、昼食として麺料理や生春巻きと一緒にいただきました。Black Fridayでは、家電製品店にいきました。テレビなどが格安で販売されるので、周りのお客さんのカートの中に、テレビなどが詰め込まれていました。冬休みにはカリフォルニアへ。アメリカの最西端にあって、中心部にあるオハイオ州とは全く違ったフラットではない景色に、冬なのに雪もなく暖かい気候でテンション上がりました。友達のお父さんは、まさに自分が思い描いていていたアメリカ人という方で、面白く優しい家族でした。クリスマスパーティは友達の友達の家で開かれ、大人数で楽しみました。小さい子供から同じ年くらいの人、お父さんやおばあちゃんが集まって、とても賑やかでした。パーティを友達を集めて大勢で行うアメリカの文化は、すごく良いなと感じました。クリスマスの後は、アリゾナ州とユタ州へ、国立公園巡りに連れて行ってくれました。ユタといえばグランドキャニオンが有名ですが、ブライスキャニオンとザイオンキャニオンという2つの国立公園へ行きました。名前も聞いたこともなかったのですが、自然が生み出した造形美に目を奪われました。春休みは、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンD.C.へ行きました。自由の女神で、偽者スタッフからチケットを買ってしまうトラブルがありました。あやしいなと思いチケットをネットで調べたら公式ではないことに気がつき、公式のチケット販売所を探しました。自由の女神のことは前日に友達が調べてくれていて、ネットでチケットを買うには遅かったので、当日なんとかなるだろうと思いましたが、旅行先でトラブルに巻き込まれないためにも、きちっと調べておくことは大切だと思い知らされました。
最後に、留学中、本当に友達にお世話になりました。秋学期は課題に追われていて、ないがしろにしていた時期もありました。日本語クラブ後に、ポリアイズというレストランに行くのが恒例でしたが断っていました。秋学期が終わりに近づいていくうちに、今自分はアメリカにいてやっていることはパソコンとにらめっこと思ったら、もったいないことをしていることに気づきました。日本語クラブに行くと、毎回いつものように誘ってくれて、嬉しく思いました。それ以来、友達との時間を大切にしようと心に刻みました。長期留学報告(ボーリンググリーン州立大学 積 真美)
留学先で経験したこと・学んだこと
この留学した1年間は、悪い思い出も良い思い出もありましたが、私にとってはとても貴重な経験になりました。留学しようと思ったきっかけは、留学の書類を周りの友人達が提出していることや、外国語学部なので留学には行かないといけないなという、漠然で単純なものでした。いざ留学選考が通り留学の確定メールが送られてきた時、現実感を帯びてきて、不安でいっぱいでした。しかし、そんな時、後押しをしてくれたのは、母親からの言葉や友人の励ましでした。母親から、「語学力が伸びなくても良い経験になると思うし、今しかチャンスがないよ。」という後押しがあり、留学に向けての心の準備をすることができました。勉強面に関しては、単語テストなどの基礎的なものしかやっておらず、どうにかなるだろうという、甘い気持ちでアメリカに行きました。
始め頃は不安しかなく、自分の英語も全然通用しなくて落ち込む日々でしたが、アメリカ人や他国からの留学生のフレンドリーさに助けられました。日本では実家暮らしだったのですが、アメリカでは初めての寮生活で、食料品や日用品は全部自分で調達しないといけませんでした。まだ学校の周辺は知らなかったのですが、何が必要かなど周りの子達が丁寧に教えてくれて、とても親切だなという印象でした。
また、アメリカと日本の文化の違いに日々驚いていました。例えば、アメリカ人の子達が共同トイレに裸足で行ったり、日頃の服装が基本はタンクトップとショートパンツだったり、日本では有り得ないようなことばかりでした。天気も不安定で、いきなりゲリラ豪雨になったりもしました。授業の仕組みも、日本の大学とは違うものでした。基本的に自分のことは自分で管理するという体制で、課題の量も圧倒的に多く、ほぼ毎日深夜まで課題に終われる生活を送っていました。そのおかげもあって、勉強に真摯に取り組む姿勢を新たに身につけることができました。
このようにアメリカでは、日本で経験してこなかったことを色々経験しました。特に印象深いのは、人間関係です。この1年間を振り返ると、凄く人間関係で苦労した1年でした。日本にいた頃は、価値観の違いなどで他の人と衝突することはなかったのですが、秋学期は初めての寮生活ということもあって、ルームメイトと揉めることが多くありました。そんな時に、もっと英語を勉強して、自分の考えをダイレクトに説明できるようにしとけば良かったなと、悩むこともありました。しかし、逆に言えば、困難が立ちはだかったからこそ、英語を使う機会も増え、語学力を一気に伸ばすことができました。精神的に病んでしまいそうな時はもちろん沢山ありましたが、そんな時に友人が慰めてくれたりして、本当に自分は友達に恵まれたなと思います。
彼らには、勉強面でも色々とお世話になりました。例えば、秋学期はチャレンジ的な科目を取っていなかったことと、中国人の友人に頼る部分が多かったこともあったのですが、秋学期で帰国してしまう友人が多く、中国人の友人の1人がこのままじゃいけないと喝を入れてくれました。こういうこともあり、春学期は自分のレベルには難しい授業を選択して、更に英語力のアップをしました。もちろん勉強面でも、もし私が英語に関することで分からないことがあったら、私の英語での質問を真剣に聞いてくれたり、私が納得するまで解説してくれたり、本当にお世話になりました。
そんな友人達とは、休暇やイベントなど、多くの時間を過ごしました。秋学期は、サンクスギビングを友人の家で一週間過ごしました。そこでは初めてターキーを食べて、ブラックフライデーには朝5時に起床するという過酷なスケジュールでしたが、お得に買い物ができ、爆買いをしてしまいました。冬休みには、カリフォルニア出身の友人の家にお邪魔して、観光スポットであるハリウッドサインやサンタモニカのビーチに行きました。幸運なことに、友人一家は旅行が好きな一家だったので、一週間の間にユタ州にある二つの国立公園に行ったり、帰りにラスベガスに寄ったりできました。春休みには、中国人の友人たちと、シカゴや日本と比べると格安なアリアナ・グランデのコンサートに行ったりしました。
また、私は1年を通して、ジャパニーズクラブ、WSA、チャイニーズクラブ、グローバルビレッジというコミュニティに参加していたので、多くのイベントに関わりました。その中でも印象に残っているイベントは、10月下旬のインターナショナルディナーと中国の旧暦を祝うイベントです。インターナショナルディナーでは、色んな国からの留学生が出し物をするというもので、私を含めて5人で日本チームとして参加しました。浴衣を着て、盆踊りとよさこい踊りをトップバッターとして披露したのですが、大きな歓声をもらうことができました。日本の文化をこういう形で披露できたことは、日本人としても嬉しいし、自分の趣味であるよさこい踊りを広める一歩になったので、計り知れない達成感を味わうことができました。旧暦を祝うイベントでは、中国では習慣として餃子を食べるので、ひたすら餃子を作ったのを覚えています。そのおかげもあって、餃子を作る名人になりました。
勉強面でも生活面でも、とても充実した一年を過ごすことができました。辛かったことも多かったけど、圧倒的に楽しいことを得ることの方が多かったです。度重なるルームメイトや友人との話し合いの中で、自分の価値観と違う人は多くて、自分の考えが普通だという自分軸の考え方は、通用しないことを学びました。また、ファイナルウィークでお世話になった中国語の先生には、「もしアメリカに留学することや就職面で困ったことがあったら、いつでも相談してね。」というありがたい言葉をいただきました。ルームメイトや友人とお別れをする際は、抱き合って号泣するぐらい、とても別れが辛かったです。この時は、本当にアメリカを去るのが辛くて、こんなに悲しむぐらいなら、最初から留学に行かなければ良かったと思いましたが、留学に行ってなかったら彼らと出会うこともできなかったと思います。留学は、自分の欠点や当たり前だと思っていたことを見つめなおす機会が沢山ある良い経験です。
家族や友人のサポートがあってこその留学だということ、日本が平和な国であるということなど、当たり前だと思っていたことは実は当たり前じゃないのだと、改めて実感しました。もし、今留学に行こうか迷っている学生がいたならば、自分も最初は迷っていた人達の一人だったけど、良い経験を積むことができたと実感しているので、絶対行った方がいいと勧めたいと思います。