2017年1月アーカイブ

 12月前半、ELL全体のフィールドトリップでクリスマスマーケットに行きました。毎年12月になると開かれるクリスマスマーケットは、大きなツリーや聖歌団を見たりという有名で伝統的なものだけでなく、他にもクリスマスに関するものが売っていたりと、楽しむことができました。メープル関連の商品はお土産屋で買うよりお得に買えるものもあるので要チェックだと思いました。

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  最後のテストは学期のまとめテストかと思っていたのですが、通常通りのテストと同じでした。しかし、以前のmoduleと比べて、module5では個人課題よりもグループ課題が多く、クラスメイトと連絡をとり協力しあって仕上げる課題ばかりでした。そのため、授業外の休日などにも会い、課題をこなす日もありました。最後の授業日の後には、先生が学期の終わりだからとクラスのみんなでレストランにご飯を食べに出かけました。

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 授業が終ったあとの数週間は、まだ行っていなかったカサロマに行きました。クリスマスシーズンで、普段と違う装飾やイベントをしていました。たまたま行った日が夜まで空いている日で、イルミネーションがとても綺麗で写真をたくさん撮りました。他にも仲の良かったクラスメイトと最後のご飯へ行ったり、ルームメイトがパーティを開いてくれたりしたおかげで、帰国までの間も退屈することなく過ごすことができました。 

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 12月は2週間しかなかったのもありますが、それ以上に日々が早く過ぎていくように感じました。

 2日金曜日の授業後、ホストファミリーに誘われてUnivercity of Northtern Iowa の International students 主催のクリスマスパーティーに参加しました。家が豪華でとても広く、たくさんの学生が参加をしていました。こちらの大学には日本の他大学の学生が多く留学に来ていて、みんなのノリも良くとても楽しかったです。僕が貰ったプレゼントは、中国の伝統的なお守りと大量のチョコでした。

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 4日に雪が降り、みんなで雪だるまを作りました。次の日に壊れていたのが残念でした。

 7日水曜日の授業後、今度はコー大学のESL主催でクリスマス&フェアエルパーティーが開かれました。ここでもらったプレゼントは、Tシャツと布団カバーでした。一年間残る人たちから寄せ書きをいただき、とにかく感謝しかない1日でした。

 8日木曜日は、ホストファミリーの家で自家製のハンバーガーをいただきました。前回会ったときに、マクドナルドのテリヤキバーガーが一番おいしいと言ったら作ってくれるという話になり、家にお邪魔してご飯をいただきました。そして靴下に入ったプレゼントまでいただきました。帰りには色んな家のクリスマスライトアップを見て回り、寮まで送ってもらいました。

 9日は最後の授業だったので、現地で出会い、お世話になった3人の友達にあいさつをしてきました。ただ、大学のスタッフの方に挨拶ができなかったことを後悔しています。また、最後のラケットボールの授業でボールがメガネに直撃し、メガネが割れてしまって全くプレーできなっかったことも後悔してます。

 テストは今までの時間よりも早い時間から始まるということで、起きることに神経を使っていました。テストが全て終わった日の夜、半期の人たちのためのパーティーを開いてくれて、最終日も楽しめました。

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 インドネシアに来て4ヶ月が経ちました。12月に入ってすぐの12月7日の朝5時3分に、M6の大きな地震がありました。大きな揺れが長く続き、目覚めましたが怖くてベッドから起き上がることができませんでした。津波警報は出ておらず、その日は普段通り講義はありました。私が住んでいるビルン県マタン・グルンバンドゥアでの大きな被害はありませんでしたが、車で2時間ほどの震源地近くのピディ・ジャヤ県では100名以上の死者がでたそうです。大学では、その日の朝起きたばかりの地震なのに、学生がすでに募金活動をしていました。

 私たちも何かできないかと思い、12月8日に佐伯先生を通じて2015年スタディツアーでお世話になったNGO「Jari Aceh」のニーズ調査に同行させていただきました。 主にモスク(イスラム寺院)に多くの人たちが避難していたので、モスクで話しを聞きました。女性と子どもたちはモスクの外に建てられたテントで窮屈そうに過ごしていました。男性はテントはなく、モスクの壁沿いにもたれかかっていました。

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 インドネシアは1年を通して暑いです。12月は雨季で乾季よりは暑くありませんが、テントや外で過ごすのはもっと大変だと思います。イスラムの女性は、ジルバブ(ベール)を被っており、テント生活ではそれを脱ぐことができず、長い時間被っていなければなりません。また、支援物資の受付にはたくさんの物資がありましたが、それが被災者全員には行き渡っていないようでした。 

 ムルドゥ群クデ・ムルドゥでは、2階建ての長屋式店舗がほぼ全壊しており、捜索・救出作業が続けられていました。こういった光景を目の当たりにし、これから私たちに何ができるのか、"ニーズにあった支援をしていきたい"という気持ちが強くなりました。 

 12月12日には、8日に行ったニーズ調査を元に準備した支援物資を届けに、再度「Jari Aceh」に同行させていただきました。国際協力を勉強していましたが、実際に支援の現場を直接見て考えて行動することは初めてだったので、地震発生からニーズ調査をし、支援を渡すまでの速さと手順を見ることができ、とても勉強になりました。 

 そして名古屋学院大学で募金活動を行うことになりました。私は直接募金活動に参加できませんでしたが、募金活動のチラシを作成しました。活動するために集まってくれた学生のおかげで、8万9162円(12月)の寄付を集めることができました。この募金活動を通して、募金活動をするにあたって大切な知識や手順を勉強することができ、この経験は自分にとっていい実践の勉強の場になりました。

 大学では期末テストが始まりました。イスラム教のテストは難しすぎるということで、特別に受けないで済みました。日本と大きく違うと感じたのは、テスト期間や時間、場所を友達を通して知ることです。事前にテスト日がいつなのか、担当の先生から聞かずにいたので、スピーキングテストの日が過ぎてしまいました。別のテストを受けた帰りにスピーキングの先生に会ったので、その場でいきなりテストを受けました。名古屋学院大学のCCSのありがたみを感じました。 

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 12月といえばクリスマスですが、イスラム教の地域なのでクリスマスはありません。初めてサンタクロースやクリスマスツリーを見ずに、クリスマスを過ごしました。そんなクリスマスの25日に友達が紹介してくれたので、アチェの伝統的な結婚式の衣装を着させてもらいました。メイクに2時間半もかかり、ドレスや頭や体につけるきらびやかなアクセサリーをつけるのに、1時間もかかりました。

 メイクは信じられないぐらい濃く、つけまつげを2枚も重ねたので目が重く前がはっきり見えませんでした。今まで何度か結婚式に行きましたが、いざ自分が体験してみると大変過ぎて準備の段階で疲れてしまい、頭の装飾品のせいで立っているのもつらく、首が痛かったです。良い経験をし楽しかったですが、いざ本当に結婚式となるとこんな大変なドレスと頭の装飾品をつけたまま1日過ごすのかと思い、花嫁さんの大変さを感じました。

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 1月の頭にもテストがあり、その後は2ヶ月の長期休みに入ります。日本には帰国はせず、佐伯先生がアチェに来るので、短いですが先生がいる間は同行させてもらい、被災地ピディ・ジャヤでの支援や、もちろんそ他の活動もしっかり自分の目に焼き付け、積極的に学びたです。2016年は、自分にとってインドネシアに留学に来て表現しきれないほどの経験と思い出ができました。2017年は時間を無駄にしないよう、インドネシア語や被災地への支援も含め、何事にも、有意義にそして積極的に全力で取り組みたいです。
 あっという間に12月末になり、帰国まで1週間になってしまいました。留学生活ラストということで、買いたいもの、食べたいもの、行きたいところに行くことが多い月でした。

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 中国で奇跡の再会をした関西の友達と、小学生の頃にお世話になった天津日本人学校に行き、校舎見学をさせていただきました。小学生の時以来なので、校舎周りの住宅などの風景はすっかり変わってしまいましたが、校舎の中は教室や体育館、特別教室など、当時と変わっておらず、とても懐かしく感じ、楽しかったです。

 最終週には家族が2泊3日で遊びに来てくれました。家族も天津に来るのは9年ぶりで、とても楽しみにしていたようです。

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 1月3日と4日は最後のテストがあります。听力は前回のテスト同様、HSK3級のリスニングの問題。口语は先生が決めたテーマの文章を25文、自分で作り暗記して先生の前で発表し、先生からの質問を受けるテストです。阅读は文章を読み、設問に答えます。精读はHSKの問題と教科書の文法問題のテストです。ラストのテスト頑張りたいと思います。

 また、帰国後の3月にはHSK4級、3年生になったら5級を受験しようと思っているので、それに向けてこちらの本屋さんで購入した問題集をしっかりやりこみ、1回で合格できるようにしたいと思います。

 この4カ月の留学中に中国の良いところを、たくさん知ることができました。厳しい人も居ましたが、多くの人は言語の分らない日本人の私に、優しく接してくれました。9年前にも感じましたが、今回の留学で改めて感じました。日本では考えられないようなことが起きたり、外国の子たちの生活を見て、こちらでの常識や海外との文化の違いをたくさん感じることができました。留学は私一人ではできず、周りの人の支えがあってできます。親、お世話になった人に感謝して、残りの1週間を過ごしたいと思います。

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 今月でカナダでの生活も最後でした。仲良くしてくれたクラスメイトやお世話になった先生とのお別れが寂しくなります。そして、寮での生活が終わってしまうのも寂しかったです。

 寮での生活はとても楽しかったです。放課後は同じ寮の仲間で毎日大富豪をしていました。週末はみんなで寮のキッチンを使って料理をしました。自分たちで作った唐揚げが美味しくて何回も作りました。 

 クラスメイトは本当に私に良くしてくれました。私は未熟な英語しか話せませんでしたが、そんな私とクラスメイトたちは仲良くしてくれました。そしてそんなクラスメイトにいつも助けられました。クラスメイトは私が授業中に分らないことがあると、いつも助けてくれ、プライベートでも仲良くしてくれました。みんな寿司屋が好きで、放課後によく一緒に寿司屋に行きました。

 雪が積もった日には彼らと雪だるまを作りました。外国の雪だるまらしく、鼻がにんじんでできた3段の雪だるまを作りました。完成した雪だるまはとても不細工だったので、2人で笑いました。

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 学校が修了したあとはホストマザーとホストファーザー、ホストブラザーという3人家族のお宅にホームステイをさせてもらいました。みんなとても優しかったです。滞在中はホストブラザーと同じ部屋で寝泊まりをしたので、彼と話す機会がたくさんありました。彼は礼儀が正しい子でした。家に入るときは必ずレディーファーストをしてくれたり、私が英語を聞き取りやすいようにはなしてくれたり、細やかな気遣いができる子でした。しかし、人にいたずらをしたり自作の変な踊りを踊りだしたり、お茶目で子供らしい一面もあって癒されました。

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 クリスマスの彼らの親戚と一緒に過ごしました。朝から親戚同士が集まって朝食を食べたあとに、みんなでプレゼントとクリスマスカード交換をしました。そのあとはみんなでゲームをして遊びました。日本のクリスマスとは違って、主に家族との時間を共有のだなtと感じました。

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 翌日の早朝は帰国日でした。カーラさんとカーラさんの夫が車で空港まで送って行ってくれました。二人とも最後まで私のことを心配してくれて、とてもいい人でした。 

 この4か月間は人として大きく成長することができたと思います。留学中はカナダでの生活になかなか慣れなかったり、なんでも英語で自分の意志を伝えたりと、あらゆることに四苦八苦しました。そんな中、クラスの友達や先生や同じ寮に住んでいる日本人の仲間に助けられながら、少しずつカナダの環境に慣れていきました。

 また、スーセントマリーに住んでいる人たちはみんないい人たちでした。バスのお客さんや店員さんは、いつも笑顔で話しかけてくれるので親しみやすかったです。雨の中歩いていたら、バスの運転手さんに声を掛けられ、目的地まで乗せて行ってくれたときは、留学先をスーセントマリーにして本当によかったと思いました。留学中は楽しいことばかりではなくつらいことも何度もありましたが、周りに支えがあったおかげで乗り越えることができたと思います。この経験をこれから先の人生にも生かしていきたいです。

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