中期私費の最近のブログ記事

2017年10月19日

中期留学報告(アルムスリム大学 深川 開斗)

人とは、違う経験の数々
 

 私は中期留学生として、2016年8月31から2017年1月24日までインドネシア・アチェ州に留学した。インドネシア・アチェ州に行くのは、2度目だった。1度目の訪問は、1年次スタディツアーだ。スタディツアーに参加して、国際問題や国際協力について学んだ。その時、間近で国際問題や国際協力を見て、もっと見てみたい、この人たちと同じ環境で住んでたくさんのことを感じたいと興味が湧き、2度目の留学に繋がった。 


 留学先では、アチェにあるアルムスリム大学で、地元の生徒たちと同じ授業に参加した。私が留学した大学には、私と同じカリキュラムで留学していた水谷さん以外、外国からの留学生がいなかったので、その分他の留学生よりもたくさん現地の人たちと接する機会があり、インドネシア語と触れ合う時間も多かった。 授業は一コマだいたい120分や150分と、日本の大学より長く大変だった。私は月曜日から土曜日まで授業があったので、忙しかった。 講義内容は様々で、インドネシアの文化を学んだり、インドネシアのマクロ経済、インドネシアの環境問題、インドネシア語で英語の授業を受けたり、パソコンでポスターを製作するコンピューターの授業などを受けた。その中でも印象に残っているのは、イスラム教の授業だ。インドネシアはイスラム教の人がとても多いので、イスラム教のお祈りやモスクの見学など、イスラム教徒が多いからこそできる授業があり、その授業を通してとても貴重な体験をすることができた。正直なところ、始めは授業の1割も聞き取れていなかったが、日が経つにつれてどんどん慣れていき、最後は100%理解していたわけではないが、授業後の時間などに大学の友達に教えてもらったりして、なんとか理解して授業に参加できるようになった。 

深1.jpg

 留学期間中は、アルムスリム大学の寮で生活した。寮の施設は、部屋が4つ、リビングが1つ、トイレが2つ、キッチンが1つあり、4人で住むには十分な広さだった。しかし、シャワー、バスタブはなく、トイレの横にある水槽に水を溜めて、その水を浴びて身体を洗っていた。寮は自分用の部屋があり、とても快適に過ごすことができた。 


 留学生活を楽しく過ごせたのは、現地の友達のおかげだ。寮の隣に喫茶店があり、アチェでは喫茶店で長時間おしゃべりするのが一般的だったので、毎日喫茶店に通った。そうすることで、たくさんの友達ができるようになった。大学で出た課題やインドネシア語を勉強するときは、いつも友達が教えてくれて、毎日友達と会っていた。また、友達に紹介してもらった地元のサッカーチームに参加して、週に2度サッカーをし、トーナメントでは良い成績を残せた。サッカーを通してできた友達とは、一緒にお揃いのユニホームを作ったりと、交友関係はかなり充実していた。


深3.jpg
深.jpg


 留学生活の中で、大学での活動以外に力を入れていたことがある。それは、国際協力だ。私は1年生の時にスタディツアーで訪れた村々を、地元のNGOと一緒にもう一度訪問した。中でもチョ・マンボンという村には、何度も足を運んだ。チョ・マンボンの村の人たちは、生活用水に困っていた。地元のNGOが水道管の援助をすることが決まっていたので同行させてもらい、現地の限られた支援の中で、村の人たち自身が無償で工事に参加しているのを見た。この光景は、現地で直接支援をしていないと見えないものだった。この時私は、支援する側と、村の人たちの現状を良くしたいと思う気持ちと行動が合わさったのが、国際協力なのではないかと思った。直接現地へ訪れないと、このように考えることができなかったので、とても良い経験になった。 


 留学生活で1番印象に残っていることは、地震だ。2016年12月7日水曜日、私が留学しているインドネシア・アチェ州で、M6.5の地震が起きた。地震発生の翌日から、佐伯先生を通じて地元のNGO「jari aceh」のヌルジュバさんにお願いして、最も被害が深刻なピディ・ジャヤ県への被災者支援とニーズ調査に同行させてもらった。実際に被災地に行って、新聞やテレビの情報だけでは伝わらないことがたくあると感じた。私は、水や食料を配って炊き出しをしたら、支援は終わりだと思っていた。しかし、現実は全く違った。たくさんの水を持って行ったとしても、その地域に既にたくさんの水があったら水は必要ない。大切なのは、被災者のニーズに応じて支援することだった。このためには、たくさんの情報、たくさんのコミュニケーションが必要だと思った。


 名古屋学院大学のメンバーとも、協力して支援した。私が自らポスターを作成して大学に飾ってもらったり、この時留学していなかった大学の友達と連携して、募金活動を行なった。この募金活動で集まったカンパで、何度か私たちが現地へ足を運び支援活動をした。この経験は、私の留学生活の中で良い経験だと思う。国際協力文化学部として、ただ語学のために留学するのではなく、国際問題や国際協力に携わることができて、とても良かった。 

深2.jpg

 留学を通して、インドネシアの人たちの温かさに、たくさん触れることができた。なので、次は私がインドネシアの人たちのために何かしたいという、新たな目標ができた。留学を終えた今、それに向けて勉強していきたいと思っている。そして、今だから言えることは、留学をしようかと悩んでいる人がいるならば、できなくても良いので1度挑戦した方が良いということだ。なぜなら、私自身が留学することを決断するまでかなり迷ったが、留学しなかったら後で後悔し心残りすると思い、まずは挑戦しようと思って留学をした。そして今は、留学をしてとても良かったと思っている。私の留学経験は私にしか経験できないことがあり、かなり私を成長させるものであり、必ずこれから活きていくものだ。今後の人生において、一生忘れることのない5カ月だったと私は思う。最後に、この留学生活は、私1人で到底成功する事はできなかったと思うので、関わってくれた全ての人たちに感謝している。本当にありがとうございました。



to_top.jpg

中期留学報告(パシフィック大学 井上 駿)

パシフィック大学
 
 私は、2016年の8月中旬から約4か月間、アメリカに中期留学をしていました。パシフィック大学は、アメリカの西海岸に位置するオレゴン州フォレストグローブにあります。フォレストグローブは、小さな町でのんびりしています。小洒落たお店が何軒か連なっており、一つ一つが私や周りの学生にとって大きな存在でした。私のお気に入りの店は、ピッツァスミッツァというピザ屋さんで、パシフィック大学の生徒には値引きをしてくれます。こういったお店は大学付近のお店には多く、学生にとっては住みやすい町でした。一番衝撃だったのが、映画館です。映画のチケットが学生割引で2ドルだったので、一時期映画館に行くことにハマっていました。 
 
 さて、この留学を通して私は、行って良かったと感じる機会が本当に多くありました。英語を学びにパシフィック大学に行きましたが、英語の習得以上に価値のある経験と知識を得て、考え方が変わり視野も広がりました。留学をしている間、毎日が刺激的で新しいことの発見の連続でした。なので、今回はこれらのことについて書いていきます。 

 幼いころに一度海外には行ったことがありますが、私の記憶にはそこの景色の記憶が少しあるだけで、今ではほとんど覚えておらず、海外はほとんど初めてのようなものだったので、今回アメリカに行けるという楽しみや期待が大きかった分、不安も多くありました。実際に、国際便の飛行機の乗り方もろくに分からなかった私は、周りの人に助けられることによって、無事にアメリカに着くことができました。 
 
 いざアメリカに着いてみると、やはり英語を主流に全員がコミュニケーションを取っており、焦ったのを覚えています。現地の大学生や飲食店の店員に話しかけられても、まず聞き取ることに精一杯で苦戦しました。聞き取れても頭がいっぱいいっぱいで、思うように話すことができず、本当に会話が成り立ちませんでした。言葉がうまく伝わらないことが、こんなにもストレスになり悩みになるとは思いませんでした。 

 そんな日々が続き、どうしようと思っていた時に、ある程度耳が英語に慣れていることに気づきました。ある程度聞き取ることができれば、何を話しているのか大体理解できるので考えることに余裕ができ、会話を返すことができるようになりました。そのおかげで、ご飯やスポーツなどにも誘うことができるようになり、現地の人たちとも仲良くなっていきました。様々な国の人たちが集まるアメリカで、人種に関係なく英語という言語でみんなとコミュニケーションが取れるのは、本当に素晴らしいことだと思いましたし、これからも継続して、英語に触れていきたいと思いました。それと同時に、他の言語や国にも興味を持つようになりました。私はそれまで、日本の価値観の中でしか物事を考えられていなかったので、視野が広くなったことが本当に良かったです。 

 高校生の頃までは、英語が本気で嫌いで学ぶ意図が分からず、英語の勉強をしていませんでした。でも、大学に入るにあたって、進路を決めるときに外国人とコミュニケーションが取りたいと思うようになり、それなら英語を学んでみようと思い、今の大学に入りました。そのきっかけは、当時やっていたバンドです。よくライブハウスでライブをしていたので、他のバンドの人たちとのつながりが多くありました。その中に外国人のバンドもいて、時々一緒にライブをしていました。もともとアメリカやイギリスの音楽に興味は持っていたので、いろんな話を聞きたかったのですが、英語で話すことができず終わりました。その時は何とも思っていなかったのですが、なぜかそこから更に世界のバンドにも興味を持つようになり聞くようになりました。そうなると、歌詞は日本語ではなく英語だったので、自分でも知らない間に英語に興味が向くようになりました。留学に行って帰ってきた今、あのとき英語を学ぶ道に進んで良かったなと思います。留学中、様々な音楽に触れることができたので良かったですし、ギターを中学生の時からやっていたので、パシフィック大学の授業で先生とギターでセッションをすることもでき、先生の普段とは違った面も見ることができて面白かったです。あとは何といっても、違う授業の先生のタトゥーが最高にかっこよかったです。 授業内容は、宿題やプレゼンの発表などが多くあり大変でしたが、どの授業も先生とクラスの雰囲気が良く、学んでいて楽しかったです。 

 授業面以外でも学ぶことは多く、ただ単に外国人の友達と話していても勉強になるし、英語でのコミュニケーションに慣れることにもつながっていきました。特にジャパンクラブというクラブのおかげで、友達の輪も広がっていきました。ジャパンクラブはその名の通り、日本の文化について共有するクラブで、ここに参加する外国人は日本に興味があって来ているのですごい話しやすく、相手からも話しかけてきてくれます。週一回あるので私も参加し、日本の文化について教えていました。一番印象に残っているのが、かるたをやったときのことです。私が日本語で読み札を読みあげると、外国人が聞き取ってちゃんと札をとっていくのが驚きで、アメリカなのに日本語を学んでいる人たちもいることに衝撃を受けました。日本人の私が英語を学んでいるように、日本語を学んでいるアメリカ人もいてくれたので、一緒に話したりしてお互いに教え合えたりでき、その点でもジャパンクラブは良いクラブでした。

 その他の良かったことは、いろいろな場所に行けたことです。最初にオレゴン州で栄えているポートランドに行きました。オレゴン州は税がないのですごく住みやすい街で、尚且つおしゃれな町でした。ポートランドは何回か行きましたが、全体を回りきることなく結局帰ってきました。もう一度行ってみたい場所です。そして、そこで初めてNBAの試合を見ました。本場のバスケットボールの試合を見ることができて、すごく嬉しかったです。また、マンザニータビーチという、地元では有名なビーチに9月頃行きました。午前中は天候が曇っていましたが、午後は晴れてビーチを堪能することができました。また、12月頃にマウントフットという、オレゴン州の富士山と言われている山にも行きました。その日は晴れていて、マウントフットを横目に山登りしました。西海岸に位置するオレゴン州ですが、この時期は凄く寒かったです。
 
 Fall AとFall Bの間の休みでは、ニューヨークに行きました。観光するところが多くあり、テレビや雑誌で見た世界がありました。実際に行ってみると、人の数がすごく活気があり、世界の中心という言葉がぴったりでした。10月頃は、土日を使ってオレゴン州の上の州であるワシントン州のシアトルに行きました。私が好きなギタリストたちがここの出身なので、行けて良かったです。ガムウォールという変わった壁や大きい魚の市場などの観光もでき、楽しかったです。また、ロサンゼルスを訪れる機会もあり、本当に楽しかったです。

 アメリカの中で、私が何回でも行きたい州がカリフォルニア州です。私的にはディズニーランドやユニーバーサルも楽しかったですが、西海岸の文化が一番好きでした。ビーチがあり、スケートボードやサーフィンなどといったストリートの文化が根強く、退屈しない場所だと思います。絶対にまた来たいと思いました。更に気温も暖かく、12月でも半袖で過ごせました。それと、ハリウッドも凄く良かったです。ハリウッドの中心街は、ニューヨークのタイムズスクエアの雰囲気に似ていた印象があります。西海岸の州全部に行きましたが、気温も文化も全然違い、それだけアメリカは大きな国だと思いました。まだ、アメリカ全体のほんのちょっとしか行って見てないので、またアメリカに行きたいです。アメリカは膨大な土地で、その土地ごとに文化が発達しており、とても楽しい国でした。

 ロサンゼルスを訪れた後に約3週間、カナダのトロントの友達のホームステイ先にお世話になりに行きました。3週間は思ったよりも長く、トロント市街やモントリオール、ナイアガラの滝などにも行くことができました。トロントは気温がマイナスだったので、本当に寒かったです。人生で初めてアイススケートもしました。カナダにも行くことができて、本当に良かったです。 

 旅行以外ですと、ハロウィンのイベントやクリスマスなどといったイベントや、パーティーも楽しかったですし、大統領選に立ち会えたことも良い経験になりました。今回初めて留学に行ってみて、数知れない多くの新しい経験を得ることができたことが、私にとっての本当に価値のあるものになったのだと思いました。


to_top.jpg

中期留学報告(アルゴマ大学 石塚 育子)

スーセントマリーでの貴重な経験 
 

 私の留学先のスーセントマリーは、自然が豊かな小さな街でした。4ヶ月間を海外で生活するなら、安全でのんびりと過ごすことができる場所が良いと思ったので、スーセントマリーに留学することに決めました。秋は、アルゴマ大学の敷地や街のストリートにある木の紅葉がとてもきれいで、リスをよく見かけました。冬は極寒で、12月になる頃には凄まじい量の雪が積もります。それでも寮の中は全体に暖房が効いているので、快適に過ごすことができました。しかし、外出をする時は、マフラーや手袋が欠かせなかったです。スーセントマリーの人たちは、とても親切でフレンドリーでした。見知らぬ人でも、目が合うとニコッとしてくれました。更にお店のスタッフさんは、ほとんどの人が親しく話しかけてきてくれます。現地の人たちがみんな純粋で優しかったおかげで、異国の地に住むことへの不安がすぐに消えました。 

 授業は学校のESLに所属していたので、リーディング、ライティング、グラマーの3つの授業を受けていました。成績は学期末のテストが一番大事ですが、提出物、出席率、小テストの結果、中間テストの結果も成績に響きます。クラスはクラス分けテストで決まるので、クラスによっては大人数になったりします。私のクラスは少人数で外国人が多いクラスだったので、語学力を伸ばすのにはとても良い環境でした。先生との距離が近く、すぐに先生に質問することができました。ペアワークをする時は、外国人生徒とパートナーになって話し合いをすることが多かったです。外国人生徒は、中国人とブラジル人とアラビア人がいました。私よりもはるかに英語を話すことができる生徒ばかりでしたが、授業中もプライベートでも仲良くしてくれました。クラスメイトたちは母国について話してくれたり、授業が早く終わった日には、クラスのみんなでに外食したりしました。雪がたくさん積もった日には、中国人のクラスメイトと雪だるまを作って遊びました。 

 ブラジル人のクラスメイトの家に、4日間滞在させてもらったこともあります。その期間は、ブラジル人のクラスメイトの子どもと寝ていました。毎晩寝る前には子どもと一緒に遊んでいたので、自分に弟ができたような感覚でした。クリスマスには、ブラジル人のクラスメイトの家族や親戚と一緒に、キリスト教の誕生を祝いました。初めて本場のクリスマスを体感したので、感激しました。クリスマスには、クラスメイトの家族にクリスマスカードとクリスマスプレゼントを渡しました。また、私もクラスメイトの家族と親戚に、カードとプレゼントをもらいました。その時は、本当に家族の一員になったようで、とても嬉しかったです。カードやプレゼントを家族で交換したり、みんなで食事をしたり、ご近所や友達にも「メリークリスマス」と挨拶をする光景は、どことなく日本のお正月と似ていて親近感を感じました。  留学中は様々な苦労がありました。最初の頃は、カナダの生活に慣れるのが大変でした。日常生活で英語を話したり聞き取ったりすることができなかったり、カナダの食文化に慣れなかったりしました。身の回りのものでは、シャワーやトイレが使いにくかったり、バスの乗り方が分からなかったりしました。このような些細な苦労が全てストレスとなって、積み重なっていました。留学中に一番苦労したとことは、英語を聞き取ってもらうことでした。自分は発音よく英語を話しているつもりでも、日本人訛りの強い英語になってしまうため、言いたいことが一回で伝わらないことが何度もありました。特に"water"の発音が難しかったです。クラスメイトとレストランに行って水を注文するときに、クラスメイトと同じような発音で水を注文するのですが、私だけが伝わらなかったことが多かったです。諦めてスペル通りに発音する方が、一回で伝わりました。"water"は簡単そうに聞こえますが意外と難しいので、英語圏に旅行するときは"water" の発音は練習しておいた方が良いと思います。また、いろんな国の人の英語を聞き取るにも苦労しました。最初は、ブラジル人のクラスメイトの英語も聞き取るのが難しかったです。国によって英語の訛り方は様々ですが、いろんな人が英語を話しているのを見て、英語は世界の共通語であることを改めて実感しました。 

 最後に、私は留学を通して語学力を伸ばしたい、異国の文化の地で様々な経験をしたい、そして消極的な自分を変えたいという理由で留学をしました。留学を通して、語学力や国際感覚が身についただけではなく、積極性も身につきました。最初の方はクラスメイトから話しかけてきてくれることが多かったです。しかし、クラスメイトと徐々に打ち解けていくうちに、自分からも話しかけるようになり、留学前よりも積極的な人間になれました。クラスメイトに間違った英語を使って場をしらけさせたりするなど、たくさんの恥をかいてきましたが、それでも私のことを面白い人だと言って受け入れてくれました。英語だと言いたいことの100%が伝えられなかったりしますが、拙い英語でも一生懸命に相手に伝えようとする姿勢は大事だと気づきました。また、スーセントマリーで出会った人たちは、本当に素敵な人たちばかりでした。個性的なクラスメイト、いろんなことを教えてくれた先生、家族のように毎日一緒に過ごした寮の仲間、優しくて純粋な現地の人たちなど、いろんな人に出会い、人とのつながりは素晴らしいなと感じることができました。 

 留学中は自分を見つめなおし、将来の方向性についてもたくさん考えてきました。帰国後は、留学経験を生かして次に留学する人たちにアドバイスをしたり、日本に来た外国人のために何か役に立てればいいなと思います。中期留学全体を通して、留学前から帰国するまで、無知なことが多く大変でした。飛行機のことやキャッシュカードのことやカナダに着いてからのことなど、最初は何から何まで分からないことだらけでした。それでも日本にいる両親、留学先での友達、現地の人、寮の仲間に助けられ、無事に4カ月間を過ごすことができました。授業についていけなくて大変だったこともありましたが、無事に全教科を合格することができて安心しました。留学先で出会った人たち、日本から応援してくれた友達、そして私が留学に行くことを一番に応援してくれた両親には、とても感謝しています。また、国際交流を通して、人と話すことの楽しさを感じました。異国の人たちは日本人にはない大胆な考えや価値観を持っていて、それがとても面白かったです。また、国際交流をすることで、改めて日本を知るきっかけにもなり、日本人と友達になることとはまた違った楽しさを感じました。




to_top.jpg

中期留学報告(アルゴマ大学 酒井 花子)

五か月間の留学を終えて


カナダでの5か月の留学生活で、英語を学ぶだけでなく、楽しいことや苦しいこともたくさん経験しました。この経験から、諦めないことの大切さ、すぐ行動することの大切さを学ぶことができました。留学に行く前、私のトーフルの点数は420点程度で周りに比べてとても低く、文法の基礎すらしっかりと理解できていない状態でした。


まず、アルゴマに着くと、寮のアドバイザーから寮についての説明があったのですが、何を言っているのか全く分からなくて、不安でいっぱいのままカナダでの生活が始まりました。ミールプランはどうすれば使えるのか、キッチンはどうすれば入れるかなど、誰に聞けばいいのか何も分かりませんでした。着いて2日目には、オリエンテーションが始まりました。そのオリエンテーションにはESLの学生以外もいて、とてもにぎやかな感じでした。ハイキングをしたり外でチキンを食べたり、楽しかったです。周りには、自分から他の国出身の子に話しかけている子がたくさんいましたが、私は緊張して自分から話しかけることができませんでした。しかし、そこで話しかけてくれた韓国出身の子と仲良くなれました。英語で実際に話すことで、自分の分からない単語やフレーズなどに気付くことができました。分かっていたつもりの単語も、他の意味で使われていたりしたので、学ぶことが多かったです。


授業が始まり、クラスで他の生徒は先生の質問に答えているのに、私はまず先生がどんな質問をしているのかも分かっていませんでした。どの教科も、最初に受けたテストは75パーセント以下で、特にリーディング・ライティングは52パーセントで、単位取得には程遠いレベルでした。初めの頃は、レベル3は自分に合っていないと感じ、ずっとクラスのレベルを変えたいと思っていました。しかし、とにかくやるしかない、英語力をあげたくてカナダにきたのだから、もっと頑張ろうと自分を奮い立たせて、それからは授業をより集中して受けて、毎日とにかく授業についていく努力をしました。クイズの日の前日は、友達と問題を出し合って夜まで勉強をしました。自分一人で勉強するより、友達とやるほうが分からない時にすぐ聞くことができ、とても効果的でした。私は、文法の基礎がクリアに理解できてなかったので、周りの友達に何度も説明してもらい助けられました。月曜の4限にあった、自由に先生に質問できるクラスを活用して、分からないことがあった時はすぐに先生に質問するようにしました。分からないことを後回しにすると、どんどん分からなくなってしまうので、はやく対処できる環境があって本当に良かったです。先生はとても素晴らしい方で、文法の質問に対していつもその場で分かりやすく教えてくれました。リーディング・ライティングの授業は課題がとても多く、最初の1か月はそれに慣れることが大変でした。毎週土日は、1日のほとんどをエッセイを書く時間に費やしていました。エッセイは、自分の舌の能力を失ったらどうなるのかなど、内容まで考えさせられるものが多かったので、余計に時間がかかりました。エッセイのことばかりを一日中考えるのは、しんどいことでした。それに加え、一生懸命書いてきたエッセイを先生に見てもらったら、他の生徒が同じ内容を書いているから、内容を変えて最初から書き直しと言われ、かなりショックでした。しかし、とにかくやるしかないという環境のおかげで、徹夜でエッセイを仕上げることができました。その分、精神的な面で成長できたと思います。また、諦めずに最後まで仕上げたことは、自分の中でも自信になりました。


5か月間、友達にはいつも支えてもらっていました。テストがうまくいかない時に励ましてもらったり、勉強を教えてもらったり、人間関係でうまくいっていない時にアドバイスをもらったりしていました。英語の勉学以外にも、寮生活のおかげで今までほとんどやったことのなかった洗濯を淡々とこなし、唐揚げを一から作ったり、お米を鍋で炊いたりすることができるようになりました。留学前は、それは母が当たり前にやっていてくれていて、洗濯も料理も勝手にめんどうくさくてやりたくないと思い込んでいました。しかし、やってみると意外と楽しくて、洗濯も料理も好きになりました。特に料理は、どのような手順で作れば効率よくできるかを、考えながら作ることが面白いです。やったことないことを勝手に自分には出来ないとか、めんどうくさそうと決めつけるのではなく、とにかく一度はやってみることで、初めてそれが本当に自分にとってどんなものなのかが分かるということに気付きました。当たり前のことですが、とにかく色々なことに挑戦することで、より自分を知ることができるということに気付かされました。


5か月間、学校の勉強は大変でしたが、自分が成長できた良い機会にもなりました。留学で得た困難にも諦めずやり遂げる力を、他のことにも活かしていきたいです。




to_top.jpg

2017年10月17日

中期留学報告(メンフィス大学 深津 大堅)

留学での成長、経験

 私、深津大堅は、8月中旬から12月の初旬まで、アメリカのメンフィス大学に半年間留学させていただきました。行くまでにイメージしていたアメリカの文化や生活、歴史と、行ってからこそ分かったこと・気づいたことの違いの差が大きく、留学して良かったです。半年間という短い時間でしたが、自分のスキルアップにつながり、留学で得た経験や留学を通して持った考え方がたくさんあり、一回りも二回りも大きく成長できました。

 8月中旬、日本からアメリカへ向けて出発するとき、不安と期待が半分半分でした。今まで自分の習ってきた英語力や、持ち続けていた価値観がどこまで通用するのかと、常に考えていました。見知らぬ土地で、長期のあいだ生活したことがなかったので、初めはどのように生活していけばよいか分からず、一緒に行った日本人の友達や、現地で出会った日本人ばかりに頼っていました。その状態を続けるのはいけないと分かっていましたが、なかなか自分の殻を破れないまま、2,3日が過ぎてしまいました。

そんな自分を変えてくれたのが、学校(IEI)でした。IEIには、英語を習得しようと様々な国籍の人が来ていました。この人たちは、どんなに汚いイントネーションや文法的に間違っている英語でも、伝えようとしている姿勢がありました。私は、英語に対するそのような姿勢が欠けていることに気づき、伝えようとする積極性を課題にして1か月間チャレンジし続けました。この課題を継続することで、IEIでの友達、現地の友達、他国から来た留学生といった、たくさんの人と出会うことができました。私は、この時点から急激に成長できたと実感しています。

 学校(IEI)では、毎日約6時間以上も英語漬けでした。クラスはレベル2とレベル3で、トータル8つの授業を受講していました。始めは、ネイティブのスピードについていき、イントネーションに慣れよう必死でした。少しでも早く次のステップに行きたかったので、授業中はもちろん、授業後の時間も英語を使って生活していました。当たり前の事ですが、24時間英語を使うことが初めてなので、異空間にいる感じがして、自分がリラックスできる瞬間がありませんでした。このような生活をすることで、日本にいる時に英語を使う機会がどれだけ少なかったのかを理解できました。英語に慣れるまでに約1か月かかりましたが、それ以降は徐々に自分のやりたいことや自分の時間を作れるようになりました。IEIでの授業、Grammar、 Intermediate Conversation、 Writing/Reading、Listening/Speaking とBasic Pronunciationを受講していました。この中で、特に自分のスキルを上げてくれた授業を紹介します。1つ目は、Grammarです。私は文法を苦手としていました。しかし、日本とは違う教え方で、どんな状況の時にどの文法を使用したらいいのかを教えてくださったり、ある一項目にかける時間が短かったりと、新しい発見と共に学んでいました。短期集中型で、問題を解く量も日本の授業と比べて2倍はあると感じました。分からなくても、問題を解いていくうちにコツを掴み、ニュアンスで答えを導きだせるようになり、理解する時間も早くなりました。今までは定義を考えたりして、問題を解くまでの時間が遅かったですが、アメリカでは先に解かせて、なぜこのような文法になるのかを解説するという順です。日本とは教え方が反対と分かりました。そして、問題数も多いことが分かりました。

2つ目は、Writing/Readingです。この授業では主に、文の正しい書き方、単語、文の読解を取り扱っていました。進むペースはGrammarと比べて遅いですが、自分たちで作り上げる授業でした。英語を総合的に使う授業で、先生は今日のテーマやヒント、アドバイスを与えるだけで、日本にはほとんどないスタイルでした。そして、予習をして当たり前であり、授業内では討論をし合い、授業外で内容を理解することが基本でした。私は今まで予習をあまり行ってこなかった人間なので、授業後の勉強はおろそかになっていたと思います。しかし、この授業を通して、英語の面白さに出会えました。時期と時間を重ねるたびに、理解力が上がっていることを実感しました。他の授業もたくさん学べて吸収できましたが、特にこの2つの授業は、私に大きく変わるチャンスを与えてくれました。

 授業後の時間は、主に自分の好きなバスケに当てていました。バスケットボールはアメリカの国技であり、自分も体感したいと思っていました。始め、クラブに参加しようと思っていましたが、トライアウトの選考期間が過ぎていたのと他のいくつかの理由から、やむおえず断念することになりました。そんな私を救ってくれたのが、現地の学生でした。バスケはアメリカの国技であるため、様々な場所でプレーできることを知りました。私も毎日、学校のジムで現地の学生と勝負することができました。始めは、アジア人ということと身長が低いことから、なかなか相手にしてもらえずにいました。英語も訛りが強く苦戦をしていてシュートなどをしてアピールをしていましたが、なかなかチャンスがまわってきませんでした。しかし、アメリカでのバスケは全て実力主義なので、良いプレーをしたらボールが集まり、目立たなければボールが来ないかのどちらかでした。自分のバスケスキルを磨くのと同時に、フィジカル面を磨きました。バスケもたくさんのプレーヤーと対戦することで、自分の存在も認められました。最終的にはm1番上手い人たちともプレーすることができて、より一層バスケが好きになりました。

他にも授業外でやっていた事は、一人暮らしでの家事です。日本では実家暮らしだったので、家事をほとんどやったことがなかったです。新鮮さを感じると同時に、今までの母親の苦労が実感できました。改めて、今まで支えてくれた家族の偉大さが分かり、感謝できる経験でした。初めてやってみて分かることの繰り返しで、これから一人暮らしや家族が出来て生活していく時は、この経験が活きると思いました。

 留学を通して言いたいことや感じたことはたくさんあり過ぎて書ききれませんが、自分のこれからの糧になることは間違いありません。そして、現地で出会った友達の存在や、初めての体験、経験を忘れず、これからも日々挑戦をしていきたいと思います。

to_top.jpg

2017年10月13日

中期留学報告(アラスカ大学 川畑 遥)

素敵な出会いに恵まれた濃い四か月

 私はこの留学を通して様々な事を学び、素敵な出会いや貴重な経験をしました。外国人として、異文化の中、環境も違う国での生活は、毎日刺激がいっぱいで、あっという間に過ぎていきました。特にアラスカは、日本では味わえない寒さや日照時間などの違いがあったので、気候の変化も楽しみの一つでした。

川5.jpg

まず、アラスカに到着した時は、自然豊かだなと思った覚えがあります。良くも悪くも、何もない印象でした。去年、アラスカに行っていた友達に、事前に知り合いを紹介してもらい、空港から大学までの送迎と、到着してからの手続きなど、様々な事を手伝ってもらい、既に素敵な出会いを果たしました。私が到着した時は、まだ新学期が始まってなかったのもあり、人がほとんどいなくてガランとした印象で、広大な敷地に様々な建物が建っていて、まず道を覚えられるかという不安と、白夜で夜の10時を過ぎても暗くならなかったので、着いてすぐに環境の違いを感じました。

川9.jpg

川8.jpg

最初は全てが不安で、言語の壁を痛感する日々でした。せっかくの海外での生活なので、日本人とはあまり居過ぎないようにしようと意気込んでいたのですが、やはり異国の地で、同じ境遇の人と出会うと安心からか、その子とよく一緒にいることが増えました。でも、私はそこでもとても良い出会いがありました。日本人は全員で7人いたのですが、その内二人がESLではなく自分の専攻を学んでいる方々で、5人がESLでほぼ同じ授業で、みんなとても良い人たちで、お互いを高め助け合い、辛い時には話を聞き合ったりと、一緒にいて頑張ろうと思える存在でした。最初はたぶん、みんな一緒に居過ぎないようにしようと思っていたと思うのですが、最終的にはお互いがなくてはならない存在になっていきました。特に、私は北海道からの留学生で、年齢的には一つ年下になる子とは、授業が終わってからも一緒に図書館で勉強をしたり、ジムで運動したり、ご飯を食べたりと、毎日のように一緒にいました。その子との出会いは、私にとってとても大きな出来事で、その子を通して仲良くなった友達や、私を通してその子に紹介した友達など、その子との出会いが私の留学生活を変えてくれました。

川.jpg

更に、アラスカ大学で出会った人たちは、みんなとても親切で、特にジャパンアラスカクラブというクラブの人達は、私たちにとても良くしてくれて、様々な所に連れて行ってくれたり、勉強を手伝ってくれたりと、アラスカ生活を楽しいと思える時間にしてくれました。みんな日本に興味がある人が集まっているので、日本について聞いてくれ、私自身も分からなかったことを聞かれて逆に勉強になり、将来日本語教師になりたいと、より思えた時間でした。この事を通して、私は改めて出会いや縁は、とても大事なことだなと思いました。それと同時に、出会いもあれば別れもあり、アラスカを離れる時にはお見送りに来てくれ、一緒に泣いてくれた友達や、お別れ会としてご飯を一緒に食べに行ってくれた友達もいて、改めて素敵な人達に出会ったなと感じました。

そして、アラスカでは気候の他にも、日本では味わえない経験をたくさんしました。まず、-35度の世界での生活です。8月、9月はまだ暖かく、日本から持って行ったコートでしのぐことができたのですが、10月の下旬から雪が降り始め、あっという間にコートだけではしのげない程寒くなりました。-35度なんて、雪ですらも名古屋に来て初めて見た私からしたら考えられなく、雪が待ち遠しかったのですが、寒いという次元を超え、命の危険を感じるほどでした。特に、オーロラは日本では絶対に見ることはできないので、この経験を留学という形でできたので、より良かったです。そして、人生初のハイキングを、極寒の中できたのも、あの時はとても辛くて一生やりたくないと思ったのですが、今では良い思い出です。

川7.jpg

ハロウィンやサンクスギビングホリデーなど、アメリカ特有の休日や行事を過ごせたのも、良い経験になりました。ハロウィンは、日本でも最近は行われるようにはなっているのですが、実際に仮装して近所の家にTrick or Treatingをしに行ったのは初めてで、サンクスギビングホリデーには学校が休日になり、友達の実家でサンクスギビングフードを楽しんだり、ブラックフライデーショッピングをしたりと、とても充実した時間を過ごしました。

川2.jpg

川4.jpg

川6.jpg

クリスマスはアラスカでは過ごせなかったのですが、早めのクリスマスパーティーをしてくれ、シークレットサンタという、クジで当たった人にクリスマスプレゼントをあげるというゲームをしたりと、日本では味わえない行事を楽しめました。

川3.jpg

川1.jpg

そして何より、全て英語という環境の中にいたので、英語力の向上は見られたと思いました。実際にその環境の中に行くというのは簡単な事ではなく、更に私費というレベル的にも高いとは言えない中でのスタートだったので、不安ばかりでした。でも、その人のやる気次第で生活は変わる、という言葉をよく聞くのですが、実際にそうだなと身を持って思いました。英語が完璧になったわけではありませんが、自分自身の考え方が、留学に行ってから変わったと思います。今まで新しいことへ挑戦することは不安ばかりで、簡単に一歩を踏み出せずにいたのですが、勇気をもって失敗することを恐れ、一歩を踏み出す大切さを知ることができ、やらずに後悔するよりは、やって後悔する方が良いという言葉を胸に、様々なことに積極的に挑んでいきたいなと思うようになりました。アラスカで出会った人は、私に英語だけでなく、こういったメンタル面での変化も与えてくれました。なので、私にとってこの留学は英語力の向上のみならず、メンタル面でも鍛えることができた、とても濃い4か月間でした。

この4か月間はあっという間で、帰国してから何度も戻りたいと思いました。でも、この半期間という決まった期間で、素敵な出会いや貴重な経験、様々な面での成長ができたと思うので、この気持ちを忘れず、今後に活かしていきたいです。そして、これから留学に行こうとしてる後輩の子たちには、新しいことへ挑戦することの不安や恐怖を拭ってでも、一歩を踏み出してほしいなと思います。人生は一度きりしかないし、こういう経験は学生の内でしかできないと思うので、是非、留学をお勧めしたいです。

最後に、この留学へ行かしてくれた両親への感謝を忘れず、アラスカを勧めてくれた先生方への感謝も忘れず、これからの短い学生生活を、充実した後悔のない生活にしていきたいと思いました。留学に行って良かったです。

to_top.jpg

2017年10月 6日

中期留学報告(アラスカ大学フェアバンクス校 森 純弥)

アラスカでの体験

 中期留学を終えて、感じたことや思ったことなどを、書き記していきたいと思います。学業だけでなく、自分がこの留学を通してどのようなことを変えることが出来たのかも、併せて書いていきます。


 始めに、なぜこの大学を選んだのかについて、書きたいと思います。私は私費留学でしたので、学校側から指示された約十校の仲から、留学先を選ぶことが出来ました。私は個人的に人口が密集しているところを避けたかったので、すぐに自分の中での候補は三個に減ったのです。そして、なぜ人が多いところを避けたのかというと、必然的に勉学がおろそかになってしまうと考えたからです。人が多い所にはやはり、それなりに遊ぶところが存在するもので、それらの誘惑に果たして自分が勝てるかと考えると、考えることそれ自体を煩わしく思って、思い切りよく「人のいないところに身を置いて、自分の学びたいことをやろう」という考えに至りました。結果として、この選択は大正解であったと確信しております。話は少しそれますが、正直なところ、中期か長期かも選ぶことが出来たので、長期にしたかったのです。しかし、お金も大変にかかりますし、それに加えて、半年で帰ってきて間違いではなかったと、今は感じています。


 次に、アラスカで起こったことや体験した出来事を、書いていきたいです。私はアラスカに到着してから、短い期間でしたが、先輩の友達を紹介してもらい、その子の家で宿泊をしました。ホームステイをもし自分が選択していた場合は、こんな感じで生活するのかと、お得な体験でした。その友人はたいへん優しくて、仕事か用事で家を空けているとき以外は、いつでも話し相手になってくれました。また、自転車を持っていたので、彼女にそれを貸してもらい、サイクリングもできました。アラスカの夏は一瞬で終わって雪が降ってしまうので、サイクリングが出来た私は、大満足でした。


 私はその後、寮に移ることになるのですが、そこで初めて一人で生活することの大変さを実感することになりました。生まれてこの方、一人暮らしというものをしたことがなかった私がまず初めに直面したのは、部屋に帰って着た時の何とも言えない寂しさです。私にはスイートメイトはいたのですが、残念ながらルームメイトがおらず、「おかえり」を言ってくれる相手が存在しませんでした。序盤はあまりの悲しさに耐えきれず、部屋に帰りたくありませんでした。しかし、ここまで書いておいてなんですが、寮暮らしは良いことの方が多かったと感じています。というのも、寮に住んでいると、そこの住人と簡単に仲良くなることができます。すれ違う人、キッチンで料理をしている人など、外に出れば誰かしらと会います。そういった人たちと、とても仲良くなることが出来ました。


 私は趣味でゲームをやるのですが、寮で知り合った人がゲーム好きで、私が日本に帰ってきても、オンラインでたまに話しながらゲームをしています。彼はゲームをやっていると、少し感情的になって口が悪くなるのですが、なかなか教科書には載っていないようなスラングを連発するので、ためになります。


 また、月一で何かしらのイベントが寮内であるので、それにも積極的に参加していました。無料で参加できたので、勉強が忙しくないときには、欠かさず出ていました。私のいた寮はWickershamという名前で、他の寮に比べると、三、四年生や院生の生徒がとても多かったため、寮内がとても静かでした。友達に聞いた話ですが、他のところでは若い生徒たちが昼夜関係なしに騒いでいるときもあるため、床に着きにくいと聞いたことがあります。心から、Whickershamに住むことが出来て良かったと思いました。


 次に、Outdoor adventureについて書きたいと思います。Outdoor adventureとは、ハイキングやアイスクライミング、カヌーイングなど、自然が広がるアラスカにぴったりのアクティビティーを少しのお金で体験できる、いわばクラブのようなものです。装備などを一式貸してくれるので、私は合計で三回の活動に参加しました。一番初めはデナリ国立公園で、三泊四日のハイキングをしました。この行事は、Wilderness Welcomeといって、新入生と留学生を対象に行われる活動で、私はここでたくさんの友人を作ることが出来ました。ハイキング自体は実に過酷で、何度も心が折れそうになりました。また、私はハイキングの途中で、全治約一か月の捻挫をしてしまいました。ただ、一人で下手を打っただけなのですが、これはかなり良い経験というか、笑い話になりました。少し自慢をすると、捻挫をした後私は、9 miles (約15km)を歩いて下山をしました。Outdoor adventureの人にも、「けがをして、こんなにも歩いた人を見たのは、君が初めてだ。」と言われたので、単純に嬉しかったです。


 そして、二回目はカヌーイングに参加しました。フェアバンクスに流れる川を、二時間ほどかけて川下りを行いました。このアクティビティは、とても楽で楽しかったです。


 最後の三回目は、雪山で一泊二日のハイキングを行いました。山は一面雪化粧、広がるツンドラはアラスカの気候の厳しさを物語っており、その中を歩いていくのは格別でした。宿泊地は、Dry cabinという山小屋のようなところでした。自分たちで薪を割り、火でとる暖は、これまた格別でした。電気が通っていないので、夜はランプに火をともし、暖かい飲み物をすすりながらカードゲームをしたり語り合ったりした夜を、私は今でも鮮明に思い返すことが出来ます。とても良い思い出となったし、アラスカの地でしか体験できない良い経験であったと思います。ちなみにオーロラは、ほぼ毎日のように見ることが出来ます。満点の星空に棚引く北極光は、それだけで心洗われますし、来て良かったと思える代物でした。


 三つ目に、学業について書きたいと思います。とは言っても、アメリカにいるからといって、日本でやっていたことと別段変わる部分はありませんでした。英語を聞いて、本を読み、文章を書く。それをただひたすらに繰り返すことが、上達への道なのだと感じました。しかし、やはりアドバンテージとしてあるのが、英語を必ず使わなければいけない状況なので、積極的に話すようになることと、生活のあらゆる場面でどのような言葉選びをすればよいのかを、すごく自然に学ぶことが出来ることだったかと思います。余談ですが、授業にはかなり個体差があります。履修は、一度決めると取りやめることが出来ないので、授業を取る前の事前準備が大切かと感じました。あまり簡単な授業を取ると、あまりためにならなかったりするケースがあるので。私もそれを、一つの授業で体験し、少し後悔しました。


 最後に、今回の留学は、自分にとってとても大きな人生の起点になったかと思います。私が今回の留学で学べて一番良かったことは、「人生の楽しみ方」です。これは、単に海外の遊び方を知ったという意味ではありません。これを学べて、自分の根幹となる部分がとても強くなりました。自分でも、言葉で言い表すことのできない部分の成長を実感することができ、とても心が満ち足りました。しかし、これで満足せず、これからも日々を邁進していきたいと存じます。




to_top.jpg

中期留学報告(天津外国語大学 喜多 真凜)

たった一人で留学に行った私の物語

私の2/24~7/9までの中期中国留学について話したいと思います。私は元々、中国に留学に行くつもりは、全くありませんでした。ただ、第二言語として中国語を選択しているだけだった私に、留学をするきっかけになる出来事がありました。それは、同じ中国語のクラスだった友達3人が、中国に留学に行ったことです。その3人のうちの1人がSNSに投稿をしているのを見た時、私も中国に行ってみたいと思うようになりました。ですが、私は3人とは違い私費留学だったので、名古屋学院大学の授業料と天津外国語大学への留学で使うお金という、とても高額な金額が必要であり、それを出してくれた母に感謝しています。そしていざ一人で行くとなると、とても心細いし不安だらけでした。飛行機にて3時間で天津に着き、そして空港からタクシーで天津外国語大学まで向かいました。大学に着き受付を済ませようと思ったら、本当に何も聞き取れず困ってしまいましたが、ルームメイトが助けてくれました。なので、今のルームメイトには感謝してもしきれません。そのルームメイトと出会えてなかったら、どうなっていたのだろうと思います。

天津外国語大学には、日本人がとてもたくさんいます。日本人会というものがありましたが、私たち2人以外みんな日本人会に参加していました。そして日本人のほとんどが、関西外国語大学の人たちで、私たち2人はどちらかというと浮いていました。名古屋からは、私の他に愛知淑徳大学から3人と、名古屋外国語大学から1人来ていましたが、彼女たちは半年から一年留学する子たちだったので、挨拶は交わしますがあまり深い関係にまではなりませんでした。

天津に来てから3日後に、授業前テストがあります。これは、所謂実力テストです。日本人であれば、意味は分からずとも解ける問題ばかりでした。その後、答案用紙を持ち、自分に合うだろうクラスの部屋へ行き、軽い面接をして、その後に学生証用の写真撮影をして、その日は終わりです。私のクラスのほとんどが日本人と韓国人で、その他にタイ、スペイン、ムスリム系から2人の、合計27人のクラスでした。クラスメイトはみんな良い子ばかりで、授業終わりによくご飯に行ったこともあります。

授業に関しては、スピーキング、リスニング、リーディングが2つの、合計4教科のみで、HSKでいうと4級レベルだったので、そこまで難しくはなかったかなと思いました。先生も面白い方が多かったので、授業中もすごく楽しかったのを覚えています。

天津の気候としては、日本より気温も高く、そして太陽も近いので、とても暑く日焼け止めを塗ってもすぐ焼けますが、日本に比べ湿気は少ないです。私は、2月後半から中国にいましたが、その時期の中国は寒いと聞いていたので、日本から冬服を結構持っていきました。しかし、思っていたより寒くなかったので、中国でたくさん服を買いました。

そして私は、留学期間中に友達と一緒に、上海と北京に行きました。上海では、上海ディズニーなどいろんなところに行きました。友達の先輩が上海に留学していることもあり、その先輩が上海の有名スポットを案内してくれましたので、とても楽しい上海旅行でした。北京では、天安門に行って写真を撮りました。北京へは、私が帰国ギリギリになって、北京に行ったことがないと言うと、なら今から行くかとなり、その場で行こうと決め、日帰りで行ってきました。そこで私は、やっぱり都会って楽しいなと思いました。でも、留学するなら、都会で留学するより、田舎で留学する方が良いと思います。なぜなら、田舎の方が都会に比べ、人の優しさや温かさに、たくさん触れられる気がします。それに、都会だと遊ぶところがとても多いので、絶対いろんなところで遊んでしまうので、それだと留学しているなら何だかもったいないなと思います。だから私は、留学するなら田舎に行くべきかなと思います。都会に行くなら旅行で行きたいと私は思います。

一枚目の写真は、友達と上海ディズニーランドに行った時のものです。ディズニーランドは、とても楽しかったです。でも、私的には東京のほうが断然楽しいと思います。上海ディズニーは、東京ディズニーシーのように広さ的にはあまり広くなかったです。プーさん、シンデレラ、ベイマックスなどと可愛らしいキャラクターにも会うことができました。でも私たちは、乗り物に乗ったのは5つくらいで、あとは友達が一眼レフを持っていたので、写真をたくさん撮るなど、まったりディズニーを満喫していました。ディズニーの他に、友達の先輩が上海に留学していたため、豫園、田子坊、外滩など有名処を案内してもらいました。上海は、天津にはないアクセサリーが一つ300円ほどでとても安く、しかもデザインもとても可愛くて私も一つ即買いしました。夜景もとてもきれいで感動したので、また行きたいと思っています。

北.jpg

二枚目の写真は、私が帰国するギリギリに友達と北京に日帰り旅行に行った時の写真です。有名な天安門広場前で写真を撮ることができました。夜ご飯を食べていたら、隣の中国人の男の人から、「これ余ったからあげるよ。」と言われ、豆腐とトッポキをもらいました。こんなこともあるのだなと思いました。その他にも、たくさんのお土産ショップがある通りを見て周って、買ったりしました。みんなに渡す中国のお土産があまりにも難しく、私は北京でアルバムや磁石、ポーチなどを買っておき、天津でスーパーなどに売っている中国のお菓子を買って日本に帰ってきました。

北1.jpg

三枚目の写真は、クラス写真です。クラス全員とても仲が良く、クラスメイトはとてもいい子達ばかりでした。私はいつも韓国人のお姉さま方といて、すごく可愛がられていました。韓国人のお姉さま方と話す言語は、日本語、韓国語、英語、中国語のフル言語を使って話をしていました。お姉さまの一人の韓国人が独学で日本語を勉強していることもあり、その子経由で分からないところをいろいろ教えてもらうこともありました。

北2.jpg

私は、今回このような留学をすることができて、良かったなと思います。初めてで、しかも独りぼっちで中国に行って、不安だらけで約半年間やっていけるかなと思っていましたが、友達がたくさんできたので、笑顔の絶えない楽しい留学生活を送ることができました。私は、この中国留学で学んだ様々なことを、たくさんの人に教えてあげられたらいいなと思います。

to_top.jpg

中期留学報告(マキーワン大学 水野 佑香)

留学を通して成長したこと

 MacEwan University のESLの生徒として、3ヵ月間学校へ通いました。MacEwan Universityは、カナダのアルバータ州にあります。日本に比べて紫外線が強くて、冬が長いです。特にエドモントンは、とても乾燥していて紫外線が強いと、出発前に調べていました。私は、日本から乾燥や紫外線対策の準備をしていましたが、想像していたよりもひどく、日本のものでは全然対応できませんでしたし、最後までとても苦労しました。紫外線のおかげか、気温の割に暖かいです。こちらで暮らしている人は、半袖やノースリーブを着ていますが、私は約4ヵ月エドモントンで暮らして、一度も着ませんでした。


 初めて学校へ行くと、年上でさまざまな国の人たちがいました。私は、自分と同じ状況の学生たちばかりだと思っていたので、本当にびっくりしました。彼らは移民として何年も前からカナダに住んでいるので、すでに英語を話したり聞いたりすることはできます。しかし、私は学校の先生やCDなど、日本ではきれいな英語しか聞いていなかったので、移民の方たちと会話をすることは、とても大変でした。それに比べて、カナディアンの英語はとてもきれいです。しかし、とても速いです。今までテストなどで聞いていた速度よりもかなり早くて、自分がここまで聞き取れないのかという驚きと、カナダで暮らしていくことに不安を感じました。また、ゆっくり話してもらえますかと話しても、20秒後にはゆっくり話すことを忘れています。


水1.jpg

 英語力は、特にリスニングが上がったと、授業でも普段の生活でも感じていました。ルームメイトと初めて会ったときはゆっくり話してもらい、さらに何度も言い直してもらってやっと理解できていましたが、ある程度スムーズに理解できるようになりました。さらに、リスニングのテストでも、だんだん点数が上がっていきました。私にとって一番の問題は、スピーキングでした。私の場合、言いたいことが英語で言えないときはもちろんですが、それよりも自分の意見や言いたいことがなくて、話すことがないというのが、人と話す時に本当に苦労します。日本にいるときから、自分の意見や感想を言葉にすることや表現することがとても苦手で、感想文や意見を言い合うグループワークにも、苦手意識を持っていました。そのため、"自分の意見をしっかり持てるようになること"を、カナダに来てからずっと課題にしていました。少しは考えが持てるようになったかなと、そこでも成長を感じましたが、正直、まだまだでした。例えば、リーディングとライティングの授業で、自分の好きな食べ物について時間内にできるだけ多くの文章を書く、という授業をしました。自分の好きなことについて書けばいいだけなのに、私はプリントの半分ほどしか書けませんでした。隣の席のコロンビア国籍の人は、私の3倍ほど書いていて、自分はまだまだたと感じました。どの授業でも、自分の考えや意見を聞かれることがたくさんありました。質問の内容は分かっていても、本当に意見が出てこなくて、悔しい思いをたくさんしましたし、話す機会を失っていたと思います。


 約3ヵ月間努力をしていましたが、やはり自分はまだまだだと感じる出来事がありました。それは、スピーキングの授業のテストです。テストの内容は、始めに先生が誰が発表をするかくじを引き、当たった人はお題を決めるためにくじを引きます。その後1分間の準備時間を与えられ、すぐに発表をしなくてはいけませんでした。自分がいつ発表するかも分からず、準備の時間も短く、このテストにはとても苦労しました。一度授業で練習をしましたが、私は難しい質問ではなかったにも関わらず、準備時間からずっと頭が真っ白でした。結果、YesかNoで答えた後は、数文付け加えるだけの本当に悲惨な発表となりました。


 練習からテスト当日まで数日しかなかったので、自分の意見を持つようになるには、あまりにも時間が足りませんでした、テスト当日まではとにかく、友達と授業内容を振り返り覚えて、分からない事はお互いに教え合いました。私は、言葉を多く言うことは無理だったので、お題に沿ったことを正確に伝えられるように努力をしました。当日は、流暢に自分の意見を話すことはやはりできませんでしたが、お題に沿った発表をすることができたと思います。


水.jpg

 エドモントンに住んでいる間、私は寮に住んでいました。始めは、学校へ通い家事をすることで、いっぱいいっぱいでした。しかし、それに慣れてくると、学校が終わった後と休日が、とてももったいないように感じました。なぜなら、英語をほとんど使っていなかったし、出かけることも少なかったからです。ルームメイトは月曜日から木曜日の朝までしか寮で過ごすことがなく、午後からは授業、私は授業が毎日朝の8時から12時20分までだったので、寮にいるときは一人の時間が長く、ただ部屋にいることが多かったです。そんな時に、アドバイザーにボランティアをしたいと話しました。


 まず始めに私は、MacEwan University のオープンキャンパスのボランティアをしました。友達と参加をしましたが、ESLの生徒は私と友達の二人だけでした。私が担当した仕事の内容は、入り口付近に立ち、入ってきた人たちにMacEwanのグッズを渡し、目的の場所へ案内をすることです。オープンキャンパスへ来た人たちは、私がESLの生徒だと知らないので、ボランティアの服を着ているだけで、どんどん話しかけてきます。もちろん答えられない質問もありましたが、他のボランティアの方たちがすぐに助けてくれて、無事にボランティアを終えることができました。学校主催のボランティアでは、朝ごはん、昼ご飯、MacEwan UniversityのTシャツ、MacEwanグッズと、本当にたくさんのものをもらいましたし、ESLの生徒としてではなくMacEwanの生徒として頑張ろうと、自分から一番話しかけた良い機会でした。


水2.jpg

 私はいくつかボランティアに参加をしましたが、学校主催のボランティアよりも、外部のボランティアに参加をすることが良いと思いました。カナダは常にボランティアを募集しているので、気になる団体やイベントがあれば、訪ねてみると良いと思います。実際に私は、クラシックバレエに興味があったので、カナダで50年もの歴史があるアルバータバレエ団に、ボランティアをしたいとメールを送りました。その団体は、全くボランティアを募集していなかったので、断られるだろうと思っていましたが、私がネイティブのように英語を話せないということも考慮して、あっさり受け入れてくれました。さらに、ボランティアに参加をした人全員に、当日の公演チケットを配っていましたし、そこで出会った人と連絡先を交換して、仲良くなることができました。もし、気になるボランティアがなくても、アドバイザーに尋ねると、さまざまなボランティアを紹介してくれていたと思います。ボランティアに参加をし始めてから、今まで予定がなかった週末が、とても充実したものへと変わりましたし、英語以外の様々なことを学ぶ良いきっかけになりました。


水3.jpg

 エドモントンへ留学した約4ヵ月間は、私にとって英語以外にも様々なことを学び、成長できた期間でした。始めは、年上の方ばかりで不安だった学校生活、言葉を十分に理解できない中参加したボランティア、日本と違いすぎる気候の中での生活など、思い出せばきりがないほど、多くの経験をすることができました。その中でも一番印象に残っていることは、現地の人々の温かさです。私は、留学して1ヵ月でケータイが壊れてしまいましたが、自分の使わなくなったケータイを貸してくれました。悩みを相談すると、解決しようと助けてくれたり、おいしいお店があると連れて行ってくれたりして、本当に4ヵ月間何度も助けられ、楽しませてもらいました。私は、苦労したことすらみんなと乗り越えた良い思い出になっていて、留学をしてから今まで一度も後悔したことはなく、とても良い4ヵ月を過ごすことができたと感じています。



to_top.jpg

中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 齋藤 彩乃)

カナダで得たもの

私が留学することを考え始めたのは、高校生の頃でした。そして英米語学科に入学し、1年生の時に留学選考を受けたものの、残念ながら切符を掴むことができませんでした。その後悔しさをバネに、2年生の一年間は、日本にいながらできる英語の勉強に力を入れました。そして3年生の夏から、私費留学という形ではありましたが、志望していたカナダ・トロントにあるジョージブラウンカレッジ(GBC)へ、4か月間の留学が決まりました。

斉藤彩3.jpg

GBCのESLでは、8週間ごとにプレイスメントテストがあり、私はレベル4の授業から受けていました。授業が始まって驚いたことは、クラスメイトの幅広い年齢層と国籍の多様さでした。12か国から集まったクラスメイトは、同年代の学生から子どもがいるお母さん、医者、牧師など、個性溢れる人たちで毎日が新鮮でした。

授業は、月曜日にリスニングと発音中心、その他の曜日にグラマー、ライティング、リーディング、スピーキングを行っていました。それぞれ定期的にテストやプレゼンテーション、それに加えてオンラインでの課題もありました。プレゼンテーションは有名な日本人・カナダ人というテーマで、今まで得意ではなかったものの、1・2年生からしてきたことを活かせて良かったです。留学当初は、先生やクラスメイトが話す英語は、集中して聞いていると理解できるような状態でしたが、話すとなると、言いたいことが言えず、スピーキング力の低さを感じる日々でした。ESLにはアジア圏からの生徒が多く、同じ言語を話して固まっている光景を目にすることもよくありました。実際に私自身も日本語を話してしまうことがあり、そんなときにウクライナ人のクラスメイトと仲良くなりました。すると彼女から、あなたはもっと英語を話すべきだよ。もっと話したら絶対上手くなるよ。と言われ、どこかで変わらなければいけないと考えていた私に、彼女はきっかけを与えてくれました。

それからは、間違いを恐れずにどんどん話すことが大切だと感じ、授業以外に2種類のスピーキングのワークショップに参加していました。一つ目のSpeak Upは、毎週行くうちに新しい人と出会えるのが楽しくなり、仲良くなりたいという気持ちから、自分から話しかけることも増えていきました。もう一つは、Public Speakingというスピーチやグループディスカッションをするワークショップで、人前で話す練習をしたいという人が多く集まっていました。最初は緊張しましたが、徐々にアイコンタクトをとって話すことに慣れることができ、参加して良かった「と思っています。私にとってワークショップは、英語を学んだのはもちろんですが、それ以上に大切なことを学べた場でした。

そしてレベル5になると、中国や韓国、ベトナムなどアジア圏出身のクラスメイトが多くなりました。授業はライティングに力が入れられていて、要約やエッセイなどをよく書いていました。周りのクラスメイトに比べて、書くのに時間がかかって苦労することもありましたが、たくさん書いているうちに他の英語力もかなり鍛えられました。レベル5のプレゼンテーションはペアで行うもので、中国人のクラスメイトと放課後に図書館でたくさん話し合いながらパワーポイントを作り、一緒に頑張りました。ムスリムファッションという宗教的で難しいテーマでしたが、ムスリムの友人からも話を聞けて、留学に行ったからこそ学べた内容だったと思います。


斉藤彩.jpg

そして、4カ月の間にボランティアも経験しました。一つは地域の秋祭りで、子どもたちにフェイスペインティングをしお菓子を受け渡すボランティア、二つ目はサンタクロースパレードというイベントで、コスチュームを着て6㎞ほど歩くボランティア、三つ目はクリスマスマーケットで、ブースの受付を行うものでした。留学生活の中で、学内だけでなく地域の方々と関わりを持てたことは、貴重な体験になりました。また、特に印象的だったのが、キャラバンというESLのイベントです。それぞれの出身国を祝うお祭りで、教室を飾り付けし、伝統的な衣装を着て文化を紹介しました。私たちにとっては小さい頃から慣れ親しんでいる、浴衣や折り紙、書道を新鮮に感じ、すごい!綺麗!日本に行ってみたくなった!いろんな国の人が言ってくださり、日本の魅力に改めて気づかされました。他の国の部屋にもそれぞれ魅了される衣装や文化があり、人柄を感じて、GBCを選んで良かったと思った一日でした。

ホームステイ先には、ジャマイカ人のマザー、コロンビア人の高校生の女の子、猫がいました。ジャマイカは音楽が有名なこともあり、家の中ではよくレゲエが流れていて、いつも陽気なマザーでした。これまでに100人ほどの留学生を受け入れてきたというベテランの家庭らしく、ホームステイの決まりごとが項目ごとにしっかりとリストになっていました。また、2ヶ月が経過した頃から、アメリカに住んでいたホストシスターと彼女の赤ちゃんも一緒に暮らすようになり、家の中が一気に賑やかになりました。それまで部屋にいることが多かったハウスメイトとも、リビングで団欒する時間が増えて、毎朝駅まで一緒に登校するほどの仲になり、嬉しかったです。サンクスギビングやクリスマスには、家族で集まって大きなターキーを食べるカナダ流の過ごし方を楽しみ、ホームステイでの忘れられない思い出になりました。マザーとホストシスターはいつも笑顔で優しく、手料理は本当に美味しいものばかりで、ホームステイ先は自分で選ぶことができない中、この家庭で暮らせたことはとても幸せだったと思います。

斉藤彩1.jpg

一年を通してたくさんのイベントがあり、様々な国の移民や文化を受け入れ、尊重し合っている人種のモザイク都市・トロントは、とても魅力的な場所でした。そして、世界中から人が集まっているなか、英語が話せることで世界が広がっていくのを体験したことで、改めて英語の偉大さを感じました。友人のほとんどはESLのクラスやアクティビティを通して出会い、帰国しても連絡を取り続けていて、世界中に友人ができたことが私にとって一番留学して良かったと思うことです。ESLで出会った人達はGBCの本科に進むため、よりよい職に就いてカナダで暮らすため、といった明確な目標を持って英語を学んでいて、英語を習得して何をするのかが大切だということを改めて実感しました。なので、これから留学に行く方にも、留学先で何がしたいのかが一番大切だということを忘れないでいてほしいと思います。

斉藤彩2.jpg

振り返ってみると、本当にあっという間の4ヵ月間でしたが、どんな時も周りの人の支えがあったからこそ、様々なことに挑戦していけたのだと思います。いつも温かく接してくれたホストファミリー、友人、先生、そして日本から支えてくれた方々のおかげで、貴重な体験ができたことに感謝します。

to_top.jpg

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち中期私費カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは中期私費(延長)です。

次のカテゴリはアルムスリム大学です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。