ジョージ・ブラウン大学の最近のブログ記事

2017年10月18日

中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 長谷川 愛)

語学とともに学んだもの


 私がカナダのトロントにいた、たった4か月で、私の考え方や語学に対するモチベーションは、かなり大きく変わりました。トロントに着いた初日、ホストの方と全く話せなくて、自分は語学を専攻している学部にいるのに、今まで何をしてきたのだろうと思いました。よく使う単語や短文をネットで調べてストックを持っていても、その先が続かなかったりと、会話を続けることに苦労しました。初めて自分の言いたいことが伝わったなあと感じたときは、台湾人のルームメイトと話していた時です。彼女が私の拙い英語にも真剣に耳を傾けてくれて、私もいちいち翻訳アプリを使わず、自分の中にある単語のストックを使いながら話したので、達成感がありました。それまでホストとの会話では、私が会話につまると、ホストがGoogle翻訳を使っていたので、話すときに通じなかったらどうしよう、また翻訳を使われるのだろうなあとマイナスの感情がありました。しかし、ルームメイトと話すうちに、会話が楽しいと思えるようになりました。英語で自分の言いたいことを伝えるときに一番大切なのは、それを伝えようとする熱意なのだと学びました。学校が始まるまでに、彼女によく使うフレーズを教えて貰ったり、自分でもノートを作って勉強したりするなど、モチベーションを上げていきました。


 学校が始まると、当たり前ですがクラスメートや先生に対しても英語なので、最初は頭を使いました。Universityとは違いCollegeなので、年齢もバラバラです。また、トロントなので、世界中からクラスメート達が集まっています。文法などは、高校の時に習ったものがほとんどでした。しかし、英語を英語で学ぶ方が、しっかり理解できていると感じました。細かいニュアンスや、分かっていたつもりでしっかり理解していなかった部分を教えてくださったので助かりました。また、授業を通して分かったことは、みんながちゃんと授業に参加していることです。ちゃんと反応するし、先生が話していて分からなければすぐに質問し、自分の納得いくまで聞く。そして先生が「これ分かる人?」と聞けば、みんな発言しようとします。私も負けじと、1日に2回は発言するように心がけました。イスラム圏の生徒達は、文法よりスピーキング力に長けています。そのため、彼らは文法を間違えようが、積極的に話そうとします。私は最初の頃、話すとき文法に気を使いすぎて尻込みをしていました。ですが、クラスメート達の一生懸命な姿を見て、とにかく話してみようと思いました。


 授業の休憩中は友達づくりも兼ねて、クラスメート達と話しました。国が違えば文化も違うもので、とても面白かったです。日本のアニメが好きなサウジアラビアの女の子や、私が日本人であると分かると「これ知ってる?」と、日本のドラマや映画などについて聞いてくる中国人の男の人もいました。そんな時に、もっと日本の事を知っておけば良かったと、ひしひしと感じます。年齢も国もバラバラでしたが、最終的には恋バナをしたり、授業後に一緒に出掛けたりするほど仲良くなりました。


 1セメスターに2回、プレゼンテーションがありました。一番初めのプレゼンのテーマは、自分を描写する1つの形容詞を用いて、3枚のスライドで説明するというものでした。クラスメート達の発表を聞いていると、自分の好きなことで楽しんでいて、自分というものを持っているなと感じました。ダンスにDJ、絵画や写真など、その人達の知らない一面を見ることが出来て良かったです。また、はきはきと自信たっぷりに話す姿勢を見習いたいなと思いました。なぜなら、私は人前で話すのが大の苦手だったからです。最初の方は、緊張し過ぎて原稿通りに話すことに必死で、聞いているみんなを楽しませることが難しかったです。発表が上手な人はちゃんと周りの人を良く見ていて、余裕があってジョークを交えながら話すので、みんなを惹きつけます。そんな時に先生に相談してみると、原稿通りに読もう、間違えたらどうしようという不安は自分の事にしか集中していないからうまくいかないけれど、みんなをよく見て楽しませることにフォーカスしたら、発表も、発表することも楽しくなるとアドバイスを受けました。


 授業後や休日は、できるだけ外に出るようにしました。友達とレストランやスポットを廻りました。月曜日、「先生が休日はどうだった?」とクラスメート達に聞くことが多いので、話題作りのためでもありました。そして何より、友達と出掛ける方が楽しいし、英語の勉強にもなります。また、ホストファミリーとの話のネタになります。最初、UniversityではなくCollegeなので、授業後は皆仕事や、家事、子供の世話に忙しく、同年代のクラスメート達としか遊べないことに対して不満を持っていましたが、トロントは都会なので、学校外で友達を作る事に適していると考え、学外にも友達を増やしました。ネイティブの友達が出来たときは、非常に英語の勉強になりました。話すスピードも違うし、何よりスラングが会話の中で飛び交うので面白かったし、最初はついていけませんでした。そして、ネイティブの友達が出来ると、その友達やその友達など、どんどん横の繋がりが増え、ダーツやビリヤードをしたりと、休日は思い切り遊びつつ勉強しました。


 そして、トロントに来てしばらく経ってから、トロントはすごく住みやすい都市だと気づきました。移民が多いので、困ったら助け合う精神があります。道を聞かれたら快く教えてくれたり(私のときは行き先が一緒だからと言って、ついて来てくれた方もいました。)、バスで行き先が分からない人が運転手さんと話していると、隣で話を聞いていたおばあちゃんがすかさず教えたりと、思いやりに溢れていました。移民が多く、誰がネイティブか見た目では分からないので差別がありません。私は、都市だけどせかせかしていないトロントが好きになりました。


 自分の国を出て、働きにトロントへ来る人は年々増加しています。私のクラスメート達も、そういう人達が多かったです。彼らは仕事をするために、英語を学んでいました。私も将来は英語を使って仕事をし、また海外に住みたいので、英語はもちろん、プラスαで学ぶものが必要だと強く感じました。



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2017年10月 6日

中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 齋藤 彩乃)

カナダで得たもの

私が留学することを考え始めたのは、高校生の頃でした。そして英米語学科に入学し、1年生の時に留学選考を受けたものの、残念ながら切符を掴むことができませんでした。その後悔しさをバネに、2年生の一年間は、日本にいながらできる英語の勉強に力を入れました。そして3年生の夏から、私費留学という形ではありましたが、志望していたカナダ・トロントにあるジョージブラウンカレッジ(GBC)へ、4か月間の留学が決まりました。

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GBCのESLでは、8週間ごとにプレイスメントテストがあり、私はレベル4の授業から受けていました。授業が始まって驚いたことは、クラスメイトの幅広い年齢層と国籍の多様さでした。12か国から集まったクラスメイトは、同年代の学生から子どもがいるお母さん、医者、牧師など、個性溢れる人たちで毎日が新鮮でした。

授業は、月曜日にリスニングと発音中心、その他の曜日にグラマー、ライティング、リーディング、スピーキングを行っていました。それぞれ定期的にテストやプレゼンテーション、それに加えてオンラインでの課題もありました。プレゼンテーションは有名な日本人・カナダ人というテーマで、今まで得意ではなかったものの、1・2年生からしてきたことを活かせて良かったです。留学当初は、先生やクラスメイトが話す英語は、集中して聞いていると理解できるような状態でしたが、話すとなると、言いたいことが言えず、スピーキング力の低さを感じる日々でした。ESLにはアジア圏からの生徒が多く、同じ言語を話して固まっている光景を目にすることもよくありました。実際に私自身も日本語を話してしまうことがあり、そんなときにウクライナ人のクラスメイトと仲良くなりました。すると彼女から、あなたはもっと英語を話すべきだよ。もっと話したら絶対上手くなるよ。と言われ、どこかで変わらなければいけないと考えていた私に、彼女はきっかけを与えてくれました。

それからは、間違いを恐れずにどんどん話すことが大切だと感じ、授業以外に2種類のスピーキングのワークショップに参加していました。一つ目のSpeak Upは、毎週行くうちに新しい人と出会えるのが楽しくなり、仲良くなりたいという気持ちから、自分から話しかけることも増えていきました。もう一つは、Public Speakingというスピーチやグループディスカッションをするワークショップで、人前で話す練習をしたいという人が多く集まっていました。最初は緊張しましたが、徐々にアイコンタクトをとって話すことに慣れることができ、参加して良かった「と思っています。私にとってワークショップは、英語を学んだのはもちろんですが、それ以上に大切なことを学べた場でした。

そしてレベル5になると、中国や韓国、ベトナムなどアジア圏出身のクラスメイトが多くなりました。授業はライティングに力が入れられていて、要約やエッセイなどをよく書いていました。周りのクラスメイトに比べて、書くのに時間がかかって苦労することもありましたが、たくさん書いているうちに他の英語力もかなり鍛えられました。レベル5のプレゼンテーションはペアで行うもので、中国人のクラスメイトと放課後に図書館でたくさん話し合いながらパワーポイントを作り、一緒に頑張りました。ムスリムファッションという宗教的で難しいテーマでしたが、ムスリムの友人からも話を聞けて、留学に行ったからこそ学べた内容だったと思います。


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そして、4カ月の間にボランティアも経験しました。一つは地域の秋祭りで、子どもたちにフェイスペインティングをしお菓子を受け渡すボランティア、二つ目はサンタクロースパレードというイベントで、コスチュームを着て6㎞ほど歩くボランティア、三つ目はクリスマスマーケットで、ブースの受付を行うものでした。留学生活の中で、学内だけでなく地域の方々と関わりを持てたことは、貴重な体験になりました。また、特に印象的だったのが、キャラバンというESLのイベントです。それぞれの出身国を祝うお祭りで、教室を飾り付けし、伝統的な衣装を着て文化を紹介しました。私たちにとっては小さい頃から慣れ親しんでいる、浴衣や折り紙、書道を新鮮に感じ、すごい!綺麗!日本に行ってみたくなった!いろんな国の人が言ってくださり、日本の魅力に改めて気づかされました。他の国の部屋にもそれぞれ魅了される衣装や文化があり、人柄を感じて、GBCを選んで良かったと思った一日でした。

ホームステイ先には、ジャマイカ人のマザー、コロンビア人の高校生の女の子、猫がいました。ジャマイカは音楽が有名なこともあり、家の中ではよくレゲエが流れていて、いつも陽気なマザーでした。これまでに100人ほどの留学生を受け入れてきたというベテランの家庭らしく、ホームステイの決まりごとが項目ごとにしっかりとリストになっていました。また、2ヶ月が経過した頃から、アメリカに住んでいたホストシスターと彼女の赤ちゃんも一緒に暮らすようになり、家の中が一気に賑やかになりました。それまで部屋にいることが多かったハウスメイトとも、リビングで団欒する時間が増えて、毎朝駅まで一緒に登校するほどの仲になり、嬉しかったです。サンクスギビングやクリスマスには、家族で集まって大きなターキーを食べるカナダ流の過ごし方を楽しみ、ホームステイでの忘れられない思い出になりました。マザーとホストシスターはいつも笑顔で優しく、手料理は本当に美味しいものばかりで、ホームステイ先は自分で選ぶことができない中、この家庭で暮らせたことはとても幸せだったと思います。

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一年を通してたくさんのイベントがあり、様々な国の移民や文化を受け入れ、尊重し合っている人種のモザイク都市・トロントは、とても魅力的な場所でした。そして、世界中から人が集まっているなか、英語が話せることで世界が広がっていくのを体験したことで、改めて英語の偉大さを感じました。友人のほとんどはESLのクラスやアクティビティを通して出会い、帰国しても連絡を取り続けていて、世界中に友人ができたことが私にとって一番留学して良かったと思うことです。ESLで出会った人達はGBCの本科に進むため、よりよい職に就いてカナダで暮らすため、といった明確な目標を持って英語を学んでいて、英語を習得して何をするのかが大切だということを改めて実感しました。なので、これから留学に行く方にも、留学先で何がしたいのかが一番大切だということを忘れないでいてほしいと思います。

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振り返ってみると、本当にあっという間の4ヵ月間でしたが、どんな時も周りの人の支えがあったからこそ、様々なことに挑戦していけたのだと思います。いつも温かく接してくれたホストファミリー、友人、先生、そして日本から支えてくれた方々のおかげで、貴重な体験ができたことに感謝します。

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中期(延長)留学報告(ジョージ・ブラウン大学 宮島 花蓮)

カナダでの8ヶ月間

私がカナダへの留学を決めた理由は、客室乗務員になりたかったので、英語力を高めたいと思ったことと、多国籍文化の中で様々なことを経験したいと思ったからです。就職活動は、同学年の人と同じペースで進めたかったので、三年生の夏までに帰って来られるように、二年生の夏からの留学を目指し、入学時からの目標として、少しずつTOEFLを受けたり、留学のためにアルバイトをしてお金を貯めたり、色々な準備をコツコツとしていました。留学に行けることが決まり、私は私費での留学だったので、留学先を希望することができました。多国籍の人と繋がりたい、色んな国の文化を知りたいというのが私の留学の一つの目的でもあったので、ある程度都会で、多国籍文化であるカナダのトロントのGeorge Brown Collegeを希望しました。そして、希望通りGeorge Brown Collegeに行くことが決まり、パスポート申請や保険の申し込み、航空券の手配など、沢山やることや出すべき書類があり大変でしたが、あとは飛行機に乗っていくだけの状況になると、楽しみな気持ちしかありませんでした。

韓国の仁川空港で乗り換えをして、14時間かけて現地に着いてからは、初めて見る景色ばかりだったのと、ホームステイ先のファミリーがとても優しく私を迎え入れてくれたので、不安な気持ちと嬉しい気持ち、楽しみな気持ちで複雑でした。この時すでにホームシックになっていました(笑)

学校はやはり中国人、韓国人、そして日本人等のアジア系が多く、その次に中東系が多いように感じました。私が日本人というだけで、色んな人が寄って来て話しかけてくれたり、"I like your country."と言ってくれたり、片言ではあるけれどアリガトウと言ってくれたり、日本人で良かったと思う場面がたくさんありました。それらのことを通して、日本の文化や他の国に対する今までの対応、数々の車メーカーや家電メーカーを生んだという強みを、改めて誇らしく思いました。そして、日本車がカナダでたくさん愛用されていることを知ると、同時に私は新たに日本のように修理して乗り続ける人が少なかったり、車をぶつけることやこまめに洗車をしない等の見た目へのこだわりが少ないことも学びました。このような現状を知り、私は日本車を海外で長く愛してもらえるような活動、お仕事をしたいと思うようにもなりました。私はこういう気持ちを忘れやすいけれど大事にしたかったので、カナダでは文法や発音、直訳では伝わらない英語ならではの言い回しなどを学校で学び、宿題をこなしながら、自分の興味を持ったこと・感じたことを気づいたときにメモに取り、8か月後日本に帰ってからも忘れないようにしていました。実際そうしたことによって、いつでも自分の気持ちを見返し思い出すことができるので、カナダにいる間も常に前向きに物事を考え、次に進むことができていたと思います。これはこれから留学に行く皆さんにはもちろん、留学はしない方にも日常生活の中で新しい発見や気持ちがあると思うので、お勧めしたいことです。こう書くと、留学すると良い経験ばかりで辛いことはないようですが、私も辛い壁にぶつかることが何度もありました。

一番大きかったのは友達作りです。私は日本にいるときは、コミュニケーション能力が高いと言われていたし、自分でもそう思っていて、実際この20年間で友達を作ることにおいて苦労したことはありませんでした。しかしカナダに8か月間いて、本当に仲良くなり二人で二回以上ご飯を食べに行ったり遊びに行ったりする仲になったのは、日本人かアジア人、または8か月間一緒に住んでいたウクライナ人のルームメイトくらいです。出会いは学校やそこで出会った人の紹介などたくさんありましたが、英語が話せない!言いたいことをすべて伝えられない!話すスピードがついていけない!などの問題から、思ったようにコミュニケーションが取れず、自分の思っていたようにはいかなかったのです。それは幼稚園のころから英会話をずっと習ってきて、自分は英語が話せると思っていた自分にとって、本当に悔しく屈辱的な出来事でした。教科書に載っているような文法だけではなく、もっと留学前に単語や話し言葉を勉強しておくべきだったと、今でも思います。私の場合、最初は日本人の友達も作り、色々な情報を集めたり、どういう言葉で会話しているかを学びながら、クラスメイトなど自然と会う回数の多い人から友達になろうと考えました。語学を学びに来ている人が大半だったので、お互い拙い英語を話しながら、一生懸命どうにか相手に伝わるようにと話していました。やはり日本での友達のように、とても仲良くなることはすごく難しかったけど、伝えようとすれば相手も一生懸命理解しようと頑張ってくれると分かったので、少しずつ自分のペースで発言することもできるようになっていきました。英語を話すのが嫌になったり、話せないことが怖くなって話したくなくなったりした時期もありましたが、日本に帰国してからは、その辛い経験すらも自信につながっていて、英語で会話することへの抵抗がなくなり、むしろ楽しいと思えています。

私は私費で長期留学をしたので特にですが、留学はお金がとてもかかるし、親に心配もかけるし、現地でも楽しいことばかりではないし、すべて自分で何とかしなければならないのでとても大変です。全体の7割は大変です。でも私は、ローンを組んでまで全額自分で払っても、留学に行って良かったと思います。もちろん周りの人のアドバイスや支えがなければ、ここまで根気強くやってこれなかったと思いますが、留学する前とは比べ物にならないほど自分のやりたいことが見えているし、新しい発見や改めて気づいたこともあり、自分の自信にもとても繋がっています。私も留学前にたくさん悩みがあり、先輩や先生に相談してばかりだったので、今度は私がその立場になり、留学に行きたい人の支えになりたいと思っています。

最後に、経験は最高の宝になると思っています。やる気があるなら、お金や時間の問題も何とか解決できるはずです。根気強く向き合い、後悔しないようにコツコツ勉強し、行動できたら最善だと思います。留学をしたから終わりではなく、ここからどのようにそれを生かしていけるかが大事だと思うので、私もこれから頑張っていきたいと思います。

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中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 山本 帆夏)

 優しさをもらった4ヶ月

 私は三年生の夏からカナダのジョージ・ブラウン大学に中期留学をしていました。高校生の時から海外留学をしたいという目標があり、一年生の冬に公費留学の申込みをしましたが、TOEFLの点数が足りず落ちてしまいました。次の申込みが最後のチャンスだったので、二年生の一年間は毎日問題集を解いて、i-loungeのTAさんから解説をしてもらい、同じ問題を何回も解いて理解していく方法で取り組みました。それにより、翌年の公費留学生の枠に入ることができました。やっと今までの夢が叶うと思い嬉しかったのですが、出国日が近づくにつれて海外生活に対して不安になりました。ジョージ・ブラウンはホームステイが指定されていて、先輩方のお話を聞いていると相性が合うか合わないかで充実した生活が送れないという先輩もいらっしゃったので、自分はどんな家族なのか、また衛生面などで色々考えたりもしました。

 8月28日の夜にトロントに着きました。タクシーでこれから住む家に向かい、到着した時はすでに22時を超えていましたが、二人の女性とルームメイトの男の子に出迎えてもらいました。家もきれいで、二階の南向きの広い部屋が私のだと告げられた時は興奮しました。次の日、ルームメイトの中国人のノーマンが、ジョージ・ブラウン大学までの行き方とトロントのダウンタウンの一部、そして近所を案内してくれました。学校は街中にあり、ESLの校舎は別で建てられていました。その日の夜は、もう一人のルームメイトでスペイン人の女の子と対面しました。ミリアムという女の子で一か月だけの留学ということでしたが、すでに英語がペラペラでご飯の時はたくさん話してくれるので、私も緊張することなくホストファミリーとルームメイトと打ち解けられました。

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学校が9月6日からということで、授業が始まるまでの一週間はトロントを観光することにしました。私が特に気に入った場所は、トロントアイランドというダウンタウンからフェリーに乗って行く、少し離れた小さな島です。たくさんの植物と子供用の小さな乗り物がありました。奥に進めばビーチがあり、南国気分を味わえる場所です。その他にも、ルームメイトと3人でCNEフェスティバルという期間限定のテーマパークに行きました。

家にいる女性2人はホストマザーで、レズビアンだと聞き驚きました。日本だと珍しいことだと思われますが、海外で街を歩いていると男性同士のカップルもよく見ました。しかもマザーのジャニュアリーとミノーバはとても優しく、毎日美味しい料理をたくさん作ってくれました。私が来て一週間が経った日に、庭でバーベキューをしたりハンバーガーを作ったりしました。

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学校が始まりクラス分けテストをした結果、私はレベル5のクラスになりました。ESLの授業では、月曜がリスニングの授業で、火曜から金曜がその他の英語の授業という流れになっています。担任の先生はきれいな女の先生で、とても分かりやすく、尚且つ楽しく教えてくれるので、毎日学校に行くのが楽しかったです。授業後は、ワークショップという活動があり、そこで英語の発音の仕方やアメリカンサインランゲージを学びました。

手話教室は、実際に耳の聞こえないジョージ・ブラウン大学の生徒が毎週教えてくれました。ASLのみんなで耳の聞こえない人が働いているレストランに行き、手話で注文しました。日本ではなかなか体験できないことも、ワークショップを通してたくさん紹介してもらいました。

トロントでは毎年9月に国際映画祭が催されています。レッドカーペットが敷かれ、そこを有名な俳優が歩きます。私も3回くらい見に行きました。一番嬉しかったのは、クロエモレッツを間近で見れたことです。海外では、芸能人ととても近くで接する機会があるので楽しめました。

9月末には、Fall Festivalにボランティアとして参加してきました。小さい小学校の体育館と庭にゲームコーナーが設けられていたり、手作りのお菓子やその場で焼いたハンバーガーなどが売られていて、地域の子供たちや親がたくさん来ていました。私はフェイスペイントの係りで、小さい子たちの顔に子供たちの要望した絵を絵具で描いていくお仕事をしました。子供が大好きな私にとって、このボランティアはとても素敵な思い出になりました。

また、トロントからナイアガラの滝までバスで二時間程度で行けると聞き、さっそく行ってきました。着いた頃は雨がひどく室内から見るだけでしたが、夕方から晴れて虹を見ることができ、ボートで滝のすぐそばまで行くこともできました。水しぶきがすごく、顔などがずぶ濡れになりました。そのあとライトアップショーを見ることができ、とても良い経験となりました。

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 10月は、とても濃い一か月でした。カナダはアメリカより一か月早くThanks giving dayがあるので、学校が一日休みになるのを使ってニューヨークへ行ってきました。金曜の夜にバスでトロントを出発して13時間かけて行きました。カナダからアメリカへ入国する時に審査があるのですが、陸で渡る場合ビザやESTAはなくても行けました。ニューヨークは人がいっぱいで、何もかも高価でした。地下鉄も路線が大量にあり、地図を手放せませんでした。二日間の滞在で、両日とも雨で自由の女神をブルックリン橋から見ることができませんでしたが、それでも観光地がたくさんあって二日じゃ足りませんでした。一番良かったのは、ブロードウェイでアラジンのミュージカルを観たことです。さすが本場は違うと思うくらい感動するものでした。月曜の昼に帰り、夕方から家で感謝祭のパーティーが開かれ、ホストマザーの友人やその家族が来て、たくさんのご馳走とパイを食べました。  

また、10月はマザーの二人の友人の娘が誕生日で、毎週バースデーパーティーに招待してもらいました。毎回豚が一匹焼かれてテーブルの上に寝かされていて、これはフィリピンの伝統でお祝いの時に食べるらしいです。子供たちとたくさん話して遊ぶことができたので、とても楽しかったです。更に、マザーの友人の結婚式にも行かせてもらいました。カトリックの教会での結婚式は、私にとって初めての経験で、とても感動しました。

10月31日は、友人のホストファミリーと一緒に"trick or treat!!"と言って家を回りました。マザーから借りた蝶の羽をつけて子供たちと回ったら、21歳の私でもたくさんキャンディーやチョコをもらえました。様々な家がハロウィン用に装飾されていて、子供たちが大人からお菓子をもらって、とても良い文化だなと感じました。

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 11月から次のレベルの授業が始まり、友達も増えて毎日が充実していました。授業では毎回と言っていいほどsummaryを書く練習をしました。リーディングで読んだ記事をまとめることや、ディベイトで使うトピックにそった記事を探して、自分の主張をサポートする文章と反対の意見の文章を探してパラフレーズなどをしていきました。リスニングも聞いた話を要約することが多く、難しかったです。

行事では、11月末にキャラバン フェスティバルといって、自分たちの国の文化や食べ物を紹介し合うお祭りがありました。日本チームは、浴衣を着て書道と折り紙を体験してもらい、おにぎりとたこ焼きを提供しました。色んな国の食べ物や民族衣装・楽器などを体験できたので、とても楽しかったです。

他にも留学中に挑戦したことがあります。ジョージ・ブラウン大学ではカナディアンと接する機会がほとんどなく、会話する練習や友達をもっと作りたいという思いから、関西外大の友達とコミュニティ-グループを作りました。携帯のアプリで自分が興味あるグループに参加できるシステムで、日本の文化や言語に興味があるカナディアンと2時間弱の会話を週二回しました。トロントに住んでいる外国人もたくさん来ていて、どちらかと言えば日本語を教えている時間の方が多かったのですが、そこで出会った人たちとみんなで映画を観に行くなど、交友関係が広がったと思います。

 12月は毎日がどの月よりも充実していました。ESLの授業では、"petyakutya"という20枚のスライドを作り、一枚につき20秒プレゼンをするという課題や、summaryを中心にテストがありました。リスニングの授業では毎週テストがあり、聞き取ってその内容をまとめるというテストがほとんどでした。

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クリスマス前に、モントリオールというトロントからバスで6時間くらいの場所に行ってきました。公用語はフランス語でヨーロッパ風の街並みになっていて、多文化のトロントとはまた違う雰囲気でとても綺麗でした。可愛いお洋服のお店やおしゃれなレストランがたくさんあり、ここにはまた行きたいと強く思いました。クリスマスイヴは、ホストマザーが友達の家族を招待して、クリスマスパーティーを開いてくれました。マザー二人が朝から別々のキッチンでディナーの準備をしていて、デーブルにはレストランのビュッフェ並にご馳走が並んでいて、そのどれもがフィリピンの料理でとても美味しかったです。マザーたちは本当に私に良くしてくれて、クリスマスプレゼントにブラウスもくれました。ここの家に4か月住むことができて、本当に良かったです。この留学生活で、色々な国の人と交流して、それぞれの文化に対応する大変さもありましたが、海外生活をしたことで価値観が少し変わり、自分に自信がつきました。また、たくさんの人が私に優しくしてくれて、そのおかげで楽しめました。私も、もっと人に優しく、少しでも力になることができる人になりたいと感じました。

 

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中期留学報告(ジョージブラウン大学 小島 健汰)

留学を通して見えた新たな世界

私は、2016年8月28日から2017年3月13日まで、トロントにあるジョージブラウン大学に留学をしていました。留学を通して自分で感じた事や考えさせられた事を、大きく3点にまとめ、述べたいと思います。

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1つ目は、アメリカとカナダとの違いです。皆さんは、アメリカとカナダの違いを考えた事はあるでしょうか。私は、現地に行くまでに下調べをする事なく、トロントへ行きました。また、調べなかった理由としては、基本的にアメリカと変わらないと考えていたからです。ですが、調べなかったために、現地での生活に馴染むまでに、予想していたよりはるかに時間がかかりました。特に、コミュニケーションの取り方には苦労しました。なぜならば、私はカナダ人もアメリカ人同様、フランクで陽気にコミュニケーション取る事が出来ると考えていました。ですが、その様な態度で話をしていると、大きな壁を感じる事が、生活をしていて多々ありました。そして、この問題について現地で知り合ったカナダ人やホストファミリーに聞いてみると、驚きの答えが返ってきたのです。始めに言われたことは、トロントはアメリカではなく、カナダだということ。また、カナダ人はカナダ人の国民性があると言われました。そして最後に、トロントは沢山の移民で作られた街であるために、トロントに元々住んでいるカナダ人は、カナダの他の地域に住んでいる人よりも保守的であるという事を知りました。これらの事を聞いた時に、自分の中で納得出来ていなかった部分が全て納得出来たと同時に、自分の知識不足を悔やみました。もっと、カナダ、トロントの事を調べておけば、このような当たり前の事に気づく事が出来たと思います。この問題が解決してからは、以前とは異なり、コミュニケーションを上手く取ることが出来るようになりました。物事の見方を少し変える事で、時に世界は大きく変わるという事を改めて学び、実感する事が出来ました。

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次に、日本人の第二言語習得が進まない理由です。なぜ日本人は英語が話せないのか、また、国内で普及しないのか。一番の要因は、日本の経済力だと感じました。世界トップレベルの経済力があるために、国外に仕事を求めて出て行く国民が他国に比べると圧倒的に少ないからだと考えています。現在、日本でも格差社会と言われていますが、世界では日本とは比べ物にならない格差が存在します。また、私は現地で様々な人種の人々と話す機会がありました。そこで、明らかになったことが一つあります。それは、私達多くの日本人は、英語を習得目的に留学をしますが、他国の方々は仕事を求めて、もしくは、苦しい母国での生活から逃げ出し、より良い生活をするために来ている方が多いといいうことです。その為に、第二言語に対する考え方が異なっており、英語習得の必要性が我々に比べてとても高いです。これらの意識の違いだけを見ても、一目瞭然でした。そして、更にこの問題の詳細部分に言及するならば、日本の英語教育にも問題があると現地で感じました。我々日本人が考えている理想の英語は、イギリス英語やアメリカ英語であります。しかしながら、我々は日本人です。多くの日本人は、イギリス人やアメリカ人の様な表現や発音をする事は難しいです。そして、現代では英語は、イギリスやアメリカだけのものではなく、グローバル化が進んでいます。そのため、インドのように、自分達で基準を作り、インド英語のように英語を自分達に使いやすくする事が出来るようになれば、日本でも英語普及率は上がり、第二言語習得率の割合を大幅に上げることが可能だと考えています。

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そして、最後は現地での自分自身の成長です。留学を通して、語学力の部分では、話す力や聞く力は留学以前よりも伸びたと、自分でも実感しています。しかし、語学力以上に、現地で出会った素晴らしい人々のおかげで、1人の人間として成長する事が出来たことが、留学を通しての1番の財産になったと思います。自分が留学を終えて一番に感じたことは、「感謝」です。日本にいた時は、自分自身のことは全て出来ると思っていました。しかし、一度外に出てみると、最初から全てを自分自身の力のみで補うことは不可能でした。その時に、私に手を差し伸べてくれた家族、友人、ホストファミリーがいてくれたおかげで、私は留学生活を無事に終えることが出来たと感じています。留学をして得たこれらの多くの経験を、大学卒業後の長い人生に活かしていきます。

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そして最後に、これから留学をする方に1つだけ伝えたいです。留学を通して学ぶことは、決して英語の能力だけではありません。現地では、様々な人々との交流や、自分のやりたかったことに挑戦してみてください。そうすることで、沢山の失敗や成功から学び、今までには見たことがなかった景色が見えてくると思います。そして、それこそが、留学をする意義だと考えています。

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2017年10月 5日

中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 小川 純未)

濃すぎるCanada Life

私にとってたくさん成長できた、長くて短い留学生活でした。まず本題に入る前に、留学に行く事が出来たことを、両親や国際センターの方々に感謝致します。私自身、結構現地で何とかなるだろうという精神でカナダに旅立ったのですが、実際は何とかなった事は半分もないぐらいで、現地で自分の英語力の低さに悔しくなりました。なぜかというと、私は2つの問題にぶつかったからです。

1つ目は、トロントに来て早々、ホームステイの問題にぶつかりました。自分が気になった所や嫌な所を、言ったら申し訳ない、また、ホームステイを始めて間もないという事もあり、言えずにいました。しかし、私は昔から意見をはっきり言うタイプですので、黙っているのも嫌になり、まず紙に言いたいことを書き、それを使ってホストマザーに気持ちを伝えながら、片手に電子辞書を持って話し合いを行いました。それを行なったことで、初めてお互いの意見を伝え合う事ができ、環境を改善することができました。この事がきっかけで、本当の家族の様になり、今でもメールする仲になりました。

2つ目は、クラスの子達のボキャブラリー能力です。他国から留学に来ている留学生の方が、同じレベルなのに自分よりも単語を知っていて、授業中に意味を教えてもらったりする事が多かったですし、言いたい事も単語を知っていればなって思う部分が多くありました。私は結構プライドが高く、何より出来てなかった自分に、とっても苛立ちを感じましたので、単語を覚えてやると思い実践していくうちに、段々クラスの子と深く話す事が出来る様になりました。

学校面では、ESLの授業はもちろん、課外授業のボランティアやAmerican Sign Languageの習得など、幅広く気に入った物には参加をしていました。参加する事でTシャツを貰えたり、レベルの違う子たちと仲良くなり、授業後に話したりする機会も多くありました。また、どうやって相手に話しかけたりするのか、どのような言い方をしたら分かってくれるだろうかなど考え、文法を覚えるよう努力しました。他にも、大学の中にあるジムに通う事で、現地の生徒さんと仲良くなり、英語を教えてもらったり、私も日本語を教えるなど、お互いにとって良かった事も多くありました。そうすることで、互いの文化を深く理解し、新たな発見をする事ができました。

そして、Geroge Brown Collegeでは、イベントがたくさんありました。まず、新しい生徒を迎えてくれるパーティ、パンプキンのランタンを作るイベント、Halloween party、互いの国のブースを作り、模擬店の様なものでおもてなしするという文化際みたいなイベントなど、本当にたくさんイベントがあるので、それに参加する事でより深く人と繋がることができましたし、相手にもたくさん知っていただけるという機会にもなり、相乗効果があると思いました。

生活面では、大阪の大学の生徒さんと仲良くなり、その子たちとよく、観光や買い物、イベント、スポーツ観戦、ご飯に行く機会が多く、とっても満喫したなって思う事が多くありました。なぜかというと、私とその友達は外国人のノリなどを抵抗なく受け入れる事が出来るので、どこかに行く度に新しい現地の方や他国の方と仲良くなり一緒に行動したり、食事に行ったりする事が多くありました。私はトロントに来てから、現地の友達が欲しいってずっと思っていたので、この様な出会い方でも友達になり、連絡先を交換する事で次に繋げる機会がたくさんありました。

ホームステイでは、マザーの親戚のお家に連れてってもらい、たくさんのpartyに参加する事ができました。1つ目はThanks Givingです。これは、収穫祭を祝う日で、チキンなどを中心としたご飯をいただきました。2つ目はChristmas partyです。これは、マザーの親戚ほとんどが集まるので、大人も子供もいて大人数でした。そして、皆から私にsurprise presentを用意していただいて、凄く嬉しく思い、感謝もたくさん感じました。3つ目はNew Year's Party でした。ここまで参加して行くと、お互いに顔も名前も覚えているので、話しする事が増え、文法とか間違えると教えてくれたりもしましたし、飲み物がなくなると、何飲む?どういうテイストが好き?などたくさん聞いてくれる事により、私も答える事ができて、好みの飲み物を作って貰ったりもしていただけました。そして、何より嬉しかったのが、1日になった時、乾杯する時のコメントが私についてだったので、最初はホストマザーと意見がお互いに通じなくて困った事も多く、ホームステイ先を変えようかなと思った事もありましたが、めげずに向き合ってくれたマザーのスティ先で、本当に良かったと思いました。

最後の晩餐の日は、マザーはスポーツバーに連れてってくれました。なぜここにしたのと聞いたら、あなたはスポーツ見に行くのが好きで、よくスタジアム行くからここにしたのよ、とおっしゃっていました。凄くちゃんと私のこと思ってくれたのだなと思いました。また、帰国の際、とっても早い早朝便にも関わらず、ホストマザーは送ってくました。本当にお別れは寂しく、たくさん泣いていたら、あなたとは一生の別れじゃないのよ?離れていても、私はあなたを本当に娘の様に思うからこそ、連絡たくさんするからしてね。そうすることであなたは英語を忘れないと思うし、勉強にもなるからね。何よりあなたは夢のために来たのだから、そのための1つのステップに過ぎないのよ。いつでもまた戻っておいで。お部屋は開けておくし、緑茶好きになったから。と言っていただいて、本当に私はたくさんの方から思われて幸せ物だなって凄く感じました。この一期一会を大切にして行きたいなと思いました。

最後に、これらの経験を通して、本当に大きな成長をする事ができ、自分がこういうタイプの人間だと新たな発見もする事ができました。だからこそ、とっても寒くて大変だったけど、カナダに留学して良かったと思いました。なので、私はまたマザーの所に遊びに行こうと思います。もし、留学行きたいけどなとか迷ってるいる方は、ほんの少しでも行きたいと思ったら、行くべきだと思います。それによって変わる事もありますし、後悔もせずに済みます。私はどっちかって言ったら、行こうかな、けど・・・と迷っていたタイプでした。だけど、学生のうちでしか本当に時間がないなと思った時に、行く決断をしました。その結果、良い思い出や、嫌な事もたくさんありましたが、その反面たくさん成長するきっかけにもなりました。

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中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 細川 裕貴)

トロント留学で得たもの

私にとって留学は初めての経験でした。海外自体は旅行で何ヵ国か訪れたことがあるので、どんなところか大体想像できましたが、4ヶ月も滞在したことがなかったので、外国人とコミュニケーションが本当に取れるのか、とても不安でした。私は、お父さんとお母さん、お姉ちゃんにペットの犬と、最初の1ヶ月はベトナム人、最後の2ヶ月は台湾人のルームメートがいる家でホームステイをしました。家族は私を家族の一員として温かく迎えてくれたおかげで、なに不自由なく、まるで実家にいる感覚で過ごすことができました。しかし日本ではないため、食事には少し戸惑いを感じました。朝からピザやハンバーグ、夕食もピザという食生活のせいで、日本食に恋しくなる時期がありました。トロントには日本食料理店がいくつもあるので、日本食に恋しくなったときは友達と行くことが何度かありました。それでもお店を経営しているのは中国人や韓国人ばかりで、本物の日本食を口にすることはなかなかありませんでした。また、お風呂もお湯に浸かるという文化がないらしく、旅行で訪れたホテル以外ではシャワーで済ませていました。ホストマザーは私にとって第二の母のような存在で、私が街でホームレスにお金を迫られると困っていると相談したときは、真剣になってアドバイスをくれたり、学校の授業はついていけているか聞いてくれたりしました。また、課題で分からないところは教えてくれました。

最初、授業では先生がいったい何を話しているのか、理解することが全くできませんでした。理解できても、今日は課題があるという程度で、どこが課題なのかも分からない状態でした。グループワークをしていても、周りの学生が何について話しているのか、何を自分に質問しているのか分からず、とても恥ずかしい思いをしました。しかし、先生も周りの学生も、私がどれ程英語を話すことができないのか知ってくれたため、恥ずかしがらず、できないならできないなりに頑張ろうと決心して取り組みました。始めのほうは全く英語が理解できませんでしたが、最後の1ヶ月には先生の話す英語がまるで日本語を聞いているようにすんなりと頭の中に入ってくるようになり、数ヶ月ながら自分の英語力が向上したと、実感することができました。学校には日本人だけでなく、中国や韓国、ロシアやドイツなど、様々な国から来ているクラスメートがおり、彼らとコミュニケーションを取るときは、英語を使わざる得ない環境で勉強していました。しかし、英語を母語とするカナダ人が全くクラスにいないため、ネイティブスピーカーの友達はあまりできませんでした。

授業では、文法やライディング、リスニングなどを中心に勉強し、プレゼンテーションをする機会もありました。私が1番印象に残っているのは、プレゼンテーションです。本当に私が作った英文が相手に伝わるのか、この発音で合っているのか、そんなことを不安に思いながらも、何とか相手に伝えることができました。ペアでプレゼンテーションをした際には、1番仲の韓国人とやりました。プレゼンテーションの準備の段階で、同じアジア出身ということで文化も少し似ていることから話が盛り上がったことは、私にとって楽しかった思い出の1つです。私が1番驚いたのは、周りの学生の積極性です。彼らは自分が納得するまで質問をします。先生が話している途中でも質問をする光景に、自分は彼らと比べ勉学に対する意識が低いと感じてしまうことがありました。

もう1つ意識の違いを体験する機会がありました。それは、英語を学ぶ目的です。彼らは将来学びたい学問があって、その授業は英語で行われる、だから英語を勉強していると言っていました。彼らにとって、英語は手段にすぎないのです。それに比べ私たち日本人は、ただ留学に行きたい、英語を話せるようになりたい、といった目的で英語を勉強していることが多いので、彼らの勉学に対する意識を見習わなければならないと思いました。クラスの平均年齢もかなり高く、自分の両親と同じくらい、それ以上の年齢の人たちが多かったです。日本では30歳を過ぎても学生という人は珍しいことですが、世界を見れば何歳になっても学ぶ権利があって、学生でいてもおかしくないと気がつくことができました。

私は毎日地下鉄を使って通学していました。トロントの地下鉄には時刻表がありません。そのため、いつ電車がくるのか、何時に目的地に着くのか分かりません。更にしょっちゅう停まります。土日なると工事をするため地下鉄が走らなくなり、代わりにシャトルバスが運行されるなど、日本では考えられないことに戸惑いがありました。このようなことにも慣れ、今度の土日はどこの区間がシャトルバスになるのか、アナウンスを聞き取れるようにもなりました。

私はこの留学中に、モントリオールという街へ旅行に行きました。トロントは人口の9割が英語を第一言語とする街ですが、モントリオールはその逆で、人口の9割がフランス語を第一言語とする街でした。街の標識や看板はフランス語で書かれており、レストランのメニュー表や地下鉄のアナウンスまでもがフランス語のため、同じカナダという国にいるとは思えませんでした。モントリオールに住む人々も、基本会話はフランス語ですが、英語も話せます。バイリンガルで羨ましいと思いました。

トロントの地下鉄は日本と比べ運転が荒いと思っていましたが、モントリオールはそれ以上でした。電車は完全に停止する前にドアが開きます。これにはとてもびっくりしました。日本の地下鉄がどれ程素晴らしいのか、モントリオールの人たちに教えてあげたいと思いました。

トロントの冬はとても厳しいです。最低気温が-18度や最高気温が-8度といった、名古屋では考えられない日々が何日か続きました。服は何枚も重ね着をして、防寒対策をしていました。この寒さのせいで家の鍵が凍りつき、家に入れないというハプニングも経験しました。雪もたくさん積もり、雪が降る日は雪かきを手伝いました。雪かきを怠った家の前の歩道だけは雪が積もったままで、歩くのに一苦労しました。

私は、この4ヶ月という短い間ではありましたが、たくさんの貴重な体験をさせてもらいました。今ではもっと学びたいと思い、もう一度留学しようと考えています。この気持ちを忘れずに、次のステップへ進んで行きたいと思います。 

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中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 内藤 拓海)

 留学を通して学んだこと、成長したこと

 私は去年の夏から年末まで、カナダのトロントにあるジョージ・ブラウン大学に留学へ行きました。留学へ行く前から、多くの不安がありました。何を持っていくべきなのか、何をしておくべきなのか、色々な点で分からないことがありましたが、先輩や友人、またアイラウンジの人たちから助言をいただくことで、少しでも不安を取り除いて飛び立つことができました。何か一つでも分からないことがあれば、しっかり解決して行くことをお勧めします。

飛行機に搭乗してから、カナダまではあっという間でした。初めてカナダに着いた瞬間、これから何が起きるのだろう、という好奇心や、何か問題が起きるのではないか、という不安もありましたが、ジョージ・ブラウン大学の担当の方や、先生、スチューデントサクセスの方々が、いつも助けてくれました。もちろん英語での会話で、まだまだ拙かった私の英語を、意味が通じるまで丁寧に聞いてくれたことを、今でも覚えています。

最初に受けたテストでは、あまり自信がなく、本当にジョージ・ブラウン大学の授業についていけるだろうか、という心配がありましたが、自分のレベルに合った授業で、分からないことはすぐ先生に聞くと、優しく教えてくれました。最初のうちは、先生やクラスメートが何を言っているのか分からず、会話もできませんでしたが、クラスにも慣れ、英語を普段から使うことに慣れると、耳も慣れ、口から自然と英語が出てくるようになりました。英語を覚えて話す、というよりも、定型文をどれだけ使えるかが英会話の鍵となるということが分かった瞬間でした。しかし、定型文だけでは会話は続きませんでした。普段の会話の中で、新しい英単語や文法などを使い、日々英会話の幅を広げてきました。その中には、授業で習ったことや、先生が使っている英語をそのまま使うことがありました。授業の中でも、先生が使う英語を真似することで、発音やイントネーション、使い方を学ぶことができたのです。

英語を話す機会は、授業中やクラスメートとの間だけにとどまらず、街の人やお店の店員さんなどを通して得ることもでき、様々な話し方をする人がいました。単に英語と言っても、アメリカ人の英語とイラン、ブラジル、中国、日本人の英語は全然違うものでした。母国語の発音が根にあるので、発音やイントネーションが違ってくるのです。初めて聞いたときは全く意味が分からなかったり、何を言っているのかすら分からず、本当に英語を喋っているのか?という疑問すら浮かびました。また、母国語の文法が混じって、文法がごちゃごちゃな人もいました。しかし、様々な人の英語を聞いているうち、あ、この人はイランの人なのだな、と分かるようにもなりました。このように、単に英語を学びに行った私にとっては、衝撃的なことばかりでした。

英語力を伸ばすだけなく、カナダ生活もしっかり満喫してきました。トロントには様々な名所があり、時間がたくさんあった私にとっては、とても良い場所でした。水族館やトロント島、スポーツ観戦にショッピングモールと、此処では挙げきれないほどの観光名所がありました。特に衝撃を受けたのがショッピングモールでした。日本とは比べ物にならないくらいの大きさで、入っているショップもとても多く、一日では周り切れないほどでした。また、スポーツ観戦も、日本では味わえないものでした。圧倒的なスタジアムの大きさに、お客さんの数、極め付けは熱気でした。チームに対する熱狂的な応援や声援、思わず圧倒されました。

 また、食文化においても驚く点がたくさんありました。日本にいるとき、海外のご飯はあまりおいしくないと思っていましたが、カナダのご飯はおいしいものばかりでした。もちろんホストマザーが料理を作ることが上手だったこともありましたが、外へ食べに行けば美味しいものばかりでした。ハンバーガーにステーキ、パスタなど、日本食に近いとは言えませんが、美味しいものがほとんどでした。カナダで有名は、お寿司屋さんにも行ったのですが、日本食に似たものは出てきましたが、どれも日本食を真似したようなもので、日本人が食べると、あれ?と思うことがあると思います。実際に私も色々試してみましたが、納得のいかないものが多かったです。よかったら行ってみてください。

また、外食した際、チップというものがあり、最初は理解に苦しみました。もちろん日本にはチップという概念がなく、何に対して支払うか、いくら払えばいいのかなど、最初は分からないことだらけでした。しかし、外へ行くことが増すたびに、此処ではいくら払えばいいのだな、という感覚がつかめてきました。基本的に合計金額の10%から12%ほどのチップとして払い、サービスが良ければ気持ちとしてもう少し置いておく、というものです。このような点でも、文化を理解することができ、良い経験になりました。

 私は、このカナダに留学できたことを誇りに思っています。また、支えていただいた家族や国際センターの方々など、書ききれないほどの人に感謝をしています。様々な場面で、力不足だった私に対して、優しく教えていただいたことや、安くはないお金を出してくれた両親、たくさんの思い出をくれた、現地で知り合ったクラスメートや友人など、たくさん助けていただきました。私はこの感謝の気持ちや、現地で得ることができた経験を元に、将来はホテルマンという仕事に就けるよう努力していこうと考えています。

留学する前までは拙かった英語も、日常会話をできる程に成長し、外国人特有の人柄や海外の文化など、様々なことを吸収した結果が、今の私を作り上げていると思います。英語力と、他の価値観や文化を吸収し理解したことは、ホテルマンとして、そして人間として、近い将来、役立てたいと考えています。この留学を通して学んだことに、1つも無駄なことはありませんでした。カナダに行って、世界が変わった、というと大げさになりますが、価値観は大きく変わったと思います。就活が終わり、落ち着いた頃には、またどこかへ出かけたいと思っています。


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中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 佐藤 空)

外国と日本の違い

 私は中期留学でトロントにあるGeorge Brown Collegeに行っていました。トロントのホームステイ先に着いたのが夜中の11時だったんですが、ホームステイ先に行くまでに後輩と2人でタクシーに乗り日本語を話していたのに、ホームステイ先に入った瞬間に言語が英語になり、これが留学かと実感しました。荷物を置いたらすぐに家のルールを説明され、OKしか言えなかったのを覚えています。つい昨日までは日本で生活していて、家族も友達もいたのに、これからは1人でこの家に住むんだと考えたら不安で、初日からホームシックで、いろんな友達にLINEをして帰りたいと言っていました。トロントのことを何も知らない中、次の日には友達と生活用品を買いに出かけ、持っていったクレジットカードの暗証番号が分からずロックがかかってしまい、2日目でなかなかの困難に陥りました。さらに、2日目から家に帰るとき迷子になってしまい、怖そうな人たちがハイタッチなどをしている中、優しそうな人に声をかけ、なんとか家にたどり着きました。こんなんで本当に4ヶ月も暮らしていけるのか、不安しかない状態でした。


 しかし、学校が始まるまでの1週間、一緒にタクシーに乗っていた後輩と、休学してトロントに来ていた大学の友達と出かけていたら土地勘がつき、公共交通機関の乗り方にも慣れ、不安が徐々になくなっていきましたが、ホームステイ先ではうまくいかずママに嫌われてしまい、言葉の壁が大きいことを実感しました。お風呂上がりに床が濡れるのでモップで拭けと言われ、毎日拭いていたのに拭いてないと怒られ、その度に拭いたと言うのですが信じてもらえません。ホームステイさせてもらっているので床を拭いているのに謝り、これではやってないと認めてしまったも同然で、言いたいことがあるのに言葉が出てこない、伝わらないのが、とてももどかしかったです。


 ホームステイ先を変え、二件目のホームステイ先に行ったところ、とても良い家族で安心しました。英語があまり喋れないことを理解した上で、人見知りの私に積極的に話しかけてくれたり、映画を一緒に見ようと言ってくれたり、とても良い家族でした。私は4ヶ月半留学していたのですが、最初のホームステイ先を1週間で変えたので、留学のほとんどが二件目のホームステイ先で過ごしていました。なので、トロントを出発する時とても寂しかったです。


 学校では2ヶ月でワンセメスターが終わるので、ツーセメスター受けてきました。最初のセメスターはレベル3だったのですが、先生が厳しく電子辞書も携帯の辞書も使ってはいけなかったので、分からない単語は先生に聞くか、紙の辞書を使うしかありませんでした。どちらも日本語ではないので、意味を聞いても理解できなかったりする単語があり、苦労しました。トイレも1人ずつ、先生に聞いてからではないと行けませんでしたし、クラスの年齢層が高かったため、大人は我慢させられていました。私は我慢させられていません。しかし、教え方は上手で何回もリピートしてくれます。分からないことでも何回も言われていると理解できるし、忘れにくくなります。


 そのおかげでレベル4でもついていくことができたし、今でも先生の言っていたことが頭から離れません。レベル4になってからは、スチューデントサクセスという生徒の助けをしてくれるところで、週2回個別で英語を教えてもらっていました。スピーキングと小説の要約をやっていたのですが、最初はうまく喋れないし、話は分かっているのに言葉が出てこなくて、自分に腹が立っていましたが、2回目からは自然と言葉が出てきて、先生が頷いてくれることに喜びを感じ、自分の英語力が上がっていることを実感していました。


 学校以外では、トロントの様々なところに行きました。メジャーリーグやサッカーやNBAやアイスホッケーなど、スポーツはだいたい見に行ったと思います。どれも迫力があり、観客の人も日本とは違い地元愛を感じました。トロントの人たちは9割がトロントのチームを応援しているので、相手チームが得点を決めたときのブーイングや、トロントのチームが得点を決めたときの歓声が凄くて、圧倒されました。


 トロントで1番でかいショッピングセンターのイートンセンターがあり、学校からも近かったのでほぼ毎日イートンセンターに行っていました。日本では考えられないくらいのフードコートの大きさと量の多さに最初は驚いていましたが、1ヶ月もすれば慣れてきて、気づけば太っていました。食べる量を減らそうと思っても、美味しさには勝てませんでした。1週間のうちマックに行かない日がないくらいで、留学終盤には、2日に一本のペースで2リットルのジュースを消費していました。


 ハロウィンやクリスマスは思っていた通り日本とは本気度が違い、ホームステイ先に飾ってあったクリスマスツリーは、本当の木を使っていました。日に日に飾りが増えていくことに、幸せな気分を感じました。


 トロントは良い人たちで溢れていて、向こうから助けてくれたり、バスの乗り方も丁寧に教えてくれます。何か物が落ちれば教えてくれるし、日本人ではないことだと思いました。思いやりと優しさがあるというのは素晴らしいと感じると同時に、自分もこういう人になりたいと思いました。ただ、電車やバスに時刻表がないことや、土日に昼間から工事をしていて電車が動いていなかったり、電車がすぐ遅れることに関しては、日本の素晴らしさを感じました。


 自然が多いトロントは、街中にとても大きい公園が何箇所もあり、留学に行ったばかりの9月に公園に行くと、とても気持ち良かったです。リスがたくさんいて、いろんな人がベンチでくつろいだり、子供たちが遊んでいたりと、見ていてとても良かっです。いつもは電車で帰るところを途中の駅まで散歩して帰ったりして、トロントを満喫していました。


 海外で4ヶ月半過ごすという、一生に一度できるかできないかの経験をして、様々なことを学びました。小学生の頃から海外に行きたいと思っていたので、トロントで今までにないくらい英語に触れることができて、とても良かったです。もし機会があれば、また英語を学びに行きたいと思います。


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中期(延長)留学報告(ジョージ・ブラウン大学 牛田 実里)

I'll definitely go back to Toronto

私は2016年8月末から2017年5月初旬までの8カ月間、カナダのトロントにあるジョージブラウンカレッジに留学していました。

 トロントの気候は8ヶ月間を通してみると、私は日本より過ごしやすいと感じました。8月末からの留学ということもあり、夏は涼しく、冬は雪が降る日以外は寒すぎないという感じでした。また、カナダの家ということもあり、家で暖房をかけるということは滅多に少なく、家の中はずっと半袖か薄手の長袖で過ごしていました。トロントでは秋が一番短い季節ですが、一番きれいな時期であると思います。日本にはないオレンジや黄色の紅葉が、私のお気に入りでした。

私のホストファミリーはフィリピン人で、9歳の男の子がいる家庭でした。家はアパートで、ダウンタウンからはバスと地下鉄で30分くらい離れています。とても優しいホストファミリーで、ホームステイの受け入れをするのが初めてらしく、まるで家族のように接してくれました。日本からのお土産は日本の浮世絵の掛け軸、お箸、ポケモンのグッズ、日本のお菓子などを送り、中でもお菓子は抹茶のキットカットを気に入ってくれました。また、休日には海やアウトレットに、夕食時には外食にたくさん連れて行ってくれました。8ヶ月間、ホストファミリーを変えることなく楽しい留学生活を送ることができたのは、ホストファミリーのおかげでもあります。

 ジョージブラウンカレッジはESL(English as a second language)の他に料理、ビジネス、ホスピタリティ、デザインなど様々なことが学べる大きいカレッジです。ESLではレベル1から9まであり、私はレベル4から7まで学びました。レベル6までは月曜にListenin, Speakingの授業、火曜日から金曜日はWriting, Readingで、時間は朝9時から13時までで、先生は2人でした。Level7では、Hospitality, Business, Regularから選ぶことができて、私はHospitalityを選び、月曜は自由選択でGlobalizationを取り、時間はこれまでと変わりませんでした。レベル4では2つのプレゼンテーション、文法が中心です。レベル5は1つのディスカッション、1つのグループプレゼンテーション、記事から取り上げたWritingが中心で、レベル6は1つのディベート、1つの自動再生のプレゼンテーションでレベル5よりアカデミックな内容。そして、レベル7では3つのプレゼンテーション、即興Speaking、毎週Case study、5つのブログ(3つは料理を実際に作る)でした。レベルが上がるごとに使用する言葉も専門的になっていきましたが、楽しさも増えていきました。Globalizationでは、世界中グローバル化してきているため、全世界に関わる問題を取り上げた授業でした。また、ジョージブラウンカレッジの先生は国際的知識を持った人、様々な国へ渡航された経験を持った人が多く、そのため英語のことだけでなく、学ぶことが多かったです。また生徒は、大学ではなくカレッジなので、多国籍で年齢も様々でした。国によって文化が違うので、クラス、学校内でそれを直で感じることができ、また世界事情をその国出身の人から聞き、それについて話すことができたので新鮮でした。ジョージブラウンカレッジで英語を勉強することができて、良かったです。

 私の留学当初の英語は壊滅的で、聞き取るのもゆっくり言ってもらわなければ分かりませんでした。正直、Yes/No, I can/I like/I want toぐらいしかすぐに出てこなかったです。また、ジョージブラウンカレッジは日本人が多く関西外国語大学からも留学に来ていて、約50人いたこともあり、日本語に対して悩みました。その時私は、日本人・日本語からただ避けていただけで、それは環境作りだけで、それをしたからといって、自分から行動しないと意味のない状況でした。また、ESLは孤立した建物でクラブ活動もないということから、ネイティブと出会うことが難しく、日々どのように英語と触れ合うか悩んでいましたが、先輩から、日本人は良いライバルにもなるから、お互い切磋琢磨しながら理解し合える子を作ると良いねとアドバイスをいただき、日本人のことで悩むのをやめました。そうすることで、自然と外国の友達もできていきました。逆に留学が終わる2か月前、日本人が数人しかいないという状況を体験しました。その時は、日本語を話したいなという時にも話せず、それが少しストレスになった時がありました。この留学で、同じ英語を学ぶ日本人は敵など悪い存在ではなく、良きライバルで英語を学ぶ上で良い時もあることを学びました。そして、この留学のように一匹狼で活動していくより、人と助け合いながらの方が私に合っているなと思いました。

 留学期間中、私は5つの土地を訪れることができました。そのうち3つは、アメリカのロサンゼルス、シカゴ、ニューヨークで、他2つはビーバーバレースキー場とナイアガラのです。様々な国へ行くと、その土地のことを知ることができ、自分自身にとっても貴重な体験になるので、どの旅行も行ってよかったと思います。5つの中で、ナイアガラの滝が一番印象的でした。一緒に行ったナイアガラの滝2回目の中国人の友人に、旅行最後に「あなたとナイアガラの滝に来ることができて、なぜか前回より楽しかった。すごく旅行内容がしっかりしていた。」と言われて、初めてそういう風に言われたので嬉しく、将来の仕事について旅行関係も良いなと考えるようになりました。外国人に言われたということが、自分の中で大きかったです。この留学で一番大きかったのが、このナイアガラの滝での出来事でした。将来どんな職業についたとしても、最終的にはトロントに戻ってきたいと思いました。

 留学前は長期留学の経験がなく、トロントの位置も知りませんでした。しかし、留学することで、1日1日トロントの良いところを見つけることができました。私たちは、日本で生活していると、勝手な想像だけで各国々に良いイメージから悪いイメージをつけてしまうことがあります。実際、私の中でカナダのイメージはメープルシロップだけでしたが、行ってみると多国籍で、すべての人が優しく治安も良い国でした。このことから、訪れたことのない国、土地に魅力を感じ、これから様々な国を見ていきたいと思いました。また、授業やネット、テレビだけの情報でイメージを作るのは、良くないないとも思いました。この留学で学びたいこと以上のものを得られて、更にこれからの自分の目標も同時に見つけることができました。

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