中期公費の最近のブログ記事

2017年10月19日

中期留学報告(メンフィス大学 松本 将郎)

アメリカ五カ月

まず初めに、僕が中学生の時の話からさせてください。僕は基本勉強することができない学生です。最低点は3/100点、最高点は60点ぐらいという、才能がどうとかこうの世界ではありませんでした。その中でも、なんとか公費留学を勝ち取ることができて、素晴らしい経験を積むことができました。メンフィス大学にて8月~12月の4ヶ月過ごしました。

 

メンフィスの特徴

メンフィスは、音楽やバーベキューなどで有名です。アメリカで有名なロック歌手、エルヴィス・プレスリーの生誕地でもあります。街中には、エルヴィスの銅像やらグッズやらがたくさんありました。更には、メンフィスグリズリーズというプロバスケットボールチームがあり、開幕戦を観戦することができたのは一生の思い出になりました。メンフィスは、アメリカで治安が悪い地域上位に名前が挙がっていますが、夜一人で出歩かなければ基本問題ありません。気候は、10月中旬まで半袖で過ごせるほど暑いですが、その後の秋は3日程で終わり、冬がやってきます。雨が降る日はほとんどありません。海や湖が周りに無く、雲も少ないため、とてもきれいな夕焼けが見えました。

 

授業

 僕は「ESL」という英語の授業を受けました。というか、それしか受けることができませんでした。TOEFLのスコアが、公費留学には行けるけど、レギュラーの授業(経済、マーケティング)を受講できるだけありませんでした。アメリカのレギュラー授業を受講している人から話を聞くと、とても楽しそうでした。ファッションマーケティングに特化した授業があったり、ワインソムリエの授業があったりと、もっとTOEFLの勉強をしておけば良かったと思うことがたくさんありました。また、レギュラーの授業を受ける際、TOEFL-IBTのスコアで留学することをお勧めします。TOEFL-ITPではアウトプットするセクションがないので、レギュラーの授業で苦しむと思います。「ESL」の授業は6段階に分けられており、自分は下から2番目のクラスでした。中学・高校と、基礎を疎かにしていたツケが回ってきた感じです。授業では、ホンジュラスやペルーなどの中南米の人達が多かったです。それぞれ、個性もイントネーションも強かったです。

 

私生活

 メンフィス大学は、アメリカの中では小さい部類の大学らしいのですが、想像を遥かに超える大きさです。大学には寮があり、僕の寮は2DKでしたのでルームメイトが一人いましたが、基本ゲーマーみたいな生活を送っていたので、ほぼ一人暮らしみたいな生活を送っていました。食事は、基本自炊か、自炊がめんどくさくなったら、学食で済ませていました。大学内には、学食の他に図書館とスポーツジム、スターバックスと、それぞれの学部にある授業で使用する講義室がたくさんありました。僕は基本、朝早く起きて弁当を作りながら朝食を済ませ、スポーツジムにて授業が始まる午前9時まで運動していました。学校は月曜日~木曜日は午後三時までで、金曜日は昼までです。週に2回ほど大学のバスがスーパーまで連れてってくれるので、そこで食材や生活で使う日用品を買いました。大学内での移動は、スケートボードを買って移動しました。友人が自転車レンタルを利用したらぼったくられた(過去の先輩はそんな事なかったそうです)と聞いたので、せっかくのアメリカ生活なのでスケートボードで生活しました。学校が終わった後は、基本バスケをしていました。黒人の人達はパワーがあり、本当に強かったです。時々、大学の部活動の試合(主にバスケやアメリカンフットボール)を観に行きました。アメリカの大学の部活動への力の入り方は、全くもって日本と比べ物にならないぐらい、観客も会場もグッズ販売も桁が違いました。

 

旅行 シカゴ編

 旅行は、シカゴとロサンゼルスに行ってきました。まずは、シカゴについて書きたいと思います。シカゴには、サンクスギビングの間に行ってきました。サンクスギビングでは、日ごろの感謝を込めてみたいな文化で、その中でも僕の目当てはブラックフライデーでの買物です。そこまでの間は、シカゴ美術館やダウンタウン巡り、博物館に水族館、ジョーダンショップやシカゴ・ブルズなど有名どころをひたすら巡りました。食事はシカゴピザという、チーズ好きにはたまらないピザを食べることができ、思い出深かったです。買物では、有名なブランド品が考えられない金額で売っており、とても幸せな一時を過ごしました。


旅行 ロサンゼルス編

 ロサンゼルスでは交通の便がメンフィス(バス・電車がほぼない)に比べて便利だったので、ハリウッドやサンタモニカビーチ、ビバリーヒルズ、ユニバーサルスタジオハリウッドなどの観光名所を巡り、買物や観光を楽しみました。

 

トラブル編

僕は何個かトラブルに遭いました。ここで、本気で焦ったトラブルを説明します。まずは、クレカ関係です。僕の場合、クレカの差し込んで読み取るチップが壊れてしまいました。たまたまキャッシュパスポートを持っていたので、そっちをメインに生きていくことにしましたが、いろいろと不便でしたので、スペアカードの持参をお勧めします。次に、荷物の損失被害についてです。帰国をした際に、空港にて荷物を受け取りに行ったら荷物がなく、荷物だけ別の場所に輸送されてしまいました。その場にいた、国内移動で使用した航空会社の人とANAの社員さんに事情を説明したところ、僕の実家に配達することになりました。

 

最期に

僕が留学に行く前に言われました。「はっきり言って、お前が英語ペラペラになったところで、就活に有利になるわけではない。」今時、英語が使えて当たり前のご時世です。僕にとって留学は、英語のスキルアップと、自分のアイデンティティーと広い視野を持つ、良い機会でした。3年生で行く人は、2016年はボストンで行われたキャリアフォーラムの参加を視野に入れた留学をお勧めします。



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中期留学報告(ペンシルバニア・インディアナ大学 内田 憲吾)

国境を越えた繋がり


 今回、私は秋学期にIndiana University of Pennsylvania大学(以降IUP)に、中期公費留学生として派遣させてもらいましたが、全て自分の予想を上回ることばかりで、良い経験ができたと強く実感しています。


 最初に、環境についてです。私の留学先であるIUPには、日本人の留学生が極めて少なかったです。名古屋学院からは、私を含めた二人が交換留学生として行きましたが、その他というと、宮崎大学から一か月の短期留学としてきた一名のみで、大学に日本人が3名しかいませんでした。同じアジア圏の学生を例に挙げると、IUPには中国人の留学生が多く、よく目立ちました。私は、日本人と仲良くするよりも外国人とたくさん話して友達を作りたかったこともあり、そのような意味でも、非常に適した環境であったと言えます。それは、厳しく、時に辛いことかもしれません。文化の違いや言語の違いなど、異なることは多くあります。でもその分、学べることも多くあるため、これから留学へ行く人たちにも、挑戦する心を持って歩いて行ってほしいです。実際に、親友と呼べる仲間にも出会うことができ、今でも毎日連絡を取り合っています。


 では、その友達についてです。私の場合、タイミングと良い機会に恵まれていたと思います。というのも、到着し、留学生活が始まってすぐに、自分の元へ一通のメールが来たのです。それは、IUPで日本語を教えている韓国人の教員からのもので、「受講者が多いけど教える人が自分しかいないため、授業をサポートしてほしい。」という内容のものでした。これを聞いて、私の授業がない金曜日に早速行ってみたのですが、これほどの外国人が日本語に興味を持っているということを誇りに思いました。やっていることは、挨拶から始まり、単語を使っての会話などでしたが、英語で日本語を教えるというとても貴重な経験をすることができ、最初は教えるのも難しかったですが、みんなが徐々に話せるようになって、受講者がふざけて簡単な日本語を使って話してくれたりして、指導冥利に尽きると実感しました。


その最初の授業で、「日本に興味のある人たちが入るコミュニティのイベント(ピクニック)があるから、来てほしい。」と言ってもらい、日本人三人で行くと、みんながどんどん質問とかしてくれて、すぐに友達になり、そのときに遊んでいたメンバーが今でも連絡を取り合っている仲間たちです。このような機会はタイミングもありますが、どこの大学でも日本に興味がある外国人はいると思います。そして、そこから友達になったりもするため、面白いと思います。

 

 クラスが始まって少しすると生活にも慣れてきて、授業後や週末は友達と遊ぶというのが流れになりました。そして、到着して一か月というときに、宮崎から来た日本人の学生が去る時期になり、時が過ぎる速さを実感するとともに、悲しさがありました。しかし、自分も悲しかったですが、アメリカ人の友達のみんなも、普段見せないような泣き顔をしていて、本当に仲間と思ってくれたのだなーと嬉しくもあり、自分が別れる時を想像したくなかったです。でも何よりも、仲良くなって楽しく順風満帆になってきた時期に去る日本人の友達のことを考えると、辛かったです。


そうこうしているうちに、あっという間にそれから一か月が過ぎ、秋の終わりを告げる時期になりました。インディアナの気候について、昨年行った方から冬は寒いと聞いていましたが、夏場や秋頃は過ごしやすい気候のため、衣服には困りませんでした。しかし、10月の後半になると一気に気温が寒くなり、気温が一桁になるという日も珍しくなかったです。寮は暖房が効いているため、扉を開けた瞬間に温かい空気が来て、外との気温の差を思い知ります。


10月の初旬に、11月には東アジアの国を取り上げたお祭りのようなイベントがあるということを日本語の先生から聞き、日本人が二人しかいないということもあり、是非、何か披露してほしいと頼まれ、もう一人の日本人がダンス経験者ということもあり、ダンスを披露することになりました。ジャンルは、東アジアのためのイベントでもあるため、K-popの曲を披露することになりましたが、もう四人ほど人数がほしいと思っていた時に、アメリカ人の友達がやりたいと言ってくれて、人数は四人になりました。しかし、一人以外は未経験者、そして本番まで一か月ということで、毎日授業後に集まっては練習、集まっては練習の繰り返しでした。この時期が一番、時が過ぎるのを速く感じたかもしれません。あっという間に本番の日はやってきて、見事に自分たちの力を出し切って、いろんな人から賞賛の声をいただき、これをきっかけに知らなかった人とも友達になれて、満足のいく日でした。そのイベントでは、アジアの料理も運営側の方々が作ってくれて、カレーをおいしくいただきました。


その日が過ぎるとすぐにサンクスギビングがやってきて、アメリカ人の友達の実家に泊まらせてもらってターキーを食べるなど、伝統的なサンクスギビングの料理を食べることができ、ブラックフライデイには、早起きして色々なものをモールに買いに行き、サンクスギビングを存分に楽しむことができました。


これらのことは全て、友達のおかげだと思います。常に私たちのことを考え、楽しませてくれる素敵な仲間ばかりで、自慢の仲間たちです。夏には日本に遊びに来てくれると言っているので、今からすでに楽しみです。留学前は、このような友達ができるとは思いもよらなかったため、余計に感動しています。


アメリカの人は本当に優しい人ばかりで、自分が情けなくなりました。親友というのは数えるほどしかいないものですが、親友だと言える仲間がアメリカでできたというのは、自分にとってはもちろん初めての経験で財産です。国境を超えるというと大きな響きになってしまうかもしれませんが、国境を越えた繋がりとはこのようなことを言うのかなと、自分でも納得できました。全部ひっくるめて、最高の留学でした。改めて、学校側や友達、そして何よりも家族に感謝したいです。



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2017年10月18日

中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 長谷川 愛)

語学とともに学んだもの


 私がカナダのトロントにいた、たった4か月で、私の考え方や語学に対するモチベーションは、かなり大きく変わりました。トロントに着いた初日、ホストの方と全く話せなくて、自分は語学を専攻している学部にいるのに、今まで何をしてきたのだろうと思いました。よく使う単語や短文をネットで調べてストックを持っていても、その先が続かなかったりと、会話を続けることに苦労しました。初めて自分の言いたいことが伝わったなあと感じたときは、台湾人のルームメイトと話していた時です。彼女が私の拙い英語にも真剣に耳を傾けてくれて、私もいちいち翻訳アプリを使わず、自分の中にある単語のストックを使いながら話したので、達成感がありました。それまでホストとの会話では、私が会話につまると、ホストがGoogle翻訳を使っていたので、話すときに通じなかったらどうしよう、また翻訳を使われるのだろうなあとマイナスの感情がありました。しかし、ルームメイトと話すうちに、会話が楽しいと思えるようになりました。英語で自分の言いたいことを伝えるときに一番大切なのは、それを伝えようとする熱意なのだと学びました。学校が始まるまでに、彼女によく使うフレーズを教えて貰ったり、自分でもノートを作って勉強したりするなど、モチベーションを上げていきました。


 学校が始まると、当たり前ですがクラスメートや先生に対しても英語なので、最初は頭を使いました。Universityとは違いCollegeなので、年齢もバラバラです。また、トロントなので、世界中からクラスメート達が集まっています。文法などは、高校の時に習ったものがほとんどでした。しかし、英語を英語で学ぶ方が、しっかり理解できていると感じました。細かいニュアンスや、分かっていたつもりでしっかり理解していなかった部分を教えてくださったので助かりました。また、授業を通して分かったことは、みんながちゃんと授業に参加していることです。ちゃんと反応するし、先生が話していて分からなければすぐに質問し、自分の納得いくまで聞く。そして先生が「これ分かる人?」と聞けば、みんな発言しようとします。私も負けじと、1日に2回は発言するように心がけました。イスラム圏の生徒達は、文法よりスピーキング力に長けています。そのため、彼らは文法を間違えようが、積極的に話そうとします。私は最初の頃、話すとき文法に気を使いすぎて尻込みをしていました。ですが、クラスメート達の一生懸命な姿を見て、とにかく話してみようと思いました。


 授業の休憩中は友達づくりも兼ねて、クラスメート達と話しました。国が違えば文化も違うもので、とても面白かったです。日本のアニメが好きなサウジアラビアの女の子や、私が日本人であると分かると「これ知ってる?」と、日本のドラマや映画などについて聞いてくる中国人の男の人もいました。そんな時に、もっと日本の事を知っておけば良かったと、ひしひしと感じます。年齢も国もバラバラでしたが、最終的には恋バナをしたり、授業後に一緒に出掛けたりするほど仲良くなりました。


 1セメスターに2回、プレゼンテーションがありました。一番初めのプレゼンのテーマは、自分を描写する1つの形容詞を用いて、3枚のスライドで説明するというものでした。クラスメート達の発表を聞いていると、自分の好きなことで楽しんでいて、自分というものを持っているなと感じました。ダンスにDJ、絵画や写真など、その人達の知らない一面を見ることが出来て良かったです。また、はきはきと自信たっぷりに話す姿勢を見習いたいなと思いました。なぜなら、私は人前で話すのが大の苦手だったからです。最初の方は、緊張し過ぎて原稿通りに話すことに必死で、聞いているみんなを楽しませることが難しかったです。発表が上手な人はちゃんと周りの人を良く見ていて、余裕があってジョークを交えながら話すので、みんなを惹きつけます。そんな時に先生に相談してみると、原稿通りに読もう、間違えたらどうしようという不安は自分の事にしか集中していないからうまくいかないけれど、みんなをよく見て楽しませることにフォーカスしたら、発表も、発表することも楽しくなるとアドバイスを受けました。


 授業後や休日は、できるだけ外に出るようにしました。友達とレストランやスポットを廻りました。月曜日、「先生が休日はどうだった?」とクラスメート達に聞くことが多いので、話題作りのためでもありました。そして何より、友達と出掛ける方が楽しいし、英語の勉強にもなります。また、ホストファミリーとの話のネタになります。最初、UniversityではなくCollegeなので、授業後は皆仕事や、家事、子供の世話に忙しく、同年代のクラスメート達としか遊べないことに対して不満を持っていましたが、トロントは都会なので、学校外で友達を作る事に適していると考え、学外にも友達を増やしました。ネイティブの友達が出来たときは、非常に英語の勉強になりました。話すスピードも違うし、何よりスラングが会話の中で飛び交うので面白かったし、最初はついていけませんでした。そして、ネイティブの友達が出来ると、その友達やその友達など、どんどん横の繋がりが増え、ダーツやビリヤードをしたりと、休日は思い切り遊びつつ勉強しました。


 そして、トロントに来てしばらく経ってから、トロントはすごく住みやすい都市だと気づきました。移民が多いので、困ったら助け合う精神があります。道を聞かれたら快く教えてくれたり(私のときは行き先が一緒だからと言って、ついて来てくれた方もいました。)、バスで行き先が分からない人が運転手さんと話していると、隣で話を聞いていたおばあちゃんがすかさず教えたりと、思いやりに溢れていました。移民が多く、誰がネイティブか見た目では分からないので差別がありません。私は、都市だけどせかせかしていないトロントが好きになりました。


 自分の国を出て、働きにトロントへ来る人は年々増加しています。私のクラスメート達も、そういう人達が多かったです。彼らは仕事をするために、英語を学んでいました。私も将来は英語を使って仕事をし、また海外に住みたいので、英語はもちろん、プラスαで学ぶものが必要だと強く感じました。



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中期留学報告(アルゴマ大学 伊藤 稜真)

カナダでの4か月

私は8月28日から12月21日の期間、カナダにあるスーセントマリーという土地に行っていました。その町にはUniversity と呼ばれるものは私の行っていたアルゴマ大学しかなく、すべての住人や学生が繋がっているのではないかと思うような小さな町でした。初めはすることのなさにストレスを感じていましたが、帰る頃には居心地の良さと寂しさを強く感じさせてくれる街になっていました。

 生活環境ですが、スーセントマリーはたくさんの自然に囲まれた田舎町です。そのため、始めの1か月ほどは不便、退屈で仕方ありませんでした。歩いて行ける距離には、24時間営業のmetroというスーパーマーケット、JC sakuraという日本食とタイ料理の食べ放題のレストランがあります。私は学校の敷地内にあるタウンハウスというシェアハウス型の寮に住んでいたので、ごはんを作るときにはmetroを、ごはんがない時にはJCsakuraをよく利用しました。ちなみにJCsakuraは、平日ランチが16ドルほど、ディナーが25ドルほど、休日ランチが18ドルほど、ディナーが28ドルほどという値段設定でした。普段の食事はミールプランを選択していたので、学内のカフェテリアかTim Hortonsというカナダの国民的なドーナツショップで済ませていました。しかし、学内のお店は曜日や時間によって営業していたり、していなかったりと常に食事ができるわけではないので、私は1日に1食しか食べられないときもありました。ですから、常に食材やカップラーメンなどを部屋の冷蔵庫にストックしておくべきだと思います。私は最初の2か月ほどは、他の寮の日本人の子たちと共同キッチンで日本食を作ったりもしていました。醤油やゴマ油など、日本食を作る際に必要な調味料などはmetroでも売っていました。共同のキッチンなので、多くの国の人たちが利用しますし、文化の違いからか気になる点などもありましたが、コミュニティの広がる良い環境でもありました。

交通面ですが、移動手段は歩き、バス、タクシーしかありません。タクシーも安くはないので頻繁に使えるわけではありません。どこへ行くにも、基本はバスでした。1回の乗車が2.5ドルで、1時間以内の乗り換えならチケットをもらって無料でできるというものでした。ちなみにですが、私は20回分の回数券を買って利用していました。こちらは、普通に20回乗るより5ドル安く購入が可能です。バスは安くていいのですが、不便な点が30分に1本しか来ないということです。深夜0時頃まで運行しているのですが、更に18時以降は1時間に1本しかなく、日曜日は18時以降のバスがないので、時間を考えて動かないと長い時間待つことになってしまいます。バスは何本かのルートで町のほとんどのところに行けるようになっていて、全てのバスがそれぞれのルートを1 周してダウンタウンにあるバスターミナルに到着するようになっています。ちなみに、バスは窓がすごく汚く運転が荒いため、乗り心地は良くはないです。バスを利用してよく行っていたところは、大学からバスで15分程のところにあるステーションモールという、ショッピングモールでした。大きな施設ではないので楽しめるようなことはたいしてないですが、名の知れている生活に必要お店はある程度入っているので、よく利用しました。私は利用しませんでしたが、映画館も入っていて、数百円で観ることが出来るので驚きました。

 次に、私の住んでいたタウンハウスについてですが、タウンハウスは二階建ての一軒家のような建物を、最高5人でシェアするような形の寮です。部屋は1つ1つが分かれていてプライベートは守られていますが、壁が薄くしゃべり声などの生活上の騒音は聞こえます。朝起きて部屋を出れば誰かはいるし、帰って来ても誰かはいるので、コミュニケーションの機会はたくさんあります。しかし、私のルームメイトは平日でも構わず深夜に友達を呼び、家が揺れるほどの音量で音楽をかけて、お酒をのんでバカ騒ぎという感じでしたので、気になる人はその状況では眠れないかもしれません。参加すればもちろん楽しいですが・・・。 私は幸いにも気にならない人間だったので、しっかりと眠れました。ただ、トイレやシャワーももちろん共同なので、汚れが目立つ日もあります。私たちはルームメイトが作ってくれた清掃計画をもとに、毎週日曜日にみんなで掃除をしていました。他にも、冷蔵庫の中に置いてあるものを勝手に食べられたり飲まれたりという問題もあります。日本では私は気にならないようなことですが、それらの物を買うことのできるお店が遠いゆえに、結構なショックを何度か受けました。しかし、そんなルームメイトでも、みんな良い人ばかりで、みんなが誘ってくれるおかげで、バレーボールのチームに参加したり、ごはんを食べに行ったりと、様々な経験をしました。

 10月には、サンクスギビングを含めた9日間の休みがあり、ニューヨークへ旅行に行きました。飛行にて3時間ほどで行けるので絶対に行こうっと思っていました。宿泊先はインターナショナルスチューデントレジデンスというところでしたが、安さで選んだため、部屋は狭い、騒音はある、シャワーもトイレも1フロアの全ての人間がシェアするので、汚く苦痛でした。旅行自体は買い物もたくさんしましたし、テレビで見たことのある有名な土地や、ブロードウェーミュージカルも鑑賞しました。テレビでしか見たことのない全てが目の前にあり、世界的に有名な町の勢いに始めは緊張してしまっていましたが、最終日には全力で楽しむことが出来ました。ただ、空気が悪く、5日間ずっと体調がすぐれませんでした。

 次に学校生活ですが、ミールプランでの食事はメニューが少ないことは不満でしたが、味は良かったので大きな不満はありませんでした。勉強では、先生たちはすごく丁寧に教えてくれる親切な人たちばかりで、ぶつかる壁はそれほど多くはありませんでしたが、課題は親切ではなく多かったです・・・。しかし、自由時間が奪われるほどでは無かったので、負担にはなりませんでした。

 始めは田舎で何をして良いか分からず、どうなることかと思いましたが、4か月を過ごし、過ごしやすさや人の良さを感じるようになり、今までできなかった経験をさせてくれたカナダが大好きになりました。行って良かったと思える留学でした

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2017年10月 6日

中期留学報告(北京語言大学 中村 那由美)

変化と学び

私はこの留学を通して、本当に多くのことを経験し、たくさんのことを学びました。言語が違うだけで、こんなにも他人とコミュニケーションをとるのが大変で、自分の意思を伝えることはこんなにも難しいのだと思わされました。しかしその反面、言語が違うのに冗談を言い合う、文化も生活習慣も母国語も異なる友達と笑い合うことができるなんて、言語は私たちに本当に多くの影響をもたらしてくれると、私はこの留学を通して感じました。初めて中国に来たときは、学校まで自分達で行かなくてはならず、学校に到着後もどうすればいいの分かりませんでした。ですが、北京語言大学に行ったのが三人だったので心強かったです。

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この留学で自分自身ちょっと成長できたと思える部分がありました。優柔不断な性格の私は、何を決めるにも深く考えてしまったり、他人の意見を聞いてしまう人間なので、中国語のクラスを決めるときも、初級にするか中級にするか泣きながら親に相談するくらいでした。ですが、私はこの半年で、その優柔不断という自分の性格が結構改善されたのではないかなと思います。なぜなら、中国人はとてもせっかちで買い物に行ったり屋台で食べ物を買うときに、私は一通り見たいのに「これいいよ!買う?買わない?」とすぐに返事をほしがるので、最初は戸惑いましたが半年もすれば慣れたもんで、自分でもびっくりするくらい即決して買い物などができるようになったからです。

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授業が始まったときは緊張していたということもあり、分からないことがあっても恥ずかしくて先生に聞くことができなかったのですが、慣れてくると分からないことは先生に聞けるようになったし、自分から発言できるようになりました。また、授業が始まったときに勉強したところは、その当時あまり文法の意味などが理解できていませんでしたが、期末テストの勉強で復習したとき以前学んだ内容が簡単に理解できて、自分の語学力が少しでも上がっているのかな!?と思い、本当に嬉しかったです。

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私のルームメイトは韓国人の一個上のお姉さんで、とても優しく、なによりも私たちは性格がとても似ていてので、半年間とても楽しく、とても良い関係を築くことができたと思います。時に一緒に麻辣烫を食べに行ったり、ルームメイトの友達と何人かでメキシコ料理を食べに行ったり、夜遅くまで韓国と日本の価値観の違いについて話したり恋バナをしたりして、私はこの半年ルームメイトに恵まれていたなと、今とても実感しています。また、私が風邪を引いているときはたくさん食べ物をくれてたり、私が授業で悩んでいる時は親身になって相談に乗ってくれたり、ルームメイトには感謝してもしきれません。

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私はこの留学生活の中で印象に残っていることがいくつかあります。その中でも、中国の農村地域にボランティアに行ったこと、語学合宿、山東省に行ったことが特に印象に残っています。

農村ボランティアは北京郊外にある農村地域の小学校に行って、小学生に日本語を教えたり日本の生活について教えたりするもので、中国は農村地域と都市の差が激しいと聞いてきましたが、どのように違うのか自分の目で確かめてみたいと思い、また、農村の小学生と都市の小学生はどう違うのか、生活はどう違うのか気になり、参加することに決めました。

着いた時に最初に思ったことは、もちろん周りは山しかなく高い建物など一つもありませんが、屋台やスーパーなどが結構あって、生活にはそこまで困ってなさそうだなということです。初日は校庭で三チームに分かれて、色んなゲームなどをしました。日本人も小学生も緊張していてなかなかコミュニケーションが取れなかったですが、始まるとそれがうそみたいにみんな笑顔で白熱した試合が繰り広げられ、なんと私たちのチームが優勝して、とても嬉しかったです。二日目は室内遊びをしました。農村の小学生は本当に元気で、どんなことにも興味を持ってくれるので、日本語や折り紙、けん玉を教えてあげました。とても楽しそうに取り組んでくれて、分からなかったら「お姉ちゃん!」と呼んで聞いてくるので、とても可愛くて教えているこちらも楽しめました。最後に小学生のみんなにアンケートを書いてもらったのですが、多くの学生が"日本人と触れ合ってみてどうでしたか?"という質問に対して、「テレビで見たイメージと違って、みんなとても優しくて楽しかった」「テレビのニュースと印象が違った」など、最初はやはり日本に対するマイナスのイメージがありとても悲しくなりましたが、私たちがそのような障害を少しでも取り除くくことができたらいいなと、このボランティアを通して思いました。

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語学合宿は北京市内で行われ、10日間中国人とともに授業に出たり、一緒の部屋で共同生活を送ったりするものでした。私は10人部屋だったのですが私以外は中国人で、最初部屋に入った瞬間、みんなの視線に耐えられえませんでした。でも私がベットに行くとみんなすぐに声をかけてくれて、そこからはもうずっとしゃべっていました。9人とも重慶、湖南省、河南省、広東省など北京外の色んなところから来ていて、毎日一緒にご飯を食べて授業を受け、帰ってきたらみんなで日本語と中国語を使いながらおしゃべりして、同じ時間に寝て同じ時間に起きる。聞いてるだけだと毎日一緒は辛いと思うかもしれませんがそんなことはなく、この時間が終わってしまうのがとても名残惜しかったです。9人とは、また機会があったら誰かのおうちみんなで泊まりで遊びに行きたいと話しています。

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また、二月には山東省に2泊3日で旅行に行きました。もともと四川省に行きたかったのですが、予算の関係で山東省に決めました。山東省は青島があるところで、孔子さんの故郷である曲阜市という所があることで有名です。私たちはその曲阜市と、中国人は一度は登ってみたいという泰山を目的に行きました。曲阜では孔子にまつわる所をめぐり、孔子の一族が住んでいた家やお墓、孔子の神霊を祭る霊所(合わせて三孔と呼ばれている)に行き、孔子の生活に触れてきました。泰山は外国人がおらず、ほとんど中国人でした。泰山はバスとロープウェイがあれば行けるのですが、とても神聖な場所なので、さすがに歩いて行きたいという話になり、バスもロープウェイも使わず登ることに決めました。

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 正直余裕で登り切ることができると思っていましたが、いざ登ってみるとなかなか急で最初は二人とも話しながら登っていたのですが、後半は無言で登りました。中間地点に休憩所がありそこで休み、そこからはロープウェイで頂上まで行くことができ、正直二人とも相当疲れていたためロープウェイに乗ろうという空気だったのですが、せっかく中間まで頑張って登ってきて、ここでロープウェイを使うのは負けだなと思い頑張って6時間かけて登り切りました。頂上前の、後ろを向いたら落ちてしまいそうな1600ものとても急な階段が怖かったので、その階段を登りきり頂上に着いた時は本当に嬉しくて、今までにないくらい達成感を味わうことができ、中間地点で本当にロープウェイに乗らなくてよかったと思いました。泰山は日本人には有名な所ではないけど、この経験はきっと自慢できると思いました。

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この半年で泰山や北京市内の世界遺産をたくさん周り、あらためて中国は広くてとても歴史が長く、その歴史によって日本人の書く漢字や生活が成り立っていると思うと、とても感慨深かったです。

私はこの留学で、中国文化に触れることができ、中国人の友達はもちろん、トルコやインドネシア、韓国の友達もできて本当に嬉しくて、この友達も思い出も一生忘れることはなく、全て私の宝物です。、また、留学を経験して国際的なことにもっと興味がわき、色んな国に自分で行って、自分の目で世界の文化を知りたいと思いました。留学を通して自分の価値観が変わり、物事をもっと視野を広げて見ることができるようになったと思います。半年でしたが、本当に多くのことを学び吸収することができました。ありがとうございました。

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中期留学報告(北京語言大学 勝野 忍)

中国での生活

当初一人で中国に行く予定でしたが、当日名古屋学院大学から同じ北京語言大学に留学する女子二人とたまたま会い、同じ便だったので学校まで一緒に行動することにしました。青島での乗り換えや学校までのタクシーの手配など分からないことがあって不安でしたが、3人で考えながら行動したり教えあったりできたので、一人よりも心強くて良かったなと思いました。一人でも何でも挑戦してみようと思っていましたが、初めての海外留学、留学先が同じ人がいて本当に助かりました。

大学に着いてからは最初の手続きでとても苦労しました。気になっていた授業の選択についてですが、先生が一人いて中国語の学習歴を聞かれます。そして何種類か教科書があり、先生が指定した教科書をどこまで読めるか聞かれ、クラス分けされました。

後日授業が始まる前に、日本人留学生向きにオリエンテーションを開いてくれ、その中で留学生活について教えてくれました。日本人のスタッフさんもいて分からないことは聞けば優しく教えてくれ、学校生活での不安はすぐに無くなりました。

授業ですが、基本的に1クラス20人ほどで構成されていて、その全てが外国人留学生です。メジャーな国はほぼ全て居るといってもいいと思います。パキスタン人と韓国人がクラスにも宿舎にも多いように感じました。クラスによっては十数人パキスタン人ということもあるようで、パキスタン人がなぜか多いなと感じました。各国の方々は年齢も職種もバラバラで、学生はもちろん現役CAから医者の方までいらっしゃいました。基本どの国の人も母国語と同じくらいに英語が話せていて、理由を聞くと「英語も学校で習うから。」との回答が多かったのですが、「え?日本も習うのに・・・(笑)」と思いました。日本やアジア圏を除き、英語を話せる国々の方は比較的容易にコミュニケーションが取れ、友達もすぐ作れているように感じました。とても羨ましかったです。僕はそのあとカタコトの中国語で会話ができるイタリア人とタイ人の友達と仲良くなることができて、留学最後までその友達といつも一緒に居ました。

クラスの皆さんはさすがに中国語を勉強にしに来ているだけあって、積極的に授業に参加していました。自分で文を作って先生に質疑するなど、中国語を学ぶ姿勢に驚かされました。また、どのクラスの先生方も優しく親切で、まさに神です。授業内容は、ゆっくりした中国語で例を出して説明してくれるので、分かりやすいです。教科書の英語が分からなくても、先生の説明を聞けば理解できるので本当に助かります。それでも分からないところは、授業中でも授業後でも質問をしに行けます。

食事は、学内に大きな食堂がありものすごく安く食べられておいしいので、ほぼ毎日のように毎食食堂に行って食べていました。

しばらく経つと一人でタクシーに乗り、買い物に行けるようになりました。なんといっても道路が四車線あったりして車の量が多いし、自分が気を付けないとガチで引かれます。クラクションが鳴りまくるのは当たり前で慣れました。お店にある値札がない服や靴、装飾品などは普通に値切りまくれるので、結構おもしろいです。ですが、外を歩き宿舎に返ってくると、髪の毛がワックスをつけたかのようにベタベタします。お風呂で二回シャンプーしたりします。学校から出た時特にひどいので、原因としてpm2.5というか交通量が多くて、普通に大気汚染のせいだと思います。

10月入ってすぐに、中国全体で一週間くらいのお休みがあったので、私は北京に留学に来ていますが、南の方の蘇州に遊びにいきました。ピンインが打てなくて漢字が打てないのですが、一人で新幹線?電車?みたいなものに乗りました。5時間くらい乗ったのですが、中国人の友達が言うには、中国は広くちょっと離れたとこに行くのに5時間座るのは全く普通だそうです。人がものすごく多くて迷子になりそうになったり、自分の座る席が分からなかったり、そもそもチケットどこでどう買うの?とパニックになりましたが、そこらへんにいる中国人に聞いたり乗務員に聞いたりして、なんとか行けました。あとは帰り道で駅から学校までタクシーに乗ろうと思い、優しいお兄さんに声をかけられ乗った車にメーターがなく不思議に思いましたが、あまりに会話中優しく中国人でもとても優しい人がいるのだと思っていたら、降りる時に行きの3倍くらいお金を請求され、初めてぼったくりに遭いました。そのこともあってなかなか疲れて、本当にしんどかったです。一人で挑戦だと思いましたが、できたら一人で遠くに旅行をするのは遠慮した方がいいと思います。

授業の方は、聞いていてちょっと分からないところはすぐに先生に聞いたり授業後に聞きに行ったりして、極力分からないまま放置しないようにしました。レベルとしては簡単すぎず難しすぎず、ちょうどいいと思います。日本のLINEでいうトークグループのようなものが中国版SNSであり、中には先生やクラスメイトがいて冗談を言い合ったり、分からないことを聞いたり教えたりと、雰囲気はとても良いと思います。いろんな国の人が居るし、性格も個性的な人ばっかりで面白いです。

仲良くなった友達と授業後の帰り道などで、その日に出てきた文法や単語を使って会話したりして、「え?また忘れたの?あなたは毎日ちゃんと復習するべきだよ(笑)」などと言われました。一日の復習や会話練習を楽しくできるし、土日になると早く月曜日にならないかなと、授業に出てクラスメイトに会えるのが楽しみでした。

中期考査が近づくと、学校の図書館へ行っていました。図書館は広く自習室があり、夜10時まで空いていてとても便利です。ですが中にはとてもたくさんの中国人がいつも座っているし、座ってなくてもカバンは置いてあるし、席を確保するのがなかなか難しかったです。10時ギリギリまで普通に人がいっぱいなこともあります。ここで感じることですが、すごくこの大学の人達は勉強熱心だなと思いました。勉強いたい!だけど宿舎だと自習できないし、図書館も空いてない、という場合でも北京語言大学は深夜2時まで開店しているカフェが食堂にあって、そこ勉強できます。こちらは比較的留学生が多く使っています。

11月に入ってすぐ、中間テストのようなものがありました。内容は今までやってきた教科書の中から全て出てきました。試験の前の週に、先生から渡される復習プリントのようなものがあるので、科目によりますが、それをしっかりやれば満点近く取れると思います。気温と天気はすっかり冬で、日中の最高は5,6度、夜は-5,6度で、とても寒くなってきました。12月はどうなってしまうのか不安になりました。

学習面で心配するようなことは特にないのですが、後半になるにつれ生活面で結構苦労しました。私のルームメイトはパキスタン人なのですが、実は留学に来た当初から彼と私との生活習慣にかなりの不一致があり、とてもストレスでした。彼の食べ残しの放置でゴキブリが沸いて出てきたり、夜に電話や彼の友人を部屋に招き入れ喋るので寝不足にしょっちゅうなり、夜遅く寝て朝早く起きて、昼過ぎに帰り昼寝をしての繰り返しで、生活の規律がめちゃくちゃになってしまっていました。そこで部屋を変えたいと寮の係員?に言いに行きましたが、「この日に空くかもしれない。まだ分からないからその日に来てくれ。」と繰り返して一向に変えられず頭が痛かったです。

学校行事としては、クラスでバスに乗って伝統のあるお茶館に行きました。そこではお茶を飲みヒマワリの種を食べながら、中国の文化特有のお面がコロコロ変わる伝統芸能や、お茶を色々な体勢で高いところから注ぐなど、様々な芸を観ることができました。

また、11月11日は中国でインターネット上の大半の商品がかなり値下げされる日なので、ネットでたくさん冬の服や中国でしか食べられないようなお菓子を買ったりして、楽しかったです。次の日に聞けば、周りの友達はもちろん、先生もその日はネットでたくさん物を買ったという話を聞いて面白かったです。

12月に入って本格的に寒くなってきました。もう留学生活も終盤になってきました。学習面では12月後半から1月前半にかけて最後のテストがあるので、それに向けて毎日少しずつ復習していました。1月の飛行機のチケットの買い方が分からなかったのですが、クラスの友達にネットでの買い方を教えてもらって無事に買うことができました。留学最後の日、いつも仲良くしてくれていた友達と、涙ぐみながらお別れの言葉を言い合って別れました。日本に絶対行くからと言ってくれたので、その時は案内すると約束しました。今でもたまに連絡を取っていて、友達が日本に来るのを楽しみにしています。中国生活良い事ばかりではなかったですが、自分を成長させる上で本当に良い経験ができたと心から思っています。

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中期留学報告(天津外国語大学 白川 光)

初めての留学

私は昨年の2016年9月3日から中国の天津外国語大学という学校に、公費留学に行かせていただきました。タイトルにもあるように初めて海外留学を体験をし、半年という決して長くはない期間ですが、学べたことは多いと感じます。

留学する前は準備をする段階でつまずいてしまい、何を持って行ったら良いか分からず、キャリーケースの中がなかなか埋まらなくて友達に何を入れたのか調査したぐらいです。留学当日まで不安が拭えず、飛行機の中ではこれから留学先でやっていけるのかと、泣いてしまいそうになりながら考えていました。

留学先に到着し、大学の留学生専用の寮のラウンジのようなところで手続きをしている最中、次にする事が分からず突っ立っていたら、同じ名古屋学院大学の福田結香さんが丁度ラウンジに来て、私は彼女を見つけた瞬間、今までの不安と寂しさが一気にこみあげてきて、彼女に抱き着いてしまいました。それから、お互い来るまでにどんなことがあったか、どんな人がいたか等、世間話をしていたら、どうやら私の手続きが終わったようで部屋とルームメイトまで決まっていました。私の部屋は一番端の部屋で、ルームメイトはベルギーの女の子でした。ルームメイトは始めおとなしい女の子なのかなと思っていましたが、実はとてもフレンドリーで明るい子でした。母語はフランス語らしく、いつもフランス語を話すらしいのですが英語も話せる女の子で、もうすでに2ヵ国語話せるのに中国語も勉強するなんて、本当にすごいと思いました。残念ながら私は英語が得意ではないので、英語を使ってコミュニケーションを取ることはあまりできませんでしたが、私の下手な英語でも一生懸命聞き取って理解しようとしてくれる優しい子でした。その日は私もルームメイトも疲れており、すぐ就寝しました。次の日は授業がまだ始まらずフリーだったので、福田さんと外に出かけてみることにしました。福田さんは小さい頃に天津に住んでいたことがあるそうで私よりにも地理にずっと詳しかったので、ほとんど福田さんに任せっぱなしで散策し、日本と違うところを沢山発見し楽しかったです。その後数日間は必要品を買ったりして、学校が始まるのを待ちました。その後ようやく授業が始まり、クラスも決まっていきました。

私のクラスは、精読、閲読、口語、聴力という4種類でした。一週間の中で精読の授業が一番多く、授業内容は中国語版の国語のような授業でした。閲読はとにかく文章を読んで問題を解いていく授業で、口語は会話や相手とコミュニケーションを取る授業、聴力は字の通り聴く力を鍛えていく授業で、パソコンとヘッドホンを使った授業が中心でした。閲読はひたすら長い文章を読んでいくのですが、知らない漢字が多く、それらを調べながらだとだいぶ時間を取られてしまうので特に苦手でした。でも時間をかけた分だけ知らない漢字も知らない文法も身についたと感じます。

他にも、中国留学でしかできないような授業を沢山体験できて、クラスメイトの外国の人達ともコミュニケーションを取ることができました。例えば、精読の授業ではパワーポイントを使って故郷の四季について皆の前で発表するという課題が出ました。私は名簿のせいで一番初めに発表しなくてはならず、ひどく緊張しましたが、なんとか乗り切ることができました。パワーポイントの内容は、春夏秋冬の日本ならではのイベントや記念日の催し物等を紹介して、皆にできるだけ興味を持ってもらうもので、私は日本の富士山が映った綺麗な写真を選んだり、分かりやすい画像を載せてみたりしました。クラスメイトはとても優しく反応をしてくれたので、発表しやすかったです。

聴力の授業は、中国のネイティブ会話や曲を聞いて耳をどんどん慣れさせていく授業で、別の授業もそうですが、基本的にずっと中国語で授業なので、耳が中国語に慣れていくスピードが速かったように感じます。

授業内でゲームをしたりクイズを出したりとコミュニケーションを図る授業も多く、口語の授業では、くじを引きグループで出し物をする課題があり、私たちのグループは赤ずきんの劇をやることになり、誰がどの役をやる等の話し合いの時にすごく盛り上がって話が弾んだのを覚えています。私たちのグループは4人しかいなかったのですが配役が5人だったので、誰が兼ね役をやるかじゃんけんをしたところ、私が負けてナレーションとおばあちゃんの役をやることになってしまいました。当日まで皆で時間を合わせて何回か練習を重ね、ついに本番の日、私はおばあちゃんとナレーションの兼ね役なので、ナレーションとおばあちゃんのセリフが前後つながっているところだとナレーションを言ってすぐ腰をかがめておばあちゃんのセリフを言うという、なんとも奇妙な人物になってしまいましたが、なんとかやり切りました。

そんな思い出が多い授業ですが、普段の留学生活でも思い出は多いです。特に食べ物関係の思い出が多く、学校の近くにある東北菜館というご飯屋さんには本当にお世話になりました。一週間に4回行くこともあり、食堂と東北菜館を交互で行ったりもしていました。ご飯ももちろんおいしいのですが、店長のお母さんがすごく良い人で、いつ行っても笑顔で友達のように接客してくれました。帰国前日も行って明日帰ると伝えると、「さみしくなるね。また天津きたらいつでもおいでね」と暖かい言葉をくれました。たった半年なのにそんな風に思ってくれる優しい人で、そんな人に出会うことができて留学して良かったなと改めて実感しました。

食べ物以外にも色んな思い出があり、例えば中国の交通にはひどく驚き、慣れるまでに時間がかかりました。しかし、多くのことが日本と違っていても、知っていくことで中国のことを少しでも理解できたように感じます。そして文化と文化の違いを客観的に見ることができて、国際文化学部として学べたことも多いのではないかと思います。

留学中は決して楽しいことや嬉しいことばかりではなく、もちろん辛いことや苦しいこともたくさんありました。しかし日本では助けてくれた身近な人がいない状況で困難を乗り越えていくことに大切さを感じ、留学生活を通じてやっと少しは自立ができたのかなと思います。まだまだ足りない部分や自立できていない部分が多くありますが、留学の経験を生かしてこれから生活していけたらと思います。

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中期留学報告(天津外国語大学 福田 結香)

中国の良さ再発見

私は9月から1月まで中国・天津市にある天津外国語大学に中期留学に行かせていただきました。天津を訪れるのは今回で2回目です。小学2年から5年まで父の仕事の都合で約5年住んでいました。9年ぶりに訪れる天津は経済成長によって大きく変わってしまったところも多かったですが、当時のままのところもあり、とても懐かしく嬉しかったです。

私の行かせていただいた天津外国語大学は多言語、多学科で、中国で最も早く設立された外国語専門8大学の1つです。1921年、天津外国語大学の前身の一つである天津工商大学が馬場道にキャンパスを建て、後に津沽大学、河北大学へと大学名を変更しました。1964年、主たる前身である秦皇島外語専科学校(後に天津外国語専科学校)が設立されました。2010年、教育部の許可を得て、天津外国語大学へと名称を変更しました。現在馬場道と濱海の二つのキャンパスを持ち、馬場道キャンパスは天津の市街地に位置し、キャンパス内の建物の多くはヨーロッパ風であり、シックなデザインで、キャンパス全体は美しく閑静であり、天津市十景の一つになっています。濱海キャンパスは濱海新区の大港大学教育生態園内に位置し、湖の景色と植物の緑が互いに光を放ち、景色が秀麗です。馬場道キャンパスは、その美しい外観からドラマなどのワンシーンとして使われていたりします。

9月から私の留学が始まりました。1度高校生の時に2週間だけオーストラリアに短期留学した経験があったため、友達や家族と離れることは大丈夫だと思っていましたが、やはり4カ月となると期間が長いため、部屋で寂しく泣く日々が何日もありました。学生寮は思っていたよりずっときれいで、過ごしやすかったです。ルームメイトは最初は中国人とベトナム人のハーフの年下の女の子でした。中国人とのハーフということで、とても流ちょうに話すことができ、現地の人の話も聞き取ることができていました。しかし、私は中国語を学び始めて1年ばかりで簡単な会話しかできず、なかなかうまくコミュニケーションをとることができませんでした。そのため、お互いにスマホの翻訳を使い、伝えたいことを伝えあっていました。留学が始まって1ヵ月ほどして、ルームメイトが一時帰国のため寮の退居手続きをした際に1週間ほど1人部屋でしたが、隣の部屋だった日本人がルームメイトとうまくいかず私の部屋に引っ越してきました。他国の人と文化の違いを乗り越えて協調するのが留学生活の醍醐味だと思うのですが、私も前のルームメイトと生活するうえで文化の違い等で生活しにくい時もあったので、ルームメイトが日本人になって正直嬉しかったです。

授業は4教科で、1週目は日本の履修変更期間のようにクラスを変えられる期間でした。クラス数が多く自分のレベルにあったクラスを選べるので、とても登録しやすかったです。留学生活が始まって2カ月目からは生活にも環境にも慣れて、留学が楽しいと感じられるようになりました。留学2ヵ月目の10月の始めには、国慶節といわれる1週間のお休みがあったので、北京語言大学に留学している友達と連絡を取り合ってお互いの大学付近にホテルを取り、天津と北京の観光をしました。天津も北京も行ったことのある所なので観光地という観光地には行きませんでしたが、天津には売っていないものを北京では買うことができて大満足でした。また、中国では店によっては値切りができるので、いかに安く値切れるか毎回勝負で楽しかったです。

 11月には天津に来て初めてのテストがありました。HSKの問題を解いたり、テキストの問題を解いたり、先生の決めたテーマについてパワーポイントを各自制作し、皆の前で発表するなどしました。クラスメイトには色んな国の人がいて、パワーポイントの発表の際にその国の文化も少しですが学ぶことができました。私は日本のお正月について発表したのですが、おせちの写真をスクリーンに映すと他国の子が"お~~‼"と良い反応をしてくれて嬉しかったです。また、11月から一気に冷え込み、最初の頃は体調を崩していました。外は寒いですが、私の部屋は暖房をつけなくても割と暖かく、11月、12月でも短パンで寝ていました。

 留学2ヵ月目と3ヵ月目は、勉強も頑張りつつ海外ならではの食も楽しもうと思い、平日は学食で我慢し、土日は贅沢に外食をしていました。大学の周りの中国の東北地方の料理を食べられるお店へ行ったり、タクシーで韓国料理屋さんに行ってサムギョプサルを食べたりしました。日本に比べて味が濃いのでくどく感じたりもしましたが、おいしかったです。東北料理屋さんのおばさんとは仲良くなり、帰国する前日にもお店に行って最後に一緒に写真を撮り、「日本にも遊びに来てね。」と伝えました。

学生寮では、月に1度現地の料理を作る企画があったり、留学生歓迎会、日韓でスポーツ大会を開いたりしました。留学生歓迎会では、留学生数の多い日本人は毎年出し物を行うようで、今年度は希望者だけですがダンスをしました。私もダンスに参加したのですが、毎日の練習は楽しく、前学期から留学している他大学の先輩とも仲良くなることができました。

年末には家族が2泊3日で遊びに来てくれました。家族も天津に来るのは9年ぶりでとても楽しみにしていたようです。天津に住んでいた時にお世話になった父の会社の人たちと食事会を開いたり、思い出のご飯屋さんに家族で行ったりしました。

 4ヵ月の留学中に中国の良いところをたくさん知ることができました。厳しい人もいましたが、多くの人は言語の分からない日本人の私に優しく接してくれました。9年前にも感じましたが、今回の留学を通して改めてそう感じました。また、日本では考えられないようなことが起きたり、外国の子たちの生活を見てこちらでの常識や海外との文化の違いをたくさん感じることができました。

今回の留学で、日本語の話せる父の会社の人にたくさんお世話になりました。留学は私一人ではできません。色んな人の支えがあってできます。親や留学中お世話になった方々に感謝したいと思います。留学をする人は年々増えています。留学の経験を無駄にしないよう、今後の生活、検定、就活等頑張っていきたいと思います。

 

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中期留学報告(オカナガン大学 荒木 彩峰)

ホストファミリーとの出会い

 留学をする前とした後で大きく変わったことは"留学"についての考えだ。今までに「英語を勉強するために留学すべきか」というような議論を何回かした。留学する前は問答無用で留学すべきだと考えていたが、留学を実際にしてみて、日本でも十分英語の勉強ができるので無理に留学しなくても良いと考えるようになった。決して留学は悪いものではない。私が過ごした4か月のカナダ生活に無駄なことは一つもなかったと思っている。しかし、英語を勉強する全員が必ず留学すべきだとは思わないようになった。

 私がオカナガン大学に留学した時はほとんどの生徒が日本人か中国系だった。クラスはレベルで分けられるが、だいたいの日本人はレベルが同じで、日本人と話さないようにしていてもクラスのほとんどが日本人の授業もあった。留学前に留学経験のある先輩方から話を聞いたように、アカデミックな科目(歴史や経済などのdiscussion, reading, writing以外)を取らなければ、日本を離れて勉強しに来ても環境の変化は少ない。私はアカデミックな科目を取ることができなかったので、留学をしなくても英語力が上がると考えたのかもしれない。

クラス分けテストの内容はwriting、listening、reading、speakingの4つ。writingの問題は、自分のお気に入りの本や映画について、用紙1枚裏表に自由に書くものだった。listening、readingの問題はTOFFLより基本を問うものが多く、思っていたよりは易しく感じた。speakingは先生と一対一で会話するもので、日本でどんな勉強をしていたかなどの質問をされた。speakingはテストだからとかしこまらず、気楽に話しても良さそうだったので、1つ質問されたら3つ4つと積極的に自分から答えて、色んな話をすると良いと感じた。

 留学生が普通受けるESL(English Second Language)の授業は、reading、writing、discussionとあった。例えばreadingだと、ESLR010,020,EAPR010-040のように、どの授業も6つのレベルに分けられ、EAP○040になるとアカデミックな科目を取ることができた。1つの学期で成績が65%以上だと次の学期でレベルが1つ上がり、90%以上だと2つ上がることができるが、中期留学は1学期で終わるのでレベルを変えることができない。しかし、授業が始まって1週間は、レベルが合わないと思ったら下げることも上げることもでき、クラス分けのテストが全てではないのかなと感じた。

授業を受けて思ったことは、先生によって内容が全く異なるということだ。レベルが同じでも片方のクラスは宿題が多く、もう片方はレベルが一つ下のクラスと内容がほとんど変わらない、もしくはレベルが一つ下のクラスの方が宿題の量が多かったり内容が充実していたりする。授業は毎日2コマ(1コマ1時間~2時間くらい)くらいで、空き時間はたっぷりあった。

 私のホームステイ先の家庭はカナダ人で、母、父(遠くで仕事しているため1か月に2回ほど帰る)、兄(大学院生)、妹(大学生)、そして家の地下にはもう一人の兄と婚約者が住んでいて、たまに一緒に夕食を食べた。また、私と同じ留学生の韓国人の女の子(大学3年生)が同じ時期に来た。

私のホストファミリーは色々なところへ連れて行ってくれた。カナダに来て1週間後、車で6時間以上かかるホストマザーの実家へキャンプに行った。家の前の湖でジェットスキーをしたり、近くの洞窟体験ができるところへ行ったりと、素敵な場所だった。ホストマザーがアウトドア派だからなのか、週末にはハイキングやバイキングにも行った。他には、学校の企画でBanffという有名な観光地へ2泊3日で行ったが、参加する生徒の大半が日本人だった。ハロウィンやクリスマスも本当の家族のように接してくれたホストファミリーのおかげで、日本とは違う過ごし方を経験できた。

私が留学した大学はケロウナという田舎にあり、主な交通手段はバスか車だった。家から学校までバスで45分かかるが、車だと10分くらいなので時間が合うとマザーやブラザー、シスターが迎えに来てくれて、本当に優しい家庭だった。

 大きなショッピングモールやダウンタウンが、学校からバスで20分くらいかかるところにあった。他に特にこれと言ったところはないので、休みの日や学校が終わった後は大体行く所はみんな同じだ(だからと言ってモールもダウンタウンも大した場所ではないが、、、)。

留学している間に一度、バスストライキが起こった。日本では考え難いことだが、カナダでは以前、郵便局や先生のストライキもあったようで、労働者に強い力があると感じた。車を持っていない留学生の交通手段はバスしかないので、いつ終わるか分からないバスストライキの時期は辛かった。私のホストファミリーには、universityに通うシスターや学校の先生のマザーがいるので、登下校の時間は大体同じだったが、毎日、細かい時間や場所の連絡をしてお願いするのは面倒で申し訳なかった。ホストファミリーによっては送迎するたびにお金を払わなければいけない人もいて、大変だと感じた。バスが動かないと唯一のショッピングモールさえも行けないので、平日はもちろん、休日はもっと退屈だった。

 食事は、私が好き嫌いもなく食にこだわりがないのもあるが、思っていたより不便ではなかった。いまいちカナダ料理が何かは分からなかったが、日本と同じようにイタリアンだったり、メキシコ、アジア料理だったりと、たまに味付けが合わないものもあるが、食べられないほどではなかった。いくつかのアジアンマーケットがあり、ポッキーなどの日本のお菓子が値段は2倍ほど高いがあった。また、SUSHIが人気で、カルフォルニアロールだがスーパーなどでよく見かける。日本料理のレストランもたくさんあった。ホストファザーとシスターがベジタリアンなこともあって、野菜や果物は毎日摂取した。他の留学生から、肉やピザばかり出たり、家の飲料水が水道水だったり、ホストファミリーがフィリピン人であったりという話を聞き、本当にホームステイ先によって全く違うなと感じた。

 この4か月は本当に貴重な時間だった。英語力を上げるには留学が最適な方法だと思っていたが、実際は日本でもできる勉強方法だった。だからと言って留学が悪いものではない。そう思うことができたのは、ホストファミリーのおかげだと強く思う。寮では味わうことができない日常の食事や、日本では考えられない生活を体感できたし、こんな素晴らしい人たちに出会えたこと、ホストファミリーとして一緒に過ごせたことに感謝したい。

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中期留学報告(オカナガン大学 松井 みゆ)


リベンジ成功の4か月

 2016年9月から12月まで、カナダのケロウナという地方にあるオカナガン大学に中期留学しました。今回の留学での私の目標は、高校生で留学に行った時に果たせなかったことをリベンジし、さらに日本に帰ってきた時に何を今後勉強していくか、自分を見つめなおすという事でした。リベンジというのは、自分から積極的に話しかけたり行動したりする事と、ホストファミリーや新しい友達とたくさん会話をすることなどでした。


 ケロウナに着いて学校に通うまでに一週間ほど時間があったので、ホストファミリーとはすぐに打ち解けることができました。私のホストファミリーは、父と母、14歳と9歳の弟の4人家族でした。よくいとこの17歳の女の子も来ていたので、年の近い女の子とたくさん買い物に行ったり遊びに連れて行ってもらい、今カナダで流行っている物や曲などを教えてもらったりと、毎日が充実していました。その中でもやはり通じない時には、簡単な単語に言い直して話してくれて、新しい単語を覚えることにつながり、とても勉強になりました。映画をよく見る家庭だったので、晩御飯の後にはみんなリビングで映画を見て、家族団らんに参加させてもらいました。弟たちはラクロスをしていて、日本ではあまり馴染みのないスポーツですが、何度も観戦できて、家で一緒に練習に付き合ったりもして、仲良くできました。特に小さい弟はピアノも習っていて、私もずっとピアノを習っていたので、教えてあげたり一緒に弾いたりもしました。


 学校は、初日にテストを行いました。reading、writing、speakingのテストの結果でそれぞれクラスが決められました。留学生のクラスはレベルが下から1~6に分かれていて、私はwritingが4、readingとspeaking(discussion)は3のクラスでした。クラスのレベルが高いほど周りに日本人は少なくなるので、自然に日本語を話すこともなくなります。writingのクラスの日本人の女子は私一人だったので、始めは本当に緊張していましたが、他の国から来た友達と仲良くなり、最終的には隣の席で協力しながら一緒に授業を受けられるほどになりました。一番苦戦したのは、私の取っていた授業でレベルが一番高い、writingの授業でした。先生はベテランの少しお年寄りの女の先生で、話すスピードも教科書を読むスピードもとても早くて、ついていくことにまず必死でした。エッセイが毎回課題として出されたのですが、合格するまで何度も手直しして提出するのが大変で、新しい単語や熟語、書き換えなど、英語で文章を書くうえで大切な基本を一から学べて、とても難しい分、一番努力して力になった授業だと、今になって思います。discussionの授業は毎日110分あり、一番クラス全体が仲の良いクラスでした。先生はとても親切だったし、普段海外で生活するうえでためになることをたくさん学んだ授業でした。例えば、その日習った会話の内容を帰ってホストファミリーに話すと、カナダではそれが普通なんだよ、とか他にこういう表現の仕方もあるよ、などとさらに深く文化を学べたりして、毎日楽しかったです。そしてまたそれを先生に話すと、クラスの中でそれを共有して勉強したりでき、好循環でした。毎日単語テストがあったり、前回習ったことの復習を抜き打ちでやることもあり、どんどん知識が増え自分の英語への見方がさらに良い方向に変わっていくのが分かりました。


 一番リベンジしたかった、友達との会話。今回の留学で果たすことが出来ました。積極的に行動することもリベンジすることの一つだったので、学校に張り紙で書いてあった「conversation partner」、つまり会話を練習する友達を作ろうという企画に一人で申し込み、カナダ人の友達ができました。その子の名前はBreeと言って、学校で日本語を勉強していて、日本文化などにも興味のある女の子で、とても会話が弾みました。日本から持って行ったお土産を渡すととても喜んでくれて、彼女の運転で買い物や日本食レストランにも連れて行ってもらい、たくさん交流しました。留学生のクラスで授業を受けるので、実際に交流できる現地のカナダ人は、ホストファミリーと先生たちしかいません。そのため、勇気を出して申し込んだこの企画が、カナダ人の同い年の友達を作る重要な機会になったので、積極性は本当に大切なことだと改めて実感しました。


 この4か月で、旅行に2か所行きました。一つは学校から行けるバンフツアーというもので、日本人がたくさんでしたが、学校が始まってすぐに参加しました。バスで10時間ほどの長旅でしたが、カナダらしい大自然や景色を目の前で見ることができ、深く心に残っています。雪がすごい地方だったため、山の頂上から見る雪景色が本当に最高でした!この旅行がきっかけで、日本の他の大学から来ている友達や先輩と知り合うことができ、留学最後までずっと仲良の良かった親友にも出会えました。もう一つはイエローナイフという地方に飛行機で行きました。この旅行は、discussionのクラスで仲良しになった男女4人で行きました。イエローナイフはオーロラが有名で、一緒に行った友達の誕生日も兼ねて、サプライズで見に行きました。地元の人が「オーロラは大抵綺麗に見るには3日ほどかかる」と言っていましたが、私たちはとても運が良くて、一発で、しかも数時間待っただけで見ることができました!オーロラを生で見ることなど一生に一度だと思います。目の前の空でオーロラが光ってゆらゆら揺れているのを見た時は本当に感動し、思わず泣いてしまうほど綺麗でした。地球は本当に広くて色々な人がいて、自分は本当にちっぽけな存在でも、こうやって日本でない場所で、日本人じゃない人と素敵なものを一緒に見ているのだと思うと不思議な気持ちになりつつ、今後もたくさんのことに挑戦していこうと自分のやる気もさらに上がった、意味のある旅行になりました。


 たった4か月の留学で、正直もっとカナダにいて、次の学期はさらに上のレベルのクラスに上がって英語を学びたいという気持ちもありましたが、ここで学んだことを忘れずに更に向上していけるように、日本での大学生活をもっと濃く、意味のあるものにしていこうと思いました。今までの人生で一番濃い4か月でした。この留学をするうえでたくさんの人にお世話になったので、本当に感謝しています。ありがとうございました。


ホストファミリーの家

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ケロウナの見どころ、オカナガン湖の前

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弟たちのラクロスの試合(休日に家族皆で応援に行きました!)

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バンフ旅行 ポストカードのように綺麗な後ろの景色に注目してください!

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