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2017年10月20日

中期(延長)留学報告(アルムスリム大学 水谷 奈津子)

アチェで学んだイスラームと国際協力

はじめに

 私は2016年9月1日から2017年7月6日の約10ヶ月間、インドネシアスマトラ島アチェ州にあるアルムスリム大学にて長期留学をしてきた。語学だけでなく、文化と宗教、国際協力について学んできた。留学先であるアチェは、つい最近までアチェ独立運動が行われており、2003年のスマトラ沖地震をきっかけに、平和協定が結ばれ終結した。しかし、津波による被害や紛争による爪痕が、今でも解決されないまま残っている部分が多くある。アチェ独立運動後は、アチェ特別州となり、インドネシアの中でも唯一イスラーム法であるシャリーアが適応されている地域となった。私は2015年の夏、国際協力スタディツアーにて、初めてアチェを訪れた。2014年のとき参加した国際協力スタディツアーでは、フィリピンを訪れたが、アチェのツアーでは、その時とは違う国際協力のあり方や、イスラームという宗教や文化に興味を持った。更に、長年の紛争や、地震と津波にも負けないアチェの人たちに魅了され、語学だけでなく、国際協力、文化や宗教について理解を深めるため、インドネシア留学を決めた。


初めての長期間の発展途上国での生活

 大学1年時に、フィリピンにて2週間、2年時にインドネシアにて2週間過ごしたが、ニュージーランドでの2ヶ月間の留学が、自分の中で1番長く海外で過ごした経験だった。そのため、海外、それも発展途上国で、初めてそれ以上に長い間生活をするということに不安もあったが、国際文化協力を専攻している自分にとって、この留学は大きなチャンスだと思っていた。留学先であるアルムスリム大学は、本学と協定校を結んだばかりであり、私が第1期生の派遣であった。アルムスリム大学も、長期での留学を受け入れるのは初めてであった。1期生であるからこそ、大学の名を背負い、1年過ごさなければならない、次の後輩に繋げる見本とならなければならない、アルムスリム大学側でも、名古屋学院大学に派遣される留学生に対しサポートをする役割もあったため、勝手に様々なプレッシャーを感じていた。


大学での生活

 留学生の受け入れが初めてということもあり、留学生用の授業はなく、全て現地の学生と同じレギュラーの授業だった。前期は、英会話、英文法、異文化理解、インドネシア語、イスラーム学を履修。後期には、一般マネジメントサービス、文化社会基礎、システムインドネシア経済、英文法、行政村落管理を履修した。留学当初は、インドネシア語に自信がなかったので、教育学部英語学科の学生の授業を主に履修し、授業もインドネシア語とイスラーム学以外は英語だった。留学に慣れた後期には、よりインドネシア語を学ぶためにも、英語ではない社会政治学部の授業を履修した。基本的に2時間以上の授業ばかりであり、朝も1限は8時からという日本とは違う時間割だったため、朝早くから頭をインドネシア語に切り替えるのが大変だった。毎回多くの課題が出るわけではなかったが、中間テストにはプレゼン発表が多かった。先生は、私を留学生だからと配慮し、授業に沿った中で日本に関連するテーマを与えくれた。厳しい先生は、当たり前かもしれないが、留学生だろうと関係なしにテストなどを行ったが、クラスメイトが助けてくれた。レギュラーの授業は、辞書がないと受けられないぐらい毎日ついていくのが大変だったが、周りに外国人や日本人がいない環境というのは、良い刺激になった。留学3ヶ月ぐらいで、日常生活には困らないほどのインドネシア語はできるようになった。現地語であるアチェ語も少しできると、初対面の人などと話す時に笑ってくれ、距離が縮まるのを感じたので勉強を続けた。


イスラームの世界

 インドネシアは、世界で1番イスラームの信仰者人口が多い国だ。日本では、イスラームと聞くと、IS(イスラム国)やテロをイメージする人が多いと思う。実際自分も、インドネシアに行く前はそうだった。無宗教が多い日本で、宗教自体にあまり認識がない環境であるがために、そもそも宗教が、文化や生活に繋がっていることも知らなかった。身近にイスラームの人もいないというのも、宗教に関して知らない、興味を持たない原因だった。しかし、留学生活を送るのはイスラーム圏の地域であり、その中でもイスラーム法がある地域だった。自分は生活していく中で、服装に特に気をつけた。イスラーム法が外国人である私にも適応されるとはいえ、ジルバブ(頭にまとうベール)はしなくても大丈夫。半袖は大丈夫だが、身体のラインが出る服装、胸元が開いた服装、透ける素材、足首が隠れないズボンやスカートは避けるようにしていた。だからといって、苦痛と感じることはなかった。外を歩く女性は皆ジルバブをしているゆえ、私が外を歩くと顔つきも違うからかジロジロと見られるのは、帰国するまで当たり前のことだった。留学期間の途中、それがストレスになり、「見ないでよ。でも、見られたくないなら、私が毎日ジルバブをするべき?」と思ったこともある。しかし、ジルバブをしていないからこそ、「あれは奈津子だ」と気づいてくれる友達や近所の人がいた。また、知らない人は話しかけてくれ、コミュニケーションに繋がった。ジルバブをしない私でも、日常生活はイスラームの文化上に成り立っていた。朝8時から授業が始まるのは、朝のお祈りで皆早起きをするから。箸やスプーンを使うこともあるが、右手を使って直接ご飯を食べる。左手は不浄とされ、食事中はもちろん、挨拶時の握手でも使わない。イスラームでは豚肉とお酒が禁じられているため、アチェでは売られていない。反対に、イスラームの教えで「許されている」という意味の、アラビア語で「ハラール」という言葉があり、豚肉やお酒を使用しておらず、安心して食べられる証として、売られている食材にはハラルマークが表示されている。金曜日のお昼の礼拝は、イスラームの人にとって大事なお祈りであるため、お店や学校が閉まり、12時から14時の間は毎週静かになるなど、そういった日常生活を体験すれば、「なぜそのようなことをするのか?」という疑問が、理解へと繋がった。外国人がよく、日本人は親切と言うが、イスラームの人たちも同じで優しく、神であるアッラーの言葉や教えに従い、毎日生活をしている。どうして私は何も知らない状態で、イスラームは怖い、テロと感じていたのか、恥ずかしくなった。テロを起こしている人は寧ろ、イスラームの教えとは反対のことをし、日本人が思うように、イスラームに悪いイメージをもたらしている。私はこの経験を、何も知らない日本人に伝えなければならないと感じた。どうしてキリスト教に継ぎ、世界で2番目に信仰者が多い宗教なのか納得できた。そして、イスラームという宗教と文化を理解し、アチェの人たちと生活を共にすることで、より楽しく良い経験をしながら、自分の価値観を変えることができた。


国際協力の現場

 留学に来て3ヶ月が経った2016年12月7日の朝5時頃、マグニチュード6を超える大地震が起きた。私は就寝中であったが地震で目が覚め、すぐ外に出れないぐらいの揺れだったので、ベッドから動くことができなかった。幸いにも、私が住んでいるビルン県マタンでの被害はなかった。だが、テレビのニュースや大学の友達との話で、震源地近くのピディ・ジャヤ県(マタンから車で2時間ほど)で大きく被害が出ていることを知った。地震当日には、既に大学内で募金活動が始まっており、自分も国際協力を勉強しているので、募金だけするのではなく何か支援できることがないかと考え、佐伯先生を通じて、12月8日、2015年のスタディツアーでお世話になったNGO「Jari Aceh」のニーズ調査に同行させてもらい、現地を訪問した。そこでまず、被害状況を確認し、どのような支援が足りていないのかなど、これから支援するにあたり大切な調査を行った。このような、緊急に支援を必要としている現場に身を置くことは、初めてだった。国際協力を学びたいと思い、大学で少しは勉強してきたとは言え、知識も行動力もなく、正直その時の自分には何もできず、何をどう動かしていけば良いか分からなかった。現場の近くにいたことは偶然であったが、この地震を通して、支援がどのように行われているのか1から学ぶことができた。このニーズ調査後、すぐに佐伯先生と名古屋学院の学生に連絡をとり、募金活動を行ってもらった。おかげで、89,162円もの寄付金が集まった。この場でもう一度、募金をしてくれた方、先生を始め、募金活動を行ってくれた仲間に感謝したい。



 ニーズ調査の結果、女性、特に母親と子どもに支援が足りてないということで、おむつ・ベビーウェア・靴下・下着・手袋・ユーカリ油・ベビーパウダー・ミルク・生理用品・石鹸・歯ブラシ・歯磨き粉・ビスケットなどが1つずつ入った袋を、子どもがいる母親に支援した。その時言われた「ありがとう」と笑顔は、忘れられない思い出になり、何より自分が国際協力を専攻し学ぶうえで、何が自分自身に足りていないのか、そして何が大切なのかを、現場から学ぶことができた。



 大学に入り、大学1年と2年時に参加した国際協力スタディツアーを通して、この長期留学に参加できたことは、大学生活、そして人生においてのターニングポイントとなり、自分自身を変え、自分らしく行動し、国際協力についてだけでなく、イスラームの世界や宗教、更にそこから繋がる文化とは何かということなど、多くのことを学んだ。ただ漠然と、国際協力をしたいと思い大学に入学したが、今では、自分が専攻している国際文化協力学科の名の通りの留学経験と、それ以上の経験、そしてアチェの人たちとの絆ができた。留学を応援してくれた家族、慣れない土地での生活で、親に心配をかけないがために言えなかった相談を聞いてくれた友人、そして、佐伯先生はじめ国際センターの方々。家族のように接してくれたアルムスリム大学の学長をはじめ、友人、そしてアチェの家族。全ての人に感謝をしている。第1期生として、やるべきこと、学ぶべきこと以上の経験をし、誇りを持って帰国したことを、ここに報告したい。




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