2017年10月アーカイブ

2017年10月31日

長期留学報告(アラスカ大学フェアバンクス校 杉浦夢菜)

日本とは全く違う環境で自分を成長させてくれたアラスカ

Ø  留学しようと思った理由 
留学は中学生の時から目標にしていたことであり、本学に入学しどうしても長期で留学したいと考えTOEFLを勉強していました。1年生の秋学期から本格的に勉強を始め、毎日図書館の閉館時間まで勉強し、秋からはTOEFL講座を受け点数を伸ばしました。留学前に目標にしていたことは、できるだけ日本人が少ない場へ行き自分を試すこと。日本とは違う環境の中で自分を成長させること。そして英語を学ぶだけではなく、英語で何かを学びたいということでした。

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Ø  コー大学での事前研修 
長期でアメリカ留学させていただくということで、コー大学の研修に10日間行かせていただきました。実際にアラスカ大学での生活がスタートする前に、事前にこのような研修させていただき、後で役立ちました。1日目から各授業の宿題が山ほど出て、寝る時間は3時をいつも過ぎていました。それでも週末には野球観戦やショッピングセンターに連れて行っていただいたり、現地の大学生とパーティーをしたりして充実していたのと同時に、これからアラスカで留学がんばろう!という気にもさせていただきました。

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Ø  アラスカ大学について(気候・寮生活・カフェテリア)
  アラスカ大学に着いた瞬間、キャンパスの広さに驚きました。学内に3種類のシャトルバスが通っているくらい大きな場所でした。私は学内で一番大きな寮に、アラスカの田舎町出身の子をルームメイトとして住んでいました。カフェテリアでお金を払うのも、寮に入るにも学生証が必要で、また市内を走るバスも学生証を提示するとどこにでも行くことができたのですごく便利でした。 
  アラスカに着いたばかりの9月はまだ夏で、日本にはない白夜というものがありました。夜の10時まで明るくて、その時間帯まで外でパーティーをし、日本では絶対ないような経験ができていたことが、不思議な感覚ながらも楽しかったのを覚えています。 
  また、アラスカに来て1週間くらいの時に、様々な国の留学生10名ほどでオーロラを見に行きました。キャンパスから10分歩いた場所で、更にアラスカに着いて1週間ほどでオーロラが見ることができることは、とても貴重な経験できた。 
  
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  Ø アラスカで4日間のバックパック登山体験
  アラスカに着いてすぐ、留学生と新入生向けの企画として、4日間のバックパック登山体験をしました。正直、これは軍隊かと思うくらい辛かったです。でも、その引き換えに忍耐力をつけることができました。みんなでテントや食料、ガスコンロなどを分担して、1人15キロ程度の荷物を背負い、4日間トイレもない場所で過ごしました。毎日雨が降っており、着替える服がなくなったりクマがいたり、寝袋で寝ても寒くて夜寝られなかったり、落ちたら死んでしまうのではないかと思う崖を登ったりと、今までにしたことのない経験ばかりでした。やっているときは大変でしたが、今思い出すといろんな国の人やアメリカ人と関わるチャンスであったり、雄大なアラスカを見渡す経験できました。なので、もし後輩でやるかやらないか悩んでいたら、私は彼らの成長のために参加をお勧めしたいと思います。

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Ø  アラスカで一番寒い日々 
アラスカの12月は最も日が短く、日が11時ごろに登り3時には沈んでいました。気温も毎日-40度に近いなか、朝起きて、授業がある教室に向かって真っ暗な中10分歩くのにもやっとでした。外は寒いですが、寮や教室はすごくあったかいので、半袖で過ごせるほどでした。授業に向かうまでは6枚重ね着をした服を着て、3枚重ね着をしたズボンを履き、-40度に対応したブーツに、マフラー、ハット、手袋なしでは外を歩けず、室内に入ると私を含めたみんなが服を脱ぎはじめる光景が懐かしいです。
アラスカに来て学んだことの1つは、太陽の重要さです。日照時間が少ない関係で、昔からアラスカに住んでいる人はもちろん、私もビタミン剤を毎日飲まなければなりませんでした。理由は太陽の光を浴びていないことで気持ちが暗くなっていき、ひどいと鬱になるからです。やはり日照時間が4時間という日が続くと、気持ちが暗くなってくるときもありましたが、その分友達と出掛けたり、週末はパーティーをするために平日は図書館で遅くまで勉強していました。あのときはとても大変で、辛いと何度も思いました。しかし今思い返すと、日本では経験できないような経験がアラスカでできたことで、忍耐力を養うことができました。自分の限界を超す毎日を経験したおかげで、新しいことに挑戦するハードルを下げることができ、責任感や積極性を身に着けることができました。

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Ø  クラスについて
秋学期、春学期は、どちらもESLとしてリーディング、ライティング、スピーキング&リスニングのクラスを取り、レギュラーとして秋学期はアメリカ史の授業、春学期は第二言語教授法のようなクラスを取り、日本語を勉強している生徒に授業をしたりしました。他にヨガのクラスも取りました。
12月初めは期末テストに追い込まれる日々でした。私の取っていた5つのクラスのうち、4つのクラスでプレゼンがテストの一つに含まれていたりと、とても追い込まれました。今まで受けていた日本の大学では、プレゼンよりもペーパーテストや論文を書くものが多かったので、その違いに驚きました。

Ø  冬休み、春休みの旅行 
私は比較的いろいろな場所へ旅行に行きました。アメリカ内だけですが、テキサス、フロリダ、シアトル、メンフィス、シカゴへ、留学中は旅行に行きました。アラスカ大学でできた友達と出かけるのもあれば、1人で出かけた旅行もありました。同じアラスカでも、州ごとに全く違う面がたくさんあり、新たな発見がたくさんありました。冬休みにテキサス、フロリダへ行った際、毎日晴れているのに加えとても過ごしやすい天気であったので、アラスカで寒かった分、冬休みは温かい場所で羽を伸ばすことができました。

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   Ø  まとめ
  留学としてアラスカへ行き、日本とは全く違う経験をたくさんできたことは、私の人生の中でも大きなことでした。留学に行きたいと思うことは簡単でも、何を学びたい、どんな自分に成長したいかなどをある程度目標にすることも大切だと思います。留学は一言で楽しいと言うものではありませんでした。もちろん、今まで日本で生きてきた分、新しい環境に慣れること、日本語が通じない友達といること、日本人が私しかいない授業についていくこと、-40度の世界を経験することは、とても大変でした。しかし、それらを経験したことで、普段気づかないことを学ぶことができ、今に活きていると思います。
  留学に行けば英語は話せるようになる、その国の友達とすぐに友達になれると思うかもしれませんが、容易な気持ちではできないと思います。留学前に基礎的な英語力を固めておかないと、スピーキングを上達させるのには苦労しますし、自分から現地の人に話しかけて行かないと何も始まりません。留学は自分の努力次第だと感じました。私はアラスカ大学に留学でき、他の人とは違う経験ができたことを誇りに思っています。



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2017年10月23日

中期(延長)留学報告(マキーワン大学 大場 智裕)

私を成長させてくれたカナダ
 私はカナダのエドモントンにあるMacEwan Universityに約10か月間留学をしていました。私はこの場所とこの大学で数え切れないほどの新しい経験をし、いろんな人種の人たちに会い、日本の文化とは全く違う、カナダやアメリカや中国など、他にもたくさんの国の文化を直に感じ、私を大きく成長させることができました。ここでは私の大学生活と私の体験したカナダ特有の異文化体験、そして私の大好きなカナダとアメリカの旅行について書きます。

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 まず1つ目は、大学生活についてです。私の留学していたMacEwan Unversityには3つのキャンパスがあり、私が履修していたESLのクラスはAlbert College Campusで行われていました。このキャンパスは、主にESLのクラスのために使われています。ここのキャンパスの特徴として、英語を習得するためにいろんな国からの留学生や移住してきている人たちがいます。そのため、ここには本当に多くの国の人たちがいて、更に年齢層も様々で、私たちのような留学生もいれば働きながら英語を学習しているおじさんやおばさんなどもいました。

 私が履修していたクラスには、およそ16か国もの国の人たちが一緒に英語を勉強していました。私にとってこのような環境は全く予想していたものとは違い、初めは戸惑いと不安でいっぱいでした。友達はできるのかとか、それぞれの国特有の英語のアクセントで英語が更に難しく聞こえ、コミュニケーションが取れるのかなど多くの不安がありました。

 しかし、私のクラスメートたちはいつも優しくフレンドリーに声をかけてくれたり、授業で分からないところを教えてくれたりなど、常に親切に接してくれました。そのおかげで、戸惑いや不安はなくなり、逆に留学生活は楽しいものになりました。またこのESLのクラスでは、ほぼ毎回のようにグループディスカッションがあり、週1回のペースでプレゼンテーションがあり、その中にはグループプレゼンテーションもありました。それらの活動をする際に、トピックがカナダの歴史や良いところ、また、各国から来ているクラスメートの自国紹介などを通して、カナダや他国の文化や言語に触れ、学習することができました。これが主に、ESLのクラスで体験して学んだことです。


 また、MacEwan UniversityのメインキャンパスであるCity Center Campusも、毎日ESLのクラスが終わった後に行っていました。このキャンパスはすごく大きく、大学を端から端まで歩くとおよそ20分かかります。このキャンパスには様々な学部があり、ここにはMacEwan Universityの本学生が通っているので、カナダ人や英語を第一言語または第二言語で話す学生しかいません。

 また、このキャンパスにはTimHotonやStarbucksなどのカフェや広大な図書館もあり、他にも勉強するためのソファや机が数え切れないぐらいありました。そのうえ、設備のかなり良いジムやプールがありました。そのため、このキャンパスに来ては、宿題をやったりジムに行ったりプールに行ったり、友達と待ち合わせして遊んだりなど、授業後の遊び場やリラックスするために毎日行っていました。

 また、私はWinter Termから週2でビジネスクラスに参加しました。その授業はレギュラーのクラスで、ESLのクラスよりも遥かに難しく、毎日先生に質問をして何とか理解してついていけました。しかし、このクラスのおかげで、新しく友達ができました。また、週に1回バドミントンとドッジボールのクラブにも入り、友達がたくさんでき、英語を話す機会もかなり多くなりました。従って、私はこの大学生活で数え切れないぐらいの良い体験をして友達ができ、すごく良い大学生活でした。

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 次に、カナダの文化やイベントについて紹介します。私は、ホームステイをしていて、カナダ特有の文化を体験することができました。まず、私のホストファミリーは、すごく親切でフレンドリーなファミリーです。私のホストファザーはネイティブアメリカン、ホストマザーはフレンチカナディアンで、ファザーからはネイティブアメリカンの話や子供の頃の話をよく聞きました。

 また、マザーからはフランス語やカナダのフランス教育など、いろんなことを学びました。他にも、本格的なバーベキューをしたり、週2ぐらいのペースでホームパーティーを開いたりしていました。サンクスギビングには、ターキーやパイを食べたり、クリスマスにはプレゼントをもらったりなど、ホームステイのおかげで多くの文化やイベントを体験することができました。また、ハロウィンには、友達と一緒に近所にトリックオアトリートをしに行くなど、日本ではできない体験をたくさんしました。


 そして最後に、カナダとアメリカの私の旅行について紹介します。私はカナダで何回か旅行をしました。そして、訪れた場所すべて素晴らしい場所でした。

 まず私は、アルバータ州にあるバンフ国立公園に3回も行くことができました。ここバンフにはロッキー山脈が連なっていて、その麓には壮大な自然が広がり、美しい湖が何個も存在します。ここは本当に、カナダの自然を直に肌で感じることができる素晴らしい場所です。そして何よりここバンフでは、山登り・ハイキング・ラフティング・ホースバックライディング・ドッグスライディング・スノーボーディングと、約1年間を通して様々なアクティビティを体験することができ、私はその多くを体験できたのでとてもラッキーでした。バンフは、私の中では1番カナダを感じられる場所だと思います。


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 そして次に、イエローナイフです。ここは、世界で1番オーロラがきれいに見える場所として有名です。ここには3日間滞在し、1日だけとてもきれいなオーロラを見ることができました。また、ここでは現地の人たちの厳しい寒さをしのぐための独特な文化と暮らしを体験することができました。2月にはバンクーバーにも行きました。バンクーバーは海が近く、街の雰囲気や文化はエドモントンとは全然違いました。


 そして最後に、アメリカのディズニーについてです。私はディズニーが大好きで、留学に行く前からアメリカの本場のディズニーランドに行きたいと思っていて、ついに行くことができました。アメリカのカリフォルニアのディズニーパークは日本のディズニーランドとは違って、他のゲストも小さい子を連れた家族連れがほとんどで、パーク内の大きさも日本とは違い、楽しむことができました。このように、私は留学を通していろいろなところに旅行することができ、新しい発見や改めて自分が好きなものや目標を確認することができました。

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 私はMacEwan Universityでの留学生活やカナダを通して、多くの新しい経験をして、いろいろな文化を学びました。また、留学を通して、自分を大きく成長させることができました。



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2017年10月20日

中期(延長)留学報告(アルムスリム大学 水谷 奈津子)

アチェで学んだイスラームと国際協力

はじめに

 私は2016年9月1日から2017年7月6日の約10ヶ月間、インドネシアスマトラ島アチェ州にあるアルムスリム大学にて長期留学をしてきた。語学だけでなく、文化と宗教、国際協力について学んできた。留学先であるアチェは、つい最近までアチェ独立運動が行われており、2003年のスマトラ沖地震をきっかけに、平和協定が結ばれ終結した。しかし、津波による被害や紛争による爪痕が、今でも解決されないまま残っている部分が多くある。アチェ独立運動後は、アチェ特別州となり、インドネシアの中でも唯一イスラーム法であるシャリーアが適応されている地域となった。私は2015年の夏、国際協力スタディツアーにて、初めてアチェを訪れた。2014年のとき参加した国際協力スタディツアーでは、フィリピンを訪れたが、アチェのツアーでは、その時とは違う国際協力のあり方や、イスラームという宗教や文化に興味を持った。更に、長年の紛争や、地震と津波にも負けないアチェの人たちに魅了され、語学だけでなく、国際協力、文化や宗教について理解を深めるため、インドネシア留学を決めた。


初めての長期間の発展途上国での生活

 大学1年時に、フィリピンにて2週間、2年時にインドネシアにて2週間過ごしたが、ニュージーランドでの2ヶ月間の留学が、自分の中で1番長く海外で過ごした経験だった。そのため、海外、それも発展途上国で、初めてそれ以上に長い間生活をするということに不安もあったが、国際文化協力を専攻している自分にとって、この留学は大きなチャンスだと思っていた。留学先であるアルムスリム大学は、本学と協定校を結んだばかりであり、私が第1期生の派遣であった。アルムスリム大学も、長期での留学を受け入れるのは初めてであった。1期生であるからこそ、大学の名を背負い、1年過ごさなければならない、次の後輩に繋げる見本とならなければならない、アルムスリム大学側でも、名古屋学院大学に派遣される留学生に対しサポートをする役割もあったため、勝手に様々なプレッシャーを感じていた。


大学での生活

 留学生の受け入れが初めてということもあり、留学生用の授業はなく、全て現地の学生と同じレギュラーの授業だった。前期は、英会話、英文法、異文化理解、インドネシア語、イスラーム学を履修。後期には、一般マネジメントサービス、文化社会基礎、システムインドネシア経済、英文法、行政村落管理を履修した。留学当初は、インドネシア語に自信がなかったので、教育学部英語学科の学生の授業を主に履修し、授業もインドネシア語とイスラーム学以外は英語だった。留学に慣れた後期には、よりインドネシア語を学ぶためにも、英語ではない社会政治学部の授業を履修した。基本的に2時間以上の授業ばかりであり、朝も1限は8時からという日本とは違う時間割だったため、朝早くから頭をインドネシア語に切り替えるのが大変だった。毎回多くの課題が出るわけではなかったが、中間テストにはプレゼン発表が多かった。先生は、私を留学生だからと配慮し、授業に沿った中で日本に関連するテーマを与えくれた。厳しい先生は、当たり前かもしれないが、留学生だろうと関係なしにテストなどを行ったが、クラスメイトが助けてくれた。レギュラーの授業は、辞書がないと受けられないぐらい毎日ついていくのが大変だったが、周りに外国人や日本人がいない環境というのは、良い刺激になった。留学3ヶ月ぐらいで、日常生活には困らないほどのインドネシア語はできるようになった。現地語であるアチェ語も少しできると、初対面の人などと話す時に笑ってくれ、距離が縮まるのを感じたので勉強を続けた。


イスラームの世界

 インドネシアは、世界で1番イスラームの信仰者人口が多い国だ。日本では、イスラームと聞くと、IS(イスラム国)やテロをイメージする人が多いと思う。実際自分も、インドネシアに行く前はそうだった。無宗教が多い日本で、宗教自体にあまり認識がない環境であるがために、そもそも宗教が、文化や生活に繋がっていることも知らなかった。身近にイスラームの人もいないというのも、宗教に関して知らない、興味を持たない原因だった。しかし、留学生活を送るのはイスラーム圏の地域であり、その中でもイスラーム法がある地域だった。自分は生活していく中で、服装に特に気をつけた。イスラーム法が外国人である私にも適応されるとはいえ、ジルバブ(頭にまとうベール)はしなくても大丈夫。半袖は大丈夫だが、身体のラインが出る服装、胸元が開いた服装、透ける素材、足首が隠れないズボンやスカートは避けるようにしていた。だからといって、苦痛と感じることはなかった。外を歩く女性は皆ジルバブをしているゆえ、私が外を歩くと顔つきも違うからかジロジロと見られるのは、帰国するまで当たり前のことだった。留学期間の途中、それがストレスになり、「見ないでよ。でも、見られたくないなら、私が毎日ジルバブをするべき?」と思ったこともある。しかし、ジルバブをしていないからこそ、「あれは奈津子だ」と気づいてくれる友達や近所の人がいた。また、知らない人は話しかけてくれ、コミュニケーションに繋がった。ジルバブをしない私でも、日常生活はイスラームの文化上に成り立っていた。朝8時から授業が始まるのは、朝のお祈りで皆早起きをするから。箸やスプーンを使うこともあるが、右手を使って直接ご飯を食べる。左手は不浄とされ、食事中はもちろん、挨拶時の握手でも使わない。イスラームでは豚肉とお酒が禁じられているため、アチェでは売られていない。反対に、イスラームの教えで「許されている」という意味の、アラビア語で「ハラール」という言葉があり、豚肉やお酒を使用しておらず、安心して食べられる証として、売られている食材にはハラルマークが表示されている。金曜日のお昼の礼拝は、イスラームの人にとって大事なお祈りであるため、お店や学校が閉まり、12時から14時の間は毎週静かになるなど、そういった日常生活を体験すれば、「なぜそのようなことをするのか?」という疑問が、理解へと繋がった。外国人がよく、日本人は親切と言うが、イスラームの人たちも同じで優しく、神であるアッラーの言葉や教えに従い、毎日生活をしている。どうして私は何も知らない状態で、イスラームは怖い、テロと感じていたのか、恥ずかしくなった。テロを起こしている人は寧ろ、イスラームの教えとは反対のことをし、日本人が思うように、イスラームに悪いイメージをもたらしている。私はこの経験を、何も知らない日本人に伝えなければならないと感じた。どうしてキリスト教に継ぎ、世界で2番目に信仰者が多い宗教なのか納得できた。そして、イスラームという宗教と文化を理解し、アチェの人たちと生活を共にすることで、より楽しく良い経験をしながら、自分の価値観を変えることができた。


国際協力の現場

 留学に来て3ヶ月が経った2016年12月7日の朝5時頃、マグニチュード6を超える大地震が起きた。私は就寝中であったが地震で目が覚め、すぐ外に出れないぐらいの揺れだったので、ベッドから動くことができなかった。幸いにも、私が住んでいるビルン県マタンでの被害はなかった。だが、テレビのニュースや大学の友達との話で、震源地近くのピディ・ジャヤ県(マタンから車で2時間ほど)で大きく被害が出ていることを知った。地震当日には、既に大学内で募金活動が始まっており、自分も国際協力を勉強しているので、募金だけするのではなく何か支援できることがないかと考え、佐伯先生を通じて、12月8日、2015年のスタディツアーでお世話になったNGO「Jari Aceh」のニーズ調査に同行させてもらい、現地を訪問した。そこでまず、被害状況を確認し、どのような支援が足りていないのかなど、これから支援するにあたり大切な調査を行った。このような、緊急に支援を必要としている現場に身を置くことは、初めてだった。国際協力を学びたいと思い、大学で少しは勉強してきたとは言え、知識も行動力もなく、正直その時の自分には何もできず、何をどう動かしていけば良いか分からなかった。現場の近くにいたことは偶然であったが、この地震を通して、支援がどのように行われているのか1から学ぶことができた。このニーズ調査後、すぐに佐伯先生と名古屋学院の学生に連絡をとり、募金活動を行ってもらった。おかげで、89,162円もの寄付金が集まった。この場でもう一度、募金をしてくれた方、先生を始め、募金活動を行ってくれた仲間に感謝したい。



 ニーズ調査の結果、女性、特に母親と子どもに支援が足りてないということで、おむつ・ベビーウェア・靴下・下着・手袋・ユーカリ油・ベビーパウダー・ミルク・生理用品・石鹸・歯ブラシ・歯磨き粉・ビスケットなどが1つずつ入った袋を、子どもがいる母親に支援した。その時言われた「ありがとう」と笑顔は、忘れられない思い出になり、何より自分が国際協力を専攻し学ぶうえで、何が自分自身に足りていないのか、そして何が大切なのかを、現場から学ぶことができた。



 大学に入り、大学1年と2年時に参加した国際協力スタディツアーを通して、この長期留学に参加できたことは、大学生活、そして人生においてのターニングポイントとなり、自分自身を変え、自分らしく行動し、国際協力についてだけでなく、イスラームの世界や宗教、更にそこから繋がる文化とは何かということなど、多くのことを学んだ。ただ漠然と、国際協力をしたいと思い大学に入学したが、今では、自分が専攻している国際文化協力学科の名の通りの留学経験と、それ以上の経験、そしてアチェの人たちとの絆ができた。留学を応援してくれた家族、慣れない土地での生活で、親に心配をかけないがために言えなかった相談を聞いてくれた友人、そして、佐伯先生はじめ国際センターの方々。家族のように接してくれたアルムスリム大学の学長をはじめ、友人、そしてアチェの家族。全ての人に感謝をしている。第1期生として、やるべきこと、学ぶべきこと以上の経験をし、誇りを持って帰国したことを、ここに報告したい。




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中期(延期)留学報告(フィリピン大学 山本 泰裕)

一歩を踏み出す勇気

 

 2014年8月、ただ単純に、アジアへの好奇心から名古屋学院大学のフィリピンスタディーツアーに参加しました。当時、自分にとって初めてだった海外に、ただ"驚き"しかありませんでした。飽き性な自分は、『すぐに外国への興味もなくなるんだろうな』と思っていました。しかし、気がつくと、いつもフィリピンのことを考えていて、留学への思いが強くなっていました。両親にあまり経済的に負担をかけたくないと思っていたので、留学に行くとしても中期留学と決めていましたが、両親に留学に行く相談をすると、自分の背中を押すように『行くなら長期留学にしなさい』と言ってくれました。その言葉が自分にとってとても心強い言葉で、一歩を踏み出す勇気になりました。その結果、留学が抽象的なものから具体的なものへと、自分の中で変わっていきました。この長期留学を通して、両親のありがたみを身に染みて感じました。


 そして今から、フィリピンで経験したことや感じたことを、書き出していこうと思います。フィリピンは、一年を通して温暖な気候で、とても過ごしやすい国です。島国ということもあり、とても綺麗な海に囲まれ、自然が多い素敵な国です。国民はとてもフレンドリーで、すぐに友達になれます。しかし日本人の多くは、フィリピンという国が危ないというイメージを持っています。日本に比べたら治安は悪いですが、メディアの情報に惑わされ過ぎで、心配性な日本人はそう感じても仕方がないと自分は思います。現地に居たからこうゆうことも書けるし、これもまた、今後自分自身への自信に繋がって行くと思っています。


 肝心な授業内容ですが、自分が留学していたフィリピン大学は、フィリピンでナンバー1の大学ということもあって、名古屋学院大学にはない授業、日本にないような授業など、本当にたくさんの授業がありました。ただ、英語が話せるというのが前提なので、英語を学ぶという授業はありません。そこで、英語の能力がまだまだだった自分は、とても苦労をしました。教授が、英語を話しているのかタガログ語で話しているのか、聞き分けができないというところから始まりました。多くの日本人学生は、四六時中トイックの教材と向かい合い、部屋にこもって勉強をしていました。しかし自分は、ハッキリ言ってじっと座って勉強することが大嫌いです。そこで、常に誰かとコミュニケーションを取るように心がけていました。すると、3ヶ月を過ぎたあたりから英語に慣れ、半年を越えた頃には、英語を使うことにストレスを感じなくなってきました。半年後には、トイックの勉強を多くしていた学生より、自分の方が話せていることに気づきました。日本語というのは基本的に、書くにも読むにも膨大な知識が必要になります。そのため、私たち日本人は、日本語というものを6歳から15歳の義務教育中に10年勉強します。この経験を通して、日本人の頭には書いて読めば言語は上達するという勝手な固定概念が生まれ、結果的に書いて読んで英語を話そうとします。英語というものは、日本語ではありません。つまり、日本語と同じ勉強法で勉強しても、あまり効果がないと思いました。日本人は失敗を恐れる傾向にあり、その結果、自分自身を守るために英単語、文法などの知識を頭に詰め込んでいきます。その結果、ただ英語の知識を詰め込んだ頭でっかちにしかならないのです。これを経て言えることは、英語というものは多く話した人間が上達していくということです。間違えを恐れて尻込んでいても、結果何も得られるものはないのです。授業で間違った英語、時には無茶苦茶な英語で話しても、フィリピン人は誰一人笑いません。まっすぐに理解してくれようとしてくれます。ここもまた、自分がフィリピンを好きな理由の1つです。


 しかし、どこの国にも良い人間ばかりではありません。自分が留学中に1番と言ってもいいほど、腹が立ち悲しい気持ちにさせられたことは、留学生が滞在していたアカシアという寮にいた寮母さん(ドームマネージャー)の人種差別です。自分は、彼女は普段から冷たい人間なんだと思っていました。しかし、フィリピン人と留学生に対する態度が、明らかに違うと感じられることが時々ありました。更に、絶対的に韓国人を嫌っていました。もちろん、韓国人の彼らが彼女に何をしたということはありませんが、彼女は韓国人にだけ、他の留学生よりも多くの寮費を滞納費という名目で支払わせていました。韓国人学生が日本人学生の支払いの領収書を見たときに、自分のものと全く金額が違うことに気がつき、この事実が発覚しました。どの時代にも、こんなくだらないことをする人間がいるのです。


 学外での活動では、8日間孤児院に泊まり込みで、リサーチを含め滞在させていただきました。やはり格差が大きいフィリピンでは、まだまだ恵まれない人がたくさんいます。孤児院の子供達は皆フレンドリーで、いつも小さい体をめいいっぱい使って、タガログ語の分からない自分に気持ちを表現してくれました。そんな彼らは、親が離婚して面倒を見られなくなって送られてきたり、DVだったり、路上で物乞いやスカベンジャー(ゴミを集めてお金にする人)をしていて保護されたりと様々でした。そんな彼らは、家族のもとに帰りたいという子供もいれば、帰りたくないという子供もいました。孤児院は子供達をただ保護するだけでなく、必要最低限の生活リズムやテーブルマナーなどの教育を提供していました。子供達は掃除、洗濯、食器洗いなどをすべて自分たちでこなしていきます。個人的に孤児院は、ある意味更生施設の役割もしているところなんだと感じました。


 留学というものは、"言語"を学ぶだけのものではなく、言語を学びながらもっと大切な何かを勉強する時間なんだと感じました。人への感謝、人としてのあり方、経験することの大切さ、何事にも一歩踏み出す勇気、そんなことが今回の留学で得た、言語以上の収穫でした。この留学が、今後の自分にとって確実に糧になり自信にもなります。これからの未来には、1歩を踏み出す勇気を持ち、進んでいきたいと思います。




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2017年10月19日

中期留学報告(アルムスリム大学 深川 開斗)

人とは、違う経験の数々
 

 私は中期留学生として、2016年8月31から2017年1月24日までインドネシア・アチェ州に留学した。インドネシア・アチェ州に行くのは、2度目だった。1度目の訪問は、1年次スタディツアーだ。スタディツアーに参加して、国際問題や国際協力について学んだ。その時、間近で国際問題や国際協力を見て、もっと見てみたい、この人たちと同じ環境で住んでたくさんのことを感じたいと興味が湧き、2度目の留学に繋がった。 


 留学先では、アチェにあるアルムスリム大学で、地元の生徒たちと同じ授業に参加した。私が留学した大学には、私と同じカリキュラムで留学していた水谷さん以外、外国からの留学生がいなかったので、その分他の留学生よりもたくさん現地の人たちと接する機会があり、インドネシア語と触れ合う時間も多かった。 授業は一コマだいたい120分や150分と、日本の大学より長く大変だった。私は月曜日から土曜日まで授業があったので、忙しかった。 講義内容は様々で、インドネシアの文化を学んだり、インドネシアのマクロ経済、インドネシアの環境問題、インドネシア語で英語の授業を受けたり、パソコンでポスターを製作するコンピューターの授業などを受けた。その中でも印象に残っているのは、イスラム教の授業だ。インドネシアはイスラム教の人がとても多いので、イスラム教のお祈りやモスクの見学など、イスラム教徒が多いからこそできる授業があり、その授業を通してとても貴重な体験をすることができた。正直なところ、始めは授業の1割も聞き取れていなかったが、日が経つにつれてどんどん慣れていき、最後は100%理解していたわけではないが、授業後の時間などに大学の友達に教えてもらったりして、なんとか理解して授業に参加できるようになった。 

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 留学期間中は、アルムスリム大学の寮で生活した。寮の施設は、部屋が4つ、リビングが1つ、トイレが2つ、キッチンが1つあり、4人で住むには十分な広さだった。しかし、シャワー、バスタブはなく、トイレの横にある水槽に水を溜めて、その水を浴びて身体を洗っていた。寮は自分用の部屋があり、とても快適に過ごすことができた。 


 留学生活を楽しく過ごせたのは、現地の友達のおかげだ。寮の隣に喫茶店があり、アチェでは喫茶店で長時間おしゃべりするのが一般的だったので、毎日喫茶店に通った。そうすることで、たくさんの友達ができるようになった。大学で出た課題やインドネシア語を勉強するときは、いつも友達が教えてくれて、毎日友達と会っていた。また、友達に紹介してもらった地元のサッカーチームに参加して、週に2度サッカーをし、トーナメントでは良い成績を残せた。サッカーを通してできた友達とは、一緒にお揃いのユニホームを作ったりと、交友関係はかなり充実していた。


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 留学生活の中で、大学での活動以外に力を入れていたことがある。それは、国際協力だ。私は1年生の時にスタディツアーで訪れた村々を、地元のNGOと一緒にもう一度訪問した。中でもチョ・マンボンという村には、何度も足を運んだ。チョ・マンボンの村の人たちは、生活用水に困っていた。地元のNGOが水道管の援助をすることが決まっていたので同行させてもらい、現地の限られた支援の中で、村の人たち自身が無償で工事に参加しているのを見た。この光景は、現地で直接支援をしていないと見えないものだった。この時私は、支援する側と、村の人たちの現状を良くしたいと思う気持ちと行動が合わさったのが、国際協力なのではないかと思った。直接現地へ訪れないと、このように考えることができなかったので、とても良い経験になった。 


 留学生活で1番印象に残っていることは、地震だ。2016年12月7日水曜日、私が留学しているインドネシア・アチェ州で、M6.5の地震が起きた。地震発生の翌日から、佐伯先生を通じて地元のNGO「jari aceh」のヌルジュバさんにお願いして、最も被害が深刻なピディ・ジャヤ県への被災者支援とニーズ調査に同行させてもらった。実際に被災地に行って、新聞やテレビの情報だけでは伝わらないことがたくあると感じた。私は、水や食料を配って炊き出しをしたら、支援は終わりだと思っていた。しかし、現実は全く違った。たくさんの水を持って行ったとしても、その地域に既にたくさんの水があったら水は必要ない。大切なのは、被災者のニーズに応じて支援することだった。このためには、たくさんの情報、たくさんのコミュニケーションが必要だと思った。


 名古屋学院大学のメンバーとも、協力して支援した。私が自らポスターを作成して大学に飾ってもらったり、この時留学していなかった大学の友達と連携して、募金活動を行なった。この募金活動で集まったカンパで、何度か私たちが現地へ足を運び支援活動をした。この経験は、私の留学生活の中で良い経験だと思う。国際協力文化学部として、ただ語学のために留学するのではなく、国際問題や国際協力に携わることができて、とても良かった。 

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 留学を通して、インドネシアの人たちの温かさに、たくさん触れることができた。なので、次は私がインドネシアの人たちのために何かしたいという、新たな目標ができた。留学を終えた今、それに向けて勉強していきたいと思っている。そして、今だから言えることは、留学をしようかと悩んでいる人がいるならば、できなくても良いので1度挑戦した方が良いということだ。なぜなら、私自身が留学することを決断するまでかなり迷ったが、留学しなかったら後で後悔し心残りすると思い、まずは挑戦しようと思って留学をした。そして今は、留学をしてとても良かったと思っている。私の留学経験は私にしか経験できないことがあり、かなり私を成長させるものであり、必ずこれから活きていくものだ。今後の人生において、一生忘れることのない5カ月だったと私は思う。最後に、この留学生活は、私1人で到底成功する事はできなかったと思うので、関わってくれた全ての人たちに感謝している。本当にありがとうございました。



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中期留学報告(パシフィック大学 井上 駿)

パシフィック大学
 
 私は、2016年の8月中旬から約4か月間、アメリカに中期留学をしていました。パシフィック大学は、アメリカの西海岸に位置するオレゴン州フォレストグローブにあります。フォレストグローブは、小さな町でのんびりしています。小洒落たお店が何軒か連なっており、一つ一つが私や周りの学生にとって大きな存在でした。私のお気に入りの店は、ピッツァスミッツァというピザ屋さんで、パシフィック大学の生徒には値引きをしてくれます。こういったお店は大学付近のお店には多く、学生にとっては住みやすい町でした。一番衝撃だったのが、映画館です。映画のチケットが学生割引で2ドルだったので、一時期映画館に行くことにハマっていました。 
 
 さて、この留学を通して私は、行って良かったと感じる機会が本当に多くありました。英語を学びにパシフィック大学に行きましたが、英語の習得以上に価値のある経験と知識を得て、考え方が変わり視野も広がりました。留学をしている間、毎日が刺激的で新しいことの発見の連続でした。なので、今回はこれらのことについて書いていきます。 

 幼いころに一度海外には行ったことがありますが、私の記憶にはそこの景色の記憶が少しあるだけで、今ではほとんど覚えておらず、海外はほとんど初めてのようなものだったので、今回アメリカに行けるという楽しみや期待が大きかった分、不安も多くありました。実際に、国際便の飛行機の乗り方もろくに分からなかった私は、周りの人に助けられることによって、無事にアメリカに着くことができました。 
 
 いざアメリカに着いてみると、やはり英語を主流に全員がコミュニケーションを取っており、焦ったのを覚えています。現地の大学生や飲食店の店員に話しかけられても、まず聞き取ることに精一杯で苦戦しました。聞き取れても頭がいっぱいいっぱいで、思うように話すことができず、本当に会話が成り立ちませんでした。言葉がうまく伝わらないことが、こんなにもストレスになり悩みになるとは思いませんでした。 

 そんな日々が続き、どうしようと思っていた時に、ある程度耳が英語に慣れていることに気づきました。ある程度聞き取ることができれば、何を話しているのか大体理解できるので考えることに余裕ができ、会話を返すことができるようになりました。そのおかげで、ご飯やスポーツなどにも誘うことができるようになり、現地の人たちとも仲良くなっていきました。様々な国の人たちが集まるアメリカで、人種に関係なく英語という言語でみんなとコミュニケーションが取れるのは、本当に素晴らしいことだと思いましたし、これからも継続して、英語に触れていきたいと思いました。それと同時に、他の言語や国にも興味を持つようになりました。私はそれまで、日本の価値観の中でしか物事を考えられていなかったので、視野が広くなったことが本当に良かったです。 

 高校生の頃までは、英語が本気で嫌いで学ぶ意図が分からず、英語の勉強をしていませんでした。でも、大学に入るにあたって、進路を決めるときに外国人とコミュニケーションが取りたいと思うようになり、それなら英語を学んでみようと思い、今の大学に入りました。そのきっかけは、当時やっていたバンドです。よくライブハウスでライブをしていたので、他のバンドの人たちとのつながりが多くありました。その中に外国人のバンドもいて、時々一緒にライブをしていました。もともとアメリカやイギリスの音楽に興味は持っていたので、いろんな話を聞きたかったのですが、英語で話すことができず終わりました。その時は何とも思っていなかったのですが、なぜかそこから更に世界のバンドにも興味を持つようになり聞くようになりました。そうなると、歌詞は日本語ではなく英語だったので、自分でも知らない間に英語に興味が向くようになりました。留学に行って帰ってきた今、あのとき英語を学ぶ道に進んで良かったなと思います。留学中、様々な音楽に触れることができたので良かったですし、ギターを中学生の時からやっていたので、パシフィック大学の授業で先生とギターでセッションをすることもでき、先生の普段とは違った面も見ることができて面白かったです。あとは何といっても、違う授業の先生のタトゥーが最高にかっこよかったです。 授業内容は、宿題やプレゼンの発表などが多くあり大変でしたが、どの授業も先生とクラスの雰囲気が良く、学んでいて楽しかったです。 

 授業面以外でも学ぶことは多く、ただ単に外国人の友達と話していても勉強になるし、英語でのコミュニケーションに慣れることにもつながっていきました。特にジャパンクラブというクラブのおかげで、友達の輪も広がっていきました。ジャパンクラブはその名の通り、日本の文化について共有するクラブで、ここに参加する外国人は日本に興味があって来ているのですごい話しやすく、相手からも話しかけてきてくれます。週一回あるので私も参加し、日本の文化について教えていました。一番印象に残っているのが、かるたをやったときのことです。私が日本語で読み札を読みあげると、外国人が聞き取ってちゃんと札をとっていくのが驚きで、アメリカなのに日本語を学んでいる人たちもいることに衝撃を受けました。日本人の私が英語を学んでいるように、日本語を学んでいるアメリカ人もいてくれたので、一緒に話したりしてお互いに教え合えたりでき、その点でもジャパンクラブは良いクラブでした。

 その他の良かったことは、いろいろな場所に行けたことです。最初にオレゴン州で栄えているポートランドに行きました。オレゴン州は税がないのですごく住みやすい街で、尚且つおしゃれな町でした。ポートランドは何回か行きましたが、全体を回りきることなく結局帰ってきました。もう一度行ってみたい場所です。そして、そこで初めてNBAの試合を見ました。本場のバスケットボールの試合を見ることができて、すごく嬉しかったです。また、マンザニータビーチという、地元では有名なビーチに9月頃行きました。午前中は天候が曇っていましたが、午後は晴れてビーチを堪能することができました。また、12月頃にマウントフットという、オレゴン州の富士山と言われている山にも行きました。その日は晴れていて、マウントフットを横目に山登りしました。西海岸に位置するオレゴン州ですが、この時期は凄く寒かったです。
 
 Fall AとFall Bの間の休みでは、ニューヨークに行きました。観光するところが多くあり、テレビや雑誌で見た世界がありました。実際に行ってみると、人の数がすごく活気があり、世界の中心という言葉がぴったりでした。10月頃は、土日を使ってオレゴン州の上の州であるワシントン州のシアトルに行きました。私が好きなギタリストたちがここの出身なので、行けて良かったです。ガムウォールという変わった壁や大きい魚の市場などの観光もでき、楽しかったです。また、ロサンゼルスを訪れる機会もあり、本当に楽しかったです。

 アメリカの中で、私が何回でも行きたい州がカリフォルニア州です。私的にはディズニーランドやユニーバーサルも楽しかったですが、西海岸の文化が一番好きでした。ビーチがあり、スケートボードやサーフィンなどといったストリートの文化が根強く、退屈しない場所だと思います。絶対にまた来たいと思いました。更に気温も暖かく、12月でも半袖で過ごせました。それと、ハリウッドも凄く良かったです。ハリウッドの中心街は、ニューヨークのタイムズスクエアの雰囲気に似ていた印象があります。西海岸の州全部に行きましたが、気温も文化も全然違い、それだけアメリカは大きな国だと思いました。まだ、アメリカ全体のほんのちょっとしか行って見てないので、またアメリカに行きたいです。アメリカは膨大な土地で、その土地ごとに文化が発達しており、とても楽しい国でした。

 ロサンゼルスを訪れた後に約3週間、カナダのトロントの友達のホームステイ先にお世話になりに行きました。3週間は思ったよりも長く、トロント市街やモントリオール、ナイアガラの滝などにも行くことができました。トロントは気温がマイナスだったので、本当に寒かったです。人生で初めてアイススケートもしました。カナダにも行くことができて、本当に良かったです。 

 旅行以外ですと、ハロウィンのイベントやクリスマスなどといったイベントや、パーティーも楽しかったですし、大統領選に立ち会えたことも良い経験になりました。今回初めて留学に行ってみて、数知れない多くの新しい経験を得ることができたことが、私にとっての本当に価値のあるものになったのだと思いました。


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中期留学報告(アルゴマ大学 石塚 育子)

スーセントマリーでの貴重な経験 
 

 私の留学先のスーセントマリーは、自然が豊かな小さな街でした。4ヶ月間を海外で生活するなら、安全でのんびりと過ごすことができる場所が良いと思ったので、スーセントマリーに留学することに決めました。秋は、アルゴマ大学の敷地や街のストリートにある木の紅葉がとてもきれいで、リスをよく見かけました。冬は極寒で、12月になる頃には凄まじい量の雪が積もります。それでも寮の中は全体に暖房が効いているので、快適に過ごすことができました。しかし、外出をする時は、マフラーや手袋が欠かせなかったです。スーセントマリーの人たちは、とても親切でフレンドリーでした。見知らぬ人でも、目が合うとニコッとしてくれました。更にお店のスタッフさんは、ほとんどの人が親しく話しかけてきてくれます。現地の人たちがみんな純粋で優しかったおかげで、異国の地に住むことへの不安がすぐに消えました。 

 授業は学校のESLに所属していたので、リーディング、ライティング、グラマーの3つの授業を受けていました。成績は学期末のテストが一番大事ですが、提出物、出席率、小テストの結果、中間テストの結果も成績に響きます。クラスはクラス分けテストで決まるので、クラスによっては大人数になったりします。私のクラスは少人数で外国人が多いクラスだったので、語学力を伸ばすのにはとても良い環境でした。先生との距離が近く、すぐに先生に質問することができました。ペアワークをする時は、外国人生徒とパートナーになって話し合いをすることが多かったです。外国人生徒は、中国人とブラジル人とアラビア人がいました。私よりもはるかに英語を話すことができる生徒ばかりでしたが、授業中もプライベートでも仲良くしてくれました。クラスメイトたちは母国について話してくれたり、授業が早く終わった日には、クラスのみんなでに外食したりしました。雪がたくさん積もった日には、中国人のクラスメイトと雪だるまを作って遊びました。 

 ブラジル人のクラスメイトの家に、4日間滞在させてもらったこともあります。その期間は、ブラジル人のクラスメイトの子どもと寝ていました。毎晩寝る前には子どもと一緒に遊んでいたので、自分に弟ができたような感覚でした。クリスマスには、ブラジル人のクラスメイトの家族や親戚と一緒に、キリスト教の誕生を祝いました。初めて本場のクリスマスを体感したので、感激しました。クリスマスには、クラスメイトの家族にクリスマスカードとクリスマスプレゼントを渡しました。また、私もクラスメイトの家族と親戚に、カードとプレゼントをもらいました。その時は、本当に家族の一員になったようで、とても嬉しかったです。カードやプレゼントを家族で交換したり、みんなで食事をしたり、ご近所や友達にも「メリークリスマス」と挨拶をする光景は、どことなく日本のお正月と似ていて親近感を感じました。  留学中は様々な苦労がありました。最初の頃は、カナダの生活に慣れるのが大変でした。日常生活で英語を話したり聞き取ったりすることができなかったり、カナダの食文化に慣れなかったりしました。身の回りのものでは、シャワーやトイレが使いにくかったり、バスの乗り方が分からなかったりしました。このような些細な苦労が全てストレスとなって、積み重なっていました。留学中に一番苦労したとことは、英語を聞き取ってもらうことでした。自分は発音よく英語を話しているつもりでも、日本人訛りの強い英語になってしまうため、言いたいことが一回で伝わらないことが何度もありました。特に"water"の発音が難しかったです。クラスメイトとレストランに行って水を注文するときに、クラスメイトと同じような発音で水を注文するのですが、私だけが伝わらなかったことが多かったです。諦めてスペル通りに発音する方が、一回で伝わりました。"water"は簡単そうに聞こえますが意外と難しいので、英語圏に旅行するときは"water" の発音は練習しておいた方が良いと思います。また、いろんな国の人の英語を聞き取るにも苦労しました。最初は、ブラジル人のクラスメイトの英語も聞き取るのが難しかったです。国によって英語の訛り方は様々ですが、いろんな人が英語を話しているのを見て、英語は世界の共通語であることを改めて実感しました。 

 最後に、私は留学を通して語学力を伸ばしたい、異国の文化の地で様々な経験をしたい、そして消極的な自分を変えたいという理由で留学をしました。留学を通して、語学力や国際感覚が身についただけではなく、積極性も身につきました。最初の方はクラスメイトから話しかけてきてくれることが多かったです。しかし、クラスメイトと徐々に打ち解けていくうちに、自分からも話しかけるようになり、留学前よりも積極的な人間になれました。クラスメイトに間違った英語を使って場をしらけさせたりするなど、たくさんの恥をかいてきましたが、それでも私のことを面白い人だと言って受け入れてくれました。英語だと言いたいことの100%が伝えられなかったりしますが、拙い英語でも一生懸命に相手に伝えようとする姿勢は大事だと気づきました。また、スーセントマリーで出会った人たちは、本当に素敵な人たちばかりでした。個性的なクラスメイト、いろんなことを教えてくれた先生、家族のように毎日一緒に過ごした寮の仲間、優しくて純粋な現地の人たちなど、いろんな人に出会い、人とのつながりは素晴らしいなと感じることができました。 

 留学中は自分を見つめなおし、将来の方向性についてもたくさん考えてきました。帰国後は、留学経験を生かして次に留学する人たちにアドバイスをしたり、日本に来た外国人のために何か役に立てればいいなと思います。中期留学全体を通して、留学前から帰国するまで、無知なことが多く大変でした。飛行機のことやキャッシュカードのことやカナダに着いてからのことなど、最初は何から何まで分からないことだらけでした。それでも日本にいる両親、留学先での友達、現地の人、寮の仲間に助けられ、無事に4カ月間を過ごすことができました。授業についていけなくて大変だったこともありましたが、無事に全教科を合格することができて安心しました。留学先で出会った人たち、日本から応援してくれた友達、そして私が留学に行くことを一番に応援してくれた両親には、とても感謝しています。また、国際交流を通して、人と話すことの楽しさを感じました。異国の人たちは日本人にはない大胆な考えや価値観を持っていて、それがとても面白かったです。また、国際交流をすることで、改めて日本を知るきっかけにもなり、日本人と友達になることとはまた違った楽しさを感じました。




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中期留学報告(アルゴマ大学 酒井 花子)

五か月間の留学を終えて


カナダでの5か月の留学生活で、英語を学ぶだけでなく、楽しいことや苦しいこともたくさん経験しました。この経験から、諦めないことの大切さ、すぐ行動することの大切さを学ぶことができました。留学に行く前、私のトーフルの点数は420点程度で周りに比べてとても低く、文法の基礎すらしっかりと理解できていない状態でした。


まず、アルゴマに着くと、寮のアドバイザーから寮についての説明があったのですが、何を言っているのか全く分からなくて、不安でいっぱいのままカナダでの生活が始まりました。ミールプランはどうすれば使えるのか、キッチンはどうすれば入れるかなど、誰に聞けばいいのか何も分かりませんでした。着いて2日目には、オリエンテーションが始まりました。そのオリエンテーションにはESLの学生以外もいて、とてもにぎやかな感じでした。ハイキングをしたり外でチキンを食べたり、楽しかったです。周りには、自分から他の国出身の子に話しかけている子がたくさんいましたが、私は緊張して自分から話しかけることができませんでした。しかし、そこで話しかけてくれた韓国出身の子と仲良くなれました。英語で実際に話すことで、自分の分からない単語やフレーズなどに気付くことができました。分かっていたつもりの単語も、他の意味で使われていたりしたので、学ぶことが多かったです。


授業が始まり、クラスで他の生徒は先生の質問に答えているのに、私はまず先生がどんな質問をしているのかも分かっていませんでした。どの教科も、最初に受けたテストは75パーセント以下で、特にリーディング・ライティングは52パーセントで、単位取得には程遠いレベルでした。初めの頃は、レベル3は自分に合っていないと感じ、ずっとクラスのレベルを変えたいと思っていました。しかし、とにかくやるしかない、英語力をあげたくてカナダにきたのだから、もっと頑張ろうと自分を奮い立たせて、それからは授業をより集中して受けて、毎日とにかく授業についていく努力をしました。クイズの日の前日は、友達と問題を出し合って夜まで勉強をしました。自分一人で勉強するより、友達とやるほうが分からない時にすぐ聞くことができ、とても効果的でした。私は、文法の基礎がクリアに理解できてなかったので、周りの友達に何度も説明してもらい助けられました。月曜の4限にあった、自由に先生に質問できるクラスを活用して、分からないことがあった時はすぐに先生に質問するようにしました。分からないことを後回しにすると、どんどん分からなくなってしまうので、はやく対処できる環境があって本当に良かったです。先生はとても素晴らしい方で、文法の質問に対していつもその場で分かりやすく教えてくれました。リーディング・ライティングの授業は課題がとても多く、最初の1か月はそれに慣れることが大変でした。毎週土日は、1日のほとんどをエッセイを書く時間に費やしていました。エッセイは、自分の舌の能力を失ったらどうなるのかなど、内容まで考えさせられるものが多かったので、余計に時間がかかりました。エッセイのことばかりを一日中考えるのは、しんどいことでした。それに加え、一生懸命書いてきたエッセイを先生に見てもらったら、他の生徒が同じ内容を書いているから、内容を変えて最初から書き直しと言われ、かなりショックでした。しかし、とにかくやるしかないという環境のおかげで、徹夜でエッセイを仕上げることができました。その分、精神的な面で成長できたと思います。また、諦めずに最後まで仕上げたことは、自分の中でも自信になりました。


5か月間、友達にはいつも支えてもらっていました。テストがうまくいかない時に励ましてもらったり、勉強を教えてもらったり、人間関係でうまくいっていない時にアドバイスをもらったりしていました。英語の勉学以外にも、寮生活のおかげで今までほとんどやったことのなかった洗濯を淡々とこなし、唐揚げを一から作ったり、お米を鍋で炊いたりすることができるようになりました。留学前は、それは母が当たり前にやっていてくれていて、洗濯も料理も勝手にめんどうくさくてやりたくないと思い込んでいました。しかし、やってみると意外と楽しくて、洗濯も料理も好きになりました。特に料理は、どのような手順で作れば効率よくできるかを、考えながら作ることが面白いです。やったことないことを勝手に自分には出来ないとか、めんどうくさそうと決めつけるのではなく、とにかく一度はやってみることで、初めてそれが本当に自分にとってどんなものなのかが分かるということに気付きました。当たり前のことですが、とにかく色々なことに挑戦することで、より自分を知ることができるということに気付かされました。


5か月間、学校の勉強は大変でしたが、自分が成長できた良い機会にもなりました。留学で得た困難にも諦めずやり遂げる力を、他のことにも活かしていきたいです。




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長期留学報告(ノースセントラル大学 渋谷 拓海)

留学を通して学んだこと


 私は昨年の8月から6月までの約10か月、アメリカのイリノイ州にあるノースセントラル大学に、交換留学生として留学した。経験した全てが新鮮で自分にとっては新しいもので、とても良い経験をすることができた。正規授業が始まる前の8月は、ESLの授業を受けつつ、メインはアメリカのカルチャーに触れ学ぶために、色々な場所に連れて行ってもらったり、週末にはシカゴに観光しに行ったりした。今までは、日本人以外と話す機会やどこかに遊びに行くことが中々なかったので、最初は戸惑ったし、少なからず、いくつかはカルチャーショックを受けることもあった。しかしながら、そのような経験やその環境の中で、どのように立ち振る舞うかなど、自分自身が成長できるチャンスが、とても多くあったと感じる。


 9月からは正規の授業が始まり、初めてアメリカの授業を受けることになり、あまりの大変さや日本の授業形態とのギャップに戸惑った。日本とアメリカの授業の違いはたくさんあったが、自分の中で印象的だったのが三つあり、一つは生徒と教授との関係性の違いだった。アメリカの授業では、教授が教壇の上に立つことはなく、とてもフェアな関係で、分からないことはすぐに聞ける関係であることだ。また、最も大きな違いは、授業形態だ。日本の授業は、ものによっては数百人を対象にした大講義授業があり、それは教授の話を聞きノートを取るといった受け身の授業だ。一方でノースセントラルの講義は、大きい授業で30人規模であり、多くの講義は15~20人くらいと小規模な講義だった。更に、受け身の講義は全くなく、基本ディスカッションで考えを深めていくという授業スタイルだった。自分自身、まだディスカッションについていける英語力もなく、中々自らの意見を言えなかった。その中で、今まで以上の予習が必要だと感じ、今までよりも予習に時間をかけ、また、自分の意見もある程度考えたりした。ノースセントラルは3学期制で、各タームの授業の進み方が他校よりも早く、宿題として次の授業の内容の予習をするとうものだったので、予習に4~6時間かかるなどは最初の頃は当たり前だった。日本の大学では日々遊んでいるような生活だったので、とても大変で慣れるのにも時間がかかったが、課題のおかげで勉強しなければいけない時間が必然的に増え、自分の英語力、特に読解力と筆記の力を日々養っていっていることを実感することができた。授業を受けるのは本当に大変だったが、経験した全てが自分の力になり、成長する要素になっていたと思う。 


 ノースセントラル大学には、フレンドシップファミリーーという、週末や休日に一家族と共に過ごすという制度があった。アメリカではいくつかの大きな休日があり、その中でも一番大きいのはサンクスギビングというものだ。その日は家族で集まり食卓を囲み、ターキーなどの代表的な料理を食べ、食材や神に感謝を示す。その日は、ダウタウンの店などは全て閉まっていて、そこでもアメリカと日本の違いを感じた。翌日はブラックフライデーという日で、衣服などが大きく割引される日だった。その日はアウトレットに行き買い物をしたりと、充実した休日をフレンドシップファミリーと過ごし、アメリカの文化について学ぶことができた。 


 授業以外では、友達とサッカーのチームを作って校内対抗トーナメントに参加した。当初、英語力の低かった僕が友達を作ることのできた一番の理由が、サッカーだった。小学校から高校までサッカーをしていたので、サッカーで魅了をすることができ、サッカーで輪を広げていくことができた。毎週末サッカーの試合があり、チームで優勝するために真剣に試合に挑んだ。また、週末以外にも平日授業終わりに練習したりと、部活とまではいかないが、サッカーに時間を費やすことが多かった。僕にとっては、友達と過ごす時間すべてが英語力の向上につながり、言葉の壁や文化の壁にぶつかる度に、それは自分の考え方を変え成長するきっかけとなった。サッカーの大会には2回出場し、一度目は負けてしまったが二回目は優勝することができた。 


 課題や試合のない週末には、友達と外食に行ったりした。その中で色々な話をし、今まで違和感を感じなかった日本人にとって普通だと思っていたことが、広い目で見ると全然普通でなかったりし、今までの自分の価値観や固定概念を少し崩すことができたと思う。アフリカからの留学生は、とても宗教に対して強い思いを持っていたり、多くの国の多くの人と関わることによって、新しい発見や考え方を持つことが大切だと感じた。 


 留学での過ごし方や授業を通して私が一番成長できたと感じるものが、考え方の変化やどのように人と接するかなどの、自分自身の成長だ。もちろん語学力の向上は、留学をするにあたって欠かせないことだと思う。しかし、実際に留学をして、考え方の変化は語学力の向上よりもとても大きなものだった。アメリカの学生は、自分というものをとても強く持っていて、アイデンティティを確立していることに驚いた。日本人の多くは、とても協調性がありグループを作りがちで、行動する時も大人数が多いと思う。一方で、海外の人は大人数で遊ぶことももちろんあるが、その中でも自分を強く持っていて、決して他人に依存し過ぎてない姿に惹かれる部分が多かった。また、慣れない海外で生活するに当たって、決して避けられなかったのはカルチャーショックだった。大なり小なり、文化の違いを受け入れるためにしなければいけなかったことが、日本人としての過ごし方や文化を捨てることだった。日本の文化に誇りは持ち続けてはいるが、その概念が強すぎると他の文化を受け入れがたくなると実感した。そこで、一度日本の文化にこだわりを捨てることで、今までよりもより他の文化を受け入れることができるようになった。そのように、他の文化を受け入れることができるようになり、自分自身の器や力量が大きくなり、自己成長することができたと思う。このように、語学力の向上や、更には自己成長を実感できたりと、留学はとても良い経験だったと本当に思う。



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中期留学報告(メンフィス大学 松本 将郎)

アメリカ五カ月

まず初めに、僕が中学生の時の話からさせてください。僕は基本勉強することができない学生です。最低点は3/100点、最高点は60点ぐらいという、才能がどうとかこうの世界ではありませんでした。その中でも、なんとか公費留学を勝ち取ることができて、素晴らしい経験を積むことができました。メンフィス大学にて8月~12月の4ヶ月過ごしました。

 

メンフィスの特徴

メンフィスは、音楽やバーベキューなどで有名です。アメリカで有名なロック歌手、エルヴィス・プレスリーの生誕地でもあります。街中には、エルヴィスの銅像やらグッズやらがたくさんありました。更には、メンフィスグリズリーズというプロバスケットボールチームがあり、開幕戦を観戦することができたのは一生の思い出になりました。メンフィスは、アメリカで治安が悪い地域上位に名前が挙がっていますが、夜一人で出歩かなければ基本問題ありません。気候は、10月中旬まで半袖で過ごせるほど暑いですが、その後の秋は3日程で終わり、冬がやってきます。雨が降る日はほとんどありません。海や湖が周りに無く、雲も少ないため、とてもきれいな夕焼けが見えました。

 

授業

 僕は「ESL」という英語の授業を受けました。というか、それしか受けることができませんでした。TOEFLのスコアが、公費留学には行けるけど、レギュラーの授業(経済、マーケティング)を受講できるだけありませんでした。アメリカのレギュラー授業を受講している人から話を聞くと、とても楽しそうでした。ファッションマーケティングに特化した授業があったり、ワインソムリエの授業があったりと、もっとTOEFLの勉強をしておけば良かったと思うことがたくさんありました。また、レギュラーの授業を受ける際、TOEFL-IBTのスコアで留学することをお勧めします。TOEFL-ITPではアウトプットするセクションがないので、レギュラーの授業で苦しむと思います。「ESL」の授業は6段階に分けられており、自分は下から2番目のクラスでした。中学・高校と、基礎を疎かにしていたツケが回ってきた感じです。授業では、ホンジュラスやペルーなどの中南米の人達が多かったです。それぞれ、個性もイントネーションも強かったです。

 

私生活

 メンフィス大学は、アメリカの中では小さい部類の大学らしいのですが、想像を遥かに超える大きさです。大学には寮があり、僕の寮は2DKでしたのでルームメイトが一人いましたが、基本ゲーマーみたいな生活を送っていたので、ほぼ一人暮らしみたいな生活を送っていました。食事は、基本自炊か、自炊がめんどくさくなったら、学食で済ませていました。大学内には、学食の他に図書館とスポーツジム、スターバックスと、それぞれの学部にある授業で使用する講義室がたくさんありました。僕は基本、朝早く起きて弁当を作りながら朝食を済ませ、スポーツジムにて授業が始まる午前9時まで運動していました。学校は月曜日~木曜日は午後三時までで、金曜日は昼までです。週に2回ほど大学のバスがスーパーまで連れてってくれるので、そこで食材や生活で使う日用品を買いました。大学内での移動は、スケートボードを買って移動しました。友人が自転車レンタルを利用したらぼったくられた(過去の先輩はそんな事なかったそうです)と聞いたので、せっかくのアメリカ生活なのでスケートボードで生活しました。学校が終わった後は、基本バスケをしていました。黒人の人達はパワーがあり、本当に強かったです。時々、大学の部活動の試合(主にバスケやアメリカンフットボール)を観に行きました。アメリカの大学の部活動への力の入り方は、全くもって日本と比べ物にならないぐらい、観客も会場もグッズ販売も桁が違いました。

 

旅行 シカゴ編

 旅行は、シカゴとロサンゼルスに行ってきました。まずは、シカゴについて書きたいと思います。シカゴには、サンクスギビングの間に行ってきました。サンクスギビングでは、日ごろの感謝を込めてみたいな文化で、その中でも僕の目当てはブラックフライデーでの買物です。そこまでの間は、シカゴ美術館やダウンタウン巡り、博物館に水族館、ジョーダンショップやシカゴ・ブルズなど有名どころをひたすら巡りました。食事はシカゴピザという、チーズ好きにはたまらないピザを食べることができ、思い出深かったです。買物では、有名なブランド品が考えられない金額で売っており、とても幸せな一時を過ごしました。


旅行 ロサンゼルス編

 ロサンゼルスでは交通の便がメンフィス(バス・電車がほぼない)に比べて便利だったので、ハリウッドやサンタモニカビーチ、ビバリーヒルズ、ユニバーサルスタジオハリウッドなどの観光名所を巡り、買物や観光を楽しみました。

 

トラブル編

僕は何個かトラブルに遭いました。ここで、本気で焦ったトラブルを説明します。まずは、クレカ関係です。僕の場合、クレカの差し込んで読み取るチップが壊れてしまいました。たまたまキャッシュパスポートを持っていたので、そっちをメインに生きていくことにしましたが、いろいろと不便でしたので、スペアカードの持参をお勧めします。次に、荷物の損失被害についてです。帰国をした際に、空港にて荷物を受け取りに行ったら荷物がなく、荷物だけ別の場所に輸送されてしまいました。その場にいた、国内移動で使用した航空会社の人とANAの社員さんに事情を説明したところ、僕の実家に配達することになりました。

 

最期に

僕が留学に行く前に言われました。「はっきり言って、お前が英語ペラペラになったところで、就活に有利になるわけではない。」今時、英語が使えて当たり前のご時世です。僕にとって留学は、英語のスキルアップと、自分のアイデンティティーと広い視野を持つ、良い機会でした。3年生で行く人は、2016年はボストンで行われたキャリアフォーラムの参加を視野に入れた留学をお勧めします。



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中期留学報告(ペンシルバニア・インディアナ大学 内田 憲吾)

国境を越えた繋がり


 今回、私は秋学期にIndiana University of Pennsylvania大学(以降IUP)に、中期公費留学生として派遣させてもらいましたが、全て自分の予想を上回ることばかりで、良い経験ができたと強く実感しています。


 最初に、環境についてです。私の留学先であるIUPには、日本人の留学生が極めて少なかったです。名古屋学院からは、私を含めた二人が交換留学生として行きましたが、その他というと、宮崎大学から一か月の短期留学としてきた一名のみで、大学に日本人が3名しかいませんでした。同じアジア圏の学生を例に挙げると、IUPには中国人の留学生が多く、よく目立ちました。私は、日本人と仲良くするよりも外国人とたくさん話して友達を作りたかったこともあり、そのような意味でも、非常に適した環境であったと言えます。それは、厳しく、時に辛いことかもしれません。文化の違いや言語の違いなど、異なることは多くあります。でもその分、学べることも多くあるため、これから留学へ行く人たちにも、挑戦する心を持って歩いて行ってほしいです。実際に、親友と呼べる仲間にも出会うことができ、今でも毎日連絡を取り合っています。


 では、その友達についてです。私の場合、タイミングと良い機会に恵まれていたと思います。というのも、到着し、留学生活が始まってすぐに、自分の元へ一通のメールが来たのです。それは、IUPで日本語を教えている韓国人の教員からのもので、「受講者が多いけど教える人が自分しかいないため、授業をサポートしてほしい。」という内容のものでした。これを聞いて、私の授業がない金曜日に早速行ってみたのですが、これほどの外国人が日本語に興味を持っているということを誇りに思いました。やっていることは、挨拶から始まり、単語を使っての会話などでしたが、英語で日本語を教えるというとても貴重な経験をすることができ、最初は教えるのも難しかったですが、みんなが徐々に話せるようになって、受講者がふざけて簡単な日本語を使って話してくれたりして、指導冥利に尽きると実感しました。


その最初の授業で、「日本に興味のある人たちが入るコミュニティのイベント(ピクニック)があるから、来てほしい。」と言ってもらい、日本人三人で行くと、みんながどんどん質問とかしてくれて、すぐに友達になり、そのときに遊んでいたメンバーが今でも連絡を取り合っている仲間たちです。このような機会はタイミングもありますが、どこの大学でも日本に興味がある外国人はいると思います。そして、そこから友達になったりもするため、面白いと思います。

 

 クラスが始まって少しすると生活にも慣れてきて、授業後や週末は友達と遊ぶというのが流れになりました。そして、到着して一か月というときに、宮崎から来た日本人の学生が去る時期になり、時が過ぎる速さを実感するとともに、悲しさがありました。しかし、自分も悲しかったですが、アメリカ人の友達のみんなも、普段見せないような泣き顔をしていて、本当に仲間と思ってくれたのだなーと嬉しくもあり、自分が別れる時を想像したくなかったです。でも何よりも、仲良くなって楽しく順風満帆になってきた時期に去る日本人の友達のことを考えると、辛かったです。


そうこうしているうちに、あっという間にそれから一か月が過ぎ、秋の終わりを告げる時期になりました。インディアナの気候について、昨年行った方から冬は寒いと聞いていましたが、夏場や秋頃は過ごしやすい気候のため、衣服には困りませんでした。しかし、10月の後半になると一気に気温が寒くなり、気温が一桁になるという日も珍しくなかったです。寮は暖房が効いているため、扉を開けた瞬間に温かい空気が来て、外との気温の差を思い知ります。


10月の初旬に、11月には東アジアの国を取り上げたお祭りのようなイベントがあるということを日本語の先生から聞き、日本人が二人しかいないということもあり、是非、何か披露してほしいと頼まれ、もう一人の日本人がダンス経験者ということもあり、ダンスを披露することになりました。ジャンルは、東アジアのためのイベントでもあるため、K-popの曲を披露することになりましたが、もう四人ほど人数がほしいと思っていた時に、アメリカ人の友達がやりたいと言ってくれて、人数は四人になりました。しかし、一人以外は未経験者、そして本番まで一か月ということで、毎日授業後に集まっては練習、集まっては練習の繰り返しでした。この時期が一番、時が過ぎるのを速く感じたかもしれません。あっという間に本番の日はやってきて、見事に自分たちの力を出し切って、いろんな人から賞賛の声をいただき、これをきっかけに知らなかった人とも友達になれて、満足のいく日でした。そのイベントでは、アジアの料理も運営側の方々が作ってくれて、カレーをおいしくいただきました。


その日が過ぎるとすぐにサンクスギビングがやってきて、アメリカ人の友達の実家に泊まらせてもらってターキーを食べるなど、伝統的なサンクスギビングの料理を食べることができ、ブラックフライデイには、早起きして色々なものをモールに買いに行き、サンクスギビングを存分に楽しむことができました。


これらのことは全て、友達のおかげだと思います。常に私たちのことを考え、楽しませてくれる素敵な仲間ばかりで、自慢の仲間たちです。夏には日本に遊びに来てくれると言っているので、今からすでに楽しみです。留学前は、このような友達ができるとは思いもよらなかったため、余計に感動しています。


アメリカの人は本当に優しい人ばかりで、自分が情けなくなりました。親友というのは数えるほどしかいないものですが、親友だと言える仲間がアメリカでできたというのは、自分にとってはもちろん初めての経験で財産です。国境を超えるというと大きな響きになってしまうかもしれませんが、国境を越えた繋がりとはこのようなことを言うのかなと、自分でも納得できました。全部ひっくるめて、最高の留学でした。改めて、学校側や友達、そして何よりも家族に感謝したいです。



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2017年10月18日

中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 長谷川 愛)

語学とともに学んだもの


 私がカナダのトロントにいた、たった4か月で、私の考え方や語学に対するモチベーションは、かなり大きく変わりました。トロントに着いた初日、ホストの方と全く話せなくて、自分は語学を専攻している学部にいるのに、今まで何をしてきたのだろうと思いました。よく使う単語や短文をネットで調べてストックを持っていても、その先が続かなかったりと、会話を続けることに苦労しました。初めて自分の言いたいことが伝わったなあと感じたときは、台湾人のルームメイトと話していた時です。彼女が私の拙い英語にも真剣に耳を傾けてくれて、私もいちいち翻訳アプリを使わず、自分の中にある単語のストックを使いながら話したので、達成感がありました。それまでホストとの会話では、私が会話につまると、ホストがGoogle翻訳を使っていたので、話すときに通じなかったらどうしよう、また翻訳を使われるのだろうなあとマイナスの感情がありました。しかし、ルームメイトと話すうちに、会話が楽しいと思えるようになりました。英語で自分の言いたいことを伝えるときに一番大切なのは、それを伝えようとする熱意なのだと学びました。学校が始まるまでに、彼女によく使うフレーズを教えて貰ったり、自分でもノートを作って勉強したりするなど、モチベーションを上げていきました。


 学校が始まると、当たり前ですがクラスメートや先生に対しても英語なので、最初は頭を使いました。Universityとは違いCollegeなので、年齢もバラバラです。また、トロントなので、世界中からクラスメート達が集まっています。文法などは、高校の時に習ったものがほとんどでした。しかし、英語を英語で学ぶ方が、しっかり理解できていると感じました。細かいニュアンスや、分かっていたつもりでしっかり理解していなかった部分を教えてくださったので助かりました。また、授業を通して分かったことは、みんながちゃんと授業に参加していることです。ちゃんと反応するし、先生が話していて分からなければすぐに質問し、自分の納得いくまで聞く。そして先生が「これ分かる人?」と聞けば、みんな発言しようとします。私も負けじと、1日に2回は発言するように心がけました。イスラム圏の生徒達は、文法よりスピーキング力に長けています。そのため、彼らは文法を間違えようが、積極的に話そうとします。私は最初の頃、話すとき文法に気を使いすぎて尻込みをしていました。ですが、クラスメート達の一生懸命な姿を見て、とにかく話してみようと思いました。


 授業の休憩中は友達づくりも兼ねて、クラスメート達と話しました。国が違えば文化も違うもので、とても面白かったです。日本のアニメが好きなサウジアラビアの女の子や、私が日本人であると分かると「これ知ってる?」と、日本のドラマや映画などについて聞いてくる中国人の男の人もいました。そんな時に、もっと日本の事を知っておけば良かったと、ひしひしと感じます。年齢も国もバラバラでしたが、最終的には恋バナをしたり、授業後に一緒に出掛けたりするほど仲良くなりました。


 1セメスターに2回、プレゼンテーションがありました。一番初めのプレゼンのテーマは、自分を描写する1つの形容詞を用いて、3枚のスライドで説明するというものでした。クラスメート達の発表を聞いていると、自分の好きなことで楽しんでいて、自分というものを持っているなと感じました。ダンスにDJ、絵画や写真など、その人達の知らない一面を見ることが出来て良かったです。また、はきはきと自信たっぷりに話す姿勢を見習いたいなと思いました。なぜなら、私は人前で話すのが大の苦手だったからです。最初の方は、緊張し過ぎて原稿通りに話すことに必死で、聞いているみんなを楽しませることが難しかったです。発表が上手な人はちゃんと周りの人を良く見ていて、余裕があってジョークを交えながら話すので、みんなを惹きつけます。そんな時に先生に相談してみると、原稿通りに読もう、間違えたらどうしようという不安は自分の事にしか集中していないからうまくいかないけれど、みんなをよく見て楽しませることにフォーカスしたら、発表も、発表することも楽しくなるとアドバイスを受けました。


 授業後や休日は、できるだけ外に出るようにしました。友達とレストランやスポットを廻りました。月曜日、「先生が休日はどうだった?」とクラスメート達に聞くことが多いので、話題作りのためでもありました。そして何より、友達と出掛ける方が楽しいし、英語の勉強にもなります。また、ホストファミリーとの話のネタになります。最初、UniversityではなくCollegeなので、授業後は皆仕事や、家事、子供の世話に忙しく、同年代のクラスメート達としか遊べないことに対して不満を持っていましたが、トロントは都会なので、学校外で友達を作る事に適していると考え、学外にも友達を増やしました。ネイティブの友達が出来たときは、非常に英語の勉強になりました。話すスピードも違うし、何よりスラングが会話の中で飛び交うので面白かったし、最初はついていけませんでした。そして、ネイティブの友達が出来ると、その友達やその友達など、どんどん横の繋がりが増え、ダーツやビリヤードをしたりと、休日は思い切り遊びつつ勉強しました。


 そして、トロントに来てしばらく経ってから、トロントはすごく住みやすい都市だと気づきました。移民が多いので、困ったら助け合う精神があります。道を聞かれたら快く教えてくれたり(私のときは行き先が一緒だからと言って、ついて来てくれた方もいました。)、バスで行き先が分からない人が運転手さんと話していると、隣で話を聞いていたおばあちゃんがすかさず教えたりと、思いやりに溢れていました。移民が多く、誰がネイティブか見た目では分からないので差別がありません。私は、都市だけどせかせかしていないトロントが好きになりました。


 自分の国を出て、働きにトロントへ来る人は年々増加しています。私のクラスメート達も、そういう人達が多かったです。彼らは仕事をするために、英語を学んでいました。私も将来は英語を使って仕事をし、また海外に住みたいので、英語はもちろん、プラスαで学ぶものが必要だと強く感じました。



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中期留学報告(アルゴマ大学 伊藤 稜真)

カナダでの4か月

私は8月28日から12月21日の期間、カナダにあるスーセントマリーという土地に行っていました。その町にはUniversity と呼ばれるものは私の行っていたアルゴマ大学しかなく、すべての住人や学生が繋がっているのではないかと思うような小さな町でした。初めはすることのなさにストレスを感じていましたが、帰る頃には居心地の良さと寂しさを強く感じさせてくれる街になっていました。

 生活環境ですが、スーセントマリーはたくさんの自然に囲まれた田舎町です。そのため、始めの1か月ほどは不便、退屈で仕方ありませんでした。歩いて行ける距離には、24時間営業のmetroというスーパーマーケット、JC sakuraという日本食とタイ料理の食べ放題のレストランがあります。私は学校の敷地内にあるタウンハウスというシェアハウス型の寮に住んでいたので、ごはんを作るときにはmetroを、ごはんがない時にはJCsakuraをよく利用しました。ちなみにJCsakuraは、平日ランチが16ドルほど、ディナーが25ドルほど、休日ランチが18ドルほど、ディナーが28ドルほどという値段設定でした。普段の食事はミールプランを選択していたので、学内のカフェテリアかTim Hortonsというカナダの国民的なドーナツショップで済ませていました。しかし、学内のお店は曜日や時間によって営業していたり、していなかったりと常に食事ができるわけではないので、私は1日に1食しか食べられないときもありました。ですから、常に食材やカップラーメンなどを部屋の冷蔵庫にストックしておくべきだと思います。私は最初の2か月ほどは、他の寮の日本人の子たちと共同キッチンで日本食を作ったりもしていました。醤油やゴマ油など、日本食を作る際に必要な調味料などはmetroでも売っていました。共同のキッチンなので、多くの国の人たちが利用しますし、文化の違いからか気になる点などもありましたが、コミュニティの広がる良い環境でもありました。

交通面ですが、移動手段は歩き、バス、タクシーしかありません。タクシーも安くはないので頻繁に使えるわけではありません。どこへ行くにも、基本はバスでした。1回の乗車が2.5ドルで、1時間以内の乗り換えならチケットをもらって無料でできるというものでした。ちなみにですが、私は20回分の回数券を買って利用していました。こちらは、普通に20回乗るより5ドル安く購入が可能です。バスは安くていいのですが、不便な点が30分に1本しか来ないということです。深夜0時頃まで運行しているのですが、更に18時以降は1時間に1本しかなく、日曜日は18時以降のバスがないので、時間を考えて動かないと長い時間待つことになってしまいます。バスは何本かのルートで町のほとんどのところに行けるようになっていて、全てのバスがそれぞれのルートを1 周してダウンタウンにあるバスターミナルに到着するようになっています。ちなみに、バスは窓がすごく汚く運転が荒いため、乗り心地は良くはないです。バスを利用してよく行っていたところは、大学からバスで15分程のところにあるステーションモールという、ショッピングモールでした。大きな施設ではないので楽しめるようなことはたいしてないですが、名の知れている生活に必要お店はある程度入っているので、よく利用しました。私は利用しませんでしたが、映画館も入っていて、数百円で観ることが出来るので驚きました。

 次に、私の住んでいたタウンハウスについてですが、タウンハウスは二階建ての一軒家のような建物を、最高5人でシェアするような形の寮です。部屋は1つ1つが分かれていてプライベートは守られていますが、壁が薄くしゃべり声などの生活上の騒音は聞こえます。朝起きて部屋を出れば誰かはいるし、帰って来ても誰かはいるので、コミュニケーションの機会はたくさんあります。しかし、私のルームメイトは平日でも構わず深夜に友達を呼び、家が揺れるほどの音量で音楽をかけて、お酒をのんでバカ騒ぎという感じでしたので、気になる人はその状況では眠れないかもしれません。参加すればもちろん楽しいですが・・・。 私は幸いにも気にならない人間だったので、しっかりと眠れました。ただ、トイレやシャワーももちろん共同なので、汚れが目立つ日もあります。私たちはルームメイトが作ってくれた清掃計画をもとに、毎週日曜日にみんなで掃除をしていました。他にも、冷蔵庫の中に置いてあるものを勝手に食べられたり飲まれたりという問題もあります。日本では私は気にならないようなことですが、それらの物を買うことのできるお店が遠いゆえに、結構なショックを何度か受けました。しかし、そんなルームメイトでも、みんな良い人ばかりで、みんなが誘ってくれるおかげで、バレーボールのチームに参加したり、ごはんを食べに行ったりと、様々な経験をしました。

 10月には、サンクスギビングを含めた9日間の休みがあり、ニューヨークへ旅行に行きました。飛行にて3時間ほどで行けるので絶対に行こうっと思っていました。宿泊先はインターナショナルスチューデントレジデンスというところでしたが、安さで選んだため、部屋は狭い、騒音はある、シャワーもトイレも1フロアの全ての人間がシェアするので、汚く苦痛でした。旅行自体は買い物もたくさんしましたし、テレビで見たことのある有名な土地や、ブロードウェーミュージカルも鑑賞しました。テレビでしか見たことのない全てが目の前にあり、世界的に有名な町の勢いに始めは緊張してしまっていましたが、最終日には全力で楽しむことが出来ました。ただ、空気が悪く、5日間ずっと体調がすぐれませんでした。

 次に学校生活ですが、ミールプランでの食事はメニューが少ないことは不満でしたが、味は良かったので大きな不満はありませんでした。勉強では、先生たちはすごく丁寧に教えてくれる親切な人たちばかりで、ぶつかる壁はそれほど多くはありませんでしたが、課題は親切ではなく多かったです・・・。しかし、自由時間が奪われるほどでは無かったので、負担にはなりませんでした。

 始めは田舎で何をして良いか分からず、どうなることかと思いましたが、4か月を過ごし、過ごしやすさや人の良さを感じるようになり、今までできなかった経験をさせてくれたカナダが大好きになりました。行って良かったと思える留学でした

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2017年10月17日

中期留学報告(メンフィス大学 深津 大堅)

留学での成長、経験

 私、深津大堅は、8月中旬から12月の初旬まで、アメリカのメンフィス大学に半年間留学させていただきました。行くまでにイメージしていたアメリカの文化や生活、歴史と、行ってからこそ分かったこと・気づいたことの違いの差が大きく、留学して良かったです。半年間という短い時間でしたが、自分のスキルアップにつながり、留学で得た経験や留学を通して持った考え方がたくさんあり、一回りも二回りも大きく成長できました。

 8月中旬、日本からアメリカへ向けて出発するとき、不安と期待が半分半分でした。今まで自分の習ってきた英語力や、持ち続けていた価値観がどこまで通用するのかと、常に考えていました。見知らぬ土地で、長期のあいだ生活したことがなかったので、初めはどのように生活していけばよいか分からず、一緒に行った日本人の友達や、現地で出会った日本人ばかりに頼っていました。その状態を続けるのはいけないと分かっていましたが、なかなか自分の殻を破れないまま、2,3日が過ぎてしまいました。

そんな自分を変えてくれたのが、学校(IEI)でした。IEIには、英語を習得しようと様々な国籍の人が来ていました。この人たちは、どんなに汚いイントネーションや文法的に間違っている英語でも、伝えようとしている姿勢がありました。私は、英語に対するそのような姿勢が欠けていることに気づき、伝えようとする積極性を課題にして1か月間チャレンジし続けました。この課題を継続することで、IEIでの友達、現地の友達、他国から来た留学生といった、たくさんの人と出会うことができました。私は、この時点から急激に成長できたと実感しています。

 学校(IEI)では、毎日約6時間以上も英語漬けでした。クラスはレベル2とレベル3で、トータル8つの授業を受講していました。始めは、ネイティブのスピードについていき、イントネーションに慣れよう必死でした。少しでも早く次のステップに行きたかったので、授業中はもちろん、授業後の時間も英語を使って生活していました。当たり前の事ですが、24時間英語を使うことが初めてなので、異空間にいる感じがして、自分がリラックスできる瞬間がありませんでした。このような生活をすることで、日本にいる時に英語を使う機会がどれだけ少なかったのかを理解できました。英語に慣れるまでに約1か月かかりましたが、それ以降は徐々に自分のやりたいことや自分の時間を作れるようになりました。IEIでの授業、Grammar、 Intermediate Conversation、 Writing/Reading、Listening/Speaking とBasic Pronunciationを受講していました。この中で、特に自分のスキルを上げてくれた授業を紹介します。1つ目は、Grammarです。私は文法を苦手としていました。しかし、日本とは違う教え方で、どんな状況の時にどの文法を使用したらいいのかを教えてくださったり、ある一項目にかける時間が短かったりと、新しい発見と共に学んでいました。短期集中型で、問題を解く量も日本の授業と比べて2倍はあると感じました。分からなくても、問題を解いていくうちにコツを掴み、ニュアンスで答えを導きだせるようになり、理解する時間も早くなりました。今までは定義を考えたりして、問題を解くまでの時間が遅かったですが、アメリカでは先に解かせて、なぜこのような文法になるのかを解説するという順です。日本とは教え方が反対と分かりました。そして、問題数も多いことが分かりました。

2つ目は、Writing/Readingです。この授業では主に、文の正しい書き方、単語、文の読解を取り扱っていました。進むペースはGrammarと比べて遅いですが、自分たちで作り上げる授業でした。英語を総合的に使う授業で、先生は今日のテーマやヒント、アドバイスを与えるだけで、日本にはほとんどないスタイルでした。そして、予習をして当たり前であり、授業内では討論をし合い、授業外で内容を理解することが基本でした。私は今まで予習をあまり行ってこなかった人間なので、授業後の勉強はおろそかになっていたと思います。しかし、この授業を通して、英語の面白さに出会えました。時期と時間を重ねるたびに、理解力が上がっていることを実感しました。他の授業もたくさん学べて吸収できましたが、特にこの2つの授業は、私に大きく変わるチャンスを与えてくれました。

 授業後の時間は、主に自分の好きなバスケに当てていました。バスケットボールはアメリカの国技であり、自分も体感したいと思っていました。始め、クラブに参加しようと思っていましたが、トライアウトの選考期間が過ぎていたのと他のいくつかの理由から、やむおえず断念することになりました。そんな私を救ってくれたのが、現地の学生でした。バスケはアメリカの国技であるため、様々な場所でプレーできることを知りました。私も毎日、学校のジムで現地の学生と勝負することができました。始めは、アジア人ということと身長が低いことから、なかなか相手にしてもらえずにいました。英語も訛りが強く苦戦をしていてシュートなどをしてアピールをしていましたが、なかなかチャンスがまわってきませんでした。しかし、アメリカでのバスケは全て実力主義なので、良いプレーをしたらボールが集まり、目立たなければボールが来ないかのどちらかでした。自分のバスケスキルを磨くのと同時に、フィジカル面を磨きました。バスケもたくさんのプレーヤーと対戦することで、自分の存在も認められました。最終的にはm1番上手い人たちともプレーすることができて、より一層バスケが好きになりました。

他にも授業外でやっていた事は、一人暮らしでの家事です。日本では実家暮らしだったので、家事をほとんどやったことがなかったです。新鮮さを感じると同時に、今までの母親の苦労が実感できました。改めて、今まで支えてくれた家族の偉大さが分かり、感謝できる経験でした。初めてやってみて分かることの繰り返しで、これから一人暮らしや家族が出来て生活していく時は、この経験が活きると思いました。

 留学を通して言いたいことや感じたことはたくさんあり過ぎて書ききれませんが、自分のこれからの糧になることは間違いありません。そして、現地で出会った友達の存在や、初めての体験、経験を忘れず、これからも日々挑戦をしていきたいと思います。

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長期留学報告(マドンナ大学 須藤 郁美)

私の留学から学んだことと成功 

 私はアメリカ、ミシガン州にあるマドンナ大学にて、2016年8月上旬から2017年5月中旬までの約10ヶ月間、長期交換留学を経験しました。海外留学というのは、私が中学生の頃から抱いていた夢の1つであったため、夢が現実したことを心から嬉しく思っています。アメリカへは、英語を学ぶために語学留学を主として行ったのですが、留学期間中を思い返すと英語以外にもたくさんのことを学びました。もちろん、英語学習にもしっかりと取り組んだのですが、その中でも私は、勉強するだけではできないことをたくさん学びました。今回、この報告書では英語力の向上以外に、私が学んだ最も印象に残ることを大きく分けて3つ紹介します。

須藤5.jpg まず1つ目は、自分の感情に素直になり、相手に伝えることです。この事について、大きく2つ学びました。まず1つ目に学んだことは、母に対する感謝の気持ちです。親元を離れ、アメリカでの寮生活が始まり、日本に居た時は当たり前だと感じていたことは決して当たり前なものではなく、全て母のおかげだったということです。母はいつも一人で家庭を支え、毎日疲れ切って帰ってくるのにも関わらず、全ての家事をこなしていました。また、そんな私のために、高いお金を支払ってこの長期の海外留学にまでも行かせてくれました。母のおかげで、安全で苦しくも楽しい、非常に貴重な10ヵ月をアメリカで送れたのだと思います。以前までは何だか照れくさく、「ありがとう」と直接口に出して感謝の気持ちを伝えることができませんでしたが、寮で生活をし慣れないことをする中で、ほんの少しながらでも、母の苦労を感じることができました。「ありがとう」の言葉だけでは決して足りませんが、感謝の気持ちを忘れずに、まず伝えるということが大切だと学びました。もう1つ目は、自分の気持ちに正直になるということです。留学生活が始まったばかりの頃は、他国の生徒と過ごしている時に何か自分に不都合なことがあったとしても、正しい英語での言い方が見つからなかったこともあり、自分の気持ちを抑え、いつも受け身になっていました。しかしある日、韓国の友人と些細なことですれ違いが生じ、仲たがいになりました。日本に居た頃の自分だと、その時点で大きな問題に発展することを避け、また、それ以上に友人関係が悪化するのを恐れ、いつも自分の気持ちは出さず、相手に従う傾向にありました。しかし、そのままでは留学に行ったにも関わらず、自分自身が何も成長せずに帰国することになると気がつき、勇気を出して自分の気持ちをすべて相手に言い、お互いに理解し合おうとしました。すると、相手に自分の意見を伝えるだけでなく、自分の至らなかった部分も知ることができました。今では、以前までの友好関係よりも、より一層絆が深まった気がします。相手に素直に気持ちを伝えることは良い内容、悪い内容と関係なく簡単なことではありませんが、伝えることは人との関わりを深めるためのに大切なことだと改めて学びました。

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 2つ目は、社会やグループの一員としての意識を持つということです。アメリカ人と過ごしていると、日本人と比較した時に目には見えないことで、多くの違いがあることに気がつきました。そして、その中で、大きく分けて2つの違いと大切なことを学びました。1つ目は、自国の政治に対する価値観の違いです。留学が始まった頃、アメリカではバラク・オバマ元大統領の後継者を決める、アメリカ大統領選挙の真最中でした。そんな頃、親しくなったアメリカ人の友人が、「アメリカ大統領候補について、どう思う。」また、「日本の政治について、どう思う。」と尋ねてきました。その時私は、何も意見することができませんでした。なぜなら、それまで世界の政治だけでなく、日本の政治についてさえもほとんど知識がなく、自国の政治に関して、まるで他人事かのような価値観の持ち方だったからです。しかしその反対に、アメリカの人々は、彼ら、彼女らの自国の政治に対して、自分の周りで起きている非常に身近な出来事として捉えているように感じました。私よりも年下の生徒も、皆が日常会話で大統領選挙について話し合うなど、幼い頃から国の政治について親しみがあるのかなという印象も受けました。海外に対して興味を持ち、知ろうとする意志も大切ですが、そのためにも、しっかりと自国に対する知識を持つことも必要なことだと学びました。もう1つは、自分の意見やアイディアを、相手にしっかり伝えることです。留学中は、日本で授業を受けていたときに比べ、グループでのディスカッションやグループプレゼンテーションなどの、グループ活動がたくさんありました。始めは言いたいことがしっかりと伝えられずに戸惑うことが多くありました。特に、グループプレゼンテーションを作り上げるとき、言いたいことが伝えられなかったのは、単に英語力だけが原因ではないと思いました。最も大切なのは、なぜ、どのように、何を相手に伝えたいかを、自分がしっかりと把握し、仲間にも明確に自分の考えとして提案することです。グループの仲間任せにするのではなく、自分もグループの一員として意識を持つことで成功に近づくと、直接経験することで学びました。留学中、授業でグループプレゼンテーションを作成している時に何度も仲間と集まり、アイディアを出し合うなどして試行錯誤を繰り返しました。始めは皆意見がまとまらず、苦労をしたこともありましたが、結果として、私が所属したグループのプレゼンテーションが最高得点を取れた時は、非常にやりがいと達成感を感じ、仲間と喜びを分かち合えたことが最大の恩恵でした。

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 最後の3つ目は、結果が全てではないということです。私は留学が始まり、1セメスター目の約半学期分を、自分の偏ったプライドのせいで無駄にしてしまったと、1セメスター目が終わった頃にひどく後悔していました。しかし、結果が全てではないということを学べたのは、この失敗があったからこそだと今は感じます。失敗というのは、特に授業中に、間違いえることや失敗を恐れ、いつも萎縮していました。その頃の自分はいつも自分の殻に閉じこもり、一人で英語の勉強しかしませんでした。授業が終われば部屋や図書館に閉じこもり、黙々と机に向かっていました。また、授業では他の生徒の自分よりも優れた英語力に圧倒され、めったに手を挙げず、まるで参加していないかのようでした。しかし、ある日、「今やっていることは留学ではない。日本でもできることだ。」と気がつきました。真面目に勉強することが決して間違いとは言いませんが、この留学期間中、アメリカでしかできないことを経験することが成功ではないかと気が付きました。そこで、私が個人的に一番大切としていたのが、「とにかく何でも参加してみる」ことです。マドンナ大学は小さな学校で、比較的大きなイベントはあまりありませんが、この言葉をモットーに、自分が参加できるイベントにはできるだけ出席するようにしました。すると、自然と友達の輪が広がりました。また、イベントに参加するだけでなく、授業では積極的に挙手をして参加するようにしました。多くの人と触れ合い新しいことに挑戦するので、いくつか失敗したことや、もう少しできたと悔しい思いをしたこともありました。失敗し、恥ずかしい思いをしたことで挫けそうになったこともありましたが、そんな中、「始めからできないのは当たり前。」また、「誰も自分が思っているよりも、他人の失敗など気にしていない。」と、自分をうまく開き直らせることも大切だと学びました。また、それらの失敗から学ぶこともたくさんありました。なぜなら、失敗してみないと、どのように自分が間違っていたのかが分からないことが多いと気がついたからです。

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2セメスター目のTOEFLの点数を見ると、むしろ下がってしまいましたが、私は2セメスター目で、自分自身が1セメスター目と比べて大きく変化できた時間であったと信じています。今では後期に参加したConversation Partnerという、様々な国から来た留学生や教授とがグループになり、各国の慣習や文化を話すイベントの様なものを通して、親友と呼べるほどの友人ができたことに、心から「参加して良かった。」と思っています。例え気が向かないこと、興味がないことであったとしても、まず参加することで、そこから新しい発見に気がつき、その発見により、自分の生活が大きく変わるということを心から学びました。ですので、殻に閉じこもり受け身で待つのではなく、まずは行動しチャレンジすることが大切だと思います。

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 約10ヶ月の留学生活で、不自由なこと、辛かったことはたくさんありましたが、それよりも、たくさんの人々と出会い新しいことを経験し、英語力の向上だけではなく、自分を人間として大きく成長させることができました。マドンナ大学で過ごした10ヶ月はあっという間で、かけがえのない時間となりました。今では、日本とアメリカとが離れ離れになり寂しく感じますが、その気持ちと、これらの経験と学びを活かして、これからも成長し続けたいです。

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2017年10月13日

中期留学報告(アラスカ大学 川畑 遥)

素敵な出会いに恵まれた濃い四か月

 私はこの留学を通して様々な事を学び、素敵な出会いや貴重な経験をしました。外国人として、異文化の中、環境も違う国での生活は、毎日刺激がいっぱいで、あっという間に過ぎていきました。特にアラスカは、日本では味わえない寒さや日照時間などの違いがあったので、気候の変化も楽しみの一つでした。

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まず、アラスカに到着した時は、自然豊かだなと思った覚えがあります。良くも悪くも、何もない印象でした。去年、アラスカに行っていた友達に、事前に知り合いを紹介してもらい、空港から大学までの送迎と、到着してからの手続きなど、様々な事を手伝ってもらい、既に素敵な出会いを果たしました。私が到着した時は、まだ新学期が始まってなかったのもあり、人がほとんどいなくてガランとした印象で、広大な敷地に様々な建物が建っていて、まず道を覚えられるかという不安と、白夜で夜の10時を過ぎても暗くならなかったので、着いてすぐに環境の違いを感じました。

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最初は全てが不安で、言語の壁を痛感する日々でした。せっかくの海外での生活なので、日本人とはあまり居過ぎないようにしようと意気込んでいたのですが、やはり異国の地で、同じ境遇の人と出会うと安心からか、その子とよく一緒にいることが増えました。でも、私はそこでもとても良い出会いがありました。日本人は全員で7人いたのですが、その内二人がESLではなく自分の専攻を学んでいる方々で、5人がESLでほぼ同じ授業で、みんなとても良い人たちで、お互いを高め助け合い、辛い時には話を聞き合ったりと、一緒にいて頑張ろうと思える存在でした。最初はたぶん、みんな一緒に居過ぎないようにしようと思っていたと思うのですが、最終的にはお互いがなくてはならない存在になっていきました。特に、私は北海道からの留学生で、年齢的には一つ年下になる子とは、授業が終わってからも一緒に図書館で勉強をしたり、ジムで運動したり、ご飯を食べたりと、毎日のように一緒にいました。その子との出会いは、私にとってとても大きな出来事で、その子を通して仲良くなった友達や、私を通してその子に紹介した友達など、その子との出会いが私の留学生活を変えてくれました。

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更に、アラスカ大学で出会った人たちは、みんなとても親切で、特にジャパンアラスカクラブというクラブの人達は、私たちにとても良くしてくれて、様々な所に連れて行ってくれたり、勉強を手伝ってくれたりと、アラスカ生活を楽しいと思える時間にしてくれました。みんな日本に興味がある人が集まっているので、日本について聞いてくれ、私自身も分からなかったことを聞かれて逆に勉強になり、将来日本語教師になりたいと、より思えた時間でした。この事を通して、私は改めて出会いや縁は、とても大事なことだなと思いました。それと同時に、出会いもあれば別れもあり、アラスカを離れる時にはお見送りに来てくれ、一緒に泣いてくれた友達や、お別れ会としてご飯を一緒に食べに行ってくれた友達もいて、改めて素敵な人達に出会ったなと感じました。

そして、アラスカでは気候の他にも、日本では味わえない経験をたくさんしました。まず、-35度の世界での生活です。8月、9月はまだ暖かく、日本から持って行ったコートでしのぐことができたのですが、10月の下旬から雪が降り始め、あっという間にコートだけではしのげない程寒くなりました。-35度なんて、雪ですらも名古屋に来て初めて見た私からしたら考えられなく、雪が待ち遠しかったのですが、寒いという次元を超え、命の危険を感じるほどでした。特に、オーロラは日本では絶対に見ることはできないので、この経験を留学という形でできたので、より良かったです。そして、人生初のハイキングを、極寒の中できたのも、あの時はとても辛くて一生やりたくないと思ったのですが、今では良い思い出です。

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ハロウィンやサンクスギビングホリデーなど、アメリカ特有の休日や行事を過ごせたのも、良い経験になりました。ハロウィンは、日本でも最近は行われるようにはなっているのですが、実際に仮装して近所の家にTrick or Treatingをしに行ったのは初めてで、サンクスギビングホリデーには学校が休日になり、友達の実家でサンクスギビングフードを楽しんだり、ブラックフライデーショッピングをしたりと、とても充実した時間を過ごしました。

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クリスマスはアラスカでは過ごせなかったのですが、早めのクリスマスパーティーをしてくれ、シークレットサンタという、クジで当たった人にクリスマスプレゼントをあげるというゲームをしたりと、日本では味わえない行事を楽しめました。

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そして何より、全て英語という環境の中にいたので、英語力の向上は見られたと思いました。実際にその環境の中に行くというのは簡単な事ではなく、更に私費というレベル的にも高いとは言えない中でのスタートだったので、不安ばかりでした。でも、その人のやる気次第で生活は変わる、という言葉をよく聞くのですが、実際にそうだなと身を持って思いました。英語が完璧になったわけではありませんが、自分自身の考え方が、留学に行ってから変わったと思います。今まで新しいことへ挑戦することは不安ばかりで、簡単に一歩を踏み出せずにいたのですが、勇気をもって失敗することを恐れ、一歩を踏み出す大切さを知ることができ、やらずに後悔するよりは、やって後悔する方が良いという言葉を胸に、様々なことに積極的に挑んでいきたいなと思うようになりました。アラスカで出会った人は、私に英語だけでなく、こういったメンタル面での変化も与えてくれました。なので、私にとってこの留学は英語力の向上のみならず、メンタル面でも鍛えることができた、とても濃い4か月間でした。

この4か月間はあっという間で、帰国してから何度も戻りたいと思いました。でも、この半期間という決まった期間で、素敵な出会いや貴重な経験、様々な面での成長ができたと思うので、この気持ちを忘れず、今後に活かしていきたいです。そして、これから留学に行こうとしてる後輩の子たちには、新しいことへ挑戦することの不安や恐怖を拭ってでも、一歩を踏み出してほしいなと思います。人生は一度きりしかないし、こういう経験は学生の内でしかできないと思うので、是非、留学をお勧めしたいです。

最後に、この留学へ行かしてくれた両親への感謝を忘れず、アラスカを勧めてくれた先生方への感謝も忘れず、これからの短い学生生活を、充実した後悔のない生活にしていきたいと思いました。留学に行って良かったです。

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長期留学報告(ノースセントラル大学 伊藤 紗里那)

私にとっての留学経験の価値
 
 私は、10ヵ月間、アメリカのノースセントラル大学で勉強をしました。大学に入学した目的でもあった留学でしたが、自分が想像していたよりもはるかに素敵なものでした。また、私の留学生活をノースセントラル大学で送ることができたことが、本当に良かったと思います。この報告書では、私の留学生活を2016年8月から学期ごとに書いていきます。まず、8月のELIプログラムから紹介します。

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  2016年8月8日から、English Language Institute(ELI)という大学での授業を受ける前に、英語運用能力を補う講座を1ヵ月間受講しました。クラスには、中国出身の生徒3人と、私を含む日本出身の生徒5人の少人数のクラスでした。先生は、世界中で英語を教えた経験を持つドイツ出身の方でした。授業は、午前9時から午前11時45分までで、午後はアクティビティとして、RA達が色々な場所へ連れて行ってくれました。初めの授業では、アメリカと母国の文化の違いや、先生へのメールの書き方などを学びました。私は、留学を始めるにあたり、知っておいた方が良いことを知ることができたので、アメリカでの生活をスムーズに始めることができました。特に、メールの書き方や大学のホームページの使い方は帰るまで必要だったので、オリエンテーションの授業は役に立ったと思います。リスニングとリーディング力を鍛えるために、伝記やシカゴの歴史を読んだり聞いたりしました。その日の宿題では、授業内容に基づいてリサーチのテーマを決め、調べた内容をまとめて、次の日にプレゼンテーションをしました。プレゼンテーション後には、先生とクラスメイトからフィードバックをしてもらいましたが、指摘がとても細かくて勉強になりました。最後のプロジェクトとして、環境問題についてのリサーチをしました。ペアを作り、実際に街でインタビューをし、回答をグラフにまとめてプレゼンテーションをしました。私は、中国人のクラスメイトとペアになり、約30人に街頭インタビューをしました。私は、見知らぬ人々にインタビューをするなんて初めてのことだったので緊張しましたが、すぐにインタビューに答えてくれたので嬉しかったです。また、その人々は、私の日本語訛りの英語を真剣に聞いたり、「頑張ってね。」と声をかけてくれたりと、とても親切に対応してくれて、優しい人ばかりの街だと感じました。インタビューの結果をまとめ、表を作り発表をしました。そして、無事この夏のプログラムを修めることができました。午後のアクティビティは、RA達が考えてくれていて、買い物に行ったりゴルフをしたり、みんなが楽しめるような企画をしてくれました。
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 9月から始まった秋学期では、レギュラーのクラスを取りました。それは、ドイツ語、コミュニケーションとESLの3つでした。ドイツ語は、1番初歩のレベルの授業でした。そのため、日本で受けていたドイツ語の授業と同じような内容でした。でも、こちらの授業は、日本での文法を学習するドイツ語の授業と違い、Speakingを中心に行われていたため、達成感を感じる授業だと思いました。授業中に即興で会話を続けなければならないので、予習と復習は欠かせなかったし、話したさから単語を覚えるようになりました。そのため、日本で勉強していたよりもドイツ語が理解できるようになり、また、Speaking力も上がったと思います。コミュニケーションの授業では、効果的に伝える演説やプレゼンテーションの仕方を、教科書から理論的に理解した後、それらを踏まえ実践をしました。私にとっては、"英語で話すこと"で精一杯になってしまうことが多かったため、不安と自信の無さで気持ちはいっぱいでした。でも、先生からのアドバイスを基に、プレゼンテーションを行いました。プレゼンテーション後にもらうクラスメイトからの評価では、プレゼンテーションを重ねるごとに良い評価が増えていった気がしたし、私のトピックに興味を持ってくれた人が多かったため、伝えることができたのかなと思い、とても嬉しかったです。

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 11月の終わりから1月の初めまでの冬休みを終え、冬学期が始まりました。私は、ライティング、ドイツ語、ESLの授業を取りました。ライティングの授業では、いくつかの記事やエッセイを読んで、それについて様々な論述の仕方を実践しました。例えば、2つの記事を比較したり、その記事について賛成か反対か自分の意見を書きました。エッセイを書くのは、課題として家でやることが多く、授業では、その日に決められた記事について、クラスやグループになってディスカッションをしました。記事やエッセイがアメリカの社会問題につながるものが多かったため、私にとっては、アメリカ社会の知識も得ることができました。ディスカッションでは、アメリカの社会問題を日本人の視点から見たらどうなのかよく聞かれ、私はクラスメイトとお互いに新しい考え方を知る機会になったと思いました。この授業のテストは、基本的にエッセイを書くことでしたが、ファイナルプロジェクトとして、ポッドキャストの作成をしました。ポッドキャストとは、ラジオのようなもので、原稿から編集まで自分でやりました。テーマは、今まで自分が書いたエッセイの中から、アカデミックで興味のあるものを選びました。私は、言語学に興味があったため、マルチリンガルの筆者らが書いたエッセイを基に書いた比較論文を用いりました。概要は、マルチリンガルとして社会で通用している筆者らと家族の間で起こるトラブルを、様々な言語学者らの記事や自分の経験を用いて、そのトラブルを長所として展開していくものです。私は、ポッドキャストを作ったことがなかったため編集に苦労しましたが、新しい意見の発信方法として、おもしろいと思いました。また、それぞれの個性が活かすプロジェクトだったと思います。ドイツ語は、過去形や1日のルーティーンを話せるようになるような授業でした。私は、前学期よりもエッセイの提出が増えたり、積極性が重要になったりと、クラスがより活発になっていたように感じました。エッセイを書いた中で、バレンタインの時期に書いた恋愛についての論述はとても難しかったけれど、興味深いものでした。授業内で、ペアになった相手と即興で恋愛について会話をしたり、自分の両親の馴れ初めを語ったり、ラブストーリーを書いたりしました。私は、ラブストーリーを書いたときにドイツ語で書けたことに自分で驚き、ドイツ語のライティングと語彙の力がついてきていることを実感しました。ESLでは、リーディングとライティングに焦点を当てた授業でした。また、その中で、アメリカの歴史や偉人について勉強しました。リーディングでは、インディアンや名高い偉人の伝記を読むことが多かったです。中には、イギリス英語で書かれたものもあり、アメリカ英語との単語や言い回しの違いに苦戦しました。私のルームメイトはイギリス出身だったため、よく教えてもらいました。この学期には、課外授業がありました。土曜日にシカゴ歴史博物館に行きました。そこで、興味をもったことをファイナルプロジェクトとして、自分の意見も述べた論文を書きました。私が選んだテーマは、禁酒法のあった時代のギャングの活動や、その目的と社会への影響でした。私は、ギャングのイメージとして、殺し屋の印象が強かったのですが、調べていくと、反社会的な姿勢がみられ、その行動が経済へ影響を及ぼしていたことを知ることができ、より興味を持ちました。現在のシカゴでは、アルカポネという有名なギャングのグッズを売っているため、その点からも、歴史的に社会に大きな影響を与えたことを感じることができると思いました。 

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 10日間の春休みを終え、3月の終わりから春学期が始まりました。私は、ドイツ語、東アジアの研究、ESLの授業を受けていました。ドイツ語の授業は、前学期に比べ、とても人数の少ない9人での授業でした。その分、発言力や協調性、積極性が求められました。スピーキングを高めるため、語彙力を補いながら会話をすることが多かったです。新しい単語を即興で例文に組み入れたり、その単語の意味をドイツ語で説明したりしました。また、ドイツの歴史や観光地にまつわる動画を見て、要約したり自分の意見を述べたりしました。今までのドイツ語の授業でやったこと全てを、実際に使うような授業だったように感じました。東アジアの研究では、中国、韓国、ベトナム、日本のそれぞれの歴史や文化を学び、現代の東アジアの経済や社会に与えた影響を考えました。私が1番感じたのは、アメリカ人と、日本人としての自分の東アジアに対するイメージや考え方の違いです。授業内では、日本人からの視点を求められることが多く、特にアメリカ軍の沖縄の基地についての議論が白熱していました。そのため、教科書には載っていないような、お互いの東アジアについての様々な問題に対する考え方や現状を知ることができ、より理解を深めなければならないと思いました。ESLでは、文法の見直しと、慣用句とリーディングに力を入れた授業をしました。リーディングでは、1冊の本を読み進めながら、その物語についてディスカッションをしました。その本は、スカポーネインディアンのリザベーションに住む男の子の日記をもとにした、実話の物語です。主人公の男の子は、リザベーションにある学校でいじめを受けていましたが、希望を持ち続け、隣町の学校に転校し新しい世界を知ることで、自分自身にとって大切なものを改めて見出していく物語です。その男の子は落書きをすることが好きだったため、挿絵として多くのイラストが入れられています。また、スラングや話し言葉が多く使われているため、読んでいてとても楽しいです。私は、とても重い内容のように思えることでも、主人公が面白おかしく綴ることに驚きながらも、楽しく読み進めることができました。ディスカッションでは、主人公の心情について議論することが多かったので、さまざまな意見を聞くことができ、楽しい授業だったと思います。

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 ノースセントラル大学では、レギュラーのクラスを積極的に受けることができるという点が、他の提携校とは違う魅力だと思います。出国する前は、自分が授業についていけるのかという不安が大きかったですが、毎日、様々な発見があり、どんなことも自分の持つ不安からくるイメージとは違い、想像していなかったような素敵な出会いや経験がたくさんありました。私の留学に行く目的は、自分の英語力を上げることと。文化に触れることでしたが、その目的以上のものを、経験として自分に身につけることができました。留学中は、友達やルームメイト、先生方に助けられてばかりでしたが、これからは、自分からその経験を発信し、助ける側になりたいと思いました。また、様々な人々と話すことで、世界の広さと自分の無知さを実感したため、これからはより大きな視点を持ち、色々な分野に目を向けていきたいと思いました。今回の留学は、私にとって生涯の大きな財産になりました。

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2017年10月12日

長期留学報告(ボーリンググリーン州立大学 村木 俊哉)

出会いに感謝

 留学は、この大学に入学した時からの一つの目標だったので、達成できて良かったです。始めは、大学で履修していたフランス語に興味を持ち、カナダはフランス語が使われている地域があるので、カナダが良いかなと思っていました。しかし、提携校の留学先には、

 そういった地域はないそうです。海外経験と英語を優先していたので、公費交換留学に選ばれたことに感謝しています。そして、BGSUに来ることができて、本当に良かったです。

 8月9日にセントレア、成田経由でデトロイト着の飛行機に乗って行きましたが、成田でちょっとしたトラブルに遭いました。飛行機の遅延によりゲート前に利用者の列ができていて、クレームを飛ばしている人もいました。初めてのことでチケットが手に入らず、空港のスタッフも手一杯という状態で、質問しても相手にしてくれませんでした。出発1時間前に、ようやくスタッフに話しかけられ無事乗り込むことができましたが、日本でこんなに手こずってアメリカで大丈夫かなと、少し不安になりながら日本を出ました。

デトロイト空港には、NGUに短期留学していて、そこで仲良くなった友達に迎えに来てもらっていました。日本では、彼と日本語を使って話していたけど、BGへ向かう車では英語で話しをしました。英語がとても速く、聞き取れないところもありました。会話しながら眺めていた風景は周りに建物はなく、辺り一面コーン畑で坂などなく、日本とは全く違っていて、アメリカに着いたことを実感させられました。

その次の日からオリエンテーションが始まって、4日間仮の寮でオーストラリア人のルームメイトと過ごしました。授業が始まるまでの1、2週間は新しいことの連続で、スーパーでの買い物、ファーストフード店での注文の仕方、親元離れての暮らしは初めてで、慣れるまで戸惑いました。その頃は、まだミールプランが使えなかったので、Subwayなどで外食をしていましたが、何と言っているかよく分からず、はいはい頷いているとチップスを買わされそうになりました。ルームメイトに話しかけるのは、最初怖かったです。体格もでかいし、聞き返してしまうことや言葉が理解できていないことが多かったからです。しかし、初めは分からなくてもいい、ネイティブと普段話したことがなかったからしょうがないと割り切り、毎晩話しかける努力をしました。短い間だったけど、彼のおかげで良いスタートが切れたと思います。

オリエンテーション後は、Kohl Hallという別の寮に移りました。この寮には別の国から来ている学生が多く、ルームメイトは香港人でした。ESOLの授業が一緒の人も同じ寮に集まっていたので、アメリカ人よりどちらかというとアジア出身の友達が多くできました。また、授業が始まってから、1日が過ぎるのが早く感じ始めました。初めの1,2週間は、授業中に大量に聞いた英語で頭が痛くなりました。毎日課題が出されるので、夜遅くまで課題をこなし、友達と夜中にラウンジで勉強をしていました。

授業は、スピーキング、ライティングのESOL2つの他に、American Culture、Popular Culture、太鼓とグローバルビレッジを取っていました。グローバルビレッジでは、授業とフィールドトリップを行うもので、多国の文化を学びます。教室はKohl Hallで、同じ寮の友達も多かったです。週末に、デトロイトやトレドに旅行に行き、アメリカで生活している移民のことや食事のことを、実際に学びつつ観光しました。American Cultureの授業でも、Melting Podという見出しから始まるチャプターで、移民とアメリカの歴史が書かれており、歴史を知るうえで移民は重要な事柄の一つであることを感じました。

ESOLは、スピーキングのクラスが大変でした。レコーディングの課題が多く、普段自分の声を録音しないため、抵抗がありました。また、噛んだり、filler(言葉の間に「えー」とか「あー」とか)が多かったので、何度もやり直しました。クラスメイトは、中国人、韓国人、タイ人、サウジアラビア人、日本人と、インターナショナルでした。アメリカにいて、他の国のことについても語れる留学生がBGには多いので、他の国への興味を持ち、今まで持っていた偏見を、綺麗に拭い去ってくれました。太鼓の授業というのは、日本の伝統楽器の太鼓の実技を、アメリカ人の先生が教えるというものです。実際に、カリフォルニアの太鼓グループからプロが訪れて、パフォーマンスを披露した日もありました。太鼓は、アメリカでも需要と人気があるようです。

 BGで、私は3つのクラブ活動に参加していました。一つは日本語クラブで、書道や折り紙などの体験会や、お月見やお正月などのプレゼンテーションをしました。お花見イベントが一番大きなイベントで、日本の出し物を体験してもらうのが目的です。私は、書道ブースを担当していました。留学中、数回書道をする機会があったため、今まで嫌いだった書道が好きになりました。自分の名前を、ひらがな、カタカナ、また漢字にして欲しい方が多かったので、名前を書きながら筆を教えるのが楽しかったです。二つ目は、中国クラブで麺料理を作ったり、Chinese New Year(旧暦の正月)を祝ったりしました。三つ目は、音楽クラブでギターを演奏していました。日本のアニメソングを演奏するクラブです。しかし、パート仲間がいなかったため、チームの仲間と話をすることがなかなかありませんでした。唯一ベースの人とは、初めしゃべっていました。自分とは合わないと思い、12月に辞めることを伝えましたが、1月のオハイオ州の首都のコロンバスで行われるオハイヨコンというアニメ展覧会には出て欲しいと言われたので、参加しました。参加して良かったと思っています。オハイヨコンの3日間、グループの仲間と共に過ごし、話し合うことができました。このイベントを通して、自分の殻を壊す事ができました。

 冬休みや春休みといった連続した休みがある週は、学校の寮から出ないといけません。秋休みとThanksgiving Dayには、ピックリントンの友達の実家に泊めてもらいました。冬休みは3週間あり、カリフォルニアのBGの友達の家に泊めてもらいました。春休みは、日本人の友達とニューヨークへ旅行しました。Thanksgiving中は、友達の親戚の家でターキーを食べました。その家はカンボジア人系の家族で、アジア風でした。ターキーは夜食べるかなと思っていましたが、昼食として麺料理や生春巻きと一緒にいただきました。Black Fridayでは、家電製品店にいきました。テレビなどが格安で販売されるので、周りのお客さんのカートの中に、テレビなどが詰め込まれていました。冬休みにはカリフォルニアへ。アメリカの最西端にあって、中心部にあるオハイオ州とは全く違ったフラットではない景色に、冬なのに雪もなく暖かい気候でテンション上がりました。友達のお父さんは、まさに自分が思い描いていていたアメリカ人という方で、面白く優しい家族でした。クリスマスパーティは友達の友達の家で開かれ、大人数で楽しみました。小さい子供から同じ年くらいの人、お父さんやおばあちゃんが集まって、とても賑やかでした。パーティを友達を集めて大勢で行うアメリカの文化は、すごく良いなと感じました。クリスマスの後は、アリゾナ州とユタ州へ、国立公園巡りに連れて行ってくれました。ユタといえばグランドキャニオンが有名ですが、ブライスキャニオンとザイオンキャニオンという2つの国立公園へ行きました。名前も聞いたこともなかったのですが、自然が生み出した造形美に目を奪われました。春休みは、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンD.C.へ行きました。自由の女神で、偽者スタッフからチケットを買ってしまうトラブルがありました。あやしいなと思いチケットをネットで調べたら公式ではないことに気がつき、公式のチケット販売所を探しました。自由の女神のことは前日に友達が調べてくれていて、ネットでチケットを買うには遅かったので、当日なんとかなるだろうと思いましたが、旅行先でトラブルに巻き込まれないためにも、きちっと調べておくことは大切だと思い知らされました。

 最後に、留学中、本当に友達にお世話になりました。秋学期は課題に追われていて、ないがしろにしていた時期もありました。日本語クラブ後に、ポリアイズというレストランに行くのが恒例でしたが断っていました。秋学期が終わりに近づいていくうちに、今自分はアメリカにいてやっていることはパソコンとにらめっこと思ったら、もったいないことをしていることに気づきました。日本語クラブに行くと、毎回いつものように誘ってくれて、嬉しく思いました。それ以来、友達との時間を大切にしようと心に刻みました。

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長期留学報告(ボーリンググリーン州立大学 積 真美)

留学先で経験したこと・学んだこと

この留学した1年間は、悪い思い出も良い思い出もありましたが、私にとってはとても貴重な経験になりました。留学しようと思ったきっかけは、留学の書類を周りの友人達が提出していることや、外国語学部なので留学には行かないといけないなという、漠然で単純なものでした。いざ留学選考が通り留学の確定メールが送られてきた時、現実感を帯びてきて、不安でいっぱいでした。しかし、そんな時、後押しをしてくれたのは、母親からの言葉や友人の励ましでした。母親から、「語学力が伸びなくても良い経験になると思うし、今しかチャンスがないよ。」という後押しがあり、留学に向けての心の準備をすることができました。勉強面に関しては、単語テストなどの基礎的なものしかやっておらず、どうにかなるだろうという、甘い気持ちでアメリカに行きました。

始め頃は不安しかなく、自分の英語も全然通用しなくて落ち込む日々でしたが、アメリカ人や他国からの留学生のフレンドリーさに助けられました。日本では実家暮らしだったのですが、アメリカでは初めての寮生活で、食料品や日用品は全部自分で調達しないといけませんでした。まだ学校の周辺は知らなかったのですが、何が必要かなど周りの子達が丁寧に教えてくれて、とても親切だなという印象でした。

また、アメリカと日本の文化の違いに日々驚いていました。例えば、アメリカ人の子達が共同トイレに裸足で行ったり、日頃の服装が基本はタンクトップとショートパンツだったり、日本では有り得ないようなことばかりでした。天気も不安定で、いきなりゲリラ豪雨になったりもしました。授業の仕組みも、日本の大学とは違うものでした。基本的に自分のことは自分で管理するという体制で、課題の量も圧倒的に多く、ほぼ毎日深夜まで課題に終われる生活を送っていました。そのおかげもあって、勉強に真摯に取り組む姿勢を新たに身につけることができました。

このようにアメリカでは、日本で経験してこなかったことを色々経験しました。特に印象深いのは、人間関係です。この1年間を振り返ると、凄く人間関係で苦労した1年でした。日本にいた頃は、価値観の違いなどで他の人と衝突することはなかったのですが、秋学期は初めての寮生活ということもあって、ルームメイトと揉めることが多くありました。そんな時に、もっと英語を勉強して、自分の考えをダイレクトに説明できるようにしとけば良かったなと、悩むこともありました。しかし、逆に言えば、困難が立ちはだかったからこそ、英語を使う機会も増え、語学力を一気に伸ばすことができました。精神的に病んでしまいそうな時はもちろん沢山ありましたが、そんな時に友人が慰めてくれたりして、本当に自分は友達に恵まれたなと思います。

彼らには、勉強面でも色々とお世話になりました。例えば、秋学期はチャレンジ的な科目を取っていなかったことと、中国人の友人に頼る部分が多かったこともあったのですが、秋学期で帰国してしまう友人が多く、中国人の友人の1人がこのままじゃいけないと喝を入れてくれました。こういうこともあり、春学期は自分のレベルには難しい授業を選択して、更に英語力のアップをしました。もちろん勉強面でも、もし私が英語に関することで分からないことがあったら、私の英語での質問を真剣に聞いてくれたり、私が納得するまで解説してくれたり、本当にお世話になりました。

そんな友人達とは、休暇やイベントなど、多くの時間を過ごしました。秋学期は、サンクスギビングを友人の家で一週間過ごしました。そこでは初めてターキーを食べて、ブラックフライデーには朝5時に起床するという過酷なスケジュールでしたが、お得に買い物ができ、爆買いをしてしまいました。冬休みには、カリフォルニア出身の友人の家にお邪魔して、観光スポットであるハリウッドサインやサンタモニカのビーチに行きました。幸運なことに、友人一家は旅行が好きな一家だったので、一週間の間にユタ州にある二つの国立公園に行ったり、帰りにラスベガスに寄ったりできました。春休みには、中国人の友人たちと、シカゴや日本と比べると格安なアリアナ・グランデのコンサートに行ったりしました。

また、私は1年を通して、ジャパニーズクラブ、WSA、チャイニーズクラブ、グローバルビレッジというコミュニティに参加していたので、多くのイベントに関わりました。その中でも印象に残っているイベントは、10月下旬のインターナショナルディナーと中国の旧暦を祝うイベントです。インターナショナルディナーでは、色んな国からの留学生が出し物をするというもので、私を含めて5人で日本チームとして参加しました。浴衣を着て、盆踊りとよさこい踊りをトップバッターとして披露したのですが、大きな歓声をもらうことができました。日本の文化をこういう形で披露できたことは、日本人としても嬉しいし、自分の趣味であるよさこい踊りを広める一歩になったので、計り知れない達成感を味わうことができました。旧暦を祝うイベントでは、中国では習慣として餃子を食べるので、ひたすら餃子を作ったのを覚えています。そのおかげもあって、餃子を作る名人になりました。

勉強面でも生活面でも、とても充実した一年を過ごすことができました。辛かったことも多かったけど、圧倒的に楽しいことを得ることの方が多かったです。度重なるルームメイトや友人との話し合いの中で、自分の価値観と違う人は多くて、自分の考えが普通だという自分軸の考え方は、通用しないことを学びました。また、ファイナルウィークでお世話になった中国語の先生には、「もしアメリカに留学することや就職面で困ったことがあったら、いつでも相談してね。」というありがたい言葉をいただきました。ルームメイトや友人とお別れをする際は、抱き合って号泣するぐらい、とても別れが辛かったです。この時は、本当にアメリカを去るのが辛くて、こんなに悲しむぐらいなら、最初から留学に行かなければ良かったと思いましたが、留学に行ってなかったら彼らと出会うこともできなかったと思います。留学は、自分の欠点や当たり前だと思っていたことを見つめなおす機会が沢山ある良い経験です。

家族や友人のサポートがあってこその留学だということ、日本が平和な国であるということなど、当たり前だと思っていたことは実は当たり前じゃないのだと、改めて実感しました。もし、今留学に行こうか迷っている学生がいたならば、自分も最初は迷っていた人達の一人だったけど、良い経験を積むことができたと実感しているので、絶対行った方がいいと勧めたいと思います。

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2017年10月11日

長期留学報告(マドンナ大学 玉川 歩香)

10か月の留学生活で学んだこと

私、外国語学部英米語学科3年玉川歩香は、去年8月上旬頃から今年5月上旬まで、ミシガン州リボニアにあるマドンナ大学という大学に、10か月間公費の長期留学をしていました。留学確定から日本を発つ日までの日にちは、本当に早く過ぎたように感じました。この期間は、留学内定者向けの講座や自学習などに追われていましたが、留学生活を体験できると思うと、とても待ち遠しかったです。

マドンナ大学に行く前に私は、アイオワ州シーダーラピッツにあるコー大学で、英語学習の事前研修に参加しました。名古屋大学からは4人、東京の早稲田大学からは7人参加し、合計11人の生徒たちでESLの授業を受け、フィールドトリップでいくつかの場所に行くことができました。

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この研修で受講したクラスは、毎日課題もあり準備も沢山しないといけなかったので、ほぼ毎日徹夜で課題をこなし、寝ずにそれらに取り組んだ時もありました。この研修での授業は本当に辛くて、アメリカでの学生生活はこんなにも過酷なのか、と思い知らされた瞬間でした。しかし、この経験のおかげで、マドンナ大学での授業や課題で、どれだけ大変なことがあっても普通に乗り越えることができたので、本当に良い研修だったと思っています。

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この仲間や先生たちとの思い出は、とても鮮明に残っています。1週間ほどの短い研修でしたが、未だにSNSなどで連絡を取り合うほどの良い友人になりました。

研修終了後、4日間ほど入寮開始日まで日にちがあったので、マドンナ大学近くのKarenというホストマザーの家に滞在させてもらいました。毎日気にかけてくれ、入寮にあたって必要な日用品の買い出しにも付き合ってくれて、とても親切にしていただきました。Karenはとても日本の文化や言語が好きで、彼女自身も日本語を生徒たちに教えてくれる程です。英語の日常会話のアドバイスを沢山くれる代わりに、私もKarenの日本語に関する質問に答えるなど、とてもおもしろい滞在でした。Karenの旦那さんのDan、息子のSeanとAustinも沢山サポートしてくれて、本当に感謝しています。入寮してからも何度か食事に行き、よくメッセージもくれた、優しくて親切なホストファミリーです。

入寮をしてからは、入寮の手続きやオリエンテーション、クラス分けテストなど、あわただしいスケジュールでした。マドンナ大学は、看護のプログラムがとても評判がよく、韓国人の留学生たちがとても多かったです。その他にも、色々な国籍の学生が、スポーツをしにこの大学に来ていました。

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最初の学期が始まる前に、アメリカ人学生や他の留学生たちと交流して、とても仲良くなりました。一緒にダイニングホールで会話をするのが、その時の楽しみでした。この大学はカトリック系の大学なので、たまにイベントとしてお祈り会のようなものがありました。大学の裏に大きな教会があったのですが、本物の大きな教会を見るのは初めてだったので、荘厳で美しい教会に驚きました。

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最初の学期が8月の終わりに始まりました。アジア人が多いものの、ヨーロッパ人や中南米、中東からの生徒と、本当に多国籍なESLの生徒たちでした。Speaking/ ListeningとWritingは一番上のレベルから、GrammarとReadingは真ん中のレベルからのスタートでした。一番上のレベルの生徒は、皆意見をはっきりと言うことができて、自信に満ち溢れていました。その中でもおとなしく発言もできなかった私は、クラスの中では意識と知識レベル共に、全く足りていないように感じました。真ん中のクラスの生徒たちは、のびのびと各々が学習に取り組んでいたので、とてもやりやすかったです。課題の量や難易度も、日本の時よりレベルが上がったと実感しましたが、コー大学の研修のおかげで準備ができていたので、それほど苦ではありませんでした。アメリカ人の学生は、日本の学生に比べて受講している授業も少ないです。しかし、課題やレポート、小テストの多さと、授業一コマの長さから比べると、日本の大学生よりも忙しい学生生活をしているように感じました。最初の学期は、自分のspeakingの能力に愕然としました。単語を知っていてWritingで使えたにしても、Speakingの時になると話せないどころか、使い方や言い回しも知らなかったのです。そのため、色々な会話練習動画を見たり実際に話したりと、練習をしました。それでも、自分のspeakingとlistening能力の向上を見られたのは、後半の学期でしたが、ただひたすら勉強しました。

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この上の写真は、私の寮にあるStudy Loungeです。基本的に、ここか図書館で勉強をしていました。ここは、現地学生も留学生も和気あいあいと勉強している場所で、私のお気に入りの場所でした。この学期の途中には、一週間ほどのちょっとしたお休みがありました。その期間を利用して、Thanksgiving dayにはChicagoに旅行に行きました。アメリカならではのBlack FridayやChicagoで有名なピザ、美術館巡りなど、とても充実した休みでした。Chicagoは「風の町」と言われており、風が強く本当に寒かったです。更に、大きな都市ではあるものの、沢山のホームレスを見ました。中には、20代後半くらいの若いカップルのホームレスたちが夜の街でコインを求めたり、路上で寒さに凍えながら寝ていました。どの国に行っても、貧富の差から生まれるホームレスの問題を抱えており、一つの国際問題なのではないかと感じました。アメリカは自由の国、お金持ちの国というイメージがありましたが、ネガティブな面も目の当たりにしました。

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私はAmerican Cultureという授業を取っていました。前年の先輩から、沢山この時間にフィールドトリップに行くことができると聞きましたが、結局2つの学期を通して、この授業でフィールドトリップに行くことはありませんでした。しかし、合計で2つのボランティアに参加しました。1つ目のボランティアは、デトロイトの教会の掃除をするボランティアでした。教会は、どうデトロイトの人たちを助けてきたのか、その教会の歴史も丁寧に教えてもらいました。デトロイトは、一度財政破綻をした大都市で、沢山の人が無職になり、ホームレスになりました。未だにそういう影響を受けている人たちの助けとなっている、と知って感慨深い気持ちになりました。2つ目のボランティア活動は、デトロイト南西部に暮らす、貧しいヒスパニック系移民の子供たちと遊んだり、絵本を配ったりするボランティアでした。このボランティアにあたって、ESLのみんなでゲームを考え、どうしたら楽しんでもらえるかを工夫しながら、準備と企画を進めていました。当日は、子供たちも楽しんでくれて、保護者の方にもありがとう、と声をかけてもらえたり、本当に良い経験になりました。子供たちとコミュニケーションを図るのは意外と難しかったですが、意思疎通ができた時は、とても嬉しかったです。

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授業としてのフィールドトリップはなかったのですが、International Student Officeの人たちが何度かフィールドトリップを開催していたので、それに何度か参加しました。ミシガン州はリンゴが有名だそうなので、リンゴジュースが楽しめる牧場に行きました。

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アメリカ人学生との会話も沢山しました。良い交流の場になりました。アメリカでは、アップルサイダーはリンゴジュースのことを指すそうで、私たち日本人はずっと炭酸飲料だと思っていたので、面白い文化の違いだなと思いました。アメリカでのハロウィン文化も、日本とは違いとても豪華でした。初めて、ジャックオーランタンをホストファミリーに作らせてもらいました。アメリカ人はこの行事は恒例となっているので、ジャックオーランタンの作り方やその道具まで、全てそろえていました。作るのは意外と簡単でした。

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11月に入った頃にはすっかり肌寒くなって、雪もちらつき始めました。これがミシガン州では当たり前のようです。11月下旬が初雪でした。ミシガンにいて、秋という季節はとても短く感じました。それでも、美しい紅葉や過ごしやす良い天気は、今でも恋しく感じます。

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12月に入ってからは本当に寒くて、ほぼ毎日雪が降っていました。大学の真ん中に位置する大きな池も凍っていました。

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授業も終了に差し掛かってきました。中間試験の結果をもとに、最終試験の勉強も進めていました。私の中でそれ以上に心配していたのが、TOEFLです。この結果は、クラス分けのために使われるのですが、私の中では「日本にいたころより、点数が伸びていないといけない」と、自分自身に大きなプレッシャーをかけていました。授業それぞれの成績に関しては、先生たちに褒めてもらったのですが、TOEFLの点数はむしろ落ちてしまいました。今まで勉強しただけ伸びたという経験ばかりだったので、勉強沢山したと胸を張って言えるくらいなのに、こういう結果は初めてでした。アメリカで、ちょっとした挫折のようなものを味わった瞬間でした。やはり、外国語学習は一筋縄では行かないのだなと思いました。最初の学期の日程も終えて、数人のクラスメイトと別れがありました。寂しかったですが、お互い頑張ろうと声を掛け合いました。

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冬休みは三週間ほどあったので、マドンナ大学ESLにいる日本人たちで、フロリダ州のMiamiと、カナダのTorontoに旅行に行きました。この旅行をきっかけに、日本人たちの仲も深まり、分かり合えたかなと思います。この旅行を思い出すと、いくつかトラブルがあったり、困ったりすることがありましたが、まだ英語がうまく使えない中で工夫しながら旅行をしたのは、とても良い経験になりました。最初の一週間は、Miamiで買い物やビーチで過ごして楽しみました。フロリダ州は、ヒスパニック系の人口が本当に多かったです。英語よりもスペイン語をたくさん聞いたくらいです。むしろ、働いている人にはスペイン語しか話せない従業員も沢山いました。アメリカにいるのに、とても不思議な体験だなと思いました。フロリダ州は年間を通じて暖かく、リゾート地であるというのがよく分かりました。行く先々でとても混んでいましたが、とても楽しかったです。

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その次は、すぐにカナダに移動しました。カナダはミシガン州と同じ気温でしたが、本当に底冷えする寒さでした。

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ここでも、買い物や家を借りて、のんびりと過ごすことができました。マドンナ大学周辺とは違い公共交通機関があったので、どこに行くにも困らず、韓国人の友達と待ち合わせて、日本人の方が経営しているお好み焼き屋さんにも行きました。Torontoは多様な人種が住んでいて、どの人種でも住みやすそうに見えました。正月もゆっくりと家で過ごしました。カナダは他の都市でもよいので、また訪れたいなと思いました。

最後の学期が始まり、振り返ると本当に過酷な学期だったと思いました。Writingの最後のレベルを卒業できたので、Research Paper Writingという授業を受講しなければなりませんでした。その他の授業は、ESLの一番上のレベルの授業を受講しました。他の授業での難易度や課題の量はもちろん手ごたえがありましたが、圧倒的にResearch Paper Writingの授業は一番過酷でした。課題の量は圧倒的に多くテストも多かったので、徹夜の日は当たり前のようにあり、英語をこれ以上勉強したくないと思うほどでした。更に、勉強をしても成果が出ないというのも重なり、少し長く続いた軽いスランプのようなものにあたりました。こういう時に、久しぶりに日本語の音楽や映画を見てリフレッシュしました。スランプへの対応の仕方も、自分なりに学ぶことができました。

この学期は、毎週水曜日にConversation Partnerという英会話を練習できるプログラムがありました。このプログラムには、ESL出身の留学生たちやアメリカの学生たちの協力も得て、グループに分かれて決められたトピックについて会話をしていくという内容でした。現ESLの学生も元ESLの学生も、ESLは家族なのだと、とても仲良く親切な人ばかりなので、沢山助けてもらいました。

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この学期は結構アクティブでした。友達とデトロイトに野球を見に行ったり、多くのエスニックレストランに行きました。私たち日本人は、韓国人、台湾人と本当に仲が良かったです。政治的な関係は悪化し、韓国の人は日本人のことが嫌いなのではと心配でしたが、お互いがお互いの文化や言葉、人柄が大好きで、今では沢山の数の友人ができました。異文化理解が大切だと思った瞬間でもあります。

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私がとても仲が良かった友人も、韓国人でした。彼女はESLの生徒ではなく普通の学生で、年も私より一つ下にも関わらず、よく助けてもらいました。今でも連絡を取り合っている、良き友人です。

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授業も大変ながら最後の学期の日程も無事終了し、各先生から成績に関して大変褒めていただきました。苦しい時期を乗り越えて、勉強し続けた甲斐がありました。前期に上がらなかったTOEFLも点数を更新することができて、学業面では自分で頑張ったと言えるのではないかと思います。別れが近づくにつれて、多くの人がマドンナ大学に残るべきだとか、寂しいと言ってくれたので、良い人達に恵まれていたと実感しました。

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分かっていても、別れは本当に寂しいものでした。出国する2日前には、ホストファミリーと食事に行きました。あまり打ち解けられなかった男の子兄弟とも会話を沢山することができ、別れ際にも再会の約束をしました。出国前日は、一番お世話になった先生とアラビック料理のレストランに行きました。彼女はイラク出身で、料理のことを詳しく教えてくれました。

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お世話にとてもなっただけあって、別れは寂しかったです。次の名古屋学院大学から来る留学生が楽しみだと言っていました。

最後にはなりますが、この留学を通じで学んだことを話したいと思います。もちろん、アメリカに来て運用可能な英会話や様々な国の文化を学ぶことができました。先入観やただの知識から、記憶に残る良い経験や大切な価値観の違いなどを知ることができ、本当に異文化理解は大事なことではないかと思います。でも一番感じたことは、英語というツールを使って、文化や人種、言葉の違いを越えて、コミュニケーションを取ることは素晴らしくも難しい、すごいことなのだなと思いました。住む所も生き方も多様で、一生行くことのない国出身の人だとしても、アメリカで英語を通じて、普通にコミュニケーションしたり一緒に勉強したりして一緒に過ごすことは、実はすごいことで、誰でも体験できることではないのではないかと、そう思いました。この10か月間は新しいことだらけで、学んでしかいない留学生活でした。辛いこともあったけど、もう一度経験したいというくらい、楽しかった留学生活になりました。この10か月という期間で、沢山のことを学べた留学生活をくれて、ありがとうございました。この10が月は、一生忘れられない、人生で貴重な時間になりました。これからも学んだことを活かして、一緒に学んだ友達にも負けずに、頑張りたいと思います。

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2017年10月 6日

中期留学報告(アラスカ大学フェアバンクス校 森 純弥)

アラスカでの体験

 中期留学を終えて、感じたことや思ったことなどを、書き記していきたいと思います。学業だけでなく、自分がこの留学を通してどのようなことを変えることが出来たのかも、併せて書いていきます。


 始めに、なぜこの大学を選んだのかについて、書きたいと思います。私は私費留学でしたので、学校側から指示された約十校の仲から、留学先を選ぶことが出来ました。私は個人的に人口が密集しているところを避けたかったので、すぐに自分の中での候補は三個に減ったのです。そして、なぜ人が多いところを避けたのかというと、必然的に勉学がおろそかになってしまうと考えたからです。人が多い所にはやはり、それなりに遊ぶところが存在するもので、それらの誘惑に果たして自分が勝てるかと考えると、考えることそれ自体を煩わしく思って、思い切りよく「人のいないところに身を置いて、自分の学びたいことをやろう」という考えに至りました。結果として、この選択は大正解であったと確信しております。話は少しそれますが、正直なところ、中期か長期かも選ぶことが出来たので、長期にしたかったのです。しかし、お金も大変にかかりますし、それに加えて、半年で帰ってきて間違いではなかったと、今は感じています。


 次に、アラスカで起こったことや体験した出来事を、書いていきたいです。私はアラスカに到着してから、短い期間でしたが、先輩の友達を紹介してもらい、その子の家で宿泊をしました。ホームステイをもし自分が選択していた場合は、こんな感じで生活するのかと、お得な体験でした。その友人はたいへん優しくて、仕事か用事で家を空けているとき以外は、いつでも話し相手になってくれました。また、自転車を持っていたので、彼女にそれを貸してもらい、サイクリングもできました。アラスカの夏は一瞬で終わって雪が降ってしまうので、サイクリングが出来た私は、大満足でした。


 私はその後、寮に移ることになるのですが、そこで初めて一人で生活することの大変さを実感することになりました。生まれてこの方、一人暮らしというものをしたことがなかった私がまず初めに直面したのは、部屋に帰って着た時の何とも言えない寂しさです。私にはスイートメイトはいたのですが、残念ながらルームメイトがおらず、「おかえり」を言ってくれる相手が存在しませんでした。序盤はあまりの悲しさに耐えきれず、部屋に帰りたくありませんでした。しかし、ここまで書いておいてなんですが、寮暮らしは良いことの方が多かったと感じています。というのも、寮に住んでいると、そこの住人と簡単に仲良くなることができます。すれ違う人、キッチンで料理をしている人など、外に出れば誰かしらと会います。そういった人たちと、とても仲良くなることが出来ました。


 私は趣味でゲームをやるのですが、寮で知り合った人がゲーム好きで、私が日本に帰ってきても、オンラインでたまに話しながらゲームをしています。彼はゲームをやっていると、少し感情的になって口が悪くなるのですが、なかなか教科書には載っていないようなスラングを連発するので、ためになります。


 また、月一で何かしらのイベントが寮内であるので、それにも積極的に参加していました。無料で参加できたので、勉強が忙しくないときには、欠かさず出ていました。私のいた寮はWickershamという名前で、他の寮に比べると、三、四年生や院生の生徒がとても多かったため、寮内がとても静かでした。友達に聞いた話ですが、他のところでは若い生徒たちが昼夜関係なしに騒いでいるときもあるため、床に着きにくいと聞いたことがあります。心から、Whickershamに住むことが出来て良かったと思いました。


 次に、Outdoor adventureについて書きたいと思います。Outdoor adventureとは、ハイキングやアイスクライミング、カヌーイングなど、自然が広がるアラスカにぴったりのアクティビティーを少しのお金で体験できる、いわばクラブのようなものです。装備などを一式貸してくれるので、私は合計で三回の活動に参加しました。一番初めはデナリ国立公園で、三泊四日のハイキングをしました。この行事は、Wilderness Welcomeといって、新入生と留学生を対象に行われる活動で、私はここでたくさんの友人を作ることが出来ました。ハイキング自体は実に過酷で、何度も心が折れそうになりました。また、私はハイキングの途中で、全治約一か月の捻挫をしてしまいました。ただ、一人で下手を打っただけなのですが、これはかなり良い経験というか、笑い話になりました。少し自慢をすると、捻挫をした後私は、9 miles (約15km)を歩いて下山をしました。Outdoor adventureの人にも、「けがをして、こんなにも歩いた人を見たのは、君が初めてだ。」と言われたので、単純に嬉しかったです。


 そして、二回目はカヌーイングに参加しました。フェアバンクスに流れる川を、二時間ほどかけて川下りを行いました。このアクティビティは、とても楽で楽しかったです。


 最後の三回目は、雪山で一泊二日のハイキングを行いました。山は一面雪化粧、広がるツンドラはアラスカの気候の厳しさを物語っており、その中を歩いていくのは格別でした。宿泊地は、Dry cabinという山小屋のようなところでした。自分たちで薪を割り、火でとる暖は、これまた格別でした。電気が通っていないので、夜はランプに火をともし、暖かい飲み物をすすりながらカードゲームをしたり語り合ったりした夜を、私は今でも鮮明に思い返すことが出来ます。とても良い思い出となったし、アラスカの地でしか体験できない良い経験であったと思います。ちなみにオーロラは、ほぼ毎日のように見ることが出来ます。満点の星空に棚引く北極光は、それだけで心洗われますし、来て良かったと思える代物でした。


 三つ目に、学業について書きたいと思います。とは言っても、アメリカにいるからといって、日本でやっていたことと別段変わる部分はありませんでした。英語を聞いて、本を読み、文章を書く。それをただひたすらに繰り返すことが、上達への道なのだと感じました。しかし、やはりアドバンテージとしてあるのが、英語を必ず使わなければいけない状況なので、積極的に話すようになることと、生活のあらゆる場面でどのような言葉選びをすればよいのかを、すごく自然に学ぶことが出来ることだったかと思います。余談ですが、授業にはかなり個体差があります。履修は、一度決めると取りやめることが出来ないので、授業を取る前の事前準備が大切かと感じました。あまり簡単な授業を取ると、あまりためにならなかったりするケースがあるので。私もそれを、一つの授業で体験し、少し後悔しました。


 最後に、今回の留学は、自分にとってとても大きな人生の起点になったかと思います。私が今回の留学で学べて一番良かったことは、「人生の楽しみ方」です。これは、単に海外の遊び方を知ったという意味ではありません。これを学べて、自分の根幹となる部分がとても強くなりました。自分でも、言葉で言い表すことのできない部分の成長を実感することができ、とても心が満ち足りました。しかし、これで満足せず、これからも日々を邁進していきたいと存じます。




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長期留学報告(コー大学 イヒネ イディアケ)

 アメリカで過ごした楽しい時間

私は2016年の8月5日に、アメリカのアイオワ州に行きました。シカゴからアイオワに乗り換える空港では色々な人種の方たちがいて、日本にいる時とはまた違った雰囲気を感じられました。自分が外国人であるということを知っているものの、アメリカではあまりそれは感じませんでした。

シーダーラピッツ空港に着いた時に、ESLの先生として働いているロッドさんという方が、娘と一緒に待っていました。初めて会った時に温かく出迎えてくれて、とても嬉しかったです。空港から学校に向かう途中に見た、外の景色は綺麗でした。道路の幅が日本に比べてとても広く、アメリカ領土はやっぱり広いなと感じさせられました。

学校に着いてESLのアドバイザーのアナさんに会いました。最初のアナさんの印象としては、とても優しい人だなと感じました。着いて早々アナさんが、みんながお腹を空いていると思って、サンドイッチとジュースを注文してくれました。注文が届いて食べ物を見てみると、サイズが日本とは比べ物にならないくらい、とても大きく、最初はびっくりしました。しかし、美味しかったので、全部食べました。

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次の日に夏の研修が始まり、最初は課題の量に圧倒されて、寝る時間を削って毎日行いました。研修中に受けた授業の中で、リーディングの授業では、記事を読んでみんなでディスカッションをする、というのが一番楽しかったです。

一つの研修が終わって、次はコー大学に入学するオリエンテーションに参加しました。そこでも、カヌーのイベントに参加したりしました。次に、インターナショナルのオリエンテーションに参加しました。このオリエンテーションでは、様々な国から集まった人たちと交流しました。

8月24日に、正式に学校が始まりました。朝はとてもワクワクした気持ちで、いつもより少し早く起きました。寮から授業のクラスに向かう途中、沢山のリスを見ました。ESLの授業では、先生方はみんな優しくて、丁寧に一つずつ分かりやすく教えてくれました。月曜日から金曜日まで授業があり、日本とはカリキュラムが違って、一つの授業が週2,3回あります。

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授業以外の課外活動としては、コー大学では毎週金曜日にイベントが開催されます。ムービーナイト、ブラインドスポット、ボーリング、アイススケートなど、様々なイベントが開かれます。

その他の大きなイベントとしては、インターナショナルクラブ主催のカルチャーショーと、インターナショナルバンクウェットがあります。この2つのイベントでは、様々な国の文化をみんなに紹介します。

また、10月に行われたカルチャーショーでは、ナイジェリアの民族衣装を着ました。日本では絶対着る機会がないと思うので、とても良い経験になりました。印象に残っているショーの一つとしては、アフリカのレゲエダンスがとてもパワフルで、ダンサー達がみんなキレキレだったので、とてもそれが心に残っています。

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その他のイベントでは、インターナショナルクラブの活動の一環で、2泊3日のシカゴトリップに行きました。アイオワからシカゴまで、バスで約4時間かけて行きました。このイベントでは、25ドル払って宿泊費・交通費・朝ご飯込なので、大変お得でした。

シカゴでは、名古屋学院大学に留学しに来た留学生とも会いました。みんな元気そうだったので、良かったです。その後に、みんなでシカゴピザを食べました。ピザは美味しいですが、とても分厚いので食べるのが大変でした。ぜひ、家族や兄弟に食べさせてあげたいなと思いました。

その後のイベントでは、サンクスギビングでは、コーで出会った友達の実家であるシカゴの家に行きました。友達はメキシコ人だったので、家の中ではスペイン語が飛び交っていました。アメリカのサンクスギビングシーズンでは、blackフライデーあります。私はこのblackフライデーで、沢山の服を買いました。買ったものは全て80パーセントオフ以上だったので、とてもお得な買い物ができました。日本にはない文化なので、このような催しがあったらいいなと感じました。サンクスギビング当日は、友達の親戚が家に沢山集まって、お祝いをしました。毎回食べ物を食べるたびに、友達のお父さんから「沢山食べてね。」と言われたので、愛を感じました。

サンクスギビング後には、学校全体がテスト週間に入りました。残り2週間を終えて、1学期目が終了しました。

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ウィンターブレイクでは、テネシー州のメンフィスに行きました。名古屋学院大学に来た留学生の家に泊めさせていただきました。そこでは、薪わりを体験しました。あまり上手く出来ませんでしたが、良い経験になりました。メンフィス大学にも行きました。ここでもNGUにきた留学生達に会いました。1年ぶりに会ったので、みんな勇ましくなっていました。

メンフィスの後、ノックスビルにある親戚の家に行きました。そこでは、初めてアメリカにいる叔母さんに会ったので、感動しました。家の中で子供たちと一緒にゲームをするなど、楽しい時間を共有しました。

ウィンターブレイクが終わり、2学期目に入りました。前期に比べるとレギュラーの授業がメインとなり、大変な学期でした。しかし、友達やESLのアドバイザーにいつも助けてもらっていたので、何とか授業にはついていくことが出来ました。

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授業以外の課外活動では、キリスト教クラブに入りました。毎週火曜日の夜9時からアッパーゲージという所で、クラブのみんなと聖書のある章をピックアップして、みんなでディッスカッションをします。アメリカでキリスト教について学ぶときは、自分の日頃の生活と照らし合わせて学べるので、とても効果的です。前期と後期でカンファレンスに3度行かせていただきました。アメリカで教会やキリスト教に関するカンファレンスに参加すると、子供から大人までいるので、日本とはまた違った雰囲気を楽しめます。日本とアメリカの教会を比べると、人のテンションの高さが違うので、最初は慣れませんでしたが、何回も参加している段々と、慣れていきました。カンファレンスに参加して、色々な人との人脈も増えたので、良かったです。こういう経験を通して、今まで自分の中でなかった考え方や物の見方が変わったので、貴重な経験ができて良かったです。

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長期留学報告(華東師範大学 古殿 麻衣)

中国行ったら見える世界が変わった!

2016年9月初旬から2017年6月末まで約1年間、長期交換留学生として中国・上海にある華東師範大学で語学留学をしました。私にとってこの中国での約1年の留学生活は非常に有意義なものであり、自分を今までにないほど大きく成長させた1年であったと思います。

留学を終えた今だからこそ、留学前の自分はあきらかに準備不足だったなと後悔しています。「大学での中国語の講義の評価がすべてS評価だし、現地に行けばすぐに話せるようになって中国人の友達もたくさんできて、充実した留学生活が送ることが出来るのだろうな」と気楽に考えていました。今振り返れば、自分の中国語の力を過信し過ぎていたなと思います。留学初日、中国に着いてすぐにそれを痛感しました。大学の講義で習ったはずの単語や文法が、はじめのうちは現地では驚くほど出てこなかったし、初日に空港に迎えに来てくれた華東師範大学の有志の学生スタッフさんたちが話している中国語は、全く聞き取ることが出来ませんでした。自分が日本で身に付けたと思っていた中国語が、実際には全く身に付いていなかったのだと、留学初日にして天狗になっていた鼻をへし折られ、後悔と反省からスタートした留学生活でした。

時間が十分にあるなら、例えば現地で何年も暮らすということなら、「現地に行けば話せるようになる」も間違いではないと思います。ただ、約1年という限られた時間しかないことを考えたら、「留学は留学前にきちんと勉強して、基礎、土台がある人が行くもの」だと思いました。土台がある人とない人では、スタートラインの違いはその後の努力で縮めることは出来ても、0にはできないと思いました。考えてみれば当たり前のことです。何も分からないまま、自分の本当の実力を知らないまま留学してしまったら、語学力の伸びるスピードに圧倒的な差が生まれるのは当然です。

しかし、留学を終え帰国して留学生活を振り返ると、「充実していた!」と胸を張って言うことが出来ます。それは、現地で悔しい思いをしながら必死に勉強して、留学前の準備不足という反省と後悔をうまくバネにできたからこそ言えるのだろうと思います。始めは、教科書と中国で購入した参考書を使って自分一人で勉強していましたが、話す力が身につかないことに気づいて、大学内の食堂や運動場で自分から中国人の学生に話しかけるなど、あんなに工夫して自分で考えて自分から進んで勉強をしたのは初めてだったと思います。一般的には世界共通語は英語と言われています。当たり前だけど、英語話者はもちろん世界中にいます。しかし、中国語話者もまた世界中にいるのです。それは中国語を母国語とする人ももちろん、華僑として世界中で暮らしている中華系の人々、そして私のように中国語を第二、第三言語として学んでいる人々も含まれます。

留学前、私は「英語は出来ないし、世界中の人と話すなんて無理」「英語が全て」だと思っていました。でも英語に限らず、どの言語でも、その言語を話す人や学ぶ人がいるなら、世界中と繋がりを作ることが出来るのだと、留学をして分かりました。留学をしていなかったら、私は世界中に繋がりを持つことが出来ませんでした。きっと、知り合うことも関わることもなかったであろう国や地域の人々と、繋がることが出来たのです。これは、留学生活で1番大きな収穫だと思います。行きたい国が増えて、その国について知りたいという探求心も湧きました。視野が広がるって、こういうことを言うのだろうなと、今までに味わったことのない感覚を、確かに感じることが出来ました。この感覚が確かにあったからこそ、約1年間モチベーションを保って勉強することが出来たのだと思います。それに加えて、一緒に勉強したクラスメイトや先生方、そして中国人の友人たちには、感謝の気持ちでいっぱいです。中国語を話す訓練が出来たのは、彼らがいたからです。留学が終わっても、連絡を取り続けたいと思える人たちばかりです。約1年という短い時間の中で、素敵な出会いがたくさんありました。そして良い刺激をたくさんもらうことが出来ました。自慢のクラスメイトであり友人です。「あなたと知り合ったから日本に行きたくなった!」と言ってくれた人もいます。私も彼らが住む国に行きたいと思っているし、恩返しが出来たらいいなと思います。中国語をもっと学んで、彼らともっとコミュニケーションが取れるようにと思っています。

留学先で、また帰国してからも必ず聞かれることがあります。それは「なぜ中国を、そして、なぜ中国語を勉強することを選んだのか」という質問です。何度も考えさせられましたが、最終的に私がたどり着いた中国をそして中国語を選んだ理由、それは「中国という国に興味があるから」です。中国の歴史、文化、政治、経済、どれも興味深いなと思います。また、日本で報道される中国と実際の中国の姿には、どれほど違いがあるのかについてはずっと疑問に思っていることです。テレビのニュースやネットニュースを見ていても、「中国」という文字を目にしない日はない昨今の世界情勢。今、中国語を学ぶのは、世界を知るきっかけになると私は思っています。だからこそ、中国という国を選び、中国語を選びました。「中国語を更に学び、中国を学ぶこと。そして世界を知ること。」これが私の留学後の目標です。

今、私はやっと中国語を専攻としている学生、例えば中国語学部や中国語学科の人たちと、同じラインに来ることが出来たところだと思っています。やっと互角に戦えるというか、「中国語を学んでいます!」と言えるところまで来ることが出来たと思っています。しかし、それでもまだ中国語が不自由なく話せるかと言われたら、自信をもってイエスと言えないのが正直な気持ちです。わたしの留学生活は終わりました。でも、留学生活で得た経験や知識を生かすも殺すも、自分自身だと思います。帰国してからは、中国語を聞いたり話したり読んだりする機会は自分で作らないといけなくなりました。帰国後もできるだけ毎日、中国のテレビ番組やドラマを見たり、時間を取ることが出来れば中国人の友人と電話をしたり、中国語に触れることが出来る環境を作っています。帰国直前の自分自身の中国語のレベルより落ちてしまう事がないように、中国で必死に勉強した時のことを思い出しながら過ごしています。留学の前半は、時間がかかって仕方がなかった中国語でネットニュースを見ることも、以前の半分以下の時間でその記事を理解することが出来るようになり、毎日少しずつですが、自分の中国語を確実に伸ばすことが出来ていると思います。これを今以上の質にして、これを続けていけば、留学後の目標として掲げた「中国語を更に学び、中国を学ぶこと。そして世界を知ること。」この目標もまた、少しずつ出来てくると思います。先にも述べたように、留学で得たものを生かすも殺すも自分次第です。これからどうすべきなのか、どのように中国語や中国と向き合っていくのか、それもしっかり頭に入れておくと同時に、自分の専攻である国際協力についても考えながら、日々新しい学びが出来るようにしていきたいと思います。

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長期留学報告(北京語言大学 高橋 美帆)

長くて短い一年間

私は一年間、公費交換留学生として北京語言大学に留学しました。元々中国に興味があり、ずっと留学をしたいと思っていました。そのため、一年間の留学が決まった時は、本当に嬉しかったです。しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。大学に入って一から中国語を始めたこともあり、簡単なように見えて中国語は難しく大変でした。留学が決まり、更に勉強に力を入れましたが、完全に力不足でした。中国に着いたばかりのとき、あんなに勉強したのに、とても簡単な中国語ですら何も分からなくて、今までの勉強は何だったのだろう...と本当にショックでした。そのため最初の半年は、半年留学する同級生二人が居たので、とても心強かったです。今はもうほとんど慣れましたが、中国人の接客態度、言葉は結構きついです。来たばかりの時、とてもたくさんの手続きをしなければいけませんでした。そのため学校内、また学校の外にまで色々しに行きましたが、ゆっくり話してもらっても聞き取れない自分にイライラと悔しさ、中国語が全く出来ない外国人と分かっていながらの態度の冷たさなどから、もう手続きの段階から心は完全に折れ、私は本当にここでやっていけるだろうか、ましてや一緒に来た二人のように半年ではなく一年を選んでしまったから、残り半年私は一人で生きていけるのだろうか、私はまだ留学するのには早かったのではないか、ここに居てはいけないのではないかなどと思いました。今まで海外旅行にはよく行っていたし、三週間ほどオーストラリアにホームステイしたこともあったけど、ホームシックになったことはありませんでした。しかし、今回初めてホームシックになりました。泣きながら親と電話しました。元々泣くつもりはなかったし、ただの状況報告として電話しただけなのに、気が付いたら号泣していました。友達とも電話をしましたが、やはり懐かしさや安心感から号泣してしまいました。ルームメイトには恵まれていて、私が泣きながら電話をしていたら、私も来たばかりの時は同じような感じだったよ、などと日本語で書かれた手紙と、目を冷やしてとパックをくれました。本当に嬉しかったです。

学習面では苦労しました。新学期に入って授業が始まり、このように授業が行われると分かってはいましたが、全て中国語、たまに英語で行われる授業は、中国語はまだろくにできない、英語は全く出来ない私にとっては地獄のようなものに感じました。ステップアップをしたいのなら、クラスは高めを選んだほうが良いと色んな人に言われましたが、私は耐え切れず一つ下に落としました。一つ下に落としたとはいえ、簡単になったのではなく、私はちょうどいいと感じたし、無事単位もとることが出来たので、最終的にはそうして良かったと思いました。

前期は初級だったので、後期は中級に上がりました。どうせ分からないので、私からしたら問題はありませんが、初級の時の先生は中国語で言ってもまだ理解しにくい説明を英語でしてくれていましたが、中級はそうでもなくほとんど全部中国語でした。そして、やはり話すスピードも速くなりました。個人的にはまだ中級のレベルではないのではないか、初級の中でもクラスを一つ下げたのに、本当に大丈夫だろうかと心配でしたが、初級の単位が取れたのなら中級に行くのが条件だったので、選択肢はありませんでした。先生が優しく、何とか後期も全て単位をとることが出来て良かったです。

生活面では色んな体験をすることができ、楽しかったです。私は中国にいる間、上海、山東省、内モンゴル、大連、天津に行きました。上海では、日本の友達がわざわざ中国に来てくれて、念願だった上海ディズニーに行くことが出来て嬉しかったです。内モンゴルには、旅行とボランティアで二回行きました。一回目に旅行で行き、砂漠に行くなど貴重な経験がたくさんでき楽しかったのですが、砂漠が思った以上に過酷で、もう一度モンゴルに行くのは良いけど、砂漠には行きたくないと思っていました。しかし、モンゴルの砂漠に木を植える植林ボランティアを友達に誘われ、また行くことになりました。最後まで行くのを迷いましたが、このボランティアは日中韓の3カ国の人たちで行われるという事、植林なんてそうそうしない体験だからきっと貴重な体験になるということ、もともと中韓で行われていて今回初めて日中韓に変わったため、日本人は全て無料ということから、参加を決めました。やはり砂漠は過酷だったし、旅行の時は春の始めで寒かったですが、ボランティアの時はもうすぐ夏の時で、暑くて正直より辛かったです。ですが、日本のことが好きな韓国人や中国人もたくさんいる中でのボランティアで、とても嬉しかったです。最後のパーティーも楽しく、最終的には行って良かったなって思うことが出来ました。天津も二回行き、一回目は一緒に留学した友達に会いに遊びに行きました。二回目は北京から近いので、学校の行事でクラスのみんなと行きました。山東省へは半年留学の友達と、その子の最後の旅行として行きました。半年間、本当にお世話になったし、帰ってしまうのが本当に寂しかったです。大連は私の最後の旅行として行きました。大連は日本と繋がりがあったりして、地下鉄で日本語のアナウンスが流れたりしたため、なんだか嬉しかったです。夏だったので海を見に行けたり、美味しい海鮮を食べることが出来たり、良い最後の思い出になりました。 

旅行以外のイベントだと、冬休みに十日間ほど、中国語を勉強する日本人と日本語を勉強する中国人と泊まり込みで勉強したりする合宿に参加しました。これは本当に貴重な体験となりました。たくさんの中国人と知り合うことも出来たし、日本大使館で日本人は中国語、中国人は日本語のスピーチ大会をするという貴重な体験をする事が出来ました。十人と一つの部屋で生活をするシステムだったり、設備がそんなに良くなかったり、正直大変なことがたくさんありましたが、日本語を一生懸命勉強する中国人に、たくさん刺激をもらうことが出来ました。その他には様々な交流会もあり、中国人の友達もでき、ご飯に行ったりして楽しかったです。友達の紹介で、語学スクールにも少し通っていました。宿題とかもあり通うのは大変かなと思いましたが、会話力が本当に低く、その向上のためにも通ってみてもいいのではと思い行くことにしました。そこの先生達は学生も多く、歳も近い人もいたため親しみやすく、会話も合うので楽しかったです。発音も教えてくれて、中国語は発音がとても大事なので学ぶことが出来て良かったです。

ハプニングの面では、携帯を学校ですられてしまったことが一番でした。海外は危険というのは良く分かっていたし、注意をしてはいたものの、だんだん生活にも慣れてきてやはり油断をしてしました。しかし、外ではなく学校のエスカレーターですられたことにはよりショックでした。この事件以降、大きなトラブルは無かったし、私は一回も病院に行くような大きな病気や怪我をしなかったので、良かったです。

今回留学をしてみて、学んだことが本当に沢山あるなと思いました。私は実家住まいなので、初めて自分のことを全て自分でしたりして、親のありがたさをとても感じました。留学を経て、もともと中国の文化が大好きな私はたくさん満喫する事が出来たし、ご飯も私の口にはとても合うので、毎日美味しいご飯を食べることができ、おかげで8キロも太ってしまいました。中国というか、韓国人留学生が多いことも関係しているのか、私の学校の周りは韓国料理屋さんも沢山あるなど、韓国に繋がりがある店が多く、韓国も大好きな私はすごく嬉しかったです。日本料理屋さんもちらほらありましたが、私はそんなに日本料理が恋しくならなかったのでそんなに行きませんでしたが、行くと中国ではありますが、他の料理の飲食店よりおもてなしがあり、日本っていいなと感じました。また私の学校は本当に色んな国の留学生が多いことから、中国文化以外の様々な文化を学ぶことが出来たため、それもまた良かったです。日本を離れてみて、改めて日本についてどんな国か考えることが出来ました。中国は日本人から見ると、やはりイメージがあまり良くないと思います。実際私の友達や親も、そんなに中国に良いイメージを持っていません。私自身も中国は好きですが、とても良いイメージを持っているわけではありませんでした。しかし、今回実際に1年間暮らしてみて、中国人に対するイメージは変わりました。そして、日本人に対するイメージも変わりました。私自身も日本人であるため、やはり日本は良い国、日本人は良い人ばかり、そんな良いイメージばかり持っていましたが、正直全て良い国というわけではないと思います。悪いところもよく見ればあるなと思いました。中国人は親切な人やフレンドリーな人結構が多いです。中国に良いイメージは持っていないけど、中国に遊びに来た友達は、思った以上に中国は良い所!思った以上に中国人は良い人!と言ってくれて嬉しかったです。そんなこともあり、日本人には中国の良さを、中国人には日本の良さを、もっと知ってもらいたいとより強く思いました。その気持ちを将来に繋げていこうと思いました。

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中期留学報告(北京語言大学 中村 那由美)

変化と学び

私はこの留学を通して、本当に多くのことを経験し、たくさんのことを学びました。言語が違うだけで、こんなにも他人とコミュニケーションをとるのが大変で、自分の意思を伝えることはこんなにも難しいのだと思わされました。しかしその反面、言語が違うのに冗談を言い合う、文化も生活習慣も母国語も異なる友達と笑い合うことができるなんて、言語は私たちに本当に多くの影響をもたらしてくれると、私はこの留学を通して感じました。初めて中国に来たときは、学校まで自分達で行かなくてはならず、学校に到着後もどうすればいいの分かりませんでした。ですが、北京語言大学に行ったのが三人だったので心強かったです。

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この留学で自分自身ちょっと成長できたと思える部分がありました。優柔不断な性格の私は、何を決めるにも深く考えてしまったり、他人の意見を聞いてしまう人間なので、中国語のクラスを決めるときも、初級にするか中級にするか泣きながら親に相談するくらいでした。ですが、私はこの半年で、その優柔不断という自分の性格が結構改善されたのではないかなと思います。なぜなら、中国人はとてもせっかちで買い物に行ったり屋台で食べ物を買うときに、私は一通り見たいのに「これいいよ!買う?買わない?」とすぐに返事をほしがるので、最初は戸惑いましたが半年もすれば慣れたもんで、自分でもびっくりするくらい即決して買い物などができるようになったからです。

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授業が始まったときは緊張していたということもあり、分からないことがあっても恥ずかしくて先生に聞くことができなかったのですが、慣れてくると分からないことは先生に聞けるようになったし、自分から発言できるようになりました。また、授業が始まったときに勉強したところは、その当時あまり文法の意味などが理解できていませんでしたが、期末テストの勉強で復習したとき以前学んだ内容が簡単に理解できて、自分の語学力が少しでも上がっているのかな!?と思い、本当に嬉しかったです。

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私のルームメイトは韓国人の一個上のお姉さんで、とても優しく、なによりも私たちは性格がとても似ていてので、半年間とても楽しく、とても良い関係を築くことができたと思います。時に一緒に麻辣烫を食べに行ったり、ルームメイトの友達と何人かでメキシコ料理を食べに行ったり、夜遅くまで韓国と日本の価値観の違いについて話したり恋バナをしたりして、私はこの半年ルームメイトに恵まれていたなと、今とても実感しています。また、私が風邪を引いているときはたくさん食べ物をくれてたり、私が授業で悩んでいる時は親身になって相談に乗ってくれたり、ルームメイトには感謝してもしきれません。

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私はこの留学生活の中で印象に残っていることがいくつかあります。その中でも、中国の農村地域にボランティアに行ったこと、語学合宿、山東省に行ったことが特に印象に残っています。

農村ボランティアは北京郊外にある農村地域の小学校に行って、小学生に日本語を教えたり日本の生活について教えたりするもので、中国は農村地域と都市の差が激しいと聞いてきましたが、どのように違うのか自分の目で確かめてみたいと思い、また、農村の小学生と都市の小学生はどう違うのか、生活はどう違うのか気になり、参加することに決めました。

着いた時に最初に思ったことは、もちろん周りは山しかなく高い建物など一つもありませんが、屋台やスーパーなどが結構あって、生活にはそこまで困ってなさそうだなということです。初日は校庭で三チームに分かれて、色んなゲームなどをしました。日本人も小学生も緊張していてなかなかコミュニケーションが取れなかったですが、始まるとそれがうそみたいにみんな笑顔で白熱した試合が繰り広げられ、なんと私たちのチームが優勝して、とても嬉しかったです。二日目は室内遊びをしました。農村の小学生は本当に元気で、どんなことにも興味を持ってくれるので、日本語や折り紙、けん玉を教えてあげました。とても楽しそうに取り組んでくれて、分からなかったら「お姉ちゃん!」と呼んで聞いてくるので、とても可愛くて教えているこちらも楽しめました。最後に小学生のみんなにアンケートを書いてもらったのですが、多くの学生が"日本人と触れ合ってみてどうでしたか?"という質問に対して、「テレビで見たイメージと違って、みんなとても優しくて楽しかった」「テレビのニュースと印象が違った」など、最初はやはり日本に対するマイナスのイメージがありとても悲しくなりましたが、私たちがそのような障害を少しでも取り除くくことができたらいいなと、このボランティアを通して思いました。

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語学合宿は北京市内で行われ、10日間中国人とともに授業に出たり、一緒の部屋で共同生活を送ったりするものでした。私は10人部屋だったのですが私以外は中国人で、最初部屋に入った瞬間、みんなの視線に耐えられえませんでした。でも私がベットに行くとみんなすぐに声をかけてくれて、そこからはもうずっとしゃべっていました。9人とも重慶、湖南省、河南省、広東省など北京外の色んなところから来ていて、毎日一緒にご飯を食べて授業を受け、帰ってきたらみんなで日本語と中国語を使いながらおしゃべりして、同じ時間に寝て同じ時間に起きる。聞いてるだけだと毎日一緒は辛いと思うかもしれませんがそんなことはなく、この時間が終わってしまうのがとても名残惜しかったです。9人とは、また機会があったら誰かのおうちみんなで泊まりで遊びに行きたいと話しています。

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また、二月には山東省に2泊3日で旅行に行きました。もともと四川省に行きたかったのですが、予算の関係で山東省に決めました。山東省は青島があるところで、孔子さんの故郷である曲阜市という所があることで有名です。私たちはその曲阜市と、中国人は一度は登ってみたいという泰山を目的に行きました。曲阜では孔子にまつわる所をめぐり、孔子の一族が住んでいた家やお墓、孔子の神霊を祭る霊所(合わせて三孔と呼ばれている)に行き、孔子の生活に触れてきました。泰山は外国人がおらず、ほとんど中国人でした。泰山はバスとロープウェイがあれば行けるのですが、とても神聖な場所なので、さすがに歩いて行きたいという話になり、バスもロープウェイも使わず登ることに決めました。

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 正直余裕で登り切ることができると思っていましたが、いざ登ってみるとなかなか急で最初は二人とも話しながら登っていたのですが、後半は無言で登りました。中間地点に休憩所がありそこで休み、そこからはロープウェイで頂上まで行くことができ、正直二人とも相当疲れていたためロープウェイに乗ろうという空気だったのですが、せっかく中間まで頑張って登ってきて、ここでロープウェイを使うのは負けだなと思い頑張って6時間かけて登り切りました。頂上前の、後ろを向いたら落ちてしまいそうな1600ものとても急な階段が怖かったので、その階段を登りきり頂上に着いた時は本当に嬉しくて、今までにないくらい達成感を味わうことができ、中間地点で本当にロープウェイに乗らなくてよかったと思いました。泰山は日本人には有名な所ではないけど、この経験はきっと自慢できると思いました。

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この半年で泰山や北京市内の世界遺産をたくさん周り、あらためて中国は広くてとても歴史が長く、その歴史によって日本人の書く漢字や生活が成り立っていると思うと、とても感慨深かったです。

私はこの留学で、中国文化に触れることができ、中国人の友達はもちろん、トルコやインドネシア、韓国の友達もできて本当に嬉しくて、この友達も思い出も一生忘れることはなく、全て私の宝物です。、また、留学を経験して国際的なことにもっと興味がわき、色んな国に自分で行って、自分の目で世界の文化を知りたいと思いました。留学を通して自分の価値観が変わり、物事をもっと視野を広げて見ることができるようになったと思います。半年でしたが、本当に多くのことを学び吸収することができました。ありがとうございました。

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中期留学報告(北京語言大学 勝野 忍)

中国での生活

当初一人で中国に行く予定でしたが、当日名古屋学院大学から同じ北京語言大学に留学する女子二人とたまたま会い、同じ便だったので学校まで一緒に行動することにしました。青島での乗り換えや学校までのタクシーの手配など分からないことがあって不安でしたが、3人で考えながら行動したり教えあったりできたので、一人よりも心強くて良かったなと思いました。一人でも何でも挑戦してみようと思っていましたが、初めての海外留学、留学先が同じ人がいて本当に助かりました。

大学に着いてからは最初の手続きでとても苦労しました。気になっていた授業の選択についてですが、先生が一人いて中国語の学習歴を聞かれます。そして何種類か教科書があり、先生が指定した教科書をどこまで読めるか聞かれ、クラス分けされました。

後日授業が始まる前に、日本人留学生向きにオリエンテーションを開いてくれ、その中で留学生活について教えてくれました。日本人のスタッフさんもいて分からないことは聞けば優しく教えてくれ、学校生活での不安はすぐに無くなりました。

授業ですが、基本的に1クラス20人ほどで構成されていて、その全てが外国人留学生です。メジャーな国はほぼ全て居るといってもいいと思います。パキスタン人と韓国人がクラスにも宿舎にも多いように感じました。クラスによっては十数人パキスタン人ということもあるようで、パキスタン人がなぜか多いなと感じました。各国の方々は年齢も職種もバラバラで、学生はもちろん現役CAから医者の方までいらっしゃいました。基本どの国の人も母国語と同じくらいに英語が話せていて、理由を聞くと「英語も学校で習うから。」との回答が多かったのですが、「え?日本も習うのに・・・(笑)」と思いました。日本やアジア圏を除き、英語を話せる国々の方は比較的容易にコミュニケーションが取れ、友達もすぐ作れているように感じました。とても羨ましかったです。僕はそのあとカタコトの中国語で会話ができるイタリア人とタイ人の友達と仲良くなることができて、留学最後までその友達といつも一緒に居ました。

クラスの皆さんはさすがに中国語を勉強にしに来ているだけあって、積極的に授業に参加していました。自分で文を作って先生に質疑するなど、中国語を学ぶ姿勢に驚かされました。また、どのクラスの先生方も優しく親切で、まさに神です。授業内容は、ゆっくりした中国語で例を出して説明してくれるので、分かりやすいです。教科書の英語が分からなくても、先生の説明を聞けば理解できるので本当に助かります。それでも分からないところは、授業中でも授業後でも質問をしに行けます。

食事は、学内に大きな食堂がありものすごく安く食べられておいしいので、ほぼ毎日のように毎食食堂に行って食べていました。

しばらく経つと一人でタクシーに乗り、買い物に行けるようになりました。なんといっても道路が四車線あったりして車の量が多いし、自分が気を付けないとガチで引かれます。クラクションが鳴りまくるのは当たり前で慣れました。お店にある値札がない服や靴、装飾品などは普通に値切りまくれるので、結構おもしろいです。ですが、外を歩き宿舎に返ってくると、髪の毛がワックスをつけたかのようにベタベタします。お風呂で二回シャンプーしたりします。学校から出た時特にひどいので、原因としてpm2.5というか交通量が多くて、普通に大気汚染のせいだと思います。

10月入ってすぐに、中国全体で一週間くらいのお休みがあったので、私は北京に留学に来ていますが、南の方の蘇州に遊びにいきました。ピンインが打てなくて漢字が打てないのですが、一人で新幹線?電車?みたいなものに乗りました。5時間くらい乗ったのですが、中国人の友達が言うには、中国は広くちょっと離れたとこに行くのに5時間座るのは全く普通だそうです。人がものすごく多くて迷子になりそうになったり、自分の座る席が分からなかったり、そもそもチケットどこでどう買うの?とパニックになりましたが、そこらへんにいる中国人に聞いたり乗務員に聞いたりして、なんとか行けました。あとは帰り道で駅から学校までタクシーに乗ろうと思い、優しいお兄さんに声をかけられ乗った車にメーターがなく不思議に思いましたが、あまりに会話中優しく中国人でもとても優しい人がいるのだと思っていたら、降りる時に行きの3倍くらいお金を請求され、初めてぼったくりに遭いました。そのこともあってなかなか疲れて、本当にしんどかったです。一人で挑戦だと思いましたが、できたら一人で遠くに旅行をするのは遠慮した方がいいと思います。

授業の方は、聞いていてちょっと分からないところはすぐに先生に聞いたり授業後に聞きに行ったりして、極力分からないまま放置しないようにしました。レベルとしては簡単すぎず難しすぎず、ちょうどいいと思います。日本のLINEでいうトークグループのようなものが中国版SNSであり、中には先生やクラスメイトがいて冗談を言い合ったり、分からないことを聞いたり教えたりと、雰囲気はとても良いと思います。いろんな国の人が居るし、性格も個性的な人ばっかりで面白いです。

仲良くなった友達と授業後の帰り道などで、その日に出てきた文法や単語を使って会話したりして、「え?また忘れたの?あなたは毎日ちゃんと復習するべきだよ(笑)」などと言われました。一日の復習や会話練習を楽しくできるし、土日になると早く月曜日にならないかなと、授業に出てクラスメイトに会えるのが楽しみでした。

中期考査が近づくと、学校の図書館へ行っていました。図書館は広く自習室があり、夜10時まで空いていてとても便利です。ですが中にはとてもたくさんの中国人がいつも座っているし、座ってなくてもカバンは置いてあるし、席を確保するのがなかなか難しかったです。10時ギリギリまで普通に人がいっぱいなこともあります。ここで感じることですが、すごくこの大学の人達は勉強熱心だなと思いました。勉強いたい!だけど宿舎だと自習できないし、図書館も空いてない、という場合でも北京語言大学は深夜2時まで開店しているカフェが食堂にあって、そこ勉強できます。こちらは比較的留学生が多く使っています。

11月に入ってすぐ、中間テストのようなものがありました。内容は今までやってきた教科書の中から全て出てきました。試験の前の週に、先生から渡される復習プリントのようなものがあるので、科目によりますが、それをしっかりやれば満点近く取れると思います。気温と天気はすっかり冬で、日中の最高は5,6度、夜は-5,6度で、とても寒くなってきました。12月はどうなってしまうのか不安になりました。

学習面で心配するようなことは特にないのですが、後半になるにつれ生活面で結構苦労しました。私のルームメイトはパキスタン人なのですが、実は留学に来た当初から彼と私との生活習慣にかなりの不一致があり、とてもストレスでした。彼の食べ残しの放置でゴキブリが沸いて出てきたり、夜に電話や彼の友人を部屋に招き入れ喋るので寝不足にしょっちゅうなり、夜遅く寝て朝早く起きて、昼過ぎに帰り昼寝をしての繰り返しで、生活の規律がめちゃくちゃになってしまっていました。そこで部屋を変えたいと寮の係員?に言いに行きましたが、「この日に空くかもしれない。まだ分からないからその日に来てくれ。」と繰り返して一向に変えられず頭が痛かったです。

学校行事としては、クラスでバスに乗って伝統のあるお茶館に行きました。そこではお茶を飲みヒマワリの種を食べながら、中国の文化特有のお面がコロコロ変わる伝統芸能や、お茶を色々な体勢で高いところから注ぐなど、様々な芸を観ることができました。

また、11月11日は中国でインターネット上の大半の商品がかなり値下げされる日なので、ネットでたくさん冬の服や中国でしか食べられないようなお菓子を買ったりして、楽しかったです。次の日に聞けば、周りの友達はもちろん、先生もその日はネットでたくさん物を買ったという話を聞いて面白かったです。

12月に入って本格的に寒くなってきました。もう留学生活も終盤になってきました。学習面では12月後半から1月前半にかけて最後のテストがあるので、それに向けて毎日少しずつ復習していました。1月の飛行機のチケットの買い方が分からなかったのですが、クラスの友達にネットでの買い方を教えてもらって無事に買うことができました。留学最後の日、いつも仲良くしてくれていた友達と、涙ぐみながらお別れの言葉を言い合って別れました。日本に絶対行くからと言ってくれたので、その時は案内すると約束しました。今でもたまに連絡を取っていて、友達が日本に来るのを楽しみにしています。中国生活良い事ばかりではなかったですが、自分を成長させる上で本当に良い経験ができたと心から思っています。

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中期留学報告(東義大学 都筑 彩香)

釜山

私は8月の終わりから12月まで釜山の東義大学に留学していました。今まで何度かソウルには行ったことがあったのですが、釜山は初めてでした。空港に着くと、韓国人の学生が迎えに来てくれました。中国人の留学生がとても多く、迎えに来てくれている韓国人も中国語が話せる人たちばかりだったので、中国に来たかのように中国語しか聞こえなかったのでとても不安になりました。

留学生の名簿をもらい見たら、今回夏から来た日本人は私を含めて2人しかいませんでした。最初の方はまだ韓国語でちゃんと会話もできない状態だったので、友達がなかなかできませんでした。9月になり韓国語のクラス分けのレベルテストがあり、テストを受けた次の日から授業が始まりました。中国人だけのクラスもありましたが、私のクラスはとても多国籍で中国、台湾、フランス、インドネシア、パキスタン、ルワンダ、日本の人がいました。最初の方は授業についていくのが大変でした。でもだんだんクラスメイトとも会話が増え、授業も楽しく受けられるようになっていきました。韓国の学生はテストが近づくといつもよりもとても長い時間勉強します。寮にいた韓国人の人も夜遅くまで勉強しているのをたくさん見ました。毎週月曜日に部屋の点呼が行われるのですが、テストが始まる1週間前の点呼時は夜食が配られました。

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 韓国は、日本と比べて上下関係がとってもしっかりしていて、朝会ったら知り合いでなくても挨拶をしたり、大学の先生だけではなく先輩に尊敬語を使ったりしていました。

 この留学で日本のことを客観的に見て、日本のことをたくさん知ることができたと思います。韓国ではほとんどない地震が起こった時、震度3くらいの地震だったのですが、他の国の学生はとても怖がっていて日本の学生だけが冷静でした。建物もひびが入ったりガラスが全部割れたり、日本の地震の強さを感じました。

もう1つは、韓国語の授業の時、1番きれいだと思う国はどこか、また、どこに旅行に行きたいかと先生が質問したところ、日本に手を挙げた学生がたくさんいて、日本は世界から人気がある国なんだと、自分が日本人なのが誇らしくなりました。景色だけではなくトイレなどがきれいで感動したとも言っていました。

 9月の中旬に秋夕(チュソク)という連休があり、台湾人の友達と遊びに行ったり、春から来ている日本人の留学生やチューターの人たちと遊びに行ったりしました。

10月になると釜山ワンアジアフェスティバルという、コンサートや展示会などが毎日開かれているイベントが約1か月開催され、その中のコンサートに3回行きました。日本でも韓国のアーティストのライブには行ったことがありましたが、本場韓国では同じアーティストのライブでも日本とは違った雰囲気で楽しむことができました。音楽番組の公開収録のライブにも行きました。その他にもアジアソングフェスティバルという、アジア各国からアーティストが来るコンサートにも行きました

 花火大会には台湾人の友達と行き、朝から場所取りをしました。どんどん人が増え、足の踏み場がないくらいでしたが、私たちは朝から行ったおかげで良い場所で見ることができました。

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 このくらいの時期になるとだいぶ韓国語にも慣れ、映画もだいたい内容を理解できるようになりました。韓国にいる間に映画館で5作品観ました。まだ完璧には理解することができなかったけれど、語学力の伸びを自分で感じることができて嬉しかったです。

 私の休みに合わせて両親も遊びに来てくれて、いろんなところを案内したり、釜山はソウルと比べて日本語ができる人が少ないので通訳したりすることができました。

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 勉強面では授業だけではなく、韓国人の人と連絡をしたり日本語ができないチューターの人たちとも遊んだりして、できるだけ韓国語を使うように心がけました。中国語を話す人が多かったため、集団でいるとそこではみんな中国語を使っていたので、個人的にたくさん話したりもしました。部屋にいる間は韓国の番組を見たり、よく聞いている音楽を聞いたりして勉強しました。1日1日分かることが増えていくのが楽しかったです。授業も毎日ではないですが宿題があり、1番大変だった宿題が教科書の文を暗記して動画に撮るというものでした。まず暗記するのが大変でしたが、噛まずに言うこともとても難しかったです。言うことができても動画なので口の使い方を気にしなければならないので、より大変でした。撮った動画を先生に送り、先生がアドバイスをくれたので自分の間違っていたところが分かって良かったです。また、中間テストや期末テストでも上位の方にいることができたのが嬉しかったです。チューターの人たちや留学生のみんなと韓服を着たり、スケートに行ったり楽しい思い出もたくさんできました。

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 約4か月間、知らない場所に来て知らない人たちと出会って慣れていくにつれ、いろんなことを学ぶことができ、自分を成長させることができた留学生活だったと思います。旅行とは違い、住んでみなくては分からないことがありました。楽しいことばかりでもありませんでしたが、韓国と日本の違いをたくさん知ることができたし、留学に来たから感じられることや体験できたこともたくさんありました。考え方も増えたと思います。何よりも自分は語学の勉強が好きなんだと確認することができました。これからも韓国語の勉強を続けていき、留学先で出会うことができた人たちとも、これからも関わっていけたらいいと思います。

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中期留学報告(天津外国語大学 白川 光)

初めての留学

私は昨年の2016年9月3日から中国の天津外国語大学という学校に、公費留学に行かせていただきました。タイトルにもあるように初めて海外留学を体験をし、半年という決して長くはない期間ですが、学べたことは多いと感じます。

留学する前は準備をする段階でつまずいてしまい、何を持って行ったら良いか分からず、キャリーケースの中がなかなか埋まらなくて友達に何を入れたのか調査したぐらいです。留学当日まで不安が拭えず、飛行機の中ではこれから留学先でやっていけるのかと、泣いてしまいそうになりながら考えていました。

留学先に到着し、大学の留学生専用の寮のラウンジのようなところで手続きをしている最中、次にする事が分からず突っ立っていたら、同じ名古屋学院大学の福田結香さんが丁度ラウンジに来て、私は彼女を見つけた瞬間、今までの不安と寂しさが一気にこみあげてきて、彼女に抱き着いてしまいました。それから、お互い来るまでにどんなことがあったか、どんな人がいたか等、世間話をしていたら、どうやら私の手続きが終わったようで部屋とルームメイトまで決まっていました。私の部屋は一番端の部屋で、ルームメイトはベルギーの女の子でした。ルームメイトは始めおとなしい女の子なのかなと思っていましたが、実はとてもフレンドリーで明るい子でした。母語はフランス語らしく、いつもフランス語を話すらしいのですが英語も話せる女の子で、もうすでに2ヵ国語話せるのに中国語も勉強するなんて、本当にすごいと思いました。残念ながら私は英語が得意ではないので、英語を使ってコミュニケーションを取ることはあまりできませんでしたが、私の下手な英語でも一生懸命聞き取って理解しようとしてくれる優しい子でした。その日は私もルームメイトも疲れており、すぐ就寝しました。次の日は授業がまだ始まらずフリーだったので、福田さんと外に出かけてみることにしました。福田さんは小さい頃に天津に住んでいたことがあるそうで私よりにも地理にずっと詳しかったので、ほとんど福田さんに任せっぱなしで散策し、日本と違うところを沢山発見し楽しかったです。その後数日間は必要品を買ったりして、学校が始まるのを待ちました。その後ようやく授業が始まり、クラスも決まっていきました。

私のクラスは、精読、閲読、口語、聴力という4種類でした。一週間の中で精読の授業が一番多く、授業内容は中国語版の国語のような授業でした。閲読はとにかく文章を読んで問題を解いていく授業で、口語は会話や相手とコミュニケーションを取る授業、聴力は字の通り聴く力を鍛えていく授業で、パソコンとヘッドホンを使った授業が中心でした。閲読はひたすら長い文章を読んでいくのですが、知らない漢字が多く、それらを調べながらだとだいぶ時間を取られてしまうので特に苦手でした。でも時間をかけた分だけ知らない漢字も知らない文法も身についたと感じます。

他にも、中国留学でしかできないような授業を沢山体験できて、クラスメイトの外国の人達ともコミュニケーションを取ることができました。例えば、精読の授業ではパワーポイントを使って故郷の四季について皆の前で発表するという課題が出ました。私は名簿のせいで一番初めに発表しなくてはならず、ひどく緊張しましたが、なんとか乗り切ることができました。パワーポイントの内容は、春夏秋冬の日本ならではのイベントや記念日の催し物等を紹介して、皆にできるだけ興味を持ってもらうもので、私は日本の富士山が映った綺麗な写真を選んだり、分かりやすい画像を載せてみたりしました。クラスメイトはとても優しく反応をしてくれたので、発表しやすかったです。

聴力の授業は、中国のネイティブ会話や曲を聞いて耳をどんどん慣れさせていく授業で、別の授業もそうですが、基本的にずっと中国語で授業なので、耳が中国語に慣れていくスピードが速かったように感じます。

授業内でゲームをしたりクイズを出したりとコミュニケーションを図る授業も多く、口語の授業では、くじを引きグループで出し物をする課題があり、私たちのグループは赤ずきんの劇をやることになり、誰がどの役をやる等の話し合いの時にすごく盛り上がって話が弾んだのを覚えています。私たちのグループは4人しかいなかったのですが配役が5人だったので、誰が兼ね役をやるかじゃんけんをしたところ、私が負けてナレーションとおばあちゃんの役をやることになってしまいました。当日まで皆で時間を合わせて何回か練習を重ね、ついに本番の日、私はおばあちゃんとナレーションの兼ね役なので、ナレーションとおばあちゃんのセリフが前後つながっているところだとナレーションを言ってすぐ腰をかがめておばあちゃんのセリフを言うという、なんとも奇妙な人物になってしまいましたが、なんとかやり切りました。

そんな思い出が多い授業ですが、普段の留学生活でも思い出は多いです。特に食べ物関係の思い出が多く、学校の近くにある東北菜館というご飯屋さんには本当にお世話になりました。一週間に4回行くこともあり、食堂と東北菜館を交互で行ったりもしていました。ご飯ももちろんおいしいのですが、店長のお母さんがすごく良い人で、いつ行っても笑顔で友達のように接客してくれました。帰国前日も行って明日帰ると伝えると、「さみしくなるね。また天津きたらいつでもおいでね」と暖かい言葉をくれました。たった半年なのにそんな風に思ってくれる優しい人で、そんな人に出会うことができて留学して良かったなと改めて実感しました。

食べ物以外にも色んな思い出があり、例えば中国の交通にはひどく驚き、慣れるまでに時間がかかりました。しかし、多くのことが日本と違っていても、知っていくことで中国のことを少しでも理解できたように感じます。そして文化と文化の違いを客観的に見ることができて、国際文化学部として学べたことも多いのではないかと思います。

留学中は決して楽しいことや嬉しいことばかりではなく、もちろん辛いことや苦しいこともたくさんありました。しかし日本では助けてくれた身近な人がいない状況で困難を乗り越えていくことに大切さを感じ、留学生活を通じてやっと少しは自立ができたのかなと思います。まだまだ足りない部分や自立できていない部分が多くありますが、留学の経験を生かしてこれから生活していけたらと思います。

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中期留学報告(天津外国語大学 福田 結香)

中国の良さ再発見

私は9月から1月まで中国・天津市にある天津外国語大学に中期留学に行かせていただきました。天津を訪れるのは今回で2回目です。小学2年から5年まで父の仕事の都合で約5年住んでいました。9年ぶりに訪れる天津は経済成長によって大きく変わってしまったところも多かったですが、当時のままのところもあり、とても懐かしく嬉しかったです。

私の行かせていただいた天津外国語大学は多言語、多学科で、中国で最も早く設立された外国語専門8大学の1つです。1921年、天津外国語大学の前身の一つである天津工商大学が馬場道にキャンパスを建て、後に津沽大学、河北大学へと大学名を変更しました。1964年、主たる前身である秦皇島外語専科学校(後に天津外国語専科学校)が設立されました。2010年、教育部の許可を得て、天津外国語大学へと名称を変更しました。現在馬場道と濱海の二つのキャンパスを持ち、馬場道キャンパスは天津の市街地に位置し、キャンパス内の建物の多くはヨーロッパ風であり、シックなデザインで、キャンパス全体は美しく閑静であり、天津市十景の一つになっています。濱海キャンパスは濱海新区の大港大学教育生態園内に位置し、湖の景色と植物の緑が互いに光を放ち、景色が秀麗です。馬場道キャンパスは、その美しい外観からドラマなどのワンシーンとして使われていたりします。

9月から私の留学が始まりました。1度高校生の時に2週間だけオーストラリアに短期留学した経験があったため、友達や家族と離れることは大丈夫だと思っていましたが、やはり4カ月となると期間が長いため、部屋で寂しく泣く日々が何日もありました。学生寮は思っていたよりずっときれいで、過ごしやすかったです。ルームメイトは最初は中国人とベトナム人のハーフの年下の女の子でした。中国人とのハーフということで、とても流ちょうに話すことができ、現地の人の話も聞き取ることができていました。しかし、私は中国語を学び始めて1年ばかりで簡単な会話しかできず、なかなかうまくコミュニケーションをとることができませんでした。そのため、お互いにスマホの翻訳を使い、伝えたいことを伝えあっていました。留学が始まって1ヵ月ほどして、ルームメイトが一時帰国のため寮の退居手続きをした際に1週間ほど1人部屋でしたが、隣の部屋だった日本人がルームメイトとうまくいかず私の部屋に引っ越してきました。他国の人と文化の違いを乗り越えて協調するのが留学生活の醍醐味だと思うのですが、私も前のルームメイトと生活するうえで文化の違い等で生活しにくい時もあったので、ルームメイトが日本人になって正直嬉しかったです。

授業は4教科で、1週目は日本の履修変更期間のようにクラスを変えられる期間でした。クラス数が多く自分のレベルにあったクラスを選べるので、とても登録しやすかったです。留学生活が始まって2カ月目からは生活にも環境にも慣れて、留学が楽しいと感じられるようになりました。留学2ヵ月目の10月の始めには、国慶節といわれる1週間のお休みがあったので、北京語言大学に留学している友達と連絡を取り合ってお互いの大学付近にホテルを取り、天津と北京の観光をしました。天津も北京も行ったことのある所なので観光地という観光地には行きませんでしたが、天津には売っていないものを北京では買うことができて大満足でした。また、中国では店によっては値切りができるので、いかに安く値切れるか毎回勝負で楽しかったです。

 11月には天津に来て初めてのテストがありました。HSKの問題を解いたり、テキストの問題を解いたり、先生の決めたテーマについてパワーポイントを各自制作し、皆の前で発表するなどしました。クラスメイトには色んな国の人がいて、パワーポイントの発表の際にその国の文化も少しですが学ぶことができました。私は日本のお正月について発表したのですが、おせちの写真をスクリーンに映すと他国の子が"お~~‼"と良い反応をしてくれて嬉しかったです。また、11月から一気に冷え込み、最初の頃は体調を崩していました。外は寒いですが、私の部屋は暖房をつけなくても割と暖かく、11月、12月でも短パンで寝ていました。

 留学2ヵ月目と3ヵ月目は、勉強も頑張りつつ海外ならではの食も楽しもうと思い、平日は学食で我慢し、土日は贅沢に外食をしていました。大学の周りの中国の東北地方の料理を食べられるお店へ行ったり、タクシーで韓国料理屋さんに行ってサムギョプサルを食べたりしました。日本に比べて味が濃いのでくどく感じたりもしましたが、おいしかったです。東北料理屋さんのおばさんとは仲良くなり、帰国する前日にもお店に行って最後に一緒に写真を撮り、「日本にも遊びに来てね。」と伝えました。

学生寮では、月に1度現地の料理を作る企画があったり、留学生歓迎会、日韓でスポーツ大会を開いたりしました。留学生歓迎会では、留学生数の多い日本人は毎年出し物を行うようで、今年度は希望者だけですがダンスをしました。私もダンスに参加したのですが、毎日の練習は楽しく、前学期から留学している他大学の先輩とも仲良くなることができました。

年末には家族が2泊3日で遊びに来てくれました。家族も天津に来るのは9年ぶりでとても楽しみにしていたようです。天津に住んでいた時にお世話になった父の会社の人たちと食事会を開いたり、思い出のご飯屋さんに家族で行ったりしました。

 4ヵ月の留学中に中国の良いところをたくさん知ることができました。厳しい人もいましたが、多くの人は言語の分からない日本人の私に優しく接してくれました。9年前にも感じましたが、今回の留学を通して改めてそう感じました。また、日本では考えられないようなことが起きたり、外国の子たちの生活を見てこちらでの常識や海外との文化の違いをたくさん感じることができました。

今回の留学で、日本語の話せる父の会社の人にたくさんお世話になりました。留学は私一人ではできません。色んな人の支えがあってできます。親や留学中お世話になった方々に感謝したいと思います。留学をする人は年々増えています。留学の経験を無駄にしないよう、今後の生活、検定、就活等頑張っていきたいと思います。

 

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中期留学報告(天津外国語大学 喜多 真凜)

たった一人で留学に行った私の物語

私の2/24~7/9までの中期中国留学について話したいと思います。私は元々、中国に留学に行くつもりは、全くありませんでした。ただ、第二言語として中国語を選択しているだけだった私に、留学をするきっかけになる出来事がありました。それは、同じ中国語のクラスだった友達3人が、中国に留学に行ったことです。その3人のうちの1人がSNSに投稿をしているのを見た時、私も中国に行ってみたいと思うようになりました。ですが、私は3人とは違い私費留学だったので、名古屋学院大学の授業料と天津外国語大学への留学で使うお金という、とても高額な金額が必要であり、それを出してくれた母に感謝しています。そしていざ一人で行くとなると、とても心細いし不安だらけでした。飛行機にて3時間で天津に着き、そして空港からタクシーで天津外国語大学まで向かいました。大学に着き受付を済ませようと思ったら、本当に何も聞き取れず困ってしまいましたが、ルームメイトが助けてくれました。なので、今のルームメイトには感謝してもしきれません。そのルームメイトと出会えてなかったら、どうなっていたのだろうと思います。

天津外国語大学には、日本人がとてもたくさんいます。日本人会というものがありましたが、私たち2人以外みんな日本人会に参加していました。そして日本人のほとんどが、関西外国語大学の人たちで、私たち2人はどちらかというと浮いていました。名古屋からは、私の他に愛知淑徳大学から3人と、名古屋外国語大学から1人来ていましたが、彼女たちは半年から一年留学する子たちだったので、挨拶は交わしますがあまり深い関係にまではなりませんでした。

天津に来てから3日後に、授業前テストがあります。これは、所謂実力テストです。日本人であれば、意味は分からずとも解ける問題ばかりでした。その後、答案用紙を持ち、自分に合うだろうクラスの部屋へ行き、軽い面接をして、その後に学生証用の写真撮影をして、その日は終わりです。私のクラスのほとんどが日本人と韓国人で、その他にタイ、スペイン、ムスリム系から2人の、合計27人のクラスでした。クラスメイトはみんな良い子ばかりで、授業終わりによくご飯に行ったこともあります。

授業に関しては、スピーキング、リスニング、リーディングが2つの、合計4教科のみで、HSKでいうと4級レベルだったので、そこまで難しくはなかったかなと思いました。先生も面白い方が多かったので、授業中もすごく楽しかったのを覚えています。

天津の気候としては、日本より気温も高く、そして太陽も近いので、とても暑く日焼け止めを塗ってもすぐ焼けますが、日本に比べ湿気は少ないです。私は、2月後半から中国にいましたが、その時期の中国は寒いと聞いていたので、日本から冬服を結構持っていきました。しかし、思っていたより寒くなかったので、中国でたくさん服を買いました。

そして私は、留学期間中に友達と一緒に、上海と北京に行きました。上海では、上海ディズニーなどいろんなところに行きました。友達の先輩が上海に留学していることもあり、その先輩が上海の有名スポットを案内してくれましたので、とても楽しい上海旅行でした。北京では、天安門に行って写真を撮りました。北京へは、私が帰国ギリギリになって、北京に行ったことがないと言うと、なら今から行くかとなり、その場で行こうと決め、日帰りで行ってきました。そこで私は、やっぱり都会って楽しいなと思いました。でも、留学するなら、都会で留学するより、田舎で留学する方が良いと思います。なぜなら、田舎の方が都会に比べ、人の優しさや温かさに、たくさん触れられる気がします。それに、都会だと遊ぶところがとても多いので、絶対いろんなところで遊んでしまうので、それだと留学しているなら何だかもったいないなと思います。だから私は、留学するなら田舎に行くべきかなと思います。都会に行くなら旅行で行きたいと私は思います。

一枚目の写真は、友達と上海ディズニーランドに行った時のものです。ディズニーランドは、とても楽しかったです。でも、私的には東京のほうが断然楽しいと思います。上海ディズニーは、東京ディズニーシーのように広さ的にはあまり広くなかったです。プーさん、シンデレラ、ベイマックスなどと可愛らしいキャラクターにも会うことができました。でも私たちは、乗り物に乗ったのは5つくらいで、あとは友達が一眼レフを持っていたので、写真をたくさん撮るなど、まったりディズニーを満喫していました。ディズニーの他に、友達の先輩が上海に留学していたため、豫園、田子坊、外滩など有名処を案内してもらいました。上海は、天津にはないアクセサリーが一つ300円ほどでとても安く、しかもデザインもとても可愛くて私も一つ即買いしました。夜景もとてもきれいで感動したので、また行きたいと思っています。

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二枚目の写真は、私が帰国するギリギリに友達と北京に日帰り旅行に行った時の写真です。有名な天安門広場前で写真を撮ることができました。夜ご飯を食べていたら、隣の中国人の男の人から、「これ余ったからあげるよ。」と言われ、豆腐とトッポキをもらいました。こんなこともあるのだなと思いました。その他にも、たくさんのお土産ショップがある通りを見て周って、買ったりしました。みんなに渡す中国のお土産があまりにも難しく、私は北京でアルバムや磁石、ポーチなどを買っておき、天津でスーパーなどに売っている中国のお菓子を買って日本に帰ってきました。

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三枚目の写真は、クラス写真です。クラス全員とても仲が良く、クラスメイトはとてもいい子達ばかりでした。私はいつも韓国人のお姉さま方といて、すごく可愛がられていました。韓国人のお姉さま方と話す言語は、日本語、韓国語、英語、中国語のフル言語を使って話をしていました。お姉さまの一人の韓国人が独学で日本語を勉強していることもあり、その子経由で分からないところをいろいろ教えてもらうこともありました。

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私は、今回このような留学をすることができて、良かったなと思います。初めてで、しかも独りぼっちで中国に行って、不安だらけで約半年間やっていけるかなと思っていましたが、友達がたくさんできたので、笑顔の絶えない楽しい留学生活を送ることができました。私は、この中国留学で学んだ様々なことを、たくさんの人に教えてあげられたらいいなと思います。

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中期(延長)留学報告(東義大学 鯉江 美波)

 人との関わりの大切さ

 私は韓国の釜山に約10カ月の長期留学をしてきました。留学のきっかけは短期留学に行き韓国人の友達ができ、もっと韓国を知りたいと興味が湧いたからです。もともと国際文化学科は公費がなく長期もなかったので、たくさんの人に頼み協力していただいたおかげで、長期留学をすることができ、留学中も留学するまでの過程が簡単ではなかったからこそ、1日も無駄にしたくないと思い充実した日々を送ることができました。

前期は主に、夏の短期留学と同じで韓国語を学びに、語学堂に午前は通いました。午後には1限50分の週3回、一般の東義大学生とTopicの授業を受けました。私の語学堂でのクラスはとても国際的で、ルワンダやインドネシア、フランスに台湾、中国など合計で7か国の留学生で構成されていました。私は積極的に他の国の留学生と授業が午後に無い日は出かけたり、一緒に食事をしたり勉強をしました。私はもともと韓国語ができるわけではなく、レベルでは文字が読めるくらいと、ほんの少し挨拶ができる程度でした。次の学期が一人というプレッシャーもあり、寮に帰れば毎日授業の復習と日本から持って行った単語の勉強を欠かさずにやっていました。そのかげで定期テストも良い点数を取ることができ、留学生と習った文法を使って会話することで、会話力も前よりは身につきました。そのため前期では留学生と遊ぶことが多かったですが、後期は韓国人と実際会話して食事や買い物を楽しむことができました。今は全てが終了し、達成感と楽しかった気持ちでいっぱいですが、もちろん大変なこともたくさんありました。

出来事としては、前期で台風や地震があり、1年間を通して政治界では大きな変化がたくさんあり、後期は国際情勢も一時期危ない時がありました。感じたこととしては、私のクラスは先程言ったようにたくさんの国の留学生で構成されていたので、たくさんの国の子と友達になることができたのと同時に、日本との価値観や文化の違いを感じました。最初に特に気になったことが時間に対してです。日本人が時間にとても厳しいことを知りました。私の中では5分前行動は当たり前で、何かあれば相手に連絡することが当たり前だと思っていましたが、ほとんどの国では時間前に集合することはなく、連絡がなくても気にしないみたいです。しかしフランスでは15分前に集合が当たり前らしく、それには私も驚きました。最初友達と遊ぶとき、何で連絡なしに遅刻を普通にしてくるのだろうと、必ず集合場所に着くのは1番でした。他には、旧正月に留学生の子と数人で慶州に1泊2日で旅行に行ったのですが、私以外の子たちが中国語ばかりで会話をするので、何を言っているか分からない時もあり少しもめてしまいましたが、この旅行のおかげでより仲を深めることができ良かったです。頻繁に遊ぶようになり、お互いに自分の国の価値観や文化を話し合い理解することで、本当に国を越えた大切な友達ができ、その友人と正月にソウルにも旅行に行きました。前期の最初は、ただただ文化の違いや次の学期は一人など小さなことでストレスを感じていましたが、前期の後半は、相手の事を理解することの大切さを一番感じることができました。そのために語学も頑張ろうと思い、勉強に励むことができました。

 後期はまず一度日本に帰ったのですが、日本人が来るかも分からず、ルームメイトも誰か分からず、韓国に戻るまでとても心配でした。実際戻ってみると、同じ日本人で相性が合ったので良かったです。3月に韓国で韓国語能力試験も受けました。試験会場には日本人はいませんでした。先生に美波なら3級は大丈夫だと言われ受けてみて、とても心配だったのですが無事に3級を取得することができて良かったです。授業についてはいくら日本人留学生がいるからって、私と同期の留学生は私一人であって、生活が全然違うし語学力もまだまだ足りないですが、自分が頑張れるところまで自分の興味のある授業を受けてみようと思い、ワインとホスピタリティについて、食べ物と文化についての授業を取り、他には日本で受講していた英語とフランス語など、合計5つの授業を受講しました。前回までいた日本人の先輩に授業を受ける前に一度先生のところに行き受講してもいいか、ついていけるか聞いといた方がいいとアドバイスをいただいたので、一人一人に挨拶をしました。どの先生もとても優しく、授業が終わるたびに分からない部分や課題についてなど細かく教えてくださり気にかけてくださって、15週間と2回の定期試験を乗り越えることができました。また、授業中に話しかけてくれる韓国人の学生もいて、何人か友達になることができ、分からない部分をお互いに教え合い、グループ発表の課題もあったのですが、普通に考えたら留学生がいると大変なのに受け入れてくださり、役割などを優しく教えていただき、たくさん助けてくださりました。

1年の夏に短期留学でできた友達とも、この1年を通して何回か遊んだのですが、韓国語上手くなったねとか、最近の流行りの言葉はね...など、たくさん話し短期だけの友達ではなく、こうして長期留学中も会ってくれる素敵な友達ができて良かったと思っています。前期で国を越えた友人ができた話をしましたが、その友人のチューターをしていた韓国人とも友達になるこができ、後期で一番遊んだのでとても印象に残っています。お互いの共通語は韓国語で、私は勉強のモチベーションが上がるし、分からない文法などを簡単な韓国語で説明してくださり、とても感謝しています。その友人は、台湾に留学していたので中国語はできるのですが、日本語は中学校以来で全然日本とは関わりがなかったけど、美波のおかげで日本にまた興味を持った!と言われたときは、すごく嬉しかったです。他の授業の友達でも、私と会い日本の印象が変わったとか言ってくださる人もいて、今まで感じたことのない嬉しさを感じました。私も友達が友達を連れて来て、たくさんの韓国人と関わることができましたが、日本で取り上げられている政治的な関係や印象とは違い、とても親切で良い人たちがたくさんいることを知り、印象が変わりました。留学を通して、たくさんの人との繋がりを感じ、日本のテレビやメディアを見ただけで世界の国について印象を決めつけることは良くないこと、相手の国を理解している一人の人として最後には見ることができ、この留学は一人では絶対に成し遂げられなかったと思うことと同時に、留学前から留学中関わってくださった人に感謝の気持ちでいっぱいで、毎日充実した留学でした。

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中期留学報告(マキーワン大学 水野 佑香)

留学を通して成長したこと

 MacEwan University のESLの生徒として、3ヵ月間学校へ通いました。MacEwan Universityは、カナダのアルバータ州にあります。日本に比べて紫外線が強くて、冬が長いです。特にエドモントンは、とても乾燥していて紫外線が強いと、出発前に調べていました。私は、日本から乾燥や紫外線対策の準備をしていましたが、想像していたよりもひどく、日本のものでは全然対応できませんでしたし、最後までとても苦労しました。紫外線のおかげか、気温の割に暖かいです。こちらで暮らしている人は、半袖やノースリーブを着ていますが、私は約4ヵ月エドモントンで暮らして、一度も着ませんでした。


 初めて学校へ行くと、年上でさまざまな国の人たちがいました。私は、自分と同じ状況の学生たちばかりだと思っていたので、本当にびっくりしました。彼らは移民として何年も前からカナダに住んでいるので、すでに英語を話したり聞いたりすることはできます。しかし、私は学校の先生やCDなど、日本ではきれいな英語しか聞いていなかったので、移民の方たちと会話をすることは、とても大変でした。それに比べて、カナディアンの英語はとてもきれいです。しかし、とても速いです。今までテストなどで聞いていた速度よりもかなり早くて、自分がここまで聞き取れないのかという驚きと、カナダで暮らしていくことに不安を感じました。また、ゆっくり話してもらえますかと話しても、20秒後にはゆっくり話すことを忘れています。


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 英語力は、特にリスニングが上がったと、授業でも普段の生活でも感じていました。ルームメイトと初めて会ったときはゆっくり話してもらい、さらに何度も言い直してもらってやっと理解できていましたが、ある程度スムーズに理解できるようになりました。さらに、リスニングのテストでも、だんだん点数が上がっていきました。私にとって一番の問題は、スピーキングでした。私の場合、言いたいことが英語で言えないときはもちろんですが、それよりも自分の意見や言いたいことがなくて、話すことがないというのが、人と話す時に本当に苦労します。日本にいるときから、自分の意見や感想を言葉にすることや表現することがとても苦手で、感想文や意見を言い合うグループワークにも、苦手意識を持っていました。そのため、"自分の意見をしっかり持てるようになること"を、カナダに来てからずっと課題にしていました。少しは考えが持てるようになったかなと、そこでも成長を感じましたが、正直、まだまだでした。例えば、リーディングとライティングの授業で、自分の好きな食べ物について時間内にできるだけ多くの文章を書く、という授業をしました。自分の好きなことについて書けばいいだけなのに、私はプリントの半分ほどしか書けませんでした。隣の席のコロンビア国籍の人は、私の3倍ほど書いていて、自分はまだまだたと感じました。どの授業でも、自分の考えや意見を聞かれることがたくさんありました。質問の内容は分かっていても、本当に意見が出てこなくて、悔しい思いをたくさんしましたし、話す機会を失っていたと思います。


 約3ヵ月間努力をしていましたが、やはり自分はまだまだだと感じる出来事がありました。それは、スピーキングの授業のテストです。テストの内容は、始めに先生が誰が発表をするかくじを引き、当たった人はお題を決めるためにくじを引きます。その後1分間の準備時間を与えられ、すぐに発表をしなくてはいけませんでした。自分がいつ発表するかも分からず、準備の時間も短く、このテストにはとても苦労しました。一度授業で練習をしましたが、私は難しい質問ではなかったにも関わらず、準備時間からずっと頭が真っ白でした。結果、YesかNoで答えた後は、数文付け加えるだけの本当に悲惨な発表となりました。


 練習からテスト当日まで数日しかなかったので、自分の意見を持つようになるには、あまりにも時間が足りませんでした、テスト当日まではとにかく、友達と授業内容を振り返り覚えて、分からない事はお互いに教え合いました。私は、言葉を多く言うことは無理だったので、お題に沿ったことを正確に伝えられるように努力をしました。当日は、流暢に自分の意見を話すことはやはりできませんでしたが、お題に沿った発表をすることができたと思います。


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 エドモントンに住んでいる間、私は寮に住んでいました。始めは、学校へ通い家事をすることで、いっぱいいっぱいでした。しかし、それに慣れてくると、学校が終わった後と休日が、とてももったいないように感じました。なぜなら、英語をほとんど使っていなかったし、出かけることも少なかったからです。ルームメイトは月曜日から木曜日の朝までしか寮で過ごすことがなく、午後からは授業、私は授業が毎日朝の8時から12時20分までだったので、寮にいるときは一人の時間が長く、ただ部屋にいることが多かったです。そんな時に、アドバイザーにボランティアをしたいと話しました。


 まず始めに私は、MacEwan University のオープンキャンパスのボランティアをしました。友達と参加をしましたが、ESLの生徒は私と友達の二人だけでした。私が担当した仕事の内容は、入り口付近に立ち、入ってきた人たちにMacEwanのグッズを渡し、目的の場所へ案内をすることです。オープンキャンパスへ来た人たちは、私がESLの生徒だと知らないので、ボランティアの服を着ているだけで、どんどん話しかけてきます。もちろん答えられない質問もありましたが、他のボランティアの方たちがすぐに助けてくれて、無事にボランティアを終えることができました。学校主催のボランティアでは、朝ごはん、昼ご飯、MacEwan UniversityのTシャツ、MacEwanグッズと、本当にたくさんのものをもらいましたし、ESLの生徒としてではなくMacEwanの生徒として頑張ろうと、自分から一番話しかけた良い機会でした。


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 私はいくつかボランティアに参加をしましたが、学校主催のボランティアよりも、外部のボランティアに参加をすることが良いと思いました。カナダは常にボランティアを募集しているので、気になる団体やイベントがあれば、訪ねてみると良いと思います。実際に私は、クラシックバレエに興味があったので、カナダで50年もの歴史があるアルバータバレエ団に、ボランティアをしたいとメールを送りました。その団体は、全くボランティアを募集していなかったので、断られるだろうと思っていましたが、私がネイティブのように英語を話せないということも考慮して、あっさり受け入れてくれました。さらに、ボランティアに参加をした人全員に、当日の公演チケットを配っていましたし、そこで出会った人と連絡先を交換して、仲良くなることができました。もし、気になるボランティアがなくても、アドバイザーに尋ねると、さまざまなボランティアを紹介してくれていたと思います。ボランティアに参加をし始めてから、今まで予定がなかった週末が、とても充実したものへと変わりましたし、英語以外の様々なことを学ぶ良いきっかけになりました。


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 エドモントンへ留学した約4ヵ月間は、私にとって英語以外にも様々なことを学び、成長できた期間でした。始めは、年上の方ばかりで不安だった学校生活、言葉を十分に理解できない中参加したボランティア、日本と違いすぎる気候の中での生活など、思い出せばきりがないほど、多くの経験をすることができました。その中でも一番印象に残っていることは、現地の人々の温かさです。私は、留学して1ヵ月でケータイが壊れてしまいましたが、自分の使わなくなったケータイを貸してくれました。悩みを相談すると、解決しようと助けてくれたり、おいしいお店があると連れて行ってくれたりして、本当に4ヵ月間何度も助けられ、楽しませてもらいました。私は、苦労したことすらみんなと乗り越えた良い思い出になっていて、留学をしてから今まで一度も後悔したことはなく、とても良い4ヵ月を過ごすことができたと感じています。



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中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 齋藤 彩乃)

カナダで得たもの

私が留学することを考え始めたのは、高校生の頃でした。そして英米語学科に入学し、1年生の時に留学選考を受けたものの、残念ながら切符を掴むことができませんでした。その後悔しさをバネに、2年生の一年間は、日本にいながらできる英語の勉強に力を入れました。そして3年生の夏から、私費留学という形ではありましたが、志望していたカナダ・トロントにあるジョージブラウンカレッジ(GBC)へ、4か月間の留学が決まりました。

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GBCのESLでは、8週間ごとにプレイスメントテストがあり、私はレベル4の授業から受けていました。授業が始まって驚いたことは、クラスメイトの幅広い年齢層と国籍の多様さでした。12か国から集まったクラスメイトは、同年代の学生から子どもがいるお母さん、医者、牧師など、個性溢れる人たちで毎日が新鮮でした。

授業は、月曜日にリスニングと発音中心、その他の曜日にグラマー、ライティング、リーディング、スピーキングを行っていました。それぞれ定期的にテストやプレゼンテーション、それに加えてオンラインでの課題もありました。プレゼンテーションは有名な日本人・カナダ人というテーマで、今まで得意ではなかったものの、1・2年生からしてきたことを活かせて良かったです。留学当初は、先生やクラスメイトが話す英語は、集中して聞いていると理解できるような状態でしたが、話すとなると、言いたいことが言えず、スピーキング力の低さを感じる日々でした。ESLにはアジア圏からの生徒が多く、同じ言語を話して固まっている光景を目にすることもよくありました。実際に私自身も日本語を話してしまうことがあり、そんなときにウクライナ人のクラスメイトと仲良くなりました。すると彼女から、あなたはもっと英語を話すべきだよ。もっと話したら絶対上手くなるよ。と言われ、どこかで変わらなければいけないと考えていた私に、彼女はきっかけを与えてくれました。

それからは、間違いを恐れずにどんどん話すことが大切だと感じ、授業以外に2種類のスピーキングのワークショップに参加していました。一つ目のSpeak Upは、毎週行くうちに新しい人と出会えるのが楽しくなり、仲良くなりたいという気持ちから、自分から話しかけることも増えていきました。もう一つは、Public Speakingというスピーチやグループディスカッションをするワークショップで、人前で話す練習をしたいという人が多く集まっていました。最初は緊張しましたが、徐々にアイコンタクトをとって話すことに慣れることができ、参加して良かった「と思っています。私にとってワークショップは、英語を学んだのはもちろんですが、それ以上に大切なことを学べた場でした。

そしてレベル5になると、中国や韓国、ベトナムなどアジア圏出身のクラスメイトが多くなりました。授業はライティングに力が入れられていて、要約やエッセイなどをよく書いていました。周りのクラスメイトに比べて、書くのに時間がかかって苦労することもありましたが、たくさん書いているうちに他の英語力もかなり鍛えられました。レベル5のプレゼンテーションはペアで行うもので、中国人のクラスメイトと放課後に図書館でたくさん話し合いながらパワーポイントを作り、一緒に頑張りました。ムスリムファッションという宗教的で難しいテーマでしたが、ムスリムの友人からも話を聞けて、留学に行ったからこそ学べた内容だったと思います。


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そして、4カ月の間にボランティアも経験しました。一つは地域の秋祭りで、子どもたちにフェイスペインティングをしお菓子を受け渡すボランティア、二つ目はサンタクロースパレードというイベントで、コスチュームを着て6㎞ほど歩くボランティア、三つ目はクリスマスマーケットで、ブースの受付を行うものでした。留学生活の中で、学内だけでなく地域の方々と関わりを持てたことは、貴重な体験になりました。また、特に印象的だったのが、キャラバンというESLのイベントです。それぞれの出身国を祝うお祭りで、教室を飾り付けし、伝統的な衣装を着て文化を紹介しました。私たちにとっては小さい頃から慣れ親しんでいる、浴衣や折り紙、書道を新鮮に感じ、すごい!綺麗!日本に行ってみたくなった!いろんな国の人が言ってくださり、日本の魅力に改めて気づかされました。他の国の部屋にもそれぞれ魅了される衣装や文化があり、人柄を感じて、GBCを選んで良かったと思った一日でした。

ホームステイ先には、ジャマイカ人のマザー、コロンビア人の高校生の女の子、猫がいました。ジャマイカは音楽が有名なこともあり、家の中ではよくレゲエが流れていて、いつも陽気なマザーでした。これまでに100人ほどの留学生を受け入れてきたというベテランの家庭らしく、ホームステイの決まりごとが項目ごとにしっかりとリストになっていました。また、2ヶ月が経過した頃から、アメリカに住んでいたホストシスターと彼女の赤ちゃんも一緒に暮らすようになり、家の中が一気に賑やかになりました。それまで部屋にいることが多かったハウスメイトとも、リビングで団欒する時間が増えて、毎朝駅まで一緒に登校するほどの仲になり、嬉しかったです。サンクスギビングやクリスマスには、家族で集まって大きなターキーを食べるカナダ流の過ごし方を楽しみ、ホームステイでの忘れられない思い出になりました。マザーとホストシスターはいつも笑顔で優しく、手料理は本当に美味しいものばかりで、ホームステイ先は自分で選ぶことができない中、この家庭で暮らせたことはとても幸せだったと思います。

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一年を通してたくさんのイベントがあり、様々な国の移民や文化を受け入れ、尊重し合っている人種のモザイク都市・トロントは、とても魅力的な場所でした。そして、世界中から人が集まっているなか、英語が話せることで世界が広がっていくのを体験したことで、改めて英語の偉大さを感じました。友人のほとんどはESLのクラスやアクティビティを通して出会い、帰国しても連絡を取り続けていて、世界中に友人ができたことが私にとって一番留学して良かったと思うことです。ESLで出会った人達はGBCの本科に進むため、よりよい職に就いてカナダで暮らすため、といった明確な目標を持って英語を学んでいて、英語を習得して何をするのかが大切だということを改めて実感しました。なので、これから留学に行く方にも、留学先で何がしたいのかが一番大切だということを忘れないでいてほしいと思います。

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振り返ってみると、本当にあっという間の4ヵ月間でしたが、どんな時も周りの人の支えがあったからこそ、様々なことに挑戦していけたのだと思います。いつも温かく接してくれたホストファミリー、友人、先生、そして日本から支えてくれた方々のおかげで、貴重な体験ができたことに感謝します。

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中期留学報告(アルゴマ大学 伊藤 美有)

カナダでの素敵な出会い

 私が留学したアルゴマ大学は、少人数授業が魅力の一つです。この最大の魅力は、先生と生徒の距離が近いことです。そのため質問がしやすい環境で、分からないことはそのままにするということがなくなりました。先生の誕生日をクラスメイトで祝ったりするなど、授業以外でも先生と楽しい思い出もできました。少人数だからこそ、生徒同士も仲良くなりやすく、授業以外でも話すようになりました。最初の頃は話さなかった子も、いつの間にか仲良くなりました。また、学校の図書館には勉強専用のスペースがあり、本当に静かな状況で集中できる場所がありました。私はよく課題に追われると、集中できる図書館に通っていました。平日の金曜日以外は朝8時半から夜10時半まで開いており、テスト期間時には夜中まで使用可能でした。そしてこの大学には、メンター、メンティー制度があります。この制度は、留学生であるメンティーを対象に、自分のアドバイサーであるメンターと共に様々なイベントに参加し、仲良くなっていくという制度です。私は女の子の同い年のメンターで、家に招いてくれ巻きずしパーティーを開いてくれたことや、サンクスギビングの日には、その子のホストファミリーと一緒に教会に行き、祝日を祝いました。その他にも、このプログラムではハイキングやクリスマスパーティー、一緒にゲームを楽しむイベントが開かれ、大学全体で仲良くなりやすい環境を作ってくれていたことが、この大学の良いところだと思います。大学の授業が始まる前にはオリエンテーションの期間があり、バレーなど共に活動するスポーツなどをすることが友達作りのきっかけにもなり、オリエンテーションに参加して良かったです。この大学は勉強しやすい環境だけではなく、友達作りのきっかけを作ってくれる環境もあり、小さい学校でしたがとても良い思い出がたくさんできました。


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 授業面ではGrammar、Listening & Speaking、Readingの三種類がありました。授業は8時半から毎日あり、火曜日と金曜日以外は4時半まで行われました。授業が始まった頃は、ついていくのに必死でした。そのため分からないところがたくさんあり、そのたびに質問をして教えてもらっていました。どの授業の先生も、優しく丁寧に教えてくれました。特にGrammarの先生は分からないところはないかなど、常に私たち生徒のことを気にかけてくれており、個別に例題を与えてくれ、分かるまで解説してくれました。この授業は毎週火曜日に小テストがあり、合格点に満たないと再テストを受ける制度で、初めの頃は再テストを受けていました。小テストを重ねるうちにどんどんテストにも慣れていき、先生の熱心な教え方のおかげで再テストも受けることがなくなり、自分でも成長できた部分ではないのかと実感しました。文法もこれまで勉強してきたことと類似していましたが、復習をしてみると完全に分かっていないところもありました。その中でも、過去完了の文が苦手でしたがしっかり基礎から学び、また新たな知識が増えて応用が利くようになりました。Listening & Speakingの授業では、グループに分かれ一つのトピックについて議論することや、ペアになって活動することが多かったです。私は人前で話すことが苦手ですぐ緊張してしまう性格で、プレゼンテーションになるとうまく話すことができませんでした。プレゼンテーションを重ねるうちに、目線を配ることが今までより多くできるようになり、少し自信が持てるようになりました。Reading & Writingの授業は、他の授業に比べ課題も多かったです。カナダに来て最初に書いたエッセイを見てみると、誤字脱字が多く、文法もあやふやな文ばかりでした。多くのエッセイを書くうちに、文の構造や言い換えも理解するようになりました。最も課題が多く私が苦手な教科でしたが、自分にとって成長できる教科だったと思います。留学生活で勉強してきたどの教科も、これからの自分の英語学習に必ず役に立つ内容でした。

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 私は学校の寮に住んでいました。私が住んでいた寮は、各自に部屋が与えられており、自分の時間を取るには最適です。トイレやお風呂は共同で、私の隣の部屋はドイツ人の女の子でした。環境や文化が違う分、多くのことで悩んだこともありました。英語の話すスピードがとても速く、カナダに来た頃には、ゆっくり話してもらうことでしか理解ができませんでした。日々の生活の中で会話をしていくうちに、少しずつですが会話も続くようになっていったので、嬉しかったです。寮の共同キッチンでは、韓国人の子と一緒に料理を作ったことや、多くの人と他愛もない会話を楽しんだこともありました。寮では、湖に遊びに行き初めてカヌーに乗ったこと、ハローウィンの時にはパンプキンカービングを行い、普段では経験できない体験もしました。寮での生活は楽しかったですが、食事だけは合いませんでした。日本にいる時から、ハンバーガーなど脂っこいものを食べる機会がなく、あまり食べたことがなかったので、そのような食べ物が多かったことが私にとっては辛かったです。カナダに来て、一回も名物のプーティンを食べたことがなかったので、食べる機会がなかなかないと思い、レストランに食べに行きました。量が多く、夜ご飯が食べられないくらいおなかがいっぱいになりましたが、おいしかったです。今までは避けてきた苦手なものに挑戦することもでき、貴重な思い出になりました。

 留学生活中に休みを利用し、ニューヨークに旅行に行きました。タイムズスクエアやブルックリン橋などの観光もしました。その中でも、ブロードウェイミュージカルを見たことが印象に残っています。CATsを見たのですが、運がよく安くチケットを手に入れることができ、前から5列目の席で見ることができました。キャストの細かい表情を間近で感じられました。また、学校で開かれたカラーランにも参加し、楽しかったです。世界中で開催されているイベントなのですが、以前から参加してみたいと思っていたので、参加でき嬉しかったです。

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 私が過ごしたスーセントマリーでは、会う人が本当に心優しかったです。雪の中歩いていると、バス停ではないところから優しさで乗せてくれることや、地元の人がスーパーから寮まで乗せていってくれたことも多かったです。私が帰国時に乗るはずだった飛行機が雪でキャンセルになった際には、空港のスタッフやタクシーの運転手、乗客の皆さんが協力してくれ、違う便を手配してくれようとしていました。結局全便キャンセルになり、翌日の便で帰ることになったのですが、泊まるところを探していた私に、空港で出会った女性が手を差し伸べてくれ、1日過ごさせてもらいました。その女性は孫と二人暮らしで、私をまるで家族のように向かい入れてくれ、ご飯やお風呂など全ての世話をしてくれました。一緒にドラマやカードゲーム、会話を楽しみ、あっという間に1日が過ぎました。翌日には最後まで見送ってくれ、クリスマスプレゼントも持たせてくれました。更には、チケットを手配してくれたスタッフや、タクシーの運転手の人も見送りに来てくれました。1日で、こんな素敵な人々に出会えて本当に幸せでした。今でも空港で出会った皆さんと、時々連絡を取り合っています。最高の出会いに感謝し、スーセントマリーで過ごし出会った人々の優しさを無駄にすることなく、困っている人を手助けできるような、心優しい人になりたいです。カナダで過ごした日々は、これからも忘れられない経験になると思います。

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中期(延長)留学報告(ジョージ・ブラウン大学 宮島 花蓮)

カナダでの8ヶ月間

私がカナダへの留学を決めた理由は、客室乗務員になりたかったので、英語力を高めたいと思ったことと、多国籍文化の中で様々なことを経験したいと思ったからです。就職活動は、同学年の人と同じペースで進めたかったので、三年生の夏までに帰って来られるように、二年生の夏からの留学を目指し、入学時からの目標として、少しずつTOEFLを受けたり、留学のためにアルバイトをしてお金を貯めたり、色々な準備をコツコツとしていました。留学に行けることが決まり、私は私費での留学だったので、留学先を希望することができました。多国籍の人と繋がりたい、色んな国の文化を知りたいというのが私の留学の一つの目的でもあったので、ある程度都会で、多国籍文化であるカナダのトロントのGeorge Brown Collegeを希望しました。そして、希望通りGeorge Brown Collegeに行くことが決まり、パスポート申請や保険の申し込み、航空券の手配など、沢山やることや出すべき書類があり大変でしたが、あとは飛行機に乗っていくだけの状況になると、楽しみな気持ちしかありませんでした。

韓国の仁川空港で乗り換えをして、14時間かけて現地に着いてからは、初めて見る景色ばかりだったのと、ホームステイ先のファミリーがとても優しく私を迎え入れてくれたので、不安な気持ちと嬉しい気持ち、楽しみな気持ちで複雑でした。この時すでにホームシックになっていました(笑)

学校はやはり中国人、韓国人、そして日本人等のアジア系が多く、その次に中東系が多いように感じました。私が日本人というだけで、色んな人が寄って来て話しかけてくれたり、"I like your country."と言ってくれたり、片言ではあるけれどアリガトウと言ってくれたり、日本人で良かったと思う場面がたくさんありました。それらのことを通して、日本の文化や他の国に対する今までの対応、数々の車メーカーや家電メーカーを生んだという強みを、改めて誇らしく思いました。そして、日本車がカナダでたくさん愛用されていることを知ると、同時に私は新たに日本のように修理して乗り続ける人が少なかったり、車をぶつけることやこまめに洗車をしない等の見た目へのこだわりが少ないことも学びました。このような現状を知り、私は日本車を海外で長く愛してもらえるような活動、お仕事をしたいと思うようにもなりました。私はこういう気持ちを忘れやすいけれど大事にしたかったので、カナダでは文法や発音、直訳では伝わらない英語ならではの言い回しなどを学校で学び、宿題をこなしながら、自分の興味を持ったこと・感じたことを気づいたときにメモに取り、8か月後日本に帰ってからも忘れないようにしていました。実際そうしたことによって、いつでも自分の気持ちを見返し思い出すことができるので、カナダにいる間も常に前向きに物事を考え、次に進むことができていたと思います。これはこれから留学に行く皆さんにはもちろん、留学はしない方にも日常生活の中で新しい発見や気持ちがあると思うので、お勧めしたいことです。こう書くと、留学すると良い経験ばかりで辛いことはないようですが、私も辛い壁にぶつかることが何度もありました。

一番大きかったのは友達作りです。私は日本にいるときは、コミュニケーション能力が高いと言われていたし、自分でもそう思っていて、実際この20年間で友達を作ることにおいて苦労したことはありませんでした。しかしカナダに8か月間いて、本当に仲良くなり二人で二回以上ご飯を食べに行ったり遊びに行ったりする仲になったのは、日本人かアジア人、または8か月間一緒に住んでいたウクライナ人のルームメイトくらいです。出会いは学校やそこで出会った人の紹介などたくさんありましたが、英語が話せない!言いたいことをすべて伝えられない!話すスピードがついていけない!などの問題から、思ったようにコミュニケーションが取れず、自分の思っていたようにはいかなかったのです。それは幼稚園のころから英会話をずっと習ってきて、自分は英語が話せると思っていた自分にとって、本当に悔しく屈辱的な出来事でした。教科書に載っているような文法だけではなく、もっと留学前に単語や話し言葉を勉強しておくべきだったと、今でも思います。私の場合、最初は日本人の友達も作り、色々な情報を集めたり、どういう言葉で会話しているかを学びながら、クラスメイトなど自然と会う回数の多い人から友達になろうと考えました。語学を学びに来ている人が大半だったので、お互い拙い英語を話しながら、一生懸命どうにか相手に伝わるようにと話していました。やはり日本での友達のように、とても仲良くなることはすごく難しかったけど、伝えようとすれば相手も一生懸命理解しようと頑張ってくれると分かったので、少しずつ自分のペースで発言することもできるようになっていきました。英語を話すのが嫌になったり、話せないことが怖くなって話したくなくなったりした時期もありましたが、日本に帰国してからは、その辛い経験すらも自信につながっていて、英語で会話することへの抵抗がなくなり、むしろ楽しいと思えています。

私は私費で長期留学をしたので特にですが、留学はお金がとてもかかるし、親に心配もかけるし、現地でも楽しいことばかりではないし、すべて自分で何とかしなければならないのでとても大変です。全体の7割は大変です。でも私は、ローンを組んでまで全額自分で払っても、留学に行って良かったと思います。もちろん周りの人のアドバイスや支えがなければ、ここまで根気強くやってこれなかったと思いますが、留学する前とは比べ物にならないほど自分のやりたいことが見えているし、新しい発見や改めて気づいたこともあり、自分の自信にもとても繋がっています。私も留学前にたくさん悩みがあり、先輩や先生に相談してばかりだったので、今度は私がその立場になり、留学に行きたい人の支えになりたいと思っています。

最後に、経験は最高の宝になると思っています。やる気があるなら、お金や時間の問題も何とか解決できるはずです。根気強く向き合い、後悔しないようにコツコツ勉強し、行動できたら最善だと思います。留学をしたから終わりではなく、ここからどのようにそれを生かしていけるかが大事だと思うので、私もこれから頑張っていきたいと思います。

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中期留学報告(オカナガン大学 荒木 彩峰)

ホストファミリーとの出会い

 留学をする前とした後で大きく変わったことは"留学"についての考えだ。今までに「英語を勉強するために留学すべきか」というような議論を何回かした。留学する前は問答無用で留学すべきだと考えていたが、留学を実際にしてみて、日本でも十分英語の勉強ができるので無理に留学しなくても良いと考えるようになった。決して留学は悪いものではない。私が過ごした4か月のカナダ生活に無駄なことは一つもなかったと思っている。しかし、英語を勉強する全員が必ず留学すべきだとは思わないようになった。

 私がオカナガン大学に留学した時はほとんどの生徒が日本人か中国系だった。クラスはレベルで分けられるが、だいたいの日本人はレベルが同じで、日本人と話さないようにしていてもクラスのほとんどが日本人の授業もあった。留学前に留学経験のある先輩方から話を聞いたように、アカデミックな科目(歴史や経済などのdiscussion, reading, writing以外)を取らなければ、日本を離れて勉強しに来ても環境の変化は少ない。私はアカデミックな科目を取ることができなかったので、留学をしなくても英語力が上がると考えたのかもしれない。

クラス分けテストの内容はwriting、listening、reading、speakingの4つ。writingの問題は、自分のお気に入りの本や映画について、用紙1枚裏表に自由に書くものだった。listening、readingの問題はTOFFLより基本を問うものが多く、思っていたよりは易しく感じた。speakingは先生と一対一で会話するもので、日本でどんな勉強をしていたかなどの質問をされた。speakingはテストだからとかしこまらず、気楽に話しても良さそうだったので、1つ質問されたら3つ4つと積極的に自分から答えて、色んな話をすると良いと感じた。

 留学生が普通受けるESL(English Second Language)の授業は、reading、writing、discussionとあった。例えばreadingだと、ESLR010,020,EAPR010-040のように、どの授業も6つのレベルに分けられ、EAP○040になるとアカデミックな科目を取ることができた。1つの学期で成績が65%以上だと次の学期でレベルが1つ上がり、90%以上だと2つ上がることができるが、中期留学は1学期で終わるのでレベルを変えることができない。しかし、授業が始まって1週間は、レベルが合わないと思ったら下げることも上げることもでき、クラス分けのテストが全てではないのかなと感じた。

授業を受けて思ったことは、先生によって内容が全く異なるということだ。レベルが同じでも片方のクラスは宿題が多く、もう片方はレベルが一つ下のクラスと内容がほとんど変わらない、もしくはレベルが一つ下のクラスの方が宿題の量が多かったり内容が充実していたりする。授業は毎日2コマ(1コマ1時間~2時間くらい)くらいで、空き時間はたっぷりあった。

 私のホームステイ先の家庭はカナダ人で、母、父(遠くで仕事しているため1か月に2回ほど帰る)、兄(大学院生)、妹(大学生)、そして家の地下にはもう一人の兄と婚約者が住んでいて、たまに一緒に夕食を食べた。また、私と同じ留学生の韓国人の女の子(大学3年生)が同じ時期に来た。

私のホストファミリーは色々なところへ連れて行ってくれた。カナダに来て1週間後、車で6時間以上かかるホストマザーの実家へキャンプに行った。家の前の湖でジェットスキーをしたり、近くの洞窟体験ができるところへ行ったりと、素敵な場所だった。ホストマザーがアウトドア派だからなのか、週末にはハイキングやバイキングにも行った。他には、学校の企画でBanffという有名な観光地へ2泊3日で行ったが、参加する生徒の大半が日本人だった。ハロウィンやクリスマスも本当の家族のように接してくれたホストファミリーのおかげで、日本とは違う過ごし方を経験できた。

私が留学した大学はケロウナという田舎にあり、主な交通手段はバスか車だった。家から学校までバスで45分かかるが、車だと10分くらいなので時間が合うとマザーやブラザー、シスターが迎えに来てくれて、本当に優しい家庭だった。

 大きなショッピングモールやダウンタウンが、学校からバスで20分くらいかかるところにあった。他に特にこれと言ったところはないので、休みの日や学校が終わった後は大体行く所はみんな同じだ(だからと言ってモールもダウンタウンも大した場所ではないが、、、)。

留学している間に一度、バスストライキが起こった。日本では考え難いことだが、カナダでは以前、郵便局や先生のストライキもあったようで、労働者に強い力があると感じた。車を持っていない留学生の交通手段はバスしかないので、いつ終わるか分からないバスストライキの時期は辛かった。私のホストファミリーには、universityに通うシスターや学校の先生のマザーがいるので、登下校の時間は大体同じだったが、毎日、細かい時間や場所の連絡をしてお願いするのは面倒で申し訳なかった。ホストファミリーによっては送迎するたびにお金を払わなければいけない人もいて、大変だと感じた。バスが動かないと唯一のショッピングモールさえも行けないので、平日はもちろん、休日はもっと退屈だった。

 食事は、私が好き嫌いもなく食にこだわりがないのもあるが、思っていたより不便ではなかった。いまいちカナダ料理が何かは分からなかったが、日本と同じようにイタリアンだったり、メキシコ、アジア料理だったりと、たまに味付けが合わないものもあるが、食べられないほどではなかった。いくつかのアジアンマーケットがあり、ポッキーなどの日本のお菓子が値段は2倍ほど高いがあった。また、SUSHIが人気で、カルフォルニアロールだがスーパーなどでよく見かける。日本料理のレストランもたくさんあった。ホストファザーとシスターがベジタリアンなこともあって、野菜や果物は毎日摂取した。他の留学生から、肉やピザばかり出たり、家の飲料水が水道水だったり、ホストファミリーがフィリピン人であったりという話を聞き、本当にホームステイ先によって全く違うなと感じた。

 この4か月は本当に貴重な時間だった。英語力を上げるには留学が最適な方法だと思っていたが、実際は日本でもできる勉強方法だった。だからと言って留学が悪いものではない。そう思うことができたのは、ホストファミリーのおかげだと強く思う。寮では味わうことができない日常の食事や、日本では考えられない生活を体感できたし、こんな素晴らしい人たちに出会えたこと、ホストファミリーとして一緒に過ごせたことに感謝したい。

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中期留学報告(オカナガン大学 松井 みゆ)


リベンジ成功の4か月

 2016年9月から12月まで、カナダのケロウナという地方にあるオカナガン大学に中期留学しました。今回の留学での私の目標は、高校生で留学に行った時に果たせなかったことをリベンジし、さらに日本に帰ってきた時に何を今後勉強していくか、自分を見つめなおすという事でした。リベンジというのは、自分から積極的に話しかけたり行動したりする事と、ホストファミリーや新しい友達とたくさん会話をすることなどでした。


 ケロウナに着いて学校に通うまでに一週間ほど時間があったので、ホストファミリーとはすぐに打ち解けることができました。私のホストファミリーは、父と母、14歳と9歳の弟の4人家族でした。よくいとこの17歳の女の子も来ていたので、年の近い女の子とたくさん買い物に行ったり遊びに連れて行ってもらい、今カナダで流行っている物や曲などを教えてもらったりと、毎日が充実していました。その中でもやはり通じない時には、簡単な単語に言い直して話してくれて、新しい単語を覚えることにつながり、とても勉強になりました。映画をよく見る家庭だったので、晩御飯の後にはみんなリビングで映画を見て、家族団らんに参加させてもらいました。弟たちはラクロスをしていて、日本ではあまり馴染みのないスポーツですが、何度も観戦できて、家で一緒に練習に付き合ったりもして、仲良くできました。特に小さい弟はピアノも習っていて、私もずっとピアノを習っていたので、教えてあげたり一緒に弾いたりもしました。


 学校は、初日にテストを行いました。reading、writing、speakingのテストの結果でそれぞれクラスが決められました。留学生のクラスはレベルが下から1~6に分かれていて、私はwritingが4、readingとspeaking(discussion)は3のクラスでした。クラスのレベルが高いほど周りに日本人は少なくなるので、自然に日本語を話すこともなくなります。writingのクラスの日本人の女子は私一人だったので、始めは本当に緊張していましたが、他の国から来た友達と仲良くなり、最終的には隣の席で協力しながら一緒に授業を受けられるほどになりました。一番苦戦したのは、私の取っていた授業でレベルが一番高い、writingの授業でした。先生はベテランの少しお年寄りの女の先生で、話すスピードも教科書を読むスピードもとても早くて、ついていくことにまず必死でした。エッセイが毎回課題として出されたのですが、合格するまで何度も手直しして提出するのが大変で、新しい単語や熟語、書き換えなど、英語で文章を書くうえで大切な基本を一から学べて、とても難しい分、一番努力して力になった授業だと、今になって思います。discussionの授業は毎日110分あり、一番クラス全体が仲の良いクラスでした。先生はとても親切だったし、普段海外で生活するうえでためになることをたくさん学んだ授業でした。例えば、その日習った会話の内容を帰ってホストファミリーに話すと、カナダではそれが普通なんだよ、とか他にこういう表現の仕方もあるよ、などとさらに深く文化を学べたりして、毎日楽しかったです。そしてまたそれを先生に話すと、クラスの中でそれを共有して勉強したりでき、好循環でした。毎日単語テストがあったり、前回習ったことの復習を抜き打ちでやることもあり、どんどん知識が増え自分の英語への見方がさらに良い方向に変わっていくのが分かりました。


 一番リベンジしたかった、友達との会話。今回の留学で果たすことが出来ました。積極的に行動することもリベンジすることの一つだったので、学校に張り紙で書いてあった「conversation partner」、つまり会話を練習する友達を作ろうという企画に一人で申し込み、カナダ人の友達ができました。その子の名前はBreeと言って、学校で日本語を勉強していて、日本文化などにも興味のある女の子で、とても会話が弾みました。日本から持って行ったお土産を渡すととても喜んでくれて、彼女の運転で買い物や日本食レストランにも連れて行ってもらい、たくさん交流しました。留学生のクラスで授業を受けるので、実際に交流できる現地のカナダ人は、ホストファミリーと先生たちしかいません。そのため、勇気を出して申し込んだこの企画が、カナダ人の同い年の友達を作る重要な機会になったので、積極性は本当に大切なことだと改めて実感しました。


 この4か月で、旅行に2か所行きました。一つは学校から行けるバンフツアーというもので、日本人がたくさんでしたが、学校が始まってすぐに参加しました。バスで10時間ほどの長旅でしたが、カナダらしい大自然や景色を目の前で見ることができ、深く心に残っています。雪がすごい地方だったため、山の頂上から見る雪景色が本当に最高でした!この旅行がきっかけで、日本の他の大学から来ている友達や先輩と知り合うことができ、留学最後までずっと仲良の良かった親友にも出会えました。もう一つはイエローナイフという地方に飛行機で行きました。この旅行は、discussionのクラスで仲良しになった男女4人で行きました。イエローナイフはオーロラが有名で、一緒に行った友達の誕生日も兼ねて、サプライズで見に行きました。地元の人が「オーロラは大抵綺麗に見るには3日ほどかかる」と言っていましたが、私たちはとても運が良くて、一発で、しかも数時間待っただけで見ることができました!オーロラを生で見ることなど一生に一度だと思います。目の前の空でオーロラが光ってゆらゆら揺れているのを見た時は本当に感動し、思わず泣いてしまうほど綺麗でした。地球は本当に広くて色々な人がいて、自分は本当にちっぽけな存在でも、こうやって日本でない場所で、日本人じゃない人と素敵なものを一緒に見ているのだと思うと不思議な気持ちになりつつ、今後もたくさんのことに挑戦していこうと自分のやる気もさらに上がった、意味のある旅行になりました。


 たった4か月の留学で、正直もっとカナダにいて、次の学期はさらに上のレベルのクラスに上がって英語を学びたいという気持ちもありましたが、ここで学んだことを忘れずに更に向上していけるように、日本での大学生活をもっと濃く、意味のあるものにしていこうと思いました。今までの人生で一番濃い4か月でした。この留学をするうえでたくさんの人にお世話になったので、本当に感謝しています。ありがとうございました。


ホストファミリーの家

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ケロウナの見どころ、オカナガン湖の前

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弟たちのラクロスの試合(休日に家族皆で応援に行きました!)

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バンフ旅行 ポストカードのように綺麗な後ろの景色に注目してください!

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中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 山本 帆夏)

 優しさをもらった4ヶ月

 私は三年生の夏からカナダのジョージ・ブラウン大学に中期留学をしていました。高校生の時から海外留学をしたいという目標があり、一年生の冬に公費留学の申込みをしましたが、TOEFLの点数が足りず落ちてしまいました。次の申込みが最後のチャンスだったので、二年生の一年間は毎日問題集を解いて、i-loungeのTAさんから解説をしてもらい、同じ問題を何回も解いて理解していく方法で取り組みました。それにより、翌年の公費留学生の枠に入ることができました。やっと今までの夢が叶うと思い嬉しかったのですが、出国日が近づくにつれて海外生活に対して不安になりました。ジョージ・ブラウンはホームステイが指定されていて、先輩方のお話を聞いていると相性が合うか合わないかで充実した生活が送れないという先輩もいらっしゃったので、自分はどんな家族なのか、また衛生面などで色々考えたりもしました。

 8月28日の夜にトロントに着きました。タクシーでこれから住む家に向かい、到着した時はすでに22時を超えていましたが、二人の女性とルームメイトの男の子に出迎えてもらいました。家もきれいで、二階の南向きの広い部屋が私のだと告げられた時は興奮しました。次の日、ルームメイトの中国人のノーマンが、ジョージ・ブラウン大学までの行き方とトロントのダウンタウンの一部、そして近所を案内してくれました。学校は街中にあり、ESLの校舎は別で建てられていました。その日の夜は、もう一人のルームメイトでスペイン人の女の子と対面しました。ミリアムという女の子で一か月だけの留学ということでしたが、すでに英語がペラペラでご飯の時はたくさん話してくれるので、私も緊張することなくホストファミリーとルームメイトと打ち解けられました。

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学校が9月6日からということで、授業が始まるまでの一週間はトロントを観光することにしました。私が特に気に入った場所は、トロントアイランドというダウンタウンからフェリーに乗って行く、少し離れた小さな島です。たくさんの植物と子供用の小さな乗り物がありました。奥に進めばビーチがあり、南国気分を味わえる場所です。その他にも、ルームメイトと3人でCNEフェスティバルという期間限定のテーマパークに行きました。

家にいる女性2人はホストマザーで、レズビアンだと聞き驚きました。日本だと珍しいことだと思われますが、海外で街を歩いていると男性同士のカップルもよく見ました。しかもマザーのジャニュアリーとミノーバはとても優しく、毎日美味しい料理をたくさん作ってくれました。私が来て一週間が経った日に、庭でバーベキューをしたりハンバーガーを作ったりしました。

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学校が始まりクラス分けテストをした結果、私はレベル5のクラスになりました。ESLの授業では、月曜がリスニングの授業で、火曜から金曜がその他の英語の授業という流れになっています。担任の先生はきれいな女の先生で、とても分かりやすく、尚且つ楽しく教えてくれるので、毎日学校に行くのが楽しかったです。授業後は、ワークショップという活動があり、そこで英語の発音の仕方やアメリカンサインランゲージを学びました。

手話教室は、実際に耳の聞こえないジョージ・ブラウン大学の生徒が毎週教えてくれました。ASLのみんなで耳の聞こえない人が働いているレストランに行き、手話で注文しました。日本ではなかなか体験できないことも、ワークショップを通してたくさん紹介してもらいました。

トロントでは毎年9月に国際映画祭が催されています。レッドカーペットが敷かれ、そこを有名な俳優が歩きます。私も3回くらい見に行きました。一番嬉しかったのは、クロエモレッツを間近で見れたことです。海外では、芸能人ととても近くで接する機会があるので楽しめました。

9月末には、Fall Festivalにボランティアとして参加してきました。小さい小学校の体育館と庭にゲームコーナーが設けられていたり、手作りのお菓子やその場で焼いたハンバーガーなどが売られていて、地域の子供たちや親がたくさん来ていました。私はフェイスペイントの係りで、小さい子たちの顔に子供たちの要望した絵を絵具で描いていくお仕事をしました。子供が大好きな私にとって、このボランティアはとても素敵な思い出になりました。

また、トロントからナイアガラの滝までバスで二時間程度で行けると聞き、さっそく行ってきました。着いた頃は雨がひどく室内から見るだけでしたが、夕方から晴れて虹を見ることができ、ボートで滝のすぐそばまで行くこともできました。水しぶきがすごく、顔などがずぶ濡れになりました。そのあとライトアップショーを見ることができ、とても良い経験となりました。

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 10月は、とても濃い一か月でした。カナダはアメリカより一か月早くThanks giving dayがあるので、学校が一日休みになるのを使ってニューヨークへ行ってきました。金曜の夜にバスでトロントを出発して13時間かけて行きました。カナダからアメリカへ入国する時に審査があるのですが、陸で渡る場合ビザやESTAはなくても行けました。ニューヨークは人がいっぱいで、何もかも高価でした。地下鉄も路線が大量にあり、地図を手放せませんでした。二日間の滞在で、両日とも雨で自由の女神をブルックリン橋から見ることができませんでしたが、それでも観光地がたくさんあって二日じゃ足りませんでした。一番良かったのは、ブロードウェイでアラジンのミュージカルを観たことです。さすが本場は違うと思うくらい感動するものでした。月曜の昼に帰り、夕方から家で感謝祭のパーティーが開かれ、ホストマザーの友人やその家族が来て、たくさんのご馳走とパイを食べました。  

また、10月はマザーの二人の友人の娘が誕生日で、毎週バースデーパーティーに招待してもらいました。毎回豚が一匹焼かれてテーブルの上に寝かされていて、これはフィリピンの伝統でお祝いの時に食べるらしいです。子供たちとたくさん話して遊ぶことができたので、とても楽しかったです。更に、マザーの友人の結婚式にも行かせてもらいました。カトリックの教会での結婚式は、私にとって初めての経験で、とても感動しました。

10月31日は、友人のホストファミリーと一緒に"trick or treat!!"と言って家を回りました。マザーから借りた蝶の羽をつけて子供たちと回ったら、21歳の私でもたくさんキャンディーやチョコをもらえました。様々な家がハロウィン用に装飾されていて、子供たちが大人からお菓子をもらって、とても良い文化だなと感じました。

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 11月から次のレベルの授業が始まり、友達も増えて毎日が充実していました。授業では毎回と言っていいほどsummaryを書く練習をしました。リーディングで読んだ記事をまとめることや、ディベイトで使うトピックにそった記事を探して、自分の主張をサポートする文章と反対の意見の文章を探してパラフレーズなどをしていきました。リスニングも聞いた話を要約することが多く、難しかったです。

行事では、11月末にキャラバン フェスティバルといって、自分たちの国の文化や食べ物を紹介し合うお祭りがありました。日本チームは、浴衣を着て書道と折り紙を体験してもらい、おにぎりとたこ焼きを提供しました。色んな国の食べ物や民族衣装・楽器などを体験できたので、とても楽しかったです。

他にも留学中に挑戦したことがあります。ジョージ・ブラウン大学ではカナディアンと接する機会がほとんどなく、会話する練習や友達をもっと作りたいという思いから、関西外大の友達とコミュニティ-グループを作りました。携帯のアプリで自分が興味あるグループに参加できるシステムで、日本の文化や言語に興味があるカナディアンと2時間弱の会話を週二回しました。トロントに住んでいる外国人もたくさん来ていて、どちらかと言えば日本語を教えている時間の方が多かったのですが、そこで出会った人たちとみんなで映画を観に行くなど、交友関係が広がったと思います。

 12月は毎日がどの月よりも充実していました。ESLの授業では、"petyakutya"という20枚のスライドを作り、一枚につき20秒プレゼンをするという課題や、summaryを中心にテストがありました。リスニングの授業では毎週テストがあり、聞き取ってその内容をまとめるというテストがほとんどでした。

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クリスマス前に、モントリオールというトロントからバスで6時間くらいの場所に行ってきました。公用語はフランス語でヨーロッパ風の街並みになっていて、多文化のトロントとはまた違う雰囲気でとても綺麗でした。可愛いお洋服のお店やおしゃれなレストランがたくさんあり、ここにはまた行きたいと強く思いました。クリスマスイヴは、ホストマザーが友達の家族を招待して、クリスマスパーティーを開いてくれました。マザー二人が朝から別々のキッチンでディナーの準備をしていて、デーブルにはレストランのビュッフェ並にご馳走が並んでいて、そのどれもがフィリピンの料理でとても美味しかったです。マザーたちは本当に私に良くしてくれて、クリスマスプレゼントにブラウスもくれました。ここの家に4か月住むことができて、本当に良かったです。この留学生活で、色々な国の人と交流して、それぞれの文化に対応する大変さもありましたが、海外生活をしたことで価値観が少し変わり、自分に自信がつきました。また、たくさんの人が私に優しくしてくれて、そのおかげで楽しめました。私も、もっと人に優しく、少しでも力になることができる人になりたいと感じました。

 

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中期留学報告(ジョージブラウン大学 小島 健汰)

留学を通して見えた新たな世界

私は、2016年8月28日から2017年3月13日まで、トロントにあるジョージブラウン大学に留学をしていました。留学を通して自分で感じた事や考えさせられた事を、大きく3点にまとめ、述べたいと思います。

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1つ目は、アメリカとカナダとの違いです。皆さんは、アメリカとカナダの違いを考えた事はあるでしょうか。私は、現地に行くまでに下調べをする事なく、トロントへ行きました。また、調べなかった理由としては、基本的にアメリカと変わらないと考えていたからです。ですが、調べなかったために、現地での生活に馴染むまでに、予想していたよりはるかに時間がかかりました。特に、コミュニケーションの取り方には苦労しました。なぜならば、私はカナダ人もアメリカ人同様、フランクで陽気にコミュニケーション取る事が出来ると考えていました。ですが、その様な態度で話をしていると、大きな壁を感じる事が、生活をしていて多々ありました。そして、この問題について現地で知り合ったカナダ人やホストファミリーに聞いてみると、驚きの答えが返ってきたのです。始めに言われたことは、トロントはアメリカではなく、カナダだということ。また、カナダ人はカナダ人の国民性があると言われました。そして最後に、トロントは沢山の移民で作られた街であるために、トロントに元々住んでいるカナダ人は、カナダの他の地域に住んでいる人よりも保守的であるという事を知りました。これらの事を聞いた時に、自分の中で納得出来ていなかった部分が全て納得出来たと同時に、自分の知識不足を悔やみました。もっと、カナダ、トロントの事を調べておけば、このような当たり前の事に気づく事が出来たと思います。この問題が解決してからは、以前とは異なり、コミュニケーションを上手く取ることが出来るようになりました。物事の見方を少し変える事で、時に世界は大きく変わるという事を改めて学び、実感する事が出来ました。

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次に、日本人の第二言語習得が進まない理由です。なぜ日本人は英語が話せないのか、また、国内で普及しないのか。一番の要因は、日本の経済力だと感じました。世界トップレベルの経済力があるために、国外に仕事を求めて出て行く国民が他国に比べると圧倒的に少ないからだと考えています。現在、日本でも格差社会と言われていますが、世界では日本とは比べ物にならない格差が存在します。また、私は現地で様々な人種の人々と話す機会がありました。そこで、明らかになったことが一つあります。それは、私達多くの日本人は、英語を習得目的に留学をしますが、他国の方々は仕事を求めて、もしくは、苦しい母国での生活から逃げ出し、より良い生活をするために来ている方が多いといいうことです。その為に、第二言語に対する考え方が異なっており、英語習得の必要性が我々に比べてとても高いです。これらの意識の違いだけを見ても、一目瞭然でした。そして、更にこの問題の詳細部分に言及するならば、日本の英語教育にも問題があると現地で感じました。我々日本人が考えている理想の英語は、イギリス英語やアメリカ英語であります。しかしながら、我々は日本人です。多くの日本人は、イギリス人やアメリカ人の様な表現や発音をする事は難しいです。そして、現代では英語は、イギリスやアメリカだけのものではなく、グローバル化が進んでいます。そのため、インドのように、自分達で基準を作り、インド英語のように英語を自分達に使いやすくする事が出来るようになれば、日本でも英語普及率は上がり、第二言語習得率の割合を大幅に上げることが可能だと考えています。

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そして、最後は現地での自分自身の成長です。留学を通して、語学力の部分では、話す力や聞く力は留学以前よりも伸びたと、自分でも実感しています。しかし、語学力以上に、現地で出会った素晴らしい人々のおかげで、1人の人間として成長する事が出来たことが、留学を通しての1番の財産になったと思います。自分が留学を終えて一番に感じたことは、「感謝」です。日本にいた時は、自分自身のことは全て出来ると思っていました。しかし、一度外に出てみると、最初から全てを自分自身の力のみで補うことは不可能でした。その時に、私に手を差し伸べてくれた家族、友人、ホストファミリーがいてくれたおかげで、私は留学生活を無事に終えることが出来たと感じています。留学をして得たこれらの多くの経験を、大学卒業後の長い人生に活かしていきます。

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そして最後に、これから留学をする方に1つだけ伝えたいです。留学を通して学ぶことは、決して英語の能力だけではありません。現地では、様々な人々との交流や、自分のやりたかったことに挑戦してみてください。そうすることで、沢山の失敗や成功から学び、今までには見たことがなかった景色が見えてくると思います。そして、それこそが、留学をする意義だと考えています。

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2017年10月 5日

中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 小川 純未)

濃すぎるCanada Life

私にとってたくさん成長できた、長くて短い留学生活でした。まず本題に入る前に、留学に行く事が出来たことを、両親や国際センターの方々に感謝致します。私自身、結構現地で何とかなるだろうという精神でカナダに旅立ったのですが、実際は何とかなった事は半分もないぐらいで、現地で自分の英語力の低さに悔しくなりました。なぜかというと、私は2つの問題にぶつかったからです。

1つ目は、トロントに来て早々、ホームステイの問題にぶつかりました。自分が気になった所や嫌な所を、言ったら申し訳ない、また、ホームステイを始めて間もないという事もあり、言えずにいました。しかし、私は昔から意見をはっきり言うタイプですので、黙っているのも嫌になり、まず紙に言いたいことを書き、それを使ってホストマザーに気持ちを伝えながら、片手に電子辞書を持って話し合いを行いました。それを行なったことで、初めてお互いの意見を伝え合う事ができ、環境を改善することができました。この事がきっかけで、本当の家族の様になり、今でもメールする仲になりました。

2つ目は、クラスの子達のボキャブラリー能力です。他国から留学に来ている留学生の方が、同じレベルなのに自分よりも単語を知っていて、授業中に意味を教えてもらったりする事が多かったですし、言いたい事も単語を知っていればなって思う部分が多くありました。私は結構プライドが高く、何より出来てなかった自分に、とっても苛立ちを感じましたので、単語を覚えてやると思い実践していくうちに、段々クラスの子と深く話す事が出来る様になりました。

学校面では、ESLの授業はもちろん、課外授業のボランティアやAmerican Sign Languageの習得など、幅広く気に入った物には参加をしていました。参加する事でTシャツを貰えたり、レベルの違う子たちと仲良くなり、授業後に話したりする機会も多くありました。また、どうやって相手に話しかけたりするのか、どのような言い方をしたら分かってくれるだろうかなど考え、文法を覚えるよう努力しました。他にも、大学の中にあるジムに通う事で、現地の生徒さんと仲良くなり、英語を教えてもらったり、私も日本語を教えるなど、お互いにとって良かった事も多くありました。そうすることで、互いの文化を深く理解し、新たな発見をする事ができました。

そして、Geroge Brown Collegeでは、イベントがたくさんありました。まず、新しい生徒を迎えてくれるパーティ、パンプキンのランタンを作るイベント、Halloween party、互いの国のブースを作り、模擬店の様なものでおもてなしするという文化際みたいなイベントなど、本当にたくさんイベントがあるので、それに参加する事でより深く人と繋がることができましたし、相手にもたくさん知っていただけるという機会にもなり、相乗効果があると思いました。

生活面では、大阪の大学の生徒さんと仲良くなり、その子たちとよく、観光や買い物、イベント、スポーツ観戦、ご飯に行く機会が多く、とっても満喫したなって思う事が多くありました。なぜかというと、私とその友達は外国人のノリなどを抵抗なく受け入れる事が出来るので、どこかに行く度に新しい現地の方や他国の方と仲良くなり一緒に行動したり、食事に行ったりする事が多くありました。私はトロントに来てから、現地の友達が欲しいってずっと思っていたので、この様な出会い方でも友達になり、連絡先を交換する事で次に繋げる機会がたくさんありました。

ホームステイでは、マザーの親戚のお家に連れてってもらい、たくさんのpartyに参加する事ができました。1つ目はThanks Givingです。これは、収穫祭を祝う日で、チキンなどを中心としたご飯をいただきました。2つ目はChristmas partyです。これは、マザーの親戚ほとんどが集まるので、大人も子供もいて大人数でした。そして、皆から私にsurprise presentを用意していただいて、凄く嬉しく思い、感謝もたくさん感じました。3つ目はNew Year's Party でした。ここまで参加して行くと、お互いに顔も名前も覚えているので、話しする事が増え、文法とか間違えると教えてくれたりもしましたし、飲み物がなくなると、何飲む?どういうテイストが好き?などたくさん聞いてくれる事により、私も答える事ができて、好みの飲み物を作って貰ったりもしていただけました。そして、何より嬉しかったのが、1日になった時、乾杯する時のコメントが私についてだったので、最初はホストマザーと意見がお互いに通じなくて困った事も多く、ホームステイ先を変えようかなと思った事もありましたが、めげずに向き合ってくれたマザーのスティ先で、本当に良かったと思いました。

最後の晩餐の日は、マザーはスポーツバーに連れてってくれました。なぜここにしたのと聞いたら、あなたはスポーツ見に行くのが好きで、よくスタジアム行くからここにしたのよ、とおっしゃっていました。凄くちゃんと私のこと思ってくれたのだなと思いました。また、帰国の際、とっても早い早朝便にも関わらず、ホストマザーは送ってくました。本当にお別れは寂しく、たくさん泣いていたら、あなたとは一生の別れじゃないのよ?離れていても、私はあなたを本当に娘の様に思うからこそ、連絡たくさんするからしてね。そうすることであなたは英語を忘れないと思うし、勉強にもなるからね。何よりあなたは夢のために来たのだから、そのための1つのステップに過ぎないのよ。いつでもまた戻っておいで。お部屋は開けておくし、緑茶好きになったから。と言っていただいて、本当に私はたくさんの方から思われて幸せ物だなって凄く感じました。この一期一会を大切にして行きたいなと思いました。

最後に、これらの経験を通して、本当に大きな成長をする事ができ、自分がこういうタイプの人間だと新たな発見もする事ができました。だからこそ、とっても寒くて大変だったけど、カナダに留学して良かったと思いました。なので、私はまたマザーの所に遊びに行こうと思います。もし、留学行きたいけどなとか迷ってるいる方は、ほんの少しでも行きたいと思ったら、行くべきだと思います。それによって変わる事もありますし、後悔もせずに済みます。私はどっちかって言ったら、行こうかな、けど・・・と迷っていたタイプでした。だけど、学生のうちでしか本当に時間がないなと思った時に、行く決断をしました。その結果、良い思い出や、嫌な事もたくさんありましたが、その反面たくさん成長するきっかけにもなりました。

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中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 細川 裕貴)

トロント留学で得たもの

私にとって留学は初めての経験でした。海外自体は旅行で何ヵ国か訪れたことがあるので、どんなところか大体想像できましたが、4ヶ月も滞在したことがなかったので、外国人とコミュニケーションが本当に取れるのか、とても不安でした。私は、お父さんとお母さん、お姉ちゃんにペットの犬と、最初の1ヶ月はベトナム人、最後の2ヶ月は台湾人のルームメートがいる家でホームステイをしました。家族は私を家族の一員として温かく迎えてくれたおかげで、なに不自由なく、まるで実家にいる感覚で過ごすことができました。しかし日本ではないため、食事には少し戸惑いを感じました。朝からピザやハンバーグ、夕食もピザという食生活のせいで、日本食に恋しくなる時期がありました。トロントには日本食料理店がいくつもあるので、日本食に恋しくなったときは友達と行くことが何度かありました。それでもお店を経営しているのは中国人や韓国人ばかりで、本物の日本食を口にすることはなかなかありませんでした。また、お風呂もお湯に浸かるという文化がないらしく、旅行で訪れたホテル以外ではシャワーで済ませていました。ホストマザーは私にとって第二の母のような存在で、私が街でホームレスにお金を迫られると困っていると相談したときは、真剣になってアドバイスをくれたり、学校の授業はついていけているか聞いてくれたりしました。また、課題で分からないところは教えてくれました。

最初、授業では先生がいったい何を話しているのか、理解することが全くできませんでした。理解できても、今日は課題があるという程度で、どこが課題なのかも分からない状態でした。グループワークをしていても、周りの学生が何について話しているのか、何を自分に質問しているのか分からず、とても恥ずかしい思いをしました。しかし、先生も周りの学生も、私がどれ程英語を話すことができないのか知ってくれたため、恥ずかしがらず、できないならできないなりに頑張ろうと決心して取り組みました。始めのほうは全く英語が理解できませんでしたが、最後の1ヶ月には先生の話す英語がまるで日本語を聞いているようにすんなりと頭の中に入ってくるようになり、数ヶ月ながら自分の英語力が向上したと、実感することができました。学校には日本人だけでなく、中国や韓国、ロシアやドイツなど、様々な国から来ているクラスメートがおり、彼らとコミュニケーションを取るときは、英語を使わざる得ない環境で勉強していました。しかし、英語を母語とするカナダ人が全くクラスにいないため、ネイティブスピーカーの友達はあまりできませんでした。

授業では、文法やライディング、リスニングなどを中心に勉強し、プレゼンテーションをする機会もありました。私が1番印象に残っているのは、プレゼンテーションです。本当に私が作った英文が相手に伝わるのか、この発音で合っているのか、そんなことを不安に思いながらも、何とか相手に伝えることができました。ペアでプレゼンテーションをした際には、1番仲の韓国人とやりました。プレゼンテーションの準備の段階で、同じアジア出身ということで文化も少し似ていることから話が盛り上がったことは、私にとって楽しかった思い出の1つです。私が1番驚いたのは、周りの学生の積極性です。彼らは自分が納得するまで質問をします。先生が話している途中でも質問をする光景に、自分は彼らと比べ勉学に対する意識が低いと感じてしまうことがありました。

もう1つ意識の違いを体験する機会がありました。それは、英語を学ぶ目的です。彼らは将来学びたい学問があって、その授業は英語で行われる、だから英語を勉強していると言っていました。彼らにとって、英語は手段にすぎないのです。それに比べ私たち日本人は、ただ留学に行きたい、英語を話せるようになりたい、といった目的で英語を勉強していることが多いので、彼らの勉学に対する意識を見習わなければならないと思いました。クラスの平均年齢もかなり高く、自分の両親と同じくらい、それ以上の年齢の人たちが多かったです。日本では30歳を過ぎても学生という人は珍しいことですが、世界を見れば何歳になっても学ぶ権利があって、学生でいてもおかしくないと気がつくことができました。

私は毎日地下鉄を使って通学していました。トロントの地下鉄には時刻表がありません。そのため、いつ電車がくるのか、何時に目的地に着くのか分かりません。更にしょっちゅう停まります。土日なると工事をするため地下鉄が走らなくなり、代わりにシャトルバスが運行されるなど、日本では考えられないことに戸惑いがありました。このようなことにも慣れ、今度の土日はどこの区間がシャトルバスになるのか、アナウンスを聞き取れるようにもなりました。

私はこの留学中に、モントリオールという街へ旅行に行きました。トロントは人口の9割が英語を第一言語とする街ですが、モントリオールはその逆で、人口の9割がフランス語を第一言語とする街でした。街の標識や看板はフランス語で書かれており、レストランのメニュー表や地下鉄のアナウンスまでもがフランス語のため、同じカナダという国にいるとは思えませんでした。モントリオールに住む人々も、基本会話はフランス語ですが、英語も話せます。バイリンガルで羨ましいと思いました。

トロントの地下鉄は日本と比べ運転が荒いと思っていましたが、モントリオールはそれ以上でした。電車は完全に停止する前にドアが開きます。これにはとてもびっくりしました。日本の地下鉄がどれ程素晴らしいのか、モントリオールの人たちに教えてあげたいと思いました。

トロントの冬はとても厳しいです。最低気温が-18度や最高気温が-8度といった、名古屋では考えられない日々が何日か続きました。服は何枚も重ね着をして、防寒対策をしていました。この寒さのせいで家の鍵が凍りつき、家に入れないというハプニングも経験しました。雪もたくさん積もり、雪が降る日は雪かきを手伝いました。雪かきを怠った家の前の歩道だけは雪が積もったままで、歩くのに一苦労しました。

私は、この4ヶ月という短い間ではありましたが、たくさんの貴重な体験をさせてもらいました。今ではもっと学びたいと思い、もう一度留学しようと考えています。この気持ちを忘れずに、次のステップへ進んで行きたいと思います。 

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中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 内藤 拓海)

 留学を通して学んだこと、成長したこと

 私は去年の夏から年末まで、カナダのトロントにあるジョージ・ブラウン大学に留学へ行きました。留学へ行く前から、多くの不安がありました。何を持っていくべきなのか、何をしておくべきなのか、色々な点で分からないことがありましたが、先輩や友人、またアイラウンジの人たちから助言をいただくことで、少しでも不安を取り除いて飛び立つことができました。何か一つでも分からないことがあれば、しっかり解決して行くことをお勧めします。

飛行機に搭乗してから、カナダまではあっという間でした。初めてカナダに着いた瞬間、これから何が起きるのだろう、という好奇心や、何か問題が起きるのではないか、という不安もありましたが、ジョージ・ブラウン大学の担当の方や、先生、スチューデントサクセスの方々が、いつも助けてくれました。もちろん英語での会話で、まだまだ拙かった私の英語を、意味が通じるまで丁寧に聞いてくれたことを、今でも覚えています。

最初に受けたテストでは、あまり自信がなく、本当にジョージ・ブラウン大学の授業についていけるだろうか、という心配がありましたが、自分のレベルに合った授業で、分からないことはすぐ先生に聞くと、優しく教えてくれました。最初のうちは、先生やクラスメートが何を言っているのか分からず、会話もできませんでしたが、クラスにも慣れ、英語を普段から使うことに慣れると、耳も慣れ、口から自然と英語が出てくるようになりました。英語を覚えて話す、というよりも、定型文をどれだけ使えるかが英会話の鍵となるということが分かった瞬間でした。しかし、定型文だけでは会話は続きませんでした。普段の会話の中で、新しい英単語や文法などを使い、日々英会話の幅を広げてきました。その中には、授業で習ったことや、先生が使っている英語をそのまま使うことがありました。授業の中でも、先生が使う英語を真似することで、発音やイントネーション、使い方を学ぶことができたのです。

英語を話す機会は、授業中やクラスメートとの間だけにとどまらず、街の人やお店の店員さんなどを通して得ることもでき、様々な話し方をする人がいました。単に英語と言っても、アメリカ人の英語とイラン、ブラジル、中国、日本人の英語は全然違うものでした。母国語の発音が根にあるので、発音やイントネーションが違ってくるのです。初めて聞いたときは全く意味が分からなかったり、何を言っているのかすら分からず、本当に英語を喋っているのか?という疑問すら浮かびました。また、母国語の文法が混じって、文法がごちゃごちゃな人もいました。しかし、様々な人の英語を聞いているうち、あ、この人はイランの人なのだな、と分かるようにもなりました。このように、単に英語を学びに行った私にとっては、衝撃的なことばかりでした。

英語力を伸ばすだけなく、カナダ生活もしっかり満喫してきました。トロントには様々な名所があり、時間がたくさんあった私にとっては、とても良い場所でした。水族館やトロント島、スポーツ観戦にショッピングモールと、此処では挙げきれないほどの観光名所がありました。特に衝撃を受けたのがショッピングモールでした。日本とは比べ物にならないくらいの大きさで、入っているショップもとても多く、一日では周り切れないほどでした。また、スポーツ観戦も、日本では味わえないものでした。圧倒的なスタジアムの大きさに、お客さんの数、極め付けは熱気でした。チームに対する熱狂的な応援や声援、思わず圧倒されました。

 また、食文化においても驚く点がたくさんありました。日本にいるとき、海外のご飯はあまりおいしくないと思っていましたが、カナダのご飯はおいしいものばかりでした。もちろんホストマザーが料理を作ることが上手だったこともありましたが、外へ食べに行けば美味しいものばかりでした。ハンバーガーにステーキ、パスタなど、日本食に近いとは言えませんが、美味しいものがほとんどでした。カナダで有名は、お寿司屋さんにも行ったのですが、日本食に似たものは出てきましたが、どれも日本食を真似したようなもので、日本人が食べると、あれ?と思うことがあると思います。実際に私も色々試してみましたが、納得のいかないものが多かったです。よかったら行ってみてください。

また、外食した際、チップというものがあり、最初は理解に苦しみました。もちろん日本にはチップという概念がなく、何に対して支払うか、いくら払えばいいのかなど、最初は分からないことだらけでした。しかし、外へ行くことが増すたびに、此処ではいくら払えばいいのだな、という感覚がつかめてきました。基本的に合計金額の10%から12%ほどのチップとして払い、サービスが良ければ気持ちとしてもう少し置いておく、というものです。このような点でも、文化を理解することができ、良い経験になりました。

 私は、このカナダに留学できたことを誇りに思っています。また、支えていただいた家族や国際センターの方々など、書ききれないほどの人に感謝をしています。様々な場面で、力不足だった私に対して、優しく教えていただいたことや、安くはないお金を出してくれた両親、たくさんの思い出をくれた、現地で知り合ったクラスメートや友人など、たくさん助けていただきました。私はこの感謝の気持ちや、現地で得ることができた経験を元に、将来はホテルマンという仕事に就けるよう努力していこうと考えています。

留学する前までは拙かった英語も、日常会話をできる程に成長し、外国人特有の人柄や海外の文化など、様々なことを吸収した結果が、今の私を作り上げていると思います。英語力と、他の価値観や文化を吸収し理解したことは、ホテルマンとして、そして人間として、近い将来、役立てたいと考えています。この留学を通して学んだことに、1つも無駄なことはありませんでした。カナダに行って、世界が変わった、というと大げさになりますが、価値観は大きく変わったと思います。就活が終わり、落ち着いた頃には、またどこかへ出かけたいと思っています。


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中期留学報告(センテニアル大学 大谷 真央)

留学で体験したこと

私が留学先に選んだ大学は、トロントのダウンタウンから少し外れた郊外にある、センテニアル大学でした。カナダにある大学で、その中でも寮で生活ができるという条件で選んだこの大学は最近提携が始まったばかりだったようで、私を入れても名古屋学院大学からの留学者は3人しかいませんでした。そのため、情報が少なく、昨年度に行った先輩に連絡を取って相談をしたり、手続きの仕方や学校の雰囲気を教えてもらったりしながら、留学準備が始まりました。入学書類の提出や学費の振り込みは割とすんなりと終わり安心していたころ、寮の手続きの際に、今年から寮が新しくなったことで半年の留学者は寮に住めないと大学先の担当者に言われて、何とかならないか掛け合ってもらうことになりました。担当者から一週間後にまた返事すると言われ待ちました。しかし、1ヶ月経っても全く返信が来ないことに焦り、自分から問い合わせると、まだ会議中だと言われ、ついには解決できないかもしれないとホームステイを勧められました。私はどうしても寮で自分の力で生活し、生徒と交流を持ちたくて寮がある大学を選んだので諦めきれず、寮の担当者に直接メールを送ることにしました。その後許可が出て入寮手続きは完了し、無事に寮で生活することができるようになりましたが、まさか現地に行くまでの段階で躓くなんて思ってもいなかったので、正直心配でなりませんでした。直前まで荷造りが進まず、手続きがバタバタして本当に行けるのか心配だったけれど、時間が経つのは早いものであっという間に出国の日になりました。

日本を出てカナダに到着するも、今度はピックアップが来ない、自分が見逃したのかとターミナルをぐるぐる回るも見つかりませんでした。どうしようとまたここで焦りながらとりあえず待ってみようと思い、沢山ピックアップの札を持つ人たちがいるところに行き待ちました。途方に暮れながら大学に電話してみたけれど、誰も電話に出ないので必死に担当者の連絡先に電話をして、やっとのことで連絡が取れました。ピックアップがその場にいるか確認を取ってもらおうと相談したら、オフィスの担当者がもう帰宅しているとのことで確認が取れないため、取りあえずタクシーで大学まで来るように言われなんとか到着しました。

この2つの出来事で、授業が始まる前から不安ばかりが募っていましたが、周りの環境に恵まれ、学校生活はとても楽しかったです。大学には日本人がほとんど居なかったため日本語を使うこともなく、他の大学に比べて環境はとても良かったです。しかし、カナダがマルチカルチャーな国で色々な人種の人を町中で見かける中、クラスメイトや寮の生徒はインディアン系とアジア系が多く、周りから聞こえてくる英語は訛りがあり、ここがどこの国だか分からなくなる時もありました。アジア系が多かったため、食事や性質などの感覚はとても似ていて、居心地はとても良かったです。ルームメイトのベトナム人のJunはカナダに到着した初日の夜、自分も昨日来たばっかりなのに、私に気を遣って夕飯を作ってくれたり、まだ身の回りが整っていないだろうと必要なものを貸してくれたり、空港にて一人で待っていて心細く疲れていたことから、彼女の優しさが本当に身に沁みました。もう一人のルームメイトXiaoは年上の中国人で、落ち着いていて頼れる姉のような存在でした。以前、友人から中国人がルームメイトだったときの話を聞いていたために、彼女に対してすごく不安があったのですが、考え方や好きなことも似ていて、とても仲良くなれたので、偏見や外から聞いた情報に左右されてはいけない、自分で実際に会ってどうだったかで判断することが大事だと思いました。そして、二人ともとても優しく、会話をしていて分からなかったり聞き取れなかったりしても、きちんとコミュニケーションをとってくれたので、自分の英語力とコミュニケーション力の両方の向上にもなったと思います。特に毎日一緒にいることや出かけることはなかったけれど、たまたまみんな同じ月に誕生日だったことで、他にも仲の良い友人を誘って一緒に外食を食べにダウンタウンまで行き、誕生日を祝いました。今まで部屋で一緒に食事を共にすることはありましたが、いつも外に遊びにで出かけているJunと、外出があまり好きでないXiaoと、みんなで揃って食事に出かけることは私にとってとても楽しく、いつもと違ったわくわく感でいっぱいで、とても素敵な誕生日会になりました。

ルームメイトと仲は良かったと思うのですが、一回だけどうしても理解できないと、Junと言い合いになってしまった出来事がありました。Junは体調が悪いと言い、学校を休んでいたので夕飯を変わりに作っていたのですが、突然彼女の友人が部屋を訪ねて来てソファでずっと話し込んでいました。夕飯の準備ができ、友人がいつ帰るのかとJunに聞くと、夕飯に招待していると言われました。夕飯を作っていた私としては、人数分しか作ってないし、もし招待しているのなら教えてほしかったことと、自分が風邪を引いているのになぜ友人を夕食に招待したかが理解できず、なぜそんなことをするのか、もっと自分の体を大事にして体調を戻すようにするべきだと責めてしまいました。とりあえず、夕飯を取った後に彼女と話し合いをし、解決はしました。ベトナム人は、風邪や体調が悪いときは、自分ではできないから友人に頼って、頼られた友人はその人を助けてあげる文化があるそうです。日本の場合は、風邪を引いたら友人にはうつさないよう会わないことが多いと思います。お互いの文化と価値観の違いを知らなかったために、理解できないとぶつかってしまいましたが、この事がきっかけで何でもお互いに言い合え、気まずくなることもなく、その後からの生活がしやすくなりました。今でもインターネットを通して、近況の報告などの連絡を取っており、貴重な友人を作ることができたと思います。

留学で初めて親の元を離れ、何事も自分で解決し進めていかなければいけばいけないこと、そして自分のことは自分でしっかり管理していくことの大変さを、とても感じました。自分で毎日食事や洗濯、掃除など全部身の回りのことをこなさなければいけないのは初めてで、一人で生活してみて、普段は親がいるからと言って甘えていた自分がよく分かると同時に、当たり前のように世話をしてくれていた親の有難みを改めて感じました。留学してみて、勉強面だけの成長だけでなく、日本で今までのように生活していたら経験できなかったような体験や気づきが増え、4ヶ月という短い時間だったけれど、とても貴重な留学期間だったと思います。

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中期留学報告(ジョージ・ブラウン大学 佐藤 空)

外国と日本の違い

 私は中期留学でトロントにあるGeorge Brown Collegeに行っていました。トロントのホームステイ先に着いたのが夜中の11時だったんですが、ホームステイ先に行くまでに後輩と2人でタクシーに乗り日本語を話していたのに、ホームステイ先に入った瞬間に言語が英語になり、これが留学かと実感しました。荷物を置いたらすぐに家のルールを説明され、OKしか言えなかったのを覚えています。つい昨日までは日本で生活していて、家族も友達もいたのに、これからは1人でこの家に住むんだと考えたら不安で、初日からホームシックで、いろんな友達にLINEをして帰りたいと言っていました。トロントのことを何も知らない中、次の日には友達と生活用品を買いに出かけ、持っていったクレジットカードの暗証番号が分からずロックがかかってしまい、2日目でなかなかの困難に陥りました。さらに、2日目から家に帰るとき迷子になってしまい、怖そうな人たちがハイタッチなどをしている中、優しそうな人に声をかけ、なんとか家にたどり着きました。こんなんで本当に4ヶ月も暮らしていけるのか、不安しかない状態でした。


 しかし、学校が始まるまでの1週間、一緒にタクシーに乗っていた後輩と、休学してトロントに来ていた大学の友達と出かけていたら土地勘がつき、公共交通機関の乗り方にも慣れ、不安が徐々になくなっていきましたが、ホームステイ先ではうまくいかずママに嫌われてしまい、言葉の壁が大きいことを実感しました。お風呂上がりに床が濡れるのでモップで拭けと言われ、毎日拭いていたのに拭いてないと怒られ、その度に拭いたと言うのですが信じてもらえません。ホームステイさせてもらっているので床を拭いているのに謝り、これではやってないと認めてしまったも同然で、言いたいことがあるのに言葉が出てこない、伝わらないのが、とてももどかしかったです。


 ホームステイ先を変え、二件目のホームステイ先に行ったところ、とても良い家族で安心しました。英語があまり喋れないことを理解した上で、人見知りの私に積極的に話しかけてくれたり、映画を一緒に見ようと言ってくれたり、とても良い家族でした。私は4ヶ月半留学していたのですが、最初のホームステイ先を1週間で変えたので、留学のほとんどが二件目のホームステイ先で過ごしていました。なので、トロントを出発する時とても寂しかったです。


 学校では2ヶ月でワンセメスターが終わるので、ツーセメスター受けてきました。最初のセメスターはレベル3だったのですが、先生が厳しく電子辞書も携帯の辞書も使ってはいけなかったので、分からない単語は先生に聞くか、紙の辞書を使うしかありませんでした。どちらも日本語ではないので、意味を聞いても理解できなかったりする単語があり、苦労しました。トイレも1人ずつ、先生に聞いてからではないと行けませんでしたし、クラスの年齢層が高かったため、大人は我慢させられていました。私は我慢させられていません。しかし、教え方は上手で何回もリピートしてくれます。分からないことでも何回も言われていると理解できるし、忘れにくくなります。


 そのおかげでレベル4でもついていくことができたし、今でも先生の言っていたことが頭から離れません。レベル4になってからは、スチューデントサクセスという生徒の助けをしてくれるところで、週2回個別で英語を教えてもらっていました。スピーキングと小説の要約をやっていたのですが、最初はうまく喋れないし、話は分かっているのに言葉が出てこなくて、自分に腹が立っていましたが、2回目からは自然と言葉が出てきて、先生が頷いてくれることに喜びを感じ、自分の英語力が上がっていることを実感していました。


 学校以外では、トロントの様々なところに行きました。メジャーリーグやサッカーやNBAやアイスホッケーなど、スポーツはだいたい見に行ったと思います。どれも迫力があり、観客の人も日本とは違い地元愛を感じました。トロントの人たちは9割がトロントのチームを応援しているので、相手チームが得点を決めたときのブーイングや、トロントのチームが得点を決めたときの歓声が凄くて、圧倒されました。


 トロントで1番でかいショッピングセンターのイートンセンターがあり、学校からも近かったのでほぼ毎日イートンセンターに行っていました。日本では考えられないくらいのフードコートの大きさと量の多さに最初は驚いていましたが、1ヶ月もすれば慣れてきて、気づけば太っていました。食べる量を減らそうと思っても、美味しさには勝てませんでした。1週間のうちマックに行かない日がないくらいで、留学終盤には、2日に一本のペースで2リットルのジュースを消費していました。


 ハロウィンやクリスマスは思っていた通り日本とは本気度が違い、ホームステイ先に飾ってあったクリスマスツリーは、本当の木を使っていました。日に日に飾りが増えていくことに、幸せな気分を感じました。


 トロントは良い人たちで溢れていて、向こうから助けてくれたり、バスの乗り方も丁寧に教えてくれます。何か物が落ちれば教えてくれるし、日本人ではないことだと思いました。思いやりと優しさがあるというのは素晴らしいと感じると同時に、自分もこういう人になりたいと思いました。ただ、電車やバスに時刻表がないことや、土日に昼間から工事をしていて電車が動いていなかったり、電車がすぐ遅れることに関しては、日本の素晴らしさを感じました。


 自然が多いトロントは、街中にとても大きい公園が何箇所もあり、留学に行ったばかりの9月に公園に行くと、とても気持ち良かったです。リスがたくさんいて、いろんな人がベンチでくつろいだり、子供たちが遊んでいたりと、見ていてとても良かっです。いつもは電車で帰るところを途中の駅まで散歩して帰ったりして、トロントを満喫していました。


 海外で4ヶ月半過ごすという、一生に一度できるかできないかの経験をして、様々なことを学びました。小学生の頃から海外に行きたいと思っていたので、トロントで今までにないくらい英語に触れることができて、とても良かったです。もし機会があれば、また英語を学びに行きたいと思います。


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中期留学報告(マキーワン大学 西川 翔真)

初めての一人暮らしin CANADA

学校

カナダのマキーワン大学では、ESLを3つ取り、毎日9時半から午後2時まで学校で勉強をしていました。1クラス80分で休憩が10分なので昼ご飯を食べる暇がなく、昼を買いに行くと遅刻します。カナダは移民の人に対して比較的寛容な国なので、クラスメイトも世界各国から来た人が多いです。また、年齢も自分たちが居た時は結構おじさんやおばさん等、年上が多かったです。そのため色々な国の人と話す機会を持つことができ、また様々なアクセントの英語を聞くことができ、これは他ではなかなか体験できないと思います。授業はもちろん全て英語で進み、クラスメイトとの雑談でさえ英語です。毎日同じ授業の繰り返しなので、宿題はその日の晩に片付けるのが基本でした。量はあまり出なかったですが、1つ1つが難しかったです。授業内ではペアワーク、グループワーク、本読み、これらのことをやり、現地の大学に入って授業を受ける準備という感覚で授業を受けると良いと思います。授業は基本的に座って話を聞いているだけでは、理解はできても参加できているという実感を得られません。それどころか疎外感を感じます。先生と生徒が授業を作る感じでした。一回発言してしまえば空気に慣れて発言できるようになります。間違えるより、黙っている方が恥ずかしいという日本とは違う空気でした。また、他の生徒も適当なことを言ったりしていたので、とにかく大きな声で先生にアピールするのが良いと思いました。

カナダのマキーワン大学では、ESLを3つ取り、毎日9時半から午後2時まで学校で勉強をしていました。1クラス80分で休憩が10分なので昼ご飯を食べる暇がなく、昼を買いに行くと遅刻します。カナダは移民の人に対して比較的寛容な国なので、クラスメイトも世界各国から来た人が多いです。また、年齢も自分たちが居た時は結構おじさんやおばさん等、年上が多かったです。そのため色々な国の人と話す機会を持つことができ、また様々なアクセントの英語を聞くことができ、これは他ではなかなか体験できないと思います。授業はもちろん全て英語で進み、クラスメイトとの雑談でさえ英語です。毎日同じ授業の繰り返しなので、宿題はその日の晩に片付けるのが基本でした。量はあまり出なかったですが、1つ1つが難しかったです。授業内ではペアワーク、グループワーク、本読み、これらのことをやり、現地の大学に入って授業を受ける準備という感覚で授業を受けると良いと思います。授業は基本的に座って話を聞いているだけでは、理解はできても参加できているという実感を得られません。それどころか疎外感を感じます。先生と生徒が授業を作る感じでした。一回発言してしまえば空気に慣れて発言できるようになります。間違えるより、黙っている方が恥ずかしいという日本とは違う空気でした。また、他の生徒も適当なことを言ったりしていたので、とにかく大きな声で先生にアピールするのが良いと思いました。

生活

8月の終わりから12月半ばまでマキーワン大学に隣接している寮に住んでいました。2人部屋でカナダ人のルームメイトと暮らしていました。ルームメイトと言っても、個別に部屋が与えられ鍵もついているのでプライベートなスペースは確保できます。ルームメイトとはたまに話したりして、自分の料理が余った時は、彼を呼んで一緒にご飯を食べたりしていました。また、ルームメイトがボクシングジムに通っていたので一緒についてき、2時間のきついレッスンを体験して来ました。部屋ですが、キッチン、冷蔵庫、トイレ、シャワー洗面所は共同で使用します。また、自分は入寮した日に$300払って、お引越しキットを買いました。調理器具、食器、ベッドシーツ、枕、毛布、は初日に確保できました。これらはもっと安い値段で後から揃えることができます。

隣人は自分と同じ立場の交換留学生でした。廊下等で会えば軽く話す感じでした。寮で暮らす利点は学校に近いことと、寮内にいると色んな生徒と会うので顔を覚えてもらいやすいことだと思います。しかし、寮にはシャワーしかなく、四ヶ月風呂に入ることができませんでした。どうしても暖かい湯に浸かりたい場合は、学校にあるホットタブ(温水プールのようなもの)に入るといいでしょう。また、トイレも日本のように機能がついているわけでもありません。洗濯機は1つのフロアに2台しかなく、タイミングが悪いと全然服が洗えませんでした。エドモントンは−10度くらいになる日もあり、かなり寒いですが、寮の窓は2重になっているしヒーターもしっかりついているので、ブランケット1枚でも暖かく眠れました。

失敗

着いた初日は空港での乗り換え、どのターミナルに行けば良いか等、旅行慣れしていないため時間がかかってしまいました。事前に航空券をしっかり見ておけば良かったと思いました。また、寮に着いて1週間くらいの頃いくつかイベントがありましたが、参加したもののあまり積極的に話に行けませんでした。しばらく経ってからは、とにかく色んな人に挨拶だけでもして顔を覚えてもらい、イベントで話しかけれるようにはなりました。そうやって、地道に顔を覚えてもらって話していました。あとは荷物を日本から持って行きすぎたため、現地でかなりの額のお金を使って日本に生活用品を郵送しなければいけませんでした。基本的に売っているものは同じなので、生活用品は現地調達が結局安くつくと思います。

友達

残念ながら、皆が自分を快く受け入れてくれるわけではありません。話しかけても冷たい反応をされることもありました。しかし、良い人が見つかるまで、とにかく声をかけ、その中から仲良くできそうな人を選べばいいと思います。自分は ESLにいるクラスメイトとよく遊びに出かけました。ゲームセンターに行ったり、ご飯を食べに行ったり、時には車を出してくれたりもしました。友達がその友達を呼び、少しずつ輪が広がっていきました。また、学内で開催されていたサッカーのリーグに参加していたので、その場でもチームメイトと作戦について話したり、一緒に走って汗を流しました。自分はサッカーを10年ほどやっていたので、かなり目立つことができました。もし自分に何か得意なことがあるなら恥ずかしがらず、それを前面に出し、調子に乗れると顔も覚えられるし、話しかけられやすくなると思いました。とにかく存在感をアピールすべきだと思いました。エドモントンは基本的にバスと地下鉄で、移動はなんとかなりますが、やはり車を持った友達を見つけると、行動範囲も広がると思います。自分は四ヶ月という短い滞在だったので、ようやく色々と交流の輪を広げられたかなと思ったら、帰国となってしまいました。

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中期留学報告(クワントレン大学 奥田 えりか)

最も濃かった4ヶ月間

8月末から12月末までの4ヶ月間、カナダのバンクーバーへ中期留学をしました。この留学は私にとって初めての海外経験であったため、出発前は初めて海外へ行けることと、留学することに対してのわくわく感、また、初めての海外滞在が4ヶ月間で1人でカナダへ行く不安感がありました。私は幼いころに乗ったきりの飛行機にも不安があったため、直行便でカナダへ向かいました。フライト時間は約10時間。日本を夜出発したため、バンクーバーにはお昼過ぎに着きました。私はそこで初めて時差ぼけを体験しました。バンクーバーはカナダの中では都会の町で、多くのビルやマンション、観光地がありました。私が到着した時期のバンクーバーは、暑くなく、既に肌寒かったです。ホームステイ先はリッチモンドというバンクーバーの隣の町で、ファミリーはフィリピン系の方でした。その家族は何度も留学生を受け入れたことのある家族だったため、最初からとてもフレンドリーに話しかけてくれました。しかし元々、リスニング力・スピーキング力が低く、自分の英語に自信がなかった私は、話したいことをうまく伝えることができませんでした。あの時、悔しい、これから4ヶ月頑張ろうと改めて感じさせられました。

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 私の通ったクワントレン大学は、4つのキャンパスを持ち、私はその中のサレーというホームステイ先の隣の町のキャンパスで授業を取りました。そのため毎朝早く起き、バスで通いました。授業はESLの授業のみを受けました。この大学のESLを受けている生徒のほとんどは移民で、最初授業を受けた時、周りと自分の英語力の差に驚き、このままやっていけるのか不安になりました。しかし、クラスメイトは優しく、私の話す英語が間違っていたら正しく直してくれたため不安はなくなり、ちょっとした安心感が生まれました。

一方、最初の頃は宿題の多さに驚き、苦労し続けました。留学が決まってから出発までに、派遣留学生のプログラムとして様々な課題をこなしてきました。毎日大変だなと思っていましたが、カナダへ行き、それまで以上の大変さを感じました。毎日学校が終わってから部屋にこもり、宿題をこなす日々が続いた時は、私は何をしにここに来たのだろう、このままでいいのか、とても悩みました。そんな時、カナダの違う大学に留学していた親友に様々なことを相談し、アドバイスをもらいました。それまでは、やるべきことは最初に終わらせる、という考えを持っていました。しかし親友から、それも大事だけど、カナダに何をしに来たか、時間の使い方や優先順位を考えるべきだと言われ、物事に対する考え方を変えることができました。それ以降、この留学を無駄にしまいと、自分を変える努力をしました。すると宿題もそれほど苦に感じなくなりました。私が授業の中で印象に残っているのは、クラスメイトの積極性です。ほとんどの生徒が分からないことがあったらその場で質問し、理解できるまで質問し続けたり、率先して授業を受けている姿を見て、日本ではないことだなと思いつつ、私も自分のために、周りの生徒に負けないくらい積極的になりました。

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また、この4ヶ月間、様々なイベントを通して、文化の違いや考え方の違いを学ぶことができました。カナダでは、祝日はいつもより豪華なディナーを用意し家族全員揃って食べたり、ハロウィーンやクリスマスといった季節のイベントなどは家族や親戚と盛大に祝い楽しみます。家族を大事にし、年齢関係なく楽しんでいる人々を見て素敵だと感じました。また私が留学していた4ヶ月間は、毎月祝日やイベントがあったため、日本では体験できない多くの経験をすることができました。

 4ヶ月は長いようで、あっという間です。私は限られた時間の中で、より効果的に英語を身に着けようと3つのことに挑戦しました。1つ目は、ボランティア活動への参加です。カナダではボランティア活動をすることは高く評価されています。そのため学校内はもちろん、様々な場でボランティア活動が行われています。私はボランティアに参加し、現地の方と交流することで英語を身に着けようと思い、大学で募集されていたものに参加しました。4つほど参加しましたが、どの活動も自分のためになったと思います。その中でとても楽しく、嬉しかった活動があります。それはクワントレン大学の学生に交換留学に興味を持ってもらうための活動です。多くの学生と留学について話し、また日本の良さを伝えました。すると、もともと日本が好きという1人の学生が、「本当に日本へ留学したい。あなたのいる大学にぜひ留学してみたい。」と私の話を聞いて、留学を本気で考えてくれた生徒がいました。その時私は、この活動に参加して良かったと心の底から思いました。

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2つ目は、ホームステイ先近くの体育館で行われていたバスケットボールグループに参加したことです。高校まで部活動で、大学ではサークルでバスケットボールを続けている私は、運動不足解消のためにも何かスポーツをしたいと思っていたので、ホストファミリーに相談し、このグループを見つけました。学校が終わってからは時間的に厳しく、なかなか参加できなかったり、若い男の子が多く最初はためらったりもしましたが、楽しくバスケットボールをすることができました。また最初は、ゲーム中に飛び交う早い口調の英語が聞き取れないことがよくありましたが、それも徐々に慣れました。

3つ目は、家族と行動することです。すぐ終わるようなちょっとした買い物でも、私はついて行きました。その理由は、家族と仲良くなれるのはもちろん、たくさんのことを教えてもらったり、学ぶことができるからです。家でゆっくり自分だけの時間を過ごすのも時には大事ですが、限られた時間の中でレベルアップするには、とても良い方法だったと思いました。

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 中学生の頃から興味のあった留学が実現し、自分の可能性を試すことができたこと、主体的な人間に、また物事に対する取り組み方が変わったことは、今後の学生生活やその後に生きると思います。カナダで学んだ4ヶ月間を無駄にしないように、今後も様々なことに挑戦し続けたいと思います。


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中期(延長)留学報告(ジョージ・ブラウン大学 牛田 実里)

I'll definitely go back to Toronto

私は2016年8月末から2017年5月初旬までの8カ月間、カナダのトロントにあるジョージブラウンカレッジに留学していました。

 トロントの気候は8ヶ月間を通してみると、私は日本より過ごしやすいと感じました。8月末からの留学ということもあり、夏は涼しく、冬は雪が降る日以外は寒すぎないという感じでした。また、カナダの家ということもあり、家で暖房をかけるということは滅多に少なく、家の中はずっと半袖か薄手の長袖で過ごしていました。トロントでは秋が一番短い季節ですが、一番きれいな時期であると思います。日本にはないオレンジや黄色の紅葉が、私のお気に入りでした。

私のホストファミリーはフィリピン人で、9歳の男の子がいる家庭でした。家はアパートで、ダウンタウンからはバスと地下鉄で30分くらい離れています。とても優しいホストファミリーで、ホームステイの受け入れをするのが初めてらしく、まるで家族のように接してくれました。日本からのお土産は日本の浮世絵の掛け軸、お箸、ポケモンのグッズ、日本のお菓子などを送り、中でもお菓子は抹茶のキットカットを気に入ってくれました。また、休日には海やアウトレットに、夕食時には外食にたくさん連れて行ってくれました。8ヶ月間、ホストファミリーを変えることなく楽しい留学生活を送ることができたのは、ホストファミリーのおかげでもあります。

 ジョージブラウンカレッジはESL(English as a second language)の他に料理、ビジネス、ホスピタリティ、デザインなど様々なことが学べる大きいカレッジです。ESLではレベル1から9まであり、私はレベル4から7まで学びました。レベル6までは月曜にListenin, Speakingの授業、火曜日から金曜日はWriting, Readingで、時間は朝9時から13時までで、先生は2人でした。Level7では、Hospitality, Business, Regularから選ぶことができて、私はHospitalityを選び、月曜は自由選択でGlobalizationを取り、時間はこれまでと変わりませんでした。レベル4では2つのプレゼンテーション、文法が中心です。レベル5は1つのディスカッション、1つのグループプレゼンテーション、記事から取り上げたWritingが中心で、レベル6は1つのディベート、1つの自動再生のプレゼンテーションでレベル5よりアカデミックな内容。そして、レベル7では3つのプレゼンテーション、即興Speaking、毎週Case study、5つのブログ(3つは料理を実際に作る)でした。レベルが上がるごとに使用する言葉も専門的になっていきましたが、楽しさも増えていきました。Globalizationでは、世界中グローバル化してきているため、全世界に関わる問題を取り上げた授業でした。また、ジョージブラウンカレッジの先生は国際的知識を持った人、様々な国へ渡航された経験を持った人が多く、そのため英語のことだけでなく、学ぶことが多かったです。また生徒は、大学ではなくカレッジなので、多国籍で年齢も様々でした。国によって文化が違うので、クラス、学校内でそれを直で感じることができ、また世界事情をその国出身の人から聞き、それについて話すことができたので新鮮でした。ジョージブラウンカレッジで英語を勉強することができて、良かったです。

 私の留学当初の英語は壊滅的で、聞き取るのもゆっくり言ってもらわなければ分かりませんでした。正直、Yes/No, I can/I like/I want toぐらいしかすぐに出てこなかったです。また、ジョージブラウンカレッジは日本人が多く関西外国語大学からも留学に来ていて、約50人いたこともあり、日本語に対して悩みました。その時私は、日本人・日本語からただ避けていただけで、それは環境作りだけで、それをしたからといって、自分から行動しないと意味のない状況でした。また、ESLは孤立した建物でクラブ活動もないということから、ネイティブと出会うことが難しく、日々どのように英語と触れ合うか悩んでいましたが、先輩から、日本人は良いライバルにもなるから、お互い切磋琢磨しながら理解し合える子を作ると良いねとアドバイスをいただき、日本人のことで悩むのをやめました。そうすることで、自然と外国の友達もできていきました。逆に留学が終わる2か月前、日本人が数人しかいないという状況を体験しました。その時は、日本語を話したいなという時にも話せず、それが少しストレスになった時がありました。この留学で、同じ英語を学ぶ日本人は敵など悪い存在ではなく、良きライバルで英語を学ぶ上で良い時もあることを学びました。そして、この留学のように一匹狼で活動していくより、人と助け合いながらの方が私に合っているなと思いました。

 留学期間中、私は5つの土地を訪れることができました。そのうち3つは、アメリカのロサンゼルス、シカゴ、ニューヨークで、他2つはビーバーバレースキー場とナイアガラのです。様々な国へ行くと、その土地のことを知ることができ、自分自身にとっても貴重な体験になるので、どの旅行も行ってよかったと思います。5つの中で、ナイアガラの滝が一番印象的でした。一緒に行ったナイアガラの滝2回目の中国人の友人に、旅行最後に「あなたとナイアガラの滝に来ることができて、なぜか前回より楽しかった。すごく旅行内容がしっかりしていた。」と言われて、初めてそういう風に言われたので嬉しく、将来の仕事について旅行関係も良いなと考えるようになりました。外国人に言われたということが、自分の中で大きかったです。この留学で一番大きかったのが、このナイアガラの滝での出来事でした。将来どんな職業についたとしても、最終的にはトロントに戻ってきたいと思いました。

 留学前は長期留学の経験がなく、トロントの位置も知りませんでした。しかし、留学することで、1日1日トロントの良いところを見つけることができました。私たちは、日本で生活していると、勝手な想像だけで各国々に良いイメージから悪いイメージをつけてしまうことがあります。実際、私の中でカナダのイメージはメープルシロップだけでしたが、行ってみると多国籍で、すべての人が優しく治安も良い国でした。このことから、訪れたことのない国、土地に魅力を感じ、これから様々な国を見ていきたいと思いました。また、授業やネット、テレビだけの情報でイメージを作るのは、良くないないとも思いました。この留学で学びたいこと以上のものを得られて、更にこれからの自分の目標も同時に見つけることができました。

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中期留学報告(メンフィス大学 菊田 勝仁)

英語による経験

私は2016年の8月から12月まで、アメリカのテネシー州にあるメンフィス大学に中期留学をしました。私は留学に行けさえすれば、どんな場所でも良かったので、志望が無く行くことになったメンフィス大学ですが、振り返ってみると、メンフィス大学に行けて本当に良かったと思います。英語を勉強する面、友達を作る面でも、メンフィスにはその良い機会が揃っています。

メンフィス大学のESLのIEI(Intensive English For Internationals)と呼ばれるクラス(以下IEI)は、ほぼ毎日9時から15時まで授業があるので、4ヶ月間でも自分の英語力を上げてくれました。IEIは1~6のレベル分けがあり、自分は4と5を受けました。授業はリーディング・ライティング、グラマー、リスニング・スピーキングがメインであり、更に自分は、アドバンスドプロナウンスエーションという発音の授業を選択で取りました。クラスメイトには、幅広い年齢、国籍の方たちがいました。年齢は18歳~43歳までおり、国籍はメキシコ、サウジアラビア、ポーランドなど、いろいろでした。それぞれの英語のレベルの違いはありましたが、たとえ英語がうまく使えなくても、みんなよく自分の意見を発言していました。最初の頃は自分も慣れませんでしたが、みんなそれぞれの意見を尊重してくれるので、慣れると発言がしやすかったです。

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リーディング・ライティングは、レベル4でパラグラフ、レベル5でエッセイの書き方を勉強しました。あまり日本でこれらの書き方を勉強してこなかったので、苦戦しました。更に、自分の意見を自由に述べられるほど単語が足りていなかったので、単語は重要だと感じました。しかし、知らないなら知らないなりに、どう別で表現するかというのをよく考え、それが英語での会話でも役立ったと思います。レベル5を受けているときに、1度だけレギュラーのクラスを体験することができました。IEIの先生がゲストとして呼ばれた授業で、レベル5、6を受けている生徒を対象に、体験として参加することができました。短い時間でしたが、アメリカの授業を体験できて良かったです。それと同時に、もう少しで自分もレギュラーのクラスを受けることができたのだなと感じ、少し悔しかったです。

グラマーは、レベル4では現在完了や受け身など、中学校、高校で習ってきた内容でした。レベル5では動名詞、to不定詞、関係代名詞を主に勉強しました。これも日本で習った文法ですが、thatやwhichの微妙な違いなどの感覚が掴めない時があり、苦戦しました。ほぼ今まで勉強してきたので、すごく難しいと感じることはありませんでしたが、時々クラスメイトに、なんでここはこうなるの?と聞かれたときに、英語で文法を説明するのが難しかったです。雑談をするための英語などは多く勉強してきましたが、人に教えるためにはどんな英語を話せばよいのか分からず、相手を困らせてしまいました。苦戦することもあったグラマーですが、習った文法でも日本の先生が教えてくれたことより、ネイティブの先生が教えてくれた方が日常ですぐ使えるので、文法の感覚が掴みやすかったです。

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リスニング・スピーキングでは、いろんな国の文化や習慣のビデオを観てクラスメイトと話し合いや、いろいろなリスニング問題を解きました。そして、約2週間に1回くらいのペースで、プレゼンをしました。話し合いでは、日本の授業の様に手を挙げてから発言をするというのは、あまりありません。思ったらすぐ発言をするという人が多いです。私は日本語で自分の意見が出てきていても、それを英語にして発言しようとすると時間がかかったので、最初の頃は発言をする機会が少なかったです。留学の後半はだいぶ慣れ、発言できるようになりました。プレゼンは、自分の好きな物や事などを、1~2分程度で発表するものと、数日かけパワーポイントなども準備し、本格的に発表するものがありました。1人で行うプレゼンは、日本と同じようにできましたが、グループで行うプレゼンは大変でした。英語でうまく自分の意見を伝えられないので、それぞれの意見をまとめるのはとても大変で、授業外でメールのやり取りが必要な時、どうやって書いたら自分の意見が的確に相手に伝わるか考え、メールをするのも大変でした。そのような苦労があったので、達成感は日本でプレゼンをした時よりも大きかったです。

プロナウンスエイションの授業は、単語の発音記号を細かく見て発音する練習や、L、R、THの発音を練習しました。日本ではあまり意識して練習しなかったので、いざ真剣に練習すると、こんなに発音は難しいものなのかと感じました。自分の発音を録音して提出する宿題があったのですが、録音した自分の発音を聞くのは複雑な気分でした。しかし慣れてくると、自分がネイティブスピーカーに近づいたような気分で楽しかったです。

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留学をするにあたって一番不安だったのは、友達ができるかどうかでした。しかし、予想以上に友達を作ることができました。まず、IEIから会話パートナーとして、メンフィス大学の学生を紹介してもらい、昼ご飯を一緒に食べたり、いろいろ遊びに連れて行ってもらったりしました。次に、メンフィス大学には日本語学部があり、毎週金曜日に日本語のランゲージテーブルが行われ、そこでも友達を作ることができました。更に、その日本語学部の先生から、本格的に日本語を勉強したい学生を紹介してもらい、専属で日本語を教えていました。今まで自分が気にしたことのない日本語の違いなどを相手から質問され、答えに苦戦することが多かったです。そんな時は、インターネットで調べて教えようとしましたが、それを英語で説明するとなると、また大変でした。しかし、それは日本語を見直す良い機会になり、英語の練習にもなったので、とても良い経験だったと思います。私が教えていた学生は、名古屋学院大学に来るので、また会うのをとても楽しみにしています。

大学とは別で、いろいろな国籍の人達と交流することができるサークルの様なものが、メンフィスにはありました。そこでは、いろいろな国籍の人たちが集まり遊びに出かけたり、月に1回ディナー&ディスカッションというイベントを行ったりしていました。そのイベントでは、一般家庭の大きな家に集まり晩御飯を一緒に食べ、その後みんなで文化や宗教について話し合いをします。それぞれの文化や倫理観を持ち真剣に話し合うので、月に1度、自分の英語力がどれだけついたか試す、良い機会になりました。そこで、アメリカだけでなく、インド、フランス、ベトナムなど様々な国籍の友達を作ることができました。うまく英語を話すことはなかなかできませんでしたが、皆とても優しく接してくれたので、多くの友達を作ることができ、想像以上に充実した留学生活を送ることができました。

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約4ヶ月という短い期間でしたが、英語圏で勉強、生活をして英語のすごさを改めて感じました。何千キロも離れた国の人達とコミュニケーションを取ることができる1つのツールとしての存在は、大きなものだと感じました。なので、これからもメンフィス大学で勉強したことを生かし、英語の勉強を続けたいと思います。そして、メンフィス大学のサポートや友達の協力で、自分が想像した以上に良い経験ができたと思います。その色々な人の意見や文化を知ることによって、自分が日本の文化、他の国の文化関係無く、人間として足りていない部分があると感じることがありました。今後はその足りないと感じた部分を、これからの学生生活で少しでも埋めていき、その後もやはりメンフィスでの留学生活は良い経験だったと言えるように、頑張っていきたいと思います。


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中期留学報告(コー大学 井上 利昭)

初めての経験

僕は8月16日から4か月間、中期交換留学生として、アメリカ・アイオワ州にあるコー大学に留学をしました。今まで海外に行った経験もなく、学校にも実家から通う生活を送ってきました。留学の内定をもらった時は、留学ができる嬉しさで浮かれてばかりでしたが、出発の日が近づいてくるにつれて、初の海外、寮での生活、事前準備の時に感じた自分の英語力など、不安がたくさん出てきました。

大学に到着して次の日にはオリエンテーションに参加し、約4カ月の留学生活が始まりました。食事はカフェテリアでバイキング形式が基本ですが、パブで注文してハンバーガーを食べることができます。寮の中にはシャワーしかなかったことに、最初はかなり戸惑いました。バスタブがほしいなと思いながらも、慣れていくしかないなと思い、日々過ごしていました。

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1週間が経って、授業が本格的に始まりました。僕自身英語は嫌いではないので苦手意識などはなかったのですが、使う経験がなかったので、言いたいことが言えないことが多くありました。単純に単語が浮かんでこなかったり、発音が悪かったりしたことが原因でした。ESLの先生方は、留学生を多く指導してきているので、僕の言いたかったことを推測して理解してくれました。しかし、学生と会話をするときは、首をかしげていることが多くありました。なので、授業内では話すことがあっても、授業外で話すことに少し抵抗を持ってしまいました。日にちが経つにつれて、ルームメイトと話をしたり、友達との会話が増えたりしたことで、だんだんと解消されていきました。ルームメイトとは頻繁に話していたわけではないですが、常に優しく接してくれて、とても良いルームメイトに出会えたなと思っています。図書館が、平日だと夜中の1時まで開いていたので、宿題をやっている人などが多く残っていました。また、図書館の中にはスピーキングセンターとライティングセンターがあり、スピーチの練習だったり課題のエッセイの確認をしてもらえたりできる施設がありました。大学の周りにはスーパーやファストフード店があり、少し歩いたところには、アジアンマーケットや日本食が食べられるお店があります。バスを使えば大きなモールに行けて、服など買うこともできました。夜はポケモンGoが好きな子がいたので、その子たちと一緒に街までよく歩いて、どこかのお店でご飯を食べたりしていました。

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コー大学では、毎月1度大きなイベントがありました。9月のカヌートリップは、約3時間カヌーに乗って、夜にはトランプゲームやキャンプファイヤーで盛り上がり、1泊して次の日に帰るという、弾丸ツアーのような旅行でした。10月の始めには、カルチャーショウがありました。これは、母国の文化をは発表するもので、ダンス、歌、ファッションショーなどで盛り上がりました。僕たちは、早稲田大学から来ていた学生も含め、日本の「アニメ」と「かわいい」をテーマにしたダンスを披露しました。僕はドラえもんとして、青のタイツを着て踊りました。シカゴトリップでは、美術館に行ったり、シカゴにあった牛角で焼き肉を食べたり、初めての大都市を楽しめました。ハロウィンの日には、ESLの先生の家にお邪魔して、アメリカのハロウィンを体感しました。仮装した子供たちが「Trick or treat」と言って、先生の家にたくさん来ている様子を見ることができました。こういったハロウィンはもちろん初めてだったので、とても新鮮でした。11月にはサンクスギビングデーを含む9日間の休みがあったので、ニューヨークに旅行に行ってきました。サンクスギビングデーには、macy's主催のサンクスギビングパレードが行われていたので、そのパレードを観に行きました。アイススケートや野球を観たり、Home coming でダンスパーティーがあったり、大学内だけでなく大学の外でのイベントもあります。

この他に、先生やホストファミリーにはとてもお世話になりました。野球が好きだということを言っていたら、先生がアイオワ州にあるField of Dream という映画の舞台となった場所に連れて行ってくれたり、ホストファミリーがアメリカにはないからと言って、マクドナルドのテリヤキバーガーを再現してくれたりました。ホストファミリーには、他大学のクリスマスイベントにも招待してもらい、雪遊びなどをしたり、手袋やマフラーまでプレゼントしていただき、とてもお世話になりました。先生やホストファミリーの誘ってくれる行事は、アメリカの文化を学べる良い機会でした。

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アメリカでの生活では、もちろん文化の違いを感じました。バスに乗ったときなどに、乗ってきたお客さん同士が仲良く話しながら乗っている様子に驚きました。知り合いでもない人と、あんなに仲良さそうに話せるものなのかと感じました。それに濁した言い方がなかったこと、物事をはっきりと言ってくれることに、とても感心しました。そして、どんなに自分が失敗したと感じても、最初に必ず褒めてくれます。そう言ってくれることで気落ちも落ち着くし、とても助かります。その後に、アドバイスなどをしてくれました。ちょっとした優しさに、とても感動しました。

 留学したことで、日本の良さを知ることができました。しかし、日本のことを聞かれたときに、答えられなかったり、説明できないことが多々ありました。なので、日本のことをあらゆる面で知り直さないといけないなと感じています。これからもどんどん新しいこと、初めてのことに果敢に挑戦していきたいです。今回の留学は、準備の期間も含めて、たくさんの人に支えられ助けられて無事に終えることができました。対策講座、事前準備の時にお世話になった先生、国際センター、i-Loungeの人たち、留学を前向きに考えてくれた親、アメリカでお世話になったESLの先生、ホストファミリー、友達全員に感謝しています。ありがとうございました。

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中期留学報告(ペンシルバニア・インディアナ大学 岸岡 令)

心身ともに成長できたこと

 私は今回、留学の目標として、語学の上達のみならず、心身ともに成長できるようにと心に決めていました。そして、留学を終えて、自分が掲げていた目標を無事に成し遂げた気がします。なぜなら、この留学を通してたくさんの事を学び、今までしたことのないようなことをたくさん経験したからです。

まず、アメリカと日本の人たちとの間には、様々な文化の違いや価値観の違いがあるということです。今回、私にとって初めての渡米で、何をするにも初めてのことばかりで、正直不安になり、戸惑うことは多々ありました。私は留学する前、一人暮らしをしていたので、家事や身の回りの事を一人でやることには慣れていたのですが、何か問題が起こったときは、日本にいたなら親に相談して来てもらう事はできるのですが、留学している最中に何か問題が起きた場合は、アメリカと日本との距離なので、そう簡単に親に来てもらうということはできません。留学中は寮生活で、しかも、ルームメイトと部屋は違いますが一緒に住む所だったので、お風呂に入る時や部屋にいる時、ルームメイトの事を気遣って行動しなければなりません。ですが、ルームメイトとはすぐに打ち解け合い、いつも私のことを気にかけてくれるとても良い人でした。また、トイレが詰まったり警報が鳴ったりしたときには、協力し合って問題解決をしていたので、とても良いルームメイトに巡り会えてとても嬉しかったです。私たちが住んでいる寮は、よく火災の警報が鳴り、朝昼晩問わず鳴るときもあるので、とても迷惑な時間に鳴る時もありました。8月や9月は、火災の警報は少なかったのですが、空気が乾燥してくる10月や11月にはとても火災の警報が多かった気がします。寝ているときに鳴るときもあったので、真冬の外で鳴り止むのを待ったときは本当に辛かったです。

アメリカの冬はとても寒く、気温がマイナスを下回るときは多々ありました。最初のうちは、雪が降っているのをわくわくしながら見ていましたが、次第に雪ばっか降って、正直、雪が嫌になった時期もありました。私は、夏の終わりからアメリカに行ったので、冬用の服をあまり持っていなく、持ち合わせの服ではあまり寒さ対策をすることができませんでした。また今度、冬にアメリカに行くときは、かなり着込んで行くことにします。

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 次に、各月の思い出ですが、8月は、下旬にアメリカに行き、現地で大学内を歩き回ったり、ばたばたしていたりしたので、あっという間に過ぎたと同時に、各授業が始まり、9月には本格的に授業が始まりました。

9月3日には、JAPASOという日本語のクラブのピクニックに行き、日本の事について異文化交流をして、フリスビーや剣玉もして遊びました。このイベントを通して、たくさんの友達ができました。今でも連絡を取り合うくらいとても仲が良い友達ばかりです。そして、17日には、ペンシルバニア州の大きな都市、ピッツバーグに行き、みんなでお買い物や夜景を楽しみました。ピッツバーグの都市のビルはどれもとても高くて、人でとてもにぎわっていました。夜景もとてもきれいで、すごく感動しました。ピッツバーグ内に大きな野球場がありましたが、野球観戦をする機会がなかったので残念ですが、次はぜひ観戦したいです。そして、9月24日は、現地で仲良くなった日本人の友達が短期留学を終えたので、友達みんなで見送りました。僕も3ヶ月後ああなってしまうと思うと悲しくなりましたが、元気に見送りました。アメリカの文化でとても好きなところは、挨拶を大事にするところはもちろん、仲良くなると、会ったときやお別れするときにハグをすることです。最初少しだけ抵抗はありましたが、次第にそれがないと何かぎこちなくて、気づいた時にはそれが当たり前になっていました。本当にとても良い文化だなぁと思います。

そして、10月ですが、14日にいつもの友達とピッツバーグにあるKennywoodという、アトラクションがあるテーマパークに行きました。ちょうどその時期に、フライデーナイトという企画で、怖い仮装をした人たちがテーマパーク内にいて、とても恐ろしい雰囲気でした。私は、絶叫マシーンと怖いのは苦手だったので、かなりびくびくしていましたが、周りの友達が優しく声かけしてくれて、怖い仮装をした人からも守ってくれました。絶叫マシーンも楽しめて、怖いのもちょっぴり克服できた気がします。そして、10月31日にはハロウィンを楽しみました。アメリカのハロウィンはとても盛大で、町中で子供から大人まで、大勢の人が仮装をします。僕も、カウボーイの仮装をしてハロウィンを楽しみました。

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そして翌月の11月3日には、密かに友達と練習していたダンスの発表会がありました。そのイベントは韓国と日本の交流会みたいなイベントで、学生がダンスを披露したり、歌を歌ったりします。日本食のカツやご飯、カレーなどもありました。私は、友達三人とダンスを披露しました。曲は、防弾少年団(BTS)の「I need u」と「Fire」と「Dope」の三曲を編集した物を使いました。ダンスは僕が教えましたが、みんな素人とは思えないほど上手に踊ってくれて、とても嬉しかったです。私たちのダンスが成功に終わり、とても楽しく過ごすことができました。24日には、Thanksgiving(勤労感謝の日)があり、友達が家に招待してくれて、みんなでとても豪華な食事を楽しみました。ターキーやマッシュポテト、ラズベリータルトを食べました。どれもとてもおいしくて、幸せな時間でした。次の日はブラックフライデーで、どこの店も値下げしていました。僕たちは近くのとても大きなモールに行って、ショッピングを楽しみました。どちらも自分にとって初めてのことだったので、とても貴重な体験ができました。

そして12月は、期末テストもあり、寮を出る準備をしなければいけなかったので、とても忙しい月になりました。それでも9日に友達のスケートに行ったり、クリスマスを盛大に祝ったり、とても充実した月になりました。そして、12月下旬になり、とうとう友達とお別れのときが来てしまいました。アメリカに来て早々に友達になった人や、後から友達になった人もたくさんいるので、お別れするときは本当に悲しかったです。最後に、また会う約束をして強くハグをしましたが、今でもあの時の感覚は忘れていません。

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 半年の留学生活でしたが、本当に良い友達に巡り合えて、とても幸せでした。改めて、友達の大切さを再確認できました。この留学を通して、たくさんのことを学びましたが、学んだこと一つ一つを忘れずに、これからの人生に活かしていきたいと思います。

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中期(延長)留学報告(パシフィック大学 長尾 光莉)

貴重な時間を与えられて

パシフィック大学での留学を終え、日本では味わえない体験をしました。特に大学での授業は、本当に感動しました。とにかく授業では、生徒たちが主体となって進行していきます。ある程度、担当の先生はその日にやることをあらかじめ決めていますが、それが全てではありません。その都度、生徒たちの様子や、生徒たちのやりたいことに合わせて、いろいろと予定を変えていきます。先生たちは、私たち生徒に、「とにかく発言してほしい」と伝えます。日本の講義のように、先生が一方的に話して、それを生徒がただ聞き続けるというのは決してありません。必ず生徒は、間違っていようが何だろうが、発言しなければなりません。留学が始まったばかりの頃は、間違えるのが恥ずかしくて、質問されても黙ってしまうのがほとんどでした。何とかアクションをしようと、「分かりません」という意味で首を傾げたり、首を横に振ったりしたことがありますが、それは先生には全く伝わらなくて、もし分からないなら、"I don't know."とはっきり言う必要がありました。別に分からないからと言って、「どうして話を聞いていないの?」と注意されることは決してなく、寧ろ「質問してくれた方が嬉しい」と言われました。

授業で出される課題も、ユニークなものが多かったです。例えば、ネイティブスピーカー(生徒でも先生でも)を捕まえて、先生から提示されたお題に従って、インタビューしてくるといったものや、英語で替え歌を作ってきなさいというものまでありました。替え歌については、私は"Little Star"を選んで替え歌を作りました。しかし、ただ替え歌を作ったわけではなく、教科書に出てくる内容に基づいて作らなければなりませんでした。その時、授業で勉強していた内容は、「あなたの国の問題点は何?」というもので、もちろん日本について考えました。日本は少子化問題を抱えているので、それを題材にして替え歌を作りました。それから、先生にcheckをしてもらって、OKが出たら次は歌う練習をしました。練習が十分にできたら、楽器担当の相手を見つけます。クラスメイトは、既にグループを作っていたので、そのクラスの先生を誘って、ギターを演奏してもらいました。とても楽しく歌を歌うことが出来ました。こういった面白い課題をやる事が、頻繁にありました。授業後も、積極的に先生に話しかけたり、質問するように心がけていました。授業に関係ない話でも、親身になって相談に乗ってくれたり、アドバイスをくれました。

 少しではありますが、"Japan Club"というクラブにも参加しました。そのクラブは、日本の文化を実際に体験するというものでした。着物の着付け方を教えたり、みんなで日本の映画を観たりしました。どの生徒も、日本に対して強い関心を持っていて、嬉しい気持ちになりました。私はそこで、日本語を勉強している女の子と出会いました。日本語を上手に話す子で、日々どれだけ勉強しているのかがうかがえました。積極的に日本語で話しかけてくれるので、本当に頑張っているのだなと感じられました。

寮での暮らしも良い経験になりました。私は、ルームメイトの女の子が一人いました。その子はとてもいい子で、留学中ずっと、その子と同じ部屋で住んでいました。性格も私と似ていて、すぐに仲良くなれました。大きなトラブルもけんかもありませんでしたし、伝えたいことは何でも伝えることが出来ました。どんなに些細なことでも、気になる事があれば何でも質問しました。そういう態度で接しているうちに、ルームメイトの方からも、いろいろ話しかけてくれるようになりました。週末には、二人で大学近くの映画館に行きました。ルームメイトだけでなく、家族とも仲良くなりました。初めてルームメイトと会ったとき、一緒に彼女の両親にも会いました。出会った瞬間、ハグをされました。少し驚きましたが、普通の挨拶らしいので、素直に受け入れました。ルームメイトも両親も、互いにハグしてキスしてと、スキンシップが多かったので、本当に仲がいいのだなと思いました。

週末には、大学から離れたポートランドに遊びに行きました。大学からは、電車とバスを使って約1時間30分かかりました。初めて一人で行ったときは、どのバスと電車に乗ればいいか迷ってしまいました。そんな時は、人見知りなどしていては解決できないので、知らない人に行き方を尋ねたりしました。バスに乗るときは、運転手の人に、「このバスはポートランド行きですか?」と、念のために確認もしました。どの人も、尋ねるたびに笑顔で答えてくれました。ポートランドのダウンタウンはとても賑やかな場所で、一日中楽しむことが出来ました。美味しいごはんを食べたり、洋服や日常品を買いに行ったりしました。クリスマスには、町の真ん中に大きなクリスマスツリーを見かけました。キラキラのイルミネーションに魅了されて、しばらく感動に浸っていました。

冬休みには、シカゴに住む友人宅で、三週間ほど滞在させてもらいました。とにかく大きなご実家でした。地上と地下を併せて三階建てで、地下室にはテレビとジムで見かけるような道具が置いてありました。家族揃って、温かく迎えてくれました。「今日からここはあなたの家なんだから、自由にくつろいでいいんだよ」と、言ってくれました。自由に冷蔵庫の飲み物を飲んでもいいし、台所に置いてあるフルーツも、自由に食べてもいいと言ってくれました。しかし、やはり人様の家ということに変わりはないので、完全にくつろぐということは難しいことでした。自分から、「あれがしたい、これがしたい。」とは、なかなか言えませんでした。

クリスマスは、そこで迎えました。家族みんなで、クリスアスツリーを買いに行きました。外はあちこち雪が降り積もっていて、寒かったです。クリスマスツリーは店の外に飾られていて、雪が付いていて冷たかったです。結構大きなサイズの物を購入し、家に飾りました。友達と二人で、ツリーの飾りつけをしました。ディナーには、おいしい料理を作ってもらい、ごちそうになりました。ディナーの後は、地下室でクリスマスにまつわる映画を観ました。Happy New Year も、そこで過ごさせていただきました。新年になる前のcountdownもしました。テレビ中継でcountがゼロになった瞬間、みんなでクラッカーを鳴らしました。そして、お互いの新年の抱負を発表したりもしました。不思議なことに、私たちの抱負は似たような内容で、「健康で幸せになること」でした。

去年の11月に、アメリカ大統領選挙がありました。結果はトランプ大統領になりましたが、パシフィック大学の人たちは、とても悲しんでいました。なぜなら、私が留学したパシフィック大学は、オレゴン州に位置するからです。アメリカは、州によって支持する政党がはっきり分かれているからです。オレゴン州はヒラリーさんを支持していたので、この結果は、アメリカの友達や先生たちやその家族を悲しませました。結果当日の夜、ルームメイトは泣いていました。外国の政治に関する事なので、なんて声をかけてあげればよいか分かりませんでした。私は選挙に関して、こんなに感情的になったことはありませんでした。こんなに感情的になるということは、それだけ政治に関して真剣に考えているということ、そして、自分たちの国のことをしっかり考えているということです。私は、日本でそのような光景は見たことはありませんでした。まだまだ、私は世間のことに関心を示していなかったと、改めて痛感しました。

帰国日が近づいてくるにつれて、帰りたくない気持ちが、日に日に大きくなっていきました。とうとう帰国当日を迎え、ルームメイトの家族が空港まで車で送ってくれました。空港に着くまでにも、車の中でオレゴン州についていろいろ教えてくれました。緑に囲まれて自然が多いオレゴン州は、農家も多く、ワインに使われるブドウを国内で一番輸出していると説明してくれました。

とにかく優しさにあふれた人たちばかりで、初めて勉強する環境のはずなのに、苦しいことは、ほとんどありませんでした。自分の主張したいことを、我慢する必要もありませんでした。例え人と違う意見を言ったとしても、それは一つのアイデアとして受け入れてくれました。国民性のせいかもしれませんが、ネイティブスピーカーの会話を聞いていても、決して相手の意見を否定する言葉は聞くことはありませんでした。"It's a good idea." "I agree with you." "I think so, too."など、相手の意見を肯定するフレーズをよく耳にしました。お互いを尊敬していなければ、決してできないことだと思いました。私はつい、自分の意見を強く主張してしまうことがあり、相手の意見を間違っていると決めつけてしまう時があります。こんな自分の性格を、とてもよく反省させられました。お互いを尊敬することは、互いを快適な気持ちにさせようと協力することでもあります。これを自然にできるアメリカは、本当に素晴らしい国だと感じました。

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中期(延長)留学報告(パシフィック大学 三輪 秋絵)

初めての留学

 私は、アメリカのオレゴン州にあるパシフィック大学へ、約10か月間の留学をしました。今回の留学は、私にとって初めての留学で、初めての海外でもあったので、出発までは楽しみよりも不安でいっぱいでした。持ち物でさえ、何を持っていけばいいのかも分からず、荷物の準備にはだいぶ時間がかかったと思います。夏から冬にかけての留学だったので、服選びも大変でした。また、授業についていけるか、友達はできるか、食事や水が自分に合わなかったらどうしようと、不安でそんなことばかり考えていました。出発の当日、家族や友人が見送りに来てくれて、寂しくてたまらなくなりましたが、とても嬉しかったです。また、飛行機に長時間乗ったことがなかったので、10時間のフライトはすごく疲れました。

アメリカに到着してからは、何もかもが初めてのことだらけで、とても新鮮でした。時差ボケしたのも初めてで、早朝に目覚めたり、一日中眠い日が1週間ほど続いたのが、辛かったです。授業中にも眠気がきてしまって、大変でした。パシフィック大学のあるフォレストグローヴは、自然がたくさんある静かなところでした。学校の敷地内にも緑がたくさんあって、野生のリスがそこら中にいました。日本では野生のリスを見たことがなかったので、とても興奮しました。アメリカのリスは丸々していて、可愛かったです。

パシフィック大学には、全部で6つの寮があります。私が暮らすことになったのは、キャスケードという名前の寮で、他の寮に比べたら新しくて、とてもきれいなところでした。寮にはランドリールームや共同キッチン、ビリヤード台やテレビのついたラウンジなどがあり、よくそのラウンジで友達とDVDを観ました。また、各階にウォーターサーバーがあったので、毎日そこから水を飲むことができて、すごく助かりました。私のルームメイトはアメリカ人の女の子で、とても優しい子でした。初めは、家族や日本が恋しくてホームシックになってしまいましたが、ルームメイトが励ましてくれて、ものすごくホッとしたのを覚えています。ですが、家族以外の人と一緒の部屋で暮らすのは初めてだったので、とても緊張してしまって、なかなかリラックスできなかったです。また、寝る時間や起きる時間が違ったので、相手を起こさないように気を付けました。それでも、時々ルームメイトを起こしてしまう時があって、申し訳なかったです。

しばらくして学校が始まっても、私は授業についていくだけで精いっぱいでしたが、少しずつ慣れていって、楽しく受けられるようになりました。月水金は午後までクラスがあって、火木は午前だけでした。アメリカは、日本と違って宿題がたくさん出ます。私は、スターバックスのお気に入りのドリンクを飲みながら、友達と一緒に宿題をするのが日課でした。天気の良い日は外に出て、宿題をしました。日本では、外に出て宿題をすることなんてなかったので、すごく新鮮でした。

私たちのいたオレゴン州は、雨が多いところでした。とくに冬の間は雨ばかりで、晴れの日は貴重なので、みんな外に出て日光浴をしていました。普段は雨でなかなか外に出られないので、太陽の光を浴びられる日はとても幸せでした。現地の学生たちは、寒い日でも薄着で生活していて、すごいなと思いました。ハワイからの学生が多い学校だったのですが、ハワイアンの人たちは真冬でもビーチサンダルを履いていて、驚きました。この留学では、他の大学から来ていた日本人留学生とも仲良くなり、アメリカ人やサウジアラビア人の友達もできました。週末は、みんなでポートランドまでショッピングや観光しに行くのが、私たちの定番で、ほぼ毎週末、ポートランドに通いました。学校のそばにある映画館では、2ドルで映画を見ることができました。日本ではありえない値段で、衝撃的でした。日本ではまた公開していない最新の映画を見られるのが、嬉しかったです。よくその映画館にも、みんなで通いました。

この留学中に辛かったのは、食事のことです。私はキッチンの付いていない部屋だったので、ミールプランを必ず取らなければなりませんでした。ミールプランの食事はビュッフェスタイルで、自分の好きなものを食べることができて、最初は嬉しかったです。でも、しばらくすると飽きてしまって、日本食が恋しくてたまらなくなりました。それに、カロリーが高くて、くどいものが多くて大変でした。ミールプランの食事に飽きた私たちは、近くのレストランへよく通いました。タイ料理のお店とハワイ料理のお店が、私たちのお気に入りでした。今、そのお店のご飯がとても恋しいです。

それに、やはりルームメイトとの生活も、少し辛いものがありました。とても良い子だったのですが、家族以外の人と生活したことがなかった私にとって、他人と生活していくことは気を遣ってしまって大変でした。それでも、今では彼女がルームメイトでいてくれて、良かったと思っています。先日、彼女からのポストカードが届きました。近況を報告してくれて、嬉しかったです。彼女とは、これからも良い関係でいられたらいいなと思います。

そして、留学生活も残りわずかとなった頃、私は留学を延長することに決めました。延長しようと思った理由は、せっかく慣れて楽しくなってきた留学を終わらせたくなかったし、アメリカでもっと英語を学んで、色々な経験を積みたいと思ったからです。それに、新しくできた友達と、もっと一緒にいたいと思いました。私は延長して、本当に良かったと思います。

秋学期が終わって、春学期になるとクラスが変わり、レベルがあがりましたが、自分からどんどん発言できるようになっていきました。宿題やプレゼンテーションが増えて本当に大変でしたが、今思えばすごく充実していた毎日だったと思います。また、新しい留学生もやってきて、友達がたくさん増えました。

また、この留学では色々なところへ旅行に行って、たくさんの思い出ができました。ニューヨークやロサンゼルス、ディズニーランドなど、憧れだった場所に行けたことが、とても嬉しかったです。知らない土地で、初めて出会う人たちと生活していくのは、簡単なことではなかったし、辛いこともたくさんありました。ですが、その分この留学を通して、たくさん成長することができました。今までずっと日本で暮らしてきた私にとって、この留学は大きな決断でしたが、この人生においてかけがえのない時を過ごし、かけがえのない仲間に出会うことができました。この貴重な経験ができたことを、本当に誇りに思います。そしてまたいつか、アメリカの友人に会ってたくさんお話しできるように、これからも頑張って英語を勉強していきたいと思います。


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2017年10月 4日

中期(延長)留学報告(パシフィク大学 今井 里咲)

 留学を振り返って

 私は2016年8月から12月までの中期留学の予定でしたが、さらに延長をして、2017年の5月までの約10か月間、アメリカのオレゴン州にあるパシフィック大学に留学してきました。私は初めての留学だったので、最初の頃は「授業についていけるか」、「友達はできるか」、「アメリカの文化に馴染めるか」など、とても不安でした。でも、実際に留学を体験してみると、とても楽しく貴重な経験ができました。

私は、留学先の大学で、ELIという留学生だけのクラスを受けました。そこでは、リーディング、スピーキング、リスニング、ライティング、グラマーなど、英語の授業を受けました。始めの頃は、先生の授業を聞く事だけで精一杯でした。授業は毎日あり、宿題も多かったです。私自身、あまり勉強しなくても、そこそこの点数を日本で取っていたので、余裕だなと思っていました。しかし、アメリカではテストもなかなか難しかったので、ちゃんと勉強しなければいけませんでした。私にとって、「こんなに勉強したのはいつだろう」ぐらい勉強しました。そのおかげか、毎日の授業への参加と、ルームメイト、ランゲージパートナーや現地でできた友だちと話しているうちに、少しずつですが英語が聞き取れるようになりました。英語を聞き取ることができるようになると、友だちとの会話もスムーズになり、楽しくなりました。

さらに、私は冬休みの授業がなくなったので、その留学先の大学のインターナショナルオフィスとメールボックスという所で約1か月間のインターンシップを経験することができました。そこでの指示や日常会話はすべて英語だったので、授業で使う英語とは違う、英語のスラングなどを教えてもらうことができました。その時、特に自分の英語能力が上がったなと、自分で感じました。そこで2学期目の授業を受けてみると、1学期目の授業に比べて授業内容も変わったのにも関わらず、普通に理解することができ、簡単だと思いました。この留学で英語力は、留学前よりも上がったと思います。

この留学で、アメリカの文化にも触れる機会がありました。1学期目の時は8月からスタートしたので、10月にはハローウィンのイベントに参加しました。私はアマゾンで、コウモリの着ぐるみを買いました。アメリカ人の友だちは、パンプキンやポケモンのイーブイなど、個性的な仮装をしていました。カフェテリアのご飯も、ハローウィンのメニューになりました。11月は、サンクスギビングデイがありました。私は、いつも仲良くしてくれる、アメリカ人の友だちの家に泊まりにいきました。その友だちのお母さんが、ターキー、マッシュポテト、パンプキンパイを作ってくれ、おいしいご飯を食べることができました。その次の日は、ブラックフライデーでした。ブラックフライデーは、どこのお店も安くなる日で、友達とヘッドホンやブランドのブーツなど、たくさんの物を買いました。12月はクリスマスのパーティーがあり、みんなで料理を作りました。久しぶりに、日本食も食べることができたので、とても良かったです。12月のカウントダウンも、アメリカですることができました。私はその時、テキサス州にいたので、そこで花火を見ました。さすが、アメリカだなと思ったのは、規模の大きさです。たくさんの人がいて、道は車と人でいっぱいでした。花火の量も多かったです。花火が上がったと同時に、叫びまわる人もたくさんいました。良い思い出になりました。

2学期目は、1月からでした。これといったアメリカのイベントはありませんでしたが、留学先の大学では、ハワイアンと言われるハワイ出身の学生が多く、その学生たちが中心となって行う「ルアウ」というイベントがありました。私は、ハワイの文化についてあまり知りませんでした。そのイベントで、同じハワイでも島によって踊りが違ったり、服装が違ったりすることが分かりました。更に、そこではマカダミアナッツやココナッツクッキー、パイナップルといった、ハワイの物を買うことができる所もありました。私は、たくさんのものを買いました。ハワイが大好きになりました。4月の後半には、ジャパンデーと呼ばれる、日本のイベントをする日がありました。私は、日本で流行っていた恋ダンスを踊りました。その練習は、週に1回のペースでありました。日本人もいましたが、外国人で踊りたいという人も多かったので、びっくりしました。最終日までミスがあったので少し心配でしたが、当日には成功したので良かったです。その日は、すし、てりやきチキン、やきそばなど、簡単な日本の食べ物を食べることができました。それに加えて、書道、華道、折り紙、コマ、着物、キャラクターすくいなどを体験できるところもありました。たくさんの学生が遊びに来ていて、とても楽しい1日になりました。

また、イベントとは別に、アメリカ人の友だちと、メキシコ人の友だちの家に遊びに行くことができました。アメリカ人の友だちの家は馬が2匹、犬1匹、猫1匹の動物が好きな家族でした。馬を育てるため田舎に住んでいたので、Wi-Fiもなかったので、連絡手段がないのが辛かったです。でも、アウトレットやクリスピークリームのドーナツ屋さんにも連れて行ってくれました。とても良い経験ができました。もう1人のメキシコ人の友だちの家に行った時は、その友達のお母さんがメキシコ料理を作ってくれました。メキシコ料理は学校のカフェテリアでありましたが、そんなにおいしくなかったので、好きではありませんでした。しかし、その友だちの家のメキシコ料理はとてもおいしく、好きになりました。今はあまり食べることができないので残念です。その友達の家族が、オレゴンで有名な滝とチューリップ畑に連れて行ってくれました。両方とも、車がないと遠くて行けない所だったので、良かったです。友達を作れて、その友達の家にも遊びに行けて良かったです。メキシコ人の友達は6月に日本に姉妹都市の交流プログラムのために来るので、日本案内をする予定です。早く、その友達に会いたいです。

私は、アメリカに行き、旅行にも行きました。ニューヨーク、ロサンゼルス、フロリダ、ヒューストン、シアトルなど、アメリカで有名な所に行くことができました。めったにアメリカには行けないと思うので、行けて良かったです。貴重な体験ができた留学だったと思います。

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中期留学報告(コー大学 福原 舞)

友達の作り方

みなさんは、留学先でどのように友達を作りますか?留学へ行く前、私のアメリカ人の印象は、フレンドリーで相手側からたくさん話しかけてくれるというイメージでした。しかし、実際にはそのようなことはなく、自分から話しかけない限り、友達になることができないという場合が多かったです。友達の作り方は、例えば、ルームメイトからの紹介、または、同じ授業を取った学生などと友達になるなど、たくさんの方法があると思います。その中で、私はクラブ活動を通して友達を作ることができました。

少し異例かもしれませんが、私は、新聞部、テコンドークラブ、ロッククライミングクラブ、国際交流クラブの4つのクラブに参加していました。

新聞部の活動は、インタビューや写真撮影、記事を書く仕すべてを自分で行わなければいけない、個人作業の多い部活でした。しかし、毎週水曜日が記事の締め切りと決められていて、学生記者たちが書いた記事と写真を紙面にまとめます。この時はたくさんの記者が集まり、協力して新聞を作成します。夜中の1時を過ぎる時もありました。とても留学生の私には大変な部活でした。しかし、留学を思い返すと、授業や旅行などたくさんの経験をしましたが、1番思い出に残っているのは、毎週水曜日、夜中まで力を合わせて新聞を作成したことです。普通の記事を書こうとしても、日本の知識は多少ありますが、アメリカの文化や習慣などの知識が乏しく、満足した記事を書くために、記事を書く前に毎回、インターネットや本、友達に質問して、勉強して、それから記事を書くように努力しました。すると、新聞は情報を人に発信するものですが、その記事を書くことで、自分も今まで知らなかったことを知ることができました。更に、記事を書くために、たくさんの人にインタビューしたり、イベントに参加したりと、留学生の中では1番多くの人と話し、出会うことが出来たのではないかと思います。このように、新聞部は留学期間中で1番、自分を成長させることができた場所でした。

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テコンドークラブの活動は、週3回ありました。テコンドーは手や足を使い、1対1で勝負をするスポーツですが、ただ戦うだけではなく、テコンドー精神をとても重要視しているスポーツでした。1つ1つの技や型には、人間の心や精神、さらに地球の大地など、それぞれに重要な意味がありました。1学期の終わりに、毎回ベルト昇格のテストがあるのですが、技や型だけではなく、それらの意味をしっかり説明できなければいけないところがとても難しかったです。しかし、私はとても体が硬かったのですが、週3回のテコンドーのレッスンのおかげでストレッチをする習慣ができ、留学帰国までに、以前より体が柔らかくなったことが、このクラブをして1番得たことです。まだ始めていませんが、ベルト昇格テストでホワイトベルトの次の級のイエローベルトを取ることができたので、更に上の級が取得できるように、日本でも続けていこうと考えています。

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ロッククライミングクラブは、毎日ロッククライミングジムが空いているので、好きな時に参加することができる部活でした。ロッククライミングは、一見1人でするスポーツに見えます。しかし、ロッククライミングはボルダリングと異なり、より高い壁に登るために、命綱をつける必要があります。そして、命綱を操作する人と登る人のペアになる必要があり、2人で声を掛け合い協力し合うことがとても大切です。想像以上に英会話力も必要になるので、会話力の上達にも繋がったのではないかと思います。さらに、1学期に1回旅行があり、実際の岩山に登る旅行にも参加しました。日本では体験できないような、自然の中でのキャンプとロッククライミング、もし、留学に行く機会のある人は、都会の様な町ではなく、日本にはない広大な自然を体験しに行くことをお勧めしたくなるほど、素敵な体験になりました。

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インターナショナルクラブは、留学生は必ず参加しなければいけないクラブでした。週の1度のミーティングや、シカゴ旅行やイベントなど、たくさんの行事がありました。アメリカに留学して、アメリカの友達を作ることも大切ですが、大学には、日本だけではなく、日本にいては出会うことのできないような、アジア、ヨーロッパやアフリカからなど、世界各国から留学生が集まります。そして、そういった学生と仲良くなるために、とても重要な場所でした。言語や文化など全く異なる場所で生きてきた人々と会話し、お互いの国を紹介したりディスカッションすることはとても楽しく、今まで知らないことを学ぶことができる、とても良い場所でした。

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私は留学先でこのような体験をしてきました。留学先では、宿題もたくさんあり、無理にクラブ活動に参加する必要はないと思います。しかし、アメリカで1番大切だと思うことは、自分から積極的に動くこと。そして、自分のことを分かってもらうためにも、ある程度、自分の意見や思っていることは言うべきです。日本人は周りの空気を読み取り、相手の気持ちを言葉なしにも察知することができると思いますが、これは日本人だけです。このように、アメリカでの友達作りは自分から積極的に行動を取ると良いと思います。少しでも、これから留学へ行かれる学生さんたちの助けになることを願います。

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中期留学報告(メンフィス大学 杉浦 さやか)

メンフィスで

 8月18日にアメリカのテネシー州にあるメンフィスに到着しました。初めての海外でした。嬉しさ、楽しみな気持ち、驚き、不安と色んな気持ちでいっぱいで、自分がアメリカにいる、今から留学生活が始まる、という実感が湧いていなかったのを覚えています。


 留学に行く前、私は英語以外にも、アメリカやいろいろな国の文化、人種、日本との違いを実際に現地に身を置いて学んでみたいと思っていました。アメリカにはたくさんの国籍の人がいて、さらに南部であるメンフィスには、黒人の人も多く、アジア、ヨーロッパ、中東など、様々な人種の人がいて、様々な人と関わりながら、彼らの国の文化や特徴について学ばせてもらう良い機会となりました。


 授業では、IEIと呼ばれるESLの様な授業を受けていました。年齢、国籍が違う生徒がたくさんいました。英語を学ぶ目的も人によって様々です。なりたい職業がある、レギュラーの授業を取るため、家族とメンフィスに引っ越してきて必要だから、仕事のために学ぶ、というように、それぞれの目的がありました。授業内ではグループワークがあり、発言を求められるのが当たり前でした。他の国籍のクラスメートは、考えを思いついたら即座に発言します。授業で学んでいる内容は同じなのに、会話力と発想力と積極性の違いを、授業が始まってすぐ知りました。私が発言をすることに慣れていないということ、英語の会話力が足りないこともすぐ分かりました。なかなか英語が聞き取れないとき、言いたいことを英語で伝えられないとき、話した英語が伝わっていないときは、とても悔しい思いをしました。その悔しさと情けなさで、もっと勉強して聞き取りたい、伝えたいという気持ちが更に強くなりました。アメリカの授業を受けて、気づいたことがあります。勉強をするのにも、やり方はいろいろあると思うのですが、ただ聞いて覚えて学ぶだけでなく、知ったことを自分の考えを含めてアウトプットするまですると、自分の考え方が広がり、良い学習になるのではないかと思いました。


 IEIには、たくさんの国籍の人がいると書きましたが、IEIの授業で他国の文化を多く知ることができたと思います。授業中に自分の国について話したり、休み時間にスペイン語やアラビア語などをクラスメートから教えてもらったりして、他の国の言語や文化を知ることができ、とても楽しかったです。私も、折り紙で鶴を折ったらとても喜んでくれました。日本のことでもっと伝えられることがあるのではないかと思い、自分の国、日本のことをもっと知っておくと良かったと感じました。英語でたくさんの人と繋がれるなんてすごいと感じ、もっと話せるように頑張ろうと思いました。


 私のリスニング力、スピーキング力はメンフィスに来た当時は、とても低いものでした。英語力を上げるために授業以外でも英語を使うようにし、外国の友だちとランチを食べたり遊びに行ったりしました。メンフィス大学には、自由に参加できるクラブやイベントがたくさんあり、また、日本語を学んでいる学生のためのJapanese language tableもあります。そこで、学生以外も含めてたくさんの人と会い、たくさんの友達を作りました。日本語を勉強している人には、英語を教えてもらいながら日本語も教え、英語しか喋れない人でも、私に英語を教えてくれたり遊びに連れて行ってくれました。私はこれらの出会いに感謝し、これらの出会いがあったことに感動しています。毎週学校の近くのカフェに連れてってくれ、たくさんの人と喋る機会を作ってくれました。そして、今では色々な話ができる友達や、私の帰国の便が朝6時にもかかわらず、4時から見送りに来てくれた友達ができましたが、留学前にはこんなにも仲良くできる友達ができるとは思っていませんでした。来てすぐに英語がすでにできる他の国の留学生にたくさん会い、その中に英語を学びに来た自分が入ったとき、この中で自分は相手にしてもらえるのかと心配で怖気づいてしまい、数人の留学生と日本人の子にしか話しかけられなかったのを思い出します。しかし、そんな最初の経験から、勇気を出して自分からたくさんの場所に飛び出して行ったおかげで、たくさんの人に出会うことができました。国や言語が違っても、自ら関わろうとすれば、仲良くなることは難しくないのだと分かりました。留学の終わりの方に、再びその話しかけられなかった留学生らに会う機会があったのですが、話しかけてみると普通に関わることができたので、最初からもっと話しかけていれば良かったと思いました。


 出会った人から、生活面のこともいろいろ助けられました。メンフィスは電車がなく、車を使って移動していました。そのため、よく友達の車でメンフィスのレストランや有名な場所に連れて行ってもらいました。自炊をしていたため、スーパーにもよく連れて行ってもらい、おすすめの物や商品の違いなども教えてもらいました。私が驚いたのは、アメリカの人は化粧水を使わず、クリームだけを使っていることです。初めはこのことは知らずなかなか化粧水を探せず、友達に教えてもらわなければ、こんな教科書には書いていないような日常的なことは、分からなかっただろうと思いました。そして、友達の家にもホームパーティーなどに呼ばれて行きました。料理を教えてもらったり、ハロウィンパーティーやサンクスギビングデー、クリスマスパーティーなどを楽しみました。


 メンフィスはクリスチャンが多く、多くの人が教会へ毎週日曜日に行っていました。キャンパスの近くにクリスチャンの学生たちが集まるところがあり、遊んだり勉強をしたり、フリーフードがあったり、毎週木曜日に歌を歌って聖書の勉強をしていて、日本の学生にはあまり見られないことでした。私はクリスチャンではありませんが、参加させてもらっていました。アメリカでは、ほとんどの人が信仰する宗教を持っていて、身近に宗教があるので、日本にいたら考えもしないだろう、宗教を信仰するということについて考えさせられました。


 この留学で多くのことに触れ、学び、考えさせられ、大変なことも数多くありましたが、充実した留学生活を送ることができました。もっと英語を学びたいと、留学中に強く思うようになって、長期であったらいいのにと思いました。しかし、この4ヶ月でとても濃い日常を送ることができ、大学を卒業してからも、英語をずっと学び続けたいと思いました。そして、ドルのレートを気にすると経済のことも関係してくるのに気づき、英語以外の他の分野への関心も広がりました。この気持ちを持ち続けながら、留学で学んだことを日本に帰ってから活かしていきたいと思います。日本の文化、歴史、特徴なども積極的に学び、他の国の人にそれを発信できればいいと思うし、この経験を誰かに伝えることができればいいなとも思います。


 このような素晴らしい経験ができたのは、名古屋学院大学の先生方、国際センターの方々、両親、現地の友達、先生方、日本人からの留学生の友達、出会った多くの人々の支えがあったからだと思い、とても感謝をしています。本当にありがとうございました。


 メンフィス大学に行くことができて良かったです。得たものの中で一番大きなものは、人と関わることの大切さ、誰かを助けたり誰かに助けられたりすることの大切さではないかと思います。他のところでも得られるものかもしれませんが、メンフィス大学で私はそれを得ることができました。


メンフィス大学に行くことができて良かったです。得たものの中で一番大きなものは、人と関わることの大切さ、誰かを助けたり誰かに助けられたりすることの大切さではないかと思います。他のところでも得られるものかもしれませんが、メンフィス大学で私はそれを得ることができました。

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中期留学報告(コー大学 大矢 明典)

Coe Collegeでの留学を終えて

 私は816日から中期交換留学生として、アメリカのアイオワ州にあるCoe Collegeに派遣されました。私は留学が決まるまでアメリカにあまり興味がなく、アイオワ州の名前すら知りませんでした。現地に着いたときに思ったことは、自然豊かな町という印象でした。空港からCoe Collegeまでは、ESLの先生に車で送迎をしていただきました。初めてCoe Collegeに着いたときは、憧れの芝生の広場があり、広大な土地を活かした大きなキャンパスだなと感じました。翌日から、3日間のインターナショナルスチューデント向けのオリエンテーション、更に、3日間の新入生向けのオリエンテーションが始まりました。インターナショナルスチューデント向けのオリエンテーションでは、F1ビザについての話や、キャンパス生活においての保険の話など、少し難しい内容の話が続きました。多くの大切な情報や時差ボケもあり、大変だった記憶があります。しかし、新入生向けのオリエンテーションは、シーダーラピッズの町に貢献するボランティア活動やドッグセラピーなど、日本では経験したことのないアクティビティが多くあり、あっという間の3日間でした。

 オリエンテーション終了後に、授業が始まります。私は7つのESLクラスを受講することになりました。最初の授業では、全てのクラスでシラバスの配布とクラスの説明がメインでした。留学が始まるまで、授業中の英語が聞き取れるか、また先生の問いに対して反応することができるか、とても不安でしたが、先生方は分かりやすく、更にきちんと理解できているのか確認をしてくださるため、私でも理解することができました。また、分からない部分があっても、こちらから聞けば理解するまで説明してくださります。ここで必要に感じたのは、必要以上に自分からアクションを起こすことがとても大切だということです。

また、週末には様々なアクティビティが開催されます。8月には、地元の野球球団の野球観戦に行きました。Coeの学生は安く観戦することができ、私にとって人生初の野球観戦となりました。その他では、授業の一環でカンバセーションパートナーとの出会いがありました。カンバセーションパートナーとは、一緒にアイススケートなどのイベントに参加することや、食事をすることで、英会話に慣れるとともに、アメリカの文化と日本の文化を共有することができ楽しい時間を過ごすことができました。

 その他にも、多くのアクティビティがありました。その中の一つに、インターナショナルクラブの活動があります。9月には、カヌーやキャンプファイヤーを行うカヌートリップがありました。一泊二日で、近くの池までカヌーをやりに行きました。このトリップは、初めてのインターナショナルクラブのアクティビティとなり、普段授業で会わない多くのインターナショナルスチューデントと会話をすることができました。また、食後にはアメリカではポピュラーなテーブルゲームなども行い、どれもが日本では行わない事ばかりで、とても楽しい時間を過ごすことができました。10月には、フォールタームブレイクという四連休を利用し、シカゴトリップがありました。このトリップは、アメリカの大都市文化を学ぶという意図もあり、学校からの補助もあり、二泊三日でシカゴに30ドルで行くことができました。私は今回の留学が初めてのアメリカとなるため、このトリップで行ったシカゴが、アメリカ初の大都市旅行となりました。この時、授業でちょうどシカゴ美術館について学んだばかりで、シカゴ美術館を訪れました。そこには授業で学んだ多くの絵画が展示されていて、日本でもたまに美術館を訪れますが、シカゴ美術館は広大な土地に多くの美術品が展示されていて、圧倒されました。また、私は経済学部なので、アメリカ経済に触れるため、シカゴ連邦準備銀行にも行きました。ここには貨幣美術館も併設されており、アメリカの貨幣の歴史なども学ぶことができました。このシカゴトリップは、日本とは異なった大都市文化に触れることができ、私にとってはとても刺激的な経験となりました。他には、コ―カレッジで行われた、インターナショナルスチューデントが集まり開催された、カルチャーショーがありました。このショーでは、様々な国の伝統的な文化からモダンカルチャーまで、様々なショーがありました。日本グループは、アイドルグループのダンスなどを行いました。また、このショーのおかげで、今まで知ることのなかった国の伝統衣装や踊りなども知ることができ、とても良い経験となりました。

 その他には、アメリカ最大の祝日であるサンクスギビングを経験しました。コ―カレッジでは9日間のサンクスギビングブレイクがあり、多くの現地の生徒は家に帰省するため、私は友達とニューヨーク旅行に行きました。なぜニューヨークにしたかというと、メイシーズというデパートが、毎年ニューヨークの街でサンクスギビングパレードを行うため、それを見に行きました。多くの道を封鎖して行われるパレードは、日本ではなかなか見ることができないので、とても楽しかったです。また、サンクスギビングデーの翌日に行われるブラックフライデーセールは、日本の初売りセールのようにとても混んでいて、この時にしか経験できないことを多くすることができました。また、サンクスギビングブレイクの間に、大学近くの民家で行われたインターナショナルサンクスギビングパーティーに招待されました。このパーティーは、コ―カレッジの学生だけでなく、近くの大学の学生も多く参加し、サンクスギビングにアメリカの家庭でよく食べられているターキーやパンプキンパイなどを振る舞っていただき、また、サンクスギビングの歴史なども教えていただき、今まで知ることのなかったサンクスギビングについて学ぶことができました。

 この留学では、今まで本当に通じるのか分からなかった自分の英語を精緻化すると共に、友達や現地の生徒と話すことで新しい日常会話を覚えることや、授業を通してエッセイの書き方や英語でのプレゼンテーションの方法、グラマーやスピーキング力など、日本にいては身に付けるのが難しいアカデミック英語まで、幅広い範囲で学ぶことができました。また、様々なアクティビティを通して、今まで知らなかったアメリカの文化なども知ることができ、この留学は私にとって、これからの英語習得やその他の資格などを取得するための良いきっかけとなりました。


                                 

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中期留学報告(コー大学 田島 由美)

アメリカでの生活

私はアメリカのアイオワ州のコー大学という場所で、4ヵ月の中期留学をしました。留学をする前は不安が多かったですが、アメリカに着いてからは、思っていたより全部スムーズに行き、人生の中で一番良い経験と言ってもいいくらい、良い思い出が沢山できました。

私の不安は三つありました。英語が通じるか、友達が作れるか、そして、寮での生活。しかし、アメリカに着いて分かったのは、ネイティブの人はあまり文法を気にせず、私たちが言っていることをちゃんと理解しようとすることです。それでも通じなかったら、ジェスチャーでなんとか伝えるようにしました。コミュニケーションでしてはいけないのは、あきらめて「Never mind」とか言うことです。留学しているなら、ちゃんと現地の英語を理解してみるのが一番だと思います。友達作りもとても簡単でした。授業が始まる前の1週間で、一緒にカフェテリアで食事をしてくれる友達もできていて、毎日が楽しかったです。

 寮での生活は慣れがポイントでした。コーのMurrayは、男女共同でキレイとは言えない寮でしたが、私が着いてから1ヵ月ほど経った時、トイレとシャワーの掃除を大学の方が徹底的にやるようになったので、寮での生活もよくなりました。私の部屋は三人部屋で、他に二人のアメリカ人が来る予定でしたが、二人とも大学を辞めたらしいので、私は一人で三人部屋を使っていました。ルームメイトがいなかった分、自分がやりたいことを好きな時間でやっていたので、その面でのストレスはなかったです。しかし、他の子たちと比べると、使っている英語の量が少なかったので、その分ネイティブと話す機会を沢山作るようにしていました。

 コー大学の授業の数は少ない方でしたが、量としては日本でやっていた勉強の倍でした。レギュラークラスを受けていたので、毎日本を読み、essayを書いていました。大学の図書館は、朝から夜中の1時まで空いていたので遅くまで宿題ができ、プリンターも使えたので、その点ではすごく便利でした。ESLを担当している先生たちもすごく優しくて、面白い人たちばかりでした。一番印象に残っているのは、Thanksgivingの夜にアナ先生の家に行って、一緒にDinnerを食べたことです。

 アメリカではあまり白ごはんを食べず、毎日のようにポテトを食べていました。マッシュポテト、フライドポテト、種類はいろいろでした。アメリカのデザートは、すごくおいしかったです。特にケーキやパイ。ホームメイドアップルパイの上にアイスクリームをつけて食べたのを思い出すだけで、また食べたくなります。

 旅行でシカゴ、ニューヨーク、ワシントンDCへ行きました。シカゴは秋の季節に遊びに行って、あたりでした。冬は風が強く、雪もすごく降る所なので、おすすめしません。ニューヨークは11月の後半に行ったので、日本の真冬の寒さと同じくらいでした。ワシントンは冬に遊びに行きましたが、他の場所と比べる寒くありませんでした。

 アイオワは寒い場所で、雪が降る時はマイナス16度とかになっていました。しかし、寮や教室の中はとっても暖かいので、寒さを感じることはありませんでした。一つアメリカで驚いたのは、真冬でもTシャツ一枚や半ズボンで、キャンパス内を歩いている人がいたことです。自分はコート、ヒートテック、ブーツも履いているにも関わらず、夏の格好をしている人はすごいと思いました。アメリカ人はすごく親切でした。私が道に迷った時や地下鉄の使い方が分からなかった時も、優しく手伝ってくれました。アイオワのコー大学のみんなもすごく親切で、英語が通じなった時も理解しようとしていました。この留学の中でトラブルにあっていないので、自分でもとてもラッキーだと思っています。行く前の不安がなぜあったのか、聞きたいくらいです。

 私は3年生の夏に留学へ行ったので、2年生の時に行くことができなかった子たちに、「まだ大丈夫だよ、行けるよ」と言いたいです。大学1年生から留学が夢でした。授業やTOEFLに力を入れて、毎日大学に残って単語の勉強とかをしていました。しかし、金銭的な問題と心の準備のことを考えて、留学に行くのを1年延長しました。自分のタイミングで行けて、本当によ良かったです。違う国で生活する大変さはメンタルにすごく影響するので、自分が行きたい時に行くのが大事です。アメリカでの生活はすごく楽しく、日本のことを忘れるくらい毎日が充実していましたが、実家が恋しくなり、家族に会いたい気持ちもあったので、心の準備はすごく大事だと思います。

 留学を経験してできるアドバイスは、3つほどあります。一つは、留学へ行く前の手続きや準備をちゃんとすることです。留学が決まり、それから予防接種やビザを取らないといけないので、準備が必要になります。そして、アメリカでは日本人の友達を作るのはいいことですが、いつも同じグループだけで遊び、ネイティブの英語を聞かないと、留学は意味ありません。日本人の友達と過ごすのは一番気が落ち着くかもしれませんが、アメリカ人と関わりがなければ日本にいるのと同様です。最後、帰国してからのとこを、留学中に考えておくことは大事だということを、帰国してから実感しました。英米語学科の学生は、特にこういう気持ちがあると思うのですが、留学は人生の目標と思っている人が多いと思います。留学は本当に楽しく良い時間ですが、人生の全てではないです。帰国してからが勝負だと、考えた方がいいかもしれません。アメリカにいる時は旅行気分、外国人扱いで、本当のアメリカの生活ではないですので、日本に帰ってきてアメリカに戻りたいという思いが強くなる人もいます。私も1ヵ月くらいアメリカが頭から離れませんでしたが、もうすぐ帰国してから2ヵ月が経とうとしています。今は就職活動のことと将来のことでいっぱいです。アメリカは過去の話で今は今なので、現実を見て行動をするようにしています。

 アメリカの文化は日本と違うので、ストレスに感じる人や、逆にそれが楽しいという人もいます。留学中は、良いことにフォーカスをあてるべきだと思います。留学はあっという間に終わるので、あとで残るのは思い出だけです。留学中は後悔しないように楽しんで、帰国後は、現実を見て勉強や就職活動に励むのが、一番のアドバイスだと思っています。





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中期留学報告(マキーワン大学 高野 裕章)

留学生活を振り返って

カナダから帰国して2ヶ月が経った今、留学中に体験したことを私のその時の心情を踏まえながら振り返りたい。カナダに着いたばかりの頃は、これからの生活への不安で押しつぶされそうだった。海外経験の少ない私は空港で分からないことが多かった為、拙い英語で職員に尋ねたところ上手く通じず、あしらわれるような応対をされたことから、カナダの人に冷たい印象を覚えた。空港から寮に向かうバスの車窓から見える風景は私がこれまで楽しみにしていたものであったが、日本とは完全に異なる見慣れない景色は、より不安を掻き立てる一因となった。

たどり着いた寮は想像よりも遥かに大きく、マッキーワン大学の留学生だけでなく、国内に住む学生、そればかりか他大学に通う人や旅行客の宿としても使われていた。つまり、そこに住む人は英語が話せるのは当たり前で、英語を上手く話せない私達は様々な場面で不利に働いた。オリエンテーションでは上手くコミュニケーションが取れず、恥ずかしい思いをすることもあった。部屋のベッドにシーツや毛布は用意されておらず、土地勘もなければ言語も通じない為、マットレスのみで過ごす寒い夜が続いた。シャワールームの水漏れやトイレのレバーが壊れるなど、トラブル等に見舞われながらも、少しずつ問題を解決していくことで現地生活にも慣れていき、徐々に心にも余裕が出てきた。

学期が始まるまでの間、交換留学生それぞれに割り当てられたバディの人に買い物に連れて行ってもらうなど、寮の近くを散策して日用品を揃えた。ルームメイトは年上のネパール人で、学期が始まる頃に寮に到着した。互いの文化の違いからか、彼との共同生活の中で困惑することも多かったが、フレンドリーで気さくに話し掛けてくれた彼のおかげで、英語の上達にも繋がった。

実家暮らしの私は一切家事をしてこなかったので、毎日の食事の用意等も私にとって新しい体験であった。寮の近くには十分な数のスーパーがあり、30分ほどバスに乗れば屋内遊園地やプールまである大きなショッピングセンターがあり、そこでは日本からの輸入品も多く売っていて、日本の家族から送られてきた即席麺等に加えて、それらは慣れない生活をする上で大きな支えとなった。

私達がESLの授業を受ける校舎は、寮から少し距離があるのでバスで通うことになった。80分の授業が1日3コマ、週5日同じ時間割で行われた。1クラスの人数は20人ほどで、年齢や出身国も様々であった。私のイメージでは、同年代の留学生と授業を受けるものとばかり思っていた。しかし実際は、英語圏以外の国から移住して来て英語を学習する目的で通っている人が多く、他の国からの交換留学生はESLではなくレギュラーの授業を受けていることが後に分かった。教師と同年代の生徒が多く、母語訛りではあるものの私達より英語も話し、進んで発言するなど、授業に積極的に参加する人ばかりで新鮮だった。日本の授業とはかけ離れた、英語しか通じない環境で学習することは、私にとって良い刺激になり、上達に繋がるのを強く感じた。

授業はカテゴリーで3つに分かれていて、それぞれの授業ごとに学ぶ内容が明確で、偏りなく様々な側面から英語力を鍛えることが出来た。スピーキングとリスニングでは、テーマに沿ったグループでの議論やプレゼンをこなすことで、英語での自然な会話を身に付け、読み上げられた文を基に質問に答えることによって、聞き取りの力を高めることが出来た。また、リーディングとライティングでは、チャプターごとにテーマの定められた本文を読み取った後クラスで話し合い理解を深め、自分の意見を基に正しい形式に沿って文法を意識したエッセイを書くことを練習した。ボキャブラリーでは類語を使い、これまでよりも品詞や単複を意識し、自ら例文を作ることで質の高い学習をした。

私が留学中で学んだのは語学力だけではなく、授業以外の生活の中にも自分の成長に繋がったと感じる場面があった。私の20歳の誕生日の2日前、動物園に行った日の帰り道、定期券付きの学生証と寮の部屋の鍵をバスの車内に置き忘れてしまった。昔から私が物をよく失くすのは分かっていたので、ネックストラップにひとまとめにしておいたのが裏目に出た。拙い英語を使い、落し物を管理する事務所に何度も電話を掛け、直接出向いたりして必死に探したが、結局見つからなかった。再発行等に必要な出費のことを両親に伝えるのは心苦しかったが、叱ることなく許してくれた。友人においても、一緒に探すことを手伝ってくれるなど、とても心強く頼りになった。近くにいるのが当たり前だった両親と離れること、またいつもの友人と距離が近くなることで、普段と違う人との関わり方をし、繋がりの大切さを再認識することができた。それは人同士に限らず、国単位でも同じことで、日本であれば見つけた乗客が運転手に届けるなどして落し物が見つかることが多いと思う。カナダは比較的良い治安がと言われているにも関わらず、危険と感じる場面もあったので、日本の治安の良さを改めて実感した。これは日本に住んでいる頃は当たり前で意識して生活することもないので、海外で実際に生活してみてこそ気づかされる部分だと思う。

またESLの授業の他に、ボランティアとして日本語の授業に参加させてもらうことで、授業外でも日本語を教えて欲しいと頼まれたり、一緒にゲームをして遊んだり、現地の学生との交流が増える良い機会となった。日本について彼らから印象を聞き、私達が教える中で、私達にとっては当たり前のことが、他の国では珍しいということを学んだ。一度、いつもの日常から離れてみることは、今までの考えをもう一度見直し改めるのに役に立ち、それは自分の成長に繋がると思う。

上で述べたように、留学生活は様々な人種や異なった文化の人と接する機会がたくさんあった。ネパール人のルームメイトはもちろん、ESLや日本語の授業でのクラスメイト、それに限らず、カナダには移民が多いため、街には色々な人が住んでいる。今までに生きてきた時間や、国家や宗教の影響を受けるその背景が自分とは全く違う人と接することが出来たのはとても興味深く、良い経験になった。留学は語学の上達以外にも、その期間の過ごし方によって得られるものは人によって様々で、より多くのことを経験し、自分の糧にした人ほど、その留学は成功したと言えるのではないだろうか。


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長期留学報告(マキーワン大学 笠原祥美)

新たな考えをもたらしてくれたカナダ
 私はカナダのアルバータ州エドモントンにあるマキーワン大学に、約8ヵ月間留学していました。

 少しだけ留学に行く前の話をすると、私は高校生の時くらいから留学するということにとても憧れをもっており、大学に入ったら留学したいと思っていました。そして名古屋学院大学に入学し、実際に留学に行った先輩方と触れ合う機会がたくさんあり、私も先輩たちのように努力すれば留学に行けるかもしれないと、留学がとても身近で現実味のあるものになりました。

そして、1年生が終わり、その春休みに留学に行くことが決定したときは、本当に嬉しかったです。私にとって英語は好きな科目ではありましたが、決して得意な科目ではなく、文法などにも苦手意識を持っていました。そんな私でも、留学したいという強い気持ちをずっと持ち続けて、諦めずに努力することで夢を叶えることができたので、今から留学を目指す人や少し諦めかけている人も、諦めなければ叶う可能性は絶対にあると思うので、その気持ちを持ち続けてほしいです。

ここからは、私のエドモントンでの留学生活について話します。私の留学先であるアルバータ州エドモントンはカナダの西側に位置し、カナダでは有名なバンクーバーやトロントと比べると北の方にあり、冬場になると-20℃を超えるのは当たり前、ひどいと-30℃にも達するというところでした。カナダに行く前の私は、自分の英語に対する不安もありましたが、寒さに対する不安もかなり大きく、体調を崩さずカナダの寒い冬を乗り越えることができるのか、とても心配でした。出発は8月の終わり頃で、日本はとても暑かったですが、エドモントンに着くと涼しく、少し肌寒いとさえ感じました。エドモントンはアルバータ州の州都ではありますが、穏やかな街で、田舎ではありませんが都会というほどでもなかったです。

歩いて行ける距離にスーパーがいくつかあり、バスや電車もそこそこの数が走っており、交通手段に苦労することはあまりなかったです。また、大学生だとU-Passというシールをもらうことができ、それを持っていればエドモントン市内のバスや電車は、いつでもどこでも乗り放題だったので便利でした。


 私は、大学のメインキャンパスのすぐそばにある大学の寮で暮らしていました。カナダ人のルームメイトとの2人部屋で、キッチンやバスルームは共同でしたが、お互いに部屋がひとつずつあり、寝る時は別々でした。そのため、プライベートな空間がしっかりあって、勉強に集中したい時なども多くあったので、その点ではとても良かったと思います。寮は、キッチン用具などの身の回りのもの全て、自分で揃えなくてはならなかったのですが、カナダ人のルームメイトはシェアして使おうと言ってくれたので、無駄なものを買わずに済みました。

 次に、ESLの授業やクラスメイトについて話したいと思います。私がESLのクラスメイトで1番驚いたのは、移民の多さです。

 クラスメイトのほとんどが移民で、私よりも年齢の高い方たちばかりでした。また、カナダに何年か前から住んでいる方や、もうすでにカナダ国籍を取得しているクラスメイトもたくさんいて、英語を学ぶ学校に通ってはいるけれど、スピーキング力やリスニング力がとても高かったです。さらに移民ということで、英語を今後の生活や仕事で必ず使っていかなければならないので、英語を学ぶモチベーションがとても高く、授業中は常に質問が飛び交っているという状況でした。
 
 私はその状況に最初は少し戸惑いましたが、質問があるのに質問をするのが恥ずかしいからと黙っていることの方がもっと恥ずかしいことだと、クラスメイトたちに気づかされました。私の想像とはかなり違うクラスメイトたちで、年齢層もかなり高かったため、最初は話しかけづらく、仲良くなれるのかという不安がありましたが、同じ英語を学んでいる〝仲間″という感じで、全員が全員本当に優しくて、休み時間には冗談を言って笑わせてくれ、プレゼンテーションの前に緊張している時には、「大丈夫だよ。」と落ち着けてくれたりと、とてもユーモアがあり、また尊敬できるクラスメイトたちばかりでした。さらに、クラスメイト達は、自分の意見や考えをはっきりと周りの人に伝えることができ、プレゼンテーションの後なども、「ここが良かった。」や、「ここはもっとこうすればいいんじゃない。」という風に、いつもアドバイスしてくれて、周りに先生や家族がたくさんいるような感じで、私はそのクラスメイト同士で高め合える雰囲気が好きでした。授業やいろいろな活動をともにし、辛い課題やプレゼンテーションを一緒に乗り越え、私にたくさんの新しいことを教えてくれたクラスメイトには、本当に感謝しています。 


授業や学校以外での思い出もたくさんあります。あり過ぎて、ひとつずつ具体的に説明することはできないので、特に思い出に残っていて、カナダでしかできないような経験について少し紹介します。私が特に思い出に残っているのは、バスで4.5時間ほどの所にある、バンフという山の方に1泊2日で行き、犬ぞりとスキーを体験したことです。犬ぞりは日本ではできない経験であると思うし、犬ぞりに乗りながら見る山々の景色は圧巻でした。また、スキーもカナダの広大なスキー場で、日本には絶対にないだろうという急斜面を滑ることができて、本当に思い出に残っています。

2つ目は、アイスホッケーの試合を生で見たことです。カナダ人が1番好きなスポーツといえばアイスホッケーであり、地区ごとにアイスホッケーのチームがあり、みんなそれぞれの地区のチームの熱狂的なファンです。生の試合は、プロの選手のプレーを近くで見れたことはもちろん、ファンたちの応援を肌で感じることができ、初めて見たときはとても興奮しました。



最後に、留学を通して、海外の人への印象が180°変わり、また、自分のことを客観的に見られるようになったとも思います。今までは、自分の悪いところを見つけ、それを直そう、改善させようと必死になっている自分がいましたが、カナダでたくさんの移民の方や様々な人種、宗教の方と接し、1人1人それぞれの考えを持っていて、それを分かり合い、尊重し合いながら暮らしている周りの人たちを見て、もっと自分の良さや自分が得意なことなど、自分はこういう人間なんだと理解し、自分らしさを出し、アピールしていくことも大切だと気づかされました。




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