「敬神愛人」を育てたもの

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名古屋英和学校の創立者

 F.C. Klein

(1857-1926)

 

 2012年3月22日の栞輪で、名古屋英和学校の創立者F.C.クライン博士について書きました。クラインは1883年に来日し、1887年に本学の前身である名古屋英和学校を創立、校訓を「敬神愛人」としました。その「敬神愛人」は、本学の理念として受け継がれています。
 人間のおごりを戒め人との調和を説くこの言葉は、クラインの人生と大きく係わっているものと考えられます。つまり、「敬神愛人」は彼の人生と切り離して考えることはできないのです。ただ、まだその人生は充分に解明されたとは言えません。
 ここで、クラインのルーツについて、調べてみようと思います。

 

 イギリスからアメリカ大陸への移民が始まったのは、1600年代でした。イギリスの植民地から米国が独立したのは、1776年です。国としての歴史は、まだ240年に満たないのです。建国の年くらいまでならルーツ探しも容易だろうと思えますが、日本のような戸籍がないために、そう簡単ではありません。
 米国でルーツ探しに用いられるのが、Census(人口調査)資料です。つまり、日本で5年ごとに実施されている国勢調査をルーツ探しに用いているのです。米国は、1790年に第1回の人口調査を行い、その後10年ごとに調査を行っています。1930年までのCensusがデジタル化されており、インターネットで閲覧できます。
 今回は、1860年のCensus調査から、Virginia州Fairfax郡在住時のクラインファミリーの資料を探してみます。

 

 米国Census資料は、Internet Archive が収集し、公開しています。1860年当時は、タイプライタを用いてはいないようで手書きです。それも、かなり読みにくいものです。ネットで読めるとはいえ、パソコンの検索機能は使えません。米国のルーツ探し団体が、Census資料を索引化してくれたおかげで、なんとかそのファイルにだどりつくことができました。
 ダウンロードしたPDFファイルは200MB、420ページあります。その316ページ目にクラインファミリーが掲載されていました。よく見ると、KleinがClineと綴られています。ドイツ姓のKleinを英語読みにした際に、スペルを変えたものと推察されます。
 この資料を見ると、クラインは3歳です。姉のアメリアとは3歳違いであることがわかります。クラインの父親Johnはドイツ籍で41歳、母親のCatharineはフランス籍で27歳。父親は1866年に亡くなったことが別の資料で明らかになっています。とすると、死亡時47歳前後、クラインが9歳ごろということになります。また、父親の職業が、Lager Beer Brewery(ラガービール製造業)であったことがこの資料からはじめてわかりました。

 

 クラインの「敬神愛人」は、独仏の両親の元、幼いころに父を失った家庭からもたらされたようにも思えます。

1860_census_Klein family.pdf 


(瀬戸のスタッフ りんたろう)

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