(フィリピン)フィリピン大学の最近のブログ記事

Ø  授業について

 今月も先月とあまり変わりはありません。毎回リーディングの課題が出たり、別の授業では、課外活動の感想を書く宿題があったり、グループでプレゼンテーションをしたりしました。ここへ来ていろいろなことを経験して、やっと本来の留学生らしい生活をしているような気がします。このような経験ができるのもあと少しなので、悔いのないように、ちゃんと力をつけて帰れたらいいなと思います。

 

 

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Ø  授業以外の学校生活(イベント・アクティビティ等)について

 今月は大学祭があり、5日間催され、毎日夕方の6時から深夜の3時まで大勢の人でにぎわっていたみたいです。観覧車や空中ブランコ、バイキングなどのアトラクションがあったり、有名なアーティストによるコンサートも開かれていたりと結構本格的で、会場外から見ても楽しそうなのがとても伝わってきました。あとは、授業の課外活動として、マニラ戦の犠牲者追悼式に参加したり、他大学に講演を聞きに行ったり、短期で日本から来た学生さんたちにフィリピン大学のキャンパスを案内したりしました。フィリピンに留学して、いろんなことを学んだり、そのことについて深く考えたり、日本ではできないような経験をたくさんさせてもらっているので、本当にフィリピンに来て良かったなと思います。そして、残りの留学生活も大切にして、少しでも多くのことを学んで帰れたらいいなと思います。

 

Ø  学校生活以外の生活面(学外での人々との交流・食事・買い物・旅行等)について

今月は、1人でセブ島に行ってきました。本当は、高校の時の友達が、セブ島の語学学校に2週間行くと言っていたので久しぶりに会いに行こうと、飛行機やホテルもすぐに予約していたのですが、1週間ぐらい前になって友達から行けなくなったと連絡が来ました。どうやら体調を崩したみたいで、すごく残念な形になってしまいました。飛行機のチェックインをオンラインで済ませていたり、ホテルの取り消しもできないような状態だったので、私もも風邪を引いていましたが1人で行くことにしました。でも、意外と行ってみると、自分のペースで行きたいところを回れたり、満足するまで買い物ができたり、いろいろありましたが、たくさんの出会いもあり、誰にも気を使うことなく過ごせるという1人旅ならではのよさにも気付けたので、本当に行って良かったと思います。

 

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Ø  寮・ホームステイについて

 部屋にwi-fiがついたことによって、お互い部屋にいる時間が長くなったので、基本的に一緒にご飯に行ったり、出かけたりすることが多くなった気がします。

 

Ø  その他

 セブに行って初めて気づいたことですが、セブにいるフィリピン人はマニラにいるフィリピン人に比べて、おおらかで明るい人が多かったような気がします。滞在中は、基本的に配車アプリで車を手配して出かけていました。最初のほうは、慣れない土地でなかなか運転手の方と遭遇できないことも多かったのですが、私が見つけられるまでキャンセルすることなく連絡を取ってくれたりして、すごく良い人でいっぱいの素敵な場所だなと感じました。移動中もたくさんの運転手の方々といろいろな話をして盛り上がりました。

 今回の旅を通して、セブ島に暮らす人たちの人柄に身近に触れることができたし、また行きたいと思うぐらいとても良いところでした。今回は、天候も体調もあまりよくなかったので、海には行かず買い物ばかりしていました。ショッピングモールは、フィリピン人と同じぐらい語学学校に通う日本人や、韓国や中国からの観光客の方々が多かった気がします。次にセブ島に行くときは、今回行けなかった海にも行ってみたいです。そして、またいつか1人旅もできたら良いなと思います。


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5月初め、大学内がテスト前で落ち着かない様子になった。自分が履修しているクラスの最終試験は筆記テストではなく、動画作成やスピーチだったので、自分はその準備に追われていた。動画作成は、クラスでグループを作り、出された課題についての動画を皆で作成するというものであった。コメディが好きなフィリピン人は、どの動画も面白おかしく作っていて、見ていて飽きなかった。グループでの作業ということで、割と皆が手伝ってくれたので、そんなに大変な作業でもなかった。



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コミュニケーションクラスの最終課題は、10秒スピーチというパッと聞いた感じで、簡単そうな感じがした。しかしその課題は、自分が後世に残したい言葉を10秒に納めて伝えるというものだった。


体育(フィールドホッケー)では最後にクラス別の大会があり、自分のチームは優勝を逃したものの、三位入賞という十分な成績を残した。今までしたことがないスポーツに挑戦するのはとても刺激になり、そのスポーツが生まれた国の文化や考えを、そのスポーツを通して感じられる事を嬉しく思う。



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この長期留学を通して、フィリピンという異国にて外国語を使って勉強をすることの難しさや楽しさを感じるという、日本の大学ではできない、とても貴重な経験ができた。更に授業を通して、日本人にはない独特のユーモアや考え方も感じられた。


テストも終わりに近づき、落ち着いてきた5月半ばあたりに、留学生で学期終わりの打ち上げをした。その後、10か月を共に過ごしてきた仲間たちがどんどん帰国していった。やはり、外国という右も左もわからない場所で出会った仲間は、自分が感じていた以上に存在が大きく、その分別れも辛い。



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自分の帰国は来月6月初めである。大学内での生活は終わったが、語学留学のほかに目的としていた課外活動を、5月の後半から開始した。課外活動として当初ボランティアを予定していたが、縁があり、クバオという場所にあるクヤセンターという孤児院で、子供たちと生活をすることにした。この孤児院は男の子だけの孤児院で、10人近くの子供たちが生活している。子供達はとてもパワーがあり活発で、自分の老いを感じた。報告書を書いている今現在はこの孤児院に来て2日目であり、今後は色々な子供たちにインタビューをする予定である。


この留学を終えて、フィリピンという国、言語、文化の深さをしみじみと感じた。自分が滞在したマニラは、フィリピンという国単位で見れば小さな場所である。しかし、今後もフィリピンという国に携わって、より良い国にしていける人材になれるように頑張りたい。

 3月は授業外での活動が多く、あっという間に終わってしまったイメージ。 

 コミュニケーションの授業では着々とグループプレゼンテーションが進み、ほぼ毎回、学生たちがまとめたものを発表していく。それもすごいのが、1時間半の講義の95%が学生同士でのディスカッションであるという点。残りの5パーセントは、教授の補足説明やプレゼンの評価。

 この授業を通して、学生同士で話し合って理解していくというのが大学の本来あるべき姿であると感じたと同時に、自分の名古屋学院での授業に取り組む姿勢を反省した。

 また、スピーチの授業では30分のプレゼンテーションを終わらせ、この2つの授業を通して、自分のスピーキング能力の向上を実感すると共に、人前で話す際に何の抵抗も感じなくなった。寧ろ、皆の前で話したくて仕方がない。更に、この2つの授業では、スピーチをする際の立ち振る舞いや、協調したい部分の声の大きさや高さなども勉強しているので、おそらく留学前より成長している思う。 

 また、3月は寮でのイベントが2回行われた。 

 1つ目のイベントは"オープンハウス"と言って、寮にある3つの建物内に、決められた時間に男女関係なく入ることができ、部屋にも入ることができた。このイベントの目的は、寮内での交流を深めるもので、夜には各建物の中から何人か代表で歌を歌ったり、出し物をしたりする。自分は筑波大学の男子学生とユニットを組んでダンスを披露した。 

 2つ目のイベントは"フードフェスティバル"。 このイベントでは各国の学生が自国の料理を提供する。名古屋学院でもやっている行事だが、やはりフィリピン色が出たのが調理場だった。キッチンのない寮なので、その日限定で寮の外に簡易キッチンが作られ、そこで料理をした。傍から見ると炊き出しみたいな感じで面白かった。

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 日本人学生のグループは話し合いの結果、フィリピンは今夏なので流しそうめんをやることになった。竹の伐採は寮のスタッフがやってくれたが、もちろん完成図のわからない外国人が組み立てられないので、組み立てはスタッフたちと一緒に行ない、立派な竹の滑り台が完成した。 イベント当日、個人的にアジアの料理(タイ、カンボジア、ラオス)がおいしかったが、流しそうめんが一番目立ったようである。 みんな竹の滑り台に興味津々で、たくさんの学生が流しそうめんを楽しんだ。このイベントには、寮外の学生や家族、教授も参加できたので、たくさんの人が楽しんでくれた。

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 この国は本当に親日で、みんな日本に興味津々。しかし、自分は日本生れなのに日本の文化、風習等が説明できないということを感じた。やはり日本に生まれたからには、少しは日本の文化を理解すべきだと改めて感じた。 

 寮以外のイベントとしては、スピーチのクラスの課外活動で教授宅にて外国人留学生とフィリピン学生の交流パーティーが行われた。何よりも驚いたのが、教授の家の大きさ。テレビで見る"THE 金持ち"。この活動では、たくさんのフィリピン人と仲良くなれたのが収穫だった。

 今までの留学生活をふと振り返えると、毎日授業や課題をこなし、気づいたらもう7カ月。日本では学校と部活、アルバイトの両立で、ここでの生活よりもあわただしい毎日を送っていたが、ここでの生活はゆったりしていて良い。最近は自分が残りのフィリピン留学でやり残していることはないかと、考えて生活するようになってきた。 


 授業はオリエンテーションが終了し、本格的な授業になってきた。今学期から履修したコミュニケーションのクラスとスピーチのクラスは、とても人気がある授業だと多くの学生から聞いていた。そう聞いても、がっかりするのが嫌だったので、あまり期待はしていなかったが、今現在この二つの授業がある水曜と金曜は学校が楽しみで仕方がない。この二つの授業では、名前の通りコミュニケーションを取りスピーチをするのだが、その内容が何ともフィリピンらしいというか、おしゃべりが大好きな国だなと感じられるものである。 


 例えばスピーチのクラスでは、1人に1枚ずつ話す内容のお題が書かれた小さな紙が渡され、そのお題に対し何でもいいので1分間、クラスメート全員の前で話し続けたり(お題は発表の直前まで見てはいけない)、自分の好きな歌の歌詞を感情を入れて読んだりする(自分はアナ雪の"扉開けて"を披露した)。コミュニケーションのクラスもスピーチのクラス同様、クラスメートの前ですべらない話をしたり、グループを作り先生が出したお題(例えば最新の家電製品)について30秒間で説明をしたりするという、なんともユーモアあふれる内容である。 


 これらのクラスの狙いは、多くの人の前で話すことに慣れること、そして聞き手をいかに自分の話に引きつけるかを学ぶことであり、どちらも生きた英語、聞き手の生きたリアクションを生で感じられる素敵なクラスだと思う。個人的には教科書で学ぶ英語なんかより、100倍は楽しくてためになる。 


 留学中、名古屋学院大学とフィリピン大学で決定的な差を感じたことがある。それは、プレゼンテーション能力とスピーチ能力の差である。はっきり言って雲泥の差がある。フィリピン大学の学生の中には、プレゼンテーションのためだけにスーツに革靴などと、服装にまで気を遣う人もいる。この二つのクラスは、今後留学をする学生に1番お勧めしたい。今後もこの二つのクラスを通して、フィリピンのトップ大学におけるコミュニケーション能力とスピーチ能力を身に着けていきたい。 


 授業外では、フィリピン大学で開催されたUPFAIR(ユーピーフェア)というバンドイベントに参加をした。規模とクオリティーは、名古屋学院大学の学校祭の約50倍程だった。このフェアは1週間、毎日夕方から朝4時まで続き、ライブの舞台の他に、日本のお祭りのように屋台が学校のグラウンドに立ち並んだ。このフェアには、フィリピンで一番人気のあるバンドグループや、他にも数多くのバンドグループが参加していたようで、学外からも多くの来場者が来ており、大学規模でなくマニラ規模で開かれていると感じた。 一番驚いたのが、グラウンド内に1週間限定で簡易遊園地が設置されたことだ。観覧車のようなものやバイキングなど、多くのアトラクションが設置された。どれも1回120円ほどで乗車できた。 


 いよいよ留学終盤。今後3か月も、充実した生活を過ごしていきたい。


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12月、の出逢い。

 

12月、いろいろな伝手からフィリピン駐在の日系企業現地社長とお会いする機会があった。わたしがお逢いしたのが三菱重工さん。三菱重工さんではフィリピンで図面を描き、日本に送るという作業が行われていた。フィリピン人が英語を使え、安い賃金で雇えるため、このような図面の仕事を日経企業のみならずUSやEU企業も多く行っているそうだ。その中で、キャリアアップを常に目指すフィリピン人は多く引き抜きされるそうだ。ある企業が基礎知識をつけさせ、これからだ、というというところを他企業が良い条件で引きぬく。景気が良い時にそのようなことが起こるため、フィリピン駐在員の方々は日経企業間で引き抜きはしないという合意のもと毎週自社の状況を報告し、他国の同種企業のうわさ等を探り、日経企業の発展のため集まるという。大手企業のトップがこのように同時に集まることは日本では稀なので貴重な体験だった。

 また、フィリピンのメイン行事であるクリスマスが近づいてくると、モールやストリートのみならずクラスやカレッジ内でも雰囲気が変わってきた。クリスマスソングは流れ(実際は11月初めから流れていた)学生、教授は歌い、みなカラフルなラッピングさせたプレゼントを持っていた。大学の敷地内だと言うのに、普段にも増してプレゼント用の露天は出るし、ミリエンダ(日本でいうおやつ、英国で言うアフタヌーンティー)で売っているバナナキューやフィッシュボールと同じように当たり前にラッピングのための袋と包装紙を売っている人が道にいた。飾りも日本や欧米とは少し異なるようだ。クリスチャンが多いが、中国人系のフィリピン人も多いため中国の雰囲気を持った飾り付けがあるように感じられた。(実際の由来は分からない。だが伝統的なものであることは確か。)クリスマスブレイクにはいる最後の授業日にはフィリピン全土でも有名なランタンパレードが、ここフィリピン大学ディリマン校で開かれ、各カレッジ、ドーム、オフィスが手製の巨大ランタンを運び素晴らしい様相だった。この手製ランタンは、ペットボトル、CD、段ボール等を使い明らかに「手作り」ということが伝わるものだ。もしこれを日本でしたのなら、日本人はもっと見た目や細かいところにこだわるのだろうと思った。彼らは純粋に楽しんでいた。うまく説明できないが、日本にはあまり見られない感覚な気がする。

 また、クリスマス関連で、住宅街には物乞いの子が増えた。物乞いという表現をここで使うのが正しいのか分からないが、「メリークリスマス、マム(Merry Christmas, Mo’m)」と寄ってくる。クリスチャンの考え方としても、お金を持っているのだから分けて当然というものもあるが、クリスマス(Christmas=Christ(キリスト) Mas(ミサ))だからこそ、一緒に祝うプレゼントをちょうだいというものらしい。こどもたちは一軒一軒の塀の外でクリスマスソングを歌い、お礼としてのお金や食べ物をねだる。やはりクリスマスは特別な日だった。私はイブ、当日とフィリピーナの友人の家に行き、一家と一緒に過ごさせてもらった。おばあちゃんもお母さんも親戚も優しく、良い経験させてもらった。フィリピンに多くいる出稼ぎ労働者の問題や、フィリピン大学等の学生の宗教観も聞け、友達やフィリピン人に少し近づけた気がする。

 New Year’s Eveはまた別のフィリピン人の家に行き、たくさんの花火と爆竹、それに伴う煙と騒音に驚きながらもフィリピン人の私からは想像できない新しいかたちの新年を迎えられた。新年を迎えるまでの数時間、親戚一同が集まる家の向かいの家や隣の家にも招かれ、たくさんの話をすることができた。その中に、日本で働いていた方と逢うことができ驚いた。彼らはどういう経緯があったのか分からないが、日本の某大手住宅コンサルタント会社に10年ほど勤めていたそうだ。日本をとても愛しており、日本人の私と出会ったことや、日本語を披露できる相手がいること、日本の思い出を話せることをとても喜んでいるように感じた。彼らの面白おかしい、笑顔絶えない話をきいていると、彼らを日本で雇っていた、一緒に働いていた人たちに感謝を伝えたく思った。特に欧米かも知れなが、日本人が海外に憧れるように、フィリピン人の日本への憧れをとても感じた。そして、私も日本に生れ、日本の文化や歴史・特徴を受け継いでいることに感謝を持ち、かつもっとしっかりと知り、説明できるようになりたいと思った。授業や日常の生活で毎回感じるが、自分の乏しい日本の知識に情けなく感じる。もっと日本を知り、感謝をし、英語で説明できるようになりたい…と思う。

 

また、2年前にアテネオ大学に長期留学していたOさんが卒業論文のためフィリピンを訪れ、彼女の調査に同行させてもらった。とても良い経験となった。毎回お世話になっているOさんだが、今回はさらに、Oさんの2年前に築いたフィリピンでの絆や経験をほんの一部だが感じることができ、彼女の偉大さを再確認した。残り僅かとなった私のこちらでの生活に活かしていく。

 

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