キリスト教豆知識の最近のブログ記事

1月6日は何の日クイズ

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だいぶ過ぎてしまいましたが、1月6日は何の日でしょう?




ピーン

答えは公現日(こうげんび)、エピファニーと呼ばれる日です。ざっくりした説明ですが、イエス・キリストの誕生を東方の博士たちが祝いにやってきた日のことです。ということでキリスト教的、クリスマスの正式な期間は12月25日~1月6日ということになっています。25日で終わりじゃなく、25日で始まるんですよ。

そんな重要そうな公現日ですが、たぶん、日本では・・・というか本学が関係するプロテスタントの教派ではクリスチャンでも「あ、言われてみればそんな日だったな。でも、もう仕事はじまってるしただの普通の日」ぐらいの感覚の人が多いかも。しかも何かを祝うというよりかは、公現日はクリスマスの飾りを片付ける日、といったものです。公現日で何か準備するのは礼拝の(聖書箇所、讃美歌、奏楽曲を選ぶ)説教者と奏楽者ぐらいです。1月6日はエピファニーの礼拝をわざわざしたりしない教会が圧倒的多数だと思われます。

さて、次回更新では、そんな公現日のために人生初挑戦したことをお伝えします。
(伝道師じゃないほう)

映画『マイ・ダディ』の教派は?

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昨日、映画『僕はイエス様が嫌い』についてのお話を書いたので、せっかくですから、いま話題の"この作品"にも触れておきましょうか。

映画『マイ・ダディ』(2021年9月23日公開)



主演は、ムロツヨシさん。なんとこの作品が実写映画初主演作になるんですね。

あらすじは以下の通り。

御堂一男(ムロツヨシ)は、中学生の娘・ひかり(中田乃愛)と2人暮らし。最愛の妻・江津子(奈緒)は8年前に他界。一男は小さな教会の牧師をしながら、ガソリンスタンドでアルバイトに励みつつ、ひかりを男手ひとつで育てている。思春期に突入したひかりはちょっぴり反抗的な時もあるが、優しくて面白いお父さんのことが大好き。牧師として多くの人に慕われ、たまに娘と些細な喧嘩をしながらも、2人の穏やかで幸せな日々は続いていく......と思っていた、ある日、突然ひかりが倒れてしまう。病院で下された診断は"白血病"。混乱し事実が受け入れられない一男だったが、担当医師からある衝撃的な事実を告げられる。なんと、愛する娘は、自分の実の子ではなかった。ひかりに適合するドナーは「数百万人に一人」という残酷な現実が一男をうちのめすが、「血縁者は適合率が上がる」という事実に気付いた一男は、ある思い切った行動に出る......。

公式ウェブサイト - STORY より)

ムロツヨシさん演じる主人公の御堂一男は「牧師さん」です。

皆さんはあんまりご存知ないかと思いますけれども、小さい教会で働いている牧師さんたちの中には、なかなか十分な謝礼(お給料)をもらえないため、アルバイトをして生計を立てている方々も結構おられます。牧師さんだけじゃなく、仏教のお坊さんたちもそうです。「坊主丸儲け」なんて揶揄されることもありますが、現実はそんなに甘い世界ではありません。副業などをしながら、本業である宗教者としての勤めもしっかり果たしつつ、皆さん一所懸命に生活しておられるのです。なので、本作の「アルバイトをしながら教会の牧師をしている」という設定は、過剰演出でも何でもなく、宗教者の"リアル"を描いてくれているのです。これを機に、多くの人たちに、宗教界の現実を知っていただけたらなぁと期待しています。


さて、本題に移りましょう。

キリスト教には様々な「教派」があることを、皆さんもきっと何となくご存知かと思います。カトリックとか、プロテスタントとか、いろいろ聞きますよね。では、本作に登場する牧師・御堂一男の「教派」は何でしょうか。

実は、予告の動画の「開始1秒」のシーンだけで判断することができます!

御堂一男の着ている服装に注目してみましょう(予告動画を再生してパッと1秒で一時停止してください 笑)。何やら、黒色の立て襟の服を着ていますね。これは「キャソック」(スータン)という祭服です。カトリック教会や聖公会(英国国教会の系統に属する教派)の聖職者が着用します。通常、平服として使用されますが、近年、カトリック教会の神父さまたちは、ミサ以外のときにはスータンではなく普通のシャツやジーンズなど普段着を着ていることが多くなってきているそうです 笑

さて、もう一度「開始1秒」のシーンを見てみますと、御堂一男は、黒色のキャソックの上に薄い白色の服を重ねて着てますね。これは「サープリス」(スルプリ)と呼ばれる祭服です。礼拝のときには、平服であるキャソックの上にこのサープリスを着て、首から「ストール」(ストラ)をかけます。ストールの色にはいくつかあって、「白」「赤」「緑」「紫」など(典礼色と言います)キリスト教の暦に合った色のストールを着用します。予告映像では「金色」のストールを付けていますね。何かの祝祭日のときのシーンなのかもしれませんが、こればかりは、実際に映画を観てみないと分かりません。

以上のことから、主人公・御堂一男の「教派」を推察することができます。それはずばり......「聖公会」です!

どうしてカトリックではないのか。それは、スータン(キャソック)の上にスルプリ(サープリス)を着用するスタイルは、カトリック教会ではほとんど見られないからです。聖公会で頻繁に見られるスタイルとなっています。聖公会の祭服については以下のページをご覧ください。

「AMOR 陽だまりの丘 - 聖公会の聖餐式」
http://webmagazin-amor.jp/2019/06/24/tokushu32_7/

それにそもそも、主人公・御堂一男には、妻と子どもがいます。カトリック教会の神父さまは結婚することが禁止されているので(結婚する場合は司祭を辞めなければならない)、御堂一男がカトリック教会の司祭であることはありえません。したがって、妻帯者である御堂一男の教派は「聖公会」であるということになります。

なお、『マイ・ダディ』のロケ地として選ばれたのは、日本聖公会 北関東教区の熊谷聖パウロ教会。登録有形文化財に登録されている、由緒正しき聖公会の教会です。埼玉県熊谷市にお出かけされる際は、足を運んで見られても良いかもしれませんね(もちろんコロナ対策は万全に!)。

NHK連続テレビ小説『エール』で、立教大学の西原廉太先生による"キリスト教考証"(脚本・台本への専門家の視点からのアドバイスや演技指導など)がしっかりと為されていたということが一時期話題になりましたが、この『マイ・ダディ』という映画も、祭服へのこだわりやロケ地にちゃんとした(教派に合った)教会を選んでいるあたり、丁寧にキリスト教考証が行われた上で製作された作品だと言えるんじゃないかと思います。

予告編を観るだけで号泣してしまいそうな『マイ・ダディ』。僕は......観に行きます!

(伝道師のほう)

いま一番ホットな聖書のお話

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「いま一番ホットな聖書のお話」と言えば、やはり、新しくアメリカ大統領に就任したジョー・バイデン氏の聖書のお話でしょう。

皆さんご存知のことと思いますが、アメリカの大統領の就任式では、大統領が聖書に手を置いて宣誓をします。このとき手を置く「聖書」がどんな聖書だったのかが、大統領の就任式では毎回かなり注目されるそうなんですね。

おっと!
「え?聖書なんてどれも同じじゃないの?」なんて言わないでください!

名古屋学院大学のチャペルに置かれている聖書(の翻訳)が「新共同訳」から「聖書協会共同訳」に変更されたということは以前お伝えしたとおりですね。
ぼく(伝道師)は、新しい「聖書協会共同訳」を使っていますが、人によっては「新共同訳」、あるいは「口語訳」や「新改訳(2017)」、更には「文語訳」(名前の通り文語体なんですが根強いファンがいます)など、様々な聖書を使っている方がおられます。そのように、聖書には様々な翻訳があり、これまで数多くの翻訳聖書が出版されてきたわけですね。

ただ、大統領就任式で注目されているのは、翻訳ではなくて、「誰が使っていた聖書か」ということのようです。

二代前までの大統領就任式を振り返ってみると、たとえばオバマ氏は、1期目はエイブラハム・リンカーンの聖書を、そして2期目には、キング牧師の聖書を使用しました。奴隷解放宣言をしたリンカーンと公民権運動の指導者だったキング牧師の聖書を使うというところに、初の黒人大統領であるオバマ氏のメッセージが込められていると受け取ることができます。
そして、前任のトランプ氏はどうだったかというと、自身のお母さんから貰った聖書と一緒に、1期目のオバマ氏と同じようにリンカーンの聖書を重ねて使ったのですが、トランプ氏は、リンカーンが具体的に何を行なったのかではなく、あくまでリンカーンの「偉大さ」を強調しました。

このように、大統領就任式の聖書には、新しい大統領に対する人々の(厳しい)期待の目が向けられているということがお分かりいただけたでしょうか。

では、新たにアメリカ大統領に就任したバイデン氏に関してはどうかというと?

彼が用意した、厚さ12.5cmという大きな聖書は、一族に1893年以来伝わるものだそうで、過去に誰かが使っていたというものではなく、彼自身が、デラウェア州選出の上院議員として就任するたびにこの聖書を使って宣誓してきたのだそうです。

ぼくが注目したのは、その翻訳です。

バイデン氏の聖書は、「ドゥアイ・リームズ聖書
」と呼ばれ、新約聖書の部分は1582年にフランスのランスで、旧約聖書の部分は1609~10年にフランスのドゥエ大学によって出版されました。長らく英語訳の標準訳して用いられてきた「欽定訳聖書(キング・ジェームズ訳/1611年)」よりも古い英語訳聖書なんですね。

バイデン氏は、カトリックの信者であり、ドゥアイ・リームズ聖書もカトリック教会の聖書です。なので、彼の聖書には、プロテスタントである名古屋学院大学の聖書には無い、いくつかの書(いわゆる第二正典とか旧約聖書続編と呼ばれる)が収録されているはずです。

彼の聖書にはどんな意味があったのか。過去2代にわたって使われてきたリンカーンの聖書を使わなかった理由は?など、様々な捉え方ができそうですが、そればっかりに囚われるのではなく、これからのバイデン大統領の活躍に期待したいですね。

そして何より、アメリカは世界を代表する多民族・多宗教の国家です。キリスト教徒以外にも様々な宗教の人たちが共存しています。これまでよりも幅広く、すべての人たちの平和と幸せが保障されるような国になっていってほしいなと思いますね。

(伝道師のほう)

2月28日は何の日?【キリスト教豆知識】

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2月28日は何の日?
・・・・・・宣教師「ロバート・モリソン」が中国伝道のためイギリスを発った日です!

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ロバート・モリソン(1782年1月5日~1834年8月1日)

16歳のときに洗礼を受けキリスト教の信者になったモリソンは、19歳で宣教師になることを決意し、訓練を受けた末に中国に派遣されることとなります。25歳になった時、彼は牧師として任命され、すぐにイギリスを発ち、アメリカ・ニューヨーク経由で中国に到着(当時、イギリス東インド会社では中国行きの船には宣教師を乗せない規則があったため、別のルートで向かわざるを得なかったのです)。

中国に到着した彼は、布教と研究に励みますが、なかなか宣教師として期待される結果は出せず、信者になった中国人もわずか数名でした。彼の死後、27年が経過していよいよ本格的に中国伝道が進められていくこととなるのですが、その当時、中国人の信者は10名しかいなかったそうです。

では、信者を増やすことができなかったモリソンの中国伝道は完全に失敗に終わったのか。決してそうではありません。実は、日本史にも出てくる「モリソン号事件」(1837年)の船名「モリソン号」は彼の名前からとられたものです。そのことからも分かるように、彼の業績は高く評価され、多くの人々の尊敬を受けることとなったのです。

モリソンの伝道は中国ではあまり受け入れられなかったものの、中国人の助けを借りて、新約聖書の中国語への翻訳を開始し、また1819年には、モリソンのことを助けるためにやって来たウィリアム・ミルン宣教師と共に、聖書全文の中国語訳を完成させました。ミルンはその出版を見届けることなく1822年に死去しましたが、翌年の1823年に、初の中国語聖書『神天聖書』が出版されることとなりました。この中国語聖書は、その後、聖書を初めて日本語に翻訳したドイツ人宣教師「カール・ギュツラフ」(1803~1851年)にも大きな影響を与えました。

モリソンとミルンは、聖書の翻訳と同時に、漢文教書など多くの文書を頒布し、またマラッカに私費を投じて英華学校を開設。更には「漢英・英漢辞典」の編纂を手がけました(17~23年)。このようなモリソンの業績が、後に活発に行われていくこととなる中国伝道の礎を築くこととなったのです。

人間は、自分や他者が期待していた結果ではなく、全く別の、しかし非常に価値のある結果を生み出すことがあります。モリソンもその一人であったと言えるでしょう。たゆまぬ努力、そして信じる心が、未来を切り拓いていくのです。

続・イエスはなぜ泣いたのか!?

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~前回までの内容~

・聖書の中で最も短い一節は「イエスは涙を流された。」(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章35節)
・イエスにはラザロという知人がいたが、ある時、彼が病気であることがイエスに伝えられた。
・イエス一行がラザロのもとに到着したときには既に彼は亡くなって4日が経っていた。
・しかしイエスは出発する前からラザロが死んだことに気付いていた。
・このあとイエスは墓に眠るラザロを奇跡によって「復活」させる。
・でも人を甦らせる力があるなら、どうして「涙を流された」のか?

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『Jesus Wept』(イエスは涙を流された)1886~1896年
作者:ジェームズ・ティソ
(本名:ジャック=ジョゼフ・ティソ、1836年10月15日~1902年8月8日、フランス)



さて、3回にわたってご紹介してきた聖書の言葉「「イエスは涙を流された」についてですが、今回で最終回にしたいと思います!笑
人を甦らせることができるにもかかわらず(にわかには信じがたい話ですが...)、なぜイエスはラザロの死を想って涙を流したのか? 皆さんはどう思われるでしょうか。


そのことを考える前に、主に二つのことを確認しておかなければいけません。

一つは、「人々は、イエスに関していろんなイメージを持ってきた」ということ。
イエスという人物については、彼が生きていた時から、人々の間で様々な見方がなされてきました。めちゃくちゃ頭が切れる"普通の人間"として見る人もいましたが、一方で、神的な力を持った"超人"「神の子」として見ている人たちもいました。そのようなイメージは、イエスの死後、イエスのことを直接知らない人々もいるコミュニティの間で膨張していき、もはや実際のイエスがどんな存在だったのか分からないぐらいになっていったと考えられます。

もう一つは、「『福音書』には、いろんな"イエス像"が描かれている」ということ。
イエスについて書かれている書物を『福音書』と呼ぶのですが、それらの書物はイエスが十字架につけられて死んでから30年もの時を経てようやく成立しました。しかも福音書の作者はいずれも"生前のイエス"と出会っていないと言われています。なので、彼ら福音書の著者たちは、イエスに関する様々な資料(人々の間で広く共有されている情報から単なるうわさ話まで)をかき集めて、それぞれの福音書を完成させたのです。


では、以上の2点を踏まえつつ、「イエスは涙を流された」(ヨハネ11:35前後)を見てみたいと思います。

前回述べたとおり、何と言ってもイエスは人を甦らせる力を持っています!(ババーン)

・・・まぁ、それが真実かどうかはさておき、「人を甦らせることができる」というのは、先ほどの話にもありましたが、イエスに対する「超人的なイメージ」の典型例ですよね。そんなこと普通の人間はできませんから(というか誰にもできない...)。人々の間では、イエスがどんな人間だったかということよりも、イエスがどんなことをしたかという情報の方が多く共有されていたのだろうと思います。偉人に関する話というのは大抵そうですよね。その人の"人間性"よりも、その人が残した"功績"などの方が伝えられていくものです。

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『ラザロの復活』1514~1519年
作者:フアン・デ・フランデス(1465~1519年、フランドル)


この福音書を書いた「ヨハネ」という人も、独自の取材で様々なイエスに関する情報を各地から収集したのだろうと思います。しかし、著者ヨハネさんが偉いのは、たくさん存在するイエスの奇跡物語や偉人伝説だけではなく、その中に埋もれてしまっている "人間としてのイエス"の姿 もなんとかして福音書の中に書き残そうとしたところなんですね。

そのため、この「ラザロの死と復活」の物語に登場するイエスには、矛盾ともとれる二つのキャラクターを見ることができます。一つは、超人としてのイエス。もう一つは、普通の人間としてのイエスです。

お墓に向かう際、そのあと彼のことを甦らせることになるとは言え、そこに眠るのは、心から愛していた友人ラザロ。そのことを思うと、どうしてもこみ上げてくる感情を抑えることができず、つい涙を流してしまったのでしょう。聖書の読者は、そこにこそ、イエスの本当の愛を感じ取ることができます。ラザロの姉妹や仲間たちが、彼の死を悼んで泣いている。そのそばで、イエスもまた、共に涙を流された・・・。喜びも悲しみも、一緒に共有してくださるお方だからこそ、キリスト教の信者たちはイエスという人に対して信頼を置き、共に人生を歩んでくださるよう願うのかもしれません。

ちなみに、アメリカのオクラホマシティには『And Jesus Wept』(イエスは涙を流された)と題された像が建てられています。1995年に起こった「オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件」で亡くなった168名の方々を覚えて設置された、非常に珍しい姿をしているイエスの像です。まさに「泣く者と共に泣いてくださる」(ローマの信徒への手紙12章15節)イエス・キリストに対する人々の信頼がそこには表されています。
https://www.encirclephotos.com/image/and-jesus-wept-memorial-to-oklahoma-city-bombing-in-oklahoma-city-oklahoma/(英文)


というわけで、長々と書いてまいりましたが・・・
「聖書の中で最も短い一節」の中に秘められた、説明し出すとキリがないほどの"奥深さ"について、
皆さん、お楽しみいただけたでしょうか??笑

次回からは、再び単発の記事を投稿していきますので、また読んでくださいね~。それでは!

イエスはなぜ泣いたのか!?

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昨日の記事では「聖書の中で最も短い一節」をご紹介しました。

「イエスは涙を流された。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章35節)

っていう箇所でしたね。新約聖書の元々の言語であるギリシャ語では...
ἐδάκρυσεν ὁ Ἰησοῦς(エダクルセン ホ イェースース)
たった3単語でした。ギリシャ語を勉強するならまずはこの箇所からですね 笑


さて!というわけで今回は、
どうしてこの箇所でイエスは涙を流したのか!?
ということについて解説していきたいと思います。


イエスが涙を流すまでの経緯はこうです。直前の34節までを見てみましょう。


1 ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロと言った。
3 姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。
〜中略〜
14 そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。
15 私がその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」
17 さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られてすでに四日もたっていた。
〜中略〜
31 家でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に行って泣くのだろうと思い、後を追った。
32 マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足元にひれ伏して、「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。
33 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、憤りを覚え、心を騒がせて、
34 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。
(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章1〜34節より)



この後、ビックリすることが起こります。何とイエスは、奇跡によってお墓の中のラザロを復活させてしまうのです!
これまで、様々な奇跡を起こして人々を驚かせてきたイエスだったんですが、この場面では遂に「死んだ人を生き返らせる」という"最もありえない"奇跡を起こしてしまうことになるんですね!


・・・ん?

な〜んだ、死んだ人を蘇らせることができるんやったら、ラザロが死んでも全然悲しくないやん!


そうなんです、本当はそのはずなんです。でも、何故かイエスは、ラザロのお墓を見に行く前に「涙を流された」んですね。


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皆さんは、どうしてイエスが涙を流したのか、想像できますか?
ぜひ考えてみてください。明日更新の記事で更に真相に迫っていきます!(まだ続くんか〜い)

聖書の中で最も短い一節【キリスト教豆知識】

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聖書にはこんな風に「章番号」と「節番号」が付けられているのを知っていますか?


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これは最初から聖書の本文に付いていたものではありません。「章番号」は、イギリスのカンタベリー大司教を務めた「スティーヴン・ラングトン」(1150年頃~1228年)によるものと言われています。その一方「節番号」はというと、約300年後、フランスで印刷業者を営んでいた「ロベール・エティエンヌ(ラテン語名:ステファヌス)」(1503年頃~1559年)が付けました。その時代は、ギリシア・ローマの古典文芸や聖書原典の研究が盛んに行われており、エティエンヌもまた古典学者でもあったため、当時広く教会で使われていた「ラテン語聖書」ではなく、原典に立ち返る形で"ギリシャ語の新約聖書"を出版しました。その第4版を出版する際に、エティエンヌはその本文に節番号を付けたのです。

さて、そのようにして「章」と「節」に区分された聖書ですが、ご存知の通り、聖書は分厚い!それだけ聖書の本文は長いということです。「節」に関しては、何と31,000を超えています 笑 それに、エティエンヌは単語数や長さで区切ったわけではないので、長い節もあれば短い節もあるわけなんですね。


そんな中で、今日の本題。「聖書の中で最も短い一節は?

・・・とその前に、比較の対象ある方が分かりやすいと思うので「聖書の中で最も"長い"一節」をお伝えしておきますね。こちらです↓

その時、第三の月、すなわちシワンの月の二十三日に、王の書記官たちが呼ばれた。そしてユダヤ人たちに宛てて、またインドからクシュに至るまでの百二十七州にいる総督たち、地方長官たち、諸州の高官たちに宛てて、モルデカイが命じたとおりにすべて書き記された。それは州ごとにその州の書き方で、民族ごとにその民族の言語で、ユダヤ人には彼らの書き方と言語で書き記された。(旧約聖書 エステル記 8章9節)

ん~、長さというよりかは、その内容が気になっちゃいますね。「民族ごとに違う書き方や言語で文書が送られた」というような内容が書かれてあるこの一節が、今や世界中で様々な言語に翻訳されている『聖書』の中で"一番長い節"・・・。何か運命的なものを感じます。


と言うわけで、ここでようやく「聖書の中で最も短い一節」の発表です!
"最も長い一節"と見比べてみてください。こちらです↓



「イエスは涙を流された。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書 11章35節)



短い!(´;ω;`)ブワッ


英語では Jesus wept. たった2単語!
新約聖書の原語であるギリシャ語でも ἐδάκρυσεν ὁ Ἰησοῦς(エダクルセン ホ イェースース)3単語!

それにしても、イエス・キリストも涙を流すことがあるんですねぇ。
何でイエスは涙を流したのか。それについては明日更新の記事をご覧ください!お楽しみに!

2月18日は何の日?【キリスト教豆知識】

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2月18日は何の日?
・・・・・・「マルティン・ルター」が亡くなった日です!

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マルティン・ルター(1483年11月10日~1546年2月18日)

幼い頃から恵まれた教育環境のもとに育ったルターは、上昇志向の強かった父の期待通り、法学を学ぶために大学に入学し、いわゆる"エリートコース"を進んでいました。ところが、あるとき命の危機を感じる事態に遭遇した彼は、人間の"生と死"について強く意識するようになり、その出来事から約2週間後には、大学を離れ、当時最も厳しかった「アウグスティノ隠修士会」に入り修道士になります。その後、2年後には叙階を経て司祭となり、また数年後には神学博士として大学で教鞭をとるようになります。

ルターの名が知られるようになったのは、当時ローマ教会が販売していた「贖宥状(贖宥符、免罪符とも)」と、それに対して1517年に彼が提示した「95箇条の提題」がきっかけです。これによって、宗教改革が急激に推し進められていくこととなります。しかし、しばしば誤解されているように、ルターはローマ教会を批判したわけではなく、また、ローマ教会を変えてやるという強い意志を持っていたわけでもなく、ただ「『贖宥状』を購入することで人間が"神の救い"を得られるのはおかしいと思うので議論の場を設けてほしい」と教会側に求めただけだったのです。残念ながらルターの要求は教会側に拒まれ、それどころか「95箇条」の内容を撤回することを迫られたため、ルターと教会との間には大きな隔たりが生まれ、ルターはカトリックの神学から離れ、独自の神学を打ち立てていくこととなります。

ルターによる宗教改革は、彼が一から行なっていったものではありません。当時のヨーロッパ社会においては、周辺諸国の台頭による「神聖ローマ帝国」の弱体化が顕著にみられ、それに伴いローマ教会の力も衰退、ヒエラルキーによる教会組織の在り方にも反対の声が相次ぎ、帝国(教会)内部も崩壊の一途を辿っていました。それに加えて、当時はペストの流行などによって、誰もが死と隣り合わせで生きていると感じる状況が生じており、そんな中で「生きるとは、死ぬとは」と多くの人々が考えるようになっていました。そう考えると、死後"神の救い"を得られると謳う「贖宥状」を民衆が買い求めた理由も分かるような気がします。こういうわけで、16世紀に起こった「宗教改革」は、決してルターの思い付きで始められたものではなく、まさに起こるべくして起こった出来事であったと言えるのです。

なお、宗教改革から500年が経過した今でもなお、カトリック教会とプロテスタント教会双方から、相手側の教義に関して「それは間違っている。誤りだ」という声が聞こえてくるのは非常に残念なことです。お互いに長い歴史を過ごしてきたのですから、一致する部分もあれば、違う部分、相容れない部分もあって当然なのです。そのことを理解している人々は既に、新たな500年に向かって歩み始めています。ルターもきっと今は、カトリック教会や他教派・他宗教の人々とも、楽しく過ごしているのではないでしょうか。

2月13日は何の日?【キリスト教豆知識】

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突然ですが、皆さんに残念なお知らせがあります(ハンカチのご用意をお願いいたします)。

まず、これらの絵に描かれた人物のこと、皆さんなら当然ご存知ですよね。

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そう...言わずと知れた、あの「イエス・キリスト」と呼ばれる人物です。

約2000年前、現在のパレスチナの地域に生まれ、"神さま"のことを人々に教えていた人物なのですが、イエス・キリストの死後、彼の弟子たちの働きを通じて、後に彼は、信奉者たちから「神のひとり子」「救い主」「真の神であり、真の人であるお方」というように信じられるようになっていきました。そして、彼の教えを基に体系化されていった「キリスト教」という宗教は"世界宗教"として、何と、今では世界中に20億人以上の信者を抱える超巨大な宗教にまで発展することとなりました。

日本においても、キリスト教の信者は190万人以上存在するとされており、日本全国にある「教会」の数は4,300を超えています。この名古屋学院大学も、キリスト教の宣教師クラインによって建てられた学校から生まれた"キリスト教主義大学"です。

そういうわけで、僕らはこの「イエス・キリスト」と呼ばれる人物について、多少なりとも知っているわけですけれども、先ほど冒頭でも触れましたように、本日は皆さんに大変残念なことをお伝えしなければならないのです。皆さんのことをガッカリさせてしまいそうで、「伝えるべきかな、いや、でも止めておこうかな・・・」と散々悩んだのですが、やはり真実をお伝えするのがこのキリスト教センターブログの使命ではないか!と考え、本日この場で皆さんにお知らせすることにいたしました。


皆さん、心の準備をお願いします。実はですね・・・

この「イエス・キリスト」っていう名前の「キリスト」って・・・

苗 字 じ ゃ な か っ た ん で す !!!!!!!!

(一同騒然)

皆さん落ち着いてくださいね(ここで水を飲む)。
ちゃんと今からご説明しますので、まずは深呼吸してください(会場を見渡す)。


僕らが"苗字"(ファミリーネーム)だと思い込んできた、この「キリスト」という言葉。これは、言ってみれば「称号」のようなものなんです。「キリスト」とは、日本でもしばしば「救世主」という意味で使われている「メシア」(ヘブライ語)という言葉のギリシャ語訳で、意味は「油を注がれた者」という意味です。聖書の主な舞台である古代イスラエルでは、王様や祭司、預言者と呼ばれる人々を任命するとき、油を塗る習慣がありました。それを受けて、イエスという人物のことを「救い主」とか「この世のどんな王様にも勝る王様」というように信じた人々は、彼のことを「メシア」「キリスト」というように呼ぶようになったんですね。

なので「イエス・キリスト」とは、「キリスト家のイエスさん」ではなくて「キリスト(称号)であるイエス」という意味の呼び名だったんですね。皆さん、ぜひ覚えておいてくださ~い。


さて、それにしても何で今日はこんなお話をしているのかと言いますと、ちゃんとこれには理由があります。

それは、本日「2月13日」という日が、1875年2月13日に、明治政府によって「平民苗字必称義務令」が出されたことを記念する「苗字制定記念日」と呼ばれる日だからです。これによって、すべての国民が「苗字」を名乗ることを義務付けられることとなりました。

そう。ただ「苗字」の話と「キリスト教」の話を絡めたかっただけ。

そ れ だ け ! おしまい。

2月6日は何の日?【キリスト教豆知識】

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2月6日は何の日?

・・・・・・「アンパンマン」の誕生日です!


え?アンパンマンって誕生日があるの?そう思われた方も多いと思います。実は、アンパンマンの作者である やなせたかし さん(1919年2月6日 - 2013年10月13日)が、かつて、子どもにアンパンマンの誕生日を尋ねられたとき、自分の誕生日を答えたことに由来するそうです。だから今日は やなせたかし さんのお誕生日でもあるんですね。


さて、小さい子からおじいちゃん・おばあちゃんまで、みんな知ってる国民的キャラクター「アンパンマン」。ちなみに、ウチの息子(1歳4か月)も、アンパンマンの人形を見て「チャンチャンチャン」(アンパンマンって言ってるつもり)って呼んでます。でもね、僕、いつも不思議に思うんですよ。アンパンマンって、そんなにカッコいい姿でもないし、逆に可愛らしいカラーリングというわけでもないし、それに、空を飛んだりアンパンチは繰り出せるけど正直それぐらいしか特殊な力は無いのに、なんでこんなにも人々から愛されるんやろ・・・って。


皆さんも、ちょっと一緒に考えてみてください。


アンパンマンの姿というのは、マントを付けて空を飛び、悪役として登場する「ばいきんまん」からみんなを守る、いかにも昔ながらのヒーロー像だと言えると思うんですよね。でも、他のヒーローとは異なる点が一つだけあります。それは、ばいきんまんに"とどめを刺さない"こと。正義のヒーローって、悪を根絶するために戦うじゃないですか。アンパンマンだって、他のヒーローたちと同じように、悪いことばかりする ばいきんまん をやっつけてしまえば、世界に平和が訪れるんじゃないの?・・・そのようについ思ってしまうんですが、アンパンマンはそうはしないんです。ばいきんまんにアンパンチをお見舞いし(遠くに吹っ飛ばして)それでおしまい。


なんで、ばいきんまんにとどめを刺さないのか。それは、アンパンマンが悪を滅ぼすためではなく、みんなを守るために戦っているからです。そのため、ばいきんまんが反省してくれさえすれば、それ以上、ばいきんまんのことを懲らしめる必要はないと考えているのでしょう。アンパンマンにとっては、「みんなを守る」という言葉の「みんな」の中に、ばいきんまんも入っているのかもしれませんね。ばいきんまんのためにも、アンパンマンは戦っていると言えるのではないでしょうか。


それに、アンパンマンの最大の特徴と言えば、やっぱり「自分の顔をお腹が減っている人に分け与えてあげる」ことですよね。この特徴は、作者の やなせたかし さんが最も大切にしている部分です。「アンパンマン」は、当初、戦うヒーローではなく、作品の主人公である売れない青年漫画家がお腹を空かして倒れそうになっているところに突如現れ、自分の顔を食べさせてあげるというキャラクターとして登場していました。その主人公は、やなせさん自身を投影したキャラクターとして描かれたのだそうですが、それ以降、アンパンマンの性格や喋り口調などは変化していったものの、自分の顔を食べさせてあげるという特徴は、けっして変わることなく、今に至るまで受け継がれてきました。


作者である やなせ さんは、戦争を体験し(中国に出征し、最終的には陸軍軍曹の地位にまで就きました)、その中で本格的な飢え苦しみを味わい、また、戦後漫画家として働き続ける中でも、なかなかヒット作を生み出せず生きていく厳しさを経験しました。きっと、そういった経験があったからこそ、人間にとって本当に必要なことは「食べる」ことであり、正義とは、悪と戦うことではなく「みんなの命を守る」ことだと、やなせさんは受けとめ、「アンパンマン」というヒーローを誕生させたのだろうと思います。


やなせさんが亡くなった時、「やなせさんはキリスト教の信者だった」と報じられたのですが(のちに誤報として訂正された)、やなせさんの正義観、そして「アンパンマン」という作品にみられる愛の精神は、充分に、「キリスト教」という宗教が大切にしているイエスの教えと通ずるところがあります。お腹を空かせた人々にパンを分け与え、また弟子たちに「これはわたしの体である」と言いつつパンを裂き、そして、自分たちの正義と異なる者たちの正義がぶつかるとき、「敵を愛しなさい」(ルカ5:44)と教えられたイエス・キリストの愛を、「アンパンマン」という作品から読み取ることができるのではないでしょうか。


「アンパンマン」が世代を超えて愛されている理由が分かるような気がしますね。

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